絆 17

 ミッターマイヤー家でおきた初孫誕生のドタバタ劇も、ようやく落ち着いた。
 予定日より一か月も早い出産に心の準備が出来ていなかったフェリックスは慌ててしまったが、自分の実家で両親やミュラー夫妻と一緒のときに、妻の陣痛が始まった事は幸いであった。ヨゼフィーネが母親のように慕っているエリスの存在は彼女の精神的な支えになったし、ミュラーや両親が手伝ってくれたお蔭で、フェリックスは妻のそばにいる事に専念できた。
 駆けつけた医師からも<母子ともに良好な状態!>との診断も受け、出産を終えた妻と赤ん坊の無事を確認したフェリックスはほっと胸をなでおろした。



 一息ついて落ち着いたフェリックスは、安心して気が緩んだのか、先ほどまで飲んでいた酒が急に回ってきたような感覚に陥った。彼は酔いを醒まそうと、玄関を出て外の風にあたり大きく深呼吸する。フェリックスの目に、澄み渡った夜空に見事な星々が広がる。
(そういえば昔よく、ここで親父と一緒に星を見ていたっけ・・・)
 自分の子供時代を思い出したフェリックスは、(そのうち俺も、同じように娘と一緒に星空を見るんだろうなぁ・・・)と近い未来を想像し、つい顔が緩んでくる。
 ヒンヤリとした外の空気にあたり頭がすっきりしたところで、フェリックスはアレクに連絡を入れた。
「陛下!フェリックスです。今、実家の方に来ていたんですが、フィーネが急に産気づきまして・・・。ええ、先ほど赤ん坊が生まれました!」
 フェリックスがそこまでアレクに伝えたところで、突然、車の急ブレーキの音が響いた。そして、車から飛び降りたビッテンフェルトが玄関先にいるフェリックスに向かって「フィーネは大丈夫か!赤ん坊は無事か!!今、どうなっているのだ?!」と叫びながら凄い形相で突進して来た。
 ビッテンフェルトの叫び声が静寂な夜に響き渡り、彼の迫力に押されたフェリックスが、急いでアレクへの報告を済ませる。ビッテンフェルトの登場で、フェリックスの<親になった喜びを、親友としみじみと分かち合いたい!>というささやかな希望は叶わなかった。
 心の中で溜息を付いたフェリックスは、興奮状態のビッテンフェルトをなだめにかかる。
「義父上、落ち着いてください!フィーネは元気です。赤ん坊も無事生まれました!医師の診断も終え、入院の必要もないという事なので、このまま二人とも家で休んでいます!」
「なに!もう赤ん坊は生まれたのか?」
 驚くビッテンフェルトに、フェリックスが笑顔で伝える。
「ええ、女の子が生まれました」
「ほう!女の子か♪」
 緊張していたビッテンフェルトの顔に、みるみる安堵感が広がった。
「そうか、そうか・・・無事、生まれたか・・・良かったな、フェリックス」
「はい!フィーネは頑張りました。義父上からも褒めてあげてください」
「うん、そうだな!」
 つい笑みが零れ顔に締まりのなくなった男二人が、揃って家の中に入っていった。



 一方、フェリックスから連絡を受けたとき、アレクは妻のマリアンヌと息子のレオンハルトと一緒にいた。
「陛下、どうなさいましたか?」
 少し考え込んでいる様子のアレクに、マリアンヌが尋ねる。
「うん、今、フェリックスから『赤ん坊が生まれた!』と知らせがあった・・・」
「まあ、もう生まれたのですか!確か、予定日はまだまだ先の事でしたよね?ヨゼフィーネと赤ちゃんは、大丈夫でしたか?」
「うん、それが、『赤ん坊が生まれた!』というフェリックスの最初の声は聞こえたのだが、後はビッテンフェルトの声が邪魔してよく聞き取れなかった。ビッテンフェルトがやけに興奮して大声で怒鳴っていて・・・。もしかしたら赤ん坊は生れたばかりで、あちらはまだ取り込んでいるのかも知れない・・・。病院ではなく、ミッターマイヤー家で生れたという事だし・・・」
「ヨゼフィーネはミッターマイヤー家で出産したのですか!それはミッターマイヤー夫妻も、さぞ初孫誕生に喜んだ事でしょう」
 マリアンヌもほっとした様子で喜んでいる。そばにいたレオンハルトが目を輝かせて、父親に質問した。
「赤ちゃんは、男の子ですか?女の子ですか?」
「レオンハルト、済まない・・・。多分フェリックスは、私に言ったと思うが、ビッテンフェルトの声が邪魔して聞き逃してしまった・・・。しかし、ビッテンフェルトは、なぜあんなに怒鳴っていたんだろう?」
 怪訝顔のアレクに、レオンハルトが心配する。
「何かあったのかも?・・・ヨーゼフも生まれたとき早産で、ワーレン夫人もヨーゼフも危険な状態になったと、彼から聞いたことがあります・・・」
 不安顔になったレオンハルトに、マリアンヌが優しく諭す。
「レオンハルト、大丈夫ですよ!フェリックスは、ヨゼフィーネも赤ちゃんも無事だったから、陛下に安心してもらう為に報告をしたのです。私<わたくし>の方から、明日の朝一番でルイーゼに詳しい事を訊いてみましょう。でも、今日はもう遅い時間だし、楽しみは取っておくという事で少し待ちましょうね・・・」
「はい、母上・・・」
「ヨゼフィーネと赤ちゃんは、ミッターマイヤー家に暫くいる事でしょう。落ち着いたら、二人に逢いに行きましょうね。兄として赤ちゃんに挨拶しないと!」
 母親の言葉に、レオンハルトが笑顔で頷いた。



