絆 14

 宇宙実習の就航前の健康診断で妊娠反応が出たヨゼフィーネは、その翌日、正式な診断を受ける為、病院の診察を受けていた。
 診察を終えたヨゼフィーネが、付き添ってきたルイーゼに伝える。
「今、五週目!胎嚢は確認できたけど、心音はまだはっきりしないから、二週間後にまた来てくださいだって!診断書もそのときでないと無理らしいわ・・・」
「あら、そんなに早かったの?」
 もう少し週数が進んでいると思っていたルイーゼに、ヨゼフィーネが教える。
「だって、生理の遅れも自覚してなかったし、きっと就航前の健康診断がなかったらまだ判らなかったと思うわ・・・」
「そう・・・。でも、早く判って良かったのよ。悪阻の始まりなのに、胃が悪いと勘違いして、薬とか飲まなくて済んだでしょう!それより、フェリックスに早く教えてあげなさい!きっとあなたからの連絡を、首を長くして待っているわ」
「そうする・・・」
 ルイーゼは、昨夜<診察に行くフィーネに付き添って欲しい!>と頼んだフェリックスの心配そうな顔を思い浮かべた。そして、(今頃、どんなにほっとしている事だろう・・・)と思うと、つい顔が綻んでくるのであった。



 ルイーゼとヨゼフィーネが姉妹揃っていた頃、フェリックスも義兄のアルフォンスと共にいた。
「フィーネから連絡があった。病院で正式に妊娠と診断されたから、ルイーゼと二人、実家に寄って義父上に報告するって!」
「そうか!昨日は大変な一日だったようだが、いい結果となって良かったじゃないか!義父上も、喜んでいるだろう」
 アルフォンスもルイーゼ同様、義妹のヨゼフィーネの妊娠を心から喜んでいた。ヨゼフィーネからの連絡でやっと人心地ついたフェリックスが、アルフォンスに問い掛ける。
「なぁ、アルフォンス、ルイーゼもフィーネも、父親の影響力って大きい方だよな・・・」
「まあ、あの家は仕方ないさ。特にフィーネは、母親を小さい頃に亡くして、父親に育てられたようなものだし・・・」
「フィーネは、まだ俺より、父親の方が頼りになるのかな・・・」
「ふふ~ん、妬いているのかい?」
 含み笑いのアルフォンスに、フェリックスがチョット言い訳する。
「いや~、夫婦で話し合いの途中で、父親のところに雲隠れしてしまったから・・・。なんか少し落ち込むよ。ルイーゼはそういう事、なかっただろう?」
「うちは、フィーネがまだ十二歳のときに結婚したから、ルイーゼは心配でしょっちゅう実家に帰っていた。それが当たり前になっていたから、あまり気にした事はなかったなぁ・・・」
「そうか・・・」
「俺達夫婦だって、子ども達の事やフィーネの事とかいろいろ乗り越えて絆が強くなってきた。君たちだってこれからだよ」
「そうだな・・・過ごしてきた時間を比べても、仕方ないか・・・」
 フェリックスがアルフォンスの言葉に頷く。
「ところでアルフォンス、教えてほしいんだが、フィーネ、レオンハルト皇子のときは、この時期はどうだったんだろう・・・。確か、入院とかしていたんだろう・・・」
「何か気になる事でも?」
「いや、これから出来るだけフィーネをサポートしたいんだ。只、いろいろ本とか読んでも、個人差があると書いてあって、いまいちよく判らない。だから、前回の妊娠の経過を知っておきたいと思っただけだ・・・」
 早くも、関連する本を読みあさっているようなフェリックスに、アルフォンスは微笑ましく思いながら伝える。
「・・・まあ、あのときの入院は仕方なかったんだ・・・。当時のフィーネは、精神的にも肉体的にもかなり参っていて、ストレスから胃を悪くしたんだ。痛々しいくらいに憔悴していたし・・・。今だから言える事なんだが、ハルツの別荘に静養に行ってからも精神的に不安定で、あの頃は本当にフィーネから目が離せなかったんだ。ミュラー夫人が付きっきりで見守ってくれたから、何とか持ちこたえていたけれど・・・」
