絆 3

 ビッテンフェルト家の朝のひとときに突然起きた騒動は、主役の一人が去り、次に始める第二幕目を迎えていた。
 プロポーズをした相手がいなくなり、置いてけぼりをくらってしまったフェリックスに、ビッテンフェルトが質問する。
「フェリックス、何故お前の結婚相手が、フィーネになったんだ?」
 フェリックスは手に持っていたカップをソーサーの上に静かに降ろし、一呼吸すると、ビッテンフェルトの目を見て答えた。
「私は、五年前、ヨゼフィーネが産まれたばかりのレオンハルト皇子を皇妃に託すとは思ってもみませんでした。しかし、彼女にそのような決意をさせたのは私なのです」
「お前が?」
 ビッテンフェルトが意外そうな顔をして、フェリックスを見つめた。
「ええ、あのとき・・・司令官代理として黒色槍騎兵艦隊の遠征の後、ハルツの別荘までご報告に伺ったときの事です。懐妊中のヨゼフィーネと二人っきりで少し話をしました。その際、ヨゼフィーネから『お腹の子を、ビッテンフェルト家の子どもとして育てたい』と打ち明けられました。私は、手元で育てたいという彼女の希望を聞いた上で、『皇妃はもう子どもを望めない!』と教えたのです」
 フェリックスの話を聞いたビッテンフェルトは黙ったままだった。そんな彼に、フェリックスが恐縮したように謝った。
「済みません。この話は、いつかビッテンフェルト元帥にお話しなくては・・・と思っていたのですが・・・」
「いや、フェリックス、気にするな。フィーネが皇妃の件を知っていた事は、ルイーゼがレオンハルト皇子を王宮に連れて行ったときに既に気がついた。皇妃のプライベートに関する秘密だ。お前が口に出せずにいたのも理解できる」
 ビッテンフェルトがフェリックスに伝える。
「しかし・・・」
 口ごもるフェリックスに、ビッテンフェルトが問いかける。
「フェリックス、もしかしてお前、自分のせいで、フィーネの運命が変わったとでも思っているのか?」
「私がヨゼフィーネに皇妃の件を教えた事が原因かと・・・」
「いや、子どもを皇妃に託すと決めたのは、フィーネ自身だ。そして、それを俺が最終的に認めた。お前が責任を感じる必要はない」
 ビッテンフェルトにそう言われたフェリックスだが、軽く首を振りながら言った。
「・・・私は、ヨゼフィーネから赤ん坊を取り上げるつもりなんてなかった。あのとき私は、彼女がレオンハルト皇子と共に王宮にきてくれることを望んでいたのです。でも、陛下の元に来たのはレオンハルト皇子だけでした・・・」
「フェリックス、レオンハルト皇子は陛下の御子だ。遅かれ早かれこうなっていた。それに、俺はフィーネの現在<いま>の状態に充分満足している」
 ビッテンフェルトはそう言いきると、フェリックスに対して大きく頷いて見せた。そして更に、椅子の背に仰け反って腕を組むと、フェリックスに再び質問する。
