デキ婚から始まった恋愛 11

 七元帥の一人であるケスラー元帥とマリーカ嬢の華やかな結婚式の翌日の夜、ここ<海鷲>では、ミッターマイヤー、ビッテンフェルト、ミュラーの三名で、幼妻を娶った元帥の話で盛り上がっていた。
「とてもいい結婚式でしたね~。花嫁も初々しくて可愛らしかったですし・・・」
「うん!しかし、あれほど夫婦の年が違うと、日常生活とかの会話が想像つかんな~」
 ビッテンフェルトが、ケスラーとマリーカの新婚生活を思い浮かべる。
「確かに。二十二歳の年齢差と言えば、ルイーゼの結婚相手が、士官学校を卒業する頃の軍人という感じですから、この差は大きいでしょう」
「なゃに~!ルイーゼの結婚相手!!」
 ミュラーの言葉に、ビッテンフェルトの目がつり上がる。
「例え話ですよ!」
「例え話でもゆるさん!」
 本気で怒っている様子のビッテンフェルトに、ミュラーとミッターマイヤーが顔を見合わせて笑った。
「ともあれ、ケスラー元帥、幸せそうでよかったですね。年齢差はありますけど、お似合いのカップルですよ!」
「さて、次は、誰の結婚式に呼ばれるのかな?」
「勿論、ミュラーだろう」
 ミッターマイヤーの問いに、ビッテンフェルトが当然といった顔で答える。
「えっ、私はまだまだですよ。なかなか縁が無くて・・・。それより前から不思議に思っていたのですが、ビッテンフェルト夫妻は結婚式を挙げられないのですか?」
 ミュラーが自分に降りかかった話題をすり替えるように、ビッテンフェルトに問いかける。
「ん、俺達!?・・・う~ん、あいつとはもう一緒に暮らしているし、今更なぁ・・・」
 そんなビッテンフェルトに、ミッターマイヤーが意外そうな顔で問いかけた。
「珍しいな?お前、こういう事はキチンとさせるタイプだと思っていたよ。それに、派手なイベントも好きだろう?」
「・・・」
 ミッターマイヤーの指摘に、思い当たるビッテンフェルトが言葉に詰まる。
「しかし、司令官のお前が結婚式を挙げないと、これから結婚する黒色槍騎兵の連中が式を挙げられなくて困るだろう?」
 ミッターマイヤーの忠告に、ミュラーも(確かに・・・)というように頷きながら、ビッテンフェルトに伝える。
「黒色槍騎兵の兵士達は、敬愛する司令官にいつも右習えですからね~」
「良くも悪くもだがな!」
 ミッターマイヤーが茶々を入れて笑う。
「確かにあいつらは、すぐ俺の真似をする傾向はあるが・・・」
 苦笑するビッテンフェルトに、ミッターマイヤーが更に問い詰める。
「お前の部下はいいとしても、その恋人達が可哀想だな。憧れのウエディングドレスを着られなくて・・・恨まれるぞ、お前!」
「ビッテンフェルト提督、この際だから思い切って結婚式を挙げてみては?きっと、アマンダさんの花嫁姿は素敵ですよ~。私も是非、拝見してみたいですね!」
「うぅ・・・」
 二人から責められたビッテンフェルトは、グラスの酒を一気に飲み干すと、照れくさそうに呟いた。
「お、俺はアマンダに『結婚式を挙げよう!』と言ったんだ・・・」
「それで?」
 ミッターマイヤーとミュラーが、興味津々の顔で尋ねる。
「アマンダが『形式には拘らない・・・』と言ってやりたがらないんだ・・・」
「なんだ、奥方が乗り気じゃないのか。まあ、あまり目立ちたくないんだろうな~」 
 ミッターマイヤーが納得したように頷く。
「確かにもう一緒に暮らしていますし、夫婦で社交界にも顔を出していますので、アマンダさんもわざわざ結婚式を挙げる必要を感じていないのでしょう。合理的な彼女らしいです」
 ミュラーが頷く。
「う~ん、アマンダに関していえば、それだけじゃないような気がするんだ。だが、何となく聞きづらくてな・・・」
 ビッテンフェルトは黒色槍騎兵艦隊が遠征に行く前に、アマンダに結婚式について訊いたことを思い出していた。

