息吹 11

 ビッテンフェルトとワーレンが、アマンダの病室に姿を見せた。
 唇をギュッと引き締めて哀しみに耐えているルイーゼとその隣で涙ぐむミーネ、そして泣き腫らした目のエリスと悲しげなミュラー、四人が一斉にビッテンフェルトの方を見つめた。しかし、誰もかける言葉が見つからない。
 ビッテンフェルトの視線の先に、ベットで眠るように横たわっている妻アマンダと母親の肌にくっついて寝ているヨゼフィーネの姿があった。
 それに気が付いたエリスが、やっとビッテンフェルトに声をかける。
「フィーネがアマンダさんは寝ていると思い込んで『ムッターと一緒に寝たい!』と泣いてしまって・・・」
 涙声になってしまったエリスをミュラーが支える。
「そうか・・・」
 ビッテンフェルトがそっとアマンダの頬を触ると、まだぬくもりが残っていた。幼いヨゼフィーネは母親のぬくもりを感じて、満足そうに寝息を立てていた。
「ルイーゼ、一緒に居てやれなくて済まなかった・・・」
 母親の死を看取った娘のルイーゼに、その場にいなかった父親は詫びた。
「ムッターは、ファーターに『ありがとうと伝えて・・・』って何度も言っていた。苦しまなかったよ・・・笑顔を見せて・・・逝ったよ」
 そこまで気丈にきちんと言うと、ルイーゼは父親の胸に飛びついて泣いた。静寂な空間に、ルイーゼの嗚咽が響く。
「辛い事をお前に任せっきりにして済まなかった・・・」
 ビッテンフェルトは、泣きじゃくるルイーゼを抱きしめる。
 そんな親子の姿を見て、病室にいるミュラー夫妻、ミーネ、ワーレン誰もが涙が溢れてくるのであった。
 そのとき周りの気配で目を覚ましたヨゼフィーネが、父親の存在に気が付いた。
「ファーター、帰って来たの!お帰り~」
「フィーネはムッターとネンネか・・・」
「うん♪・・・あのね、ファータ、フィーネは・・・ムッターと一緒にお家に帰りたいなぁ・・・」
 (ファーターは、いつも自分の願いを叶えてくれる)そう思っているヨゼフィーネは、今まで我慢してきたであろう想いをつい口に出していた。
「・・・そうだな、ムッターと一緒にお家に帰ろう・・・」
「ほんと!いいの?・・・わーい」
 ヨゼフィーネは、まだ母親の死をよく理解していないだろう。
「アマンダ、今戻ったぞ!・・・俺と一緒に家へ帰ろう」
 ビッテンフェルトはアマンダにそう囁くと、まだほんのりと体温が残っているその体を抱き上げた。
 安らかな顔で眠る妻を抱きかかえたビッテンフェルトが、周りにいるミュラー夫妻やミーネ、そしてワーレンに目で礼を言う。
 言葉にしなくても、ビッテンフェルトの感謝の思いは皆に伝わった。
 こうしてアマンダはビッテンフェルトの胸に抱かれ、子供達と共に懐かしい我が家へ無言の帰宅となった。



 久しぶりの我が家の寝室のベットで横たわるアマンダと、それを見つめるビッテンフェルト。
 身動きしないアマンダの髪に触れてみる。頬、肩、手など次々触って、アマンダの感触を確かめる。堪らず声が漏れてきた。一度、声が出たら止められなくなった。それまで我慢してきた想いが、堰きを切った川の流れのように一度にビッテンフェルトに押し寄せてきた。
「アマンダ・・・アマンダ・・・」
 ビッテンフェルトは、震える声でずっと泣いていた。