「お前がフィーネに結婚を申し込んだのは、それが原因か?」
「いえ、それは違います!」
 フェリックスが、即座に返答した。
(では何故?)という顔になったビッテンフェルトに、フェリックスは目を伏せながら言いにくそうな様子で話し始めた。
「実は、夢を見るのです。自分でも不思議な夢ですが・・・」
「夢?」
「いつも、赤ん坊の皇子を抱いたヨゼフィーネの姿が見えてきます。・・・でもいつの間にか、その赤ん坊が私になっていて、抱いている女性もヨゼフィーネではなく、私を産んだ母親になっている・・・」
「お前を産んだ母親?」
「ええ・・・私を産んだ女性<ひと>です。エルフリーデ・フォン・コールラウシュという女性をご存じですか?」
「名前だけはな。だが、本人に会ったことはない」
「私もです。・・・でもその見たこともない筈の母親の顔が、夢の中のヨゼフィーネと何度も入れ替わるのです。そして、どちらも、抱いている赤ん坊を哀しい目で見ている」
「ふ~ん、フィーネとお前を産んだ母親がね・・・」
 ビッテンフェルトが不思議そうに呟いた。
「その~、上手く言えませんけど、もし、ヨゼフィーネが私の傍で楽しそうな笑い顔を見せてくれたら、夢の中に出てくるあの母親も笑顔を見せてくれるような気がして・・・」
 照れくさそうに話したフェリックスに、ビッテンフェルトが笑いながら訊いてみる。
「お前が調べさせていた報告書に、フィーネの笑った顔はなかったのか?」
「ええ、今まで士官学校での彼女に関して、たくさんの資料を見させて貰いました。もちろん充実している学生生活のように見受けられ、資料の中には確かに彼女の笑顔もありました。が・・・」
「が?」
「その笑みは、周囲に合わせた笑いであって、彼女の本当の笑顔ではないように感じられて・・・」
 フェリックスの話を聞いていたビッテンフェルトの表情から笑いが消えた。フェリックスはすぐそれに気が付き、言葉を補足する。
「あっ、済みません。これは私の主観であって・・・」
「いや、あながち間違いでもないさ・・・。俺も、フィーネの心から笑った顔が思い出せないほど、見ていない・・・」
 ビッテンフェルトはそう言うと、目の前のお茶を一気に飲み干した。フェリックスも、無言のまま自分のお茶に口を付ける。
 暫しの沈黙の後、ビッテンフェルトが独り言のように呟いた。
「お前がフィーネに決めた理由<わけ>が、<フィーネの心からの笑顔が見てみたい!>か・・・」
「おかしいでしょうか?」
 軽く笑みを浮かべたビッテンフェルトに、フェリックスが問いかける。
「いや・・・。お前に理由<わけ>を訊いた俺の方がおかしかったんだ。昔から男が女を好きになるのに、理屈はいらない」
 ビッテンフェルトは遠い目になって言った。そんな彼を見て、フェリックスは(ビッテンフェルト元帥も年を取った・・・)と感じていた。