 フェリックスが寝室のドアをノックして、ヨゼフィーネに伝える。
「フィーネ、義父上が見えたよ!」
「知ってる・・・。声がここまで聞こえていたから・・・」
 ヨゼフィーネが苦笑いで答える。ビッテンフェルトが顔を出して、娘に伝えた。
「フィーネ、おめでとう!突然だったから、驚いたぞ!」
「私も急に陣痛が始まってびっくりしたわ。お医者さんが間に合わなくて、エリス姉さんが赤ちゃんを取り上げてくれたのよ!」
「そうか!エリス、ありがとう!お前には、いつも子供たちが世話を掛けてしまうな・・・」
「いいえ、ビッテンフェルト提督、赤ちゃんの誕生というのは、とても幸せな気持ちになります。その瞬間に立ち会う事ができて、私も嬉しいです」
 にこにこ顔で礼を言うビッテンフェルトに、エリスも笑顔で応じる。
「今日はナイトハルトと外出中に、偶然ミッターマイヤー元帥とお逢いして、ご自宅に招かれたんです。ミッターマイヤー夫人がフィーネ達にも声を掛けてくださって、さっきまで一緒に普通に夕食を食べていたんですよ!まさか、今日、赤ちゃんが生まれるとは、夢にも思いませんでした」
 エリスの説明に、ビッテンフェルトが頷く。
「エリス達がいたから、フィーネも心強かっただろう!偶然とはいえ、みんながいるときの出産で良かった・・・。俺は、ルイーゼがヨーゼフを産んだときの記憶が甦って、体が震えてしまったよ・・・」
「父上、大丈夫よ!お医者さんが、太鼓判を押すほどの安産だって!」
 心配した父親を、ヨゼフィーネがにっこり笑って安心させる。そして、エリスが、ビッテンフェルトにしみじみと自分の想いを伝えた。
「これで私は、ルイーゼやフィーネの出産、四回とも立ち会うことができました。きっと、アマンダさんが、『娘達の一大事に、自分の代わりに見守って欲しい…』と私を引き合わせてくれたのでは・・・と思っています」
「うん、そうだな・・・」
 ビッテンフェルトも、この偶然にはアマンダの願いが込められているような気がしてきた。和やかな時間の中で、ヨゼフィーネがポツリと父親に伝えた。
「父上、ハルツに行く前に産んじゃって、ごめんね・・・」
「?!・・・ああ、そうか・・・」
 娘に言われてビッテンフェルトは、ハルツで過ごす理由がなくなった事に初めて気が付いた。だが、自分の顔色を窺うような娘の視線に、ビッテンフェルトは落胆した気持ちをすぐ切りかえる。
「な~に、お前も赤ん坊も無事でなによりだ♪俺はそれで大満足さ!それに、何事も予定通りにはいかないものさ!特に赤ん坊がいる生活はそうなる!お前、いちいち気にするな!」
 ビッテンフェルトは娘の頭の上に手をやると、昔のように母親譲りのクリーム色の髪をくしゃくしゃにして(心配するな!)という素振りをみせる。
 だが、口ではそう言っているものの、少しばかり肩を落としているビッテンフェルトの様子に、エリスが声を掛ける。
「ビッテンフェルト提督、一緒に赤ちゃんを見ませんか?私も取り上げたものの、夢中だったのでまだ赤ちゃんをゆっくり見ていないのです・・・」
「そうか!さすがのエリスも、赤ん坊を取り上げるというのは大変だったろう?」
「ええ、とても緊張しましたよ。無事、赤ちゃんが産声をあげてくれたときは、本当にほっとしました」
 無我夢中だった様子のエリスに、ビッテンフェルトが改めて労う。
「父上、孫娘の顔、見てやって!」
「孫娘か・・・」
 孫が四人のいるビッテンフェルトだが、テオドール、ヨーゼフ、レオンハルトと男の子が続いて、女の子は今回が初めてである。孫娘という甘い響きに、ビッテンフェルトのテンションが再び上がり始めた。
 ヨゼフィーネの状態を自分の目で確かめて安心したビッテンフェルトが、今度は赤ん坊を見る為、エリスと共にリビングに向かった。



