初恋 8

 アレクの恋人モーデル夫人の存在がスクープされてから、一ヶ月が過ぎた。大騒ぎしていたマスコミも、姿を見せないモーデル夫人に少しずつ諦めムードになり、日ごとに取材の規模を小さくしていた。
 又、モーデル夫人の仕事である女官の辞職が知れ渡ると、多くの人々は二人の関係は公になった事で終わってしまったと考えるようになり、世間の騒動はひとまず落ち着いてきた。
 しかし、アレクとモーデル夫人の関係は、これから大きな山場を迎えようとしていた。

  

 今回の騒ぎが一段落したのを見計らって、アルフォンスはルイーゼを食事に誘った。ルイーゼに今の自分の気持ちを伝え、今度こそ交際に持ち込むつもりであった。今回で三度目の申し込みになってしまうが、周囲の様子からルイーゼの気持ちに手応えを感じていたアルフォンスは、少しばかりの自信があった。
 アルフォンスからの食事の誘いに、戸惑った様子を見せたルイーゼだが「ヨゼフィーネも一緒に・・・」という条件をつけて受け入れた。アルフォンスへの想いと裏腹に(どこかで区切りを付けなければ・・・)と考えていたルイーゼの心境は複雑であった。
 約束の日、姉妹揃って出かける予定だったのだが、直前になってヨゼフィーネは体調が悪いと言いだした。その為、結局ルイーゼとアルフォンスの二人だけで食事をすることになったのである。
 この日の為に、アルフォンスとヨゼフィーネの間でちょっとした打ち合わせがあった事を、ルイーゼは知らなかった。


 アルフォンスが予約した店は、若夫婦で切り盛りする小さなレストランで、店内のあちこちにほのぼのとした手作りの人形が飾られていた。家庭的な優しい雰囲気の店に、アルフォンスらしい好みだとルイーゼは感じていた。
 美味しい料理と楽しいムードの中で堅くなっていたルイーゼも、以前のようにアルフォンスとの会話を楽しむようになっていた。アルフォンスは笑顔が見えてきたルイーゼに、(よし、大丈夫だ!)と自分の心に言い聞かせ、大きく深呼吸をした。そして、真剣な表情で目の前のルイーゼに話しかけてきた。
「ルイーゼ!是非、私との交際を前向きに考えてくれないか?その~君の気持ちが他の男性に向けられているのなら、私は潔く諦める。だが、君はそうではない・・・」
「でも、私は・・・。以前、あなたに理由<わけ>をお話ししたでしょう・・・」
 ルイーゼは困ったような顔になっていた。
「君の考えは知っている。そのうえであえて交際を申し込んでいるんだ。私は君を待ちたい・・・」
 アルフォンスの申し出に、ルイーゼは薄茶色の瞳を大きく見開いて答えた。
「えっ、そんなの・・・ダメです!私はあなたに早く自分の家庭を持って欲しいの。私を待っていたら、あなたはいつまでも独身のままでいることになってしまう!お願い、私に構わないで!」
 慌てたルイーゼに、アルフォンスは待ちかまえたように説得する。
「ルイーゼ!君がフィーネのことを思う気持ちはよく判る。でも、君の恋愛や結婚は、決してフィーネから離れることではないと考えてくれないか?」
「そんなの無理です!」
 ルイーゼが即座にきっぱりと否定した。
「えっ、ど、どうして?」
 ルイーゼのその毅然たる口調に、アルフォンスはすっかり動揺してしまった。そして、この日の為に考え抜いて準備していた言葉も、少しばかりあった自信もあっという間にどこかに飛んでいってしまった。
「・・・私は器用じゃないから、一つの事に夢中になると周りが見えなくなるんです。だから、あれもこれもという生き方は出来ない・・・」
 悲しげに話すルイーゼに、焦ったアルフォンスはひたすら言葉を探した。
「お願い、アルフォンス。私を苦しめないで・・・」
 ルイーゼは小さく呟くと、その場から立ち去った。そして、一人残されたアルフォンスは、三度目の拒絶に頭を抱えてしまった。