 ヨゼフィーネに爆弾発言をしたフェリックスも引き払い、静かになった部屋で、ビッテンフェルトは昔を思い出していた。

顔が似ていると愛され方まで似てくるのか・・・

アマンダ、
俺がお前を愛するようになったきっかけも
フェリックスと似たようなもんだったな・・・

辛い経験の後、
お前は、無表情になった
そして、フィーネは、
表面だけの笑顔を見せるようになってしまった

それにしてもフェリックス、
ずっと逢っていない癖に、よく気が付いたな・・・
フィーネの形ばかりの笑い顔に・・・

 考え込んでいたビッテンフェルトに、ミーネが新たなお茶を持ってきた。そこでビッテンフェルトは、ミーネに訊いてみる。
「今朝のフェリックスの件だが、ミーネはどう思った?」
「まず、驚きましたね」
 ミーネはビッテンフェルトの問いに、にっこり笑って答えた。そして、フェリックスに対しての自分の感想を述べる。
「ロイエンタール准将の言葉に嘘はないでしょう。けれど、あの方は女性に対して不器用ですね・・・」
 ミーネの率直な意見に、ビッテンフェルトが問いかける。
「奴が女に不器用?今までに何十人もの女と付き合って、女の扱いには慣れている男だぞ」
「遊びの相手には上手く立ち回れても、本気の相手には勝手が違うようで・・・。多分今までのお相手には、結婚を口にするような女性<ひと>はいなかったのでしょう」
「確かに、今日のあいつはなんかぎこちなかったな。フィーネとの会話もいいムードとは言えなかったし・・・。だが、いくらあいつが本気でも、肝心のフィーネの気持ちがあれではな!今までフェリックスの存在など、眼中になかったようだし・・・」
 笑いながら首を竦めるビッテンフェルトに、ミーネも苦笑する。
「今の段階では、あのお二人が結婚どころか恋愛状態まで辿り付けるかどうか予想しがたいのですが、只・・・」
「只?」
「ロイエンタール准将は、これまでの事を全て知っておられます。従って、フィーネお嬢さまの置かれている立場もよく理解しています。もし、あのお二人が恋愛関係になったとき、フィーネお嬢さまとしては隠しだてをすることもなく、自然体で彼に接することができるでしょう・・・」
「ふむ・・・」
 ビッテンフェルトが思わず頷く。
「しかしそれは、ある意味プラスでもありますが、見方によってはマイナスともいえます。王室とできるだけ距離を持ちたいと考えているフィーネお嬢さまにとっては、陛下と繋がりの深いロイエンタール准将は、必要以上に関わりたくない人物のひとりでしょうし・・・」
「う~ん、やはり、フィーネがフェリックスと付き合う可能性は低いか・・・」
「私には判りません。・・・でも今日のお嬢さまは、何年か振りにロイエンタール准将と逢ったというのに、彼には素直に自分をだしていたという気がします。それがどうも意外な感じがして・・・」
「確かに・・・。家族以外には口が重いあのフィーネが、結構遠慮なくしゃべっていたな」
 ミーネの言葉に、ビッテンフェルトも同意する。
「しかし、いずれにしろ今のお嬢様は、卒業後の仕事のことで頭がいっぱいですよ。結婚どころか交際を申し込むとしても、タイミングが悪すぎます。お嬢さまがロイエンタール准将の申し出をゆっくり考えられるようになるまでには、今暫く時間が必要でしょう。彼が辛抱強く<待つ事>に耐えられるのであれば、可能性がないとは言えませんが・・・」
「そうだな・・・」
 実際、新しい環境に飛び込もうとしている今のヨゼフィーネは、ビッテンフェルトから見ても、忙しくて確かに余裕がなさそうである。ビッテンフェルトもミーネと同じように、フェリックスのプロポーズに時期の悪さを感じていた。

ミーネにも二人の見通しが見えないのであれば、
この先、どう転ぶか判らないな

しかし、ロイエンタール、
長生きしていれば面白いことが起こるぞ
お前の息子が、俺の娘に結婚を申し込むとは!
お前が今、どんな顔しているのか見てみたい・・・

 ビッテンフェルトの士官学校時代、ワーレンとロイエンタールはよく共に行動する同期仲間であった。そのワーレンの息子であるアルフォンスは長女のルイーゼと結婚し、続いてロイエンタールの息子であるフェリックスまでが次女のヨゼフィーネに求婚するという奇妙な繋がりに、ビッテンフェルトは不思議な縁を感じていた。



