息吹 5

 ビッテンフェルトが教えられたホテルの部屋に入ると、アマンダは窓から見える夜景を見ていた。
 「いなくなっているかも・・・」と少しばかり不安になっていたビッテンフェルトは、本人がいたことに安堵した。
 周りを慌てさせた騒動の張本人は、普段と変わらず落ち着いている。
「・・・心配したぞ」
 ビッテンフェルトの言葉に、アマンダはすました顔で言った。
「自由に動けるうちに、訪ねたい場所がありました」
「・・・いつでも行けるだろう」
 まるでこの先の人生がないようなアマンダの言い方に、はっと顔色が変わるビッテンフェルトであった。
「お腹が大きくなってきたらあちこち行けませんし、生まれてからは治療や育児に追われてゆっくりできませんから・・・」
「そういう意味か・・」
「あなたらしくありませんね、悪い方に考えるのは・・・」
「お前を失うと考えただけで、恐ろしかった。だから、その・・・少し、強引過ぎた。お前の気持ちも考えずにすまない」
「フリッツ、あなたが謝る必要はありません。あなたは、間違った事はしていない。我を張っているのは私です・・・」
 アマンダは静かに微笑む。
「ルイーゼが生まれた頃、住んでいた場所に行ってみました」
「ハルツにあるエーレンベルグの別荘か?」
「ええ、そうです」
「自然に恵まれて、空気が美味しくて、窓から見えるハルツの山並みの風景がとても美しくて・・・。大きなお腹を抱えて、毎日それを眺めていました。ルイーゼが自然の中で過ごすキャンプが好きなのは、その頃の影響かもしれません」
「胎教というやつか?」
「ええ、・・・八年振りに妊娠して、あの頃の事を思い出すようになりました」
 アマンダは遠い目をして、語り始めた。


「ルイーゼの身籠ったと自覚したのは、全てを引き払ってオーディンに戻ろうとしていた矢先の事でした。妊娠初期に宇宙船に乗るわけにも行かず、ホテル住まいをしながらこの先どうしようか悩んでいたとき、偶然エーレンベルグさんとお会いしました」
 そう言って、アマンダは軽く椅子に腰掛けた。
「私がよほど思い詰めた顔をしていたのか、エーレンベルグさんは『閣下の代わりと思って話してみませんか?』と仰ってくださいまして・・・。私もつい、オーベルシュタイン閣下と雰囲気が似ている執事さんに甘えて相談してしまいました」 
 ビッテンフェルトもアマンダの正面の椅子に座った。そのとき、つい条件反射のように煙草を取り出した。しかし、目の前のアマンダに気が付いて、慌ててしまい込んだ。
 妊婦の前で煙草は吸わないという気配りは、ビッテンフェルトだって知っている事だが、この三日間で<座っているときは煙草>という習慣がすっかり身についてしまったのだ。
 その様子にアマンダは少し笑ったが、そのまま話を続けた。
「私のそのときの状態を聞いたエーレンベルグさんは、取りあえずあの別荘に住むこと勧めてくださいました。その後も、いろいろと気にかけて頂きました。ルイーゼが生まれ、その後の生活の目処が立つまで、私たち親子はあの別荘で暮らしていたんです。ルイーゼの事も、随分可愛がってくださいました。エーレンベルグさんは、私たちが新しい落ち着き先を見つけた後、しばらくしてオーディンに戻られました。その際、私にあの別荘の鍵を渡して『いつでも自由に使いなさい』と・・・」
 知らなかった当時の話に、ビッテンフェルトは深く溜息をついた。
「そうだったのか・・・。でも、なぜ、そのとき俺を頼ってくれなかったんだ?」
「だって、あの頃、私たち恋人同士ではありませんでした。あの晩は、お互い平常心とはいえない状態で過ごした夜でしたし・・・」
「その事は否定しない。だが俺は、あのあとずっとお前を捜していたんだ。お前を好きになっていた事に、後から気が付いたんだ」
 ビッテンフェルトは、その頃は言えなかった自分の気持ちを、今、アマンダに伝える。ビッテンフェルトの言葉に、アマンダが軽く微笑み見ながら応じる
「済んだ事です・・・」
「・・・俺のいつもの台詞をとるなよ・・・」
 ビッテンフェルトが思わず苦笑する。
「確かにそうだ、済んだ事だ。まぁ、回り道はしたが俺はお前を見つけて、こうして家族になったのだからよしとしよう」
 こういった切り替えの早さとプラス思考は、ビッテンフェルトの一つの長所とも言えよう。
「ハルツの別荘での生活は、俺の知らないお前とルイーゼの世界だな」
「ええ」
「だが、今回は仲間はずれにしないでくれ。俺も一緒に入れて欲しい」
「・・・産んでもいいのですか?」
「何言っているんだ。お前、産むつもりでこんなことしたんだろう」
 呆れたように、ビッテンフェルトは笑った。
「・・・こんなに頑固で、無鉄砲な事をするとは知らなかったよ・・・。いや、お前、八年前から変わっていなかったんだな。あのときも、一人でルイーゼを産んで育てていたんだから・・・」
 ビッテンフェルトは、昔、一夜を共にしたあと姿を消したアマンダと、再会した時の驚きを思い出していた。
「今度は二人で・・・いや、ルイーゼとお腹の子の四人で頑張ろう!」
「・・・フリッツ、ありがとう・・・」
「お前には負けたよ・・・。死ぬほど心配した。もう、こんな思いはたくさんだ」
「すみません・・・」
「いいか、二度、俺のそばから離れるな。絶対だぞ!」
 ビッテンフェルトはアマンダの存在を確認するかのように、強く抱きしめた。


