啐啄 1

 銀河帝国の王室の御用地であるフェザーン郊外の森で、蹄の音が聞こえる。皇帝であるアレクと、警護をしている親衛隊長のキスリングが乗馬をしているのだ。
 木々に埋もれる小道には木漏れ日が差し込み、馬上のアレクの顔は気持ちよさそうに見える。時間に縛られる皇帝としての日常から離れ、自然の中でのんびりと過ごしているアレクは心から楽しそうであった。
 アレクとキスリングからかなり離れた場所で、フェリックスとアルフォンスがアレク達の帰りを待っていた。いつもアレクに付きそう二人が、ここで待機しているのには理由があった。
 この小道は、場所によってはかなり道幅が狭くなっており、何頭もの馬がいてはいざというとき身動きがとれなくなる可能性があった。又、大勢での遠乗りは遠目からでも目立って狙われやすいという危険もある。それで二人はあえてこの場所で、自分たちが乗ってきた二頭の馬と共にアレクを待っていたのである。
 世間話をしていた彼らの目に、公道に通じる道から誰かが走って来るのが見えた。一瞬身構えた二人であったが、その不審者の正体が判ると笑って警戒を解いた。
 走ってきたのはアルフォンスの義理の妹のヨゼフィーネ・ビッテンフェルトである。この場所は高い木々に囲まれている森のうえ、王室のプライベートを守るため閉鎖的な空間にしており通信が取りづらい場所である。従って、義兄のアルフォンスに連絡がとれず、ヨゼフィーネ自身がここまで出向いたのだろう。息づかいも荒く、とても急いでいるヨゼフィーネの様子に、アルフォンスはなんとなく不安を感じた。
「義兄さん!大変~~!!」
「フィーネ!どうしたんだい?そんなに慌てて・・・」
「姉さんが急に産気づいて、さっき病院に運ばれたの!」
「えっ、ルイーゼが!何故?予定日までまだ二ヶ月もあるのに・・・」
 アルフォンスは、この予想外の知らせに驚いてしまった。
 彼の妻のルイーゼは現在第二子を妊娠中だが、八ヶ月目に入ったばかりである。予定日はまだまだ先の事で、出勤前の朝の様子はいつもと変わりは無かった。それだけにアルフォンスは意外に感じて戸惑っていた。
「とにかく、兄さんも早く病院へ・・・」
「そ、それでルイーゼの状態は?」
「今、姉さんと同じ血液型の父上が病院に向かっているの。輸血用の血が足りないらしくて・・・」
「輸血!?」
 動揺するアルフォンスに、悲痛な顔のヨゼフィーネが答えた。
「・・・出血が酷いらしいの。とにかく私、病院に急ぐから・・・。道に車を待たせているの!」
 焦っているヨゼフィーネの様子から、一刻を争うようなルイーゼの状態を感じ取りアルフォンスが一瞬にして青ざめた。
「アルフォンス、すぐヨゼフィーネと一緒に病院に行くんだ!陛下には、俺から事情を話す」
 隣にいたフェリックスが、固まっているアルフォンスを促す。同僚の言葉で我に返ったアルフォンスは、後のことを彼に頼むと、自分が乗ってきた馬にまたがった。そして、義妹のヨゼフィーネを自分の前に座らせると、車が待機している場所まで急いで馬を走らせる。妻のルイーゼの思いがけない状態に、アルフォンスの手綱を持つ手が震えていた。



