初恋 4

 今日は、月に一度の各閣僚を交えての全体会議が行われる日である。
 長年議長を務めるワーレンが会場に姿を見せ、重々しく席に着く。彼の銅線のような赤い色の髪にも白い物が目立ち、その動作も若い頃に比べ悠然としてきた。それもその筈で、彼の小さな息子は今や大佐の階級章を付けた軍人となり、月日を経過を証明している。
 質実剛健な烈将と言われたワーレンも、すっかり貫禄がついて何事にも動じないその冷静沈着振りは有名であった。若い部下などからは「ワーレン元帥が慌てる様は想像できない!」とか「走る姿を見たことがない!」などと噂されている。
 先帝ラインハルトの時代、ハイネセンで勃発した軍務省と黒色槍騎兵艦隊との味方同士の争いを、自身の鋭い眼光で抑えた迫力は未だに衰えてはいない。だが二十年後のこの平和な時代では、ワーレンの眼力も、使う機会が少なくなっていた。


 その会議の席上で、ある議題に意見したビッテンフェルトに「ほう、さすが未来の皇妃の父上ともなると、言うことが違いますね!」と冷やかしの声が聞こえた。七元帥の一人であるビッテンフェルトに、大きな口を利くことが出来る人間はそうそういない。誰もが驚き、その声がした方を振り向いた。ビッテンフェルトも、その人物を確かめてムッとした。
 嫌みを言った相手はマリーンドルフ男爵で、皇太后ヒルダの実家マリーンドルフ家の親戚筋にあたる貴族の閣僚である。ビッテンフェルトとはあまり肌が合わず、これまでも些細なことで何かといがみ合っていた人物でもあった。
(売られた喧嘩は買うぞ~!)とばかりにビッテンフェルトが意気込んで答える。
「ほう~、うちの娘の結婚相手は、もう決まっているのだがね。一体、卿は何を根拠にそんなことを言っているのかな!」
 したり顔のビッテンフェルトに、マリーンドルフ男爵も立ち上がって何か言おうとしたとき、すかさず議長のワーレンが一言告げた。
「それまでだ!」
 一触即発状態で睨み合っている二人に、ワーレンが鋭い視線を浴びせる。両者ともその迫力に押されて大人しく席に着いた。
「・・・さて、アレク陛下の結婚相手は、陛下のお心次第の事でまだ誰も知らないことだ。何も決まっていない事に対して臣下の我々があれこれ言うのは、陛下に対して無礼であろう。両者とも口を慎むように!」
 議長のワーレンに注意されたビッテンフェルトは「俺は言われた事に対して言い返しただけなのに・・・」と不満顔でブツブツ呟いていた。


 会議後、ミュラーがビッテンフェルトに近寄ってきた。
「そう、熱くならない方がいいですよ!あの方はいつも帝国の軍備縮小を提唱していて、軍人に厳しいのはご存じでしょう?」
「全く、いつもながら気にくわん奴だ・・・」
 ぼやくビッテンフェルトを、ミュラーは温和な笑顔で宥めながら質問した。
「それにしてもビッテンフェルト提督、いつルイーゼの婚約が決まったんですか?私達はなにも知りませんでしたよ」
 ミュラーに訊かれて、ビッテンフェルトはあっさりと答える。
「あぁ、あれか?さっきのはつい咄嗟に口から出たんだ。お前達が知らないのも当たり前~」
「やっぱり!あれはでまかせだったんですね?仮にも元帥が会議の席でそんな事を言うとは・・・。それに、このことがルイーゼに知られたら怒られますよ~」
 ミュラーが呆れた。
「会議の内容を話すのは職務違反になる。だから、お前がルイーゼにばらさなきゃ大丈夫だ!」
「まぁ、そりゃそうですけれど・・・」
「俺もいい加減、『ルイーゼが皇妃候補!』と言われる事にうんざりしていたんだ。この会議で訂正すれば、必要な人間には伝わるしマスコミ関係者には判らない。この辺がいい潮時だろう」
 確かにルイーゼが皇妃候補になってしまって、周りのビッテンフェルトを見る目が少し変わってきた。こういった特別視される事を嫌うビッテンフェルトだが、ルイーゼの皇妃候補報道に関しては否定せず黙認してきたのだ。そのせいで噂がかえって真相めいてしまった。
 ビッテンフェルトにしてみれば、陛下の恋人のモーデル夫人の存在が世間にばれ、彼女が矢面に立ってマスコミなどに攻撃されるのは気の毒だと思う気持ちがあった。しかし、陛下の気持ちやモーデル夫人の存在を知らない者から見れば、ビッテンフェルトの娘のルイーゼが、将来の皇妃と予測してしまうらしい。
(さっきの会議での発言は、偶然なのかそれとも計算した上なのか・・・)
 ミュラーは相変わらず不思議なビッテンフェルトの言動に感心すると同時に、ある事に気が付いた。先ほどのルイーゼの婚約という言葉について、ワーレンに訂正すべきかどうか悩んでしまった。ミュラーにしてみれば、ワーレンもビッテンフェルトが怒った勢いで言った<でまかせ>だろうと気が付いていると思われるところもあるし、わざわざ否定するのも不自然に感じた。
 アルフォンスとルイーゼのことは、自分たち夫婦だけの話で本人達はまだ特に意識していないことである。彼らが自然に親しくなっていくのを見守りたいと思っていたミュラーは、二人のことはまだ触れない方がいいだろうと考えた。そこで今回のビッテンフェルトの<でまかせ>の件は、そのままにしておいたのだ。
 まさか、ワーレンがビッテンフェルトの言葉を本気にして、アルフォンスにその事を伝えるとは・・・。後日ミュラーは、やはりあのとき、きちんとワーレンに訂正すべきであったと後悔するのであった。