 ビッテンフェルトの切ないうめき声は、下のリビングにも伝わっていた。
「エリス姉さん・・・」
「大丈夫よ、ルイーゼ!」
 不安そうなルイーゼに、エリスは優しく微笑みながら話す。
「人は悲しい時、我慢しないで泣いた方がいいのよ。涙が悲しみをとかして、気持ちを軽くしてくれるの。悲しいのに泣かないでいると、暗い気持ちが積み重なるだけで、いつまでも悲しみが残ってしまうものだから・・・。昔、父を亡くした私に、ナイトハルトがそう教えてくれたのよ」
「ミュラーおじさまが?」
「そう・・・。だから、ビッテンフェルト提督には、いま思いっきり泣いて貰いましょう」
「・・・うん、そうだね」
「ルイーゼ、君のファーターは強い人だ。今日は悲しんでいても、明日にはきっと立ち直っている」
 再び眠ってしまったヨゼフィーネを抱いたミュラーが、ルイーゼを励ます。
「ルイーゼ、疲れたでしょう?今のうち少し休みなさい・・・」
 連日ほとんど寝ていないルイーゼを、エリスが気遣った。
「ここで、みんなのそばで寝てもいい?一人になりたくないの・・・」
「ええ、私たちは一緒にいるから、安心して眠りなさい・・・」
「ありがとう・・・エリス姉さん」
 父親の帰宅で張りつめた緊張の糸が緩んだのか、ミュラー夫妻の優しい眼差しに包まれて、いつしかルイーゼは座り込んだソファーで眠りに入っていた。
 ビッテンフェルト家のリビングで、ミュラー夫妻とミーネは母親を亡くしたばかりの姉妹の寝顔を見守りながら朝を迎えた。


  一方、寝室のいるビッテンフェルトの時間は、止まっていた。
 ビッテンフェルトの心の中に、二人の歴史が昨日のことのように鮮やかに甦る。
 物言わぬアマンダと、ずっと夫婦の思い出話をしていた。

俺がハイネセンでお前を殴ってしまった日から、
俺たちの歴史は始まったんだよな・・・
そのときの詫びの言葉が、今思えばその後の未来を物語っていたな
「俺は悪くない!だがお前の顔に傷が残り嫁のもらい手がなくなったら、俺がもらってやる!」
・・・今もって不思議なんだ
あのとき、どうしてこんな言い方で謝ったんだろうって・・・

お前と初めて飲んだのは、
先帝の崩御の後で、
俺の心にぽっかりと穴が開いたような状態だった
あの夜、
二人ともかなり飲んでいたけど、酔っちゃいなかった
俺たちを結びつけたのは
お前の涙だった
あのときのお前の顔は、ずっと忘れられなかった
お前がいなくなって、俺は随分捜した・・・

俺が家庭を持つなんて、誰が予想しただろう・・・
お前がいたから、俺は家族が持てた
初めて、ルイーゼを抱いたお前を見たとき、
世界中の全ての人に、感謝したい気持ちで一杯だった
一目で、俺の子だって判ったよ
もし、目の前にあのオーベルシュタインがいても、
喜びの余り抱きついてしまうほど、
お前が俺の子を産んでくれていたことが、嬉しかった

俺はロマンチストじゃないから、気の利いた言葉も言えずに
プロポーズさえきちんとしないまま、
強引に結婚に持ち込んでしまった感じだった
でも、お前には俺の気持ち、通じていたよな

結婚式のお前は、綺麗だったぞ
あのとき、俺はお前に
「自分より長生きして欲しい!」と約束させられたな
約束、守ったろ・・・
でも、ちょっと早すぎたぞ!
俺との約束はどうするんだ
俺たち、老後は、
子供や孫に囲まれて賑やかに過ごすんだって話したろ
忘れたのか?

あのチャリティでの皇太后暗殺未遂事件は、
ルイーゼがまだ小さい頃だったな
あの事件でお前が刺されたと聞いたとき、
俺は気が動転したよ・・・
怪我の回復には時間は掛かったが、
絶対元通りになるって言った俺の言葉通りになっただろう

その事件が縁で、エリスがうちの家族になった
ミュラーとエリスの結婚式を見つめるお前は、
本当に嬉しそうだったな
俺は、時々エリスを見るお前の目が、
昔の自分と重ねて見ていた事を知っているぞ!
お前、婚約者を喪う前は、
エリスのような女の子だったんだろ・・・
子供達と過ごすお前にそれが出ていた
だが、辛い時期を乗り越えたお前の微笑みは、
心が洗われるようだったぞ
俺は、そんなお前の笑顔が大好きだった

