絆 8

 少しばかり微睡んだフェリックスの目に、壁に飾られていた母子像の絵が映し出された。胸に抱く小さな赤子と見つめ合う母親の姿が、ヨゼフィーネにそっくりだった。
 (フィーネ?)
 絵に興味を持ったフェリックスが、隣で寝ているヨゼフィーネを起こさないように、そっとベットから抜け出した。そして、絵の前に立って鑑賞する。絵の中の母親の笑顔が、何とも言えず穏やかで、フェリックスは絵に見入っていた。
「今、何時かしら?」
 夢中になって絵を見ていたフェリックスの耳に、ヨゼフィーネの声が聞こえた。フェリックスが動いた気配で目を覚ましたらしい。
「起こしてしまったかい?もう、朝とは言えない時間だが・・・」
 思いがけない時間の経過に驚いたヨゼフィーネが飛び起きた。
「えっ!フェリックス、仕事は大丈夫?」
「夕方まで戻れば大丈夫だ!少しは、ゆっくりできるよ・・・」
「そう・・・」
 安心したヨゼフィーネが一呼吸したあと、フェリックスに訊いてきた。
「あの・・・昨夜は<私が誘った!>って事になるのかしら?」
「状況から判断すれば、そうとも言えるな・・・」
 フェリックスがクスクス笑うと、気まずくなったヨゼフィーネはシーツで裸体を隠し服を探しだした。そして、見つけた服を持って、そそくさと部屋から出ようとする。
「おいフィーネ、チョット待ってくれよ!」
 フェリックスが近づき、シーツを纏ったヨゼフィーネを後ろから肩越しにを抱きしめた。
「君がその気になるまで俺がどれほど我慢したか?この忍耐力を褒めて欲しいくらいだよ・・・」
 フェリックスは、ヨゼフィーネの首筋に熱い唇を当てながら呟いた。
「君とこうなるのをずっと待っていたんだ。暫くこのままで・・・」
 取りあえず部屋を出て服を着ようとしたヨゼフィーネは、結局フェリックスから離れられず、そのままの姿で彼と話をすることになった。
「この絵はミュラー夫人が描いたんだろう?君がモデルかい?」
「・・・そうよ。でも、私がモデルとなったのは、抱かれている赤ちゃんの方よ。あれは、生まれたばかりの私を抱いた母上の姿なの」
「そうか、この女性は君の母上か・・・。道理でそっくりな訳だ」
 納得したフェリックスが、ヨゼフィーネに絵の感想を述べる。
「赤ん坊の君を見つめるお母上は、とてもいい笑顔をしている・・・」
「ええ、この絵は、父上の一番のお気に入りなのよ。以前は自宅の書斎に飾って、ずっと手元に置いていたのよ。でも、私がレオンハルト皇子を産んでからは、この絵はこっちに移動させれられてしまったわ・・・」
「君に気を遣ったんだろう。赤ん坊を抱いた母親の絵だから・・・」
「そうなの。あの頃みんな、私をまるで腫れ物に触るかのように接していたわ。・・・でも、未だにそんな感じはするけれどね・・・」
 苦笑するヨゼフィーネに、フェリックスがズバリと告げる。
「それは君が、いつまでもレオンハルト皇子から逃げているからだよ。もうそろそろ向き合った方がいい。それに、君はもう少し強くなるべきだな!」
「・・・確かにそうだわ・・・」
 フェリックスの率直な意見を、ヨゼフィーネは素直に認める。
「まぁ、俺も人のことはとやかく言えない立場だが・・・」
 苦笑いするフェリックスに、ヨゼフィーネが問いかける。
「フェリックス、あなたがご両親から、自分が本当の子ではなく養子だと打ち明けられたのは、幾つのときだった?」
「それが、覚えていないんだ。でも、記憶に残っていないくらいの小さな頃だから、ショックもそれほど無かったと思うよ」
「そう・・・陛下もレオンハルト皇子に、もっと早い時期に話したいと思っていたのでしょう・・・。なのに、ずっと待っていた・・・」