 リビングに顔を出したビッテンフェルトを、ミッターマイヤーが「おう、来たな!」といつもに増しての朗らか顔で迎えた。
「フィーネがいろいろと世話になってしまったな。済まない!」
「何言っているんだ、ビッテンフェルト!ヨゼフィーネには、俺達をこんなに幸せな気持ちにさせてもらったんだ!こちらがお礼を言いたいくらいだよ!」
 上機嫌のミッターマイヤーに、ビッテンフェルトもつい顔が綻ぶ。
「さあさあ、ビッテンフェルト提督、孫娘を抱いてやってください!」
 エヴァンゼリンが腕の中の孫娘を、もう一人の祖父であるビッテンフェルトにそっと手渡した。
 自分の腕の中に来た赤ん坊を見たビッテンフェルトが、金銀妖瞳<ヘテロクロミア>の目に気が付いて思わず固まった。そして、ビッテンフェルトの第一声に、周囲が注目する。
「お、おう!・・・ひ、久しぶりだな・・・ロイエンタール!」
 ビッテンフェルトが告げた言葉に、ルイーゼが呆れた。
「はぁ?なに、それ?父上、初めて逢った孫娘に対する挨拶がそれ??」
「あ、いや、ついな・・・」
 動揺するビッテンフェルトが、少し言葉に詰まった後、ルイーゼに言い訳するように怒鳴った。
「仕方ないだろう!とっさに出たんだよ!!」
 このビッテンフェルトの大声に、驚いた赤ん坊がビクンと反応すると、顔にベソをかいて泣き出してしまった。
「こら、ビッテンフェルト、大声を出すな!赤ん坊がびっくりして泣いてしまったではないか!」
 ミッターマイヤーが小声でビッテンフェルトに注意すると、赤ん坊を取り上げ自分の腕の中であやし始める。
 ビッテンフェルトは(参ったな・・・)といった表情で頭をボリボリと掻くと、ソファーに座っていたミュラーの隣に腰かける。ミュラーは水割りを作って、ビッテンフェルトを迎えた。
「ミュラー、あの目、見たか?」
「ええ、私もつい、『御無沙汰しています!』って言いそうになりました・・・」
 ミュラーも、(自分も同じでしたよ!)と言わんばかりに笑っている。
「この家で、一か月も早く生まれる訳だ。あいつ、ここでミッターマイヤーの声を聴いているうち、逢いたくて我慢できなくなったんだな・・・」
 自分の孫娘を、すっかりロイエンタールの生まれ変わりだと思い込んでいるビッテンフェルトに、ミュラーも温和な笑顔で頷く。
「それにしても女の子か・・・」
「ええ、おめでとうございます。きっと、社交界でモテモテのご令嬢になりますよ!」
 ミュラーの祝福に、ビッテンフェルトが「そうなるだろうな!」と鼻で笑った。

アマンダ、
さすがのお前も、
この子の存在までは、見通せなかったろう
俺に、四人目の孫ができた
しかも女の子だ
お前の驚いた顔を見るのが、楽しみだよ

でも、俺がお前のところに行くのは、
もう少し後でもいいよな
俺は、この子の成長を、見届けたい
ちゃんと土産話にして持っていくから・・・
俺が行くまで、必ず待っているんだぞ
奴みたく、先に生まれ変わったりするなよ・・・

 ビッテンフェルトはミッターマイヤーの腕に抱かれ、心地よさそうに眠っている嬰児を見つめた。

ロイエンタール、
まったく、お前は天邪鬼だよ・・・
俺は、フィーネとレオンハルト皇子と三人で過ごすハルツでの時間を
ずっと楽しみにしていたんだ!
それなのに、慌てて生れて、おじゃんにしやがって・・・