「そうか・・。当時の事は、俺は良く知らないんだ。フィーネも、思い出したくないらしくて、なにも言わないし・・・。あのときのフィーネの妊娠は、極秘扱いだったから誰もが神経質になって、何も言わなかったし何も訊けなかった・・・」
 当時、レオンハルトを身籠っていたヨゼフィーネの情報は、赤ん坊の父親であったアレクにすら入らないという状態で、フェリックスは殆ど判らなかった。前回の妊娠の様子を知らないだけに、心配するフェリックスに、アルフォンスが提案する。
「前回と今回とは、状況があまりにも違いすぎるよ!今度は、大丈夫だと思うが・・・。そんなに心配なら、ミュラー夫人に訊いてみたらどうだろう?俺たちは、あの頃はヨーゼフの入院やら手術やらで、フィーネの事はミュラー夫人に任せていた部分があるんだ。当時のフィーネの事は、ミュラー夫人が一番よく知っている」
「確かに、そうだな・・・。ミュラー夫妻にもフィーネの事を報告したいし、いろいろ訊くいい機会だな・・・」
 フェリックスはアルフォンスの提案を受け入れて、エリスに相談する事にした。



 アルフォンスと別れた後、フェリックスはアレクの執務室を訪れてた。
「陛下、私事ですがお知らせしたいことがあります・・・」
「ヨゼフィーネのおめでたの事だろう・・・良かったな、フェリックス・・・おめでとう!」
 マリアンヌから昨日の出来事を聞いていたのか、アレクが笑顔を見せて即答する。
「ええ、ありがとうございます。これも、皇妃のおかげです・・・」
「私もマリアンヌも、ヨゼフィーネが恋愛して、幸せな結婚をするのをずっと願った。これは、お前と彼女が結婚したことでクリアできた。そして、もう一つ、ヨゼフィーネが再び赤ん坊を産んで、自分自身の手で子どもを育てる母親になって欲しいと願っていた・・・」
「その問題もクリアです。陛下・・・」
 フェリックスがアレクに頷きながら伝える。
「いや、彼女がその胸に赤ん坊を抱くまでは、達成したとは言えない・・・。フェリックス、予定していた<ヨゼフィーネがレオンハルトを生んだ母親だと公表する>ことは暫く見送ろう。今、騒がれては、妊娠中のヨゼフィーネの負担になってしまう・・・。彼女のストレスになるような事は避けなければならない・・・」
 ヨゼフィーネに対するアレクの思いやりに、感謝したフェリックスが礼を言う。
「お心遣い、ありがとうございます」
「また時期を逸してしまって、母上からは怒られてしまいそうだが・・・」
 少しばかり苦い顔をしたアレクに、フェリックスは思わず質問した。
「皇太后は、フィーネとレオンハルト皇子の事を、早く公表したいというご希望なのでしょうか?」
「うん、まず、<レオンハルトが事実を知っていた事で、世間に隠す必要がなくなった>という事が大きい。それに、特別扱いを嫌がるビッテンフェルトも、退役して軍務から離れた。ヨゼフィーネも地上勤務となりお前と結婚して落ち着いた。そして、ワーレンをヨゼフィーネの傍につけて、万全の体制をとっている。公表に向けてのお膳立ては殆ど済んでいるのに、母上から見れば『なぜ、まだ公表しないのか?』という思いがあるらしい。母上はレオンハルトが幼年学校に入学する前に、すべてを終わらせ落ち着かせたいと考えているようだ。だがマリアンヌから、理由<わけ>を話して納得してもらった。母上も、ヨゼフィーネの新たな妊娠を心から喜んでいる」
 アレクが母親である皇太后ヒルダの希望よりも、自分の妻のヨゼフィーネの方を優先させている事を恐れ多く思ったフェリックスが思わず礼を言う。
「なにもかもご配慮頂き、恐縮です」
 畏まるフェリックスに、アレクがしみじみと伝えた。
「フェリックス、私はヨゼフィーネに対して、恋のときめきも知らず、愛する喜びを味あわせないうちに、母親にさせてしまった。そして、その母親になったヨゼフィーネから赤ん坊を取り上げて、子どもを育てる楽しみさえも奪ってしまった。私が彼女に与えたのは、手元から離れた我が子を思う母親の切なさばかりだった・・・」
