絆 2

 ある日の昼下がり、皇帝の執務室で書類に目を通していたアレクが、おもむろにフェリックスに尋ねた。
「もうすぐ卒業だな・・・。彼女の配属先は、決まったのか?」
 名指しこそしていないが、アレクがヨゼフィーネのことを訊いていることはフェリックスも承知している。
「申し訳ありません。あともう少しで確認がとれる筈ですが・・・」
「そうか・・・」
 二人の会話はそこで途切れた。アレクは職務に戻り、再び書類に集中する。
 フェリックスは、アレクが知りたがっていたヨゼフィーネの情報が遅れていたことを残念に思った。アレクがヨゼフィーネの事を訊くのは、自分と二人っきりのときで、それもごく希の事である。しかし、表面にこそあまり出さないが、アレクがヨゼフィーネの事を気にかけているのは、フェリックスも充分承知している。
 五年前、ヨゼフィーネが皇子を産んだ後、ビッテンフェルト家は王室と関わることを最小限に抑えた。それは、ヨゼフィーネがレオンハルトの生母である事を、世間に悟られない為でもある。それ故アレクも、自分の本心とは裏腹にヨゼフィーネとは関わらずに過ごしてきた。
 それ以前、ミュラーからヨゼフィーネが身籠もったという報告を受けたとき、アレクはヨゼフィーネに逢って謝罪をしたいと心から願った。しかし、当時のヨゼフィーネは、アレクへの拒絶反応が見られ、精神的にも肉体的にも不安定で、ミュラーからは彼女に逢うことは控えて欲しいとまで頼まれた。そんなこともあって、アレクは罪の意識を持ったあの日以来、ヨゼフィーネとは逢っていない。
 アレクはずっと、<ヨゼフィーネは自分を恨んでいる>とばかり思っていた。そのヨゼフィーネから息子を託されたとき、アレクは驚き、そして彼女に感謝した。産まれたばかりの我が子を、ローエングラム王朝の後継者として手放した母親の決意を、アレクは重く受け止めた。息子のレオンハルトを初めて胸に抱いたとき、アレクはヨゼフィーネの想いを決して無駄にしないことを、自分自身に固く誓った。
 そのアレクが、ヨゼフィーネの為に下した<ヨゼフィーネの希望に添うように!>という命令は、現在<いま>も変わることはなかった。