 翌日、軍務で視察に向かうミュラーに、部下のアルフォンスが同行した。移動する地上車の中で、いつもの覇気が感じられない部下にミュラーが声をかける。
「何かあったのか?今日は沈んでいるようだが・・・」
 アルフォンスは、昨日ルイーゼに申し込みを断われ今後どのようにしたら良いのか悩んでいることを、ミュラーに伝えた。
「う~ん、ルイーゼは小さい頃から一度こうと決めたら頑固だったからな~。あの性格は父親に似たんだな!」
 ミュラーが苦笑いしながら話す言葉に、アルフォンスは(確かに・・・)と同調してしまった。今までアルフォンスは、ルイーゼがあのビッテンフェルトの娘ということを、それほど意識したことはなかった。だが、今回ばかりは(似ている・・・)と感じてしまった。そんな彼に、ミュラーは笑いながら問いかける。
「ルイーゼの父親譲りの頑固さを知って、彼女を諦める気持ちになってしまったかい?」
「いいえ、とんでもない!その・・・一途なルイーゼが、ますます好きになりました」
 アルフォンスは少し顔を赤らめながら答えた。
 <恋は盲目>とはよく言ったものである。アルフォンスはビッテンフェルトの<でまかせ>を聞いて以来、ルイーゼの事が気になってしまい恋に陥った。ルイーゼもアルフォンスからのプロポーズがきっかけで、彼に対する恋心を意識するようになってしまった。こうして若い二人は、急速に恋愛感情を育ててしまったのだ。
 それ以前といえば、アルフォンスもルイーゼもお互い好感は持っていたが、それぞれ相手を意識するところまではまだ達していなかった。ビッテンフェルトの不用意な一言が、二人が恋愛に陥るきっかけとなってしまったのだから、ルイーゼの恋のキューピットは他ならぬ父親ビッテンフェルトが知らぬ間にしてしまった事になる。
 ますますルイーゼとの恋にのめり込むアルフォンスに、ミュラーはある助言をしてみる。
「昔、私がエリスとの事で悩んで交際に踏み込めないでいたとき、ビッテンフェルト提督から言われたことがあるんだ。『恋愛には勢いとパワーが必要だ!悩みを振り切るだけの勢いと、障害を乗り越えるだけの力が無くては・・・』ってね。今、君にビッテンフェルト提督から言われた言葉をそのまま伝えるよ。まぁ、励ましの言葉のリレーみたいなもんだな!」
「勢いとパワー・・・」
「アルフォンス、君が行動しなくちゃ何も変わらないよ!自分が動く事で物事の流れがいい方に変わるんだ!・・・ルイーゼはなんにでも一生懸命になる子だから、変に力を抜くことが出来ない。自分が恋愛に陥ってしまったら、妹のフィーネのことが中途半端になってしまうと思い込んでいる。母親似の生真面目な部分もあるからね。エリスが話していたが、ルイーゼは愛する家族と好きになった君との間で苦しんでいる感じなんだ。だから、君の力でルイーゼを楽にして欲しい・・・」
「私の力でルイーゼを楽に?」
 尊敬する上官のミュラーにそう頼まれて、アルフォンスのルイーゼへの想う気持ちが一気に燃えた。
「可能性があるのなら、いや可能性がなくても私は諦めない。ルイーゼの為にも私自身の為にも必ず口説いて見せます!」
 手を握り拳にして闘志満々のアルフォンスを見て、ミュラーは更に励ます。
「ルイーゼが好きなら、頑張るんだ!後悔しないように・・・」
 目の前で猛然と張り切るアルフォンスを前に、ミュラーは心の中で思った。
(どう見てもこの気合いの入れ方は、私の軍務省色というより黒色槍騎兵艦隊スタイルじゃないか!とうとうアルフォンスも、ビッテンフェルト提督の影響を受けてしまったか・・・)
 自分の部下であるアルフォンスだが、ルイーゼと関わっているうちビッテンフェルトに似てきたようだとミュラーは感じていた。