士官学校時代から、お前はそういう奴だった・・・
済ました顔で、なんでも先回りして
俺の反応を見るのを楽しんでいた・・・
最後の戦いの場でも・・・

これから先も、昔と同じように、
俺はお前に、いや孫娘に振り回されるんだろうな・・・

 四人目の孫の誕生を亡き妻に報告しながら、ビッテンフェルトは予想もしなかった今の状況と、なんとなく予感できる未来に首を振るのであった。



 お披露目を終えた赤ん坊が寝室に戻り、ヨゼフィーネの胸に抱かれている。ようやく、ロイエンタール夫妻は生まれた娘と初めて親子三人で、水いらずの時間を過ごしていた。
「フィーネ、親父達はこの子の目を見て、俺の血のつながりのある父親の生まれ変わりだと思っているらしい・・・」
「う~ん、それだけ目の印象が強いのね。でも、私はあなたのお父上をよく知らないから、この目もこの子の個性としか感じないけれど・・・」
「俺もだよ!俺だって、実の父親の顔なんて、全く覚えていないからなぁ・・・。彼の生まれ変わりだ!って言われてもピンと来ないよ・・・」
 金銀妖瞳<ヘテロクロミア>の目を持つロイエンタールと共に過ごした親の世代と、彼の名前しか知らないフェリックスやヨゼフィーネとは、感覚に違いがあるようだ。
「隔世遺伝と言われれば、まだ納得できるけど・・・。それに、この子はまだ生まれたばかりだし、これから成長するにつれ、両目とも同じ色に落ち着くかも知れないわ。髪の色だって濃くなったり薄くなったりと、今と見た目が違ってくる可能性だってあるし・・・。そうなれば、案外お祖父ちゃん達の見方も変わってくるかも・・・」
 ヨゼフィーネらしい冷静な分析に、フェリックスも同意して頷く。
「うん、そうだよな。だいいち女の子なんだし・・・」
 二人とも目の前で眠る我が子を見つめた。
「こうして眠っているこの子の顔を見れば、目元も口許も顔の輪郭もあなたにそっくり。私から見れば、父親によく似た娘としか思えないけれど・・・」
 妻の言葉に、フェリックスが嬉しそうに「そうか!お前は俺に似ているのか♪」と言って、赤ん坊の頬を軽くつついた。夫のそんな仕草をみて、ヨゼフィーネが微笑む。
 ずっと娘の顔を見つめていたフェリックスが、おもむろに妻に告げた。
「フィーネ、赤ん坊の名前なんだが・・・、あの~、<エルフリーデ>という名にしようと思うんだ・・・」
「エルフリーデ?・・・・確かその名前は、あなたを産んでくださったお母様の名前でしたよね・・・」
「うん、そうだ・・・」
 ヨゼフィーネが少し心配そうに夫に訊く。
「フェリックス、義父上や義母上は、この名前にする事はご存じなの?」
「二人とも知っている!俺が二人に『もし、女の子が生まれたら、この名前にしたい・・・』って相談したとき、お袋が言ったんだ。『私もずっと前から、あなたに娘が生まれたら、その名前をつけてほしいと、そう願っていました・・・』ってね・・・」
「まあ、そうだったの・・・」
「実は、フェリックスっていう俺の名前は、初めて逢ったときにお袋が名付けてくれたんだ。そのとき一歳近くになっていた俺には、それまで呼ばれていた名前が確かにあった筈なのに、深く考えずに自分の想いだけでつけてしまった・・・ってお袋は言っていた。今までそんなふうに言ったことがなかったから、気が付かなかったけれども、お袋はお袋で、俺を産んだ母親の事はずっと気にしていたんだろう。皇妃が、いつまでも君を心配するように・・・」
 ヨゼフィーネは夫の言葉に納得したように頷く。
「あなたの名前はエルフリーデ!<エルフリーデ・フォン・ロイエンタール>というのよ!」
 眠っている娘に話しかけながら、ヨゼフィーネは感じていた。

今までフェリックスは、
実の母親に、何の行動も示さなかった・・・
その彼が、娘に彼女の名前をつけたという事は
生みの母親の対するフェリックスなりのメッセージのようなものなのだろう・・・
今もまだ消息不明の彼女だが、
その母親にフェリックスは
<息子が孫娘に自分の名前をつけた!>という事を
何処かで知ってほしい・・・と
願っているのだ・・・