 その日のミュラー家の夕食の話題は、やはりヨゼフィーネの事であった。
「あなた、フィーネがある男性にプロポーズされたそうですよ」
「えっ?」
 一瞬驚いたミュラーであったが、すぐ何かに気がついたようで、エリスに答える。
「・・・相手はフェリックスだろう?」
「あら、正解・・・。でも、どうしてお解りになりましたの?」
「いやね・・・。そうか、フェリックスの奴、考えたな。フィーネにプロポーズか・・・」
「何ですの、それ?」
「実は先日、フェリックスが私のところに血相を変えて来たんだ。フィーネの配属についてね。それで、私の方はピンと来た。尤もフェリックス自身はまだ自覚していなかったようだが・・・」
 一人クスクス笑うミュラーに、エリスも察しが付いて思わず顔が綻ぶ。
「フィーネは考えてもみなかった事で驚いていましたよ。それに、『フェリックスの真意が掴めない』とも言っていました」
「『真意が掴めない』って、どういう事だい?」
「だってフィーネにしてみれば、無理もありませんよ。誰だって何年も会っていなかった男性から突然結婚を申し込まれても、自分に対する恋愛感情を疑ってしまうのは当然ですよ。つい別の理由まで勘ぐってしまいます。それでフィーネは<フェリックスが恋愛感情からではなく、陛下への忠誠心から自分にプロポーズしている>と考えたようで・・・」
「う~ん、確かに今までの事が背景にあるから、フィーネがそう思ってしまうのも仕方ないが、いくら陛下への忠誠心の強いフェリックスだって、自分の感情抜きでそこまではしないさ」
「実は、私もその辺のところが、少し気になっていたのです。あなたのお話を聞くまでは・・・」
 エリスはそう言って、夫ににっこりと笑顔を見せた。
「大丈夫だろう。あいつ、フィーネの配属の変更を求めて、私の前に来たときの顔つきは尋常じゃなかったよ。それに、建前では尤もらしい理由を幾つも言っていたけれど、どうも言葉の節々からバレバレなんだ。いつものあいつらしくなくて、オタオタしていた。きっと、フィーネの配属先を知って動揺していたんだろうな~」
 フェリックスの心境を暴露するミュラーも笑っている。
「・・・しかし、意外でしたね。いつも女性達に取り囲まれているフェリックスが・・・。彼、いつ頃からフィーネに対して特別な感情を持ち始めたのでしょう?」
「フェリックスはフィーネが皇子を産んだ頃から、ずっとあの子を見守っていた。時間の経過と共に、フェリックスの中でフィーネが保護する女の子から、気になって仕方ない女性に変化してもおかしくないさ。その気持ちを自覚したフェリックスが、フィーネをフリーの状態で宇宙に行かせたくなかった。それで、彼は結婚を申し込むという手段をとった・・・ってとこかな」
「えっ?でも、今のフィーネは、結婚する気持ちなんて全くありませんよ」
「それも、彼は計算済みだろう。フェリックスにとってフィーネの反応が今一つでも、自分がプロポーズしたということが大事なんだよ。この先、フィーネの周りにいることになる男性陣を牽制する意味でもね。尤もフェリックス自身も、フィーネに自分の存在を印象づけておく為に必要だと感じたかも知れないが・・・」
「そういう事でしたの・・・」
「あともう一つ、フェリックスはフィーネが皇子の産みの母親だと発覚された場合の事も考えたんだと思うよ。もしフィーネが、元帥の令嬢という立場の他に、陛下の側近である自分の婚約者といった条件も加わっていたら、騒がれ方の種類も違ってくるし、いろいろな意味でフィーネは守られると思う」
「でも、彼を婚約者とするには、フィーネがフェリックスを好きになることが大前提ですよ」
「確かにそうだが・・・」
 苦笑いのミュラーに、エリスは少し忠告をする。
「今の状態では少し難しいのでは?それに、この先フェリックスがフィーネに求婚したという事実が周囲に広がれば、今まで彼に関心がなかったフィーネ自身の耳にも、いろいろな噂や評判が入ってくることでしょう・・・。それでなくても、フィーネはできるだけ目立ちたくない生き方をしたいと願っています。自分に求婚した相手があのフェリックスで、しかも女性の影が見え隠れしているようでは、結婚どころか付き合う前に拒絶されてしまいますよ」
