アマンダから託された指輪をアルベルトの元に納める為、ビッテンフェルトはオーディンの郊外にある帝国軍人戦没者記念墓地を訪れていた。そんな彼の前に突然現れた神父は、一礼した後ビッテンフェルトに声をかける。
「私はサイモン・クルトと申します。ご覧の通り神父をしていますが、軍人をしていた時期もありました」
「軍人!?」
目の前の神父が元軍人だと知ったビッテンフェルトが、(もしかして記憶にないだけで、俺と何か係わりがあった人物なのか?)と、改めて神父の顔を確認する。そんな彼の様子を見て、神父が微笑みながら伝えた。
「閣下、私が軍人でいた時期は、ゴールデンバウム王朝時代です。残念ながら閣下との面識はなく、今回が初対面となります」
「そうか」
ビッテンフェルトがほっとしたように頷く。
(ここは、帝国軍人が永遠の眠りについている神聖な場所だ。彼らとの関連を考えれば、元軍人の神父がここにいる事は不自然ではない。しかし、この神父は、なんだか俺を待っていたように感じる・・・)
そう思ったビッテンフェルトが、率直に神父に問いかける。
「貴殿は、俺になにか用があるのか?」
「閣下、私の事はサイモンとお呼びください。実は、私はずっと閣下に逢いたいと願っていました」
その言葉にビッテンフェルトは不思議に思った。
「俺に逢いたい?それはどういう事だ?」
そう問いかけながらも、ビッテンフェルトは(それにしてもこの神父、何故、俺がここにいる事を知っていたのだろう?)と考えていた。ビッテンフェルトがこの霊園に来たのは予定外の行動で、副官のオイゲンにすら行先を告げていないのである。それなのにサイモンは、自分がこの時間、ここにいる事を知っていたかのように待っていた。
そんなビッテンフェルトの疑問に、サイモンは心得たようにまず自分がこの場所にいた理由を伝える。
「私は<閣下の黒色槍騎兵艦隊が、陛下のオーディン行幸に随行する>という情報を得たとき、閣下はきっとクルーガー少佐に逢いに来て下さると予想しました。偶然とはいえ、今日、こうして閣下に逢う事が出来たのは、神のお導きのおかげです」
そう言うとサイモンは天を仰ぎ、手を十字に切って神に感謝した。
ビッテンフェルトは、サイモンの<クルーガー少佐に逢いにくる>という言葉に反応した。
「貴殿、いやサイモンは、ここに眠っているアルベルトの知り合いなのか?」
驚くビッテンフェルトに、サイモンが頷く。
「ええ、クルーガー少佐は、軍人時代の私が最も尊敬していた上官でした。閣下がここに来て下さったという事は、クルーガー少佐と亡くなられた閣下の奥方との関係も御存じだと拝察致します」
「まあ、ある程度はな・・・」
(この男は、アマンダとアルベルトを知っている人物だったのか・・・)
アルベルトの部下だったというサイモンの登場に、ビッテンフェルトは彼の目的がまだよく判らないだけに、言葉をぼかすように伝えた。とは言え、この不思議な偶然に、故人の思惑を感じたビッテンフェルトが、(お前の仕業か?)と目の前のアルベルトの墓を見つめる。
サイモンは、ビッテンフェルトが自分を警戒せず受け入れた様子を見て話し始めた。
「私は閣下に、ずっとお礼が言いたかった」
「俺に礼?それはどういう意味だろう?」
サイモンの意外な言葉に、ビッテンフェルトが驚く。
「閣下はアマンダさんを救ってくださいました。彼女が閣下と結ばれ、妻となり母となった。アマンダさんが幸せに暮らしている事が判って、ずっと悔いていた私も救われましたから・・・」
サイモンの<救われた>という言葉の意味に、ビッテンフェルトは何となく見当がついた。ビッテンフェルトはアマンダから、婚約者だったアルベルトは部下から慕われていた上官だと聞いていた。そして、その彼が命を失った理由も、自分の部下達を守るため貴族の将校に立ち向かい、その将校の腹いせの暴力が原因だったという事も知っている。
(恐らくこのサイモンは、アルベルトのそのときの部下の一人なのだろう・・・)とビッテンフェルトは考えた。だが、目の前のサイモンの(理由<わけ>を伝えたがっている)という様子を感じとり、敢えて彼に問い掛ける。
「何故、アマンダが幸せになると、卿が救われるのか?」
ビッテンフェルトの質問に、サイモンが頷きながら話し始めた。