「フェリックス、あなたは、やっと血の繋がりのあるお母様を、受け入れてくださったのですね・・・」
「・・・そういう事になるのかな・・・」
 ヨゼフィーネの言葉に、フェリックスがポツリと呟いた。だがその後すぐ、フェリックスは照れを隠すように、話題を変える。
「しかし、ハルツで三人で過ごす事を楽しみにしていた義父上は、きっと内心ガックリ来たと思うよ・・・」
「ええ・・・でも、仕方ないわ。だって、もう生まれてしまったんですもの・・・」
 二人で苦笑いをする。
「只、レオンハルト皇子もがっかりさせてしまった事は、申し訳なく思うわ。彼も、ハルツでの予定を楽しみにしていたから・・・」
「うん、でもまあ・・・俺がまた機会を作るさ!」
 慰める夫に、ヨゼフィーネが意を決したように自分の考えを伝えた。
「あのね、フェリックス。レオンハルト皇子はこの子が生まれるのを、とても楽しみにしてくれたわ。これからは出来るだけレオンハルト皇子と逢う機会を作って、この子の成長を見せてあげたい。・・・だから私、自分からも行動するわ」
「フィーネ・・・」
「確かに妹とはいえ、身分も違うし立場もわきまえなければならないけど、小さいうちは二人に兄妹としての触れ合いを持てるようにしてやりたい・・・。勿論、レオンハルト皇子の気持ちを尊重しながら・・・」
「うん、陛下も皇妃も、きっとレオンハルト皇子自身もそれを望んでいるよ!」
 自分からは動かないと決めていたヨゼフィーネの気持ちの変化に、フェリックスはレオンハルトの妹として生まれた娘の存在の大きさを感じていた。
(これからはこの子が・・・エルフリーデが、フィーネとレオンハルト皇子の間を繋ぐ懸け橋になるのだろうな・・・)
「フェリックス、取りあえずみんなに赤ちゃんの名前が決まった事、伝えて来たら?父上が孫娘の名前を、あれこれ考え始めるとややこしくなるから、その前に発表した方がいいわ!」
「確かに・・・」
 フェリックスは妻のアドバイスに、笑って納得した。



 ワーレン夫妻は慌てて駆け付けたこともあって、世話になった医者を送り届けるがてら、一端自宅へ戻っていた。リビングでは最初にいたメンバーにビッテンフェルトを加えた五人で、明るく盛り上がっていた。
「赤ん坊の名前を、<エルフリーデ>と名づけたよ。フィーネも賛成してくれた・・・」
 フェリックスの宣言に、思わずビッテンフェルトとミュラーが顔を見合わせた。
「フェリックス、その名前は・・・その~、いいのか?」
 ビッテンフェルトがミッターマイヤー夫妻の様子を気にしながら、フェリックスに確認する。
「ビッテンフェルト、大丈夫だ!その名前は、俺たちの希望でもあるんだ」
「そうなのか?・・・だったら、俺がとやかく言う必要はないな!それで決まりだ!」
 納得済みのミッターマイヤー夫妻に、ビッテンフェルトも賛同する。
 赤ん坊の名前も決まり、和やかな祝杯が交わされていたとき、来客の知らせが響いた。
「あら、誰かしら?こんな時間に・・・」
 エヴァンゼリンが応対する為、玄関に向かった。


