息吹 6

 アマンダの家出騒動以来、ビッテンフェルトは妻の願いである<赤ん坊を産む事>を受け入れた。しかし、日を追うごとに顔色が悪くなり辛そうなアマンダに、ビッテンフェルトはやきもきし、エリスやミーネも今まで以上にアマンダの様子に気を配っていた。
 そんな心配顔の夫に、アマンダは「ルイーゼを産むときも貧血気味になったんです。きっと体質なんでしょう。大丈夫ですから心配しないで・・・」と言って、今の状態は病気とは無関係であることを強調していた。
 ルイーゼを妊娠していたときのアマンダを知らないビッテンフェルトは、そう言われると何も言えなくなったが、体調が悪そうな妻に不安を募らせていた。
 早く出産をさせてアマンダの手術と治療を始めたいビッテンフェルトと、一日でも長く母体の中で赤ちゃんを成長させたいアマンダ・・・当然、二人の思惑は大きく違っていた。
 そんなビッテンフェルト夫妻のそれぞれの思いを知るアマンダの担当医のライナーと小児科医のフーバーは何度も話し合い、ときには口論となりながらも、母体と赤ん坊にとって一番良い方法を探し求めた。
 医師達の母子の無事を願う気持ちは、ビッテンフェルト夫妻に充分伝わっていた。ビッテンフェルトもアマンダも、二人の医師に全てを任せた。
 とりわけビッテンフェルトは、お腹の赤ん坊を優先させようとして自分の体調の悪さまで隠してしまうアマンダに、<両医師に何でも話して指示に従うように!>と念を押して頼み込んでいた。
 いつもは無茶な事をしでかすビッテンフェルトとそれを宥めるアマンダという夫婦だが、今回に関していえば全く逆のパターンであった。
 ライナーとフーバーの両医師は、超音波映像で推定する胎児の体重が1000グラムを越した段階で手術に踏み切った。同じ超未熟児でも1000グラムを越すと、生存率も高くなり後遺症の出る確率も大分減ってくる。
 標準の三分の一の体重で生まれるリスクは大きいが、アマンダの状態も思わしくなかったのである。フーパーは、赤ん坊の持つ生命力に期待した。
 アマンダは妊娠二十二週目で帝王切開により女の子を出産し、それと同時に子宮の摘出手術をおこなった。
 ビッテンフェルト夫妻の第二子は1001グラムの小さな赤ん坊で、当然、何ヶ月かは保育器の中で過ごすこととなる。しかし幸いなことに、赤ん坊にはこれといった異常も見つからず、二人の医師とビッテンフェルトを一安心させた。アマンダは手術後、入院して治療に専念している。



「おう!なんだぁ~、その帽子は?」
「ルイーゼの手作りですよ」
「そ、そうか。しかし、その色は・・・」
 病室に入ったビッテンフェルトが、アマンダの姿に思わず笑う。
「あら、あなたやルイーゼと同じ髪の色ですよ。新しい髪の毛が生えてくるまで、自分とお揃いにしたいとルイーゼがこの色の毛糸を選んだそうです」
 微笑みながらアマンダが説明する。
「ルイーゼも、帽子を手編みするような年頃になったか・・・」
 我が子の成長振りに感慨ひとしおのビッテンフェルトであった。
「ミーネさんに少し手伝ってもらったと言ってましたが・・・」
 そう言いながらアマンダは、娘の手作りの鮮やかなオレンジ色の毛糸の帽子を嬉しそうに被っている。
 アマンダは手術後、治療の副作用で髪の毛が抜けてしまっていたのだ。本人は時間が経てば元通りになるのだからと特に気にしていなかったのだが、その姿を見た娘のルイーゼのほうが心を痛めたらしい。
 ミーネに教わりながら必死になってこの帽子を編んだであろう愛娘の姿を思い浮かべると、アマンダは胸の中に温かいものが溢れてくるのだった。
「髪の色といえば、あの子は何色になるんだ!髪の毛が薄すぎてよくわからんなぁ~」
「今日の赤ちゃんは、起きていましたか?」
「いや、俺が見るときはいつも寝ている。瞳の色もわからん」
「ルイーゼも知りたがっていましたが、まだ目を開けているチャンスと巡り逢っていないようで・・・。新生児室の看護士さんによれば・・・」
 アマンダが悪戯っぽい眼差しで、目の前の父親が知りたがっている答えをわざと言おうとした瞬間、ビッテンフェルトが慌てて妻の言葉を遮った。
「こら、言うな~!俺は、実際にヨゼフィーネの開いた目を見て確かめるんだ!大体この病院は、新生児室の面会時間が短すぎる」
 保育器越しとはいえ、新生児室の我が子と会うのを楽しみにしているビッテンフェルトの鼻息が荒くなった。
「ヨゼフィーネ?」
 初めて聞く名前に、アマンダが不思議そうな顔をした。思わず言ってしまった名前に、ビッテンフェルトが少し照れたようにアマンダに教える。
「その~、赤ん坊の名前なんだ。いろいろ考えたんだが、どうもピンとこなくてなぁ。出生届けの提出期限も迫っているし、もう悩んでいる時間もない。それで、俺の名前<ヨーゼフ>から付けてみたんだがどうだろう?」
「ヨゼフィーネ・ビッテンフェルト。良い名前です」
 アマンダが嬉しそうに微笑んだ。
「そうか!では、この名で決定だな♪」
 ビッテンフェルトが妻の賛同を得て、二人目の娘の名前を決めた。
 こうして新たにビッテンフェルト家の一員となった赤ん坊は、父の名フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルトから<ヨゼフィーネ・ビッテンフェルト>と名付けられることになった。
 この命名されたばかりの嬰児は、後にローエングラム王朝と深く関わる運命の持ち主となるのだが、それはまだ遠い未来の話のこととなる。


