絆 13

 自宅から姿を消したヨゼフィーネを捜す為、フェリックスは妻の行きそうな場所を考えた。
(今のフィーネにしてみれば、ルイーゼにはまだ妊娠したことは知られたくないだろう・・・となればミュラー夫人か?それとも実家か?)
 フェリックスは、とりあえず一番近いビッテンフェルト邸に向かって車を走らせた。



 フェリックスがビッテンフェルト家の門を通ると、前庭にある大きな木の下に立っているビッテンフェルトの姿が目に入った。フェリックスは車から降りると、すぐさまビッテンフェルトに声を掛ける。
「義父上!こちらにフィーネが来ていませんか?」
「あ・・・いや・・・どうしたんだ?フェリックス。そんなに慌てて・・・」
「いえ・・・その~、フィーネと少し言い合いになりまして・・・」
「・・・夫婦喧嘩か?」
「ええ、まあ・・・そんなところです・・・」
「ふ~ん・・・あいつも、軍人だけあって気が強いからな・・・」
 苦笑いするビッテンフェルトに、フェリックスが思わず頼み込んだ。
「義父上、あの~、私と少しお話ししても宜しいでしょうか?」
「俺と?・・・まあ、いいか」
 ビッテンフェルトは木に寄りかかって腕組みをすると、娘婿の話を聞く体制をとった。
「昔、私が産まれる前の話です。私の実の父親であるロイエンタール元帥は、『自分には、親になる資格がない!』と言って私の存在そのものを否定しました。もし、彼が自分の愛人の妊娠に、早く気が付いていたら、私はこの世に産まれることもなく闇に葬られていたでしょう」
「いや、フェリックス、それは違う・・・」
 ビッテンフェルトは慌てて、彼の言葉を否定した。しかし、フェリックスは首を左右に振りながら、ビッテンフェルトの言い分を打ち消した。
「先帝の前でのロイエンタール元帥の供述は、軍の公文書に正式な記録として残っています。あの査問会には、義父上も他の元帥方と一緒に立ち会っておられた筈です」
「フェリックス、その・・・奴は、お前の父親のロイエンタールは、家庭での愛情に恵まれず、昔から少しばかり捻くれたところがあった。嘘は付かないが、本音はいつも別のところに隠していたんだ。士官学校からのつき合いの俺はよく知っている」
 亡き僚友のロイエンタールを庇うビッテンフェルトに、フェリックスは少しだけ笑顔を見せた。
「もう、いいんです。・・・私は、育ての親に充分愛されて育ちましたから・・・。でも、だからこそ私は、自分の子を否定したくないんです!」
 <自分の子を否定したくない!>というフェリックスの言葉で、ビッテンフェルトはこの夫婦の騒動の原因を理解した。
「・・・子どもができたのか?」
「ええ、でも、フィーネは喜んではいない・・・」
「そうか・・・」
「その~、産んで欲しくて、ついフィーネにけんか腰に怒鳴ってしまいました。・・・感情的にならず、もっと冷静に話し合うべきでした」
「そうだな、俺もその方がいいと思う。・・・フィーネもそれでいいか?」
「・・・ええ・・・」
 ヨゼフィーネの返事に驚いたフェリックスが、その声の聞こえた方を見て固まった。ヨゼフィーネは、父親と夫を見下ろすように、木の枝にちょこんと座っていたのだ。
「えっ!?・・・わわわ!・・・・フィーネ、そんな所にいたら危ないじゃないか~」
 フェリックスが思わず叫んだ。
「大丈夫よ。いつもの指定席はもっと高いところ・・・。今日は、これでも加減している・・・」
「・・・」
 フェリックスは焦った。ヨゼフィーネは加減していると言っているが、彼女の座っている枝は、二階の窓よりも高い場所にある。フェリックスは、妊娠初期の大事な時期でもある妻の体を心配して、ヨゼフィーネに頼んだ。
「フィーネ、降りてきてくれないか?話し合おう・・・」
「ええ・・・でも、もう少し此処で考えさせて・・・。昔から、この場所は気持ちが落ち着くの・・・」
「でも、そこは・・・」
 (危ない・・・)言いかけたとき、フェリックスは苦笑するビッテンフェルトと目があった。
(あそこは、フィーネにとって特別の場所?)
 咄嗟に目で問いかけるフェリックスに、ビッテンフェルトは軽く頷く。
 木の上のヨゼフィーネを見つめていたフェリックスが、おもむろにその木を昇り始めた。そして、ヨゼフィーネの隣に腰掛ける。そんな二人の様子を黙って見ていたビッテンフェルトは、ひっそりとその場を立ち去った。


