指輪物語 1


フリッツ、起きてください!朝ですよ

・・・ん、アマンダ!?
アマンダだ!
ああ、良かった~
お前、ちゃんと生きていた!!
俺、今、お前が死んでしまった夢を見たんだ・・・

マジで怖かったぞ・・・
だが、夢で良かった
本当に夢で良かった・・・
本当に・・・


 ゆっくりと目覚めたビッテンフェルトが、現実を自覚する。
(また、こんな夢をみてしまったのか・・・)
 ベットから身を起こした彼が、顔を顰めさせながら溜息を付いた。

アマンダ、
俺は、まだ、お前の死を受け入れていないんだろうな・・・
だから、こんな夢ばかり見てしまう
お前が生きていて欲しいという願望が強すぎるから、
無意識の中で、こんな妄想ばかりしている

どこまでが夢で、どこまでが現実の世界なのか
どこまでが夢で、どこまでが妄想の世界なのか
俺は、判らなくなる

 つい涙腺が緩んでしまったビッテンフェルトが目頭を拭う為、ベット脇のサイドテーブルの引き出しからハンカチを取り出す。

マズい・・・
こんな顔を子ども達に見せる訳にはいかない・・・

 ビッテンフェルトは深い呼吸をして、気持ちを切り替えさせる。そんな彼の目に、床に落ちている白い封筒が見えた。
「ん?これはなんだ?」
 ビッテンフェルトがその封筒を拾い確認すると、<親愛なるフリッツへ>というアマンダ筆跡の文字を見つけた。
(アマンダからの手紙だ!)
 思いがけないアマンダからの手紙に、驚いたビッテンフェルトがゆっくり封を切る。

親愛なるフリッツへ

フリッツ、
貴方がこの手紙を読んだという事は、私はもうヴァルハラに召されているのでしょうね。

私は幸せでした。
この幸せが長く続いてくれたら・・・という未練はありますが、決して後悔はしていません。
フリッツ、私の人生を豊かにしてくださってありがとうございます。

貴方はよき父親ですので、私は子ども達の事、なにも心配はしていません。
貴方は、私のよき夫でもありました。

一つだけ貴方に頼んでおきたい事があって、ここに記しました。
いつか、貴方がオーディンに行く機会がありましたら、この手紙と一緒に入れてある指輪を、
オーディンにある帝国軍人戦没者記念墓地のアルベルトの墓に納めて欲しいのです。
場所は、第2区2-268号になります。

フリッツ、念のために言っておきますが、この為にわざわざオーディンに赴く事はしないで下さいね。
この件は、いつになっても構いませんし、本当にオーディンに行く際のついでで充分です。
もしその機会が来なかったら、この指輪の処分はあなたに任せます。


                                愛を込めて アマンダより
 手紙を読み終えたビッテンフェルトが、サイドテーブルの上に飾ってあるアマンダの遺影を見つめる。

アマンダ、
おまえ、この手紙をいつ、書いたんだ?
俺が遠征に行ってからか?
いや、この手紙は
引き出しから、ハンカチと一緒に引っ張り出されたんだ・・・
ここに手紙を残したのであれば、
最後の入院をする前になるか・・・

やっぱり覚悟していたんだな・・・


小さな溜息を付きながら、ビッテンフェルトが同封されていた指輪を取り出した。
シンプルなデザインの指輪で、裏にはA&Aのイニシャルと日付が刻まれていた。

<アルベルト>との結婚指輪か・・・
おまえ、この指輪の事が、ずっと心残りだったんだろう
これは、おまえから俺への、最後の頼み事だ
すぐにでもオーディンに行って、叶えてやりたい・・・
オーディンに戻ろうとしていたおまえを、引き留めたのは俺だしな
だが、<思い立ったらすぐ行動!>の俺の性格に
ちゃんと釘を刺しておくのもお前らしい

う~ん、オーディンか・・・
都合よくチャンスが、舞い込んで来ればよいが・・・

 ビッテンフェルトが手に持っている指輪を、改めて見つめた。
 自分の薬指の結婚指輪は、常に指に嵌めていただけあって月日を感じるものがあったが、出番がなかった目の前の指輪は真新しい輝きに満ちていた。



