初恋 1

 ローエングラム王朝を創立したラインハルトが崩御して、早二十年の月日が流れていた。残された世継ぎのアレクも立派な青年となり、この秋無事即位二十周年を迎えた。
 盛大に行われた二十周年の式典では、七元帥を始め王朝創設時からの多くの功労者達が集まった。退役軍人の顔も見えるこの式典では、お互い昔の同僚を懐かしみ、逞しく成長した陛下を見ては時の流れを感じていた。
 そして、誰もが今後の王朝の安泰と繁栄を期待し、平和な時代が続く事を願った。
 アレクを取り囲む若者達の中には、フェリックスを始めとする七元帥の息子達も何人かいる。その顔ぶれに皇太后ヒルダは、世代交代の時期がもう間近であることを実感していた。



 爽やかな秋晴れの日、ミュラー夫人のエリスとビッテンフェルトの娘のルイーゼが、ミュラー宅の庭でお茶の時間を楽しんでいた。エリスが丹精込めて世話をしているこの庭は、たくさんのハーブに囲まれ、風に揺れる度清々しい香りを運んでいる。
「ルイーゼ、また週刊誌に名前が出ていたわよ。<皇妃候補はビッテンフェルト元帥ご令嬢ルイーゼ・ビッテンフェルト!もうすぐ婚約発表か?>ってね」
 エリスにそう言われてからかわれたルイーゼは、苦笑いしながら答える。
「エリス姉さん、もう慣れたわ・・・。それに、いちいち気にしていたらきりがないから、そういう記事は見ないことにしているの」
 父親と同じオレンジ色の髪と薄茶色の瞳を持つルイーゼも、そんな噂がでるお年頃となった。ただ、マスコミに騒がれる事を除けば、ごく普通の大学生として学生生活を楽しんでいる。
 エリスは娘時代ビッテンフェルト家に下宿していた事もあり、ビッテンフェルトやルイーゼ、ヨゼフィーネにとって家族同様の存在である。ビッテンフェルトは『エリスの実家は我が家だ!』と公言しているぐらいだし、ルイーゼ、ヨゼフィーネ姉妹はエリスを何かと頼り実の姉のように慕っている。
「好きな男性<ひと>はいないの?他の男性とお付き合いをすれば、皇妃候補の噂は消えると思うけれど・・・」
 マスコミから逐一行動をチェックされているルイーゼを見かねたエリスが、(ルイーゼに恋人が出来れば、皇妃候補の報道合戦から解放されるかも・・・)と考え提案する。
 七元帥の子供達は男の子が多く、女の子はビッテンフェルト家の二人の娘ルイーゼとヨゼフィーネだけであった。特にアレクとルイーゼは年も近く、幼い頃は王宮で遊んだこともあった。
 しかし、ルイーゼがアレク達とは別の幼稚園に入園した頃から、交流も少なくなり個人的に逢うことはなくなった。なのに年頃になった今、周りから皇妃候補として見られるようになっていたのだ。
「男性とのお付き合い?無理よ~!だって、うちは女子大だし、なかなかいい出会いなんてないんですもの」
 父親譲りの愛嬌のある顔で、ルイーゼが屈託なく笑う。ルイーゼは母親のアマンダをヴァルハラに見送って以来、妹のヨゼフィーネの母親代わりを務め、そして独り者となった父親の面倒まで見るしっかり者になっていた
 二人の娘の成長を見守るビッテンフェルトも、年はとったものの迫力は若い者に負けてはいない。黒色槍騎兵艦隊司令官としてのやんちゃぶりは、未だに健在であった。
 ミュラーとエリスは子供こそ恵まれていなかったが、相変わらず仲の良い夫婦である。
「それにエリス姉さん、現在<いま>は私にマスコミの目が向けられていた方が、陛下は御安心なのですよ。あの方の存在が、世間に知られずに済みますから・・・」
「そうねぇ・・・。陛下に十歳も年上の恋人がいると知れたら、マスコミも周りも大騒ぎでしょうからね・・・」
 エリスが軽く溜息をついた。
「そうなんです。陛下は、それをとても心配しているらしいのです。私には父上やミュラーおじ様がいるお陰で周りが気を使ったり、マスコミも手加減してくれる部分があるでしょう。でも、あのお方には後ろ盾になってくださる方がいらっしゃらない。だから、マスコミに知られたら、遠慮無く攻撃的な事を言われたり、事実でないことを面白おかしく書かれたりするかもしれません」
