初恋 3

 先日のヨゼフィーネの誕生会の後、ミュラーは妻のエリスからあることを告げられた。
「ルイーゼとアルフォンスが、何だかいいムードなの。あの二人、これから良いお付き合いが始まるといいですね・・・」
 エリスからルイーゼの様子を聞いたミュラーは「なるほど・・・」と思わず頷いてしまった。
 確かにアルフォンスは、ビッテンフェルト同様長身で体格もよかった。軍服が似合う体育系タイプで、父親っ子のルイーゼの好みに合いそうな感じがする。
「う~ん、これはいい組み合わせかもしれない。お互い父親同士が親友だし・・・」
 実のところミュラーは、年頃なのに華やいだ話を聞いたことがないルイーゼを少し心配していたのだ。妻のエリスは、この年頃にはもう自分と恋愛状態だったし、ルイーゼにもせめて恋人とまでいかなくても友達感覚に近い男性とのデードの話ぐらいはあっても良さそうなものなのに・・・とミュラーは思っていた。しかし、彼女の場合、皇妃候補の筆頭というあの噂とマスコミの目、そして気むずかしい父親ビッテンフェルトのお陰で、近づく男はおいそれといないのか実情であった。
 小さい頃「ミュラーおにいちゃまのお嫁さんになる~」と言って懐いていた可愛いルイーゼの成長を、ミュラーは娘のように見守ってきた。そして、大人になった今は、エリスの妹のような感覚で付き合っている。エリスの予想するルイーゼの恋の始まりにミュラーは喜びを感じながらも、不機嫌になったビッテンフェルトを想像して少し不安にもなっていた。



 ミュラーの部下でもあるアルフォンスは、いずれはアレク陛下の片腕になる人物と見なされ、周りから将来を有望視されている。ワーレン元帥の息子でもありエリートとして育ったにも関わらず、気さくで親しみやすい性格で上司のミュラーも太鼓判を押す好青年であった。
(アルフォンスはルイーゼの事を、どう思っているんだろう?)
 ミュラーは彼の気持ちを少し探ってみることにした。
「ドレウェンツ!ミーネさんからエリス経由で伝言だ。今まで配っていた見合い写真は三年以上前のものだから、そろそろ最新の物が欲しいそうなんだ。だが本当のところは、ミーネさんが君に会いたいんだろう!たまには時間を作って、彼女の世間話に付き合ってくれないか!」
「ドレウェンツ副官はお見合いするんですか?」
 ドレウェンツの隣にいたアルフォンスが驚いて訊いた。
「まさか!写真を配るのは、ミーネさんの趣味だよ。いい加減諦めてくれればいいのに・・・」
 ドレウェンツが、うんざりという表情で首を振る。
「副官殿は独身主義ですか?」
「いや、だがこの年まで独身を通すと理想が高くなってしまってね。妻になる女性に望むものがだんだん大きくなってくるんだ。この歳まで待ったのだから、変に妥協したくないというかなんというか・・・」
「そんなものですか・・・」
 ドレウェンツとアルフォンスの結婚という話題に、ミュラーがごく自然な形でアルフォンスに問いかけた。
「アルフォンスの理想の女性はどんなタイプだい?」
「あまり考えた事はないですね・・・。ただ、私の結婚相手には長生きして欲しいです。・・・望みはそれだけです」
「長生き?それは、健康ということかな?」
「健康であればそれに越したことはないですが、病弱でも構わないんです。ただ二人一緒に歳を取っていきたいので・・・」
「確かに・・・。平凡なようだけど、それが一番の贅沢な事かもしれない!」
 ミュラーは、妻に先立たれたビッテンフェルトやワーレンを思い浮かべた。
「そうだよな~。一人で歳をとるのは寂しいよな~」
 独身のドレウェンツが溜息をつく。
「ドレウェンツ、そろそろ考えどきじゃないか?新しい写真を持ってミーネさんのところに行くといいよ!」
「う~ん、そう言えば暫くミーネさんとも会っていないし、何だかアップルパイが食べたくなりました。近いうちに顔をだします」
 上官の言葉に、ドレウェンツも笑いながら了承した。
「アルフォンスも機会があったら、ミーネさんのアップルパイをご馳走になるといいよ。本当に美味しいから・・・」
 ミュラーがアルフォンスにもそれとなく声をかけた。その言葉に、彼は「是非、行きたいです!」と即答で答えた。
 その素早い返答に、ミュラーとドレウェンツは驚いてアルフォンスを見つめてしまった。目の前の二人の視線を感じて、アルフォンスが思わず赤面する。