結婚式を挙げようと提案したとき、
あいつの表情<かお>
一瞬、陰りが見えたのを
俺は見逃さなかった
「遠征の準備を優先させて欲しい」
結婚式という形式には拘らない」
アマンダは、そう言って結婚式を避けた
俺は(何かある・・・)と勘づいたから
それ以上、結婚式について触れなかった・・・
(アマンダが理由<わけ>を話してくれるまで待とう・・・・)
そう思っていた 

 真面目な顔になって考え込んでしまったビッテンフェルトに、気を使ったミュラーが少し冗談気味に伝える。
「珍しいですね。ビッテンフェルト提督が遠慮するなんて・・・」
 いつも相手の都合を考えずに強引に行動するビッテンフェルトを、嫌と言うほど知っているミュラーだけに、半分本音も入っていたが・・・。
「うん、まあな・・・。だいたい普通、女というものは結婚式には憧れるのものだろう。だが、アマンダは俺が探し出すまで、一人でルイーゼを産んで育てていたんだぜ!あいつは、元々結婚という形に拘っていなかったんだ。だから俺もあまり強く言えなくて、ついずるずる~とな!」
「しかし、あまり時間が経ち過ぎると、かえって結婚式を挙げる機会を逃しませんか?」
「俺もそう思うところもあるのだが・・・。何かいいきっかけでもあればな~」
 少し考え込んでいたビッテンフェルトだが、なにか思いついたらしく、薄茶色の瞳を輝かせてミュラーを見つめた。
「そうだ!ミュラー、お前さっき<アマンダの花嫁姿を見たい!>と言っていたな!」
(悪い予感が・・・)
 過去の経験から思わずミュラーの顔色が変わった。
 そんな僚友に、お構いなしにビッテンフェルトが頼み込む。
「それで、アマンダを説得してくれないか?」
「はぁ?私がですか?」
「案外お前のほうが、アマンダも話しやすいかも知れない・・・」
 自分の思いつきに納得したように頷くビッテンフェルトに、ミュラーが問い掛ける。
「話しやすい?何をですか?」
「俺が聞きづらくて、アマンダが言えずにいることだ!それに前にも言ったが、アマンダはお前には話しやすいところがあるみたいだし・・・」
 ビッテンフェルトのいつにない真面目な顔に、ついミュラーが返答する。
「判りました。私でお役に立てるならば・・・」
(なぜ恋人もいない私が、人の奥さんに花嫁姿になって欲しいと頼まなきゃいけないんですか?)と心の中で思っていたが・・・。
 そんなミュラーの肩を、ミッターマイヤーが憐みの眼差しで軽くたたいて励ましていた。