 ルイーゼが運ばれた病院に駈け込んだアルフォンスに、エリスが声をかけた。
「アルフォンス、おめでとう!男の子が産まれたわ!ルイーゼももう大丈夫、安心して!」
 微笑を浮かべたエリスのその言葉を聞いた途端、アルフォンスは力が抜けたようにヘナヘナとその場にしゃがみ込んでしまった。
「よかった~。それで、ルイーゼは?」
「今は病室で休んでいるわ。私も一時はどうなることかと思って随分慌てたけれど・・・」
 エリスもほっとした様子で、アルフォンスを病室に案内する。
「しかし、驚きましたよ~。今朝まで何ともなかったのに・・・」
 額にかいた汗を拭いながら、アルフォンスがエリスに告げた。
「・・・実はね、アルフォンス、ルイーゼは主治医の先生から『胎児が少し下がり気味で、早産の危険があるので、安静にするように!』と注意されていたらしいの・・・」
 エリスの説明にアルフォンスは「えっ!ルイーゼは、なにも・・・」と言って驚いた顔になった。
「テオのときは安産でなんの心配も無かっただけに、ルイーゼの方にも自信と油断があったのでしょう。自分で大丈夫だと思い込んでしまったのね。私にも教えてくれなかったし・・・。でも、とにかく母子ともに無事で何よりだったわ」
 エリスのほっとした様子と対照的に、アルフォンスは何やら難しい顔になって考え込んでいた。
 二人が病室に入って来た気配で、眠っていたルイーゼが目を覚ました。アルフォンスがすぐそばに寄って声をかける。
「ルイーゼ、気分はどうだい?」
「えぇ・・・大丈夫よ。それよりアルフォンス、赤ちゃん見てくれた?」
「いや、まず君と話したくて・・・」
「私、産んだあと気が遠くなってしまって、大事な産声を聞き逃してしまったわ。あの子、ちゃんと泣いたのかしら・・・」
「大丈夫よ、ルイーゼ。私があなたの代わりに、産声をしっかり聞いたわ。元気な赤ちゃんだったわよ」
 エリスが、不安そうなルイーゼにしっかりと伝える。
「そう、よかった。テオは?」
「ビッテンフェルト家で、ミーネさんに預かってもらっているわ。子供達は大丈夫だから安心して・・・」
 兄となったばかりの二歳の我が子を心配するルイーゼに、エリスは今の状況を説明する。
「私、新生児室にいるみんなに、あなたが目覚めたことを知らせてくるわね」
 エリスは、夫婦二人っきりにさせて病室を後にした。アルフォンスは、まだ顔色の悪いルイーゼの手を握ると、溜息混じりに語りかけた。
「驚いたよ。心臓が止まるかと思った・・・。頭の中が真っ白になって、何も考えられなくなった」
「心配をかけてしまってごめんなさい・・・」
「いや!謝るのは私の方だよ。ルイーゼはずっと気が張っていたから、自分では体が参っていたことに気が付かなかったんだ。私の配慮が足りなかったんだ・・・」
 アルフォンスはルイーゼが早産になった原因は、自分にあると責任を感じていた。


 今から一年ほど前、ワーレンの父親でありアルフォンスの祖父でもあるテオドールの病が発覚した。
 テオドールは自分の余命を知っていたのかのように、最後まで病院に入院する事を望まなかった。高齢であるということも憂慮した医師は、『本人が自宅で過ごす方を望むなら、その方法で・・・』と薦め、ワーレンは自宅で療養する方を選んだ。
 父親のテオドールが、自分と同じ名を持つひ孫の成長を見るのを、何よりの楽しみとしていた事をワーレンは知っていた。年老いた父親から、その生きがいを取り上げるのは偲びなかったということもあったし、アルフォンスやルイーゼも最後まで祖父と一緒に暮らすことを望んでくれた。ワーレンは、父親の残り少ない日々を、自宅で家族と共に過ごさせる事にしたのだ。
 テオドールの闘病生活を、家族が必死に支えた。特にルイーゼは、育児と家事にと忙しい毎日であったが、祖父の世話に懸命だった。そのうち、二人目を身ごもり身重の体となったが、ルイーゼはいつものように明るく過ごしていた。
 ちょうど一ヶ月前、テオドール・ワーレンはヴァルハラに召された。家族に見守られての、安らかな最期であった。
 その後、ワーレン家は葬儀などで何かと慌ただしかった。ようやく家族の気持ちも落ち着き、ほっとした矢先にルイーゼの身に異変がおきたのである。