 適齢期になったアレクの結婚、世継ぎへの期待など、人々の皇室に対する関心は高まる一方だった。様々な噂が飛び交い、アレクを取り巻く人々への興味も強まるばかりであった。そんな状況の中では、七元帥の一人であるビッテンフェルトの娘のルイーゼに、何かと視線が集まるのも仕方ないことなのだろう。
 以前、友人達と海で遊ぶルイーゼの写真を、ある出版社が皇妃候補の一人として週刊誌に載せようとした事があった。水着の上に軽い上着を着て仲間と楽しそうに笑っている写真であったが、ルイーゼの若い娘らしいピチピチした太股がまともに写っていた。その為、父親のビッテンフェルトの怒りが出版社に向けられた。そのときは、副官オイゲンの素早い手回しで普通の服を着た写真と差し代える事になり、ビッテンフェルトが出版社に怒鳴り込むという事態は避けられたものだが、この一件で<ルイーゼ嬢の記事を載せる場合、慎重にしないと悪名高き黒色槍騎兵艦隊が黙っていない!>という噂が、マスコミ関係者に広がってしまった。
 それでなくてもルイーゼの周りには、難しい父親や軍務尚書のミュラーまでついているということで、少しばかり抑えた報道になっている。しかし、なにかとマスコミに付きまとわれるルイーゼにとっては、不自由でストレスの溜まる生活であることには違いない。もし、マスコミにアレクの想い人であるモーデル夫人の存在が知られたら、大変な事になるだろう。


 モーデル夫人とは先帝の姉である亡きグリューネワルト大公妃アンネローゼの女官を、長年に渡って務めていた人物である。夫であるモーデル子爵と共に、オーディンでずっとアンネローゼの世話をしていた。
 モーデル子爵が病気で亡くなって若くして未亡人となったモーデル夫人だが、亡き夫の意志を受け継いで、その後もずっとアンネローゼの世話をしてきたのである。
 アンネローゼは、献身的に世話をするモーデル夫人を強く信頼していた。五年前、このフェザーンへの永住を決めて来たときにも、一緒に連れてくる程だった。どことなくアンネローゼに似ているモーデル夫人を、学生だったアレクはその頃から憧れていた。
 アンネローゼの死を看取ったモーデル夫人は、その後、故郷のオーディンに戻ろうとした。しかし、ヒルダやアレクの強い要望もあり、女官としてそのまま王宮に留まる事となったのである。その後、いつしかアレクの憧れが形を変え、モーデル夫人を一人の女性として愛するようになっていた。
 そして今、アレクの恋を成就させるには、いろいろな問題が立ちふさがっていた。


「陛下の恋人が十歳も年上でしかも未亡人ということは、マスコミの格好の話題になってしまうでしょう・・・」
 エリスの予想に、ルイーゼも頷く。
「えぇ、それでなくてもモーデル夫人は、陛下との事が周囲から強く反対されたら、きっと御自分から身を引いてしまいますよ。そんな方ですから、陛下も気が気ではないのです。今暫く、私があの方の隠れ蓑になっている方がいいと考えています。父上もきっと、私と同じ意見だと思います」
 昔、病弱になったアンネローゼの容態を心配したヒルダが、彼女をフェザーンに迎える説得の為、息子のアレクをオーディンに向わせた事があった。そのとき、皇帝のオーディン行幸を黒色槍騎兵艦隊が随行した関係で、ビッテンフェルトとモーデル夫人は面識があった。
 又、エリスやルイーゼも王宮での催しの際、女官として来客をもてなすモーデル夫人と何度か話を交わしている。慎ましく控えめなモーデル夫人に、エリスもルイーゼも良い印象を持っていた。
 彼女の人柄の良さに触れた人々の中で、アレクと夫人との関係を知る一握りの人間は、好意の目で二人の仲を見守っていた。
「でもいつまでもこんな感じだと、ルイーゼも大変ね。早く陛下の結婚問題が解決するといいのだけれど・・・」
「確かに、陛下とモーデル夫人は年齢差があります。だけど、それが結婚を反対する理由になるなんて・・・。モーデル夫人は、陛下を理解し支えになってあげられる女性だと思うし、何より陛下御自身が皇妃にと望んでおられるのに・・・」