「陛下は、なによりも君の気持ちを最優先するからね・・・。だが、今回のことで、君にもビッテンフェルト元帥の本音が判っただろう?本当のところは、君には地上にいて欲しいんだ。レオンハルト皇子に何かあったらすぐ駆けつけられる場所にね・・・。君にしたって、現実の皇子の姿を、自分自身の目で確かめた方がいい!面影だけを追って我慢している君だから、みんな、見ていられなくて気を遣うんだよ」
「でもフェリックス、陛下にもお話ししたんだけれど、レオンハルト皇子が真実を知ったとしても、私に逢いたがると思う?」
「それは、大丈夫だと思う」
 自信たっぷりに答えたフェリックスに、ヨゼフィーネが怪訝顔で質問する。
「あなたが、そう思う根拠はなに?」
「レオンハルト皇子は、とても素直な性格だよ。あのビッテンフェルト元帥の孫とは思えないほど・・・」
<ビッテンフェルト元帥の孫とは思えない・・・>という台詞で思わず含み笑いになったフェリックスだが、ヨゼフィーネの呆れた視線を感じ、咳払いすると何事もなかったかのように続けて説明する。
「それに、陛下譲りというか、帝王学の賜と言うべきなのか、何事も柔軟に受け入れる順応性に優れている。最初はまずレオンハルト皇子に、皇妃が育ての母親だということを認識させることから始まるかも知れない。あの二人はあまりにも似ているので、血縁関係がないと言っても、彼が信じない可能性があるから・・・。でも、あの子は大丈夫だよ。きっと、皇妃が育ての母親ということも、君が産みの母親ということも全て受け入れるよ」
 レオンハルトの性格をよく知っているとはいえ、フェリックスの見解が少し楽観的だと感じたヨゼフィーネが、思わず彼に告げていた。
「でも、これは簡単な事ではないわ。それは、あなた自身が一番よく判っている事でしょう?」
「・・・俺は性格が捻くれているから、出来ないだけさ」
 ヨゼフィーネの質問の意図を理解したフェリックスが、自嘲気に伝えた。
「レオンハルト皇子と俺とは、育ての母親がいるという点では同じとしても、状況が全く違うよ。俺は、ミッターマイヤー家で育てられたとはいえ、実の父親はローエングラム王朝に反旗を翻した叛逆者だし、産みの母親だって敵側のリヒテンラーデ一族に連なる人間だった。どうしても世間の見る目が違うし、その影響も受けやすい。しかし、レオンハルト皇子はローエングラム王朝の正当な後継者だ。産みの母親の君は<獅子の泉の七元帥>のメンバーでもあるビッテンフェルト元帥の娘で、由緒正しい家柄の出身だし、なにより君自身が陛下に忠誠を尽くす現職の軍人でもある。皇子との関係が世間に知られても、非難する者など誰もいないよ」
 フェリックスもヨゼフィーネも戦争を知らない世代とはいえ、彼の育った過程では、敵味方の意識がまだ強く残っていたのだ。フェリックスが叛逆者の息子として見られていた事実に、ヨゼフィーネは初めて気が付いた。

小さい頃から共に育ったフェリックスと陛下・・・
その結びつきの強さは、誰もが認める
公私共に、よきパートナーとして
お互いを必要とし、理解しあっている

只、フェリックスの陛下への忠誠心が人一倍強いのは
実の両親に対する世間の見方への、反動なのかも知れない

フェリックス自身は自覚していないかも知れないが、
<ロイエンタール元帥=叛逆者>という古い世代の評価を
彼は、覆したいと思っているのかも・・・

 ヨゼフィーネは、フェリックスの普段は見せない感情を感じ取っていた。
 フェリックスは自分の実の両親について語った後、ヨゼフィーネが少し考え込んでしまったように見えたので、話題を変えてきた。
「この別荘に来たのは、レオンハルト皇子が生まれて以来だから、本当に久しぶりだ」
 過去に何度か、この別荘を訪れた事があるフェリックスが懐かしむ。