「今日の夕食は、珍しく三人揃ったな♪」
 ワーレン家の食卓で、ワーレンの父親でアルフォンスの祖父でもあるテオドールが嬉しそうに呟いた。
「ゴメンよ、お祖父ちゃん。いつも一人きりの夕食で・・・」
 祖母に先立れて以来何かと寂しそうな祖父に、アルフォンスが済まなそうに謝る。孫の優しい言葉に、テオドールも笑顔を見せる。
「お前達が忙しいのは判っているさ。今までの宇宙に行ったり来たりの艦隊勤務の頃を考えれば、こうしてアルフォンスがこの家にいるだけでどれほど嬉しいか。私はそれなりに楽しくやっているから、アルフォンスも心配しないように!今日だって、ビッテンフェルト家のお嬢さんと一緒にお茶を飲んで楽しんだし・・・」
「ルイーゼ、うちに来たの?」
「美味しいアップルパイを持ってきてくれたんだ。通いの家政婦さんにもお裾分けしてあげたら大喜びしていた。今度会ったとき、この年よりが喜んでいたと伝えておいてくれ!」
「判った!ルイーゼに会ったら伝えるよ」
「ビッテンフェルトの娘が、親父に逢いにきたのか?」
 ワーレンが不思議そうに尋ねる。
「この間、ビッテンフェルト家でアップルパイを食べたとき『祖父にも食べさせたいな~』って、ついルイーゼに言ってしまったんだ。だから、わざわざ家に持ってきてくれたんだと思うよ」
「とても明るい娘さんだね。ああいう女の子がアルフォンスの嫁さんになれば、この家も賑やかになるなぁ・・・」
「孫の結婚相手まで口出しするんですか?」
 ワーレンが呆れたようにぼやいた。
「お前には、いくら再婚話を持ちかけても無駄だった。せめて孫の結婚相手を夢見るくらいはいいだろう。・・・無理強いはしないよ」
 妻が亡くなって独身となった息子のワーレンに、両親のワーレン夫妻は数えられないほどの再婚話を持ちかけてきた。その度、ワーレンは頑固に断り続け、ワーレン夫妻はいつしか可愛い孫のアルフォンスに新しい母親を望む気持ちを諦めたものである。
「いずれにしてもルイーゼ嬢は婚約が決まったそうですから、アルフォンスは出遅れましたよ」
「えっ!ルイーゼが婚約!!」
「知らなかったのか?今日、会議でビッテンフェルトがそう話していたぞ。あの父親の事だから、なかなか娘を手放さないと思ったが意外と早かったな!」
(まさか!)
 アルフォンスにとっては、意外な事で驚いてしまった。
「最近、ビッテンフェルト家のルイーゼとは何かと会う機会が多かったのですが、そんな話は聞いていませんでした・・・」
「ふ~ん、ではまたビッテンフェルトが勝手に暴走しているのかな?でも、娘を皇妃候補から外してもらって、さっぱりしたいという奴の気持ちも判るからなぁ~」
(父親の一存・・・そうかも知れない!あの提督の事だから、娘のルイーゼに知らせないまま話を進めているのかも?)
 そう考えたアルフォンスは、夕食を食べている最中も落ち着かなかった。早々と自室に籠もり、いろいろ悩んでしまった。

最近、ルイーゼとよく会う
明るくていい娘<こ>だと思う
ルイーゼが婚約するなんて・・・
相手は誰だろう?

