初恋 6

 爽やかに晴れたある朝、ビッテンフェルト家のダイニングで父と娘達が揃って朝食を食べている。普段と変わらないいつもの食卓の風景だが、突然ルイーゼが妙な事を言いだした。
「父上、私、この先もずっ~とこの家にいてもいいのよね?」
 真剣な顔で念を押す娘に、ビッテンフェルトは驚きながらも自信を持って答えた。
「当たり前だ!お前はここの娘だ!いつまでもこの家にいていいんだぞ~」
 父親のその言葉に、ルイーゼがニッコリと笑みを浮かべて一言告げた。
「だったら父上、私に縁談なんか持って来ないでね!」
「えっ!」
 よく事態が飲み込めず疑問顔のビッテンフェルトを横目に、ルイーゼは立ち上がるとさっさと食堂から出ていってしまった。
「な、なんなんだ?突然??」
 不思議そうなビッテンフェルトに、下の娘のヨゼフィーネが尋ねる。
「父上~、姉さんに何かしたの?あの様子だと、かなり怒っている感じだけれど・・・」
「心当たりがない・・・」
 先日の会議の事などすっかり忘れているビッテンフェルトは、何故ルイーゼが怒っているのか見当がつかなかったのだ。あれこれ考えていたビッテンフェルトの目に、突然朝のニュースの<アレク陛下の本命は、十歳年上の未亡人!>というタイトルが飛び込んできた。
 渦中のモーデル夫人宅を取り囲む大勢の取材陣が映し出された映像を見て、ビッテンフェルトは驚き、そして顔を曇らせた。
 画面の様子では夫人が家の中にいるのかどうかは判らなかったが、大変な状態であることは確かである。ビッテンフェルトはモーデル夫人の身を案じた。



 ある週刊誌にスクープされたアレクの恋人モーデル夫人の存在は、瞬く間に大きく報道されてしまった。夫人は、その日から宮廷に出仕すら出来ない状態になった。
 ルイーゼもモーデル夫人をずっと心配していた。そんなとき、アルフォンスから「モーデル夫人が君に会いたがっている」という連絡を受けた。
 プロポーズされて以来、ルイーゼはアルフォンスと会っていない。彼に会うことに一瞬気まずさを感じたが、それよりモーデル夫人に会う方が優先であった。ルイーゼは急いで教えられたホテルの一室に向かった。
 ホテルの廊下で陛下が差し向けたと思われる私服姿の宮廷の警備兵がルイーゼを見つけ、付近に目を配らせながら部屋に通してくれた。ルイーゼはなんとかマスコミに見つからず、無事モーデル夫人とアルフォンスに会う事が出来た。
 突然の出来事で動揺が見られる夫人であったが、駆け付けたルイーゼと逢えたことを喜んでいる様子だった。
「今まで私の盾となって頂いた事、感謝しています。あなたと直接お逢いして、お礼を申しあげたいとずっと思っていました。オーディンに戻る前に、こうして逢う事ができてよかった・・・」
「頂いたお手紙で、夫人の感謝の気持ちは充分伝わっています。それよりオーディンに戻るとは?」
 ルイーゼの言葉に、モーデル夫人は無言で俯いてしまった。ルイーゼは思わずそばにいたアルフォンスを、問いかけるように見つめた。彼は難しい表情で(陛下は知らない・・・)と言うように首を振って、ルイーゼに知らせる。
「もっと早く決断していれば良かったのです。でも、なかなか想いを断ち切れなくて・・・」
 切なげに語るモーデル夫人を見て、ルイーゼも辛くなった。
(なんとかしてやりたい・・・)
 その想いが、ルイーゼにあることを思いつかせた。
「モーデル夫人、ハルツの山の麓に我が家の別荘があります。そこに一旦、身を移しませんか?身動きができないホテルの部屋では気が滅入るばかりですし、それにあそこなら当分マスコミにも判らないでしょう」
「それはいい案かも・・・。モーデル夫人、ここはルイーゼの言葉に甘えて、ビッテンフェルト家の別荘へ移りましょう」
(そのうちマスコミも、このホテルに押し掛けるだろう。いつまでも此処にいられない・・・)
 そう思っていたアルフォンスも、モーデル夫人に別荘へ行く事を勧めた。
「でも、ビッテンフェルト家の方々にまでご迷惑をかけては・・・」
 尻込みしているモーデル夫人に、ルイーゼは<遠慮は無用!>という表情で首を振る。
「さぁ、行きましょう!我が家の家訓は<思いついたら即実行!>なの。今後のことは、自然に囲まれた別荘でゆっくり考えましょう」
 ルイーゼはすぐさま行動に移していた。