 翌日、菓子箱を抱えたミュラーはビッテンフェルト家を尋ねた。
「この近くまで来たもので・・・。このお店のケーキは美味しいですよ。ルイーゼにどうぞ・・・」
「ルイーゼは今、お昼寝中なんです。でもミュラーさん、お時間があるのなら一緒にお茶にしませんか?」
 何かぎこちないミュラーの様子にピンときたアマンダが、彼を家の中へ招いた。
「ルイーゼは、もう歩き始めたそうですね」
 ビッテンフェルトからルイーゼの日々の様子をいつも聞かされているミュラーは、彼女の成長ぶりは十分把握している。
「ええ、歩行器の暴走からは解放されましたが、自分で歩けるものだから意気揚々とどこまでも行ってしまうので、目が離せないのは変わらないんですよ」
「はは、目に浮かびますね、その光景・・・」
「フリッツに何か頼まれましたか?」
「?」
 不意にアマンダに尋ねられて、ミュラーは言葉に詰まった。
「ミュラーさんの顔に書かれていますよ、フリッツに無理難題を言われたと・・・」
 相変わらず何もかもお見通しのアマンダに、ミュラーは正直に伝える事にした。
「ええ、まあ・・・その~、実はアマンダさんの意見を聞いて欲しいと頼まれました」
「・・・何でしょう?」
「お二人の結婚式の事なんですが・・・」
「・・・」
 それまでにこやかにしていたアマンダの表情に、微かな緊張感が漂った。それを察したミュラーが慌てて謝る。
「あの~、黒色槍騎兵艦隊の司令官が結婚式を挙げないと部下達も挙げられないと、私がつい余計な事を言って煽りましたから・・・。すみません」
 恐縮するミュラーに、アマンダは手付かずにいた目の前のコーヒーとケーキを勧めた。
「ミュラーさんには、フリッツがいつもご迷惑ばかりかけて申し訳ありませんね」
 アマンダがビッテンフェルトに振り回されるミュラーを労う。
「いいえ、とんでもない。私の方こそビッテンフェルト提督には、いつもお世話になっています」
 ミュラーがそう言って応じる。
 アマンダは、コーヒーをゆっくりと飲んで一息入れた後、ミュラーに話し始めた。
「・・・ミュラーさん、実は私・・・ウエディングドレスに苦手意識があって・・・」
(ウエディングドレスに苦手意識?どういう意味なんだろう・・・) 
 アマンダの意図が掴めず、手にケーキ用のフォークを持ったままミュラーが固まってしまった。そんな彼を見たアマンダが、思わず苦笑する。
「すいません。こんな言い方をして・・・」
「あの~、もしよろしかったら私に話してみませんか?もちろん無理にとは申しませんが・・・」
 ミュラーの温和な笑顔を見つめたアマンダが、頷きながら伝えた。
「ミュラーさんは、私に婚約者がいたことは知っていますよね」
「はい。軍人でお亡くなりになったんですよね・・・」
「ええ、でもあの人は・・・・・・名誉の戦死ではありませんでした」
「あの、お亡くなりになった経緯は、ビッテンフェルト提督から伺って知っています」
「そうですか・・・」
 アマンダは過去を思い出している遠い目になっていた。
 アマンダの婚約者が、部下を庇った故に貴族の上官に無惨に殺されたという事は、ミュラーはビッテンフェルトから聞いて知っていた。
 当時の一部の貴族の横暴ぶり・・・温和なミュラーさえ憤りを感じる事件が何度もあった。
 貴族という特権の中で育てられた人間の中には、自分の意に添わない者を排除することは当たり前といった愚かな考えの持ち主も珍しくなかった。
「あの人の死を、関係者は隠して闇に葬ろうとしていました。地下牢に虫けらのように捨てられていたあの人の遺体を、必死になって探し出してくれたのは彼の部下の方々でした」
「・・・・・・」
「私にその知らせが告げられたのは、亡くなってから三日目・・・結婚式の当日でした。私は、花嫁姿のまま変わり果てたあの人と対面したのです」
「結婚式の日に・・・」
 ミュラーは思わず眉をひそめた。
「・・・幸せの絶頂から、いきなり奈落の底に突き落とされた・・・そんな感じでした」
 アマンダは当時の自分の心境を、冷静に告げる。
「倉庫に安置されたあの人の顔をみて、私は当時の貴族社会を心底恨みました。・・・そのとき、オーベルシュタイン閣下と出会ったのです」
 淡々と話すアマンダに、ミュラーは返す言葉が見つからなかった。
「その後、私は軍人としての道を進みました。それからの人生は、大体ご存じだと思いますが・・・」
 アマンダのその後の人生は、軍人としてオーベルシュタインの部下となり、貴族連合軍の戦いの際は諜報の工作員として、その後は軍務省の秘書官として勤務していた。
 だが、ミュラーにとって当時の関わりはハイネセンでの一件ぐらいで、アマンダという人間を知り得たのは、退役してビッテンフェルトと家庭を持ってからである。
「フリッツには悪いと思っています・・・。でも、私は再びウエディングドレスを着ようという気持ちにはなれなくて・・・」
「すみません、知らぬ事とはいえ、辛い事を思い出させてしまいました」
 ミュラーが申し訳なさそうに告げる。
「いいえ、私も助かりました。このことは、何度もフリッツに話そうと思ったのです。でも話せずにいて・・・良いきっかけになりました」
「そう言って貰えると、私も助かりますが・・・。でも、この話は私からビッテンフェルト提督にお伝えしましょう。アマンダさんは彼に話さなくても大丈夫ですよ。この件を何度も思い出すのはお辛いでしょうし・・・」
 ミュラーの気配りにアマンダが礼を言う。
「ありがとうございます、ミュラーさん。私は、今のままで充分幸せです。だから・・・」
 アマンダの縋るような目に、ミュラーが頷く。
「ええ、判ります。結婚式を挙げなくても、この幸せな生活に変わりはありませんよ。ビッテンフェルト提督もきっと理解してくださいます」
 アマンダは穏やかな微笑みで返したが、その蒼色の瞳には哀しそうな憂いが漂っていた。
(この女性<ひと>の、心の奥に閉じこめていた哀しい思い出の扉を開かせてしまった・・・)
 そんな気がしたミュラーは、何だか心苦しい気持ちでビッテンフェルト邸を後にした。