 ドアをノックする音で、ビッテンフェルトは指輪の入ったアマンダからの手紙を、慌てて引き出しにしまい込んだ。
「ファーター、起きている?朝ごはんの時間だよ?」
 声と共に、ヨゼフィーネが顔を覗かせた。
「フィーネか!おはよう、ファーターは起きているぞ~」
 部屋の中に入ってきたヨゼフィーネが、ベット脇でじっーと父親の顔を覗き込む。
「どうしたフィーネ?」
「ファータ、何だか変な顔になっているよ・・・」
「えっ?、へ、変な顔?」
 ビッテンフェルトが、心の中で慌てる。
(全く、この子は、こんなところまで母親<アマンダ>に似ている・・・)
 母親似のヨゼフィーネは外見ばかりではなく、勘の鋭いアマンダの気質まで受け継いだようである。
「あっ、いや、その~・・・ちょっと変な夢を見たせいからかな?」
「変な夢?」
「そう、ファータの夢の中で、赤ずきんを被ったフィーネが、狼に食べられそうになったんだ。もう、ビックリして心臓が飛び出そうになった・・・」
 ビッテンフェルトが、なんとか誤魔化す。
「フィーネ、ファーターの夢の中で、赤ずきんになったの?」
「うん。昨日寝る前に、おまえに読んでやったあの絵本の影響だな」
 父親の苦笑いに、ヨゼフィーネが神妙な顔になって告げる。
「あのね、ファータ。今度からフィーネが寝る前の絵本は、王子さまと王女さまのお話にする。そうしたら、ファーターの夢の中で、王女さまになったフィーネが王子さまと結婚して、幸せになるのでしょう?」
 父親の夢を心配するヨゼフィーネに、ビッテンフェルトが微笑む。
「はは、そうだな。今度から寝る前の絵本はそうしよう」
「うん♪」
 安心したヨゼフィーネが、父親と共に部屋を出る。
(それにしても、おまえが結婚する夢なんて・・・。それはそれで、恐ろしい夢になりそうだ・・・)
 娘の後ろを歩くビッテンフェルトが、首を振って苦笑いになっていた。