「この部屋でレオンハルト皇子は生まれたのよ・・・。私、あの子を皇妃さまに託したときから、母親として名乗り出るつもりなんて無かった。父上からも、<皇妃さまに託すのであれば、赤ん坊はビッテンフェルト家とは関わりのない子になる・・・>と言われていたし・・・。でも、全くの無関係ではいられないのね」
 当時を思い出したようにヨゼフィーネが、ぽつりと告げた。フェリックスはそのヨゼフィーネの言葉を受けて、以前から気にかけていた事を質問した。
「昔、まだ君のお腹が大きかった頃、この別荘に俺が来たとき、君は『お腹の子を、ビッテンフェルト家の子どもとして育てたい!』と言っていたね。もしあのとき、俺が皇妃の事情を話さなかったら、君はレオンハルト皇子を手放さなかったかい?」
 窺うようなフェリックスの様子に、ヨゼフィーネは思わず尋ねた。
「フェリックス、その事、ずっと気にしていたの?」
「いや、只、この件は一度君に、直接訊いてみたいと思っていたんだ」
 ヨゼフィーネは軽く首を振りながら呟いた。
「過ぎ去ってしまった過去の話よ・・・」
 ヨゼフィーネはそう告げた後、ハッと気が付いて、フェリックスに訊く。
「もしかしてあなた、自分の言葉に責任を感じたから、私に結婚を申し込んだの?」
「違う!どうして君達はそんなふうに思うんだ?」
「君たち?」
「君の父上からも同じような事を訊かれたよ・・・。俺が君を好きになったのが、そんなに不自然かな・・・」
 苦笑いしながらフェリックスが続ける。
「本当に違うんだ。・・・君が気になりだした頃、俺を産んだ母親のことも気になりだした。名前しか知らなかった実の母親の存在が、自分の中で大きくなってきたのと同時に、君を好きになっていった。昔は産みの母親のことなど、全く気にもしなかったのに・・・」
「私の影響?あなたを産んだお母上が、私と同じ境遇だからなの?」
「それが、自分でもよく判らないんだ。只、殆ど覚えていない筈なのに、頭の中にあの母親と思える姿が浮かぶときがある。本当にぼんやりとした映像だけなんだが、表情が寂しそうで、やけに切ない印象が残っている・・・」
 自分の記憶を辿っているようなフェリックスがそこまで話すと、今度はヨゼフィーネを見つめて伝えた。
「その映像が、ときどき君と重なるんだ。おかしな話だが、君が幸せなら、俺を産んだあの母親も何処かで幸せに暮らしている・・・と思うようになってきた。でも君は、いつまで経っても心から笑っていない気がして、だから何とかしたいと思った。・・・こんな理由で人を好きになるのは、やはりおかしいんだろうな・・・」
 照れているのかどことなくぎこちない様子のフェリックスに、ヨゼフィーネは表情を和らげながら尋ねた。
「・・・私は心から笑っていないように見える?」
「少なくても士官学校時代の君は、そう見えた・・・」
「でも、宇宙に行ってからは変わったでしょう?宇宙に慰められて、癒された・・・。だから、宇宙に未練もあるのよ。優秀な航海士になりたかった・・・」
 過去形になったヨゼフィーネの言葉で、フェリックスは彼女が決意した事を察した。
「宇宙は逃げない。君がおばさんになってからでも、艦は操縦できるよ・・・」
「そうね・・・宇宙は逃げないし、変わらない。でも、あの子は成長してどんどん変わっていく・・・」
 フェリックスが頷く。
「父上に頼んで、配属を地上に変えて貰うわ・・・」
 ヨゼフィーネはそう告げると、自分からフェリックスの首に手を回した。二人の目が合ったと同時に、フェリックスがヨゼフィーネの唇を求める。甘いキスを何度か繰り返した後、フェリックスはシーツごとヨゼフィーネを抱きかかえ、ベットに運んだ。そして、昨夜のように彼女を求めた。ヨゼフィーネもフェリックスの要求に素直に応じていた。
 二人は激しく躯を重ね合い、時間が経つことも忘れて過ごしていた。


 ハルツからの帰り道、車の中でフェリックスがヨゼフィーネに提案した。