 最後の書類にサインを署名したアレクが、ひと息ついてフェリックスに話しかける。
「そういえばこの間、ケスラー夫人からお前の事を訊かれたぞ!」
「私の事ですか?何事でしょう?」
 疑問に思ったフェリックスが尋ねる。
「うん、最近、社交界でお前の女性の噂をとんと聞かなくなったと不思議がっていた。それでケスラー夫人は<もしかして、フェリックスはそろそろ身を固めるつもりで身辺整理をしているのでは?>と予想しているらしい」
「まさか!」
 フェリックスが思わず苦笑いをする。
 ケスラー夫人のマリーカは、結婚前から皇太后ヒルダに仕え、王宮における彼女の存在力は大きい。レオンハルト皇子の誕生の経緯を知っているメンバーの一人でもあり、フェリックスとも知り合いである。
「只、最近、女性と付き合うのが面倒くさくなっていたのは確かですが・・・」
 フェリックスの言葉に、アレクは思わず彼の顔を見た。
「『女性との付き合いが面倒!』ということは、お前は今、誰とも付き合っていないのか?」
「ええ、まあ・・・」
「なんだ・・・」
 がっかりした様子のアレクに、フェリックスが呆れ顔で尋ねる。
「陛下は何を期待していたんですか?」
「いや・・・、お前の習慣からして、複数の女性と並行して付き合うということはない。最近大人しく見えたのは、お前に特定の相手ができて、その彼女<ひと>とずっと続いているからだと思っていたよ。だからこそ、いつも相手が入れ換わって華やかに見えるお前の女性関係が目立たなくなっていたのだと、私は思いこんでいた・・・」
「残念でした!違いますよ・・・」
 フェリックスの笑いに、アレクも苦笑いする。
 私生活におけるフェリックスは、いつも女性達に囲まれ、四六時中付き合う相手が変わっていた。若い頃から皇妃一筋だったアレクと対照的に、フェリックスの女性関係は派手であった。しかし、数多くの女性と付き合っているように見えるフェリックスだが、複数の恋愛関係を並行させる事はなかった。
 交際期間こそ短いフェリックスだが、その間は必ずひとりの女性と向き合う。彼は同じ相手と長続きしない分、目まぐるしく相手が換わっているが、複数の女性と同時に付き合うという恋愛だけはしなかったのである。その事に関してフェリックスは『<女同士の鉢合わせ>などという、くだらないトラブルを避ける為・・・』と、アレクやアルフォンスに言い訳していたが、その癖が亡き父親ロイエンタール譲りということは、本人も知らなかった事である。
 アレクはフェリックスと一緒に成長してきただけあって、彼の性格をよく理解していた。そして、真面目なミッターマイヤー夫妻に育てられた彼の基本的な価値観は、自分と殆ど変わらないという事も知っている。今はあれこれと浮き名を流しているフェリックスだが、結婚すれば落ち着いて<家庭的な良き夫や子煩悩な父親>になるだろうと、アレクは思っていた。
「フェリックス、私はマリアンヌと結婚して本当に良かったと思っている。そのうえ、レオンハルトも加わり、現在<いま>は満ち足りた生活を送っている。できればお前にも、そういった幸せを味わって欲しいと願っているのだが・・・」
「陛下、判っています。・・・ハインリッヒ兄さんからも、しょっちゅう同じような事を言われています。只、陛下やハインリッヒ兄さんのように、結婚で心の安らぎを得る男もいますが、逆に結婚が人生の墓場と思っている男も結構いるものですよ・・・」
 フェリックスはアレクにウィンクして見せると、書類の束を持って部屋を出て行った。フェリックスがいなくなった執務室で、アレクが首を軽く振りながら呟いた。
「あのミッターマイヤー夫妻の熱々振りを見て育ったお前が、結婚を人生の墓場と思う筈がないだろう・・・」



 フェリックスが兄さんと呼んでいたハインリッヒは、亡きロイエンタールの従卒をしていた人物である。赤ん坊のフェリックスを抱いて、ロイエンタールの最期を見取った。その後、養子となったフェリックスと共にミッターマイヤー家に引き取られ、今は結婚して幸せに暮らしている。
 フェリックスはそのハインリッヒから、一度だけ実の母親について教えられたことがあった。それはフェリックスが今まで名乗っていたミッターマイヤーから、ロイエンタールに姓を換えたときだった。

君を産んだ女性とは、ハイネセンの総督府で逢った。
彼女は何も言わず、赤ん坊の君を私に差し出したんだ
君を受け取ったとき、彼女の手は震えていた。
思わず「よろしいのですか?」と訊いた私に、
潤んだ瞳をした彼女は、寂しそうに微笑むと言ったんだ。
「あの男が言ったのよ。『坊やをミッターマイヤ元帥に託した方が、
この子の為になる』って・・・」

あのときは私は若すぎて、彼女のこの言葉がよく理解できなかった。
でも、愛する女性がいる今なら、よく分かる。
ロイエンタール元帥とあの女性との間には、信頼があった。
二人は愛し合っていたんだ。

あの頃、幕僚達の間では、彼女のことを悪く言う人もいたけれど、
ロイエンタール元帥に逢いに来た彼女の様子を見て
私は<噂は違っている!>と思った。
あの二人は、表面からは見えない絆で、結ばれていたんだ。
だから、彼女は君をミッターマイヤー夫妻に託した。
ロイエンタール元帥を心から信じていたからこそ、
我が子を手放す辛さを乗り越えて、彼の言葉に従ったんだ。

