亜麻色の子守唄 2

 エリスがビッテンフェルト家に来て初めて迎える朝は、昨夜の嵐が嘘のような青空の広がる明るい朝になっていた。
 ビッテンフェルトがリビングに入ると、アマンダとエリスが仲良く朝食の支度をしているのが目に入った。初めての家にすんなりと溶け込んでいるエリスを見て、人の事をあまり褒めたりしないフェルナーが「明るくていい娘<こ>ですから・・・」と言った言葉を思い出し納得した。いつもより賑やかな朝食を済ませ、ビッテンフェルトは仕事に赴いた。



 ビッテンフェルトは自分の元帥府に行く前に昨日の出来事を知らせる為、ミュラーの執務室に寄っていた。
 ビッテンフェルトの話をひと通り聞いた後、ミュラーが口を開いた。
「一体フェルナーは、今、どんな仕事をしているんでしょう?」
「アマンダが言うには、地球教がらみじゃないかと・・・」
「地球教!」
「俺もまさかとは思うが・・・。前の軍務尚書のオーベルシュタインは地球教のテロで亡くなった。それで、部下であったフェルナーは地球教を憎んでいる。預かった娘の父親も、その手の情報を専門としていたらしい。あのフェルナーが俺に頼み事をするからには、よほどのことがあるに違いないと、アマンダが心配しているんだ」
「地球教が復活していると・・・?」
「わからん・・・。しかし、宗教というのは俺たちには理解出来ない謎めいた部分があるからな~。奴ら、何度も痛い目に遭っているから慎重に活動するだろうし、名前も変えているかも知れない。気が付かないうちに力を付けてきたということはありえることだ」
 ビッテンフェルトは、目の前に出されたコーヒーを飲み干して言った。
「まあ、お前にまで面倒を掛けたくなかったんだが・・・」
「そんな・・・だいいち、地球教がらみの可能性があるのなら、それは軍務省の管轄ですよ。提督は報告する義務があります!」
 ミュラーの言葉に、ビッテンフェルトは片手を軽く振りながら伝える。
「あまり、大げさにしないでくれよ。まだ、そうと決まった訳じゃないし。フェルナーがエリスを巻き込みたくないといって俺に預けたんだから、家族に影響はないと思う。ただ、ちょっと気になってな・・・」
「判りました。ご自宅の警備体制を少し強化させましょう。それと、それとなくフェルナーの様子を探ります」
「出来るだけ穏便に頼むぞ。アマンダ達を不安にさせたくないんだ」
「ええ、心得ています」
 苦笑するビッテンフェルトに、ミュラーが温和な笑顔で応じる。
「悪いな!ところで、話は変わるが、今晩の予定は?お前を夕食に誘おうと思っているんだが・・・」
「はい!今日は予定がありませんから、ありがたくお受けしますよ」
「たまには、『デートの約束がありますから!』ってセリフを聞きたいものだな!」
 冷やかしながら去っていくビッテンフェルトを見送った後、ミュラーは早速、部下にこの件についていろいろ指示をだす。そして、一連の作業を終えた後、ミュラーは「地球教か・・・」と考え込んでしまった。
 以前、自由惑星同盟のユリアン・ミンツから聞いた地球教の大主教ド・ヴィリエの最後の捨て台詞を思い出した。
 <私を殺しても無駄だ。いつかローエングラム王朝を倒そうとする者があらわれるぞ。これで全てが終わったと思うな・・・>
 あのときはミュラーは、大司教が自分の知っている情報を提供する事で生命の保証を願った狡猾な悪あがきをしていると感じ、見苦しい最後だと思ったものだが・・・。
(よそう、悪い方に考えるのは私の悪い癖だ・・・。まだ、なにも判らない状態なんだから・・・)
 ミュラーは頭を左右に振って、気持ちを切り替えた。



 夕方、ビッテンフェルト家を訪ねたミュラーを出迎えたのは、ルイーゼを抱いたエリスであった。
「初めまして、ヘル・ミュラー。私はエリス・ワイゲルト。エリスと呼んで下さい」
「あ、ああ、こちらこそ、初めまして。ミュラーです」
 銀色の髪と碧色の瞳を持つエリスは、人なつこい笑顔でミュラーを見つめた。
(この子が、フェルナーから預かった娘か・・・。明るい感じの子だな)


 アマンダとエリスの手料理並ぶ食卓で、賑やかな食事が始まった。
「えっ!あの、<ぬいぐるみの部屋>で寝たのかい!・・・夢で魘<うな>されなかった?」
「まあ、なぜですか?」
 エリスの碧色の目が、不思議そうにミュラーを見つめた。
「以前私が泊まったときは、夢にたくさんのぬいぐるみが出て来ましたよ・・・」
「あら、素敵。メルヘンの世界ですね」
「いや~それが、戦場で艦隊の指揮を執っている夢でした。周りの声は聞き慣れた部下達の声なんですが、姿は熊やら猫などのぬいぐるみなんです」
「まあ!」
「次の日、周囲の声を聞きながら、(この声は熊だった、あの声は猫だった)って思い出し笑いが止まらなくて大変でしたよ」
 ミュラーは受けを狙った訳ではないが、皆笑いだし、特にエリスは年頃の娘らしくいつまでもクスクスと笑っていた。エリスの持っているその場を和ませるような性質も手伝ってか、女性の相手が苦手なミュラーが今日は少しばかり饒舌になっていた。尤も、エリスは女性というより女の子に近いかも知れないが・・・。