「陛下・・・その事は、彼女がもう乗り越えた事です・・・」
 まだヨゼフィーネに対する罪の意識を背負っているようなアレクに、フェリックスが首を振って(もう必要ない・・・)と示す。
「そうだな・・・。しかし、レオンハルトの弟妹が、君の子で本当によかった。心からそう思っている・・・」
 アレクが嬉しそうに伝えた言葉を、フェリックスは笑顔で頷いた。



 病院から真っ直ぐビッテンフェルト家に寄ったルイーゼとヨゼフィーネを、母親代わりでもあるミーネが涙を浮かべながら迎えた。
「この日が来るのを、ずっと待っていました。フィーネお嬢さま、おめでとうございます」
 感激のあまり半分泣き顔のミーネを見たヨゼフィーネが、彼女の胸に飛び込んだ。抱き合う二人の姿を見たルイーゼも、今までの事がこみ上げ涙が浮かんでくる。
「さあ、お茶にしようぜ!ミーネがお前たちと一緒に食べる為、アップルパイを焼いたんだ!俺は、さっきからこの匂いの中待たされて、もう我慢できない!早く食べよう~」
 しんみりとなりかけた空気を入れ替えるように、ビッテンフェルトが笑いを誘う。
「ええ、私もミーネさんのアップルパイが食べたいわ」
 涙を拭ったヨゼフィーネが、にっこりと笑ってミーネに甘えた。
 久し振りに四人でお茶を飲み、昔のような一家団欒を迎えていた中、ビッテンフェルトがヨゼフィーネに自分の気がかりを伝えた。
「フィーネ、アマンダもルイーゼも二人目のときのお産が大変だった・・・。俺の取り越し苦労かもしれんが、充分用心してくれよな・・・」
「父上、それは心配し過ぎよ・・・。悪い方に考えるなんて、父上らしくないわよ」
「そうだな・・・」
 娘に窘められ、苦笑いするビッテンフェルトであった。
 楽しい歓談が進む中、ふと思いだしたビッテンフェルトがヨゼフィーネに注意する。
「そうだ、フィーネ!お前、フェリックスにちゃんと謝っておけよな!」
 父親から突然言われた忠告に、ヨゼフィーネは意味が判らないような顔をした。そんな娘に、ビッテンフェルトが呆れるように理由を告げる。
「フェリックスは、本当は子供が欲しかったんだ。だが、お前の気持ちを考えて、ずっと我慢していた。今回、思いがけなく赤ん坊ができて喜んだのに、お前は躊躇った。夫としてはショックだったと思うぞ!ましてや、フィーネは夫婦喧嘩の最中に家から飛び出して、こっちに来てしまったんだろう!いつまでも娘気分でいるんじゃないぞ!夫婦喧嘩ごときで、いちいち実家に帰ってくるな!まったく・・・」
 ルイーゼも父親に同調して、妹を諭す。
「そうね・・・今回はフィーネが謝るべきね。夫婦の事は夫婦で解決しないと!」
「・・・はい、反省しています・・・」
「フェリックスは、あなたに赤ちゃんを産ませる為必死だったのよ・・・」
 妹夫婦の昨日のやりとりを察していたルイーゼが、フェリックスの気持ちを汲み取る。
「フェリックスは、実の父親のロイエンタール元帥の言葉を、ずっと気にしていたわ・・・。私も、子どもが大きくなったら、<母親に否定された>と思われてしまうのかしら・・・」
 寂しそうに呟いたヨゼフィーネの言葉に、ビッテンフェルトとルイーゼが、顔色を変え慌てて訂正する。
「いや、お前は前回の経験から、妊娠という過程を怖がっていただけさ!少しビビったぐらいで、<赤ん坊の存在そのものを否定した>とは言わないぞ!」
「そうよ、フィーネ!・・・私だって、ヨーゼフを産んだとき、一時は母子共に危なかった。そういう事を経験すると、三人目は少し怖くなって躊躇した部分があるの・・・。だから、もし私に赤ちゃんが出来たとしても、不安から今のフィーネのようにいろいろ考えてしまうと思うわ。そうなったら、フィーネは私を<赤ちゃんを否定する母親>と思うの?」
「いいえ・・・」
 ヨゼフィーネが首を振った。
「だったら、フィーネも同じよ!」
 矢継ぎ早に自分を擁護する父親と姉に対して、ヨゼフィーネが少し涙ぐんで訴えた。