 それから数日後、モーデル夫人の様子を伝える為、アルフォンスがアレクの居間を訪れた。部屋では、アレクとフェリックスが二人でチェスをしていた。
 アレクにとって、アルフォンスやフェリックスはこの部屋にいる限り、気軽に語り合える貴重な友人である。それでなくても恋人モーデル夫人の事が心配で気が滅入っていたアレクは、アルフォンスを嬉しそうに迎えた。
 アルフォンスがモーデル夫人の近況を報告すると、アレクは深い溜息をつき、そして心細げに不安を打ち明けた。
「あの女性<ひと>は、故郷のオーディンに帰ってしまうつもりだろうか?穏やかに暮らしていたいと願ってる彼女に、私の望みを受け入れてもらう事自体難しいとは思うが・・・」
 アレクの願いをモーデル夫人が受け入れると言うことは、彼女が皇妃になるということに繋がる。周りの人々はもとよりモーデル夫人本人でさえ、皇妃という立場に立つことを望んではいない。モーデル夫人を説得出来ずにいるアレクは、マスコミに二人の関係が露見した現在<いま>、彼女がオーディンに戻ってしまうのでは・・・と不安に駆られるのだ。
「モーデル夫人も今後のことはいろいろ考えているようです。何度も別荘に顔を出すルイーゼが、何か聞いているかもしれません。モーデル夫人も、彼女には心を開いているようですので・・・」
 アルフォンスの言葉を、アレクは暗い顔で聞いていた。そんなアレクに気を遣ったフェリックスが、話題を変えてきた。
「ルイーゼと言えば、そのビッテンフェルト家のご令嬢に、最近君が入れ込んでいるという噂を聞いたが・・・」
「ほう・・・」
 アレクは初耳らしく意外そうな顔で、アルフォンスを見つめた。
「いや~実は・・・」
 興味津々で見つめる二人を目の前に、少し照れながらアルフォンスを打ち明けた。
「今、彼女を対していろいろ作戦を考えているところです。正攻法では口説けずに失敗しましたので・・・」
「断られたのか?」
 アレクが驚き、フェリックスが不満そうに呟いた。
「君を断るなんて・・・ルイーゼはどうかしている!君の良さが判らない彼女は見る目がないんだよ。私がもっといい女性を紹介するから、あんなビッテンフェルト元帥の娘なんかほっとおけよ・・・」
 アルフォンスの良さを充分知っているフェリックスは、彼を振ったルイーゼに少し怒っているような感じであった。
「フェリックス、ルイーゼにもいろいろ事情があるんだ。そのうち、私の気持ちを受け入れてもらえるように頑張るさ!うちの祖父もルイーゼのこと、気に入っているしね」
 アルフォンスの言葉に、フェリックスは呆れ顔で呟く。
「まぁ、人の好みは様々だから・・・」
 フェリックスは実の父親のロイエンタール譲りの端正な顔立ちの上、アレクの兄弟のように育った側近ということもあって、今や社交界のアイドル的な存在である。いつも女性達に囲まれれ、貴族の年輩のご婦人達にも人気があった。自分を慕う女性には事欠かせない彼にしてみれば、振られた女性に再び申し込むなんて考えられなかったし、しかも相手があの小うるさいビッテンフェルトの娘のルイーゼと聞いて、アルフォンスの物好きにも程があるとさえ思っていた。
 確かにルイーゼは皇妃候補になっていたが、それはビッテンフェルト元帥の娘という肩書きのお陰で、フェリックスから見れば平凡な顔立ちのルイーゼはどこにでもいるような普通の女の子にしか見えなかった。
 (アルフォンスだってこれから社交界に顔を出すようになれば、自分と同じようにたくさんの女性からもてるはずなのに・・・)とフェリックスは考えていた。実際、女性達は将来性のあるエリートのアルフォンスをほっとおく筈がないだろう。
「あのビッテンフェルト元帥と関わる気苦労を考えた事がないのか?下手すれば、義理の親父という関係になるんだぞ!」
「おいおい、下手すればじゃないよ。上手く結婚出来ればだろ!」
 アルフォンスが苦笑いする。ビッテンフェルトが苦手のフェリックスにしてれば、その娘のルイーゼに想いを寄せるアルフォンスの気が知れなかった。
「全く、恋に対しての経験が浅いと、一気に入れ込むものなんだな~」
 呆れ顔のフェリックスにアルフォンスが言い返す。
「確かに君の方が、男と女の関係についての経験は豊富だろう。だが、本気で好きになった女性は一人もいないだろう?」
「それは認める・・・」
 フェルックスが苦笑いで自分を自嘲する。
「いい加減にしないと、本当の相手に巡り逢えなくなるぞ~」
「真剣な恋愛は苦手なんだ。君も知っているだろう。その場しのぎというか、一夜だけの付き合いが多いのは・・・」
「全く・・・君はあのミッターマイヤー夫妻に育てられた割に・・・」
「おっと、言いたいことは判っているよ!お陰様で最近、血の繋がりのある父親に似てきたと噂されている」
 肩をすくめるフェリックスに、アルフォンスは小さな溜息を吐いた。


