亜麻色の子守唄 11

 このところ溜息ばかりのミュラーの執務室に、ビッテンフェルトが訪ねてきた。
「最近お前、変な噂が立っているぞ!」
「変な噂?」
「うん、実は『ある男に言い寄られて、断り切れず悩んでいる』という類のやつだが・・・」
「な、何ですか?それは・・・」
 思わずミュラーは苦笑いをする。
「まあ、身に覚えが無いのなら、そのうち消えるさ。兵士どもは面白がって、ちょっとした事でも誇張して噂するからなぁ~。本人が聞いた頃には、とんでもない話になっていたというのが多いし・・・」
 兵士の噂話の標的になることの多いビッテンフェルトが、よく経験する事でもある。


「今日は、一体どういうご用件ですか?まさか、噂話を確かめに来た訳では無いでしょう」
 笑いながら、ミュラーはビッテンフェルトに話しかける。
「おう、そうだ。実は、エリスのことなんだが・・・」と言いかけた途端、エリスの名前に反応して、ミュラーがコーヒーカップをソーサーに落としてしまった。
「す、すみません」
「いや・・・」
 ミュラーは、慌ててこぼしてしまったコーヒーを拭き取り、テーブルの上を片づける。そして、何を焦っているのか勢い余ってシュガーポットまで倒し、中身を散りばめてしまった。
「わわわ!!」
「何やっとるんだ??」
 滅多に無いミュラーの落ち着きのない様子に、ビッテンフェルトは不思議に思った。ビッテンフェルトはただミュラーに、エリスが世話になった礼を言おうとしていただけである。
 ビッテンフェルトは、ミュラーからみれば、エリスは妹のような感じだろうと思っていた。しかし、彼女の名前で動揺する目の前のミュラーに、思わず考え込んでいた。(もしかして・・・)ビッテンフェルトの野生の勘が働き始めた。
 テーブルの上を片付け、新しいコーヒーを持ってきて貰って、やっとひと息付いたミュラーが、ビッテンフェルトに尋ねる。
「エ、エリスがどうかしたんですか?」
「・・・実は、フェルナーが退院したら、エリスを引き取るって言ってきているんだ」
「えっ!」
 エリスはこの先もビッテンフェルト家にずっと居ると思っていたミュラーは、その話に驚いた。
「フェ、フェルナーの住んでいる所は、自分の事務所で広くはないですよ。そ、それにあそこは歓楽街だし、若い女の子が住むような環境じゃないです」
 ミュラーがさり気なくビッテンフェルトに伝えようとした言葉が、思わずどもってしまっている。
 実際は、エリスはこれからもビッテンフェルト家で住むことになっている。ビッテンフェルトもアマンダも、エリスをすっかり家族の一員として扱っているし、父親を失ったエリスにとってもこの方がいいだろうと、本人の了承も得て、フェルナーとも話が付いていた。
 だが、ミュラーにはそのことをまだ話していなかった。ビッテンフェルトはそれをうまく利用して、その事実には触れず話を進める。
「まぁ、フェルナーもその辺のところは考えるだろう」
「それに、フェルナーは独身だし・・・名うてのプレーボーイですよ!」
「仕方ないだろう。エリスはもともとファルナーが連れてきた娘<こ>だし、父親から最期にエリスの行く末を頼まれたっていうし・・・」
「それはそうでしょうけど・・・」
 ミュラーの納得行かないといった様子を見て「一緒に暮らしていくうち、愛情が芽生えて結婚!ってこともありえるかもな~。フェルナーもエリスのこと可愛がっているようだし・・・」と、ビッテンフェルトが面白がる。
「・・・フェルナーは私より年上じゃないですか」
 ミュラーの思わず出た言葉に、ビッテンフェルトは自分の勘は正しいという自信を得た。
「ミュラー、恋愛には勢いとパワーが必要だぞ!悩みを振り切るだけの勢いと、障害を乗り越えるだけの力が無くてはな!」
 ビッテンフェルトの恋愛講義がいきなり始まった。
(これは、突っ込まれそうだ・・・)と感じたミュラーが、話を逸らすためビッテンフェルトに質問する
「それは、ご自身の経験からおっしゃっているのでしょうか?」
「お、俺は・・・」
 ビッテンフェルトは、自分の過去の恋愛を振り返った。