「なんだか食べ物に釣られたみたいで・・・。今、お二方、小官の事をかなりの食いしん坊と思われましたよね?恥ずかしいなぁ・・・」
 照れ笑いをするアルフォンスを様子を伺いながら(アップルパイかルイーゼか、お目当てはどっちだろう?もしかして、これは・・・)とエリスの予想があたっているような気がしてきた。
 そして、目の前で顔を赤くしている部下とビッテンフェルトとの悲惨な喜劇の始まりを予感したミュラーは、自分がその騒動に巻き込まれないように警戒するのであった。



 数日後、アルフォンスはドレウェンツと共にミーネのお茶に呼ばれて、ビッテンフェルト家を訪れていた。勿論今日は、着ぐるみではなく軍服姿である。
 客のドレウェンツとアルフォンスをもてなすミーネが、困ったような顔で相談してきた。
「この間、ルイーゼお嬢さまと買い物に行ったら、変な人にずっと付きまとわれて気味が悪かったんですよ!マスコミの関係者だと思いますけど、図々しいのが目に付いて・・・。お嬢さまが、いつもあんな目に遭っているかと思うとお可哀想です。何とかなりませんか?」
 父親のビッテンフェルトにこんな事を言えば、相手を探しだし怒鳴り込んでしまうのが目に見えて判るため、迂闊にこんな苦情は言えない。それでミーネは、長年の茶飲み友達のドレウェンツについこぼしてしまったのである。
「う~ん、ルイーゼにボディガードを付けて、警備を強化させましょうか?」
 ドレウェンツの言葉に、一緒にお茶を飲んでいたルイーゼが慌てる。
「とんでもない!そんな大げさにしたら、変に誤解されてしまいます。今のままで大丈夫ですよ。ミーネさんも心配しないで!それに、どうしてもしつこくて我慢できなくなったら、奥の手を使いますから・・・」
「奥の手?」
 アルフォンスが聞き返した。
「ええ、『私は黒色槍騎兵艦隊の司令官の娘ですよ。出るところに出ましょうか!』って付きまとう人に凄むの」
 ルイーゼがちょっと恥ずかしそうに話す。
「い、意外な行動をするんだね・・・」
 その大胆さにアルフォンスが驚く。
「ええ、やるときはやりますよ!・・・親の地位を利用するのは、あまり好ましくないのだけれど・・・」
 苦笑いをしたルイーゼにアルフォンスが答える。
「ルイーゼが皇妃候補に見られてしまうのも、父親が七元帥の一人だからだよ。事実でない噂に振り回されているのだから、自分を守るため親の地位を盾にするくらいは必要だよ!」
「ありがとう、アルフォンス。でもそれで、世間の人が黒色槍騎兵艦隊をどう思っているか、よ~く判ってしまったわ~」
 世間では誇張されたいろいろな噂で、何かと恐れられている黒色槍騎兵艦隊なのである。テーブルを囲んだみんなが、思わず苦笑いしてしまった。
 ミーネがお茶のお代わりを入れる為席を外した際、ルイーゼがドレウェンツに話しかけた。
「あの~、お二人が無事結婚に至るまでの道は、まだ険しいのですか?」
「う~ん、君にもいろいろ負担をかけてしまって、我々も申し訳ないと思っているのだが・・・」
 軍務尚書のミュラーの副官という立場のドレウェンツも、極秘情報の二人の関係は知っている。
「本人同士の気持ちが一番大事なのは判るのですが、二人の場合はいろいろ問題があって・・・。すんなり結婚!というのは難しいのです」
 もちもん名前こそは出していないが、アレク陛下とモーデル夫人の事である。
「結婚を反対されているのなら、既成事実を作って<出来ちゃった結婚>にしちゃったら~。でも、誰と誰の話?」
 いきなりテーブルの上のクッキーに手を伸ばし、ヨゼフィーネが話に割り込んできた。
「まぁ、フィーネ、いつの間に!それに、勝手に人の話に割り込んで来ないの。今は大人同士のお話中よ!」
「は~い、邪魔者は消えますよ~!全く、姉さんは、いつまでも私を子供扱いするんだから・・・」
 ちょっぴりむくれながらも再びクッキーを確保して、ヨゼフィーネが二階の自室に去っていく。
「ごめんなさいね。話の途中に邪魔が入って・・・。フィーネはすっかりおませになっちゃって、最近は生意気な事ばかり言っているの」
 ルイーゼが苦笑いをする。
「そういう年頃なんだよ!ついこの間まで、君の後ろに隠れてばかりだったのにもう一人前だね。亡くなった奥方にますます似てきた」