お前の怪我より驚くことが、我が家で起こるとは思わなかったよ
お前が家出するなんて・・・
俺の性格をしっかり読まれていたな・・・
全く、お手上げだったよ

ヨゼフィーネの産んだあとのお前を見て、
母親の子供への想いは、男には叶わない・・・と感じたよ
ヨゼフィーネを身ごもったと判った瞬間から、
お前の幸せは、ヨゼフィーネを産むことに変わったんだな
自分よりヨゼフィーネを生かす選択を、お前は選んだ
残された時間を、
ルイーゼやヨゼフィーネと過ごすお前の笑顔に、
充実した日々を過ごしていることがよく判った
俺も幸せな時間を過ごした

出来れば、それが、もっともっと続いて欲しかった・・・

お前の最期を看取られず、済まなかったな
一番大事な時期に、俺は・・・

 心の言葉が止まったビッテンフェルトの頬に、すうっとアマンダの手の触れた感触がした。

そうか・・・
お前の気持ちは俺が判っている
俺の気持ちはお前が判っている
それでいいか・・・

俺に娘達を与えてくれて、ありがとう・・・
ルイーゼとヨゼフィーネの二人の成長は、俺がしっかり見守る
必ず幸せにする
だから、安心しろ!

少し待たせるかも知れないが、
俺がヴァルハラに行くまで待っているんだぞ
お前の願いどおり、
楽しい土産話をたくさん持っていくから・・・

 思い出を振り返り、アマンダといつまでも二人きりの世界に浸るビッテンフェルトであった。
 一眠りして目覚めたルイーゼは、父親のことが心配になって寝室の様子をそっと伺ってみた。ベットに横たわる母と、最後の会話をしているビッテンフェルトの姿が彼女の目に映った。いつも陽気で力強い父親の、初めて見る哀しい背中に、ルイーゼは静かにその場から離れた。


