絆 7

 ヨゼフィーネの配属されている輸送艦『ニーベルング』の今回の任務は、オーデンヴァルト基地とフェルゼンベルク基地に物資を運ぶ事であった。往復で約8週間の日程を要する。
 フェザーンを出発してから航海は順調に進み、最初に立ち寄るオーデンヴァルト基地まであと二日という頃、ヨゼフィーネは艦長のミュンツァーに呼び出された。
「ビッテンフェルト中尉、君に帰還命令が出ている」
 艦長室でミュンツァーから告げられたこの寝耳に水の命令に、ヨゼフィーネは戸惑った。
「・・・それは一体、どういう事なのでしょうか?」
 納得いかない様子のヨゼフィーネに、艦長のミュンツァーも首を振って伝える。
「君が驚くのも無理はない。正直なところ、私としても突然の事で驚いているんだ」
 困惑気味のミュンツァーに、ヨゼフィーネが質問する。
「この命令は、どなたの名前で出されたものなのか、教えて頂けますか?」
 ヨゼフィーネの質問に、ミュンツァーが応じる。
「ビッテンフェルト元帥、君のお父上だ」
「父上が?」
 ビッテンフェルトの名に、ヨゼフィーネは一瞬にして、<あの子の身に何かが起こった?>と感じたが、すぐ動揺を抑え込む。
「何か心当たりがあるかね?」
「いいえ、見当も付きませんが・・・」
 ミュンツァーの問いかけに、努めて冷静に振る舞うヨゼフィーネであった。
「なにしろ詳細が判らないので、私にも状況が見えないが、あのビッテンフェルト元帥に限って、私用で君を呼び出したとも思えない。何か特別な事情があるのだろう」
 浮かぬ顔のヨゼフィーネに、ミュンツァーが指示を出す。
「とにかく君は、二日後に立ち寄るオーデンヴァルト基地で、この艦を降りてフェザーンに戻るんだ。艦橋のスタッフには、君に極秘任務が下ったとでも言っておこう・・・」
「・・・承知致しました」
 了承したヨゼフィーネであったが、心には大きな不安が襲い始めていた。
 ヨゼフィーネとて父親の特別扱いを嫌う性格はよく知っている。元帥だからといってその権限を、私事に使う事は一切なかった。昔、ビッテンフェルトが妻の危篤の際でも軍務を優先した事は、兵士達の間では有名な話として語り継がれている。

あの父上がこのような事をするとは・・・

家族ではない!
恐らく、レオンハルト皇子の身に、
何か重大な事が起こったのかも・・・

 任務の引き継ぎをしながらも、ヨゼフィーネの考えることは、悪い予想に対するシミュレーションばかりであった。



 フェザーンの宇宙港に到着したヨゼフィーネは、いつものようにフェリックスを探した。ヨゼフィーネの予定外の帰還の情報でさえ把握するフェリックスは、今までの出迎えには必ず来ていた。しかし、今日は姿を見せていない。毎回宇宙から帰還すると、フェリックスと一番最初に逢うのが当たり前になっていたヨゼフィーネだけに、意外な気がした。
(フェリックスは、父上が私に下した帰還命令を知らなかったのかしら・・・)
 ヨゼフィーネは、出迎えに来たフェリックスがこの状況の説明をしてくれると思っていただけに、未だに事情が判らない事に焦りを感じ始めていた。そして携帯を取り出すと、命令を下した張本人のビッテンフェルトに連絡する。
「フィーネか!今、着いたか?では、そのまま真っ直ぐフェザーン医科大学付属病院に行って701号の病室で待っているんだ!俺もすぐ向かう。事情はそのときに・・・」
 ビッテンフェルトは、用件だけ告げるとすぐ切ってしまった。
「病院?」
 独り言を言ったヨゼフィーネの心の中に、別の不安が生まれてくる。
(もしかして、フェリックスの生命に関わるような事故か何かがあって、父上は私を呼んだのでは?レオンハルト皇子が絡んでいるのであれば、場所は病院ではなく王宮になる筈・・・)
 ヨゼフィーネは地上車を拾うと、病院へと急いだ。彼女の頭の中には、入院しているフェリックスの姿が浮かんでいた。

フェリックスが危うい状況に陥っているから、
父上は急遽、私を呼び戻したのかも知れない
もし、このまま彼に逢えなかったら、どうしよう!