 ミュラーを見送り、一人になったアマンダは、運命を変えたあの日を思い出していた。

「結婚式まで仕事が忙しくて逢えないが、
その代わりハネムーンで埋め合わせはするから・・・」
の人の最後の言葉・・・

信じられなかった・・・
信じたくなかった・・・
変わり果てたあの人を見るまでは・・・
の部下達が泣きながら伝えたあの人の無惨な死に方・・・
哀しみが怒りに変わった・・・
拷問の跡が残るあの人の死に顔を見て
怒りに憎しみが加わった・・・
軍事施設の片隅の倉庫で、
私は貴族に復讐を誓った
「こんな社会・・・おかしい・・・許せない・・・」

「この貴族社会を変えたいかね?」
暗闇の中で響いた低い抑揚のない声
オーベルシュタイン閣下だった
(この人も貴族を憎んでいる)
初対面なのにそう感じた
「仇を討ちたい・・・そのためなら、何だってする・・・」
そこには、復讐の鬼と化した花嫁姿の私がいた
感情を捨て、諜報の世界に染まる私の原点だった・・・  
 
 お昼寝から目覚めたルイーゼの父親譲りの大きな泣き声で、アマンダは我に返った。
 両手を前に伸ばしてバランスを取りながら歩く姿は、歩き始めた今しかしない愛らしい仕種だろう。母親の姿を見つけると、薄茶色の瞳を潤ませたまま、にっこり笑ってアマンダの胸に飛び込んできた。

現在<いま>の私の居場所、
フリッツやルイーゼと共に暮らす穏やかな幸福
でも、純白のウエディングドレスを見ると、思い出してしまう・・・
復讐という思いだけで生きていたあの頃の私を・・・  

 昔の自分を思い出したアマンダは、深い溜息をついていた。


 アマンダから話を聞いたミュラーは、その後、ビッテンフェルトと待ち合わせていた喫茶店に向かった。
 珍しく先にいたビッテンフェルトが、入り口で店内を見渡すミュラーに、手を振って自身の存在を示す。
「済まなかったな、ミュラー。面倒な事を頼んで・・・」
「いえ、アマンダさんからお話を伺えました」
 ミュラーは、アマンダから聞いた話をビッテンフェルトに伝える。
 一通りの話を聞いたビッテンフェルトは、「そうか、結婚式の当日にか・・・」とポツリとそう呟いた後、暫く考え込んでいた。

アルベルトの仇である貴族への復讐心から、
軍人になったということは
アマンダから聞いていた
<アルベルト>との思い出話も、
夫婦の会話の中に自然に入るようになっていた
だが、結婚式の日に
あいつの死を知ったという話は初耳だ・・・