 ビッテンフェルトの場合、女のほうから近づいて来たり、気に入った女を口説いたりと、抱いた女はそれなりにいた。だが恋愛関係となると、不思議に長続きはしなかった。
 先帝が亡くなった頃、やり切れない思いを忘れたくて一夜を共に過ごした女がいた。その後、女の寂しげな後ろ姿や過去がやけに気になってしまい、何とかしてやりたいと思った。ビッテンフェルトがそんなふうに感じた女は、今までいなかった。
 しかし、その女はビッテンフェルトが差し伸べようとした手から、するりと擦り抜けてしまった。
(俺が救ってやりたかった・・・)という想いは、後からビッテンフェルトの心に大きく沸き上がってきた。
 女の行方が判らなくなってから、その想いが<恋>だということに、ビッテンフェルトは初めて気が付いた。忘れられない想いにやり切れなくて、酒場で暴れたときもあった。
 だから、再び逢ったとき、そのチャンスを逃さなかった。
 相手に悩む時間も与えず、強引に押し掛け一緒に暮らし始めた。オレンジ色の髪をした小さな天使も味方してくれたお陰で、ビッテンフェルトはその女<アマンダ>を手にいれたのだ。


「俺は、続かなかった女とは縁が無かったと忘れる事にしている。だが、アマンダの事は、ずっと気になってな。だから再会したとき、勢いとパワーでものにした!」
「そうでしたね」
 ミュラーも、あの小春日和の日にフェルナーからアマンダの居場所を教えられ、慌てて駆けだしていったビッテンフェルトを思い出した。
「ミュラー、勢いがなくなった恋愛は忘れた方がいい」
 自分の別れた恋人との事を言っていると思われるビッテンフェルトに、笑いながらミュラーは答えた。
「もう、十年以上も前のことですよ。忘れているに決まっているじゃないですか・・・」
「そうか~。じゃあ、なぜ、新しい出会いを求めようとしない?」
「・・・」
「まだ、気持ちを切り替えられずにいるんだろう。いい加減にしないと目の前のチャンスを逃すぞ!」
「目の前のチャンス?」
「エリスはいい娘<こ>だろう」
「・・・ええ、エリスは可愛いですが、年齢<とし>が離れすぎてますよ・・・」
 ミュラーは、肩を竦める様な仕草をしながら言った。
「こんなおじさんでは、エリスの恋愛の対象者にはなりませんよ。二十代を通り越して三十歳過ぎてますからね。エリスはまだ十七歳です。私なんかが恋人に立候補したら、ヴァルハラのエリスの父親が泣きますよ!」
「でもおまえ、以前ケスラーのとこ、お似合いだって言っていただろう」
「しかし・・・そのケスラー元帥の結婚式の後、ビッテンフェルト提督と一緒に飲んだとき、『ルイーゼのお相手が22歳の年齢差があったら・・・』という例え話をしたことがあったでしょう?あのとき、提督は本気で怒っていましたよ」
「お、俺はルイーゼの結婚相手が、釣り合いの取れた若造でも怒るぞ!年上だろうが年下であろうが年齢差なんぞ関係無い。誰が来ても、俺は反対だ!」
「・・・」
 いつものように無茶苦茶を言っているビッテンフェルトに、呆れるミュラーであった。そんなミュラーに構わず、ビッテンフェルトは話し続ける。
「年齢差なんて、お前が考えるほど障害にはならんぞ・・・。ただ恋愛は、タイミングが問題だな!タイミングが合わなかったら、気持ちが空回りするからな」
 実感がこもっているようなビッテンフェルトの言葉に、ミュラーが茶化すように聞いた。
「はは、空回りのご経験は?」
 途端に、暗い顔になったビッテンフェルトから返事が返ってくる。
「昔、薔薇の花束と奮発したワインを持って女の部屋に行ったら、引っ越したあとだった事がある・・・」
「ざ、残念でしたね・・・」
(それは、タイミングが悪いというより、逃げられたと言うべきですが・・・)
 ミュラーは心の中でそう思ったが、声に出すという恐ろしい事はしなかった。
「タイミングがうまくいったケースを教えて下さいよ」
 不機嫌になったビッテンフェルトを、宥めるようにミュラーは尋ねる。
「ん、う~ん」と、しばらく考えた後、ビッテンフェルトが自信ありげに答えた。
「やっぱり、ルイーゼを仕込んだときかな!」
「へっ!」
 ビッテンフェルトの言葉に、ミュラーは目を丸くした。
「何たって、最初の一発で出来た子だからなぁ~」
「そ、そうなんですか?」
「タイミングがいいだろう♪」
「ええ、まあ・・・」
(それは、ちょっと意味が違っているような気がするんですけど・・・)
「しかし、次の子がなかなか出来なくて・・・。ルイーゼのときのようにうまくいかんもんだな」
「こればかりは・・・。コウノトリにお任せしましょう」
 苦笑いするミュラーの言葉に頷くビッテンフェルトであった。
(しかし、最初の命中率の確かさに比べ後が続かないというのは、まるで黒色槍騎兵艦隊の攻撃パターンのようではないか・・・)
 ミュラーはふと感じた自分の考えに受けてしまったが、司令官を目の前にして言えず、気づかれないように秘かに笑いを堪えていた。
 そんなミュラーに気付かず、ビッテンフェルトは止めを差す。
「エリスは確かにまだ若い。これからいくらでも出会いやチャンスがあるかもしれない・・・。だが、お前はもう無いだろうな~」
「・・・はは」
 力無く笑って誤魔化すミュラーに、ビッテンフェルトが告げる。
「タイミングを逃すなよ!ミュラー」
「・・・」
(さて、これが刺激となってくれればいいが・・・)
 ビッテンフェルトは、秘かに願っていた。