「・・・そうやって二人とも、私をまた過保護にする。・・・だから、私はいつまでたっても甘えん坊のまま、成長しないのよ・・・」
 泣き笑いのような表情になった妹に、姉は軽く微笑んで伝える。
「フィーネは悪い方にいろいろ考えてしまうから、胃を悪くしてしまうのよ・・・。<案じるより産むがやすし>って言葉を知っているでしょう。ゆったり構えて、今度は妊娠生活を楽しみましょうね」
「フィーネ、お前が神経質になる必要はないが、フェリックスにはあまり心配をかけないようにせんとな!あいつ、昨日、木の上にいたお前を見たとき、今にも目玉が飛び出そうなくらい驚いていたぞ!」
「えっ?き、木の上?フィーネ~~、あなた、こんな大事な時期に、木登りをしたの!!」
 ビッテンフェルトの言葉を聞いたルイーゼが、思わず叫んだ。ヨゼフィーネは(しまった!)という顔でしかめて、父親に向かって口止めするかのように、自分の口に人差指を当てて軽く首を振る。
「まったく・・・私は、本当にあなたを甘やかしてしまったわ。これからは厳しく監視しなくては!少しは妊婦の自覚を持ちなさい!父上もフィーネを甘やかしてはダメ!」
 ルイーゼのお小言に、思わず身を竦めたヨゼフィーネとビッテンフェルトであった。



 娘たちがそれぞれの自宅に戻った後、ビッテンフェルトはミュラーの元帥府を訪れていた。
 機嫌よく入ってきたビッテンフェルトが、ミュラーの執務室にフェリックスが居合わせていることに気が付いた途端、急に苦い顔になった。
「フェリックス、ここに居たのか!丁度良かった。お前に話がある!」
 ビッテンフェルトの怒りを感知したミュラーが、「私は席を外しましょうか?」と問いかける。同じように警戒モードに入ったフェリックスが、縋るような目でミュラーを見つめる。
「いやミュラー、お前がいても構わない!」
 ビッテンフェルトがすぐさまミュラーに伝える。ミュラーの同席で少し安心したフェリックスが、ビッテンフェルトに尋ねた。
「義父上、私に話とは何でしょうか?」
「フェリックス、お前があの査問会の公文書をいつ見たのか判らないが、いい加減にロイエンタールが言った言葉から離れろ!お前が気持ちを切り替えないと、今度はフィーネが苦しむ事になるぞ!」
「フィーネが苦しむ?・・・ですか?」
 意味が判らない様子のフェリックスに、ビッテンフェルトが怒りモードで説明する。
「まだ、判らんのか!フィーネは、査問会でのロイエンタールの言葉に拘るお前を見て、自分も『子供から<母親に否定された子>と思われる・・・』って嘆いていたぞ!」
 <はっ>となったフェリックスが、思わずミュラーと顔を見合わせた。
「フェリックス、お前、いい加減大人になれ!いいか、レオンハルト皇子のときも、若すぎたフィーネはどうしていいか判らず迷った。俺も、<赤ん坊を始末するのがフィーネの為に一番いい!>と決意して、フィーネのお腹にいたレオンハルト皇子を否定した。当時の事は、ミュラーもよく覚えているだろう・・・」
「ええ、でも父親が陛下と判明したときから、ビッテンフェルト提督は考えを改め、フィーネと赤ん坊の命を守る方向に変わりました」
 ミュラーが当時のビッテンフェルトを弁護する。
「レオンハルト皇子は子どもながら、自分が生まれた経緯とフィーネや俺達の葛藤も知っている。それでいて、全てを受け入れている。なのにお前はどうだ?いつまでもウジウジと、<否定された!>とその言葉に囚われていて・・・」
「・・・」
「それに、ロイエンタールは先帝の前でお前の存在を否定したが、実際は否定していなかったぞ・・・」
「???・・・義父上、それは、どういう事ですか?」
 疑問に思ったフェリックスが、ビッテンフェルトに尋ねる。