この件を、俺に話せずにいたということは
アマンダ自身でさえ触れられずにいた出来事ということか・・・

 ビッテンフェルトは「う~ん」と唸った後、突然、決意したように宣言した。
「よし、俺たちは結婚式を挙げるぞ!」
 彼の思いがけない言葉に、ミュラーは飲みかけていたコーヒーを吹き出した。
「ちょ、ちょっと待って下さい、提督!私の話をきちんと聞きましたか?アマンダさんの気持ちを少しは考えて下さい。辛い記憶を生々しく思い出させる事もないでしょうに・・・」
 慌ててミュラーは、ビッテンフェルトを思い止まらせようとした。
「アマンダが結婚式に対して辛い思い出があるのなら、それを擦り替えればいい!」
 ビッテンフェルトは、ニンマリしながら答えた。
「思い出を擦り替える?」
「ああ、そうだ。俺は、アマンダのこれから先の人生では、結婚式の思い出が幸せなものとなるように変えてしまうんだ!それに、夫である俺がアマンダの花嫁姿を見られずにいるのに、あのオーベルシュタインが見ていたというのが気にくわん!」
「・・・・・・」
 呆気にとられるミュラーを後目に、ビッテンフェルトは次の行動に入っていた。
「そうだな、式は早い方がいいな!よーし、これから忙しくなるぞ~。早速、オイゲンに連絡して・・・」
 猪突猛進のビッテンフェルトには、もう周りの事など目に入らなくなっているようだった。張り切っているオレンジ色の髪の猛将は席を立ってどこかへ行ってしまい、残されて一人になったミュラーは深いため息を吐いた。
(『辛い思い出は擦り替えればいい!』そんなふうに考えるなんてビッテンフェルト提督らしい・・・)
 ミュラーは自身の辛い思い出を振り返ってみた。  

・・・あれから何年も経っただろう・・・
きっと、私と別れた彼女は、
悲しい恋愛の思い出を
新たな幸せに替えたよな・・・
なのに・・・
私は、まだ割り切れずにいる  
いい加減にしないと・・・    