「陛下のお立場というのは、いろいろな制約があって恋愛も結婚も大変なのでしょう」
「何だかお二人が気の毒・・・。私にはとても理解できない世界だわ~」
 エリスの言葉にルイーゼが苦笑いする。
 ビッテンフェルト家は国家の重鎮という地位にありながら、その暮らし振りは普通の軍人家庭と全く変わらなかった。ビッテンフェルトの亡くなった妻のアマンダは、努めて平凡な家庭生活にして娘達を育てた。従ってルイーゼの感覚はどちらかと言えば庶民に近いものがあった。
 そのアマンダの意向はそのまま娘達に受け継がれ、年頃のルイーゼだが社交界のデビューもしていなかったし、下の娘のヨゼフィーネも姉と同じように近所の子と一緒に公立の学校に通っている。
 皇妃候補と騒がれる自分を、ルイーゼはまるで人ごとのように感じていた。出来ればこの状態から逃れたいと感じる時もあるが、アレクの<恋人のモーデル夫人を、マスコミの攻撃や様々な中傷から守りたい>という気持ちも判るから、あえてこの不自由な状況に身を置いている。



「ミュラー元帥からお借りする資料を、受け取りに伺いました」
 ミュラーの部下のアルフォンスが、庭にいたエリス達の目の前に現れた。
 画家でもあるエリスは、暇さえあれば庭でスケッチをしている事が多い。それを知る親しい人々は、まず庭を覗いてエリスの存在を確かめてから、玄関に向かうくらいであった。その為、アルフォンスも真っ直ぐ庭に来たのだろう。
 ワーレン元帥の息子であるアルフォンスは、階級は大佐で、今は軍務省に所属している。少年時代のアレクの遊び相手を務めたこともあって、アレクから兄のように信頼されていた。父親と同じ軍人の道に進み、将来はフェリックスと共に陛下を支える重臣となるだろうと周囲は見ていた。
 士官学校でも殆どトップを維持し、優秀な成績で卒業した。軍の上層部は、陛下の側近候補のアルフォンスには見識を広げ、いろいろな経験を積ませた方がよいと考え、軍の中であちこちと配属を変えてきた。
 昨年までは艦隊勤務で宇宙を行き来していたアルフォンスだが、アレクの要請もあって今年から地上勤務となった。そして、現在はミュラーの元に配属されているのである。
「アルフォンス、ご苦労様。ナイトハルトから渡して欲しいと頼まれた資料は、書斎に置いてあるの。今すぐ持ってきますね。ついでに、チョットひと休みしましょう!お茶を飲む時間ぐらい、ナイトハルトは大目に見てくれますよ」
 顔見知りのミュラー夫人のエリスの誘いに「では、少しだけ・・・」と言ってアルフォンスはお茶に呼ばれた。
 エリスが席を外している間に、ルイーゼが新たな客にお茶を差し出す。
「ごきげんよう!アルフォンス」
「やあ!」
 ルイーゼとアルフォンスは、父親が親友同士という関係でお互い顔は知っていた。しかし、アルフォンスは士官学校や軍務でずっと離れていたこともあって、ルイーゼと親しく言葉を交わすということはなかった。だが、先日ワーレン宅で酔いつぶれたビッテンフェルトを、アルフォンスが送り届けるという機会があり、その際ルイーゼと少しばかり話し込んだのである。そのとき、アルフォンスから名前で呼び合おうと提案され、お互い名前で呼び合うような関係になった。
「この間は、父がすっかりご迷惑をかけてしまって、すみませんでした。いつも『飲み過ぎないように!』って注意しているのに・・・」
「いえいえ、うちの父も随分ご機嫌でしたよ。ビッテンフェルト提督と飲んで楽しかったようです。たまには学生時代に戻って、羽目を外すのもいいのでしょう」
「でも、正体をなくしてアルフォンスに背負われて帰って来るなんて・・・。いくら何でも飲み過ぎですよ!」
「あら、若い頃はナイトハルトが背負う役目でしたよ。でも楽しいお酒ならば、少しぐらい見逃してあげれば?ビッテンフェルト提督も、自宅ではルイーゼが怖くてゆっくり飲めないのでは!」
 資料を持って戻ってきたエリスが、笑いながら話しかける。
「えっ、あのビッテンフェルト提督が怖がる?」
 アルフォンスが意外そうにルイーゼを見つめた。
「あら、いいえ・・・私、そんなに怖くありませんよ。もう、エリス姉さん!」