 リビングに招かれた客を見て、皆驚いた。レオンハルトが恥ずかしそうに立ち竦んでいる。走ってきたのが一目でわかる上気した頬と、全身にかいた汗。しかも、転んだのかズボンの膝小僧が擦れて穴が開き、顔にはススのような汚れまで付いていた。
「レオンハルト皇子!こんな時間にどうしたのですか?しかも、そのお姿は・・・。もしかして、ひとりで来たのですか?」
 フェリックスが思わずレオンハルトに尋ねる。
「はい、僕一人で、あの地下道を使ってきました。誰も気が付いていないと思います・・・」
「・・・」
 フェリックスは、レオンハルト皇子が夜中に護衛もつけずに王宮を抜け出して、しかもあの危険な地下道を使って来た事を知って、一瞬ゾッとして声が出なかった。
「あの・・・父上から、『赤ちゃんが生まれた!』って教えてもらいました。母上からは『生まれたばかりは、赤ちゃんもお母さんも疲れているから、落ち着いてからお祝いに行きましょう!』って言われたけれど、僕、一目だけでいいから逢いたくて・・・。それにヨーゼフも生まれたとき早産で、ワーレン夫人もヨーゼフも危険な状態だったって聞いていたから、心配になって・・・。いろいろ考えていたら、中尉と赤ちゃんに逢いたくて、どうしても我慢できなくなってしまったんです・・・」
 ここまで来た理由を一気に説明するレオンハルトに、フェリックスが思わず注意する。
「レオンハルト皇子!お気持ちは判りますが、夜中に王宮を抜け出した事はお諫めいたします。あの地下道は、王宮で何か一大事が起きたときに使う非常用の通路です。しかも、お一人で危険な地下道に入って、暗闇の中で迷われたらどうするおつもりですか!」
 フェリックスは(無事にたどり着いたから良かったものの、何かあったら・・・)と心配のあまり、ついレオンハルトに対して口調が厳しくなっていた。そんなフェリックスに、レオンハルトがシュンとなる。それを見たビッテンフェルトが口を挟んた。
「フェリックス!そう、怒るな!レオンハルト皇子にとって、妹が生まれたことは一大事だったんだ!」
「妹!赤ちゃんは女の子でしたか!」
 ビッテンフェルトの言葉に、レオンハルトが大きく反応した。彼が赤ん坊の性別を知らなかった様子に、ビッテンフェルトがフェリックスに問い質す。
「何だ、フェリックス!お前、陛下に赤ん坊が女の子だって伝えていなかったのか?」
 すぐさまレオンハルトが、フェリックスを庇うように説明する。
「いえ、ロイエンタール准将から報告はありました。只、父上がよく聞き取れなかったと言って・・・。ビッテンフェルト提督の声とロイエンタール准将の声が重なって聞こえて混乱したようです・・・」
 本人たちを目の前に、レオンハルトが遠慮がちに伝える。
「ああ、そうか!俺が陛下に報告しているとき、義父上が来て大騒ぎしたんだ・・・」
 フェリックスが、恨めしそうな顔でビッテンフェルトを見つめた。周囲も、彼が駆け込んできたときの大声を聞いているだけに、苦笑してビッテンフェルトを見つめる。
(えっ、俺のせい?!)
 皆の視線を受けてバツの悪そうなビッテンフェルトだったが、開き直ったようにレオンハルトに説明する。
「<思いついたら即実行!>はビッテンフェルト家の家訓です。レオンハルト皇子が赤ん坊に逢いたいという想いを、即行動に移したのも、ビッテフェルト家の血を受け継いでいる証拠ですよ!」
 ビッテンフェルトが、レオンハルトの行動を正当化する。いつものように悪びれないビッテンフェルトの態度に、ミッターマイヤーが吹きだした。ビッテンフェルト家の人々の気質と行動をよく知るミュラーも、笑いながら伝える。
「確かに・・・。<思いついたら即実行!>は、ルイーゼもフィーネも、そしてエリスも、みんなやりますからね・・・」
 ビッテンフェルト家を実家のようにしているエリスも、夫の言葉に照れたように微笑んだ。
「フェリックス、早く皇子にフィーネと赤ちゃんを逢わせておあげなさい!」
 気を利かせたエヴァンゼリンが、息子を促す。そして、ミュラーもフェリックスに伝える。
「私の方からキスリングに連絡しておこう。皇子がいない事に気付かれて王宮が大騒ぎにならないように、彼が上手く手配してくれるだろう」
「ありがとうございます。レオンハルト皇子は、後で私が王宮に送り届けますので、よろしくお伝えください」
 フェリックスが礼を言うと、ミュラーはすかさず彼に提案する。
「いやフェリックス、私が、レンハルト皇子を送るよ。今夜の君は、フィーネのそばにいてやってくれ!子どもが生まれた夫婦の大事な記念日なんだから・・・」
「判りました!では、皇子をお願いします・・・」
 フェリックスは、ミュラーの心配りに素直に甘えた。
「さあ、レオンハルト皇子!妹に逢いに行きましょう」
 フェリックスとレオンハルトが連れ立って、ヨゼフィーネと赤ん坊のいる寝室に向かう。
 その姿を見送ったエリスが、夫に告げた。
「フィーネは、レオンハルト皇子がここまで来たことを、どんなに喜ぶでしょう。今回の彼の行動は、きっとフィーネの自信に繋がると思います。逢う事にずっと遠慮がちだった二人の関係も、大きく変わると思いますよ。赤ちゃんの存在が、本当に良い結果に繋がりましたね・・・」
 今までずっとヨゼフィーネを見守ってきたエリスだけに、感慨深い想いがこみ上げてきた。
「これまでフィーネは、どちらかといえば周囲に守られる方でした。でも、娘が生まれて、フィーネも守る側になりました。きっと、これからのフィーネは、どんどん強くなっていくと思います」
「うん、昔の脆くて壊れそうなフィーネが、よくここまできたと思うよ。これからは赤ん坊の存在が、レオンハルト皇子とフィーネにパワーを与えてくれるんだろうな・・・」
 ミュラー夫妻の言葉に、ビッテンフェルトもミッターマイヤー夫妻もしみじみと頷いていた。