 ミュラーは自嘲気に首を振り、残っていたコーヒーを飲み干した。 
 冷めたコーヒーは苦みを増して不味かった。



 アマンダに内緒で結婚式の準備を始めたその日、ビッテンフェルトは夜遅い帰宅になった。
 リビングに入ったビッテンフェルトを、窓を開けて夜空を見ていたアマンダが迎えた。
「お帰りなさい・・・」
「アマンダ、何をしていたんだ?」 
 ビッテンフェルトの問い掛けに、アマンダは微かな笑みを浮かべて、酒の入ってるグラスを見せた。
「ほう、珍しいな・・・。俺も一緒に飲んでいいか?」
 アマンダが頷き、夫の為に新たなグラスに酒を注いで手渡した。
「う~ん、夜風が気持ちいいな~」 
 酒の入ったグラスを片手に、ビッテンフェルトがご機嫌になる。そんな夫を見つめて、アマンダが軽く窘めた。
「フリッツ、ミュラーさんを振り回すのは可哀想ですよ」
「ん?結婚式の件か?今回は、あいつが言い出したんだ!『お前の花嫁姿が見たい!』って・・・」
「・・・それは私ではなくて、恋人に話す言葉でしょうに・・・」
 アマンダのあきれ顔に、ビッテンフェルトも笑う。
「まあ、ケスラーの結婚式を肴にして飲んでいたときだったからな。話の流れで、つい言ったんだろう」
 ビッテンフェルトがミュラーを弁明する。
 そんな夫婦の会話にチョットした間ができたとき、アマンダがビッテンフェルトに持ち掛けた。
「フリッツ・・・あの、私は・・・」
 アマンダの少し身構えて話す様子に、ビッテンフェルトが告げる。
「アマンダ、そんな顔するなよ」
「・・・」
「ミュラーから聞いた話で充分だ。お前は何も話さなくていい。それに、今、お前が俺に話したら、ミュラーの折角の気配りが無駄になるぞ!」
「でも・・・」
「時間<とき>が経てば、そのうち思い出話として、すんなりと話せるようになるさ!」
 ビッテンフェルトはアマンダにウィンクすると、さり気なく話題を戻した。
「しかし、何でミュラーに恋人が出来ないのか不思議だよな?男の俺から見ても良い奴なのに・・・」
 夫の思いやりを受けて、アマンダも切り替わった話題に話を合わせる。
「・・・ミュラーさんは恋愛に関しては、気持ちの切り替えがあまり得意ではないようですから・・・」
 アマンダの言葉に、ビッテンフェルトが尋ねる。
「あいつ、まだ、別れた女への気持ちを引きずっていると?」
「さあ、どうでしょう・・・」
 はぐらかすようにアマンダが答えたが、ビッテンフェルトもミュラーの事は同じように感じていた。
「う~ん、戦場では旗艦を次々変えたりして、気持ちの切り替えは鮮やかなものだが、恋愛だとそういう訳にはいかないのか・・・」
 ビッテンフェルトの小さな溜息と当時に、窓から風が入り、ビッテンフェルトのオレンジ色の髪とアマンダのクリーム色の髪が揺れた。
「・・・お前はいつになったら、気持ちを切り替えて、自分を許せるようになるんだ?」
「・・・私をですか・・・」
 顔に掛かった髪を直して、アマンダはビッテンフェルトを見つめた。
「前から一度言いたかったのだが・・・。お前は以前『自分はオーベルシュタインの持ち駒に過ぎない』と言ったことがあるな」
「ええ」
「だったら、駒は結果に責任を感じる必要はない!」
「・・・・・・」
「俺の言っている意味、判るよな?」
「ええ、理屈では理解しています」
「・・・だが、感情が伴わないか・・・」
「・・・あの頃、私がした事は忘れてはいけないと・・・」 
「俺は無理に忘れろと言っている訳ではない!ただ、必要以上に自分を責めるな!と言っているのだ」
「・・・貴族への復讐に燃えていた私は、いろいろな意味で残酷でした」
「アマンダ、いいか、俺たちは戦争をしていたんだ!命がけの戦いに、誰も文句を言わん・・・」
(同じ戦場で戦友や部下を失った者が、自分を責めてしまうことはよくあることだ。自分だけが生き残ってしまったという思いは、ときには罪悪感に変わる事さえある。しかし、アマンダの場合は・・・)
「・・・あの当時、私は生き延びるつもりなんてなかった・・・だから・・・非情で冷たい人間になれた。工作員として目的の為なら手段を選ばず、何でもしていた・・・」
 アマンダは、心の奥底の想いを吐き出していた。
「滅ぼした貴族側の人たちには、誇りを傷つけられる前にと、小さな我が子を道連れに死を選んだ人もいます・・・。あの頃の私は、それを平然と見てやり過ごしていました・・・」
「違う!お前は平然と受けとめられなかった。だから、心を閉ざしたんだろう・・・」
「・・・・・・」
 軍人時代のアマンダは、表情を出さないことで有名であった。
 貴族社会の醜い裏の部分で工作員として過ごす日々の中では、感情を捨てなければやりきれないこともあったのだろうと、ビッテンフェルトは思っていた。
「私は・・・幸せになるのが怖かった・・・。幸せになる資格はないと思っていた・・・。だから、あなたからも逃げた・・・。愛してしまいそうで・・・」
「だが、俺はお前を見つけた。ルイーゼの存在も知った。お前達と暮らすこの生活はもう俺の一部だ!」
「・・・・・・」
 ビッテンフェルトはアマンダが苦しんでいることは知っていた。
 一緒に暮らし始めてからも何とかしてやりたいと思っていたが、アマンダの心の奥の微妙な部分だけになかなか踏み込めずにいた。
 ルイーゼがアマンダの感情を取り戻してくれたように、このまま時間の流れと日々の安らぎの中で少しずつ癒されれば・・・と、ビッテンフェルトはそう願っていた。
「お前が罪悪感を持つことはないんだ。お前は軍人として命令に従っただけだ。責任を負うべき人間は、命令を下した者だ」
 それは、黒色槍騎兵艦隊の司令官として戦場で戦ってきたビッテンフェルトの覚悟でもあるのだろう。
「全く、オーベルシュタインめ、無責任にヴァルハラに逝きやがって・・・」
 吐き捨てるように呟いたビッテンフェルトに、アマンダが伝える。
「・・・もしオーベルシュタイン閣下が生きていたら・・・私はまだ軍務省にいたことでしょう」
「ん?だったら、今の生活はあり得なかったかも知れんという事か・・・」
 アマンダの言葉に、ビッテンフェルトは違う未来を想像するが、今の生活に勝るとは考えられない。思わず首を振ったビッテンフェルトが冗談めかして告げる。
「うん、あいつは早々とヴァルハラに逝ってもらってよかった!ホントに!」
 ビッテンフェルトの率直な感想に、アマンダは思わず苦笑いをしていた。穏やかな表情になった妻に、夫が話しかける。
「なあ、アマンダ、たまには胸の中を吐き出すのもいいだろう?こうして、少しずつでもいいから心を軽くしていこう。そのうち、全てから解放されるさ・・・」
「・・・フリッツ、ありがとう」
 アマンダの感謝の言葉に、ビッテンフェルトが妻の頬に両手を添えて伝えた。
「生き残った者は、逝ってしまった人間の分も幸せにならないとな!そんなふうに思えよ」
「・・・ええ、今はあなたとルイーゼと暮らすこの幸せが、ずっと続く事を願う欲張りになっています。本当に・・・」
「そうか」
 ビッテンフェルトは、アマンダをそのまま抱き寄せた。窓辺の二人のシルエットが重なる。レースのカーテンが風に揺れ、心地よさを感じる初夏の夜だった。