「フィーネ、君が地上勤務になったら、俺と一緒に暮らさないか?」
「ええ、いいわよ」
 涼しい顔で即答するヨゼフィーネにフェリックスは驚いたが、次の言葉で固まった。
「あなたが身の回りの物をもって、我が家に来てくれるのであれば!」
「えっ、君の家で・・・・」
 引きつった表情のフェリックスを見て、ヨゼフィーネが悪戯っぽく笑った。
「冗談よ・・・。でも、もう少し時間を頂戴・・・。事実を知ったレオンハルト皇子の様子を見てからでも、遅くはないでしょう?」
「判った。とりあえず、君を宇宙から取り戻せただけで、今は満足だよ。これで、いつでも逢える・・・」
 フェリックスの言葉に、ヨゼフィーネが頷いて見せた。
 二人の間に結婚という言葉は出てこなかったが、フェリックスは十分な手応えを感じていた



 帰宅したヨゼフィーネは、書斎にいるビッテンフェルトの元に向かった。
「今、戻りました・・・」
「おう!・・・ハルツは変わりなかったか?」
「ええ、まあ・・・」
 少しばかりバツの悪そうな様子のヨゼフィーネだが、話題を変えてビッテンフェルトに報告する。
「父上、陛下とお逢いしてきました」
「うん、そうだな・・・」
「陛下は、レオンハルト皇子に生まれた経緯をお話しすると仰いました。ですから、父上もそのおつもりで・・・」
「判った!心得ておこう」
 ビッテンフェルトが頷いた。
「それで、今後の事で、父上の力をお借りしたいのですが・・・」
「俺の力?・・・どういう事だ」
 娘の意図が予測出来ず、一瞬怪訝顔になったビッテンフェルトに、ヨゼフィーネが頼み込む。
「私の配属を地上勤務に変えて欲しいのです」
 娘の予想外の頼みに、ビッテンフェルトは思わずヨゼフィーネを見つめた。父親の窺うような視線に、ヨゼフィーネは微笑みを見せた。娘の決意を確認したビッテンフェルトが告げる。
「・・・それがお前の望みなら、何とかしよう」
「ありがとうございます」
「しかし、フィーネ、宇宙はいいのか?」
「宇宙へ行く機会は、この先いくらでもあるでしょう。でも今は、いろいろな意味で、レオンハルト皇子ときちんと向き合おうと決めたんです・・・」
「そうか・・・」
 今までレオンハルト皇子から逃げていたヨゼフィーネが、前向きになったとビッテンフェルトは感じた。彼の心に、ヨゼフィーネの妊娠発覚以来、親子で味わった様々な想いが思い出されていた。そんな感慨に浸る父親に、ヨゼフィーネはもう一つの頼み事をした。
「それと父上、私の帰還命令を取り下げてください。今から宇宙に行けば、フェルゼンベルク基地に立ち寄るニーベルング艦と合流できる筈・・・」
「えっ?これから宇宙に向かうのか?」
 驚くビッテンフェルトに、ヨゼフィーネが頼み込む。
「ずっと一緒に乗ってきた仲間です。私に彼らとの最後の任務を全うさせてください」
 ヨゼフィーネの気持ちは、同じく艦隊勤務をしていたビッテンフェルトにもよく判った。
 宇宙艦隊に所属すると、どうしても仲間意識が強くなる傾向がある。同じ艦に乗って、地上から遠く離れた宇宙で軍務をこなすのだから、お互い運命共同体のような感覚が生まれ、自然と結びつきも強くなる。そんな艦乗りの気質が、娘のヨゼフィーネにも備わっていた事を知って、ビッテンフェルトもつい嬉しくなった。
「そうだな。よし、すぐ手続きをしよう」
「お願いします」
 父親に礼を言って部屋から出ようとするヨゼフィーネを、ビッテンフェルトが引き留めた。
「フィーネ、チョット待て!・・・あのな、フェリックスとの事だが、お前がその気になったのであれば、はっきりとさせてくれないか?あいつのプロポーズを受けてから、もう何年も経ったぞ!」
「父上、・・・私、フェリックスとは、これからも交際を続けていくつもりです」
(えっ?交際だと~!)
