亜麻色の子守唄 10

 アマンダの怪我と入院、エリスの父親の葬式などで、ビッテンフェルトの私生活は何かと忙しかった。この頃、ビッテンフェルト家の家族構成は、彼が独身の時には考えられなかった男1人に女が4人という比率になっていた。
 アマンダとルイーゼの他にエリスが加わり、そして今、ミーネという年輩の女性が家族の一員になった。
 ミーネは、ビッテンフェルト家に住み込みで働いている家政婦である。アマンダが負傷した左手のリハビリに専念できるようにと、ビッテンフェルトは家のことを手伝ってもらえる女性を、オイゲンに頼んで捜してもらっていたのだ。
 学校が始まっているエリスに、いつまでもルイーゼの面倒や家事を手伝わせては申し訳ないという気持ちが天に通じたのか、はたまた、オイゲンの人脈のお陰なのか、ミーネという女性がすぐ来てくれた。
 ミーネは、戦争で夫を失った未亡人だったが、それを感じさせない明るさと朗らかさを持ち合わせていた。息子も立派に成人していた為彼女は身軽で、住み込みというビッテンフェルトの条件でも大丈夫であった。ある貴族で長年仕えていた彼女は、家事はもちろん子育てについても経験豊富であった。


「とんでもない事件でしたね。・・・エリスさんの涙を見せず健気に立ち振る舞う姿は、見ているこちらの方が切なくなります」
「そうだな・・・」
 夕食後の片付けをしながら、ミーネがビッテンフェルトに言った。
 (突然、父親を失ったショックは大きかろう。なのにエリスは、心の中を隠して、俺たちには普段と変わらぬ顔を見せて過ごしている・・・)
 ビッテンフェルトは、エリスの芯の強さに感心していた。しかし、<強い者ほど、ときには脆くなる>ということも知っているだけに危惧していた。
 (アマンダも、『感受性が強い年頃のエリスが、泣かずに感情を我慢している方が心配・・・』と言っているし、何とかしなければ・・・)
 ビッテンフェルトは、エリスの気持ちをほぐす方法を思案していた。



 ロートリンゲン子爵の家宅捜索以来、忙しい毎日を送っていたミュラーは、移動する車の中で花束を抱えて歩く学生服姿のエリスを見つけた。
 ここから5分ほど歩いた先には、市の公園を兼ねた霊園があり、エリスの父親の眠る墓もそこにある。
(これから、父親の墓参りに行くのか・・・)そう思ったミュラーは、咄嗟に運転手に命令した。
「此処で、おろしてくれ」
 運転手は、慌てて車を止めた。
「すまないが君は先に帰って、ドレウェンツに『急用が出来たんで、一時間ほど時間をくれ』って伝えておいてくれないか」
「判りました」
 (こんな時は、あれこれ詮索はするべきじゃない)と心得ていた運転手は素直に命令に従い、ミュラーをその場に降ろして走り去った。


「墓参りかい!」
「えっ、あっ、ミュラーさん!」
 突然声を掛けたミュラーに、エリスは驚いたがすぐ笑顔になった。銀色の髪を三つ編みにして束ね、学生鞄と一緒に持っている紙袋には大きなスケッチブックがはみ出しているのが見える。
「お仕事中ですか?」
 軍服姿のミュラーに尋ねた。
「ひと仕事終えたんで、ちょっと休憩しよう思って・・・。あの、お父上の墓参りに行くんだろ?一緒に付いていっていいかな?」
「ええ、いいですよ。一緒に行きましょう」
 エリスが話す楽しい学生生活振りを聞きながら、二人は並んで歩く。公園に入り込むと、残暑の日差しが少し和らいだ。奥にある霊園までの道のりは人影はなく、緑の木々に囲まれた道が続く。
「私の力不足の為、君の父上を犠牲にしてしまって申し訳ない・・・」
「そんな・・・ミュラーさんのせいじゃありませんよ。・・・ただ、父は運がなかった・・・そう思っています」
 目の前に見えてきた霊園の風景を、碧色の瞳に写してエリスが言った。
「フェルナーさんといい、ミュラーさんといい、父の死を自分のせいと感じてしまうんですね。手を下したのは別の人なのに・・・」
 エリスは独り言のように低く呟いた。
「エリス?」
 ミュラーの自分を見つめる目に<はっ>としたエリスは、慌てて話題を変えた。
「この間、父の葬式に来て下さってありがとうございました・・・。きっと父はヴァルハラで母に自慢していますよ。名もない画家の葬式に、元帥方が見えたって・・・」
「君のお父上は国を救った功労者だよ・・・」
「・・・」
 一瞬見せた暗い顔を隠して、エリスは父親の話を始めた
「父ったら、死ぬ間際まで、亡くなった母のお惚気を言っていたんですよ。出会ったときの事とか、私が生まれた頃の話とか・・・。うちの両親は大恋愛だったんです。しかも、母の実家は『貧乏画家には娘はやれない!』と、結婚には大反対だったもので、二人は駆け落ちしたんですって・・・。ドラマチックでしょう・・・」
「そうだったんだ」
「父は亡くなった母をずっと想っていた・・・だから、母の元に行くのが楽しみだって・・・」
 努めて明るく振る舞うエリスだが、ミュラーには無理をしているように感じていた。