フェリックスの気持ちを知っていたのに
都合のいいように、彼を振り回していた・・・
フェリックスの気持ちに応えず、
そのくせ彼に甘えていた・・・
・・・ずっと酷い事してきた・・・

お願い!
生きているフェリックスに逢わせて!

 ヨゼフィーネの心の中に、後悔の渦が沸き起こっていた。この状況になって初めて、自分の中でフェリックスの存在が大きくなっていることに、彼女は気が付いたのだ。


 しかし、ビッテンフェルトは「フェリックスが入院した!」とは一言も言っていない。このヨゼフィーネの激しい思い込みは、姉妹揃っての傾向で、父親のビッテンフェルト譲りの性格と言えよう。



 病院に着いたヨゼフィーネが、指定された病室に入ると、そこには誰もいなかった。
(どういう事?)
 ヨゼフィーネが怪訝に思っていたところ、ドアが開いてフェリックスが入っていた。
「やあ、フィーネ!迎えに行けなくて済まなかった。ついさっき、ビッテンフェルト元帥から連絡が・・・」
 フェリックスが言い終わらないうちに、突然ヨゼフィーネが彼に抱きついてきた。
「フェリックス!・・・無事だったのね!」
「えっ!俺が無事?・・・な、なんのことだい?」
 ヨゼフィーネの予想外の行動に驚きながらも、フェリックスは自分の胸に飛び込んできた彼女を受け止める。フェリックスの胸にすっぽり収まったヨゼフィーネは、すぐ間近に迫った彼の目を見て叫んだ。
「教えて!レオンハルト皇子に何があったの?」
「あっ、いや、・・・レオンハルト皇子が原因不明の高熱を出して、我々も慌てたのは確かだが・・・」
「やっぱり・・・」
 ヨゼフィーネが込み上げる動揺を防ごうとしたが、フェリックスの前では繕う事が出来なくて小刻みに震え出してきた。彼の無事な姿に安心して気が緩んだのか、いつものような感情のコントロールが出来ず涙が次々と溢れる。
 フェリックスの方も、ヨゼフィーネが心配しないように言葉を選んで説明をしようと思っていたのに、意表をつくヨゼフィーネの行動で、彼の頭の中は真っ白になって用意していた言葉が飛んでしまっていた。
「フィーネ、落ち着け!俺の話を聞いてくれ!」
 ヨゼフィーネが泣き声で訴える。
「だって、あの父上が軍務中の私を呼び戻したのよ!余程の事が起きたのでしょう?」
 最悪の場合も考えて何度もシミュレーションした筈のヨゼフィーネだったが、フェリックスの前ではなんの役に立たなかった。
 取り乱す寸前のヨゼフィーネを見たフェリックスは、思わず彼女の左右の肩に手をやると、泣き顔状態の口元を覆うように、唇を合わせ声を塞ぐ。そして、ヨゼフィーネの抵抗する暇も与えず、呼吸を阻むほどの深い口づけを交わした。
 思いがけない激しい口づけに思わず腰を引いたヨゼフィーネだったが、フェリックスの腕はそれをしっかりと抱きしめ逃がさなかった。
 いつもの軽いキスとは全く異なる種類の口づけに、ヨゼフィーネは混乱し頭の中がボォーとして何も考えられなくなっていった。そして、フェリックスからの熱い抱擁を受けたヨゼフィーネの全身の力は抜けてしまい、その躯は彼が支えている状態であった。
 暫くして、ようやくフェリックスがヨゼフィーネを解放すると、彼女はそのままベットの端に腰を下ろした。そして、呆然としているヨゼフィーネに、フェリックスが声をかける。
「落ち着いたかな?・・・フィーネ」
 ヨゼフィーネが静かに頷く。
「レオンハルト皇子は大丈夫だよ。微熱はまだ続いているが、意識はしっかりしているし、もちろん命にも別状はない!」
「・・・本当に?」
「本当だ!何だったら、今から王宮に行って確かめて見るかい?」
 ヨゼフィーネが軽く首を振って応じる。
「そう、無事でよかった・・・」