 てっきり<結婚>という言葉が出てくると思いこんでいたビッテンフェルトは、目を丸くした。
「ど、ど、どういうことだ?フェリックスとは、今まで付き合ってきただろう?」
 ビッテンフェルトが、どもって聞き返す。
「彼に言われたの。私は<軍人としては思い込みが激し過ぎる>ですって!」
(それが、フェリックスとの関係にどう繋がるんだ?)
 ビッテンフェルトが心の中で、娘に突っ込む。
「彼から『情報を信じる事は大事だが、それに囚われてはいけない。最終的な決定は、自分の目で確認して冷静的に判断した方がいい!』という忠告も受けたわ。だから、私、自分の恋愛についても、そうすることに決めたんです」
(はぁ~?!)
「私はもう少しフェリックスを観察したい。結婚についても、自分の目で確かめてから判断したいの。彼と一晩だけ共に過ごしたからといって、すぐには結論を出さない。だから、始めに、父上に言っておきますね!」
「・・・」
 ビッテンフェルトは、すぐに言葉が出てこなかった。まず、煙草を取り出し火を付け、一息入れて気持ちを落ち着かせる。そして、ヨゼフィーネの諫めるように伝えた。
「お前、フェリックスを待たせすぎてるとは思わないか?」
「父上、私、最初はフェリックスのプロポーズを断っているのよ。それは父上も知っている筈でしょう。なのに、彼は勝手に待ったの!待つのが長くなったのはそのせいよ」
「そ、それはそうだが・・・」
 ヨゼフィーネの言葉からも、二人は結婚に向かって進んでいるようにも感じられたが、ビッテンフェルト自身がいい加減、この状態にしびれを切らしていた。父親の渋い顔に、ヨゼフィーネは更に駄目押しする。
「父上は以前、フェリックスが求婚を申し込んだとき、『フィーネは自分で自分の進む道を決めてきた。誰も邪魔をしていない。これからだって、それは変わらない!』と仰ってくれました・・・」
「確かに俺はそう言った。だが、俺も世間から色々言われるとな・・・」
「周りの目を気にするなんて、父上らしくない!」
 娘にそのように断言されると、ビッテンフェルトとしても、これ以上この件について強く言えなくなってしまった。
「そうか・・・。では、この話は、お前が宇宙から帰って来たとき、改めてすることにしよう」
(フェリックスの馬鹿者!お前が余計なことを言ったから、フィーネが変なところで意地になってしまったではないか!お前、自分で自分の墓穴を掘ってしまったぞ!)