ロイエンタール元帥も、君を産んだあの女性も、
二人とも、君を愛していた。
君の行く末を案じていた。
その事は忘れないで欲しい・・・

 ロイエンタールの従卒であったハインリッヒは、エルフリーデから直接赤ん坊のフェリックスを受け取った。彼は<いつかフェリックスが成長したとき、母親の事は伝えて置かなければ!>と思っていたのである。
 時間<とき>が経ち、赤ん坊だったフェリックスは成長した。フェリックスが士官学校の入学を機に姓をロイエンタールに換えると知ったとき、丁度よい機会だと思ったハインリッヒは、彼にこの話をした。
 しかし、当の本人のフェリックスは、思春期の難しさもあって、実の親の事に素っ気なかった。当時、育ての親であるミッターマイヤーの姓を換えたくないと願っていたフェリックスにとって、実の親のことを考える余裕がなかったのかもしれない。
 フェリックスが、ハインリッヒの話を聞いてから何年も経った。ずっと忘れていたと思っていたハインリッヒのこの言葉を、フェリックスはヨゼフィーネを見守るようになってから、よく思い出すようになっていた。


エルフリーデという名の女性は
俺の父親の言葉に従って
自分の子を育ての親たちに託した

ヨゼフィーネは俺の言葉がきっかけで
皇子を皇妃に託した

二人とも、我が子を手放した経緯が似ている


 フェリックスの中で、見たことない母親とヨゼフィーネが重なってくる。無意識になる夢の中で、名前しか知らない筈のエルフリーデとヨゼフィーネが、シンクロするようになっていた。

俺は、実の母親のその後の人生を知らないから、
ヨゼフィーネが心配なのか

ヨゼフィーネが気懸かりだから
あの母親の事も思い出すのか・・・

 フェリックスは、自分の夢の中にヨゼフィーネとエルフリーデが出てくる理由が判らなかった。潜在意識の中で大きくなっている女性について、フェリックスはまだ自覚していなかったのである。



 その日の昼休み、王宮の庭の片隅のベンチに、アルフォンスが腰掛けていた。誰かに連絡した後らしく、携帯を片手に持ったままだった。溜息を一つ付いて考え込んでいるアルフォンスの耳に、自分の名を呼ぶ声が聞こえてきた。アルフォンスが周りを見渡すと、同僚のフェリックスがこちらに向かって走ってくるのが見えた。
「アルフォンス、聞いたか?ヨゼフィーネが補給部隊に配属になった。しかも、輸送艦の航海士として・・・」
 ヨゼフィーネの情報が、フェリックスの耳にも入ったらしい。
「俺も、ついさっき聞いた。・・・たった今、ルイーゼにも知らせたところだ」
 苦い顔で話すアルフォンスに、フェリックスが少し腑に落ちないといった様子で問いかけきた。
「正直言って俺は、ヨゼフィーネは地上勤務になるのが当たり前だと思っていた。ビッテンフェルト元帥だって、同じ考えだと思うが・・・。何故、このような配属が許可されたのだろう?」
「義父上も本当のところは、フィーネには地上に居て欲しいと望んでいたと思うよ。だが、フィーネの配属は軍の人事に任せたんだ。だから、義父上は口出しせず、それに従ったんだろう」
 あっさりと答えるアルフォンスに、フェリックスは少し怒ったように話しかける。
「『・・・だろう』って、アルフォンス!俺だって、ビッテンフェルト元帥の特別扱いを嫌う性格は知っている。だが、あの娘<こ>はレオンハルト皇子の実の母親だぞ。遠い宇宙での事故や事件も怖いが、皇子の産みの母親だと世間に露見された場合どうする?俺たちの手が届かない場所で、彼女はひとりで騒動を受け止める事になる・・・」
「うん、ルイーゼもそのケースを恐れて、フィーネの地上勤務を願っていたんだけれど・・・」
「・・・なぁ、アルフォンス、今ならまだ配属変更が間に合うのではないのか?義兄でもある君が、ミュラー軍務尚書に掛け合えば・・・」
 フェリックスがそう言いかけたとき、アルフォンスの困った顔が目に入った。彼の苦笑する様を見て、フェリックスが呟いた。
「・・・難しいところだな」
「まあな・・・。俺だってフィーネになにかあったとき、支えになりたい。しかし、フィーネ自身の希望が宇宙に行くことだからな。だからこそ、あの義父上だって、この結果を黙認している」
 ヨゼフィーネの配属を受け入れようとしているアルフォンスに、フェリックスは焦ったように提案する。
「俺がミュラー軍務尚書に掛け合ってみよう」
「君が?」
「そうだ。できれば陛下にこの件を報告する前に何とかしたい。陛下も口にこそ出さないが、ヨゼフィーネの事はいつも気にしている・・・」
「知っているよ・・・」
 アルフォンスが承知しているといった具合に頷いて見せる。
 ヨゼフィーネの姉のルイーゼを妻にしているアルフォンスは、ビッテンフェルト家の一員でもある。ヨゼフィーネの義兄に当たる彼は、当然彼女の様子には詳しい。しかし、アレクはアルフォンスにヨゼフィーネの事を尋ねることはなかった。
 ヨゼフィーネが王室と距離を置こうとしていることは、彼女を取り囲む人々が皆感じていることである。アレクは、自分の大事な忠臣であり大切な親友でもあるアルフォンスが、<ビッテンフェルト家と自分との間で板挟みになって苦しまないように・・・>と気を配っていたのである。それ故、皇子を引き取って以来、アレクはアルフォンスにヨゼフィーネの事を尋ねた事はなかった。
「取りあえず俺は、軍務省に行ってくる」
 普段は冷静なフェリックスが、慌てて走り去っていく。珍しく落ち着きのない同僚を見送りながら、アルフォンスは先ほど連絡をしたときの妻のルイーゼの寂しそうな顔を思い出していた。