 顔を少し赤くしながら、ルイーゼは弁解する。
「最近の父は、お酒を飲み過ぎると泣き上戸になって、部下の方にはとても見せられない状態になるんです。娘として、黒色槍騎兵艦隊の司令官の威厳を損ねないかと心配なんです」
「はは、大丈夫ですよ。黒色槍騎兵艦隊での、ビッテンフェルト提督への尊敬が薄れることはないでしょう。兵士達の間では、カリスマ的な存在となっていますから・・・」
「家庭では、ごく普通の父親ですけどね・・・」
「うちもですよ。世間では、七元帥の一人として尊敬されているらしいけれど、家庭ではだだのくたびれた親父ですよ。水虫が出来た足の裏に薬を塗っている姿とか、風呂上がりに素っ裸で歩き回る姿など、軍服を脱いだ日常はとても人様に見せられません」
 いつも威風堂々としてなに事にも動じないという評判のワーレン元帥からかけ離れた内訳話に、エリスもルイーゼもクスクスと笑っている。
「でもミュラー軍務尚書は、家庭でも格好良さそうですよね?」
 アルフォンスはミュラー夫人のエリスに問いかけた。
「ええ、うちのナイトハルトは職場でも家庭でも輝いています!」
 エリスのお惚気に、アルフォンスとルイーゼは顔を見合わせた後、声を揃えて笑った。
「いいな~。女性の笑い声というのは・・・。うちは祖母が亡くなって以来、祖父、親父、私の三人の男所帯だからなんだか家庭が殺伐としているんです。華やかで楽しそうなビッテンフェルト家が羨ましいなぁ~」
「我が家は華やかというよりうるさいのかも・・・。一人で何人分も騒ぐ人がいるから・・・」
 ルイーゼが笑った。
「そうね~。ビッテンフェルト提督は賑やかなイベントが好きよね。私も結婚する直前まで、誕生日を祝ってもらっていました」
「私の小さい頃は、お友達を呼んで賑やかな誕生会を開いてもらったわ。父上ったら、毎年工夫を凝らして凄い格好をするの!動物の着ぐるみを着たり、ピエロになったりと・・・」
 エリスの話をきっかけに、ルイーゼも昔の自分の誕生会を思い出してアルフォンスに教える。
「何だか楽しそうだな~。私もビッテンフェルト提督みたく、自分の子供が生まれたらその子の誕生会をするのが夢なんです。私が小さかった頃は、父は忙しかったし母も私を生んですぐ亡くなりましたから・・・。でも自分の夢を、子供に押しつけるのは良くないかな?」
 アルフォンスがルイーゼの楽しそうな様子を見て、つい自分の誕生日の想いを口にしていた。
「そんなことはないですよ~。うちなんかどんなイベントも、父が一番張り切って騒いでいるという感じなの。もう、子供達のためというより父自身の楽しみの為にしていると言ってもいいくらい。でも、それが子供である私達の素敵な思い出に繋がっているし・・・」
「そうなんだ」
「アルフォンスも父のように、ご自分の子供の誕生日を盛大に祝ってあげて下さいね。子供の素敵な思い出に繋がりますから」
 ルイーゼが微笑んだ。
「アルフォンスは、どなたか決まった方がいるの?」
 自分の子供に夢を馳せるアルフォンスを見て、エリスが尋ねた。
「いえ!恥ずかしながらそういう女性<ひと>はいないんです。自分の子供の話をする前に、恋人を見つける方が先ですね・・・ははは」
 アルフォンスは照れくさそうな顔で頭を掻いた。
「アルフォンスは今まで艦隊勤務でずっと宇宙にいたので、女性と知り合う時間と機会がなかっただけですよ!地上勤務になったこれからは、いろいろな女性と知り合うチャンスが増えますから・・・」
 エリスがアルフォンスを励ました。
「私の亡くなった母も軍務省に務めていた頃、父と知り合ったの♪今は当時より女性の軍人は多いし、きっと素敵な出会いがありますよ」
 ルイーゼもニッコリ笑って伝える。
「そうなんですか?これは、今後に期待がもてそうだな~」
 アルフォンスも爽やかに微笑んだ。
(もしかして、この二人・・・・。アルフォンスとルイーゼは年齢の釣り合いもいいし、それに何となく気も合いそう・・・)
 エリスは目の前で笑う若い二人を見て、それとなく感じるものがあった。


<続く>