 ビッテンフェルトの手が握り拳になっていた。


 ヨゼフィーネは、父親に対しては、フェリックスの言葉で意地になっていると思わせておいた。だが、フェリックス自身には<真実を知ったレオンハルト皇子の様子を見てから・・・>という本当の気持ちを打ち明けている。それだけヨゼフィーネは<フェリックスには、自分の心をさらけ出せるようになった>ということなのであろう。



 アレクはヨゼフィーネと逢った翌日、ミュラーを呼び出していた。執務室で二人っきりになったところで、アレクはミュラーに報告した。
「やっと、ヨゼフィーネ本人に謝罪ができた」
「よかったですね。これで、陛下の背負ってきたものが解消されましたか?」
「いや、まだだ!しかし、多少は軽くはなったかな・・・」
 ミュラーの瞳に映るアレクの表情は、嬉しそうであった。この先確かに、レオンハルト皇子の成長とともに、いろいろな問題は訪れて来るだろう。しかし、アレクにとって、長年の苦しんでいた胸のつかえが取れた事は確かなようだった。
「ミュラー、卿は昔からビッテンフェルト家とは親しかったようだが、亡くなったビッテンフェルト夫人を、どのような人物と思っていた?」
「アマンダさんの事ですか?何か気になることでも?」
「うん、ヨゼフィーネが私に話してくれたのだが、ビッテンフェルト夫人は自分の娘が私の子を産むことを予言していたらしい・・・」
「予言?・・・彼女らしいですね」
 ミュラーは温和な笑みを見せて、生前のアマンダの様子を教える
「アマンダさんは、口数の少ない穏やかな女性でした。よく、物事の先の事とか、人の心の内面など、普通では見えないものが見通せるような感じでしたね。それに、人を安心させる独特の雰囲気を持っていて、不思議な魅力がありましたよ」
「ほう~、そんな女性が、よくあのビッテンフェルトと結婚する気になったものだ」
「ええ、ビッテンフェルト提督がアマンダさんと結婚できた事は、未だに謎です。今のところ、私の人生の中の七不思議の筆頭になっていますよ」
 ミュラーのこの言葉に、アレクが声を出して笑った。
「しかし、なんのかんの言っても、あのお二人はお似合いの夫婦でしたが・・・」
 ミュラーは、アマンダと過ごした懐かしい日々を思い出しながら、アレクに伝えていた。


「ところでヨゼフィーネの承諾も得た事だし、そろそろレオンハルトに生まれた経緯を話そうと思っている。それについて卿の考えを聞きたい」
 アレクのこの言葉を受け、ミュラーはエリスから打ち明けられて以来気になっていた今の皇子の状況を尋ねてみた。
「陛下、少し確認したいのですが、レオンハルト皇子はどの辺まで事実を知っておられるとお思いでしょうか?」
「うん、あれだけマリアンヌに似ているものだから、レオンハルトにしてみれば母親と血の繋がりがないとは思っていないだろう。只、世間の噂を聞いて代理母の存在を信じている可能性はあるかも知れない。私としても、確かなところは息子に話してみないと判らないのだ」
「そうですか・・・」
(やはり、エリスの予想は、考えすぎなのかも知れない・・・)
 ミュラーは、妻のエリスが自分に告げた事を、アレクには話さずにいた。
「陛下、フィーネの事を知っている人々には、レオンハルト皇子に事実を打ち明けることは話しておいた方がいいでしょう。事実を知り疑問に思った皇子が、周囲の誰かに確認するかも知れません。そのとき、大人の反応がバラバラだと、皇子は混乱したり、不信感を持つかも知れません。この件については、周りの足並みは揃えておかないと・・・」
 ミュラーの忠告に、アレクも頷いた。
「確かにそうだ。時期的には、レオンハルトの体調が落ち着いたら、話そうと思う。私としては今すぐにでも話したいのだが、母上が<事実を知ったショックで、レオンハルトの熱がぶり返してしまうのでは?>と心配しているのだ・・・。全く、皇太后は次の皇帝を過保護にしている・・・」
 アレクが苦笑いで、愚痴を零した。
「皇太后は、陛下がお小さい頃に、してあげたかった事が山ほどおありだったのです。でも、摂政として忙しくて、それが出来ないまま子育てが終わってしまった。今、初孫のレオンハルト皇子に力が入ってしまうのも、仕方ないと思いますよ。混乱に明け暮れた時代を共に過ごして来た私には、皇太后のお気持ちがよく判りますから・・・」
 ミュラーからそう説得されると、アレクも何となくヒルダの気持ちが察しられた。確かにローエングラム王朝の創成期は、今の時代からは考えられない程慌ただしかっただろう。現在、皇帝として殆どの政務を任されているアレクにしても、想像が付かない世界である。
「しかし、レオンハルトが亡き父上にそっくりな事も、母上の思い入れの強い要因になっているかも知れない・・・」
 アレクが何気なく言った言葉に、ミュラーが笑った。



 数日後、<海鷲>で飲んでいるミュラーとフェリックスの目の前に、二人を呼び出した張本人のビッテンフェルトがやっと現れた。
 出だしは和やかに世間話をしながら飲んでいた三人だが、ビッテンフェルトの酔いが少し回った頃、彼はフェリックスに怒鳴ってきた。
「フェリックス、お前、フィーネと一緒に、ハルツの別荘まで行ったんだよな!そこまで持っていきながら、何で結婚にこぎ着けない?全く、お前は詰めが甘い!」
 ビッテンフェルトは目の前の酒を一気に飲み干すと、ミュラーを指差しながら、フェリックスに警告する。
「このミュラーの結婚のときも、俺は焦れったくなったものだった。だが、エリスの方からミュラーの元に飛び込んだ。だから、ミュラーは運良く<棚からボタ餅状態>でエリスを手に入れたんだ。だが、フィーネは違うぞ!あいつはエリスのように甘くはない!フェリックス、お前、覚悟しておいた方がいいぞ・・・」
「???」
 フェリックスは、ビッテンフェルトの言っている意味がよく判らず、隣に座っているミュラーにそっと教えを請う。
(あの~、ミュラー閣下が<棚からボタ餅状態>で奥方を手に入れたというのは、どのような意味なのでしょうか?)