「フィーネ、レオンハルト皇子が、君と赤ん坊に逢いに来たよ」
「えっ、レオンハルト皇子が?」
 突然のレオンハルトの訪問に、ヨゼフィーネも驚いた。しかも、走ってきたと思われる彼の状態を見て、皇子がこの時間に一人で来たことを察して、思わず夫に(大丈夫?)と目で問い掛ける。フェリックスは妻の心配に(大丈夫だ!)と頷いて、安心させる。
「あの~、中尉、僕、心配で・・・」
 言葉に詰まったレオンハルトに、ヨゼフィーネが応じる。
「レオンハルト皇子、私も赤ちゃんも元気ですよ・・・」
 そして、腕の中にいた娘に話しかける。
「お兄さまが、あなたに逢いに来てくれましたよ!」
 レオンハルトが嬉しそうに赤ん坊を覗き込むと、彼女は澄んだ目で兄を見つめていた。
「わぁ~、とても素敵な目をしている!この目は、ロイエンタール元帥譲りですね・・・」
 レオンハルトの言葉にヨゼフィーネが答える。
「はい、この子もレオンハルト皇子と同じように、父方の祖父によく似たようです」
 祖父のラインハルトにそっくりなレオンハルトがはにかむ。そんなレオンハルトに、フェリックスが伝えた。
「レオンハルト皇子、この子の名前は<エルフリーデ>と決めました」
「エルフリーデ!・・・妹は、父方の祖母の名前を頂いたのですね!」
「えっ!レオンハルト皇子は、私を産んだ母親まで知っているのですか?」
 レオンハルトが先帝に深く係わっていた父親のロイエンタールを知っているのは理解できるが、全く縁がなかった母親のエルフリーデまで知っていた事に、フェリックスは驚いた。
「はい、リヒテンラーデ侯の業績はおばあさまから聞いて知っています。残念な事に歴史の流れの中で、敵と味方に分かれてしまいましたが、ローエングラム王朝の誕生の一端を担っていた人物であったと・・・。エルフリーデという女性は、そのリヒテンラーデ一族のご令嬢で、ロイエンタール元帥とは正式な結婚ではなかったけれど、一緒に暮らしていたと聞きました」
 レオンハルトの説明に、フェリックスは頷いた。
(そうか・・・皇太后は、そのようにレオンハルト皇子に教えていたんだ・・・)
 妹の名前を知ったレオンハルトが、彼女に話しかける。
「・・・君の名前は、エルフリーデというんだ・・・」
 ニコニコと妹を見つめていたレオンハルトが、フェリックスとヨゼフィーネに願い出る。
「・・・あの~、僕、妹に愛称をつけてもいいですか?」
「何かいい愛称が浮かびましたか?」
 ヨゼフィーネが笑顔で問いかける。
「はい、今、閃いたんだけど、<エルフィー>と呼ぶのはどうでしょう?」
「母親の愛称がフィーネで、娘がエルフィー・・・。いいんじゃないかな!お互い、響きもいいし・・・」
 気に入ったフェリックスが、レオンハルトの提案を受け入れる。
「レオンハルト皇子、この子に可愛らしい愛称を付けてくださってありがとうございます」
 ヨゼフィーネが、レオンハルトに礼を言う。早速、レオンハルトが照れくさそうに、妹に声を掛けた。
「初めまして、エルフィー♪」
 そして、自分の人差し指をエルフリーデの小さな掌に添えた。その途端、エルフリーデがレオンハルトが添えた人差し指を、もみじのような自分の小さな手でしっかりと握った。その反応に、レオンハルトが嬉しそうにヨゼフィーネを見つめる。ヨゼフィーネも微笑ながら息子と娘を見つめた。
 暫くエルフリーデと会話を交わすようにお互い見つめ合っていたレオンハルトが、不意にヨゼフィーネに伝える。
「・・・母上、エルフィーを産んでくれてありがとう!」
「えっ、母上!?」
 突然の事で、ヨゼフィーネが思わず聞き返す。
「はい、プライベートのときは、貴女のこと、そう呼ぶことに決めました!」
 言葉も出ず驚くばかりのヨゼフィーネに、レオンハルトが更に続ける。
「母上、僕を産んでくれた事、感謝します・・・」
 レオンハルトの思いがけない言葉に、ヨゼフィーネの目がみるみる潤んできた。
「レオンハルト皇子、ありがとうございます・・・私の方こそ、あなたにお礼を言いたい。・・・私は、あなたを産んでよかった。本当に良かった・・・」
 ヨゼフィーネがこみ上げてくるものを抑えながら、必死で礼を言う。そして、声が震えそうなりながらも、言葉を繋げて、レオンハルトに自分の気持ちを伝えた。
「レオンハルト皇子、今のお言葉は、私にとって生涯の宝物になります。でも、これだけはお心に留めておいてくださいませ。・・・人はどう生まれてきたかより、どのように育てられたかの方が大事だと思います。だから、レオンハルト皇子は、私の事より、育ててくださった皇妃さまのお気持ちを、なによりも大切に考えて行動なさるように心掛けてください・・・」
 ヨゼフィーネの言葉に、レオンハルトが大きく頷いた。だがその後、彼は毅然とした表情になって母親に告げる。
「母上、僕は将来、皇帝になるのです。<帝国に住む全ての人間を、受け入れる器を持ちなさい!>といつもおばあさまから教えられています。僕は、自分の二人の母親を受け入れる器はもう持っています。だから母上は、何の遠慮も心配もしなくてよいのです・・・」
 ローエングラム王朝の後継者という自覚に満ちたレオンハルトの発言は、王者の風格を漂わせていた。フェリックスもヨゼフィーネも、そんな彼を眩しげに見つめる。
「レオンハルト皇子・・・私は、あなたが誇らしい気持ちで一杯です。あなたが私の息子で嬉しい。・・・そして、あなたを育ててくださった陛下や皇妃さま、そして皇太后さま・・・あなたの成長に係わった全ての人々に感謝します」
 こみ上げてくる感情を抑えきれず涙声になりながらも、ヨゼフィーネが自分の想いを息子に伝える。フェリックスも、目の前のレオンハルト皇子の一回り大きく成長した姿に感動していた。

