息吹 7

 ビッテンフェルトの運転する地上車は、ハルツの山々に囲まれた道を走り、ある別荘の前に止まった。
 この別荘は、あのオーベルシュタイン家の執事だったエーレンベルグ氏からビッテンフェルトが買い取った別荘で、アマンダやルイーゼが一時期を過ごした思い出の場所でもある。管理人から修理を兼ねた改装を終えたという知らせを受けて、ビッテンフェルトは娘のルイーゼを連れて様子を見に来たのだ。
 別荘の中に入ったルイーゼは、窓から見える壮大な山々の景色に見入っていた。
「ファーター、ルイがここに来るのは初めてだよね?」
「ん、ルイーゼ、どうかしたか?」
「このお家、何だか懐かしい気がする」
「懐かしい?・・・そうか、もしかしたらアマンダのお腹の中にいた時とか、生まれて間もない頃の記憶が、お前の頭の何処かにあるのかも知れないな~」
「ルイ、ここで生まれたの?」
「そうだ」
「ふ~ん」
 ルイーゼは大きく深呼吸した。
「あのね、この匂いも覚えている気がするよ♪」
「に、匂い?」
(おい、お前は野生の動物か?普通は<匂い>迄、覚えていないぞ・・・)
 我が子ながら付いていけない感覚に、ビッテンフェルトは半分呆れ顔になっていた。

  

 改装とはいえ、建築業者には出来るだけ建物全体は変えずそのままの姿を保つように、ビッテンフェルトは指示していた。そしてその上で、空調や暖房などの設備関係は全て新しく取り替えるように頼んだ。
「壁なども新しくしたほうが費用も手間も掛からないし、能率もいいので早く完成しますよ」
 ビッテンフェルトの要望に、建築業者はそう提案した。
「この家に思い入れがあるんだ。費用はかかってもいいから、出来るだけ思い出を壊さず、それでいて過ごしやすい家にして欲しい」
 そんなビッテンフェルトの願いを聞き入れた職人は、修理の跡も目立たぬよう工夫を凝らしてくれた。従って仕上がった別荘は見た目は以前と全く変わらなかったが、かなり使いやすい状態になっていた。
 外見や内装は昔のままで設備は最新式という難しい改装に、貴重な建物を復元するような手間が掛かり、職人泣かせの工事となった。
 しかし、ビッテンフェルトと触れあった人々がその男気に惚れ込むという不思議な現象は、この職人達にも広がり、完成した建物にその心意気が現れていた。


「どうした!お化けでもいたか?」
 部屋の一点を見つめたまま動かないルイーゼに、ビッテンフェルトは笑いながら尋ねた。
「ルイ、思い出した!あのね、ここに揺りかごがあって、そこからいつもムッターを見ていた・・・」
「はぁ?」
 この年頃にありがちな現実離れした空想をよくするルイーゼだけに(又、夢の世界の話になっているのだな・・・)と、苦笑いするビッテンフェルトだったが、そのルイーゼの話を聞いた別荘の管理人の言葉に、彼は驚いてしまった。
「あぁ、そういえばここに揺りかごがありましたね~。うちの子が生まれたとき、譲り受けて使わせて貰いましたよ」
「何!・・・それはいつの頃の話だ?」
「子供が現在<いま>三歳ですから、生まれた頃となりますと四年くらい前の事ですかね~」
「その揺りかごはまだあるかな?」
「さぁ~、うちの奴が捨ててなければ、まだ物置に置いてあるかも・・・」
「もしあるのならば、是非俺に譲ってくれ!うちの赤ん坊にも、使わせて欲しい!」
「えぇ~、元帥のお子様にですか?いや~、もしあったとしても古すぎて使い物になるかどうか・・・」
「かまわん!」
「はっ、そうですか・・・。では、取りあえず捜してみますね。ここで待っていてもらえますか」
 管理人は二人を部屋に残し、自宅に揺りかごを探しに戻った。
「ファーター、揺りかごがあるといいね~」
「そうだな・・・。しかしルイーゼ、よく昔のことを覚えていたな~」
「ここに来て急に思い出したの!今まですっかり忘れていたのに・・・。不思議だね♪」
「そうか・・・」
 周りの風景や当時のままの別荘は、ルイーゼの中の埋もれていた記憶を刺激したのかも知れないとビッテンフェルトは感じた。