 一息ついたヨゼフィーネが、ふとフェリックスと目が合った。その瞬間、顔を赤らめたヨゼフィーネの反応につられ、フェリックスも思わず本気になって彼女に濃厚なキスをしてしまった事に、照れが出てきた。そして、つい余計な一言を、ヨゼフィーネに言ってしまった。
「感情的になって泣き叫く御婦人を黙らせるには、やはりこの方法が一番効果的だな!」
(えっ?この方法って・・・キスの事?)
 ヨゼフィーネは思わず、フェリックスを見つめた。一度緩んだ涙腺はなかなか元に戻らず、ヨゼフィーネの目は再び潤んできた。
「私、あなたが迎えに来なかったから、もの凄く心配したのよ!父上が軍務中の私を呼び戻したのは、レオンハルト皇子ではなくあなたの身に非常事態があったのかも知れないと思って・・・。なのに、人の気も知らないで・・・」
 ここでフェリックスは、自分に対するヨゼフィーネの行動や感情が、いつもと違うことに気が付くべきだった。しかし、彼は何を思ったのか、全く別の目線からものを言っていた。
「フィーネ、君は、軍人としては思い込みが激し過ぎるな!<ビッテンフェルト元帥が君を呼び戻す・・・>という事は確かに非常事態と感じるだろう。だが、きみはそれに囚われすぎている。最終的な判断は、自分の目で状況を確認して冷静的に考えた方がいい。先走った心配でパニックになるなんて、軍人としては使い物にならないぞ」
(はぁ~、なに、それ?泣きたくなるほど心配した私がバカみたい・・・)
 ヨゼフィーネの中で、先ほどまでフェリックスを心配していた気持ちがすっと引いてしまった。それとほぼ同時に、昔、彼が付き合ってきた女性達と同じように扱われた事に対する不満が込み上げてきた。
 ヨゼフィーネとてフェリックスの派手な女性関係の噂は聞いたことがある。しかし、現在<いま>のフェリックスは、自分に対しては誠実であった。それだけにヨゼフィーネは<自分はフェリックスの過去の女性達とは違う!>という自信のようなものがあったのである。
(私は、昔の女性達と同レベルって事?)
 ヨゼフィーネの中に嘗てない感情が生まれてきていた。それは、本人でさえ自覚していない<嫉妬>という類のものかもしれない。とにかく、今日のヨゼフィーネは、感情の起伏が激しくなっていた。
「フェリックス、何か用があるのかしら?私ここで、あなたじゃなくて、父上を待っているんですけれど・・・」
 少しばかり迫力を感じるヨゼフィーネに、(あれ?)と思ったフェリックスが訊いてみた
「・・・フィーネ、君は、なにか怒っているように見えるが?」
「別に!」
 流石に、(フィーネは確かに何かに怒っている・・・)とフェリックスは感じたが、ヨゼフィーネの<拗ねている>という微妙な女心には気が付いていなかった。
 腑に落ちない様子のフェリックスだったが、ヨゼフィーネが不機嫌になった理由が判らず、一旦出直そうと病室を出ようとした。そして、ドアに手をかけた瞬間、ふと何かに気が付いたらしく、フェリックスはくるりと向きを変えてヨゼフィーネに質問する。
「フィーネ、・・・もしかして、さっきの俺のキスが気に入らなかった・・・のかな?」
 フェリックスの質問に、ヨゼフィーネが皮肉を込めて答えた。
「あなたはあの方法で、いったい何百人もの女性を黙らせたのかしら・・・」
 ようやくフェリックスは、キスそのものよりも、そのあとの不用意な一言が、ヨゼフィーネの機嫌を損ねたことに気が付いた。
「その女性の数は、過大評価だな・・・」
 フェリックスは一言だけ釈明をして部屋を出た。
(口は災いの元だな・・・。フィーネの周囲には、俺の過去の派手な女性関係のイメージを、なんとか払拭できたと思っていたのに、肝心のフィーネに<俺が女たらしだった>という事を印象づけてどうする?)
 フェリックスは自分自身を冷笑しながら、病院の廊下を歩き始めた。