 家の中から窓越しに、娘夫婦の様子を見ていたビッテンフェルトは、遠い昔に起こった出来事を思い出していた。

お腹の赤ん坊を巡って、夫婦で追いかけっこか・・・
アマンダ、
あいつら、なんだか俺たちと同じ事をしているぞ!
全く、歴史は繰り返す・・・だな・・・

 フェリックスの焦った様子を目のあたりにしたビッテンフェルトは、昔、ヨゼフィーネを産む産まないで生じた自分とアマンダとのひと騒動を思い出し懐かしんでいた。



 自分の隣に腰かけたフェリックスに、ヨゼフィーネが伝えた。
「昔から、高い木の上に登ってぼんやりするのが好きだった。小さい頃、『ムッターに逢いたい!』って言って駄々をこねた私に、姉さんは『母上は、いつもお空でフィーネの事、見守っているのよ・・・』って教えてくれたわ。だから、子供心に少しでも母上の近くに居たくて、木登りをするようになったの・・・」
「そうか・・・」
「スーザンに言われたわ。『愛する人の赤ちゃんなのに、まるで産みたくないみたい・・・』って・・・。私は、あなたを愛している・・・なのに・・・」
 俯いてしまったヨゼフィーネを見て、フェリックスが穏やかに話し始めた。。
「フィーネ、俺は、子供を産む・産まないを最終的に決めるのは、妊娠する側にある女性でなければならないと思っている。男性より女性の方が、妊娠や出産によって精神的にも肉体的にも大きなダメージやリスクを伴うからね・・・」
「・・・」
「だからこそ、男性側から女性に対して、産む・産まないを強要されることはあってはならない。それは、俺も充分理解している。・・・だが・・・俺はその子を受け入れたい。さっき義父上にも話したとおり、俺は実の父親に自分の存在を否定された。だからこそ、自分の子は絶対否定したくはないんだ!フィーネ、頼む!その子に、人生を与えてやってくれないか・・・。俺にできることは何でもする。俺は父親になりたい!そして、君にも、もう一度母親になってもらいたいんだ・・・」
「・・・フェリックス、私は、母親ではなかったわ・・・」
 首を振って否定するヨゼフィーネに、フェリックスが問いかける。
「レオンハルト皇子を手放した事、後悔しているのか?」
「いいえ・・・。それに、その件と今回のことは関係ないわ」
「・・・では訊くが、君はなぜお腹の赤ん坊を受け入れられないんだ?」
「・・・」
「さっき、『怖い…』って言ったよな。お互いが納得できるように、ひとつひとつ話し合って解決していこう。何でもいいから、今フィーネが思っている事や感じている事を、俺に全て話してくれないか?包み隠さずに・・・」
 ヨゼフィーネは少し考えて、フェリックスにゆっくり話し始めた。
「・・・忘れたくない出来事が消えてしまいそうで、そして、忘れてしまった感覚を思い出しそうで・・・」
 ヨゼフィーネの言葉があまりにも抽象的で、フェリックスは思わず疑問顔になってしまった。
「・・・こんな言い方だと、判りづらい?」
 ヨゼフィーネが苦笑する。
「その~、できれば、もうチョット具体的に説明して欲しい・・・」
 フェリックスがもう少し判りやすい説明を求めた。