 ミッターマイヤー家の温かい家庭の中で育ったフェリックスは、小さい頃は笑顔が絶えない明るい男の子だった。
 士官学校に入学する際、養父ミッターマイヤーとの約束通り、ロイエンタールの名を受け継いだ。フェリックス自身は今まで慣れ親しんだミッターマイヤーの名の方が良かったのだが、養父であるミッターマイヤーの希望もあり改名を受け入れたのだ。しかし、当の本人にしてみれば、格別ロイエンタールという名に深い思い入れがあったいう訳ではなかった。
 体の弱かったアレクは士官学校には進まなかった。従って名を変えたフェリックスだけが士官学校に入学した。そして、そこで出会った教官とフェリックスとでは巡り合わせが悪過ぎた。
 士官学校の教官ダッセルは、戦争で父と兄を失った。しかも、父と兄はそれぞれミッターマイヤーとロイエンタールの麾下に配属されて、あの双璧の争覇戦と呼ばれる激戦で二人とも命を落としたのだ。
 愛する父と兄が敵対した挙げ句に戦死したという悲劇は、ダッセルの家庭を狂わせた。夫と息子の二人の悲惨な気持ちを思い、居たたまれず悲しみの底にいた母親は、とうとう絶えきれず自ら命を絶った。そんな母の嘆きを見てきたダッセルは(あの男がローエングラム王朝に反旗を翻さなければ、父と兄が親子で敵対して戦うという悲しい運命にはならなかった・・・)と激しくロイエンタールを憎んだ。
 尊敬する父と大好きな兄の命を奪い、そして母親を死に追いつめたのは<叛逆者ロイエンタール>と思い込んでいたダッセルは、その血を受け継ぐ息子のフェリックスの士官学校の入学を知って動揺した。そしてダッセルは、教官としての理性より、ロイエンタールへの恨みという感情の方が勝ってしまうのを止められなかった。
 フェリックスが士官学校に入学してきたその日から、ダッセルは彼を目の敵にしてつらく当たった。どんな小さな事にも容赦なく、何かと虐めていた。士官学校時代、いわれなきその待遇にフェリックスは耐えた。
 ただダッセルは、フェリックス以外の生徒を悪意の目で見ることはなかった。従って事情を知らない生徒達からは人気があり、父兄や他の教官からも信頼されていた。
 フェリックスの周囲の学生は、ダッセルとフェリックスとの間にある深い溝に気がついていたが、関わることを避けていた。自分たちにまで災難がふりかかる事を心配したせいでもあるが、物心ついた頃から皇帝であるアレクと共に育ってきたフェリックスに対しての羨望や妬みがあった事も確かである。
 フェリックスは、親友のアレクや父のミッターマイヤーに弱音を吐くことはしなかった。しかし、卒業を迎える頃にはどこか影を持つ青年になっていた。
 士官学校の卒業の日、その別れ際に思いがけなくダッセルがフェリックスに近づき話しかけてきた。
「私は君に対して理不尽な人間だった。もし君が、軍人の道を歩まなければ、私の感情ももう少し違ったものになったかも知れない。普通の貴族として陛下に仕えた方が、君も楽に生きられると思うが・・・」
「軍人を辞めるつもりはありません!」
 自分を虐め抜いたダッセルの意外な言葉に驚きながらも、フェリックスはきっぱりと告げた。
「次に会うときは、君は私より上の階級になっている。そして、この学校で共に学んだ仲間とも、君は生きる世界が違っているだろう・・・」
 その話しぶりにいつもの皮肉はなかった。無表情に淡々と語るダッセルの真意は、その時のフェリックスには理解できなかった。
 卒業後、ダッセルの家庭の事情を知る機会があったフェリックスは、自分が軍人という職業を選んだ責任の重さを痛感するのであった。


 フェリックスと同じく元帥の子であるアルフォンスは、その気さくな性格からか同期、先輩や後輩、そして同僚とあちこちで着々と人脈を築き上げていた。それに対し、フェリックスは優秀だか単独行動を好み、人を寄せ付けないような雰囲気を持っていた。父親と同じく軍人の道を選んだ二世達だが、その生き方はおのおの違っていた。
 そんな二人は、女性に対する好みも考え方もやはり違っていた。
「必ずルイーゼを口説いてみせるさ!ミュラー閣下に言われたんだ。『自分が行動しなければ何も変わらない。自分が動くことで物事の流れが良くなる』ってね・・・。だから私は、ルイーゼを諦めない!」
 アルフォンスのルイーゼに対する熱い想いを、女性に本気になれないフェリックスは呆れながら聞いていた。アルフォンスの決意に満ちた言葉を聞いたアレクは、はっとした表情になっていた。
(自分が行動しなければ何も変わらない。自分が動くことで物事の流れが良くなる・・・)
 アレクは自分の心の中で、何度もその言葉を繰り返していた。
 暫く思い詰めた様子で考え込んでいたアレクは、やがて覚悟を決めて目の前の二人に宣言した。
「これからハルツのビッテンフェルト家の別荘に赴く。そして、彼女を・・・マリアンヌを此処に連れてくる!」
 アレクの宣言に、アルフォンスとフェリックスは驚いた。年上の恋人との恋を守るため用心深くなっていたアレクからは、モーデル夫人の名前を聞く事は殆どなかった。事情を知っている親友のフェリックスや頼りにしているアルフォンスの前でさえ、アレクはモーデル夫人をあの女性<ひと>或いは彼女と呼んでいた。
 夫人と二人きりの時はいざ知らず、人前で初めてモーデル夫人のフォーストネームの『マリアンヌ』という名を叫ぶアレクに、アルフォンスとフェリックスは目を見合わせていた。そして、アレクの真剣な眼差しから、この決意の重さを感じるのであった。


<続く>