 この長い三日間で、ビッテンフェルトはいろいろ考えた。
 ビッテンフェルト自身は、命の危険が伴うこの出産を選ぶ事が正しいとは思ってはいない。アマンダの熱意に負けて、自分の主張を変えてしまったのは確かだ。 
 しかし、運命なんてどんな形に変わるか判らない。正しい方が幸せだとは限らないのだ。
 今のアマンダにとっての幸せとは、男である自分とは微妙に違うような気がした。それがなんなのか、まだビッテンフェルトにもはっきりと見えてはいない。だが、アマンダの<産もうとする意志は変わらない・・・>ということは判ってしまった。
(説得が無理なら、アマンダの気持ちを受け入れて、その中で最良の道を捜そう・・・)
 アマンダの家出は、ビッテンフェルトの気持ちをそんなふうに変えていた。
(この先、みんなが、この選択でよかったんだと思うようにすればいいんだ・・・。アマンダを病気なんかで奪われてたまるか。絶対、家族四人の生活を手に入れてやる!)
 ビッテンフェルトは自分の胸の中にいるアマンダを抱きしめながら、心の中で決意していた。



「それで二人は、今頃ホテルのスイートルームで、仲直りの夜を過ごしているということかい?」
「ええ、先ほど連絡がありましたから・・・」
 心配してビッテンフェルト家に来ていたミュラーが、妻のエリスと話している。
「全く、夫婦げんかはなんとやら・・・だな。しかし、アマンダさんが見つかって良かった。後は、提督がなんとか彼女を説得出来るといいのだけれど・・・」
「・・・多分、アマンダさんの言い分が通るかと」
「えっ、しかし・・・」
「ビッテンフェルト提督でも無理なのであれば、誰もアマンダさんを説得できないでしょう。あとは、私たちが出来るだけの手助けをするだけです」
「やはり、そうなるか・・・」
 ミーネが二人に温かいココアを持ってきた。
「きっと大丈夫ですよ。そう信じましょう」
 ミーネは自分にも言い聞かせるようにそう言って、ミュラー夫妻を励ました。



 翌日、ビッテンフェルトとアマンダは揃って主治医のライナーの説明を受けていた。
「やはり、ビッテンフェルト元帥でも説得できませんでしたか・・・。難攻不落の要塞を幾つも落としてきた名司令官でも、奥さまの意志は難しかったようですね・・・」
 苦笑いのビッテンフェルトにライナーは「実は昨夜、元帥から連絡をもらってすぐ、ここにいる小児科のフーバー先生に奥さまのことをお話したんです」と言って、隣に立っている男性を紹介した。
「このフーバー先生は未熟児を扱うベテランで、他では難しい赤ちゃんも彼の手に係ればちゃんと育ってくれるので、彼の手は<天使の手>と呼ばれているほどです。今度から彼が、奥さまのお腹にいる赤ちゃんの主治医になります」
「それは、ありがたい。助かります」
 ビッテンフェルトが礼を言いながら、フーバーに手を差し伸べる。
「天使の手は、こんなにごつくはないと思いますけど・・・」
 笑いながら握手するフーバーは、ビッテンフェルトと同じくらい大柄で、確かに見た目だけでは小さな未熟児を扱う医者には見えなかった。
「・・・ビッテンフェルト元帥、実は、私は黒色槍騎兵艦隊の一員だったんですよ」
「えっ!」
「ランテマリオ星域会戦に一緒に出陣していました」
「そうでしたか・・・。知らずに申し訳ない」
「いえいえ、私は一介の軍医です。ご記憶に無いのも当然です」
 素直に謝るビッテンフェルトに フーバーは恐縮しながら伝える。
「あの頃、救助船は戦場では戦力にならず、軽く思われがちでした。当時の上層部には、お荷物扱いする指揮官もいて悔しい思いをしたこともあります。でも、閣下は違った。我々の存在価値を認めて下さいました。あのランテマリオ星域会戦後に、我々を一番に評価して頂いた感動は今も忘れません」
 当時の感激を昨日の事のように覚えているらしくフーバーは、少し興奮気味に言った。
「現在は退役して軍医をやめ、こうして小児科医に戻っていますが、閣下の力になれるとは嬉しいです。私も気持ちはまだ、黒色槍騎兵艦隊の一員のつもりです。私が、母子共々無事に出産させます!」
 フーバーの言葉に、ビッテンフェルトの心の中に、何だか明るい希望が差し込んで来た。
「頼む。アマンダと赤ん坊に、力を貸してくれ!」
「全力を尽くします」
 そう答えるフーバーは、司令官を慕う黒色槍騎兵艦隊の兵士達と全く同じ顔であった。


 ビッテンフェルトにとって、この選択がどのような結果になるのかまだ判らない。
 今はアマンダとお腹の子の無事を祈る・・・ただ、それだけであった。

<続く>