 翌日、朝食を済ませた後、ビッテンフェルトはエリスにそれとなく探りを入れいてみた。
「エリスはミュラーのこと、どう思う?」
ガッチャーン!
 ビッテンフェルトの口から突然出たミュラーの名前に反応して、エリスは持っていた皿を落としてしまった。
「す、すみません・・・」
 慌てて落とした皿を片づける。ビッテンフェルトは、ミュラーと同じように何やら動揺しているエリスの様子に、(この二人は・・・)と恋の予感のようなものを感じ始めていた。
「ミュラーさんは素敵な方だと思います。私がもっと早く生まれていたら・・・と思います。本当に・・・」
「・・・そうか。でも本当に好きなら、年齢差は関係ないと思うぞ」
「私がいくらミュラーさんを好きになっても、片思いですよ・・・」
「・・・どうしてそう思うんだい?」
「だってミュラーさん、昔お付き合いした恋人のこと、まだ想っているみたいで・・・」
 エリスが寂しそうな目で呟いた。
「えっ!ミュラーがそう言ったのか?」
 ビッテンフェルトが驚いて尋ねた。
「いいえ、ただ昔の思い出話をお聞きして、何となく・・・」
「ふ~ん・・・」
(ミュラーの奴、エリスには別れた恋人の事が言えたんだ・・・)
 その後、ビッテンフェルトは、なにか閃いたように発言する。
「エリス、若いうちは後先の事なんて考えず、自分の気持ちをきちんと言うべきだ!うじうじ悩むのは、ビッテンフェルト家の人間にはいない。こちらから、はっきりミュラーに気持ちを宣言するんだ!」
「えっ~!」
 突然言われたビッテンフェルトの提案に、困った様子のエリスがアマンダに助けを求めた。そんなエリスに、アマンダはあのアルカイック・スマイルで応じる。それを見つめていたエリスに、勇気が沸いてきた。
「・・・はい!これからミュラーさんに、私の気持ちを告げてきます!」
 エリスは、席を立って外に飛び出した。


「<思いついたら即実行!>というのは、誰の影響でしょうね・・・」
 エリスを見送ったアマンダが、クスクス笑っている。
「ミュラーは、エリスの想いを受け止めてくれるさ!」
 ビッテンフェルトは、自信ありげに答えた。
「ミュラーは俺にでさえ、別れた恋人の事を自分から言った事はないんだ。こっちでカマをかけて反応を見たり、様子を探るような事を言ったりして、それとなく知ってはいるけど・・・。エリスに昔の恋人のことを言えたというのは、自分を出せる相手を見つけたということだよな?」
「ええ、ミュラーさんにとって、エリスは必要かも・・・。あの娘<こ>の笑顔は安らぎになるでしょう・・・」
 ミュラー本人が自覚できないでいる気持ちに、既に気が付いていたアマンダも微笑みながら言った。
「二人はお似合いのカップルになりますよ」
「ふむ・・・」
「フリッツ・・・ルイーゼのときも、このくらい物わかりのよいファーターでいてくださいね」
 アマンダが悪戯ぽっく笑った。
「ばかもん!俺は相手がミュラーだから反対しないだけで、他の男だったらエリスを渡さんぞ!」
 すっかり、エリスの父親気分になっているビッテンフェルトであった。