 幼い頃のヨゼフィーネは、たまに顔を見せるドレウェンツになかなか慣れてくれなかった。どの客に対してもそうだが、姉のルイーゼの方は初対面でも興味津々で近づいていくタイプだったが、妹のヨゼフィーネはいつまで経っても後ずさりしてしまうそんな子だった。
「見かけだけですよ!まだまだ、甘えん坊で・・・。ところで、フィーネには内緒ですけれど、うちの両親は<出来ちゃった結婚>ですよ」
 アルフォンスが「えっ?」という顔になったのを見て、ルイーゼが「クスッ」と笑った。
「つまり私が生まれてから、うちの父と母は結婚したんです」
「へぇ~!あのビッテンフェルト提督が?初耳でした~。副官殿は知っておられましたか?」
「ああ、当時は有名だったからね。ビッテンフェルト元帥が結婚した事に、みんな驚いていた」
「うちの両親の場合は、特に反対されていたわけでもないのでしょうけれど、そういう順番になっちゃって・・・。でもフィーネじゃないけど、赤ちゃんを結婚のきっかけにするというのは、陛下のお立場上無理なのでしょうか?」
「う~ん、作戦としては有効かも知れませんね。後継者絡みは大きなハードルですから・・・。でも、それはモーデル夫人が了承しないでしょう」
 アレクと親しくモーデル夫人とも顔見知りのアルフォンスが予想した。彼は今、夫人が微妙な立場にいるということも知っている。
 世間では、まだ陛下とモーデル夫人の関係はたくさんある噂の中の一つと思われているのだが、心ない人々はもうこの段階で彼女を中傷し始めている。
 夫人の以前の結婚生活で子供が出来なかった為、夫人には子供を産む能力がないとか、未亡人という立場をわきまえていないなど、出る杭は打たれるという社交界の別の一面が伺える。もし、モーデル夫妻の結婚生活が続いていれば子供に恵まれたかも知れないし、或いは夫側に原因があったという場合だってあり得る。夫人が未亡人になったのも好きでなった訳ではない。全くばかげた話であるが、社交界の噂というのは、人の心を傷つける怖い部分を持ちあわせていた。
 もし陛下とモーデル夫人が最終手段として、子供が出来た事を理由に皇太后や重臣達を説得させた場合、皇妃の座を狙っている年頃の女の子を持つ貴族達のモーデル夫人への非難が凄いものになるだろう。
 アレクと夫人の年齢差が、逆であれば非難の種類も多少は違うものになるのだろうが、十歳も年上で未亡人というのは女性には不利な条件であった。「陛下を騙して、妊娠を武器に皇妃の座を得た」と言われるのがオチである。モーデル夫人が今のままの状態を望んで、アレクとの進展にあまり積極的でないもの無理もないことなのである。
「そうですね。あの方の性格を考えると、出来るだけ目立たないように・・・と思うでしょうし。それに注目される陛下の立場でそんな事になったら、周りが大騒ぎでしょうね。特にうちの父なんかは変なところで気むずかしいところがあるから、自分のことは棚に上げて『若者の手本となるべき陛下が・・・』と言ってお説教するかも・・・」
 ルイーゼが苦笑いする。
「うちの父もそうですが元帥方は皆、なにかにつけて先帝のラインハルト陛下とアレク陛下を比べて見ている部分があるのです。元帥方には悪気はないのでしょうが、陛下もいろいろ大変なんですよ。特に先帝は、女性関係では周りが呆れるほど真面目だったという話ですし・・・」
 偉大過ぎる両親を持ったアレクの苦しい立場を、アルフォンスが思いやる。
 そんな会話を聞きながら、ドレウェンツは思った。
(二人とも、先帝のラインハルト陛下と皇太后が、アレク陛下を懐妊した後の結婚だった事を知らない世代なんだ。・・・私も年をとったわけだ)
 しみじみと月日の流れを感じながら、ドレウェンツがお茶を飲み干した。
「うちの父が一番小うるさいでしょう?遠慮しないで何でも言ってしまうから・・・」
「はは」
 ビッテンフェルトの実の娘を目の前にしてその事を肯定するわけにいかず、笑って誤魔化すアルフォンスであった。
「アルフォンスもまだまだ若いですね。そのうち、ビッテンフェルト提督の良さが判りますよ!煩わしいと思う提督のお小言も、それなりの意味があるのですから・・・」
 お茶のお代わりを持ってきたミーネがにっこりと笑って、アルフォンスに自信たっぷりに話しかけた。
 ミーネの持ってきた新たなお茶を飲みながら、ドレウェンツは(ビッテンフェルト元帥の良さか・・・う~ん?)と、周りに悟られないように秘かに考え込むのであった。


<続く>