 壮大な山々に囲まれた思い出の別荘で、父と娘はのどかな一時を過ごした。
「あのな、ルイーゼ・・・実はアマンダの事なんだが・・・」
「ムッターがどうかしたの?」
「うん、アマンダは前より体が弱くなってしまったんだ。だから、退院しても無理しないように気を付けないと・・・」
「ムッター、大丈夫なの!ルイ、どうすればいい?」
 心配そうに尋ねる娘に、ビッテンフェルトは微笑んだ。
「そんなに心配しなくても大丈夫だ。ただ今のアマンダには、フィーネの世話は少し大変かもしれない。だから、ルイーゼにはアマンダの手助けをして欲しいんだ」
「うん、判った!あのね、ルイ、新生児室に通っているうち、フーバー先生や看護士さんから<フィーネの小さなムッター>と呼ばれているんだよ。ムッターやミーネさんのお手伝いも、フィーネの面倒もきちんとみるから心配しないで!」
「そうか、頼むぞ!」
「ルイに任せて!」
 (もう、ルイーゼは立派なお姉さんだ。子供の成長とはなんて早いんだ)
 頼もしいルイーゼの言葉に、ビッテンフェルトはしみじみ月日の流れの速さを感じていた。
「早く、ムッターとフィーネが退院して来るといいな~」
「すぐ一緒に暮らせるさ」
 アマンダの入院やヨゼフィーネの誕生以来、ぐんと大人になった娘を父親は眩しそうに見つめた。


「あの~、ビッテンフェルト元帥、揺りかごはありました。しかし、こんなにボロボロでは・・・」
 戻ってきた管理人は申し訳なさそうに言いながら、ビッテンフェルトの目の前に古びた揺りかごを置いた。
(さすがに年代を感じるな・・・。でも、修理すれば何とか使えそうだ)
 そう思ったビッテンフェルトは管理人からその揺りかごを譲り受け、大事に持ち帰った。そして、すぐにでもヨゼフィーネが使えるようにと、揺りかごの修理に取りかかるのであった。



「さぁ、フィーネ、ここがお前の家だ!」
 ビッテンフェルトは抱いている小さな娘ヨゼフィーネに話しかけた。
 母と子の同時退院という待ちに待った喜ばしい日を迎えて、ビッテンフェルトは上機嫌だった。
 家族が増えて一気に明るさを増したリビングに、ビッテンフェルトが自らの手で磨き上げた揺りかごが置かれていた。
「この、揺りかごは・・・」
 アマンダの目が輝いた。
「懐かしいだろう♪」
 ビッテンフェルトは得意気に言って、抱いていたヨゼフィーネをそこに降ろした。
「えぇ、とっても・・・。でも、よく十年も前の物を見つけましたね」
 揺りかごの中のヨゼフィーネを見つめ、嬉しそうなアマンダであった。
「姉妹で、同じ物を使って大きくなるっていいだろう!」
 ビッテンフェルトも、感慨深げな妻を見て微笑む。
「素敵な思い出になります。・・・ありがとう、フリッツ」
 目を潤ませたアマンダが、ビッテンフェルトに礼を言った。
「アマンダ・・・お前、フィーネが生まれてから泣き虫になったな」
「・・・フリッツは心配性になりました」
 甘いムードで見つめ合う両親を、冷やかすようにルイーゼが言った。
「あの~、子供達の目の前で二人きりの世界にならないでよ!ねぇ、フィーネ!」
 姉は小さな妹に同意を求めた。ビッテンフェルトとアマンダはルイーゼの生意気な言葉に、思わず苦笑いするのであった。
 こうして、愛する妻と二人の娘に囲まれたビッテンフェルトの新しい生活が始まった。