「エリス、私の思い出話を聞いてくれるかい・・・」
「ええ」
 突然のミュラーの言葉に、エリスは頷いた。
「昔、付き合っていた恋人に言われた事があるんだ。『悲しみを閉じこめたら、心の中で固まってしまう』って・・・」
「悲しみが固まる?」
「そう、悲しみは固まる前に、涙で流してしまうものなんだそうだ・・・。戦場から帰って来る度、落ち込む私を心配して、恋人がそう教えてくれたんだ・・・」
「恋人・・・」
「戦場から生き残った自分が、戦死した部下や同僚、そしてその遺族に、後ろめたいというか申し訳ないというのか・・・。自分の気持ちのやり場が判らなかった。恋人はそんな私に『悲しみを涙で流して欲しい。心に置いたままにしないで・・・』って言ってね・・・。でも、私は泣くことも出来ず、自分の殻に閉じこもってしまったんだ。そんな私を見るのが辛かったんだろう・・・・・彼女は私の元から去ってしまった」
「・・・」
「実際あの頃の私は、自分の気持ちに余裕がなくてね。彼女の思いやりさえ疎ましく思ったりして・・・。恋人を失ったのは自業自得なんだけれど・・・」
 昔の自分を自嘲するように、ミュラーは言葉を続けた。
「だから、自分の性格に嫌気がさして、その後はしばらく、立ち直れなかったよ・・・」
「そんな!信じられない?」
 エリスは目を大きくさせてミュラーを見つめた。
「ほんとうなんだ。・・・君には、私のように心に悲しみの固まりを作らないで欲しいな。一度大きな固まりになってしまうと、なかなか消えてくれなくてね。悲しみは、涙で溶けるうちに流してしまった方がいい・・・」
 ミュラーの言葉に、エリスは首を振って答えた。
「・・・判らないんです。あまりにも突然で、どうしていいのか・・・」
「そうか・・・」
「地球教が憎い。父をあんな目に遭わせたロートリンゲン子爵も、絶対許せない。なのに父は、ヴァルハラの母に逢えるって幸せそうに逝ったんです。・・・誰も恨んではなかった・・・」
「うん、エリスの気持ちは解かるよ。でも、ワイゲルト氏は、君の心憎しみの種を残したくなかったからじゃないかな・・・。死に際に恨みや悔しさを見せたら、きっと君の中で、地球教や子爵への復讐心が生まれてしまうだろう。父親の悔しさを受け継いだロートリンゲン子爵が、長年に渡って心に憎しみという感情を育てていたように・・・。親として、娘にそんな思いを持った人生を歩ませたくなかったんじゃないかな?」
 ミュラーが温和な笑顔で、エリスに告げた。
「でも・・・私は悔しい」
「判るよ・・・。しかし、ワイゲルト氏は君の幸せを願っていたんだ。お父上の思いを汲んであげなくては・・・」
「大好きなファーターがいなくて、どうして幸せになれるの!・・・国の功労者なんかならなくてもよかった。普通の父親として、まだ私のそばに居て欲しかった・・・」
 怒ったような言い方をしてミュラーを見つたエリスの碧色の瞳から、ぽろりと涙が零れた。
 父親の死を見送ってから、初めて見せた涙であった。
「あっ、ご免なさい。ミュラーさんが心配して言ってくださっているのに、私ったらこんな言い方をして・・・」
 泣き顔を隠すように顔を背け、自分の言い方を謝った。そんなエリスの細い両肩に、ミュラーは手をかけ自分の胸に引き寄せた。
 ミュラーの思わぬ行動に驚いたエリスは、そのまま目の前の砂色の瞳を見つめていた。
「悲しいときは泣いた方が、心が軽くなるよ」
 ミュラーの言葉をきっかけに、エリスの瞳から涙が次々溢れだした。まるで、今まで我慢していた感情が、一気に吹き出したかのように、彼女はミュラーの胸で泣きじゃくった。
「そうさ、悲しみは涙で流してしまえばいい」
 ミュラーは、幼子をあやすようにずっとエリスの背中を撫でていた。