「ロイエンタールはたくさんの女と浮名を流していて、結婚とか家庭とかは全く考えていない男だった。だから、先帝の前で『自分が親になる資格がない!』と言っていたのも、確かに嘘ではないだろう。だが、死ぬ間際に、初めて我が子であるお前を見た瞬間に、奴は父親になってお前を受け入れた。あいつなりに、お前の将来を考えて、どうすれば良いのかを選択したんだ。そして、信頼できる親友ミッターマイヤーに託するのが一番良いと判断したんだ」
 ビッテンフェルトが更に言い続ける。
「まだ年若いフィーネが一生懸命考えて、レオンハルト皇子の将来の為に皇妃に託す事を決意したと同じように、ロイエンタールもお前の幸せを願って、ミッターマイヤー夫妻に託す事を選んだ!そして、愛人だったお前の母親も、奴の父親としての真剣な想いを感じたからこそ、その決意を受け入れてミッターマイヤーにお前を渡したんだ。彼女は、それまで手元でお前を育ててきたんだ。情も移っていた分、手放すのは辛かっただろう。それでも、ロイエンタールの言葉を信じて、ミッターマイヤー夫妻にお前を託したんだ・・・。それなのにお前は、未だに自分を<父親から否定された子>と思っている・・・」
「・・・」
「お前がいつまでも、あの査問会でのロイエンタールの言葉に拘っているなら、俺はフィーネを家に連れて帰るぞ!」
「えっ!?」
「俺は、フィーネの今度の妊娠生活は、辛い想いは絶対させたくない!何の心配もいらないまま、穏やかな気持ちで赤ん坊を産ませてやりたい!ストレスから血を吐いたり、号泣するような思いをさせるのは、もうごめんだ!いつまでも<否定された子>と根に持っているお前がそばにいては、フィーネの為にならない!」
 一気にまくしたてるビッテンフェルトを、ミュラーが宥める。
「ビッテンフェルト提督、フェリックスだって、もう判っていますよ・・・」
 ミュラーに抑えられたビッテンフェルトが、青ざめたフェリックスを見た。
「・・・ああ、済まん、つい興奮してしまって・・・」
 ビッテンフェルトがひとまず落ち着いたのを見て、今度はミュラーがフェリックスを諭す。
「フェリックス、ロイエンタール元帥もリヒテンラーデ一族の令嬢だった母親も、我が子であるお前を愛していた・・・。その二人の想いは、親になる君にも、もう判るだろう・・・」
「ええ・・・昔、士官学校に入る前、ハインリッヒ兄さんもそう教えてくれた・・・。なのに、私は全然理解していなかった・・・」
「ハインリッヒ?」
 一瞬、ハインリッヒが誰なのか判らないような顔をしたビッテンフェルトに、ミュラーが説明する。
「ハインリッヒは、ロイエンタール元帥の最期を見取った従卒です。赤ん坊だったフェリックスを、母親から直接受け取ったのも、彼です。ほら、フェリックスと一緒にミッターマイヤー夫妻に引き取られた少年がいたでしょう」
「ああ、思い出した・・・」
 ビッテンフェルトも当時のハインリッヒ少年の事を思い出した。
 生前のロイエンタールをよく知っている二人から諌められたフェリックスが、頑なだった自分自身を振り返り、思わず呟いた。
「私は、人間が小さい・・・。まだ、幼年学校にも入っておられないレオンハルト皇子の方が、遥かに大きな器をお持ちだ・・・」
 ミュラーが、落ち込むフェリックスをフォローする。
「レオンハルト皇子は、あのローエングラム王朝の育ての母と言われる皇太后が、直々に教育している次の皇帝だ。並の子どもではないよ・・・。だが、フィーネを大事に思う気持ちは、皆一緒だよ」
 そして、ビッテンフェルトがフェリックスを戒める。
「フェリックス、レオンハルト皇子は、二人の母親を持つお前の生き様を見ている。そして、お前に、自分の母親を幸せにできる力量があるかどうかもな!」
「義父上、義父上のお言葉、肝に銘じます。私は、フィーネを不安にさせるような状態には、もうさせません・・・」
「おう!頼むぞ!・・・それとお前、ミッターマイヤーにフィーネに赤ん坊が出来た事、教えたか?」
「いえ、まだですが・・・」
 フェリックスの言葉に、ビッテンフェルトが呆れたように首を振る。