 再び病室のドアが開き、軍服の男性が入ってくる気配に、(フェリックスが戻ってきた!)と思い込んだヨゼフィーネは、傍にあった枕を彼に向かって思いっきり投げつけた。
「まだいたの!フェリックス・・・」
 しかし、ヨゼフィーネに枕を投げつけられた男は、フェリックスではなかった。まともに枕が顔に命中して苦い顔になったのは、父親のビッテンフェルトであった。
「あっ、父上!・・・ごめんなさい。てっきりフェリックスかと思って・・・」
「・・・お前はフェリックスが相手だと、枕を投げつけるのか?」
 ビッテンフェルトが呆れたように言った。
「すみません・・・」 
 顔を赤らませながらヨゼフィーネが謝る。
「まあ、いい・・・。それより、今回の事、驚いたろう」
 ヨゼフィーネが軽く頷きながら告げた。
「ええ、私事で軍務中の私を呼び出すとは、父上らしくないと思いました・・・」
「そうだな・・・。だが、正直に言って、俺は怖くなったのだ」
 ビッテンフェルトの言葉に、ヨゼフィーネが意外な顔をした。
「不謹慎だが、レオンハルト皇子の命に関わるような状態になった場合、お前にすぐに逢わせたいと思った。すぐ駆けつけられる場所に、お前を置いておきたかったのだ・・・。そうしなければ後悔するとも思った・・・」
「・・・あの子の病状は、そんなに重いものだったのですか?」
「いや、一時的なものだった。もう峠は越した。・・・フェリックスから説明はなかったのか?」
「ええ、まあ、簡単に話してくれましたが・・・」
 ヨゼフィーネが苦笑いで伝える。
「フィーネ、俺の先走った行動に呆れたか?」
「いいえ、・・・私は小さい頃から、父上が予想外の行動をすることには慣れていますから・・・」
 珍しく落ち込んでいる様子のビッテンフェルトに、ヨゼフィーネが慰めるように告げた。
「陛下にはきつく怒られたよ。慎重に行動するようにと・・・」
 深い溜息をついたビッテンフェルトに、ヨゼフィーネは先ほどから疑問に思っていた事を尋ねた。
「父上、私は、なぜこの病院で待たされたのですか?」
「帰ってきたついでに、お前にもひとどおりの検査をして欲しいと思ってな。俺もルイーゼも検査を受けた。レオンハルト皇子の血の繋がりがある関係でな・・・」
 さっと顔色を変えたヨゼフィーネが、ビッテンフェルトに質問する。
「レオンハルト皇子に、遺伝性の病気の疑いでもあるのですか?」
「念の為だ・・・。今回は持ちこたえたが、レオンハルト皇子の高熱が続いた原因は判っていない。今後の事を考えて、いろんな方面のデーターが揃っていた方がいいという事だ・・・」
 そう言ってビッテンフェルトが、ヨゼフィーネに(深く考えるな!)といった具合に、両手を左右に広げて肩をすくませて見せる。
「ところで、お前を帰還させた事を知った陛下が、逢いたいと申し出た。お前の方も、陛下と逢うことには既に了承済みだというので、今夜、人のいない時間を見計らって此処に来て貰おうと思う。それでよいか?」
「ええ、判りました・・・」
 ヨゼフィーネが応じる。陛下に逢う事への心づもりはあったヨゼフィーネだが、それでも少し身構えたらしく、ビッテンフェルトから(本当に、大丈夫か?)という確認の視線が送られてきた。ヨゼフィーネが頷いて見せると、彼は娘の緊張を取り除くように、笑い顔で忠告する。
「フィーネ、陛下には、枕を投げつけるなよ!」
「大丈夫よ。父上」
 苦笑いをしながらも表情が和んだヨゼフィーネを見て、ビッテンフェルトは病室を後にした。
 その後、ヨゼフィーネはひとどおりの検査をする事になった。



 全ての検査が終わって、軍服に着替えたヨゼフィーネは、病室にてアレクを待った。
 彼女は、自分の首に掛けていた銀色の小さなハート形のロケットペンダントを外して手に取った。そのロケットペンダントには、レオンハルトの生まれた日が刻印され、中にはへその緒が入っている。
 このへその緒は、生まれたばかりのレオンハルトを受け取ったマリアンヌが、その後ルイーゼに託したものだった。ルイーゼは迷った末に、ヨゼフィーネに手渡した。
 レオンハルトと母と子であることを証明するへその緒が入ったこのロケットペンダントを、ヨゼフィーネはお守りのように肌身離さず身につけていた。
 手の中のロケットペンダントをじっと見つめていたヨゼフィーネに、ノックの音と共にフェリックスの声が聞こえた。
「フィーネ、陛下が見えた!準備はいいかな?」
 急いでロケットペンダントを首に戻したヨゼフィーネが、小さく深呼吸してからアレクを通した。