 産後とは思えないほど頬が痩けてしまったアマンダを見つめて、ビッテンフェルトが心配そうに尋ねる。
「調子はどうだ?食欲はでてきたか?」
「少し食べられるようになりました。大分、体が薬に慣れてきました」
「よし、食べられるようになったか。これで体力も付く」
「ええ、昔、怪我したときに味わったアルカロイド性の毒の解毒剤の副作用に比べれば、今回はかなり楽ですよ」
「そうか?」
(大きな手術の後なのだから、今の方が体は辛いだろう・・・)ビッテンフェルトはそう思っていたが、アマンダにとって生まれた赤ん坊の存在が、治療の辛さを和らげる効果をもたらしているらしい。
「早く、この手でヨゼフィーネを抱きたいです」
「ヨゼフィーネだって、もう少し大きくなれば保育器から卒業だ!そうしたら、ここにも連れてきてもらえる」
「ええ、楽しみです」
 産後の体調不良、手術による体の負担、治療の薬の副作用など様々な要因が重なり、アマンダの抵抗力はかなり落ちてしまった。
 アマンダは自分の病室以外は外出禁止となっているため、新生児室の保育器に入っているヨゼフィーネにも逢えないでいる。
 ビッテンフェルト達も、ヨゼフィーネがいる新生児室、アマンダの病室と、それぞれの場所で消毒しマスクを付けての面会という忙しさだが、交代で毎日のように見舞いに来ていた。



「赤ん坊に初めて名前で声を掛けたとき、目を開けたんだ!やっとヨゼフィーネの瞳の色が判った!」
 会議後、一緒になったミュラーにビッテンフェルトが声をかける。
「良かったですね。エリスの話からすると、今度の子はアマンダさん似のようですね」
「なんだ、お前はもう知っていたのか?」
「ええ、まあ・・・。提督が直接ヨゼフィーネの瞳の色を確認するのを楽しみにしていらしたようなので、お知らせするのは遠慮しておきました」
 父親であるビッテンフェルトよりも先に赤ん坊の瞳の色を知っていた気まずさに、ミュラーは申し訳なさそうに答える。
 しかし、そんなことは全く気にしていないビッテンフェルトは、嬉しそうにヨゼフィーネの話を続ける。
「そっか。ヨゼフィーネは、アマンダの色を受け継いだ感じだな。瞳の色は蒼色だし、髪の色もクリーム色に近い気がするし・・・。同じ親から生まれた姉妹なのに、ルイーゼは俺に似てヨゼフィーネは母親に似たようだ」
 ビッテンフェルトの笑顔に、ミュラーも微笑む。
「エリスは自分が産んだみたいに張り切って、ルイーゼと一緒にせっせと病院の新生児室に足を運んでいますよ。昨日も『ヨゼフィーネは小さく生まれた割に泣き声が大きいと、看護士さんから笑われた』と言っていましたよ」
「はは、声の大きさは俺譲りだな♪・・・お前とこも早く子供が出来たらいいな。ヨゼフィーネと一緒に大きくなれる」
「こればかりは・・・。コウノトリのご機嫌次第ですよ」
 ミュラーとエリスは、結婚してもうすぐ5年目を迎えようとしている。子供好きの二人なのだが、まだ二世には恵まれていなかった。
「そういえばアマンダさんは、予定より退院が早くなるだろうと聞きましたが?」
「ああ、ヨゼフィーネと一緒に退院出来るように頑張っている。治療が順調に進んでいるから、この調子だと大丈夫だろう」
「そうですか。それはよかった」
 ミュラーも妻のエリスからアマンダの様子を聞いて一安心していたが、こうしてビッテンフェルトの口から直接「大丈夫!」という言葉を聞いた事で、より安心度が高まった。
「今回、アマンダさんに二人目を産んでくれた感謝の気持ちとして、別荘をプレゼントしたそうですね。評判ですよ~」
「はは、まあな。でも実は、あのオーベルシュタイン家の執事だったエーレンベルグ氏の別荘を買い取っただけなんだ。中古の上にかなり古くてなぁ~。今あちこち修理中だ!」
「あぁ、あのハルツの別荘でしたか。あそこは、アマンダさんとルイーゼの思い出の場所ですからね・・・」
「そういうことだ。アマンダ達が退院して落ち着いたら、家族の休日をそこで過ごせるようにしたいんだ。勿論、そのときはお前達も一緒だ!」
「ありがとうございます。そのときはしっかり便乗して、休日を満悦させて貰いますよ」
 ミュラーは、笑いながら答えた。
 ビッテンフェルト家は七元帥という地位の高さの割には、庶民的な暮らしをしている。使用人もミーネだけだし、ルイーゼも良家のお嬢様がいくような学校ではなく、近くの公立の学校に通っている。
 七元帥の子供達は男の子が多く、女の子はルイーゼと今回生まれたヨゼフィーネだけであった。フェリックスを始め男の子達は、アレクと同じように幼年学校に進むのだろうが、ルイーゼは女の子ということで、彼らとは別の道を歩んでもさほど問題にはならなかった。
 地位による特別扱いを嫌い、ましてや貴族的な振る舞いや生活などしないビッテンフェルトが、別荘を購入したということに皆驚いて噂にするほど、この夫妻は平凡につつましく暮らしていた。