 翌日、ミュラーの言うとおりビッテンフェルトはいつもと変わらず、いやそれ以上に落ち着いて、弔問客に冷静に応対するのであった。



 アマンダが逝ってから一ヶ月、ビッテンフェルトの慌ただしい日々がようやく落ち着いてきた。仕事以外は子供達のそばにいるようにしていたビッテンフェルトだが、今日は久しぶりに<海鷲>でミュラーとしんみりと酒を交わしていた。
「最近、ルイーゼの声をアマンダと間違えて驚くことがあるんだ。母親の声に似てきた・・・」
 ミュラーは、アマンダの入院中一生懸命世話をしていたルイーゼの姿を思い浮かべた。母親が最期を迎える頃は、ルイーゼは殆ど付きっきりで、そばから離れなかった。
「アマンダさんの死は、ルイーゼを大きく成長させてくれました。エリスが『ルイーゼとはもう大人同士の話が出来る・・・』と感心していましたよ」
「確かにそうだな・・・」
 ルイーゼは父親のビッテンフェルトから見ても、大きく成長したと感じていた。母親を亡くした子供達を支えなければと思っているビッテンフェルトの方が、ルイーゼに何かと励まされている事も多くなった。
「ただ、フィーネの方が今ひとつ母親の死を理解していないらしいんだ。『病院に行って、ムッターに逢いたい!』と駄々をこねるときがある。アマンダがいないのは、また入院してしまったと思っているらしい・・・」
「・・・四歳になったばかりですから・・・仕方無いですよ」
「その度、ルイーゼが『ムッターは空からフィーネの事、見守っている』って教えてやっているが・・・」
 ミュラーでさえ、アマンダの死はショックであった。小さなヨゼフィーネにとって、母親の死は想像も付かない大きな試練であろう・・・ミュラーは子供達の気持ちを思うと切なくなった。
「実はアマンダは・・・医者からフィーネを産んだ後、やはりガンの転移があってな『この先、長くて一年ぐらいしかもたないだろう』と言われていたんだ」
「えっ!一年!・・・だって、提督は普段と変わらず・・・しかも毎年、宇宙にも遠征に行ってましたよね!!」
「普段道理にしなければ、不自然だろう・・・」
「・・・そうでしたね。私たちは、ヨゼフィーネを産んだときの手術と治療で、もう大丈夫だと思っていました」
「俺はアマンダにも病状の事は話さなかった。アマンダは・・・あいつのことだから初めから気が付いていたんだろう。・・・でも、俺の演技に合わせていてくれた」
「えぇ、私とエリスは最後の入院で、初めてアマンダさんの病気の進行を知ったんです。全く気が付きませんでしたよ。あれほど身近にいたのに・・・」
「いや、実際、ずっと調子は良かったんだ。二年、三年ともつうち、俺も期待した。このまま小康状態が続いてくれたらと願っていたんだが・・・」
 穏やかに過ごした思い出の日々が、二人の脳裏をよこぎる。
「エリスにはすっかり世話になってしまったな。俺も子供達も、エリスが居てくれて、随分助かっている」
「私たちに出来る事はこのぐらいですから・・・。エリスはアマンダさんを本当の姉のように慕っていました。ルイーゼやヨゼフィーネも自分の子供のように思っています。これからもきっと、アマンダさんの代わりを務めるでしょう・・・」
「エリス、どうしている?」
「悲しみを絵にぶつけているようです。アマンダさんを見送って以来、よく夜中に泣きながらキャンバスに向かっています・・・」
「そうか・・・」
 大事な人を失ったとき、人は悲しみを乗り越えるためそれぞれの自分の進む道を模索する。
「アマンダはヨゼフィーネを産んでから体こそ弱くなってしまったが、今まで本当に幸せそうだった。あのとき、ヨゼフィーネを諦めて産ませていなかったら、あいつの笑顔はそこで途絶えたと思う・・・」
「確かにルイーゼとヨゼフィーネの存在は、アマンダさんの生き甲斐だったでしょう」
「あいつ、頑張って生きたんだ・・・」
「・・・ええ、ビッテンフェルト提督も頑張りましたよ!」
 ミュラーの砂色の瞳がビッテンフェルトを優しく包む。
 愛する妻が余命一年と宣告されてからのビッテンフェルトの苦悩は、計り知れなかったはずだ。今まで何年も、その苦しみを見せずに生きてきた彼を、ミュラーは労った。
 ビッテンフェルトのグラスの持つ手が震える。
「済まない。最近年のせいか、涙脆くなってな・・・」
 目頭を押さえ、無理に笑う。
「泣きたいときは無理に我慢しないことです。私の胸を特別に貸しましょうか?」
 わざと冗談めかしてミュラーが話す。
「ばかもん!お前の胸はエリス専用だろう!・・・大丈夫だ。お前に慰められるようでは、黒色槍騎兵艦隊の司令官の名が泣くわい!」
 軽く怒鳴ったあと、笑いながらビッテンフェルトが一言告げた。
「ミュラー、ありがとう・・・」
 ミュラーが頷く。
「これから、子供達と楽しく暮らしてたくさん思い出を作るぞ!アマンダから頼まれたんだ。俺がヴァルハラに逝くときは、子供達と過ごしたたくさんの思い出を土産話に持って来てくれって・・・」
「そうですか・・・」
「あいつ、ひ孫の話まで期待しているんだ。全く、俺をこの世にいつまで生かしておく気なんだか・・・」
 ビッテンフェルトが微笑む。
(この人は、本当に強い・・・。強くて、優しくて、そして笑顔が似合う。黒色槍騎兵艦隊の兵士達が、この司令官に惚れ込むのがよく判る・・・)
 ミュラーには、砂色の瞳に映るビッテンフェルトの笑顔が、涙で潤んで見えなくなってきた。


<完>


~あとがき~
アマンダという女性は、自分の生み出したオリキャラですが、初めはそれほど存在感はなかったのです。
無口で控えめで、そしてビッテンフェルトの娘ルイーゼの母親・・・といった設定だけで、姓名すらきちんと付けていませんでした(A^^;)
それが二作目、三作目を書き出しいるうち、どんどん情が移ってきました。
ビッテンフェルトやミュラーさんと一緒に書いているうち、アマンダにも個性が出てきました。
愛着のあるキャラを、ヴァルハラに逝かせてしまうというのは残念です。(寂しかった・・・)
今後は、ビッテンフェルトとアマンダの娘達のルイーゼやヨゼフィーネの成長を中心に、アレク陛下やフェリックス、又は他の元帥達の子供とからませたお話を書いていきたいなぁ~と思っています(妄想は、果てしなく続いています^^;)
アマンダとは、回想シーンなどやイラスト、又は過去の時代の小説を書いたときなどで、再びお目にかかる事もあると思います(^^)