「あのとき、・・・・ウェイティングドレス姿のまま、駆け込んできた彼女のあの悲痛な顔はずっと忘れられずにいました」
遠い目になったサイモンが、ビッテンフェルトに昔の出来事を語り始めた。
「私がクルーガー少佐の部下でいた頃、貴族出身のある将校と些細な事で言い合いになりました。その将校は普段から私たち兵士を見下す傲慢な方でしたので、私もつい反抗的になってしまいました。そんな私の生意気な態度が、彼の癇に触ったのでしょう。逆上した将校は、胸元から拳銃を取り出すと私に対して構え始めました。私は拳銃で脅す相手を目の前にして、成す術もなく怒りだけを感じていました。そのとき突然、目の前にクルーガー少佐が現れ、相手の将校に殴りかかり私の身を守ってくれました」
「咄嗟の事に驚いている将校に、クルーガー少佐は突然の無礼を詫びながらも、私や周りにいた者達からの訴えで事情を察したようでした。相手の将校は気まずくなったのか一旦は引き下がりました。しかし、その後、少佐一人だけを別件で呼び出したのです。私達は将校の陰湿さを知っているだけに、クルーガー少佐に『我々も一緒に付いていく』と申し出たのですが、『大丈夫だ。心配するな!』と言って、少佐はお一人で向かわれました。まさか、それが私達が知るクルーガー少佐の最後の姿になるとは、思いもしませんでした」
淡々と語るサイモンの話を、ビッテンフェルトは黙って聞いていた。
「閣下にも憶えがあると思いますが、ゴールデンバウム王朝末期の腐敗した貴族社会は本当に酷いものでした。貴族という特権の中で育てられた人間の中には、下の者の命など虫けら同然と思う者も多かった。プライドを傷つけられたと思い込んだあの将校も、自分の意に添わない者は排除するという考えの持ち主でした。クルーガー少佐はそんな貴族達の犠牲になったのです」
ビッテンフェルトが軽く頷く。彼とて当時の状況は良く知っている。だからこそ、そんな貴族社会を改革して新たな時代を作り出そうとしていた先帝のラインハルトに心酔し、彼の麾下の元で戦ってきたのである。
当時の悔しさを思い出したのかサイモンが、気持ちを落ち着かせるように深呼吸して一息入れた。ビッテンフェルトはそんな彼に、感情の矛先を変えるように問いかける。
「俺はアマンダから、闇に葬られそうになっていたアルベルトを必死になって探し出してくれたのは、彼の部下達だったと聞いている」
ビッテンフェルトの質問に、サイモンが頷いた。
「ええ、私達が行方不明になったクルーガー少佐を必死に探しました。数日かけてやっと探し出したときクルーガー少佐は変わり果てた姿となっていました。しかもその日は、彼と婚約者だったアマンダさんとの結婚式が行われる予定の日となっていました・・・」
ビッテンフェルトは軽く頷いた。彼は、アマンダが結婚式当日にアルベルトの死を知ったということは知っていた。
アマンダと暮らし始めた新婚の頃、ビッテンフェルトは正式に結婚式を挙げようと提案した事があった。しかし、アマンダは「形式には拘らない」と言って首を振ったのである。アマンダの結婚式を避けていた原因が、過去の悲しい出来事に関連していた事を突き止めビッテンフェルトは、敢えて強制的に挙式をした。結婚式をやり直すことで、妻の辛い思い出を払拭させ、新たに幸せな感情に変えてしまうというビッテンフェルト独自の方法を実行したのである。
そんな自分の若かりし頃の行動をふと思い出したビッテンフェルトだが、サイモンの話が続いていたので再び聞き入る。
「悲報を聞いて駆けつけたアマンダさんは、軍の倉庫の片隅に安置されたクルーガー少佐の無惨な姿を呆然と見ていました。そのうち、ボロボロと涙を流して少佐の体に縋る彼女の姿はあまりにも痛々しくて、私は時間を取り戻したいという後悔で居たたまれませんでした。その日はお二人の人生の最良の日になる筈だったのに、私がクルーガー少佐を巻き込んでしまった事で、婚約者のアマンダさんを奈落の底に突き落としてしまったのです」
無言で自分を見つめるビッテンフェルトに、サイモンの話は続いた。