 ミュラーに交渉に向かったフェリックスの努力も空しく、ヨゼフィーネの配属は変わらなかった。士官学校を卒業すると、学生達は正式に辞令を交付される。ヨゼフィーネももうじき、航海士として宇宙を行ったり来たりの生活が始まるのである。
 その士官学校の卒業式を数日後に控え、ヨゼフィーネは学生最後の休日を自宅で過ごした。その翌日、寄宿舎に戻る日の朝のことである。
 朝食の席で、ビッテンフェルトがヨゼフィーネに問いかける。
「フィーネ、お前の卒業式だが、今回俺は来賓としても呼ばれているんだ。それで、チョットお前の意見を訊きたい」
「へぇ~、父上が来賓?そうなの・・・」
 ビッテンフェルトが自分の卒業式に来賓として呼ばれているという話は、ヨゼフィーネも初耳だった。
「お前が卒業生ということで、学校側が俺に気を遣ったんだろう」
「それで、父上が私に訊きたいことってなに?」
「うん、壇上の来賓席とお前の父親としての一般の父兄席、俺はどちらに座った方がいいと思う?」
 ビッテンフェルトの質問に、ヨゼフィーネは少し考えてから自分の意見を告げる。
「そうねえ~、学校側の申し出を受けて来賓として座ったら?だって、父上が一般の父兄席に座っていたら目立ってしまうし、周りも引いちゃうでしょう。壇上にいた方がまだ無難だわ・・・」
「・・・無難って、人を化け物みたいに・・・」
 娘の遠慮ない言葉に、ビッテンフェルトも口を尖らす。
「だって、父上が父兄席の周りの雰囲気に呑まれて、感極まって大声で泣いたら、それこそ怪獣扱いよ!来賓で上段に座っていた方が、まだ元帥としてのプライドから威厳が保てるでしょう?」
(うっ!<感極まって泣く・・・>という可能性はあり得る・・・)
 ヨゼフィーネの指摘に、ビッテンフェルト自身もその可能性を否定できない。
「来賓として行くよ・・・。全く・・・」
 ヨゼフィーネの減らず口に文句を言ってみるものの、ビッテンフェルトの顔は笑っている。
 ヨゼフィーネの配属後は、こうして娘とのんびりする機会も少なくなるだろうと、ビッテンフェルトは親子水入らずの時間を楽しんでいた。和やかなひとときを過ごしていた二人に、ミーネが声をかけた。
「ビッテンフェルト提督、ロイエンタール准将が見えられました。こちらにお通ししても宜しいでしょうか・・・」
「ん?俺は構わんが・・・」
 意外な人物の名に、ビッテンフェルトとヨゼフィーネが顔を見合わせた。