 ヨゼフィーネは姉のルイーゼと違い、人見知りの強い赤ん坊であった。見知らぬ人がそばにいるだけで、大泣きしてみんなを焦らせた。
 同じ親から生まれた姉妹なのに、姉のルイーゼの赤ん坊の頃の愛嬌の良さと比べて、ヨゼフィーネは人に慣れるまで時間がかかる子だった。 
 特に毎年恒例の二ヶ月間の宇宙遠征から戻ったビッテンフェルトを、初めて迎えたヨゼフィーネは大変な状態になった。
 久しぶりに帰って来た父親を見るなり、ヨゼフィーネはカチンコチンに緊張して固まった。子煩悩のビッテンフェルトが喜びいさんで我が子を抱っこしようとしたとき、ヨゼフィーネは大泣きしてしまった。まるで人さらいにでもあったかのような怯えように、ビッテンフェルトの方が驚いてしまった。
 ひきつけでも起こしかねないヨゼフィーネのあまりにも激しい泣き方に、ビッテンフェルトはその日、抱くのを諦めてしまった。 
 その後しばらくヨゼフィーネは、ビッテンフェルトと目が合うたび泣き出し、ハイハイで逃げ出してはアマンダやルイーゼに助けを求めた。ビッテンフェルトが、愛娘ヨゼフィーネの顔をゆっくり見ることができるのは寝顔だけという悲しい状態が続き、家族は哀れな父親に同情した。
 初めて逢った時から自分に良く懐いたルイーゼとあまりにも違うヨゼフィーネに、ビッテンフェルトはその対応に困惑した。すっかり父親としての自信を無くしてしまったビッテンフェルトは、アマンダにそれとなくこぼした。
「フィーネはお腹の中にいたときの・・・あの頃の出来事を覚えていて、それで俺のこと嫌いなのかな・・・」
 アマンダがヨゼフィーネを妊娠していたとき、病気の治療のため赤ん坊を諦めさせようとしたことや、反発したアマンダが家出騒動まで起こした事などを思い出したビッテンフェルトが、寂しそうな顔をした。
「フリッツ、それは考えすぎですよ!」
 アマンダはそう言って、気持ちがめげている父親を慰めた。
 しかし、ビッテンフェルトは以前別荘に行った際、生まれて間もない頃の記憶を思い出したルイーゼをその目で見ている。今のヨゼフィーネの状態は、アマンダのお腹の中にいた胎児だった頃の記憶が影響しているのかも・・・とつい考えてしまうのである。
 アマンダは落ち込んでいるビッテンフェルトを見つめながら、当時の事を振り返った。
(あの頃の事は、子煩悩のこの人にとっては私以上に辛い経験だったのだ。フリッツは私の治療の方を優先させようとした事で、フィーネに負い目を持ってしまっている・・・)
 アマンダは、何とかビッテンフェルトの心の負担を和らげたいと願った。
「その・・・フィーネは少し疳の強い子なんです。それに今ちょうど人見知りが強い時期ですし・・・。あの子は男の人が苦手で、あのミュラーさんを見てもむずかってしまうのです。そんな具合ですから、遠征で二ヶ月間もいなかったあなたを見て泣くのも仕方無いでしょう。そのうち、見慣れたら落ち着きます。だからそんなに嘆かないで・・・」
 子供達に受けがよく、<泣いている子が笑う>という評判がつくほどのミュラーの笑顔をもってしても、ヨゼフィーネはいつもべそ状態になるのであった。
「あのミュラーでも泣かれてしまうのであれば、ずっと顔を合わせていなかった俺では無理もないか・・・」
「血の繋がった姉妹でも性格は大分違うようで、ルイーゼの大らかな性格に対しフィーネはちょっと神経質なところがあるようです。でも、フィーネもルイーゼもそして私も、あなたを愛しているという気持ちは同じですよ」
「そうか・・・」
 アマンダの説明に、少し納得したビッテンフェルトであったが、寂しさは隠し切れなった。
 ヨゼフィーネがビッテンフェルトに慣れるまでしばらくかかったが、アマンダの言うとおりやがて落ち着き、父親に笑顔を見せる程まで回復した。