レオンハルト皇子は、フィーネにこの事を伝えたかったんだ・・・
大人しくて慎重な性格の彼が、
夜中にあの地下道を使ってまで、ここに来たレオンハルト皇子は、
フィーネを母上と呼ぶきっかけを探していただろう・・・
だから、妹が生まれたこのチャンスを逃さない為に、
自分から行動を起こしたんた

それにしても、レオンハルト皇子は
陛下がいつも仰るとおり
皇帝になるべくして生まれてきた御子だ・・・
両陛下の愛情に包まれて、健やかに成長し、
皇太后が手塩にかけて、帝王学を教えている
生れながらに、何事も柔軟に受け入れる性格を持ち、
ご自分の後継者としての立場も、充分理解しておられる
そして、
頼もしい行動力も発揮してきた・・・

 生れたときからレオンハルトを見守ってきたフェリックスが、すっかり逞しくなったローエングラム王朝の後継者に目を細める。
 ヨゼフィーネの零れる涙がようやく落ち着いたところで、レオンハルトは自分の希望を母親に告げた。
「母上、僕は、幼年学校を卒業したら士官学校に入ります!そして、先帝のおじいさまのように広い宇宙へ行ってみたい。出来れば、母上と一緒に・・・」
「ええ、是非・・・。宇宙は素晴らしいところです。私も、レオンハルト皇子と一緒に宇宙へ行きたいです」
 レオンハルトの希望が、ヨゼフィーネの望みとなった。母と子の<一緒に宇宙へ行きたい!>という願いが一つになった。
「僕、エルフィーを抱っこしてもいいですか?」
「ええ、勿論!」
 レオンハルトを自分の隣に座らせたヨゼフィーネが、彼の腕の中にエルフリーデをゆっくりと手渡す。生まれたばかりの妹の柔らかい感触と赤ちゃん独特の甘い香りが、レオンハルトを包み込む。満足気な息子の様子を、ヨゼフィーネが潤んだ瞳で見つめていた。
 ふと、フェリックスとヨゼフィーネの目が合った。その瞬間、妻が夫に見せた笑顔は、フェリックスがずっと待ち望んでいたヨゼフィーネの心からの笑顔であった。

『あの男の分まで、幸せにおなり・・・』

夢の中の貴女<あなた>は、確かに、そう呟いていた・・・

私は、幸せです
娘に貴女<あなた>の名を貰いました
エルフリーデ・フォン・ロイエンタール
貴女<あなた>とよくシンクロしていたフィーネも 
今、心からの笑顔を私に見せてくれます
だから、私は貴女<あなた>も幸せだと信じられます

母上
私を、産んでくださってありがとう
私に人生を与えてくださった事、感謝します

 フェリックスは、自分の記憶の中に住んでいた母親、エルフリーデの残像に語りかけていた。


<完>


~あとがき~
連載から完結まで八年(そのうちの四年はサイト自体が休業中でした・・・)という長い時間がかかった作品でした(A^^;)
フェリックスがヨゼフィーネにプロポーズするところから始まって、婚約、結婚、そして親になるまでの物語です。

フェリックスが自分の娘にエルフリーデと名付けるという事は、常識的に考えれば<あり得ない!>と思います。
でも、それを敢えてさせてしまったのは、私がエルフリークだからです・・・(笑)
原作でロイエンタールとエルフリーデの恋愛が成就しなかったのを、ずっと残念に思っているからこそ、
エルフリーデ・フォン・ロイエンタールという名に拘った訳で・・・(A^^;)
エルフリーデ本人は、このお話には出演していませんが、
その存在感は、フェリックスの記憶の中でしっかりアピールしていたと思います。

『あの男の分まで、幸せにおなり・・・』
夢の中の貴女<あなた>は、確かにそう呟いていた・・・

このフレーズを、最初と最後に持ってきました。
プロローグでもありエピローグでもあるこの言葉は、
サイトを立ち上げた頃描いたイラスト<勿忘草>が元になっています。イラスト参照
この<勿忘草>が、小説<絆>の原点とも言えます。
フェリックスとエルフリーデの長い間温めていた構想が、やっと物語になりました。

この<絆>のコメディ版ともいえる<フェリックスの心理>は、もう少し続きます。
ファーターになったフェリックスと、孫娘に夢中になるミッターマイヤーにご注目!