 ビッテンフェルトの久しぶりの休日は、吸い込まれそうな青空の広がった晴天に恵まれた。
 朝食の後、ビッテンフェルトはアマンダに言った。
「これから三人で出かけるぞ!」
「ええ、天気もいいし、外は気持ちがいいでしょう」
 休日にルイーゼと散歩するのを楽しみにしているビッテンフェルトの事だから、いつものように公園にでも行くのだろうとアマンダは思っていた。
「行き先は教会だ!今日は俺たちの結婚式だ!」
「!!!」


 オイゲン夫妻によって、結婚式の準備は全て整えられていた。 
 控え室で一人になったアマンダは、鏡に映る自分のウエディングドレス姿を見つめていた。
(・・・私は、この姿で貴族に対しての復讐を決意したのだ・・・)
 深い溜息がアマンダから漏れた。
『・・・晴れの日に、花嫁がそんな顔してはいけないな・・・』
 アマンダの耳に入った低く抑揚のない声、その感情を感じさせない声には聞き覚えがあった。
「オーベルシュタイン閣下?」
 アマンダが思わず辺りを見回す。だが、懐かしい声の持ち主は見えなかった。
『あの日に戻って、やり直すんだな』
「あの日に戻る?」
 再び聞こえた声に応じたアマンダは、鏡に映る自分を見つめ直すと、時間を遡るような遠い目になった。
(あの日もこうして鏡に花嫁姿を映して・・・愛する人を待っていた・・・)
 アマンダが運命の日を思い出していたとき、「よう!」という声と共に、元帥の正装姿のビッテンフェルトが現れた。
 花嫁姿のアマンダを見つめ、新郎のビッテンフェルトは満足気に語る。
「ルイーゼが話せたら、きっとこう言うぞ!『今日のムッターはとってもきれい。なんて素敵な花嫁だろう!』って・・・」 
 照れくさそうなアマンダを見つめたビッテンフェルトが、改まって妻に告げる。
「アマンダ、俺は、祭壇の前で愛を誓う前に、お前に言いたい事がある!」
 姿勢を正したビッテンフェルトが、深く深呼吸して告げた。
「アマンダ・・・愛している」
 夫からの愛の告白を受けて、アマンダがふっと微笑んだ。そして、ビッテンフェルトを見つめる。
「私も貴方を愛しています」
 アマンダの返事にビッテンフェルトが安心したのも一瞬で、次の妻の言葉に思わず身構えてしまった。
「只、一つだけ約束して欲しい事があります!」
「お、おう、何だ?」
 思いがけないアマンダの要請に、思わずビッテンフェルトの肩に力が入る。
「・・・必ず・・・必ず、私よりも長生きして下さい。残されるのは、もう・・・」
 最後は言葉にならず、アマンダの蒼色の瞳は潤み始めていた。
「・・・判った。約束するよ・・・俺は、お前を置いて逝かないさ・・・」
 ビッテンフェルトは零れる寸前のアマンダの涙を、自分の人差し指で受けとめた。
「おいおい、今日は泣くな!笑ったお前でいて欲しい。いいか!結婚式の思い出は、今からお前の笑顔に変わるんだ!」
 そう告げるとビッテンフェルトは、花嫁姿のアマンダを優しく抱きしめた。