 食堂に入ってきたフェリックスを見て、ビッテンフェルトが声をかける。
「珍しいな。卿がここに顔を見せるのは・・・」
「・・・ビッテンフェルト元帥、お食事中申し訳ありません。今日はお願いがあって、ご自宅まで押しかけてきました」
「俺に頼み事か?」
「ええ、突然の事で驚かれると思いますが・・・」
 少々緊張気味をフェリックスを見て、ヨゼフィーネがビッテンフェルトに声をかける。
「父上、私は席を外しましょう」
 気を使った娘の言葉に、ビッテンフェルトが頷く。だが、席を立ったヨゼフィーネを、フェリックスが止めた。
「待ってくれ、ヨゼフィーネ。君も此処に居て欲しい。これは君に関する事でもある・・・」
 フェリックスの言葉に、ヨゼフィーネもビッテンフェルトも咄嗟に<皇子絡みで何かあって、それでフェリックスが此処まで来たのでは?>と考えた。真剣な眼差しになった二人が、フェリックスを見つめる。表情を変えたビッテンフェルトとヨゼフィーネが凝視する中、フェリックスが姿勢を改めるとその口を開いた。
「ヨゼフィーネの士官学校の卒業を機に、彼女に<結婚>を申し込もうと考えています。それで、お父上であるビッテンフェルト元帥のお許しを頂きたいと思いまして・・・」
 フェリックスのこの予想外の言葉に、ビッテンフェルトが調子抜けして聞き返す。
「へっ?結婚!・・・だ、誰と誰の話だ?」
「私とあなたの娘であるヨゼフィーネです!」
 一瞬の沈黙の後、ビッテンフェルトが大声を出した。
「へっ!?・・・えぇ~~、お、お前達、いつの間に?」
 <フェリックスが、ヨゼフィーネに結婚を申し込む!>という話をようやく理解したビッテンフェルトが、驚きのあまりポカンと口を開けたまま、娘の顔を見た。だが、当の本人のヨゼフィーネ自身も驚いて、目を丸くしている。そして、ビッテンフェルトと目が合った瞬間、ヨゼフィーネは焦ったように大きく首を振って父親に否定の意を示した。
 ビッテンフェルトは激しく動揺している娘の様子を見て、この話はフェリックス側の一方的な申し込みであって、ヨゼフィーネにとっては全く知らなかった話だと理解した。
 一方、このフェリックスの申し込みにかなり驚いたヨゼフィーネであったが、深呼吸して気持ちを落ち着かせると聞き返した。
「あの~ロイエンタール准将、何か勘違いされていませんか?」
「フェリックスでいいよ・・・。勘違いじゃない。この事は、前からずっと考えていたんだ」
 このフェリックスの言葉に、ヨゼフィーネが思わず声を荒げる。
「意味が判らない!どうして、私があなたと結婚するの?だいいち、あなたとはあのハルツの別荘以来、ずっと逢っていないのよ?」
「この結婚の申し込みが突然の事で、君が驚くのも無理はない。だけど、俺は真剣だ。だから、君もこの件について考えてみて欲しい」
 フェリックスの突然のプロポーズに、ヨゼフィーネが父親のビッテンフェルトに助けを求める。しかし、娘に見つめられたビッテンフェルトも、予想もしていなかった事態に声がでない。父と娘は、お互い言葉を詰まらせたまま顔を見合わせてしまった。フェリックスも二人の反応を黙って見ており、その場が沈黙状態になりかけたとき、丁度よいタイミングでミーネがお茶を持ってきてくれた。
「ともあれ、お茶を飲んでひと息入れましょう!」