 泣きじゃくっていたエリスの声が収まった頃、ミュラーはエリスに告げた。
「私が君の代わりに、地球教を全滅させる。君のお父さんやフェルナーの思いを、絶対無駄にはしない」
 顔をあげたエリスが、ミュラーを見つめる。
「地球教をこの世から葬って!」
 碧色の瞳は涙で潤んでいたが、燃えるような意志の強さを示していた。そんな目で訴えるエリスに、ミュラーは優しく、だが力強く答えた。
「約束するよ」
 ミュラーの温和な砂色の瞳に包み込まれたエリスは、高ぶった感情が吸収されたかのように落ち着きを取り戻していった。



 墓参りを済ませ公園を出た後、ミュラーは地上車を拾いエリスをビッテンフェルト邸まで送った。
 玄関先から、庭の砂場で遊ぶルイーゼとアマンダの姿が見えた。ビッテンフェルトお手製のこの砂場は、ルイーゼのお気に入りであった。ミュラーとエリスに気が付いたルイーゼが、喜びを顔一杯に表現して走って来た。
 父親譲りの愛嬌のある顔で、エリスの胸に飛び込み、「抱っこ~♪」と甘えた。続いてアマンダが顔を見せ、ミュラーに挨拶をする。
「アマンダさん、私がルイちゃんと一緒に遊びますから・・・。ミュラーさん、今日はありがとうございました・・・」
 エリスはちょっと照れくさそうにお礼を言って、ルイーゼと共に砂場へ向かった。残されたミュラーに、アマンダは笑って伝える。
「私が怪我して以来抱っこしなくなったもので、ルイーゼはエリスに抱っこを要求するんです。甘えん坊は、小さな頭でいろいろ考えているらしく・・・」
 そして、「中に入ってお茶を・・・」と、ミュラーをお茶に誘った。
「いや、実はこれから仕事の予定があるので、ここで・・・」
「そうですか」
「体の調子はどうですか?」
「大丈夫です。退院して以来、家の事やルイーゼの面倒をミーネさんやエリスに手伝ってもらって、私はリハビリに専念しています。フリッツが、『必ず左手は、動かせるようになるから!』と励ますので心強いです」
「相変わらず夫婦仲がよろしいようで・・・羨ましいです」
 ミュラーが笑って答える。
(今回の事件は災難だった。でも、ビッテンフェルト提督とアマンダさんの絆は、更に深まったようだ・・・)
 ミュラーは、<災い転じて福とする>というビッテンフェルトの精神力を見習いたいと思った。


「・・・ミュラーさん、エリスに泣くきっかけを与えてくださってありがとうございます」
 砂場で遊んでいるエリスとルイーゼを見つめながら、アマンダがミュラーに礼を言った。エリスの表情から、先ほどの出来事を察したようだった。
「大事な人があんな死に方をしたとき、どんな感情が芽生えるか私が一番よく知っています。だから、エリスが心配でした。でも、私からうまく言えなくて・・・」
「身近に居るからこそ、かえって難しいということもありますから・・・」
 ミュラーがアマンダの気持ちを汲む。
「私は、現在<いま>幸せです。いろんな事がありましたけれど、それがあったからこそ、フリッツとの出会いもあったと考えられるようになりました。でも、できればエリスには私が歩んだような道は歩まず、幸せになって欲しいと思います」
「よく判ります」
(この人も、貴族の横暴によって大事な人を失ったんだ・・・)
 ミュラーは、アマンダの悲しい過去を思い出す。
「今回の事件で、人の心は難しいと思いましたよ。時代が変わり、貴族社会も変わってきたと思っていました。しかし、表面上はその時代に沿って生きているようでも、心の中は判らないものだと実感しました。いろいろ勉強になりましたよ」
「軍務尚書という立場は難しいかもしれません。でも、ミュラーさんなら大丈夫ですよ」
「そんな、煽てないで下さよ。私も未熟でして、エリスを慰めるのに自分の情けない失恋話をしていましたよ。はは・・・」
「エリスにですか・・・」
 アマンダは一瞬驚いたようだが、すぐ穏やかな微笑みを見せてミュラーに告げた。
「ミュラーさん、話せてよかったですね」
「え?」
(話せてよかった?)
 アマンダにその言葉の意味を聞こうとしたとき、ミュラーの携帯が鳴った。副官ドレウェンツからの呼び出しであった。
 その後、ミュラーはアマンダの謎めいた微笑みに見送られ、ビッテンフェルト家を後にした。