「・・・妊娠状態が進めば、あの頃、陛下に対して持っていた感情が甦りそうで・・・。もしかしたら、それに支配されてしまうかもしれない・・・」
「・・・そうか・・・」
 一呼吸おいて、フェリックスがぽつりと伝えた。
「そうなったら、また陛下を恨んで憎めばいい・・・」
 このフェリックスらしくない言葉に驚いたヨゼフィーネは、「えっ!それでは陛下に申し訳ないわ・・・」と思わず告げた。そのヨゼフィーネの反応を見て、フェリックスが軽く微笑みを浮かべる。
(昔、あんなに陛下を拒絶し恨んでいたフィーネが、ここまで陛下を思いやられるようになった。・・・そうだよな・・・彼女は今、陛下に忠誠を尽くす軍人なんだ・・・)
「もし、陛下が君のその不安を知ったら、きっと俺と同じように言うだろう。『お腹の子を生かす為なら、自分はずっと憎まれていても構わない!』と・・・。冷静に考えれば、君もそう思うだろう?」
「・・・確かにそうね。あの陛下なら、きっとそう仰るわ・・・」
「それに君は、あの頃のような十五歳の少女じゃない!強くなった筈だ!一時的に過去の自分に戻ったとしても、いずれ克服できる」
「・・・」
「その~、俺が思うに、今のフィーネは、レオンハルト皇子を身籠った頃の辛い気持ちを、再び経験したくないという自己防衛が働いている。だから、妊娠に対して拒絶反応が出ているんじゃないかな・・・。それは、自分を守ろうとする本能みたいなものだから、今は、理性で対応できなくなってもしょうがない。だが、落ち着けば必要以上に恐れている自分に気がつく筈・・・」
「・・・自己防衛・・・そうなのかしら・・・」
(やっぱり、フィーネみたいなタイプは、感情的になって話すよりも、理論的に物事を説明した方が説得しやすいかも知れない・・・)
 フェリックスは妻の反応に少しづつ手ごたえを感じながら、次の問題に取り組む。
「忘れたくない出来事ってなんだい?」
「あの頃、・・・辛いことばかりでもなかったのよ・・・。お腹が大きくなってからは、よくレオンハルト皇子と話をしていたわ・・・」
「レオンハルト皇子と話?」
「そう、レオンハルト皇子はお腹を蹴って返事をしてくれた。私の言葉にきちんと反応してくれたの。だから、胎動を感じるたびに、幸せな気持ちになっていた。・・・そのまま、ずっと坊やをお腹の中に留めたいとさえと思っていた・・・。そのときの気持ちは、絶対忘れたくないの!いつまでも、覚えておきたい・・・。私と坊やとの大事な思い出なの!ずっと心の中で大切にしている時間が、新たな妊娠で消えてしまいそうで・・・」
 フェリックスは<坊や>というその言葉で、ヨゼフィーネが心の奥に閉じ込めていた想いを、打ち明けているのを感じていた。

フィーネは、この想いをずっと心の支えにしてきた
それこそ、
レオンハルト皇子を手放してから何年も・・・
何度も何度も繰り返しては
レオンハルト皇子を偲んできた
彼女の心の中では、
その想いが、無限ループのようになっている・・・
だから、フィーネの心の中で
過去と現在<いま>が、上手く繋がっていない感じがしたんだ・・・