「う~ん、今までのフェリックスは女性関係にいろいろ問題があったのは事実だが、彼はフィーネと決めたんだ。もう、他の女性に目がいく事はないと思うよ」
 あのビッテンフェルトの娘であるヨゼフィーネに、フェリックスは求婚したのである。彼なりに覚悟を決めての行動だろうと、ミュラーは考えていた。その夫の言葉に、エリスも同意する。
「ええ、私も、あの真面目なミッターマイヤー夫妻に育てられたのですから、フェリックスの根本的な人間性に間違いはないと思います。でも、ルイーゼの方が・・・」
「ルイーゼは、反対なのかい?」
「だってルイーゼは、社交界を知っています。自分の目で、フェリックスの女性関係を見ていますし・・・。それにあの子、こういう事には生真面目だから・・・」
「うん、ルイーゼの性格からすれば、フェリックスみたいなタイプは恋愛や結婚の対象とはならないだろう」
 ミュラーが苦笑する。
「取りあえず今はまだフィーネの反応があんな感じだし、アルフォンスからも『先走った心配や取り越し苦労はしないように!』と釘を刺されているそうですから、ルイーゼ自身も少しは様子を見ると思いますが・・・」
「はは、アルフォンスも、ルイーゼの先手を打つのが上手くなったな」
 思い込みの激しいルイーゼに振り回されてきたアルフォンスも、ここに来てようやく妻の先回りをするコツを掴んだらしい。
「でも私は、フィーネもフェリックスを好きになって、二人が恋人同士になったらと仮定してみたのです」
 エリスは自分の想像した考えを、ミュラーに話す。
「フィーネとフェリックスとの間で、愛情が深まって確かな信頼関係が築けたとします。そうなれば、彼が橋渡しとなって王室とフィーネの間で、自然な形で交流が始まるかも知れません。それに、今はレオンハルト皇子を避けているフィーネですが、彼女の中でフェリックスの存在が大きくなれば、それが支えとなって皇子とも無理なく向き合える可能性もでてくるでしょう・・・」
 ミュラーも頷いてエリスの考えに同調する。
「そうなれば、ルイーゼも王室や子ども同志の付き合いに気を使う必要もなくなり、気持ちが楽になるでしょう。どうしてもルイーゼや私は、フィーネが可哀想で、あの子が傷つかないようにと考えてしまいます。しかし、フェリックスはどちらの状況も理解できる立場だし、両者を公平に見ることができます。フィーネを好きになったフェリックスこそ、彼女と皇子の間を取り持つのには適している人物なのかも・・・と思うようになりました」
 一気に自分の気持ちを話したエリスが、ふと何かに気が付いたようで、少し俯き加減になった。そして、そのままの状態でミュラーにぽつりと伝えた。
「・・・私は、フィーネに好きな男性<ひと>がいないのをいいことに、打算的な恋愛を考えていますね・・・」
 少し自嘲気になったエリスに、ミュラーはわざと戯けるように返した。
「いや、それは君のいい方に考える前向きな性格が出ているだけだよ。私のように前途多難なフェリックスばかり想像してしまうより、よっぽどマシだよ」
 ミュラーの言葉を受けて、エリスが少し笑みを浮かべる。
「しかし、そういう予想がででくるのであれば、エリスとしては今回の件は賛成なのかな?」
「どちらか?と問われればですけれど・・・。でも私は、フィーネの気持ち次第で賛成にも反対にもなります」
「う~ん、ルイーゼが若干反対派として、肝心の父親としてのビッテンフェルト提督はどうだろう?」
 ミュラーがビッテンフェルトの見解を予想する。
「ミーネさんによると、『ビッテンフェルト提督は今のところ静観している・・・』と言っていましたから<中立>ってところでしょうね。只、今後のフィーネの気持ち次第で、父親としていろいろ変わるかも知れませんが・・・」
 笑いながら話すエリスにミュラーも同調する。
「確かに・・・。多分、今はまだ、あの二人がどういった展開になるか判らないから、彼もまだ余裕をもって見ていられるのだろう。近いうちに、ビッテンフェルト提督と逢ってみるよ。できれば、久しぶりにゆっくり飲んで話したいし・・・」
 ミュラーは、ビッテンフェルトと連絡を取ることにした。