  

 仕事を終え、自宅に帰ったミュラーは、アマンダの言葉について考え込んでいた。

「話せてよかった」とは、どんな意味だろう?
確かに私は、今まで別れた恋人の事は誰にも言っていない
・・・言えなかったんだ
自分の中で、気持ちの整理を付けられずにいたんだから・・・
なのに、なぜエリスには話したんだろう
拘りもなく、自然に話せた・・・

 ミュラーはエリスという娘が、今までとは違った意味で気になりだしていた。そして、その夜から眠れなくなってしまった・・・。


 眠れぬ夜を過ごしていた人物は、ここにもいた。エリスである。
 気が付くと、優しいミュラーの顔や安らいだ胸の感触を思い出している。無意識に描いたスケッチは、砂色の瞳と髪を持つ男のデッサンで埋まった。
 胸がいっぱいで、なんだか切なくて・・・・・・エリスの初恋であった。

  

「おはようございます!」
 翌日、副官ドレウェンツは、爽やかに声をかけてミュラーの執務室に入った。 その途端、暗く立ちこめる部屋の空気に仰け反った。
「・・・やあ、おはよう」
 ミュラーが目の下に隈を作って、難しい顔になっていた。
「ど、どうしたんですか?」
「あ、いや、ちょっと考え事をしていて・・・」
 ドレウェンツは(閣下の考え事というのは悩み事のことだな・・・また何かあったかな)と思い、「あの~何か心配事でも?」と聞いてみた。
「いや、大した事ないんだ」
 ミュラーの返事に、ドレウェンツはいつも通り、上官に今日のスケジュールを告げる。
(事件は順調に解決へと進んでいるし、地球教撲滅作戦も滞りなく進んでいる・・・。一体閣下は、何を悩んでいるんだろう?)と、ドレウェンツは話しながら考えていた。
「閣下、私に何か出来ることはありませんか?人に話すことで、気が楽になることもありますよ」
 ドレウェンツの気配りにミュラーは「ありがとう、でも大丈夫だから・・・」と言って、まだ何か言いたげな副官を下がらせた。
(三十歳過ぎの大の男が、十七歳の女の子が気になって眠れなかったなんて、口が裂けても言えない)
 ミュラーは今の気持ちは、誰にも相談出来ないと考えていた。
 一方、ドレウェンツはミュラーの悩み事の原因を探ってみた。

仕事の事ではないとすれば、プライベートか・・・
しかし、閣下はこのところ事件解決のため忙しくて大変だった筈・・・
私生活で何か起こるような時間あったかな?
そういえば、相棒を亡くしたフェルナー氏を慰めたら、
口説いているようだとからかわれてしまったと、
閣下は笑っていたが・・・
まさか、冗談で済まされなくなったとか!
いや、・・・しかし、それ以外で悩むような事があったとは考えられない

 ドレウェンツの妄想は、果てしなく拡がってしまった。

それもこれも、閣下が独身でいるのがよくないのだ!
あのビッテンフェルト閣下も、予想外に家庭が持てた事だし、
ミュラー閣下にも、早く結婚して頂かないと!


 上官のミュラーには、普通の女性との交際を望んでいたドレウェンツは、副官として、(閣下の恋人候補の女性を捜そう!)と決意していた。
 そんなドレウェンツの心配をよそに、ミュラーはその後も落ち着かず、何やら溜息の出る日々を過ごしていた。


<続く>