 ミーネはビッテンフェルト家の使用人とはいえ、長年一緒に暮らしてきた家族同様の女性である。ビッテンフェルトも一目置いている人物であり、亡くなったアマンダの信頼も厚かった。そのミーネを縋るように見つめているヨゼフィーネを見て、フェリックスがミーネに声をかける。
「どうぞ、ミーネさんも同席してくださいませんか?」
 ビッテンフェルトもフェリックスの言葉に同意して、遠慮するミーネにこの場に同席するように勧めた。
「ミーネ、アマンダの代わりに立ち会って欲しい・・・」
 ビッテンフェルトのこの頼みに、ミーネもヨゼフィーネの隣に座った。ヨゼフィーネは安心したのか心強くなったようで、強い口調になってフェリックスに問いかける。
「フェリックス・・・あなたのプロポーズは陛下の為でしょう。私が人並みに結婚して落ち着けば、陛下の御負担が軽くなる・・・。私のこの予想は間違っている?」
「君の考えすぎだ。・・・いや、正直に言えば、確かにそれも理由の一つになっているかもしれない。君の幸せを、陛下は心から望んでいる。だが、それだけで俺は君に結婚を申し込んだんじゃない。自分の感情を、第一に考えている」
「ふ~ん、ではその自分の感情から、私の生活を定期的に調べていたのかしら?」
 少し嫌みっぽく言うところは、父親のビッテンフェルト譲りとも言えよう。
「・・・君は、気が付いていたのか?」
「まあね。私はてっきり、陛下の指示であなたが調べていると思っていたけど・・・」
「いや、違う!この件は、陛下は知らないところで、俺が勝手にやっていたことだ」
 少し睨むヨゼフィーネに、フェリックスがビッテンフェルトにも分かるように状況を説明をする。
「陛下は、希に君の様子を尋ねる事があるんだ。だから、こちらも備えておく必要もあって調べさせていた。君には悟られないように優秀な人材を手配していたんだが・・・不愉快な思いをさせて済まなかった」
 まさかヨゼフィーネにばれていたとは思わなかったフェリクスが、慌てて詫びる。その様子にビッテンフェルトは、昔から勘の鋭いヨゼフィーネだからこそ、フェリックスの手配した人物が優秀であっても、その存在に気が付いていたのだろうと推察した。
「どちらにしろ、あれはあなたが陛下の意向を汲んでやっていた事で、個人的な趣味からじゃないわよね?」
「それは、否定しないが・・・」
 フェリックスが言い終わらないうちに、ヨゼフィーネの質問が続く。
「そして、士官学校を卒業して私が目の届かなくなる前に、自分の妻にすることで監視する・・・。そうなの?」
「いや、ヨゼフィーネ、俺はそういうつもりではない!」
「では何故?・・・・・・私には自由に生きる権利がないの?」
「ヨゼフィーネ、勘違いするな!陛下は、いつだって君の気持ちを大事に考えている。それに、君もずっと自由に生きてきた筈だ!」
 アレクを庇うフェリックスも、少しばかり強い口調になっていた。
 黙って二人の会話を聞いていたビッテンフェルトが、ここで初めて口を挟んだ。
「フィーネ、今までお前は、自分で自分の進む道を決めてきた。誰も邪魔をしていない。それは、これからだって変わらない」
 ビッテンフェルトの諭すような語り口に、ヨゼフィーネもはっとなって自分が感情的になっていたことを認めた。
「確かにそうですね・・・ごめんなさい。私の言葉が過ぎました」
 素直に謝ると、ヨゼフィーネは更に言葉を続けた。
「でも父上、この際だから、私の考えを伝えておきます。フェリックスも聞いて頂戴!これがあなたの申し込みに対する返事よ・・・。私は、誰とも結婚するつもりはありません。生涯独身で、ずっとこの家に居ます!」