 フェリックスは、レオンハルトとヨゼフィーネが初めて対面した日の事を思い出していた。
「フィーネ、忘れるっていうのは記憶が眠るっていうことで、消えるって意味じゃないと思う。だから、もし君が忘れてしまっても、何かのきっかけで記憶が目を覚ませば、必ず思い出せる。自分の心にやきつけた大事な想いは、決して消えないよ」
「・・・そうなのかしら・・・」
「本当に大切な事は、消えるわけがない。思い出せないというのは覚えておく必要がないからだよ・・・」
 フェリックスの説明に、ヨゼフィーネは少しばかり不安そうであったが、一応頷いた。それを見て、フェリックスが再び問いかける。
「他に何か心配事があるかい?」
「・・・私は、レオンハルト皇子をずっと避けてきた。やっと向き合う気持ちになって、これからもっとお互いを理解し合う大事な時機なのに、気持ちがお腹の子に向いてしまう自分が怖い・・・。レオンハルト皇子を傷つけたくないの・・・」
「う~ん、それは大丈夫だと思うが・・・。前にも言ったと思うが、レオンハルト皇子は何事も柔軟に受け入れる順応性に優れている。それに・・・」
 フェリックスが話している途中で、彼の胸ポケットの携帯電話から呼び出し音が鳴り響いた。しかもこの音は、アレクからフェリックスに発信される緊急用の召集の合図であり、滅多な事では使われないものでもある。フェリックスは慌てて対応した。


「皇妃から、至急、君を連れてくるように命じられた・・・」
 フェリックスに連絡したのはマリアンヌであった。ヨゼフィーネがマリアンヌから呼び出されるのは、初めての事である。
「なぜ、私を?」
「判らない・・・」
 ヨゼフィーネの疑問に、フェリックスが首を振る。
「皇妃さまが、緊急用の召集で私を呼ぶってことは、レオンハルト皇子に何かあったんだわ!すぐ行きましょう!」
 ヨゼフィーネがフェリックスを促した。
 二人とも、大急ぎで木から降り始める。先に降り始めたフェリックスが一番下の枝から、地面に飛び降りる。そしてフェリックスは、後から木を伝って降りてくる筈の妻を支えようとしたところ、彼の予想に反してヨゼフィーネは同じ枝から飛び降りた。
(お、おい!!)
 フェリックスは焦った。一番低い枝と言っても、女性が飛び降りるには危険だし、ましてや今のヨゼフィーネは普通の体ではない。

まったく・・・
やはり、レオンハルト皇子が絡むと
フィーネは周りが見えなくなる
俺やお腹の子さえも・・・

これは嫉妬か?
いや、レオンハルト皇子への想いで一杯だったフィーネの心に、
割り込んだのは俺の方・・・
全てを承知した上で、俺は彼女を愛したんだ!

 フェリックスは、顔色を変えて急ぐヨゼフィーネを見つめながら、改めて感じていた。



 ビッテンフェルトは、娘夫婦が連れ立って慌てて車に乗り込む様子を見て(何事だ?)と、少しばかり不安になっていた。
「父上、大丈夫です。恐らくフィーネに、皇妃さまからの呼び出しがあったと思います・・・」
 フェリックス達と入れ違いに、ビッテンフェルト家を訪れたルイーゼが、父親に説明する。
「皇妃?お前が皇妃に知らせたのか?」
「ええ、皇妃さまは、<フィーネに再び母親になって欲しい!>と誰よりも願っているお方ですから・・・」
 状況を理解したビッテンフェルトが、納得して椅子に座りなおす。
「しかし、ルイーゼ、よく気が付いたな?フィーネは、まだお前にも身籠った事、打ち明けていなかったんだろう?」
「ええ、あちらの義父上から、『フィーネが、今回の宇宙への実習に行けなくなった・・・』と連絡がありました。それでピンときました・・・」
「うむ」
「父上、私は、今フィーネのお腹の中にいる赤ちゃんが、あの子の心の中にぽっかり空いた穴を埋めてくれるのではないかと思うんです」
「心に空いた穴?」
「ええ・・・、陛下と新たな関係になり、レオンハルト皇子との交流も始まっています。地上勤務となって、フェリックスとも結婚しました。以前のフィーネの生活と比べると、確かにいろいろな面で充実しています。でも、長年空いていた心の穴は、そう簡単には埋まってくれないでしょう・・・」
「・・・」
「赤ちゃんの無垢な笑顔は、天使のように心を和ませてくれます。きっと、誰にも真似できないほどの力で、フィーネを支えてくれるでしょう。フィーネの心の隙間は、お腹にいる赤ちゃんが埋めてくれると、私は信じています。だからこそ、フィーネには何としても赤ちゃんを産ませてやりたい・・・」
「そうか・・・」
 ビッテンフェルトはルイーゼの話を聞いて、亡き妻アマンダを思い出していた。哀しい過去を持つアマンダが立ち直ったのは、赤ん坊のルイーゼの存在があったからだ。アマンダ自身、『ルイーゼには、お腹の中にいた頃から 、何度も助けて貰った・・・』とビッテンフェルトに打ち明けている。
 ビッテンフェルトは目の前のルイーゼに、懐かしそうに告げた。
「お前も昔は天使だったぞ・・・」
「えっ、私が?」
「ああ、そうだ・・・。アマンダも過去に辛いことがあって、心に傷を負っていた。その傷を、赤ん坊のお前が直してくれたんだ・・・」
「母上に辛い過去?・・・父上は、それをご存じでしたか?」
 結婚後の幸せな母親の笑顔しか知らないルイーゼは、意外なことで驚いたようだった。
「昔のことだ・・・。貴族社会の歪み、そして、戦争が原因だった。・・・俺とアマンダは、そういう時代を過ごして来たんだ・・・」
 ビッテンフェルトの言葉に、ルイーゼは自分の母親が、戦争を知っている軍人であったことを、改めて思い出していた。