 翌日の夜、ミュラーに誘われたビッテンフェルトが<海鷲>に姿を現した。勿論、今夜の酒の肴は、ヨゼフィーネとフェリックスのあの一件である。
 ミュラーはビッテンフェルトのグラスに酒を注ぐと、彼に問いかける。
「フェリックスの行動は意外でしたか?」
 ミュラーの問いに、ビッテンフェルトはまずグラスの酒を半分ほど一気に飲んでから答えた。
「ああ、正直なところビックリしたぞ。ミュラー、お前は、知っていたのか?」
「先日、フェリックスが私のところにフィーネの配属の変更の交渉に来ました。そのとき、気が付きました」
「配属の変更?あいつ、そんなことをしていたのか」
「ええ、でもあのときは、フェリックス自身がまだはっきりと自分の気持ちを自覚していないように見うけられましたが・・・」
 ミュラーが笑いながら伝える。
「焦ったんだろうな・・・。フィーネが宇宙に行く前にと・・・」
「・・・恐らく」
 二人とも目を合わせてにやつく。
「しかし、フェリックスは女の扱いには手慣れているかと思っていたが、フィーネに対してはなんかぎこちなかったぞ!」
「はは、遊びの口説き文句には手慣れていても、本気なったフィーネには言葉が出てこないのでしょう。フィーネはフェリックスより十歳も年下になりますし、プライドの高い彼にしてみれば求婚を申し込むことに照れみたいなものもあるかも知れませんし・・・」
 ミュラーもフェリックスに対し、昨日のミーネと同じような見解をする。
「しかし、今回の提督は冷静ですね。以前のルイーゼとアルフォンスのときは、鼻息が荒くて、随分気を揉みましたよ。二人の結婚式が終わるまで、私は胃が痛くなったものです」
「はは、冷静もなにも、肝心のフィーネが、奴を門前払いしている状態だ!それに・・・・」
 ビッテンフェルトの言葉が止まった。彼はつまみに手を伸ばし、グラスの酒を飲んで少し間をおく。その間、ミュラーは温和な笑顔を浮かべながら、ビッテンフェルトの次の言葉を待った。
「ミュラー、俺はあのとき、時間が経ってフィーネの気持ちが落ち着いたら、皇子共々陛下の元に送り出すつもりでいた。だが、あの子は、自分の力で己の進む道を切り開いていった。もう、俺が娘にあれこれ口を出す時期は過ぎてしまったんだ。フィーネは、あの一件であっという間に大人になってしまった」
「そういうお考えだったのですか・・・。提督がフィーネにあまり干渉しなくなったので、エリスは少し心配していたんですよ」
 ミュラーの言葉に、ビッテンフェルトが笑って返す。
「口うるさい親父をやるのも、結構疲れるんだぞ!」
 酔いが回ったのか少し陽気になったビッテンフェルトに、ミュラーは先日から気になっていたルイーゼのことを訊いてみた。
「ルイーゼがエリスに『フィーネは、皇子と同じ年頃のテオやヨーゼフを見るのが辛いから、距離を置くために宇宙に行ってしまうのでは?』と相談していたらしいのですが・・・」
「うん、本当のところ、フィーネはそれもあるんだろう・・・。勿論、あいつはなにも言わないが・・・」
(やはり、ビッテンフェルト提督もそう感じていたのか・・・)
 ミュラーは、ヨゼフィーネの気持ちがまだ割り切れていないことを知り、複雑な表情を見せる。そんなミュラーに、ビッテンフェルトは宇宙について話し出した。
「ミュラー、宇宙っていいだろう。あの限りなく広がる大宇宙を見ていると、自分の抱えている大きな悩みが、ちっぽけな存在になってくる。あれは、癒しの空間とも言えるよな・・・」
「宇宙は、フィーネの心も癒してくれるとお思いですか?」
「それは、フィーネ次第だ・・・」
「それもそうですね・・・」
 ミュラーが頷いた。ミュラーとて、嘗ては宇宙を飛び回っていて、宇宙の魅力も、その効果も充分知っている。頷いたミュラーに、今度はビッテンフェルトが、ルイーゼの話を持ちかけてきた。
「フィーネもそうだが、ルイーゼもまだ引きずっている。あいつ、俺と違ってフィーネの事を、同じ母親の立場で見てしまうからな・・・」
「母親の立場・・・ですか」
「ルイーゼは、自分の子どもであるテオやヨーゼフを手放すことなど考えられないし、子ども達と離れることすら耐えられないだろう。そんなルイーゼにしてみれば、母親として自分が我慢できない事を、妹のフィーネには強いているようで、それが辛いんだよ」
「ルイーゼには、母親としての気持ちが充分判るだけに、そう思ってしまうのかもしれません」