 病室に備え付けてある簡単な椅子に、ヨゼフィーネとアレクが向かい合って座る。先に口を開いたのは、アレクの方だった。
「ヨゼフィーネ、今回の件は驚いただろう?済まなかった。実はこの騒動の原因は、私の母上にあるのだ」
「皇太后さまですか?」
 意外な人物の名に、ヨゼフィーネが思わず聞き返した。
「母上は孫のレオンハルトを、とても可愛がっている。周囲からは先帝の生まれ変わりのようだと言われ、母上もその気になってしまっていたところがあった。それで、今回のレオンハルトの症状を、父上の病気と重ねて見てしまい、必要以上の心配をしてしまったのだ」
 アレクが今回の騒動の経緯を、説明し始める。
「確かに一時期は高熱が続いて、医者団も慌てた。冷静でいられなくなってしまった母上は、レオンハルトの病気の原因の解明を急ぐあまり、ビッテンフェルト達まで巻き込んで詳しく検査をさせたのだ。私としても母上を諫めたのだが、そこまでしないと気が済まないらしくて・・・。世間から一目置かれている皇太后も、孫の前ではただの心配性の一人の祖母になってしまう」
 アレクが苦笑いしながら、自分の母親であるヒルダの様子を教える。
「しかし、君を呼び寄せる事までビッテンフェルトに頼んだとは・・・。私も先ほど知って呆れてしまった。どうも孫のレオンハルトの事になると、あの母上でさえ周りが見えなくなってしまうらしい・・・」
 アレクが苦笑いで告げる。
「よく分かります。我が家にはもっと凄いお祖父ちゃんがいますから・・・。孫というのは、特別な存在らしいですね」
 ヨゼフィーネはそのように同意してから、アレクに自分の見解を述べた。
「・・・でも、皇太后さまは、私の父の気持ちを察して、そのようなご命令をなさったのではないのでしょうか?」
「ビッテンフェルトの?」
「父も、今回のレオンハルト皇子のご病状に驚いて、心の中で私を呼び戻したいという気持ちになってしまったらしいのです。しかし、軍務で宇宙にいる私を、私用で呼び戻す事に元帥としてためらいもあった。皇太后さまは、そんな父に、私を帰還させやすくする為の助け船を出してくださったんだと思います」
「君がそのように感じたのならば、そうなのかも知れない。ともかくビッテンフェルトも母上も必要以上に心配しすぎた。このような大騒ぎになって、君も驚いたろう。不安にさせて済まなかった」
 取りあえずアレクは、今回の騒動の説明を先に済ませた。そして改まって、ヨゼフィーネに告げた。
「・・・やっと、君に逢うことができた・・・」
 アレクは一呼吸置いて、更に続ける
「私は、君にずっと謝りたいと思っていた。過去に戻って、あの日をやり直したいと何度願ったことだろう」
「陛下、もういいのです。済んだ事です」
「いや、私はまだ君に謝罪していない。済んだ事として終わらせる訳にはいかない・・・。君を傷つけて済まなかった・・・」
 アレクの謝罪の言葉に、ヨゼフィーネが応じる。
「陛下、私はもう何とも思っていません。確かに陛下をお恨みした時期もありました。でも、父から亡き母の言葉を教えて貰ったのをきっかけに、私は<陛下の御子を産む>という運命を受け入れることにしたのです」
「亡き母の言葉?」
「はい、母が最後に父と逢ったとき、伝えたそうです。<お祖父ちゃんになった父が、三人の同じ年頃の男の子の孫に囲まれている夢を見た>と・・・。母はそのときにもう、姉が産んだテオやヨーゼフ、そして私が産んだラインハルト皇子の存在を知っていたのです。三人とも自分の孫として、既に受け入れていました。だから私も、この運命を受け入れることにしたのです」
「確か、君のお母上が亡くなられたときは、君はまだ小さかった筈・・・」
「ええ、私が四歳のときに母は亡くなりました」
「なのにお母上は、娘達の未来を予言していた?」
 アレクの驚いた顔に、ヨゼフィーネは「普通に考えれば不思議な話なのですが・・・」と前置きした上で説明する。
「私は母のことをよく覚えていないのですが、周囲から母の性格を教えて貰っていますので、それもあり得るかも・・・と思っています」
「私の子を産む運命・・・。そうか、君はそのように受け入れてくれたのか・・・」
 アレクは、ヨゼフィーネが葛藤の末とはいえ、最終的には<皇帝の子を産む>という事を、肯定的に受け止めてくれた事が嬉しかった。
 アレクはその後、父親としてこれまでの息子の歩みを、ヨゼフィーネに教える。ヨゼフィーネは、その話に聞き入っていた。
 暫くの間、和やかな時間が流れた。


