亜麻色の子守唄 3

 その日のパーティは、戦没者の遺児の為の奨学金を募るチャリティが目的で開かれた。育英財団の理事長が皇太后とは旧知の仲で、資金不足を理由に「基金を募るチャリティパーティをぜひ!」とヒルダに泣きついたのである。戦争が終わったとはいえ、一家の働き手を失った家庭では至るところで生活の為の戦いは続いていた。
 一団体の為に陛下の名でパーティを主催することに、周囲からは反対の声もあったが「誕生パーティーなどやただの記念式典より意義のあること!」という皇太后ヒルダの考えで、開催は決定された。
 陛下主催と言っても、まだ幼い陛下が夜のパーティに出席することはなく、こういう催し物の殆どは、摂政の皇太后が名代を勤めている。
 出席者がそれぞれに、受付で寄付をするという仕組みのパーティではあったが、アレク陛下主催という事もあって多数の参加者で賑わっていた。戦没者の遺族の為という主旨から、いつもより帝国軍の関係者も多く見られ、各元帥方もそれぞれ夫人を伴って顔を出していた。ビッテンフェルトもアマンダと一緒に参加していた。
 又、『寄付を募る催しに参加できないと思われたくない』という体面に拘った貴族達もかなり参加しており、パーティ会場は大勢の人で溢れていた。
 華やいだ会場の片隅で、アマンダはウエーターからシャンペンを受け取り飲んでいた。中央では音楽が流れ、色とりどりのドレスが翻り、多数のカップルのワルツで盛り上がっていた。
 その踊りを何気なく見ていたアマンダはある女性に気がつき、じっとその人を見つめていた。
(あの方がなぜこの場所に?しかも、あの姿は・・・)


「ビッテンフェルト提督と踊らないんですか?」
 考え込むアマンダに声をかけたのは、グラスを手にしたミュラーであった。
「フリッツは先ほど部下の方に呼ばれて席を外しました。『すぐ済む』と言っていましたから、じき戻るでしょう」
 アマンダは肩をだしたデザインの黒のイブニングドレス姿で、肘まである白の手袋をしていた。クリーム色の髪は軽く結い上げられ、アクセサリーはパールのイヤリングだけというアマンダらしいシンプルな装いだった。
 (派手な服装ではないのに存在感があるのは、モデル並みの背の高さとスタイルの良さ、それに元軍人らしい隙のない身のこなしにもあるのだろうか・・・)
 そんな事を考えていたミュラーに、アマンダが質問してきた。
「ミュラーさん、あの女性をご存じですか?」
 アマンダが伝えた女性は、中年で痩せてどちらかと言えばきつそうな顔立ちのご婦人であった。ミュラーが見たことのない顔である。
「・・・いえ、記憶にありませんね・・・。あの方が、どうかしました?」
「あの~・・・・・・ペクニッツ公爵夫人では、ありませんか?」
 一瞬、躊躇したアマンダがそれでも聞いてきた。
「ペクニッツ公爵夫人?・・・まさか!」
 ミュラーは再びその夫人を見つめ直した。カザリン・ケートヘン一世の生母ペクニッツ夫人は、何回か公式の場で見かけたことがある。だが、ミュラーの記憶にある彼女は、まだ若々しくふくよかな体型でおとなしそうな感じだった。あのオーベルシュタインがカザリンを皇帝に推薦しただけのことはあって、母親である彼女は控えめで強い印象はなかった。
「あのご家族は今はオーディンに住んでいらっしゃいますし、こちらに来ているといった話は聞いていません。それに、ペクニッツ夫人に比べあのご婦人は年配では?顔も姿も少し違うような気がします。・・・お人違いでは?」
「ええ、確かにそうなんですが・・・」
「何か気になることでも・・・」
「いえ、軍務省にペクニッツ夫人がこちらに来ているという情報がないのであれば、私の勘違いですね・・・」
 今は全く政治には関係のないゴールデンバウム王朝の最後の皇帝カザリン・ケートヘン一世とその両親ペクニッツ公爵夫妻だが、オーディンからこちらに来ているであれば、入国審査官から当然軍務省に報告があるはずである。幼いカザリンには罪はないが、要注意人物の扱いになっているのだ。
 だが、ペクニック公爵一家のオーディンでの暮らしそのものには規制はなく、ミュラーは以前の報告で、普通の貴族として不自由のない生活をしていると聞いていた。
「あの御一家は、オーディンで静かにお暮らしの筈です」
「そうですか・・・」
 アマンダは今一度、問題の夫人を見ようとしたが、もう姿は見あたらなかった。人の波に紛れてしまったらしい。