「アマンダさんの追い詰められた様子に、その場にいた部下の私達は、<アマンダさんはクルーガー少佐の後を追って死を選んでしまうのでは?>という不安に駆られてしまいました。誰もがアマンダさんを心配して目が離せなかった状態なのに、彼女にかける言葉も見つからず、口惜しさと切なさの入り混じった思いで過ごしていました。そんな重い空気の中で、彼女に声をかけたのはいつの間にかそこにいたオーベルシュタイン閣下でした」
「まあ、その辺の事情は、アマンダから聞いて知っている」
少し面白くなさそうに告げたビッテンフェルトを見て、サイモンは彼とオーベルシュタインは犬猿の仲という噂を思い出し、軽く苦笑した。
「その後のアマンダさんは、閣下もご存知のとおりオーベルシュタイン閣下と行動を共にするようになりました。私はクルーガー少佐の亡くなった原因と状況を知った彼女の表情を知っていますから、少佐の敵<かたき>である貴族を滅ぼす為に、軍人になる事を選んだのだと理解しました。でも私は、貴族が幅を効かせる理不尽な軍の現状に嫌気がさし、軍人でいることが耐えられなくなり退役しました」
上官のアルベルトの死をきっかけに退役したと話すサイモンだが、自分とは逆にオーベルシュタインの下で軍人になったアマンダの行動は納得していた。それほどアルベルトの死の経緯を知ったときのアマンダの覚悟が印象的だったのだろう。
ビッテンフェルトは、昔、当時の事を話してくれたアマンダを思い出していた。
あいつは、
愛するアルベルトの変わり果てた姿を見て
始めは<なぜ?>という疑問と哀しみだけでいっぱいだったと言っていた
でも、アルベルトが受けた理不尽な暴力の痕を見て、
怒りと恨みの感情が生まれたと・・・
花嫁姿で貴族社会への復讐を誓ったその日が
自分の軍人としての原点だったとも言った
寂しそうに告げたそのときのアマンダの切ない表情<かお>を
忘れてはいない
ビッテンフェルトは 戦争の爪痕、立ちなおさせようとする 心の闇
「時間<とき>が流れ、時代はローエングラム王朝となりました。ここ、オーディンで神父となっていた私ですが、アマンダさんのその後は気になっていました。昔の軍人仲間からそれなりの情報を得たりしていましたが、オーベルシュタイン閣下亡き後、退役したアマンダさんの消息が判らず、私は(愛する人の仇討ちという目的を果たした彼女は、今度こそクルーガー少佐の後を追ってしまうのでは?)という不吉な予感に囚われました。心配になって、幾度もこの場所に来たものです・・・。あっ、すみません。変な予想をしてしまって・・・」
「いや、サイモン、敬の予想もあらかた見当違いでもない。あいつは、軍人時代にいろいろあって、その頃は生きる事に後ろ向きになっていた。実際、退役後はアルベルトの墓がある此処<オーディン>に戻ろうとしていたし・・・」
「なるほど、やはりそうでしたか・・・」
ビッテンフェルトの『生きる事に後ろ向きになっていた』という言葉で、サイモンは当時のアマンダの状態を察した。
二人に少しばかり沈黙が訪れた。
その沈黙を破るように、ビッテンフェルトがぽつりと告げた。
「敬は、ずっとアマンダの事を心配していたんだな」
サイモンが軽く頷く。
「ええ、私の行動が原因で、彼女の歩む人生が変わってしまったのですから・・・。だからこそ、偶然、閣下とアマンダさんの幸せそうな結婚式の写真を見たとき、私は驚きながらも、『アマンダさんは生きていてくれた!』と本当にほっとしました。彼女が再び愛する男性と巡り合い、子どもにも恵まれ、ご自分の家庭を築いている。私は心の底から喜び、やっと救われた気持ちになりました。閣下がアマンダさんの支えになって幸せにしてくださったおかげです」
ビッテンフェルトがサイモンの言葉に納得する。
「なるほど。敬が俺に礼が言いたいという理由はそこか・・・。まあ、確かに<敬の言う通りだ!>と言いたいところだが、実はあいつを立ち直らせたのは、俺ではないんだ。生まれた娘のお陰だ。赤ん坊だった娘の存在で、母親となったあいつは、やっと前向きに生きるようになった・・・」
苦笑いするビッテンフェルトに、サイモンが告げる。
「閣下、閣下がいなければアマンダさんに子どもは生まれませんでした。彼女にとって閣下が必要だったのです。だからこそ、神は閣下とアマンダさんを巡り合わせて、家族という絆を結ばせてくれたのです」
「はは、サイモンがそう思ってくれるのなら、そういう事にして置こう」