「こんなことになるなんて・・・。医者から『安静に!』と注意されていたことを知っていたら、無理にでも君を休ませたのに・・・」
「アルフォンス、私が悪かったのよ。妊娠中なのにお腹の子のことは二の次だったから・・・。小さく産んでしまって、あの子に申し訳ないわ」
 自分自身を責める妻に、アルフォンスが何か言おうとしたとき、ビッテンフェルトが病室に現れた。
「ルイーゼ、大丈夫か?」
 娘を気遣うビッテンフェルトに、アルフォンスはすぐさま謝った。
「義父上、私が付いていながらすみません。こうなってしまったのも私のせいです。祖父の看病や家のことをルイーゼに任せっきりにして・・・。普通の体ではなかったのに、無理をさせてしまいました。・・・申し訳ありません」
 アルフォンスの謝る姿を見て、ルイーゼが諫める。
「アルフォンス、やめて!父上、違うの!こうなったのは私が悪いのであって、アルフォンスのせいじゃないわ。私、亡くなったお祖父さまには、とっても可愛がっていただいたわ。だから、出来る限りの事をしてあげたくて・・・。早産になってしまったのは、自分の体を過信していた私が原因・・・。アルフォンスもお義父様も、いつも私に『無理しないで!』と気遣っていたわ。お願い、アルフォンスを責めないで!」
 ルイーゼの必死な目に、ビッテンフェルトは(判っている)と言う具合に頷いた。
「・・・お前の一度言いだしたら聞かない性格は、親の俺がよ~く判っている。アルフォンス、ルイーゼは予想以上に頑固だろう!」
「ええ、まあ・・・」
 本人を目の前に、アルフォンスも控えめに同意する。
「ともかく赤ん坊は無事生まれたし、お前もこうして落ち着いた。あとはゆっくり休んで体力を付けておかないとな!今度の子は、大変なやんちゃ坊主になりそうだぞ~!髪の色も目の色も俺と同じだ♪」
 ビッテンフェルトが目を細めた。本来なら母親のルイーゼに似ていると言うべきなのだろうが・・・。
「そうなんですか!よし、私も赤ん坊を見てこよう♪」
 二人の男の子の父親になったアルフォンスが我が子に逢う為、いそいそと病室を後にした。
 ルイーゼと二人っきりなったビッテンフェルトが、娘を労る。
「ルイーゼ、無理するな。お前の母親も、二人目のフィーネを産んでから大変だったし・・・」
「心配しないで!私と母上とでは、状況が違いすぎるわよ。それに父上から分けてもらった血が、私をすぐ回復させてくれるわ!」
 まだ顔色も悪く疲れが見えるルイーゼであったが、笑顔を見せて父の心配顔に応じた。
「そうだな・・・」
 ビッテンフェルトは二児の母親となったばかりの娘を、眩しげに見つめていた。



 アルフォンスが新たに生まれた息子に会うため、新生児室の扉を開ける。ちょうど父親のワーレン、エリス、ヨゼフィーネの三人が、ガラスの向こうの光景に見入っていた。新生児用の小さなベットが並ぶ様子は、見た者の心を和ませてくれる。
「手前のこの子よ!」
 母親のルイーゼの名札を付けたベットには、先ほど生まれたばかりの嬰児が手足をばたつかせて泣いていた。
「やっぱり周りの赤ん坊より、一回り小さいなぁ」
 アルフォンスが両隣の赤ん坊と比べて、思わず呟いた。
「小さく生まれても、ちゃんと育ちますよ。あんなに元気そうなのだし・・・。現に超未熟児で生まれたヨゼフィーネだって、こんなに大きくなったでしょう」
 エリスがそう言ってヨゼフィーネを見つめた。
 ヨゼフィーネは今回生まれた赤ん坊よりもっと小さく生まれたのだが、今やエリスやルイーゼの身長を追い越して、ビッテンフェルト家の女性陣では一番背が高くなっている。
「身長はこの辺で止まって欲しいんだけど・・・」
 二人の甥を持つ立場になったヨゼフィーネがはにかんだ。
「アルフォンス、姉さんを大事にしてあげてね・・・。子供にとっては、母親が元気で傍にいることが、一番嬉しい事だから!」
 蒼色の瞳に新しい甥の姿を映しだして、ヨゼフィーネは呟いた。
「全くだ・・・。テオや生まれた赤ん坊の為にも、ルイーゼを大事にせんとな!」
 嫁であるルイーゼの急変を聞いて慌てて駆け付けたワーレンも、ヨゼフィーネの言葉に同意した。
「判っているよ!それは、私が一番願っていることだからね・・・」
 アルフォンスもヨゼフィーネも、母親を早くに亡くし父親に育てられた子供であった。それだけに、母親のいない寂しさは充分知っている。
「大丈夫よ!ルイーゼは逞しいから・・・。ただ、自分を省みないで突っ走る癖さえ、気を付けてくれればね!」
 エリスの言葉に、一同が笑った。アルフォンスとヨゼフィーネの気持ちを慰めるかのように話すエリス自身も、母親の思い出が薄い子供であった。従って、アルフォンスやヨゼフィーネの願いは、エリスの想いでもあった。
 この部屋にいる四人は、さっきまでの騒動が嘘のような安らいだ空間に包まれていた。