 音楽が変わり、人の流れも変わった。
 アマンダは元帥夫人達が揃っている輪の中にいた。揃うといっても現在結婚している元帥は4人だけで、夫人達はそれぞれ親しい付き合いをしていた。次々訪れる招待客の挨拶を受けていたヒルダが、ようやく一息ついたのであろう元帥夫人達のいる場所に近寄ってきた。
 ローエングラム王朝創世期の皇太后として、ヒルダは忙し過ぎた。後の評論家が「皇太后ヒルダが王朝の確固たる基礎を築いた」と評していたが、異議を唱える者は誰もいなかった。実際、皇太后ヒルダの存在がなければ、その後のローエングラム王朝の繁栄はなかったであろう。摂政として分刻みのスケジュールをこなし、アレクの母親としても手を抜かなかった。
 アレク陛下にはベテランの乳母や看護士がついていたが、ヒルダは彼女たちに任せっきりにはしなかった。幼帝の乳母や教育係が、その後陛下の信頼を利用して、挙げ句の果てには政治にまで口を出すような権力を持つという前例の多さは、歴史が証明している。それを恐れた訳でもないが、アレクの世話をする者の人選には慎重になった。
 選ばれた彼女たちは年齢も上で、仕事に対するプロ意識も強く、皇太后を敬い少し距離を置いて接する姿勢は、ヒルダ自身が望んだことだ。しかし、そのために彼女達とは気軽に話せる雰囲気にはならなかった。
 ヒルダも初めての子育てで、母親としての不安や悩みはあった。しかし、些細な事だけにかえって彼女たちに話せずにいた。だがここにいる元帥夫人達は、同じぐらいの年頃の子を持つ同世代の母親達だ。ミッターマイヤー夫人は亡きロイエンタール元帥の遺児フェリックスを養子にしていたし、アイゼナッハ夫人もやんちゃ盛りの幼児がいる。ビッテンフェルト夫人には、父親の溺愛振りが噂になっているアレクより一つ下の女の子がいるし、新婚のケスラー夫人も、初めての子を身籠もっておりじき母親になる。子供を持つ母親として、他愛もないことを気軽に話せる空間がそこにはあった。
 そんなヒルダの気持ちを皆知っているから、この場に夫の軍務の事や政治の話は持ち込まない。お互い子供の事を語り合い、普通の主婦のような平凡な会話をするのである。ほんの数分少しだけの時間ではあったが、皇太后の身分を離れ一人の母親として悩みを相談したり、お互いの心境や育児の情報を味わえる貴重な時間でもあった。そんな皇太后に気を遣って、側近も警備兵もそのときだけは距離を置いて見守っている。
 夫人達の和やかなおしゃべりに、ひとときの安らぎを得ていたヒルダの表情が急に引きつった。正面にいていち早くその事に気付いたアマンダは、ヒルダの視線の先に振り返り、次の瞬間、行動に移していた。
 異変に気付いた他の元帥夫人達が見たものは、アマンダがヒルダの前に立ち塞がって一人の女性を押さえていたということだけだった。


 皇太后ヒルダに向かって「人殺し!あの娘<こ>を私に返して・・・」と、ヒステリックに泣き叫ぶその女性は、普通の状態とは思えなかった。
 夫人達の近くで、偶然知人に出くわし立ち話をしていたミュラーが、その声に反応して飛んできた。
 すぐさま警備兵を呼び、この婦人を別室に連れていくよう指示する。先ほどアマンダが(ペクニッツ夫人では?)とミュラーに聞いていた女性であった。
「アマンダさん、大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫です」
 アマンダの比較的落ち着いている声に安心したミュラーは、まず皇太后ヒルダの様子を伺った。
「軍務尚書、あの人は手に何か刃物のような物を持っていた筈ですが・・・」
 耳打ちした皇太后ヒルダの言葉に、「えっ!」と、驚いてミュラーはすぐアマンダの前に躍り出た。
「あぁ!アマンダさん!!」
 ミュラーは思わず眉をひそめた。アマンダの左手の白い手袋が、血の色に染まっている。おそらく、咄嗟にナイフの刃を握って体に突き刺さるのを防いだのであろう。
「たいしたことありません。このまま医務室に行きますから・・・。それより招待客のチェックを!彼女をここに連れて来た人物が、まだ会場にいるかもしれません」 
 左手を隠すようにして、右手でナイフをミュラーに渡した。
「早く手当を!」
 駆けつけてきた警備兵にアマンダの傷の応急処置をさせ、病院に直行するよう指示する。アマンダはその者と共に会場から離れた。
「ビッテンフェルト提督を探して、この事を知らせてくれ!それから、このナイフをすぐに調べろ!」
 会場がざわめき始め、ミュラーは皇太后に退出を促した。招待客を確認する間、会場の警備は厳重になった。



 事件から数時間経った会場で、部下にいろいろ指示を出しているミュラーに、ビッテンフェルトが声をかけた。
「あ、ビッテンフェルト提督、アマンダさんの怪我は?」
「大丈夫だ。暫く左手は使えんが・・・。今夜は大事を取って病院に泊まることになった・・・」
「入院ですか?」
 ミュラーの顔が一瞬曇る。それを見てビッテンフェルトが言葉を続ける。
「今、皇太后の前でも説明して来たんだが、大した事はないんだ。ただ、手先だから安静にしていないと傷がふさがりにくいっていうし、家に帰ってルイーゼを見れば世話をするだろう。縫った傷が落ち着く迄、病院にいてくれと俺が頼んだんだ。エリスもいるし、家のほうは大丈夫だからって・・・」
「そうですか・・・。すみません、私が傍にいながら・・・」
 申し訳なさそうに謝るミュラーに、ビッテンフェルトが怒鳴った。
「ばかもん!卿のせいではない。俺が、いや、誰がその場にいても同じ事だ!」
 ビッテンフェルトの強く言い放った声に周りが注目した。周囲の視線を受けたビッテンフェルトが思わず咳払いして、ミュラーに「お前がつまらん事を言うからだ」と、小さくぼやいた。
「それより皇太后も気にしておられたが、ペクニッツ夫人は一体どうなるのだ?」
「ペクニッツ夫人はこのまま隔離された病院に入院することになるでしょう。先ほど迄、錯乱状態だったし精神的にも異常を感じますから・・・」
 皇太后に襲いかかろうとしたあの女性は少しばかり落ち着き、自分がペクニッツ公爵夫人である事を認めていた。だが、それ以外のことは何を聞いても要領を得なかった。
「彼女をここに連れてきた人物は?」
 ミュラーが首を振る。
「そうか・・・」
 夫人がオーディンから一人で来たとは思えないし、招待状を持たない彼女がこの会場に入って来れたのも誰かと一緒の筈だろう。
(黒幕がいる!)
 ミュラーもビッテンフェルトも口には出さないが、考えは同じだった。


<続く>