確かに私はルイーゼが気に入って
これから二人の仲がいい感じになってくれたら・・・と期待していた
時間は充分あると思っていたのに・・・
今はまだ自分の気持ちも確かでないのに、
ルイーゼに告白するのは時期早々の気がする
でも、ぐずぐずしていたら
父親が勧める相手との縁談が決まってしまうかもしれない
多分、ルイーゼはあの父親には逆らわないだろう・・・
今ならまだ、間に合う筈だ
ルイーゼが父親の選んだ相手を好きになってしまう前に
私の気持ちを伝えれば
事態が変わってくるかもしれない・・・

 その夜、アルフォンスは自分にとってのルイーゼの存在について、あれこれ考えていた。そして、明け方まで悶々と考えた末、アルフォンスはルイーゼに自分の気持ちを打ち明ける決心をするのであった。



 次の日、ルイーゼの通う大学の前で待ち伏せするアルフォンスの姿があった。
 ミーネからの情報どおり、決まった時間に帰宅するルイーゼを見つけたアルフォンスが声をかける。
「ルイーゼ、ちょっと話がしたいんだけれど・・・いいかい」
 アルフォンスの運転する車に乗ったルイーゼが訊ねた。
「どうしたの!アルフォンス?」
 なにやら緊張している様子のアルフォンスに、ルイーゼが少し怪訝顔になる。
「もしかして、父上かミュラーおじさまになにかあったの?」
 軍服姿で自分を待ち伏せていたアルフォンスに、父親達の身になにか異変があったのかと見当違いの心配をするルイーゼであった。
「あ、いや、違うんだ・・・。あの~、おじいちゃんにアップルパイを持ってきてくれてありがとう。とても、喜んでいたよ」
「あら、本当!おじいさまに喜んでもらえて良かったわ。でも、わざわざそれを言うために待っていたの?」
 ルイーゼが不思議そうにアルフォンスを見つめる。
「実は、あの・・・その・・・ルイーゼ!・・・私と結婚して欲しい!」
 意を決して話したアルフォンスの言葉に、ルイーゼの薄茶色の瞳が点になった。
「えっ、え~!あわわ、あの~、私・・・」
 アルフォンスの突然の申し出に、ルイーゼは慌てていた。それも当然の事だろう。アルフォンスからは「好きだ!」という想いを告げられた事もなく、ましてやルイーゼと交際をしているわけでもない。それなのにいきなりプロポーズなのだ。言葉無く狼狽えているルイーゼに、アルフォンスは更に問い詰める。
「ルイーゼは私のことが嫌いか?それとも他に好きな男性<ひと>でもいるのかい?」
「そんな男性<ひと>なんていませんよ!」
 驚きながらもルイーゼが答える。
「だが、お父上のビッテンフェルト提督が、ルイーゼには決まった相手がいると・・・」
「えっ、そんなの初耳です!もう、父上ったら・・・」
 ルイーゼが呆れ顔で嘆く。
(やはり、ルイーゼの知らないところで話が進んでいたのか・・・)
「その~、驚かせるつもりはなかったんだ。君とのことを真剣に考えたらつい・・・。勿論、今すぐ結婚というわけではないんだ。ただ私は、結婚を前提とした交際を始めたいと思っている」
「あの・・・私、結婚なんて全然考えていないんです・・・だから・・・」
 軽く首を振って困ったような顔をしているルイーゼに、アルフォンスが伝える。
「君が私のことが嫌いではなかったら、付き合って欲しいんだ。勿論、ビッテンフェルト提督にもきちんと話してお許しを得るよ!」
「悪いけど、私、どなたとも交際するつもりはないんです・・・」
「・・・ルイーゼは、私のことが嫌いか?」
「・・・アルフォンス、ごめんなさい!私、あなたの気持ちに答えられない」
 ルイーゼが申し訳なさそうに謝った。


<続く>