アマンダ
フィーネに足りなかったものは、
お腹の赤ん坊だったのかもしれないな・・・
あの頃のお前に、ルイーゼが必要だったように・・・
お前とフィーネは、
本当によく似ているよ

 ビッテンフェルトは、赤ん坊のルイーゼの存在が、心の拠り所になっていた新婚時代のアマンダを思い出していた。



 王宮に着いたロイエンタール夫妻は、急いでマリアンヌの元に向かった。取り次いだ女官は、皇妃の部屋にヨゼフィーネだけを通し、フェリックスは控えの間で待たされた。
 周囲のいつもと変わらない様子に、レオンハルトに異変が起きたとは思えず、フェリックスはマリアンヌがヨゼフィーネを呼び出した意図を探っていた。


 ヨゼフィーネが皇妃の部屋に入ると、マリアンヌは彼女に椅子に座るよう勧めた。そして、自らお茶の準備をして、ヨゼフィーネをもてなす。
「突然、呼び出してしまって驚かれたでしょう?・・・」
「いえ、あの・・・レオンハルト皇子に何かあったのでしょうか?」
「いいえ、レオンハルトは変わりはありませんよ。心配なさらないで・・・。只、私<わたくし>があなたと少しお話がしたくて・・・」
「・・・」
 ヨゼフィーネは、マリアンヌが世間話をする為に自分を呼び出したとは思えず緊張していた。マリアンヌはそんなヨゼフィーネを見て、リラックスさせようと目の前のお茶を勧める。そして、一息入れたところで、マリアンヌは早速本題に入った。
「あなたの心の中で止まってしまった時間を、この機会に少しずつ進めてみませんか?あなたの心の中のレオンハルトを大きくさせるのです。お腹の中の赤ちゃんと一緒に・・・」
「皇妃さまは、私の妊娠をご存じなのですか?」
 驚くヨゼフィーネに、マリアンヌが頷いて見せる。
「お産みなさい・・・。大丈夫、お腹の赤ちゃんと一緒に成長することで、あなたは全ての思い出から解放されますよ・・・」

皇妃さまは知っている!
私の中の時間が、あの頃のままで止まってしまっている事を・・・、
そして、
その思い出から抜け出せずにいることも・・・

「あなたは、レオンハルトの母親であり、生まれてくる子の母親でもあります。子どもへの想いは半分ずつに減るのではなく、あなたの母親としての愛情が二倍に増えるだけ・・・。あなたのレオンハルトへの想いは、決して変わることはありません・・・」