 その一年後、再び訪れた遠征を前に、ビッテンフェルトはいろいろ工夫をこらしていた。まず自分そっくりの等身大の人形を作らせて、リビングに飾らせた。
 運ばれて来たその人形を見た途端、アマンダもミーネも絶句した。ビッテンフェルトにそっくりでニッコリと歯を見せて微笑んではいるが、何となく不気味な感じだ。それに大きすぎて、店先などに立っているならまだしも、普通の家庭のリビングにその人形を置くには違和感がありすぎた。
 その上、肝心のヨゼフィーネはビッテンフェルト人形を見た途端泣き出し、ルイーゼにまで「このお人形ファーターにそっくりだけど、なんだか怖い感じがするよ~」と、言われる始末だった。
「真夜中にその人形が立っているのを見たら、子供達がかえって怯えてしまいますから・・・」
 結局、アマンダに説得され、ビッテンフェルト人形はリビングから撤去となった。ビッテンフェルトのいつでも父親の存在を忘れずにするための<そっくり人形作戦!>は失敗に終わった。
 しかし、代案としてビッテンフェルトは、家族写真を大きなパネルにしてリビングに飾った。又、どの部屋にも、ヨゼフィーネと自分とのツーショットを中心に、たくさんの写真を飾った。
 自分がこれまで家族を撮った数々のビデオの中から、自分とヨゼフィーネが写っているシーンを主に編集し、それを一日に一回、必ずヨゼフィーネに見せる事もアマンダに頼んでいた。
 はたから見れば可笑しささえ感じるビッテンフェルトの行動ではあったが、遠征でいないうちにヨゼフィーネが父親の顔を忘れないようにするためと、本人は必死だった。
(昨年のような目に遭わないように・・・)と頑張るビッテンフェルトの健気な努力に、家族も協力した。
(このように毎日父親の顔を見たり声を聞いたりしていたら、遠征でいない二ヶ月間の空白は多少和らぐのでは?)と、ビッテンフェルトは期待と不安を胸に宇宙へ旅立ったのだ。


 二ヶ月後、宇宙から帰還して我が家に辿り着いたビッテンフェルトは、まず大きく深呼吸して心の準備をした。
 玄関の扉を開けると、まずルイーゼが自分の胸に飛び込んできた。
「ファーター、お帰り♪」
 そして、みんながそれとなく注目しているヨゼフィーネは、姉が喜んで父親に抱きついた姿を見て、その動作の真似をした。
 トコトコと父親の隣にやってきて、ルイーゼのようにビッテンフェルトにピタッとくっついてきたのだ。ビッテンフェルトの感動は言うまでもない。
 昨年の遠征後のヨゼフィーネの姿とビッテンフェルトの落ち込み振りを知っているルイーゼやミーネ、そしてアマンダは、互いに顔を見合わせほっと胸をなで下ろすのであった。



 アマンダはヨゼフィーネを産んで以来、体が調子が優れず家の中で過ごす事が多くなっていた。
 ビッテンフェルトは体調を崩しやすくなった妻の健康に人一倍気を遣って、体の負担になるような事は一切禁じていた。そのためアマンダは、元帥夫人として正式な場に出ることもほとんど無くなった。
 だが、ミュラー夫人のエリスはいつもビッテンフェルト家に来て顔を見せていたし、他の元帥夫人も時々様子を見にきており、奥方同士の交際は健在であった。
 特に子供好きなのに未だに赤ん坊に恵まれていないエリスは、ヨゼフィーネの育児の手伝いに夢中になっていた。そんな彼女を見るたび、ビッテンフェルトを始めアマンダもミーネもエリスのおめでたを願わずにはいられなかった。しかし、ミュラー夫妻にとって子供がいないということは、周りが考えているよりも深刻な問題ではなく、お互いの存在で充分幸せだった。
 アマンダは外出こそ少なくなったが、家族の愛に包まれて幸せの日々を送っていた。気候の良い時期の週末は、家族やミュラー夫妻と別荘で過ごしたりする穏やかな暮らしに、ビッテンフェルトはこのまま平穏無事な生活がいつまでも続く事を願うのであった。


<続く>