(フェリックス、そっちはあまり深く考えるな!それより、今は<詰めが甘い>と言われた事を、気にした方がいい)
 ミュラーが自分の過去に話がふられる事を警戒しながら、フェリックスに小声で忠告する。
 ミュラーのアトバイスを受けたフェリックスは、ビッテンフェルトにすぐさま弁解をする。
「ビッテンフェルト元帥!その~、私はフィーネに『一緒に暮らそう!』と詰め寄ったんですよ!でも、彼女の方で断ったんです。フィーネはまだまだ父親であるビッテンフェルト元帥と暮らしたいようで・・・」
「なに?俺と・・・。ほう~・・・」
 一瞬驚いた表情になったビッテンフェルトだが、みるみるうちに顔が崩れ始めた。そして、にやつき状態のビッテンフェルトの目が輝き始めた。
「そうか~♪お前と一緒にいるより、俺の方がいいってか!」
 ビッテンフェルトが、勝ち誇ったように胸を張って、フェリックスに告げた。
 あの日、アレクと逢ったヨゼフィーネは、フェリックスとハルツの別荘に行ってしまった。そして、自宅で娘を待っていたビッテンフェルトは、置いてけぼりを食らった状態となった。
(あの辛い時期を、一緒に乗り超えたのは父親の俺だったのに・・・)
 ビッテンフェルトは、仕方のない事とはいえ、少し寂しい気持ちになっていたのである。
 しかし、そのヨゼフィーネが、恋人のフェリックスと暮らすより父親と住む方を選んだ事を知った途端、ビッテンフェルトは舞い上がった。
「おお、そうだ!ルイーゼにもこの事を知らせよう!」
 すっかり陽気になったビッテンフェルトのテンションが高まった。
「ミュラー、例のフィーネの地上勤務に変更の件、宜しく頼むぜ!自宅通勤圏内であれば、どこでもいい」
 今夜、煮詰めるつもりだったヨゼフィーネの配属について、ミュラーに一任すると、ビッテンフェルトは再びフェリックスに警告する。
「それからフェリックス、お前、自分のファンクラブのババァ達に<フィーネと結婚できないのは、俺のせいじゃない!>って、ちゃんと言っておけよ!」
 席を立って、足取りも軽く去っていくビッテンフェルトを見て、フェリックスが呆気に取られた。
「何なんだ!あれは・・・」
「はは、君に盗られたと思ったフィーネが、まだ父親と暮らす方を選んだ事が嬉しくて有頂天になっているんだろう。それとルイーゼへ報告を急ぐのは、孫に逢う口実・・・」
「よく判りますね・・・」
 ビッテンフェルトの思考回路及び行動パターンを読み切っているミュラーに、フェリックスは感心する。
「君も、ビッテンフェルト提督の攻撃の交わし方が上手くなったじゃないか。咄嗟にしては上出来だよ」
「しかし、あの御仁は俺を応援しているのか、それともまだ娘を手放したくないのか、いったいどっちなんだろう?」
 フェリックスの呆れ顔に、ミュラーが伝える。
「年頃の娘を持つ父親の心理は、複雑だからね・・・」
「しかし、アルフォンスは、よくルイーゼとすんなり結婚できたな~」
「まあ、あの二人は初めから両思いだったし・・・」
「・・・」
 にっこりと笑って痛いところを突くミュラーに、フェリックスが言葉を詰まらせていた。


「さて、ビッテンフェルト提督に頼まれたフィーネの地上勤務の件だが、君は何かフィーネから希望を聞いているかい?」