ビッテンフェルト自身は、アマンダとは娘ルイーゼの存在を武器に半ば強引気味に一緒になったという気もしていた。だが、この結婚は神の巡り合わせだと言っているサイモンに、アマンダとの結婚までの詳しい経緯は伝えず、敢えてにそのままにした。
少し苦笑いを浮かべたビッテンフェルトだが、サイモンの<神>という言葉に、ふと昔のひとコマを思い出した。
(そういえば、新婚の頃、ワーレンの『結婚の決め手は?』という質問に、あいつ『<お告げ>があった』って言っていたな。あれは神のお告げという意味だったのか・・・)
思わず納得して含み笑いになったビッテンフェルトであったが、実のところ、アマンダがワーレンに伝えた<お告げ>というのは、彼女の上司で会ったオーベルシュタインの声の事である。
赤ん坊だったルイーゼと二人暮らしをしていたアマンダのところに、突然ビッテンフェルトが訪ねて来た。そのとき、逢う事を躊躇っていたアマンダを後押ししてくれたのは、空耳のように聞こえたオーベルシュタインの声である。アマンダ亡き後その事を知っているのは、今や二人の結婚の経緯を知っているフェルナーぐらいであろう。
ビッテンフェルトが<お告げ>の本当の意味を知らず神の声と思い込んだ事は、オーベルシュタイン嫌いの彼にとって、幸運な事だったかも知れない。
「今日は、アマンダから頼まれていた指輪をここに納めに来たんだ。陛下のオーディン行幸の随行もあっていい機会だったからな」
「そうでしたか」
サイモンがアルベルトの墓の前に置かれた指輪を見つめる。
「クルーガー少佐を埋葬する直前の別れの際、アマンダさんは結婚式で交換する筈だった結婚指輪を、少佐の左手の薬指にはめていました。そして、彼女の指にもその指輪が見えていました。印象深いシーンだったのでよく覚えています」
「そうか・・・」
(アルベルトとの最後の別れの儀式が、そのときのアマンダにとっては愛を誓う指輪交換となったんだな・・・)
「俺は、アマンダと一緒に時間<とき>を過ごして、二人で爺さん婆さんになるつもりだった。だが、あいつは、先に逝ってしまった。まあ、俺もいずれはあいつと同じ墓<ところ>で一緒に眠る事になるだろうが、せめてアマンダの想いが籠ったあの指輪は、アルベルトの傍の方がいいだろうと思ってな。あいつの願いでもあるし・・・」
「そうでしたか・・・」
二人で墓の前の指輪を見つめる。そのとき、サイモンがおもむろにビッテンフェルトに告げた。
「こんな場所で出会った見知らぬ男から、突然、自分の妻の結婚前の恋愛話を聞かされたというのは、閣下にとっては予想外の出来事で驚かれたと思います。私のしている事が、非常識でかつ無礼極まりない行為であることは、十分承知しております。閣下のご不興、いえお怒りを買ってしまっても仕方ないと覚悟もしていました。なのに、閣下は私の話を冷静に聞いてくださった。感謝します」
改めて謝罪して感謝を告げる言葉に、ビッテンフェルトが応じる。
「いや・・・俺は、今、サイモンが教えてくれた事はほとんど知っているんだ。あいつが、結婚式当日に婚約者の死を知った事も、アルベルトの敵<かたき>を討つ為に軍人になったこともな・・・。だから、そんな事は気にするな」
「そうでしたか。・・・閣下とアマンダさんは、なんでも打ち明けていた仲の良いご夫婦だったのですね」
「まあな。だが、俺がアマンダの婚約者であったアルベルトの存在を知っていたとしても、興味本位で二人の事を告げられたり、俺やアマンダを貶めるような悪意を感じたら、話した相手がどんな状態になったかは分からんぞ」
ビッテンフェルトがニヤッと笑った。
「だが、お前はそんな気持ちから俺に話したのではないだろう」
「ええ」
サイモンが苦笑する。
「サイモン、お前がアルベルトの部下だと打ち明けたとき、俺は、<この出会いは、アルベルトが仕組んだ!>って直感したんだ。そして、話を聞いているうち、それを確信した」
「閣下、閣下はこの幸運な出会いは、神のお導きではなく、少佐のお考えの元の偶然と仰るのですか?」
「うん、俺が思うに、アルベルトはお前を解放したがっているんだろうな~」
ビッテンフェルトの予想外の言葉に、サイモンが問いかける。
「・・・<解放>とは、いったいどういう意味でしょう?」