 ヨゼフィーネの決意に、ビッテンフェルトは冷静に応じる。
「フィーネ、お前がそう望むなら、それでもいいさ。だが、いつまでも親のそばにいる必要はないし、自分の将来をそう決めてかかるな!先のことは、まだ誰にも判らん!」
「それはそうですが・・・。でも、フェリックス、私はあなたのプロポーズを聞かなかった事にする。私の人生に、結婚はないわ。それに、変な噂が立って、あなたを慕う女性達から恨まれたくもないし・・・」
 そう告げるヨゼフィーネに、フェリックスが思わず尋ねる。
「ヨゼフィーネは俺が嫌いか?」
「いいえ、でも、私はあなたに何の感情も持っていない。だからこそ、このお話は、お互いの為になるとは思えない」
 すっかり冷静になったヨゼフィーネが理論的に説明する。
「俺に、君へ結婚を申し込む資格はないのか?」
 自分と付き合う事がお互い為にならないと言われたフェリックスが、ヨゼフィーネに質問する。
「はっきり言うけど、無理よ!それに、あなたは私の理想から、思いっきり外れているし・・・」
 ヨゼフィーネが何の躊躇もせず答えた。
(えっ?)
 フェリックスはヨゼフィーネの返答に唖然とした。今まで数多くの女性を相手にしてきたフェリックスである。自分が相手を見て対象外と感じた事はあっても、まさか相手の理想から自分が外れることなど経験も無ければ、考えもしなかった事である。
「あら~、独身主義のお嬢さまに、殿方の理想像があるとは知りませんでした!」
 ミーネの茶化すような問いかけで、場の空気が一瞬にして変わった。
「だって私、独身主義だけど、恋愛をしないとは言っていないわ」
 屈託無く話すヨゼフィーネのこの言葉に、今度はビッテンフェルトの表情が変わった。そんな男性達に構わず、ミーネがはしゃぎながらヨゼフィーネに質問する。
「そうですよね!お若いうちは恋愛しなくちゃ!フィーネお嬢さまは一体どんな男性がお好みなのですか?」
 まるでその場はお茶会のような雰囲気に変わり、ヨゼフィーネとミーネのお喋りが始まった。ビッテンフェルトとフェリックスの二人は言葉を失い、聞き役にまわる。
「理想像は欲を言えばきりが無いけどね。・・・今のところの一番の条件は、父上より背が高くて、力があって、それで大きな背中の持ち主かな。それから、バニーの格好が似合う人がいいな・・・」
「ほっ、ほぉ~、そうでしたか」
 ミーネがすかさずフェリックスの全身をチェックする。そんなミーネを笑いながら見ていたヨゼフィーネが立ち上がった。
「フェリクス、私、あなたの変な気まぐれなんかに付き合ってなんかいられない。それに、もう学校に行かなくては!・・・では、ごきげんよう!」
 ヨゼフィーネは準備していた荷物を持つと、見送りをするミーネと共に部屋を出て行った。
 食堂には、ビッテンフェルトとフェリックスの二人の男が残された。
 ビッテンフェルトは、先ほど聞いたヨゼフィーネの男性への理想像が、父親である自分が基準になっている事に機嫌をよくし、ついニンマリとしていた。
 フェリックスは、ヨゼフィーネの条件と比べているような先ほどのミーネの視線が気になってしまった。そして、ビッテンフェルトにオズオズと質問をする。
「あの~、バ、バニーって・・・、なんの事ですか?」
 このフェリックスの疑問に、ビッテンフェルトが得意気に答えた。
「バニーか・・・。昔、俺がよく着ていたウサギの着ぐるみだ!」 
「ウ、ウサギの着ぐるみ?」
(うっ!こ、この辺の感覚が理解できない・・・・全く、難しい親子だ)
 引きつり顔のフェリックスを横目に、ビッテンフェルトは嬉しそうお茶を啜っていた。


<続く>