 一週間が経ち、エリスはすっかりビッテンフェルト家に馴染んでいた。
 母親を早くに亡くし父親と二人暮らしをしているエリスは十七歳という年齢の割にはしっかりしていたし、年頃の娘らしい明るさと素直な性格も持ち合わせていた。ビッテンフェルトとアマンダは、エリスが気に入ってしまった。
 ルイーゼもよく懐いて、エリスはすっかりビッテンフェルト家の家族の一員のような感じになっていた。
 ただ、エリスは顔には出さないが父親からの連絡を待っているのを、ビッテンフェルトもアマンダも察していた。だが、エリスの父親やフェルナーからは、なかなか連絡は来なかった。ミュラーもフェルナーを探していたが、あまり有力な情報は得られずにいた。


「父からの何かのときにと貰ったお金です。お世話になっている間の下宿代として…」
 エリスはそう言って、金の入った封筒をビッテンフェルトに渡そうとした。
「エリス、君からお金は貰えない」
「でも・・・突然、見知らぬ娘が来て何日もお世話になっているのです。普通はご迷惑でしょう?せめて、このぐらいはきちんとさせて下さい」
 エリスの申し出にビッテンフェルトは首を振るが、彼女は封筒を手渡そうと必死になる。困ったビッテンフェルトがある条件を持ち出してきた。
「う~ん、よし、お金を受け取らない代わり、家でアルバイトしてくれるか?ルイーゼのベビーシッターをしてもらえると助かるんだが・・・」
 以前からパーティなど催し物の際に「奥方もご一緒に!」と誘われる事はあった。だが、アマンダがあまり人前に出たがらないことを知っているビッテンフェルトは、出来るだけ差し障りのない理由を付けて断っていた。又、ビッテンフェルトが結婚したことを知らない人もかなりいたので、一人で出かけてもさほど問題はなかった。
 しかし、結婚式を挙げてからは正式に夫婦で招かれる回数も多くなり、一人というわけにはいかなくなった。外出のときはその度ベビーシッターを頼んでいたが、夜にアマンダがいないとルイーゼはぐずることが多かった。日中は人見知りもなく愛嬌のいいルイーゼも、夜に母親がいないという事には慣れず不安がるのだ。従ってビッテンフェルト夫妻にとって、気心も知れてルイーゼも懐いているエリスにベビーシッターをしてもらうのは助かるのである。
「でも、お世話になっている以上、ルイちゃんの面倒を見るのは当たり前のことです。それでお金を貰うわけにはいきません」
「他の人にベビーシッターを頼めば支払うお金を、同じ事をする君にやらないというのはおかしくないか?」
「ですが・・・」
 納得がいかない様子の二人の顔を見て、アマンダが一つの提案を持ちかけた。
「フリッツは一度言い出したら聞かないの。エリスの下宿代はルイーゼのベビーシッター代で補うということにしましょうよ。これでなんとか妥協して頂戴」
「判りました。でもルイちゃんのお世話以外にも、私にできることはなんでもお手伝いさせてください!」
「ええ、お願いするわ」
 エリスはアマンダの提案を受け入れ、ビッテンフェルトは満足げに微笑んだ。