「うん、お前、ずっと、自分を責めていたんだろう」
「・・・」
「アマンダは、下の子を産んだときに病気が見つかって、それ以降はずっと自宅で療養していた。だから、元帥夫人としては表舞台に出ていない分近況が分からない。アマンダのその後の情報が入らず、お前、心配していたんだろう」
「ええ、まあ・・・。突然、奥方の早すぎる訃報を知ったときは驚きました」
「まあ、あいつも小さな娘たちを残して逝ったんだ。成長をずっと見ていたかったという心残りはあっただろう。でも、幸せな人生だったと満足して逝った。だから、俺はここにきて、此奴<アルベルト>に『おまえの分まで、アマンダを幸せにしたぞ!』って報告したぞ」
「終わりよければ全てよしって言葉は知っているだろう。 「俺が娘に 「俺とアルベルトって似ていたのか?」
「
「閣下、閣下はアマンダさんを幸せにして下さいました。ありがとうございます。クルーガー少佐も私同様に喜んでいます」
「でも閣下、未来のアマンダさんも幸せにしてあげてくださいね」
「ん?アマンダの<過去の幸せ>は判るが、<未来の幸せ>とはどういう意味だ?あいつはこの世にはもういないだろう」
ビッテンフェルトの疑問顔に、サイモンが告げた。
「残された人が幸せでないと、逝った人はいつまでも心配しています。だから、逝った人が心穏やかに見守ることができるように、残された人は充分幸せにならなければなりません。閣下は、過去も未来もお子様たちと一緒にいつも笑って過ごし、アマンダさんが安心して夫と娘たちを見守る事が出来るようにして差し上げて下さい」
「なるほど、そういう意味か。判った、サイモン。だが、その言葉、そのままそっくりお前に返すぞ。もう、自分を責めるのも過去を後悔するのもやめるんだな。それこそ、ここに眠るアルベルトが、安心してお前を見守る事ができるように過ごしてくれ」
微笑みを浮かべたサイモンが、大きく頷く。
「俺は今日、ここにきて本当に良かった。アルベルトにもサイモンにも逢えて話ができた。アマンダも喜んでいると思う」
「ええ、私も閣下とこうしてお話をする事ができて、嬉しく思います。長年アマンダさんの幸せを願い、その確認ができました。本当にほっとしました」
突然、木々が音を立ててざわめき、それと同時にビッテンフェルトとサイモンの間に風が流れた。まるで、故人達の想いが反応したかのように爽やかな風が二人を包む。その風を肌に感じながら二人共、目の前の墓を見つめた。墓前に供えられていたアマンダの指輪が、夕日を浴びて輝いていた。
アンネローゼ&マリアンヌ
「アンネローゼさま、今日はとても楽しい時間を過ごさせて頂きました」
「そうね。私も楽しくてつい時間を忘れて話し込んでいたわ」
「陛下は思っていたより気さくな方で驚きました。生まれてすぐ皇帝となったお方ですし、周りも何かと気を使って接してきたと思います。そのようにお育ちになった方ですので、本当のところ高飛車というかワンマンなご性格なのかな?と、私は少し身構えておりました。でも、初対面の女官にまであんなに優しく話しかけて頂き、私は感激しました。陛下の中に庶民的な一面がある事に、嬉しく思います」
「ええ、あの子の母親であるヒルダさんが、幼いうちは帝王学を学ばせず、陛下を出来るだけ普通の家庭の子として育てたいと希望していました。アレクと一緒に住んでいた祖父のマリンドルフ伯も、娘のヒルダさんの意向を受けて、彼を育てていましたからね。アレクは周囲に威圧的にならず、むしろ出来るだけ皇帝という身分を感じさせないように自制するすべを身につけているのかもしれませんね。まあ、特に今回はプライベートな旅行となっていますし」
「頂点に立つ皇帝が、初対面の身分の低い者にまで、あのように振る舞える事ができるというのは、とても素晴らしい事と存じます。陛下は、とてもお優しいお人柄のようですね」
「ええ・・・只、今はヒルダさんが皇太后として表立っての政務を取り仕切っているので、アレクの皇帝としての負担は少ないと言えるでしょう。しかし、時が経てば、皇帝としていろいろな責任を負う立場になります。この先、彼は厳しい采配や苦しい判断をしなければならないときもくるでしょう。今のアレクの優しい性格が仇<あだ>になって、アレク自身が悩んだり辛いと思う事も出てくるでしょう。まあ、上に立つ者として避けられない使命とも言えるのですが、その壁を乗り越えるだけの強さがこれからのアレクには必要になるのでしょうね・・・」