「実際、ルイーゼはあのとき皇子を手放す事には反対だった。だが結果的には、あいつが王宮に皇子を連れて、自分の手で皇妃に手渡した。それだからこそ、ルイーゼの中では未だに『これでよかったのだろうか?』という迷いがある。ミュラー、覚えているか?産後の一時期、フィーネが閉じこもりになったときがあったろう」
「ええ、覚えています。エリスもあのときは、落ち込んでいるフィーネを見て、かなり心配していました」
「そのときもルイーゼは<もし、フィーネが一ヶ月、いや一週間でも赤ん坊と一緒に過ごしていたら、情が移って手放すことなど考えなかったかも・・・>と、自分を責めていた。俺は、ルイーゼのやりきれない気持ちも判っていたが、敢えてあいつに『もう乗り越えるんだ!』と、きつく怒った事がある」
「・・・難しいですね。私達とはまた違った感情で受け止めてしまう部分もあるでしょうし・・・。大きな試練でしたから、ルイーゼがずっと抱えてしまうのも無理もない事ですが・・・」
「だよな・・・。だが、ルイーゼにはアルフォンスがいる。ルイーゼも皇子と子ども達との絡みも出てきて立場上辛いだろうが、アルフォンスがルイーゼを上手く支えてくれるさ。大丈夫だ!」
「ええ、アルフォンスとルイーゼはとても良い夫婦になりました。子ども達にも恵まれましたし、フィーネの件やヨーゼフの手術など、夫婦でいろいろな事を乗り越えてきて逞しくなりましたし・・・」
(ビッテンフェルト提督はフィーネの気持ちもルイーゼの悩みも、何もかも知っている。口出ししないだけで、ちゃんと見守っているのだ。)
 ミュラーは改めて感じていた。
「それはそうと、ビッテンフェルト提督は正直なところ、フェリックスの事は結構気に入っているのでしょう?」
「さぁ~、どうだかな・・・。あいつ、少し軟弱なところがあるかな~」
 ビッテンフェルトがとぼける。
(あなたが、なんの見込みのない男に、大事な黒色槍騎兵艦隊を任せる筈がないでしょう!)
 ミュラーはそう突っ込みたかったが、深入りはしなかった。
「しかし、フィーネの今の状態では、フェリックスは長期戦になるでしょうね」
 ミュラーの予想に、ビッテンフェルトが頷く。
「もしかしたら、奴は苦戦して何年もかかった挙げ句、自滅するかもしれんぞ!」
「相変わらずですね・・・」
 ニンマリとしたビッテンフェルトに、ミュラーが呆れたような顔になる。
「だって奴は俺の前で正式にヨゼフィーネに結婚を申し込んだ。ということは、あいつはフィーネを口説き落とすか、もしくは諦めるかしなければ、他の女とつき合えない状態になった訳だよな」
「ええ、この状況で他の女性とつき合ったらどうなるかぐらい、フェリックスにだって判っていますよ」
「しかし、あいつがこの先、ずっと女っ気ナシで過ごせると思うか?」
「そ、それは・・・少し大変かも知れませんが・・・」
 ミュラーも、自信を持って<大丈夫!>とは言えない状態のようである。
「だろう?この一件、俺にはフェリックスが随分無謀な戦いを挑んでいるような気がするが・・・」
 口元に笑いが見えるビッテンフェルトに、ミュラーが探りを入れてみる。
「ビッテンフェルト提督、何だか楽しんでいませんか?」
「いやな!今まで上げ膳据え膳で女に何の不自由もなかった男が、これからおあづけ状態になるようなもんだろう。なんだか気の毒に思ってさ・・・」
 フェリックスに対して、楽しそうに同情しているビッテンフェルトを見て、ミュラーは思わず苦笑いを浮かべる。
「でも、いじらしいとも言えますよ。そこまでして、フィーネの事を想っているのですから・・・」
「だがな、ミュラー!奴がフィーネと同世代の若ぞうだったら、その一途さが健気にも見えるだろう。しかし、フェリックスはもういい歳だぞ。だから変に不自然になって、用心したフィーネから疑わしい目で見られているだろう!」
「はは・・・」
 ミュラーは笑うしかなかった。ミュラーとエリスの年齢差は、フェリックスとヨゼフィーネの組み合わせより上回っているのである。
「全く、あいつ、顔だけならともかく、不器用なところまで似なくてもいいのにな・・・」
 亡き盟友の事を口に出したビッテンフェルトに、ミュラーが応じる。
「ええ、ロイエンタール元帥と似ていますね・・・。でも、エリスは『ミッターマイヤー夫妻に育てられたフェリックスの根本的な人間性に間違いはない』と評価していましたよ」
「・・・だから俺も、反対もせずこうして見守っている・・・」
 ビッテンフェルトの呟きに、ミュラーが大きく頷いた。
 今後、ヨゼフィーネとフェリックスの関係がどうなるか予想が付かないが、<口出しせず見守る>という方針のビッテンフェルトに、ミュラーも同意することにした。


<続く>