「おいおい、俺が知っているのに、あいつが知らないのでは不公平だろう!ルイーゼから『フィーネが安定期になるまで、赤ちゃんの事を言いふらすな!』って釘を刺されているが、ミッターマイヤーは別だぞ!フィーネはミッターマイヤー家の嫁だし、お腹の子はミッターマイヤー家の初孫になるんだ!一番最初に、ミッターマイヤーに報告するのが筋だろう!」
 ミュラーも、ビッテンフェルトの言葉に賛同するように笑顔で頷く。
「はい、判りました。早速連絡します・・・」
 フェリックスは二人に一礼すると、ミュラーの執務室を出た。


「娘婿を突き落したり持ち上げたりと、ビッテンフェルト提督もお忙しいですね・・・」
 ミュラーが笑いながらビッテンフェルトに告げる。
「あいつらを見ていると、ハラハラする!いつになったら夫婦として落ち着く事やら・・・」
 ビッテンフェルトはそう言うと、目の前のコーヒーを一気に飲み干した。
「大丈夫ですよ。今日だってフェリックスは、『フィーネの前回の妊娠の過程を知っておきたいから、エリスに訊きたい・・・』と言って、私に相談しに来たんですよ」
「ほう・・・」
「アルフォンスから、<そばにいたエリスが、一番良く知っている>とアドバイスされたようで・・・」
「なんだ・・・だったら俺が、あれこれ言う必要もなかったな・・・」
 ミュラーは過去を振り返らないビッテンフェルトにしては珍しい先ほどの言い方は、フェリックスに以前の妊娠状態を知らせる意味合いがあった事を察した。
「それとフェリックスから報告を受けましたが、陛下がフィーネとレオンハルトの関係の公表の予定を延期すると決めたそうです。<妊娠中のフィーネの負担にならないように!>という陛下のご配慮です」
「そうか!今回も両陛下には、いろいろ気配りさせてしまった。申し訳ない・・・」
「御二方とも、フィーネの次の子をずっと待っておられましたから・・。恐らく、私たち以上に強く願っていたかもしれません」
「そうだな・・・。これで、両陛下の心の負担が無くなってくれるといいが・・・」
「ええ、ある意味、フィーネのお腹の子は、いろいろな役割を背負って生まれてくる赤ちゃんになりそうです。ビッテンフェルト提督、赤ん坊が無事に生まれるまで、もうひと踏ん張りありますよ!頑張りましょう!」
「おう♪」
 ミュラーが向けた温和な笑顔に、四人目の孫が生まれる事になったビッテンフェルトは、満面の笑みで返した。



 ミュラー家の夕食の席で、エリスは相談に来たフェリックスの事を、夫に伝えた。
「今日のフェリックスは、フィーネに赤ちゃんが出来てもっとハイテンションになっているかと思っていましたけれど、意外と落ち着いていました・・・」
「実はフェリックス、ここに来る前にビッテンフェルト提督から、チョット釘を刺されたんだよ」
 ミュラーは、自分の執務室でのビッテンフェルトとフェリックスとのやりとりを、妻のエリスに説明する。
「そういう事があったんですか・・・。フィーネも<父親に否定されてきた子ども>と思い込んでいた時期がありましたよね・・・」
「そういえばそうだったな・・・」
「フィーネのときは、自分の生まれた経緯を知る主治医のライナー先生からいろいろお話を聞いて、その誤解を解消したようですが、フェリクスも実の父親を知っているビッテンフェルト提督からの説明で納得したんですね。確かに、直接かかわっている人間より、第三者からの説得の方が、すんなりと心に入ってくる事ってありますから・・・。フェリックスも育ての親のミッターマイヤー夫妻には、訊きづらい部分であったと思いますし・・・。しかし、フェリックスとフィーネ、あの二人、なんだか似ていますよね。冷静に見えて意外と咄嗟に行動してしまう傾向とか、思い込みが激しいところとか・・・」
「ああいうのを<似た者夫婦>っていうんだろうな・・・」
 二人でクスクスと笑い出す。
「ビッテンフェルト提督から、『フィーネを不安にさせるのであれば、ビッテンフェルト家に連れ戻すぞ!』と言われて、さすがにフェリックスは焦っていたよ。・・・まあ、もう大丈夫だと思うが・・・」