「アンネローゼさま?」
「ああ、年をとると、ついつい先々の事迄いらぬ心配をしてしまうものですね。取り越し苦労をするのがすっかり癖になってしまって・・・」
アンネローゼの夢の中
「ジーク、あなたはいつからラインハルトを敬称で呼ぶようになったの?以前は二人とも、お互い呼び捨てで名前を呼び合っていたでしょう?」
「特に他意はないのです。只、今はお互い階級社会の軍人ですし・・・」
「その事情<わけ>は判るけれど・・・。でも、軍服を脱いだプライベートな場所でなら、今までと変わりなくラインハルトとは呼び捨てで呼びあっているのでしょう?」
「いいえ、普段の生活の習慣が、職場でうっかり出てしまう事があるかも知れません。それを避ける為、私はラインハルトさまの呼び方を統一することにしています」
「ジーク、階級がどうであれ、あなたとラインハルトは、子どもの頃と同じようになんでも遠慮なく言い合える関係でいて欲しいのに・・・」
「アンネローゼさま、どうぞ、ご心配なく。呼び方はどうであれ、私とラインハルトさまの関係は以前と全く変わっていませんから」
「・・・そう?それだったらよいのだけれど・・・」
「ラインハルトさまは、軍の中で何かと注目されているお方です。これからは、優秀な部下も増えていく事でしょう。昔からの知り合いだからと言って、馴れ馴れしい振る舞いや言葉遣いをしていては、周りに対して示しがつきません。私自身、そういう特別扱いには、特に気を使わなければならないと思っていますので・・・」
心身ともに成長して頼りがいのある青年になったキルヒアイスを見つめて、アンネローゼがしみじみと告げた。
「ジーク、貴方は本当に大人になったのね。ついこの間までラインハルトと無邪気に遊んでいた少年だったのに・・・」
「あっ、いえ・・・身長だけは伸びましたが、まだまだ未熟者ですよ」
アンネローゼに見つめられて軽く頬を赤らませたキルヒアイスが、照れたように伝える。
「ラインハルトは、私の弟というだけで、周りからの風当りが強いでしょう。あの性格ですし、周囲に反発するかのように、強さを求めてがむしゃらに突き進んでいます。でも、自分の目の前しか見ていないラインハルトは、周りに対する配慮が置き去りになっているような気がして、私は不安になります。だからこそ、ジークにはラインハルトの足りない部分を遠慮なくきちんと注意できる人でいて欲しいのです」
弟を心配するアンネローゼに、キルヒアイスが応じる。
「アンネローゼさま、どうぞご心配なく。ちゃんと心得ております。ラインハルトさまの振る舞いや行いが人道的でない場合は厳しくお諫め致しますし、良い行動をなさったときはアンネローゼさまの分まで盛大に褒めて称えます。だから、アンネローゼさまは安心して私達を見守りください」
アンネローゼの心配を取り除くように、わざと大袈裟に伝えるキルヒアイスに、不安顔だったアンネローゼにも思わず笑みが零れる。
「ジーク、ありがとう。これからもラインハルトの事、宜しくお願いしますね」
「勿論です」
キルヒアイスが笑顔で頷く。
そんなキルヒアイスの笑顔が薄らいだところで、アンネローゼは目覚めた。
懐かしい夢だった・・・
昨夜、アレクと夢中で話をしていた影響で
同じような年頃だった昔のラインハルトやジークを思い出してしまったのね・・・
アレクは親友のフェリックスから、
名前ではなく陛下と呼ばれた事を寂しく思っていた
ラインハルトも、ジークからの呼び方が変わったとき、
アレクと同じように寂しく思ったのかしら・・・
ジークを喪ったとき
私は、住む世界が違うと言って
弟<ラインハルト>から離れてしまった・・・
<ラインハルト>と、あの子を呼び捨てで呼べる人物は、
私だけになっていたのに・・・
唯一の肉親に甘える事も叶わず
私から突き放されたあの子<ラインハルト>は、
孤独を感じていた筈・・・
朝の目覚めと共に、弟<ラインハルト>の当時の心境を想い、頑なだった昔の自分を振り返っていたアンネローゼであった。
<続く>