 アルフォンスはハルツの別荘に滞在することにしたルイーゼとモーデル夫人を送り届け、その後一旦フェザーンに戻る事にした。見送りをするルイーゼと二人きりになったとき、アルフォンスは再び彼女に交際を申し込んだ。
「こうしてモーデル夫人の存在も世間に明らかになってしまい、君が彼女を庇う必要もなくなった。皇妃候補の看板を外してフリーになった君に、改めて申し込みたい。ルイーゼ、私と付き合って欲しい・・・」
「・・・ごめんなさい、アルフォンス。私の返事は以前と変わりません」
「・・・ルイーゼ、君が私の申し出を断る理由を教えて欲しい。このままだと、私は納得出来ないんだ」
「・・・私は、妹のフィーネが大人になって家庭を持って幸せになるのを見届けたいのよ。だから、自分の結婚なんて二の次で、いつになるかなんて判らない。お願いアルフォンス、どうか、私の事は諦めて・・・」
「それが理由なのかい?君が妹のフィーネの母親代わりを務める為、私の申し出を断ったのだったら、私は待つ!君がフィーネの幸せを見届けて満足するまで・・・」
「あの~アルフォンス、今までのことありがとう。でも、もう全て水に流して忘れましょう。そして、普通の友達同士・・・以前の状態に戻りましょう!」
「ルイーゼ!・・・」
 ショックのアルフォンスが青ざめる。
「君にとって私の想いとは、簡単に水に流せるほど軽い出来事なのかい?」
 顔色を変えたアルフォンスを見て、ルイーゼは自分の言葉が彼を傷つけてしまった事を感じたが、今はただ謝るしかなかった。
「ごめんなさい。アルフォンス・・・」
 ルイーゼは泣きそうになる自分を必死に堪えながら、ひたすら謝っていた。