「ヨゼフィーネ、そろそろレオンハルトには、生まれた経緯を話して置きたいと思う。それで、もう一人の母親として君の事を伝えるつもりだが、それでいいかな?」
 アレクの問いかけに、ヨゼフィーネが答えた。
「その事については、私はもう納得済みです。全て陛下にお任せします」
 ヨゼフィーネの了承に、アレクが更に踏み込んで質問する。
「もし、君のことを知ったレオンハルトが、『逢いたい!』と望んだら、私としては逢わせたいと思っている。君の考えを聞かせてくれ!」
「陛下、レオンハルト皇子が、産みの母の存在を知ったからといって、すぐ私に逢いたがるでしょうか?」
 このヨゼフィーネの質問に、アレクが疑問顔になった。
「君は、レオンハルトは逢いたがらないと思うのかい?」
「育ての母親を慕っていればいるほど、血の繋がっている母親がいると言われても、すぐには受け入れがたいと思います。実の母親の事が、記憶にないのであれば、尚更・・・」
 ヨゼフィーネはアレクを見つめて続ける。
「レオンハルト皇子にとって、事実を知る事は必要かも知れません。でも、それは、私を母親として受け入れるという事とは別問題です。皇妃さまが血のつながりがない母親であったという事実は受け入れられても、今まで無関係であった産んだだけの母親を受け入れる事は難しいと思います・・・。<受け止める>と<受け入れる>は違うのです・・・」
 アレクはヨゼフィーネが言った<受け止める>と<受け入れる>の違いが判らず、複雑な顔になっていた。その事を察したヨゼフィーネは、別の方法で説明をしてみる。
「陛下は、フェリックスと小さい頃からご一緒に過ごされました。そのフェリックスから陛下は、実の母親について何か聞いた事がありますか?」
「・・・いや・・・彼から生みの母親の事を聞いた事はない・・・」
 そう言ってアレクは自身の記憶を振り返る。

フェリックスは、
自分が養子であることも、実の両親の素性も知っている。
なのに、ミッターマイヤー夫妻を唯一の親として過ごし
実の両親に対しては、無関心そのものだ

行方不明となっている産みの母親とて、
今のフェリックスであれば、見つけ出せる筈だ。
しかし、彼は、未だにそれをしようとはしない

確かに、フェリックスは実の両親の事は頭では知っているが、
実際は気にかけていない・・・
自分の心の中に、その存在を受け入れていないのだ!
この状態が、<受け止めた>だけなんだ・・・

「フェリックスは受け止めてはいるが、受け入れてはいないな・・・」
 アレクが、ヨゼフィーネに確認するように告げた。
「ええ、<受け入れる>というのはなかなか難しいものです。陛下、レオンハルト皇子が慕う母親は、皇妃さまお一人です。どうぞ、レオンハルト皇子のお気持ちを一番優先にお考えください。・・・いつの日か、レオンハルト皇子が私を産みの母親として受け入れる気持ちになったとき、私は彼に逢うことが出来ると思います」
「判った。レオンハルトの気持ちを優先する事が君の望みならば、そのように心掛けよう。・・・だが、私は君の気持ちも大事にしたい!」
「陛下、私はもう大丈夫です」
 ヨゼフィーネのこの言葉を受けて、アレクは窺うように彼女に訊いてみた。
「・・・レオンハルトを私に託したことを、後悔した事はなかったのか?」
「私は、あのときの自分の決断は、正しかったと信じています。後悔はしていません。あの選択でよかったのです」
「・・・しかし、辛くはないか?」
 アレクの問いに、ヨゼフィーネは返答はせず、宇宙の話を持ち出した。
「陛下、私は宇宙での任務の中で、艦外活動が一番好きなんです。普通であれば危険性が伴い、殆どの人が嫌がる任務ですが、私はむしろ楽しみにしているくらいです。宇宙空間の果てしない深さの中に自分の身を置くと、まるで宇宙全体に体が包み込まれるようで、守られているような心地良さを感じます。宇宙からの治癒力のようなエネルギーが私の心を満たし、地上で思い悩んでいた事などが些細なことに思えてくるのです。宇宙空間は、私の心を癒してくれます」
「そうか・・・。宇宙が、君の心を癒してくれていたのか・・・。私は、君が辛いとき何もしてやれず、全く役に立たなかったな」
 アレクが自嘲気味に呟いた。
「私と君との間には、レオンハルトを通して繋がりが出来た。私は、この繋がりを大切にしたい。これからは、私も君の力になりたい。なんでも頼って欲しい。マリアンヌも君の事を妹のように心配していた。私たちは君の幸せをずっと願っている」
「陛下や皇妃さまのお気持ち、有り難く思っています。・・・私は、レオンハルト皇子が幸せならば、充分幸せになれます。だから、もうご心配なさらないでください・・・」
 ヨゼフィーネがアレクに笑顔を見せた。
「・・・最後にひとつだけ言わせて欲しい。だが、これは皇帝として話すのではなくて、フェリックスの友達の一人として君に伝えたい」
 アレクはこのように前置きした後、フェリックスについて話し出した。
「フェリックスは、あまり素直に自分を出さないから、誤解されやすいタイプだ。昔の女性関係について、君にもいろいろな噂が入ってきているだろう。だが、彼が本気になった女性は君が初めてなんだ。信じられないかも知れないが、それは私が保証する。・・・根は真面目でいい奴なんだ」
 アレクが告げた助言に、ヨゼフィーネは少しはにかむような表情になって応じる。
「ええ、私も彼とお付き合いをして、見かけよりは誠実だっていうことが判ってきました」
 ヨゼフィーネの様子に、アレクも手応えを感じ思わず微笑んだ。