 控え室にノックの音が響いて、ルイーゼを抱っこしたオイゲンが現れた。
「準備は出来ましたか?式が始まりますよ!」
「おう!」
 背中に大きなリボンが付いた純白のドレスを着て、可愛らしいレディになったルイーゼに、ビッテンフェルトはすっかり親ばかモードになってしまった。
「ルイーゼもムッターに負けないぐらい可愛いぞ~♪」
 愛娘の晴れ姿に目尻の下がった父親の顔を見て、オイゲンはおもむろにハンカチを手渡した。
「閣下!花嫁との口づけは、祭壇の前でしてください。口紅が付いてますよ!」
「・・・」


 厳かな式が終わり、緊張感から解放されてほっとした表情の新郎ビッテンフェルトと、ウエディングドレス姿が眩しい笑顔の花嫁のアマンダが、教会の入り口に姿を現した。
 ビッテンフェルトは娘のルイーゼを片手で抱きかかえ、もう片方の手はアマンダと繋いだ。
 人々が放つバラの花びらと紙吹雪の舞うトンネルを、親子三人で通り抜ける。
 最後にアマンダは手にもっていた深紅のバラのブーケを、空高く放り投げた。それは、透き通った青空に弧を描いて、ミュラーの手の中にストンと収まった。
 冷やかしと笑い声の中で思わず苦笑したミュラーの砂色の瞳には、幸せそうな花嫁のあのアルカイック・スマイルが映し出されていた。


<完>


~あとがき~
この「デキ婚から始まった恋愛」は、我が家のビッテンから、もう何年も前からずっと催促されていた若い日のビッテン&アマンダの物語です。
過去に書いた幾つかの小説をリメイクしたり、新たにお話を付け足したりして、結局ツギハギだらけの連載小説となりました(苦笑)
未来の話を書き終えてから、過去の話を書くという状態でしたので、爺さんビッテンから青年ビッテンへの切り替えが大変でした(汗)
でも、駆け足で通り過ぎてしまったビッテンとアマンダの新婚時代を、昔を思い出しながら書くのは楽しかったです。

普段、誰にどう思われても平気な図太い神経のビッテンですが、新婚時代は恋愛したての頃に見られる<相手が自分の事をどう思っているのか気になって仕方ない!>という現象が、彼を襲ったようです。
それでタイトルも「デキ婚から始まった恋愛」となりました。
妻であるアマンダの一挙一動に振り回されているビッテンと、夫に甘えられずに妻としての可愛さに欠ける事を自覚しているアマンダ、そんな不器用な夫婦の間を、愛娘のルイーゼが上手く取り持ってくれました。

この「デキ婚から始まった恋愛」は、過去の作品と内容的にダブっている部分があります。
時期が重なった物語は引っ込めて、新たにリメイクしてこの連載「デキ婚から始まった恋愛」や新たなシリーズ「ファーターの心理」で登場させました。
今後の予定としては、「ファーターの心理」で、ビッテンのファーター振りをもう少し書こうかな~と企んでいます(^^)