「彼女、宇宙に未練があると言っていました。私的には、航海士を希望している彼女の将来に繋がる職場であって欲しいと思いますが・・・」
「そうか。う~ん、候補の一つに、士官学校の教官があるが、どうだろう?フィーネは宇宙に関してのいくつかの論文で高い評価を受けていたし、実務経験もある。研究熱心だから、教える側に回っても十分やっていけると思うが・・・」
 ミュラーがフェリックスの意見を求める。
「そうですね・・・。実習で宇宙に赴くこともありますが、学生相手ですから比較的近場で安全な場所が殆どですし、全く実務から離れるという訳ではない。フィーネにとっては航海士としての勘を保つ意味でも、丁度いいかも知れませんね」
 フェリックスの同意を得たミュラーは、その他にも幾つかの候補を上げ、その度、フェリックスの意見を聞いた。そして、一息入れた後、笑いながらフェリックスに警告する。
「君にもこうしてフィーネの配属について相談したんだから、もう私の所に怒鳴り込んでくるなよ!」
「ミュラー軍務尚書の御配慮には感謝しています」
 照れ笑いしながらも、フェリックスがミュラーに素直に礼を言う。
「フィーネも宇宙から戻って地上勤務になるし、陛下ともこれからはいい関係が築けそうです。これで、レオンハルト皇子との事がクリアできたら、一安心なんですが・・・」
「陛下も、レオンハルト皇子の体調が戻ったら、生まれた経緯を話したいと仰っていた。レオンハルト皇子がどんなふうに受け止めるかはまだ判らないが、少なくても拗れることはないだろう」
「私もそう思います。フィーネは、レオンハルト皇子が生みの母親である自分の存在を、どのように受け止めるかを心配していたようですが、いざとなったら私が彼女をサポートします」
 自信が見えるフェリックスに、ミュラーは二人の結びつきが強くなった事を感じた。
「君の方も、フィーネとの結婚が見えてきたかな?」
「ええ・・・やっと陛下に、いい報告が出来そうです」
「求婚から随分時間が掛かったな。よく辛抱したもんだ!」
「・・・長い持久戦でした・・・」
 しみじみと語ったフェリックスであったが、先ほど告げられたビッテンフェルトの言葉が引っかかって、ミュラーに訊いてみる。
「ところで、ビッテンフェルト元帥が帰り際言っておられた<私のファンクラブのババァ達>って、なんの事か判りますか?」
「それは、君とフィーネが上手くいったら、解決する問題だ。気にしなくていいよ」
 ミュラーが笑って答えた。
 ヨゼフィーネが宇宙から帰ってくることで、彼女を取り巻く周囲も、フェリックスとの関係に置いても、よい方向に向かうと、ミュラーは期待していた。




 自分の艦に合流する為、宇宙に向かったヨゼフィーネも、順調にいけば、あと一週間ほどで帰還する。ビッテンフェルトを始め、家族の誰もが彼女の帰りを楽しみに待ちわびていた。
 そんなミュラーの元に、ヨゼフィーネの配属されている輸送艦『ニーベルング』の急報が届けられた。その知らせを聞いた瞬間、ミュラーは凍り付いた。思い描いていたヨゼフィーネとフェリックスの幸せな未来に、大きなひびが入ったような気がしたミュラーは、暫く動揺を隠せずにいた。


<続く>