 その日の朝、ミュラーはいつものように朝のジョキングを済ませ、冷蔵庫の前でミルクを飲みながらひと息付いていた。
 突然の来客の知らせに(誰だろう?こんな朝早くから・・・)と思いつつ、モニターを見つめて驚いた。
 自分の寝不足の原因となっていたエリスがいた。ミュラーは慌てて顔を鏡でチェックし、ミルクの白い口ひげの存在をタオルで拭き取り、急いでドアを開けた。
「おはようございます。ミュラーさん」
「や、やあ!おはよう。・・・どうしたんだい?こんな朝早くに・・・」
「あの・・・」
 緊張気味のエリスにミュラーは尋ねた
「ビッテンフェルト家で何かあったのかい?」
 まさか、エリスが恋の告白に来たとは全く考えていなかったミュラーは、見当違いの心配をしていた。
「あっ、いえ、違います・・・」
「?」
「あ、あの~、私、ミュラーさんのこと好きです・・・」
「はぁ!!!」 
 目が点になった状態で、ミュラーはその場に固まってしまった。


 確かに最近、エリスの存在は、ミュラーの中で大きくなりつつあった。
しかしそれは、(なぜエリスに、閉じこめていた過去を言えたのだろう・・・)と自分の心の謎解きが中心で、(エリスが自分の事をどう思っているか)というところまで、まだ考えが及んでいなかった。
「あの~、エリス、そ、それは・・・」と言ったきり、ミュラーからは言葉が出て来なくなった。予想外のエリスの告白で、頭の中が混乱してしまったのだ。
「・・・ごめんなさい。突然、朝早く来て、こんな驚かせるようなこと言って・・・。だだ、私、ミュラーさんの事が好きだって事を伝えたかっただけで・・・」
 エリスはうつむき加減で言った。ミュラーの様子から、(ミュラーさんは返答に困っている)と感じたのだ。
「こんな年下から言われても困りますよね・・・。でも、私、気持ちを伝えられただけで満足ですから・・・ミュラーさん、気にしないで下さいね」
 エリスは困惑顔のミュラーを気遣って、ニッコリと笑顔を見せて立ち去ろうとした。そのとき、固まっていたミュラーの手が動き、後ろ向きになったエリスの腕を慌てて掴んだ。
「ちょっと待って!!」
(!!・・・この手の感触はどこかで・・・)
 ミュラーは、掴んだ手の感触を確かめていた。
(そうか・・・あの夢で最後に掴んだ手の女性<ひと>は、エリスだったんだ・・・)
 振り向いたエリスは、潤んだ瞳のまま不安そうに次の言葉を待っていた。ミュラーはその手を掴んだまま、碧色のエリスの瞳を見つめて言った。
「ビッテンフェルト提督はアマンダさんを口説いたとき、『捕まえた!』と言ったそうだが、私は『掴んだ!』だな・・・。これじゃ・・・」
 苦笑いしながら言ったミュラーの言葉を、エリスはどう受け止めていいか判らないようだった。
「あ、あの~?」
「エリス・・・君は、自分の彼氏が、こんなおじさんでいいのかな?」
「えっ!・・・・・・ええ、・・・もちろんです」
 エリスの表情が、途端に弾けたような笑顔になった。
「私、早く大人になります。だから、待ってて・・・」
「無理して背伸びする必要はないよ。今の君で充分・・・」
 一生懸命走って来た様子が、エリスの顔に光る汗に現れていた。ミュラーは手に持っていたタオルで、そのエリスの汗を拭いてやる。ミュラーの中に、<愛しい>という感情が溢れてきた。
「エリス、ありがとう・・・」
 思わず出たミュラーの言葉に、エリスは、「『ありがとう』はこちらの台詞ですよ。・・・でも、ミュラーさん、本当に私なんかでいいんですか?」と、尋ねた。
 すんなり事が運んでしまったので、かえって心配になったのだろう。
「実は君の事でずっと悩んでいたんだ。私は鈍いから、今やっと気が付いたよ。私には君が必要なんだって・・・」
「本当?・・・」
「ああ、本当の事だ」
 エリスは顔を輝かせ、「未熟者ですが、これからもよろしくお願いします」と、改まって言って頭を深く下げた。
「あっ、こちらこそ・・・私の方こそ、よろしく」
 ミュラーも、慌てて返事をする。向かい合った二人の目が合い、どちらからともなく笑った。


 朝の爽やかな空気の中で、新たなカップルが生まれた。
 その後を共に歩む二人の人生の、出発点となった朝だった。


<続く>