「あんな慌てたワーレン元帥を初めて見ましたよ・・・。ルイーゼの夫のアルフォンスや父親のビッテンフェルト提督より、舅であるワーレン元帥が一番慌てていた感じでしたよ」
 自宅で今日の出来事を報告するエリスに、夫のミュラーはそのときのワーレンの気持ちを代弁する。
「きっと、自分の奥方の事を思い出して堪らなくなったのだろう。アルフォンスを産んですぐ亡くなったそうだから・・・」
「そうかもしれませんが、ワーレン元帥は嫁のルイーゼが本当に可愛いようですね。今回の事で、よく判りましたよ」
「うん。・・・しかし、足音が響く軍靴を両手に持ち、病院内を汗だくで走り回るワーレン元帥なんて・・・」
 今日の焦ったワーレンの姿を想像したミュラーが、思わず笑みを浮かべる。
「ビッテンフェルト提督だとやりかねないので驚かないと思いますが、ワーレン元帥がそんなことをしたものですから、とてもびっくりしましたよ。普段の様子からは、全く想像も出来ませんからね」
 エリスが驚いたのも無理もない。何事にも動じない冷静沈着なワーレンは、ここ何年も慌てる姿を人に見せたことがなかった。年を取るに連れて動作も重厚になり、ドッシリと構えた落ち着いた元帥という印象が強かった。若い兵士などは、(ワーレン元帥は焦る事がない!)と思っているらしい。アイゼナッハの声を殆どの帝国軍人が聞いたことがないという不思議さに比べれば、まだマシとも言える事であるが・・・。
「しかし、こうして笑い事ですませる事が出来て本当によかった」
「ええ、今日は本当に慌てました」
 突然の多量出血に驚いたルイーゼが、エリスに助けを求めた。そして、駆け付けたエリスが、身重のルイーゼを病院に運んだのである。
「マリアンヌ皇妃も心配だったらしく、私にまで様子を尋ねられたよ」
「あら、皇妃さまはもうルイーゼの事をご存じだったのですか?」
「そうらしい・・・」
「現在<いま>の皇妃さまにとっては、赤ちゃん誕生の話題はお辛いでしょう。もしあのご懐妊が順調であれば・・・と考えてしまう事でしょうから・・・」
 皇帝夫妻は勿論のこと、関係者や世間がずっと期待していたマリアンヌの懐妊は、結婚三年目を迎えた年に発表された。しかしその後すぐ、流産という不運な結果になってしまった。
 周囲の落胆は大きかったが、それ以上にマリアンヌ自身も相当ショックを受けたらしく、その後暫く静養を必要とした。ずっと人々の前に姿を見せずにいる皇妃の話題に、エリスも心配そうな顔をした。
「皇妃は、あれで意外と芯は強いお方だ。もう大丈夫だと思うが・・・」
 ミュラーはそう告げたが、エリスはマリアンヌの気持ちを思うと夫の言葉にすんなりと同意できなかった。
 皇妃候補であったルイーゼは、もうこれで二人の男の子に恵まれた。周囲からは、<やはり若い女性を皇妃にさせるべきだった!>という声が囁かれている。前回の懐妊はマリアンヌの大きな願いでもあり希望でもあった。それだけにその不幸な結果に、静養を必要とするくらいマリアンヌの精神的ダメージは大きかった。
 エリスには子供を授かった経験はなかった。しかし、マリアンヌの事を思うと、同じ女性として居たたまれなくなるほど切なくなる。

ナイトハルトと結婚して、
あっという間に月日が立った
ずっと、子供が授かる事を願っていた

若かった頃は、
「いつの日か・・・」という期待が、
確かにあった

・・・女性には、母親になれる時期に限界がある・・・
それが判っているから
時間の経過と焦りの中で
希望は少しずつ薄らいでいった

 マリアンヌはアレクより十歳年上の皇妃である。世継ぎへの不安とプレッシャーは、エリスの想像もつかないほど大きなものに違いない。エリスはマリアンヌの気持ちを想うたび、<皇妃さまにも早く赤ちゃんをお与えください!>と祈るのであった。


<続く>