 モーデル夫人が別荘での暮らしに慣れて落ち着いた頃、ルイーゼはフェザーンに戻ってきた。
 そんなある日、軍務省のミュラーの執務室に、ビッテンフェルトが血相を変えてやってきた。
「ミュラー、アルフォンスをここに呼んできてくれ!」
 努めて冷静にしているが、かなり怒っている気配が感じられる。
(とうとう来たか!でも、何で舞台が私の執務室なんだ~)
 ミュラーは心の中で叫んでいた。
「お呼びでしょうか?」
 アルフォンスがミュラーの執務室の中に入ると同時に、ビッテンフェルトが彼の目の前に立ちふさがった。
「おい、アルフォンス!お前、ルイーゼに何を言ったんだ・・・。俺の娘を泣かせるようなことをよくも・・・」
 ビッテンフェルトの言葉が言い終わらないうちに、アルフォンスが驚いて聞き返す。
「ルイーゼ、泣いているんですか?」
 その迫力に、さすがのビッテンフェルトも少したじろいだ。
「あ、いや・・・。ここ数日、夜中にこっそり隠れて泣いているルイーゼを見て、フィーネが心配してしまって・・・。フィーネが、お前が絡んでいるような事を言ったものだからつい・・・」
 心配そうなアルフォンスに、ビッテンフェルトの勢いが弱まった。
「私が原因なのでしょうか・・・」
「ルイーゼは否定したそうだが、フィーネはピンときたらしくてな。・・・ルイーゼと喧嘩でもしたのか?」
 まるで小さな子供を心配するようなビッテンフェルトに、アルフォンスは苦笑いしながら伝えた。
「・・・実はつい先日、ルイーゼに私の想いを打ち明けたんです。でも、見事に振られまして・・・」
「えっ、えぇ~!!」
 何も知らなかったビッテンフェルトは、鳩が豆鉄砲を食らったような顔になった。
「最初にプロポーズして、日を改め少し時間を置いてから次に交際を申し込んだんですが・・・。二回とも断られてしまいました。はは」
 力無く笑うアルフォンスを見て、ミュラーは少し痛々しさを感じてしまった。
「いつの間に・・・」
 驚き顔のビッテンフェルトが(知っていたか?)とミュラーに目で問いかける。ミュラーは(まぁ・・・)と小さく頷く。当然のように、ビッテンフェルトの怒りがミュラーに向けられようとしたとき、アルフォンスがポツリと呟いた。
「やはり私の想いは、ルイーゼを苦しめるだけだったようですね・・・」
 アルフォンスはうつむき加減で悲しげに告げた。
「ルイーゼに言われた通り、私は彼女の事を諦めて忘れるように努力します。・・・そう伝えてください」
 あっけにとられたビッテンフェルトに一礼すると、アルフォンスは部屋を出ていった。ビッテンフェルトとミュラーは、言葉なく顔を見合わせた。
「おい、ミュラー!なんで振ったルイーゼの方が泣くんだ~」
 理解に苦しむビッテンフェルトがミュラーに問い詰めた。
「実は、ルイーゼもアルフォンスが好きなんですよ・・・」
「なに~!ではなんで、アルフォンスの申し出を断る?俺はまだ反対していないぞ!」
「アルフォンスが最初に結婚の事を持ち込んだため、ルイーゼがちょっと怖じ気づいたようで・・・」
「そうだ!何故あいつ、最初がプロポーズで、次に交際を申し込むんだ?普通は逆だろう・・・」
「ええ、アルフォンスは焦ったんですよ。ビッテンフェルト提督が会議の席で、ルイーゼには決めた相手がいるなんて言った事を知って・・・」
「えっ?・・・ああ~、あれか・・・」
 自分がつい怒りの勢いで話してしまった<でまかせ>が、アルフォンスとルイーゼの関係に思いがけない影響を与えた事を知って、ビッテンフェルトも言葉に詰まった。
 立ち上がっていたビッテンフェルトが、ミュラーと差し向かえで座りひと息つく。
「・・・しかし、何だな。アルフォンスの奴も情けないな~。女に二、三回断られたくらいですぐ諦めるなんて・・・」
 自分のいい加減な言葉がきっかけになったのに・・・・とミュラーはビッテンフェルトに半分呆れながら、アルフォンスを弁護した。
「普通、同じ女性から続けて断られたら、男としてはちょっと堪えますよ」
「えっ、なんで?同じ女から続けて振られるのって普通だろ?」
「はぁ~!」
 当たり前のように言ったビッテンフェルトの言葉に、ミュラーが目を丸くした。
(もしかしてビッテンフェルト提督は、申し込んだ女性に何度も振られるのは普通と思っているわけ~!)
 ビッテンフェルトの今までの恋愛過程というか、女性の口説き方が見えたような気がした。
「たった二回で諦めるような男は、根性が足りない!俺の若かった頃は、何度断られても、納得がいくまでは諦めなかったものだ」
「・・・」
 鼻息荒く告げるビッテンフェルトに、ミュラーは言葉を無くした。
(この人は強いのか、それとも鈍いのか・・・。やっぱりビッテンフェルト提督が結婚できたのは奇跡に近かったんだ~。アマンダさんにルイーゼが出来たのは、神の采配と言っていいだろう・・・)
 今更ながら感じたミュラーであった。
「ただ少し気になるのは、ルイーゼが恋愛することを避けている傾向があるようで・・・」
「避けている?・・・それは、どういう事だ!」
 ビッテンフェルトの顔が真剣になった。
 ミュラーはルイーゼが妻のエリスに伝えた事を話した。だが、アマンダが最期にルイーゼに言い残した心配事は、ビッテンフェルト本人には言わない方がいいと判断した。現在、ビッテンフェルトとヨゼフィーネの関係は順調で、父と娘は仲良く過ごしている。この件を話すことで、かえってビッテンフェルトが自分の心を変に意識してしまうかも知れない・・・とミュラーは考えたのだ。
 ミュラーの話を黙って聞いていたビッテンフェルトは少し考えて、そして深い溜息をついた。
「俺のせいだな・・・。アマンダが亡くなるとき、ルイーゼがずっとそばにいて、俺はいてやれなかった。あいつは最期に言い残したい事や頼みたいことは、娘に伝えるしかなかった。本来ならば夫の俺に言い残したかった筈だ。ルイーゼは小さかった妹のフィーネに対する責任を、俺の分まで必要以上に背負ってしまったんだな・・・」
 ビッテンフェルトは、アマンダが亡くなった頃の健気なルイーゼを思い出していた。
「ルイーゼは『自分の思春期のときは母親のアマンダさんがいてくれたから、フィーネのときは自分がそばに居てやりたい』とエリスに言っていたそうです。女の子は年頃になると複雑になりますから・・・」
 ビッテンフェルトが負担を感じないように、ミュラーなりに気を遣って伝えてみる。
「ルイーゼは俺の思い込んだら夢中になってしまう一本気な性格と、アマンダの完璧主義の両方を受け継いでしまったんだな・・・。手を抜きながら、気楽に生きれば悩まずにすむものを・・・」
「それがルイーゼのいいところですよ!真っ直ぐで一生懸命で、可愛らしい女性になりました」
「ありがとう、ミュラー・・・。しかし、このままではルイーゼの為にならない。何とかしなければ!」
「えぇ、でも、ルイーゼもアルフォンスもお互い想い合っているんですから、きっと上手く行きますよ!アルフォンスには簡単に想いを諦めないように、私からそれとなく話しておきましょう」
 ミュラーの言う「大丈夫!」という言葉が伝わったのかどうか判らないほど、ビッテンフェルトは険しい顔になっていた。