「ムッター、来たよ。フィーネが来たよ♪」
 自分の小さな妹にフィーネという愛称を付け、可愛くてしょうがないといった様子のルイーゼが、病室のベットのアマンダに伝える。今日初めてアマンダの病室に、ヨゼフィーネが看護士に抱かれてやって来たのだ。
 まだ保育器に入っているヨゼフィーネだったが、順調な成長振りに主治医のフーバーがアマンダの病室への外出を許可したのである。一時間という時間制限が付いていたが、アマンダはやっと命がけで産んだ娘に、初めて対面する瞬間を迎えた。
 自分の腕の中に来たヨゼフィーネを、アマンダは嬉しそうに見つめる。
「こんなに小さくて軽いのに・・・随分重いわ・・・」
 理論的なアマンダにしては珍しく矛盾している言い方だが、その気持ちはビッテンフェルトにもよく判った。
 アマンダはヨゼフィーネの小さな手に自分の指先を添えて、愛おしそうに寝ている赤子に微笑む。
「この子の目は、お前そっくりなんだ!う~ん、フィーネ、ちょっとだけ起きてくれよ!」
 寝ているヨゼフィーネの顔を覗き込みながら、ビッテンフェルトは話しかけた。
「そんな、いいんですよ。ヨゼフィーネに逢う機会は、これからいくらでもありますから・・・。赤ちゃんは思い道理にはなりませんよ。こんなに気持ちよさそうに寝ているのに、無理に起こしては可哀想です」
 アマンダは苦笑いしながら、人差し指を口に立て(静かにするように!)という仕草をした。しかし、ビッテンフェルトは(おい、フィーネ!お願いだから起きてくれ!ムッターにその瞳を見せてやってくれ~)と心の中で叫んだ。そして、アマンダに抱かれているヨゼフィーネの小さなほっぺを、ちょんちょんと軽く突いた。
「フリッツ!」
 アマンダに注意されて肩をすくませたビッテンフェルトであったが、母親に抱かれていたヨゼフィーネが突かれた刺激で目覚めたのか、又は父親の願いを聞き入れたのか小さな欠伸をしているのに気が付いた。
「おい見ろ、アマンダ!」
 目をゆっくり開いたヨゼフィーネと抱いているアマンダの目が合った。ビッテンフェルトは(どうだ!)と言わんばかりに、得意気にそばにいるルイーゼやエリスにウィンクをする。二人とも、目を開けたヨゼフィーネに大喜びしている。
 ヨゼフィーネはまだよく見えていない筈だが、本能で母親が判るのだろうかつぶらな瞳でアマンダをじっと見つめた。小さな蒼色の瞳に写る自分の顔を見つめているうち、アマンダの目からどんどん涙が零れてきた。
「あなた・・・私にこの子を産ませてくださってありがとう。・・・私にヨゼフィーネを与えてくださった全ての人に感謝します」
 ビッテンフェルトはアマンダの震える肩に手を添えた。
 エリスは、この光景を生涯忘れることが出来ないだろうと、涙ぐみながら目に焼き付けていた。
 ビッテンフェルトは満足そうなアマンダを見つめながら、これまでの出来事を思い出していた。 

昔、人形が涙を見せるような悲しいアマンダの泣き方を
変えたいと思った
あれから十年、
アマンダはこんなふうに、
慈愛に満ちた表情で涙する母親になった
これでよかったんだ
これで・・・

 超未熟児だったヨゼフィーネも順調に発育し、保育器から卒業の見通しがついた。アマンダの手術後の容体も安定している。
 そこにいる誰もが、この日を無事に迎えられて良かったと思っていた。
 家族の笑顔の中にいたビッテンフェルトの脳裏に、アマンダの手術を執刀したライナーからの手術後の説明がよぎった。
「第一関門である出産は、何とか無事に済ませられました。でも、これからは・・・・・・」
 暗い表情で話すライナーの言葉は、ビッテンフェルトの心にずっと重くのし掛かっていた。その言葉を追い払うように、ビッテンフェルトは目の前の幸せを見つめ直す。
(お前達とムッターはいつも一緒だ・・・)
 ビッテンフェルトは、二人の娘に誓っていた。


<続く>