 久しぶりの休日、ミュラーは散歩がてらに公園を歩いていた。
 軍務尚書になってからは殆どデスクワークで、体が鈍らないようにできるだけ普段は歩く事を心がけている。外は日射しが強かったが、公園の木々の中に入れば爽やかな風が吹き抜け、汗ばんだ肌に心地よさを感じる。
 そんな公園の中の小道で、ベンチに座りベビーカーの中のルイーゼをスケッチしているエリスを見つけた。ミュラーがゆっくり近づくと、ルイーゼが気持ちよさそうに眠っているのが目に入る。
「やあ、こんにちは!お散歩かい?」
 寝ているルイーゼを気遣って静かに話しかけたミュラーを、エリスは大きな碧色の目をぱちくりさせて見つめた。
「誰かと思いましたよ~。軍服を着ていないとミュラーさんって軍人さんに見えませんね」
 薄いブルーのカジュアルシャツとジーンズ姿で、スニーカーを履いているミュラーは、年齢よりずっと若く見える。この姿では、誰も彼が軍務尚書とは思わないであろう。
「そうかい」
(軍人に見えない・・・)
 若い頃、同僚や上官に、ミュラーがよく言われた言葉である。さすがにこの地位になると、面と向かって言う人はいなくなったが・・・。
「ここは気持ちがいいね。ルイーゼが眠り姫になるわけだ」
「ええ、風で木がさざめく音が心地よい子守唄になるんです」
 スケッチブックに描かれたルイーゼを見て、ミュラーは思わず言った。
「うまいね~、絵が好きなの?」
「ええ、画家である父の影響で・・・。でも、父の場合、絵が売れないので生活の為あちこちで違う仕事もしています」
 朗らかに笑いながら話すエリスには、父親が売れない画家という悲壮感は全く感じられなかった。むしろ、画家である父親を誇らしげに思っているような様子にミュラーは、(この娘<こ>にとって父親の絵が売れる、売れないは関係ないんだな)と感じていた。
「私がこうして絵を描くのは、父親の真似ですね。父はいつもこうしてスケッチブックを持ち歩いて、何かしら描いていましたから」
「そうなんだ。・・・ところで、ビッテンフェルト家で過ごしてけっこう経ったけど、居心地はどう?」
「素敵な家族ですよね。温かくて居心地がいいです」
 ミュラーの質問に、エリスが明るく応じる。
「ビッテンフェルト提督は明るくて、アマンダさんは優しいです。それに、ルイちゃんはとっても可愛いし・・・。私も、将来あんな家庭を持てたら・・・と思います。私は、母を赤ん坊の頃亡くし、父とずっと二人きりでしたので・・・」
「私もずうっと一人暮らしだから、ビッテンフェルト提督が羨ましいよ」
「ミュラーさん、ご結婚の予定は?」
 エリスが無邪気に質問する。
「あまり女性に縁が無くてね」
「あら、不思議?女性にもてそうなのに・・・」
 意外そうな顔をしたエリスに、ミュラーが照れながら伝えた。
「はは、ありがとう。でも実際は違うんだ。全然もてなくて・・・。それに周りも男ばかりだから、そうそう出会いがないんだよ」
「そうなんですか・・・」
 笑いながら否定するミュラーに、エリスは納得と疑問が半分ずつ入り交じった返事をした。実際、ミュラーはもてないわけではない。だたミュラーの方から、出会いや恋愛に積極的でないのも確かである。
「出会いといえば、あの~、ミュラーさんはビッテンフェルト提督とアマンダさんの馴れ初めを知っているんですよね?」
「ん?」
「お似合いの二人だから、最初の出会いでお互いどんな印象を持ったのか訊いてみた事があるんです」
「で、二人ともなんと言ってた?」
 ミュラーも興味をもって訊いてきた。
「お二人とも目を合わせて、妙な沈黙があって・・・。でもその後『ミュラーさんが知ってますよ』ってアマンダさんが笑っていました。だから一度、ミュラーさんに教えて貰おうと思っていたんです」
 夢見る乙女のように、ロマンチックな話を期待しているだろうと思われるエリスの目を見て、ミュラーは困ってしまった。
(え~と、どういえばいいんですか?アマンダさん~!!・・・まさかビッテンフェルト提督がアマンダさんを殴ってしまったハイネセン殴打事件がきっかけとは言えないし、だいいち私の知らないところで、二人はできてしまったじゃないですか・・・もう~・・・)
「しょ、職場恋愛だよ!部署は違ったけど、一緒に仕事する機会があってね・・・」
「そうなんですか。私、お二人の様子から、ドラマチックな出会いを想像してました」
 恋愛に憧れを持つ若い娘らしく、平凡なきっかけにがっかりした様子だった。
(確かに二人のああいう出会いは、衝撃的だとは思うが・・・)
「それにしても、私にはアマンダさんの軍服姿って想像つきませんよ~」
「そうだね、今の方が自然だし、それによく似合っているよ」
「明日はパーティーがあるそうですね。私、アマンダさんのドレス姿が楽しみなんです。ミュラーさんも行かれるのでしょう?」
「一応ね。チャリティとはいえアレク陛下の主催のパーティだから、主な高官達は皆招待されているんだ」
「素敵ですね~。私、ルイちゃんとお留守番ですけど、お土産話を期待しています」
「アマンダさんも、君がルイーゼの面倒を見てくれると安心だろう。今まで、夜の外出はルイーゼが不安がると言ってできるだけ控えていたから・・・」
 そのとき突然、寝ているルイーゼが「ケタケタ」と声をあげて笑った。楽しい夢でも見ているような笑った顔の寝顔に、ミュラーとエリスは思わず吹き出した。
 寝ているルイーゼの前で、声を押さえて笑う二人の周りの空気が、風でスウ~と流れた。木々が揺れ、あたり一面の緑がざわめいた。気持ちの良い音と、爽やかな空気が二人を包んだ。
 夏の公園で、のどかなひとときを過ごているミュラーには、明日のパーティーで起きる事件の事など知る由もなかった。


<続く>

注)このサイトでは、ミュラーはオーベルシュタインの亡き後の軍務尚書になっています。