 この会見で、過去を清算したアレクとヨゼフィーネは、レオンハルトの父と母という新たな関係を築き始めるきっかけをつくった。



 会見が終わり、アレクと入れ替わりに病室と入ってきたフェリックスが、ヨゼフィーネに伝える。
「君を自宅まで送るよ」
「あなたは、陛下に付き添わなくていいの?」
「陛下の護衛は他にもいる。だが、君の送り迎えの役目は、他の誰にも渡したくない」
 フェリックスが、ヨゼフィーネの前に立って彼女の目を見つめた。そして、ヨゼフィーネの顎に指先を添えたと同時に、フェリックスの顔がゆっくり近づいて、二人は唇を重ねた。
 先ほどの強制的なキスと違って、今のフェリックスは優しくヨゼフィーネの唇に触れていく。何度か触れ合っていくうちに、自然と少しずつ濃いキスへと変化していった。そして二人は、甘く絡み合うようなキスを何度も繰り返した。
 ようやくお互いの身体が離れ、一息ついたヨゼフィーネがフェリックスに尋ねる。
「私、今泣き叫んでいたかしら?」
「いや、俺が君にキスをしたくなった。それだけだ・・・」
 ヨゼフィーネがフェリックスの言葉に「ふっ」と微笑んだ。そして、身につけていた我が子のへその緒が入ったロケットペンダントを軽く握りしめて、フェリックスに告げた。
「ハルツの別荘に行きたい。・・・連れて行ってもらえる?」
「君が望むなら・・・」
 フェリックスが頷いた。



 フェリックスが運転する車の中で、ヨゼフィーネが父親に連絡する。
「父上、終わったわ・・・。それで、今夜はハルツの別荘で過ごしたいの・・・」
 携帯で話しているヨゼフィーネと、運転席のフェリックスの目が合った。
「大丈夫!一人じゃないわ・・・フェリックスと一緒・・・」
 そう言って携帯を切ったヨゼフィーネが、フェリックスに告げる。
「別荘にはあなたと一緒に行くって、父上に伝えちゃった・・・」
「別に構わないさ。君との交際はオープンにするって、最初からお父上には宣言してある!」
 クスっと笑い顔を見せたヨゼフィーネに、フェリックスが平然と答えた。


 その頃、自宅の書斎で、ヨゼフィーネからの連絡を受け取ったビッテンフェルトが、アマンダの遺影に向かって話しかけていた。

聞いたか、アマンダ
『一人じゃない。フェリックスと一緒!』だとよ
全く、心配して待っていた俺の気も知らないで・・・

しかし、
もう、フィーネには、
俺のオンブは、必要ないのかも知れないな・・・

 溜息混じりで苦笑いをするビッテンフェルトを、アルカイック・スマイルのアマンダが見守っていた。


<続く>