 フェリックスの状況を教えるミュラーに、エリスもヨゼフィーネの様子を伝える。
「ルイーゼの話によると、フィーネの方も、ビッテンフェルト提督から怒られたようですよ。夫婦で話し合いの途中で実家に逃げて来たフィーネに、『いつまでも娘気分でいるんじゃない!夫婦喧嘩ごときで帰ってくるな!』と・・・」
「はは、父親は大変だな・・・。娘夫婦を心配して、あっちにもこっちにも気を配って・・・」
 ビッテンフェルトの行動を茶化したミュラーが、今度は改まって本題に入った。
「ところでエリス、フェリックスの心配事は何だったんだい?」
「ええ、フェリックスは『妊娠が、フィーネのトラウマになっている気がする・・・』と言っていました。実際、今回の妊娠も、フィーネは最初迷ったらしくて・・・。それでフェリックスは、前回のフィーネの妊娠の様子を詳しく知りたくなったようです・・・」
「多分、ビッテンフェルト提督もフィーネの様子を心配したから、前の妊娠を引き合いに出して、フェリックスに釘を刺したように感じる・・・」
「確かに前回の妊娠では、フィーネは可哀想なくらい苦しみました。ビッテンフェルト提督とフェリックスの前で、『子供はもう生まない!』と宣言していたくらいですから、二人とも心配なんですよね。特にフェリックスは、以前の状態をよく知らないので猶更・・・。でも、今回は事情が違いますから、私はそれほど心配しなくても大丈夫だと思うのですが・・・」
「うん、私もそう思うが・・・。只、女性のこういう心理は、男性には判りずらい部分だから、余計に不安が募るんだと思うよ・・・」
 ミュラーが、ビッテンフェルトとフェリックスの気持ちを代弁する。
「フェリックスには、フィーネの入院の理由と病状を説明しましたけれど・・・。前回の妊娠は四か月に入るまで誰にも打ち明けられないまま、フィーネは一人で問題を抱えてしまいました。その事も、精神的に追い詰められた原因の一つであったと思います。しかし、今回は偶然とはいえ、本人も周囲も早い段階で妊娠を知ったので、いろいろな意味で良かったと思いますよ。ナイトハルトは、昨日の皇妃さまがフィーネを呼び出した件を、お聞きになりましたか?」
「ちらっと聞いたが、詳しくは知らないんだ」
 エリスが、夫の為に事情を説明する。
「皇妃さまが生まれたばかりのレオンハルト皇子が王宮に来たときに着ていた産着とおくるみを、フィーネに『お腹の赤ちゃんに使って欲しい・・・』と渡したそうです」
「そうだったんだ・・・」
「レオンハルト皇子が着ていた服を、フィーネの次の子の為、ずっと大事にとっておいたらしいのです。それこそ、女の子でも男の子でも着れるような服がたくさんあって、一枚一枚にその服を着たレオンハルト皇子の写真が添えられていたそうです・・・」
「皇妃は、フィーネに次の子が生まれる事をずっと待っていたんだ。皇妃だけじゃない。みんなが待っていた」
「ええ、フィーネの心配や不安より、彼女を再び母親にさせたいという周囲の想いの方が大きく上回った・・・という感じですね」
「しかし、ワーレン元帥からルイーゼ。ルイーゼから皇妃。そして、皇妃からフィーネ・・・絶妙な連携プレーだった」
「ワーレン元帥をフィーネの上司に据えたのは、大正解だったと思います」
「君にそういってもらえると、陛下にワーレン元帥を、士官学校の学長に推薦した私の面目も立つよ」
 エリスの褒め言葉に、ミュラーが嬉しそうに応じる。
「ワーレン元帥は亡くなった奥さまやルイーゼを通して、妊娠の大変さもお産の怖さも知っています。妊娠したフィーネが、ワーレン元帥の元にいることで、私もルイーゼも本当に安心出来ます」
「うん、おそらくビッテンフェルト提督もそう思っているだろう。今度のフィーネの妊娠は、我々も余裕を持って見守ることができそうだ!」
 ミュラーの言葉に、エリスもにっこり笑って応じていた。


<続く>