レオンハルト皇子に対する愛情が、
下の子に向いてしまう事を
私は恐れていた
だから
子供はレオンハルト皇子、一人と決めていた

皇妃さまは、何もかもご存じだった・・・

「あなたのお腹の赤ちゃんに、使ってもらいたくてとっておいたのです・・・」
 マリアンヌは、大きな桐の箱の中から一枚の産着とおくるみを取り出した。
「これは、あのときの・・・」
「そうです。あなたが私<わたくし>にレオンハルトを託したとき、着せていたものです」
 それを見た途端に、ヨゼフィーネの脳裏に、レオンハルトが生まれた日の事が鮮やかに浮かんできた。

波のように襲ってきた陣痛の痛み
励ますエリスの声
産声を聞いたときの安堵感
坊やを産湯に使わせているルイーゼの嬉しそうな表情
出産後の自分を労うビッテンフェルトの喜ぶ姿

そして、
この産着を着ておくるみにくるまった坊やを
初めて抱いたときの感触
柔らかい髪の毛と小さな手

フェリックスの言った通り、
心に焼き付けた想いは、確かに消えてはいなかった・・・

「レオンハルトがあなたから生まれる運命だったと同じように、お腹の子もあなたの娘として生まれてくる運命なのですよ」
 マリアンヌの言葉に、思わずヨゼフィーネは「えっ、娘?お腹の子は女の子なのですか?」と訊ねていた。
 マリアンヌは目をパチクリさせて、「あら、そういえばそうでした。・・・なぜ、女の子と思ったのでしょう?」と少し考えた後、納得したようにヨゼフィーネに説明した。
「小さい頃のレオンハルトの洋服は、次にあなたのところに生まれてくる赤ちゃんの為、男の子でも女の子でも着れるような服を・・・と思って選んでいました。ずっと<女の子でもいいように・・・>と考えて衣服を購入していたものだから、いつの間にか<次は女の子!>と思い込んでいました。・・・これで男の子が生まれたら、笑い話になってしまいますね・・・」
 マリアンヌは笑いながら、ヨゼフィーネに伝えた。
「陛下も私<わたくし>も、ずっとあなたが産む次の子を待っていました・・・。どうかお腹の赤ちゃんを産んで、あなたとフェリックスの二人で育ててください」
 包み込むようなマリアンヌの表情に、ヨゼフィーネは思わず自分の不安を打ち明けていた。
「皇妃さま、王室の家系を複雑にすることは、ローエングラム王朝の将来に影響を及ぼしませんか?」
「いいえ!その心配はご無用です!」
 マリアンヌがきっぱりと断言する。
「むしろ、レオンハルトの将来の為になると思います。弟か妹が生まれたら、レオンハルトはきっと逞しくなりますよ。陛下が、あなたとレオンハルトを守る為、強くなったのと同じように・・・」
「レオンハルト皇子の為になる・・・」
 思わずヨゼフィーネが呟いた。
「ええ・・・。勿論、あなた自身にもフェリックスにも、赤ちゃんが必要だから、コウノトリは運んできたのです。みんなが待ち望んでいた赤ちゃんです。安心してお産みなさい・・・」
 マリアンヌの穏やかな微笑みが、亡き母親に似ているように感じたヨゼフィーネは、アマンダから『心配はいらない。安心してお産みなさい・・・』と言われているような感覚に陥った。その後、ヨゼフィーネの目からは涙が溢れだした。
 一度泣き出したら、もう抑えられない。涙が止まらなくなったヨゼフィーネは、泣きじゃくりながら肩を震わせた。そんなヨゼフィーネを、マリアンヌは優しく抱きかかえて言った。
「あなたが、レオンハルトを私<わたくし>に託してくれた事を、どんなに感謝したことか・・・。そして、長い間、あなたに辛い思いをさせてしまっていた事も申し訳ないと思っています」
 ヨゼフィーネは溢れる涙を抑えることも叶わず、声を出すこともできず、マリアンヌの言葉に何度も頷いて応じるのが精一杯だった。
 優しい時間<とき>が、暫く流れた。
「ヨゼフィーネ、お腹の赤ちゃんと体を大事に・・・」
「・・・はい、皇妃さま・・・」
 ようやく落ち着いたヨゼフィーネから、やっと言葉が出た。