 軍務省を出たビッテンフェルトの足は、自然にアマンダの眠る霊園に向けられていた。
(お前がいてくれたら・・・)
 過ぎ去った懐かしい日々に目を向ける。そして、その延長でついアマンダの生きているあり得ない現在<いま>を想像してみる。
 恋心を抱いたアルフォンスの申し込みを素直に受けとめて、はにかみながらも嬉しそうに母親に報告しているルイーゼの様子が目に浮かんだ。
 こんなふうに非現実的な事を考えるのは、ビッテンフェルトらしくもなかった。だが、そう考えてしまう自分に「仕方ないさ・・・」とビッテンフェルトが呟く。
 アマンダの墓の近くまで来たとき、墓前に佇むルイーゼの姿を見てビッテンフェルトは思わず近くの木の陰に身を隠した。ルイーゼは何やらアマンダと話をしているようだった。

さすがの母上も、最期の頃は辛そうな顔を見せていたよね
あの頃、痛みを抑える薬がもう利かなくなっていた
母上が痛みと戦っているとき、
「フィーネのことは心配しないで!私に任せて・・・」
私がそう言うと、安心したように微笑んでくれた
どんな薬より、その言葉が痛みを和らげている感じだった
小さなフィーネが心残りだったんだよね・・・
大丈夫!
私、その言葉を忘れていないよ・・・

アルフォンスの望みが判っているから
私は断った

あの人が早く家庭を持って、
自分の子供の誕生日を祝う父親になって欲しい
すぐにでも夢を叶えて、幸せになって欲しい
でも私では、彼の希望には応えられない

優しい彼を傷つけてしまった・・・
もう逢ってくれないよね
でも、それでよかったのかも・・・
以前の暮らしに戻るだけなのだから

自分で決めたことなのに
どうして、こんなに涙が出てくるの
アルフォンスの気持ちを、
自分から拒絶した癖に、諦めた筈なのに
どんどん好きになってしまっている・・・

母上、
どうしたらいい?
どうすれば、アルフォンスのこと忘れられる?

 母親の墓前で泣きじゃくる娘を、影から見つめていた父親に慰める言葉が見つからなかった。

アマンダ!
俺はこういうとき、どう言えばいいんだ?
ルイーゼの為に何をすればいいんだ?
教えてくれ!

 ビッテンフェルトは心の中で、ヴァルハラのアマンダに叫んでいた。


<続く>