 控えの間で待っていたフェリックスに、ヨゼフィーネが声を掛けた。
「フェリックス、終わったわ。すっかり待たせてしまって・・・」
「いや、それはいいんだが・・・」
 フェリックスは、明らかに泣いた跡が残るヨゼフィーネの顔を見て心配になった。
「皇妃は一体、何の為に君を呼んだんだい?」
「これを、お腹の赤ちゃんに使ってほしいって・・・」
 その産着とおくるみは、フェリックスにも見覚えがあった。
「これは、レオンハルト皇子を、王宮に連れてきたとき着ていた服だね・・・」
「ええ・・・。あなたの言ったとおりだったわ。これを見た途端、レオンハルト皇子の産んだときのことが鮮やかに甦った。・・・記憶が目を覚ましたの・・・」
「うん、そうか・・・」
「フェリックス、心配かけてごめんなさい・・・」
「・・・産んでくれるのかい?」
 ヨゼフィーネがコクリと頷く。
「ありがとう・・・。本当にありがとう・・・」
 フェリックスはヨゼフィーネを思いっきり抱きしめていた。



 王宮からの帰り道、ヨゼフィーネは気になっていた事を、フェリックスに思い切って訊いた。
「フェリックス、本当はあなたも、ロイエンタール元帥を叛逆者だとは思っていないのでしょう?なのに、なぜその事に拘っているの?」
「・・・ロイエンタール元帥か・・・。フィーネ、さっきは、ついカッとなって済まなかった。つまらない事を言ったと後悔している」
「フェリックス、私は大丈夫よ。只、私にはあなたの方が、自分で言った言葉で傷ついているような気がするんだけれど・・・」
「そう思うかい・・・。実の父親の事は拘ってはいるつもりはないが、只、士官学校時代を引きずっているかも知れない・・・」
「士官学校?」
「うん、一人の教官と反りが合わなかった。そいつは教官としてみれば優秀な奴だと思うが、俺とは巡り合わせが悪過ぎた・・。叛逆者の息子としての自分を、自覚させられたよ」
「そうだったの・・・」
「今なら聞き流してしまえる事でも、多感な時期だったから結構堪えていた・・・。当時は、自分で自分を守るための殻を作って誰も寄せ付けなかったし、多分周りも近寄りがたいと思っていただろうな。だから、俺は士官学校時代には、あまりいい思い出がないんだ・・・。尤もその教官は、俺が卒業してまもなく自ら退役して、もう軍人ではなくなったが・・・」
 ヨゼフィーネは、フェリックスが士官学校時代に受けた心の傷が、彼のその後に大きな影響を与えていることを感じた。
「士官学校時代って大事よね。四年間だけなのに、その後の軍人としての人生に、大きな影響を及ぼす力を持っている。だから、教官である私も学生達とは真剣に向き合わないといけないわね・・・」
「そうだな・・・」
 フェリックスもヨゼフィーネに同感するように呟いた。しかし、ふと、ある事を思い出した彼は、少しばかり苦い顔になって妻に忠告する。
「フィーネ、教官として学生達と真剣に向き合うのはいいことだ!だが、今の君は、あまり無理をしないで欲しい。木登りも木から飛び降りるのも我慢してくれ・・・」
 フェリックスから注意されたヨゼフィーネは、思わず苦笑いになった。
「・・・ええ、取りあえず赤ちゃんが生まれるまでは、木登りをしないようにするわ・・・」
 はにかむ妻の顔を見つめながら、フェリックスは何とも言えない幸福感に包まれていた。


<続く>