 ビッテンフェルトの妻のアマンダが、ヴァルハラに召されてから一年が過ぎていた。
 現在<いま>、ルイーゼとヨゼフィーネの姉妹は、同じ敷地内にある学校と幼稚園にそれぞれ通っている。
 朝食を食べ終えた子ども達が、二人一緒にスクールバスに乗り込んだ。玄関先で姉妹を見送ったミーメが、家の中に戻る。
「こども達は行ったか?」
「ええ、機嫌よく行かれました。フィーネお嬢さまは、もうすっかり幼稚園に馴染んでくれましたね。最初の頃は、どうなる事かと思いましたが・・・」
「ああ、俺も心配だったよ。フィーネは小さい頃から人見知りが強かったし、引っ込みじあんのところもあるからな~。まあ、通園に使うバスが、ルイーゼと一緒なのも良かったんだろう・・・」
 同じ親から生まれた姉妹でも、姉のルイーゼと妹のヨゼフィーネでは、性格が違っていた。
 姉のルイーゼは、物怖じしないタイプで考える前に行動してしまうような積極性があったが、妹のヨゼフィーネはおとなしく、内気な性格であった。
「ルイーゼお嬢さまが初めて幼稚園に行ったときは、あまりにも意気揚々とバスに乗り込んだもので、心配していた奥さまが<拍子抜けした>と笑っておられましたね」
「ああ、そんな事もあったな。あのとき俺はアマンダから『ルイーゼが未知な環境に飛び込むとき、恐れや不安より、好奇心が勝ってしまうのは、いったい誰に似たのやら・・・』って言われてしまったんだ・・・」
 二人とも昔の出来事を思いだして笑ってしまう。
「しかし、ルイーゼもフィーネも、母親のいない生活にも、新しい環境にも慣れて、どんどん自分の世界を広げていく。子どもの順応性は凄いな」
「ええ、子どもの順応性とは、親が思う以上に高いものですよ」
「それに比べて、俺はまだまだだな・・・」
 ビッテンフェルトの呟きに、ミーメが問いかける。
「提督、何かありましたか?」
「今朝、アマンダの夢を見た」
「奥さまの?」
「うん、死んだと思っていたアマンダが生きていて、俺が<夢で良かった~>と喜んでいる夢だった・・・」
「そうですか・・・」
「子ども達はそれぞれ母親の死を乗り越えて、日常を取り戻しているのに、肝心の父親の方はいつまでも女々しいな・・・」
 自嘲の笑みを浮かべるビッテンフェルトに、それまで作業をしながら会話をしていたミーメが、声をかけた。
「提督、私も、一緒にお茶を飲んでもよろしいですか?」
「ああ、そうだな。俺も、ミーメとお茶を飲みながらゆっくり話がしたい」
 ビッテンフェルトの了承を得たミーメが、新たにお茶のセットを持ってくる。そして、席についた彼女は、目の前のビッテンフェルトと一緒に、お茶を飲んで一息入れる。
「提督、私の古い知り合いの事ですが・・・」と前置きをしてから、ミーメはビッテンフェルトに語り始めた。
「彼女の息子は軍隊に召集されて、戦地で戦っていました。そんな彼女の元に、息子の戦死の公報が届きました。あの頃・・・戦争中は、家族の中の誰かしらが戦地に赴いているのは、当たり前になっていましたから、戦死の公報が送られてくるのも、どこの家庭でも起こり得る出来事でした」
「うん、そんな時代だったな」
 遠い昔のようでもあり、ついこの間のような気もする、そんな過去を二人が振り返る。
「息子の戦死の公報を受けた彼女も、皆と同じように、息子を弔い、墓参りをしていました。そう、彼女は母親として、表面的には子どもの死を受け入れたように見えていました。でも、本心は違いました。彼女は私に<息子が戦死したという事実を受け入れる事>と、<息子を失った悲しみを受け入れる事>は別だと、打ち明けてくれました」
 ミーメの言葉に、少し考えたビッテンフェルトが問いかける。
「ミーメ、それは、戦死という事実は頭の中では理解出来る。だが、息子がこの世にいないという現実は受けいれられないという事なのか?」
「ええ、そうです。彼女の心の中は、いつも<何故、私の息子がいないのか?>という疑問でいっぱいだったそうです。息子の戦死の肯定も否定も出来ない複雑な感情を持ったまま、そんな状態で何年も過ごしていたそうです。息子の遺品も何一つ片付けられず、悲しみを呼び起こす家族のアルバムさえ見る事も出来ず、思い出を封じ込めて日常を過ごしていたのです」
「実際、あの時代は、名誉の戦死の家族が、嘆く事も悲嘆にくれる事も憚れるような傾向もあったしな・・・」
 ビッテンフェルトの言葉に、ミーメが頷く。
「息子の死に納得できず、悲しむ事からも避けていた彼女ですが、そのうちに、ひとつひとつの悲しみと、なんとか折り合いをつけながら向き合えるようになっていったそうです。そして、何年もの長い時間をかけて、やっと息子を失った悲しみを受け入れる事が出来たと言っていました」
 ミーメの話を聞いていたビッテンフェルトは(これは、もしかしてミーネ自身の事では?)と感じた。
 只、ミーメの息子は生存しており、現在<いま>は宇宙を行き来する仕事についている。母親のミーメとは、なかなか逢えない暮らしぶりだが、お互い連絡は取り合っている。
(確かに、ミーメの息子は生きている。だが、彼女は配偶者である夫の戦死を経験している。これは、旦那と息子を置き換えて話しているミーメの経験談だろうか?)
 ビッテンフェルトはそう感じたが、ミーメに確認するという事はしなかった。彼女が<知り合いの事>として話しているのであれば、それに合わせて聞くのがいいと思ったのだ。
 ミーメも、ビッテンフェルトの推測に察しがついているようだったが、そのまま何事もなかったかのように話をすすめる。
「<ひとつひとつの悲しみと折り合いを付ける・・・>か。それは、簡単なようで難しい事だな・・・」
「ええ、そうですね。折り合いの付け方は、一人一人それぞれ違いますからね。ときには諦める事であったり、妥協することであったりと、自分自身が納得できる解決策を探すというのは、本当に難しい事です。だからこそ、時間が必要なのです」
「う~ん」
 ビッテンフェルトが考えこんでしまった。そんなビッテンフェルトを見たミーメが諭すように伝える。
「提督、なにも無理をしてまで、奥さまの死を受け入れようとしなくてもいいんです。ゆっくりゆっくりと時間をかければ、私の知り合いのように、自然に受け入れるようになると思いますよ。時間<とき>が解決してくれます。だから、現在<いま>は、あるがままの自分を受け入れましょう」
「そうだな。ミーメの言うとおりかもしれない・・・」
「ええ、そうですとも。今度、提督の夢の中に奥さまが現れてきたときは、久しぶりの二人っきりのデートを、うんと楽しめば良いのです」
 ミーネの言葉に、ビッテンフェルトが苦笑した。



 ビッテンフェルトが思いがけなくアマンダからの手紙を見つけた朝と同じ日、ミュラーは皇太后ヒルダからの呼び出しを受けていた。
「ミュラー軍務尚書、実は義姉上の事で相談がありまして・・・」
「オーディンにいらっしゃるグリューネワルト大公妃に、なにかありましたか?」
 不審に思ったミュラーが伺いを立てる。
 軍務尚書であるミュラーの元には、オーディンにいるアンネローゼになにか異変があれば必ず情報が入る仕組みになっている。だが、今のところ、そのような報告は来ていないのだ。
「ミュラー閣下、ご安心ください。オーディンの義姉上の身に緊急事態がおこったという理由<わけ>ではありません。実は、少し前の話なのですが、義姉上の主治医と個人的に会う機会がありまして、彼女の体調が不安定だという事を知ったのです。勿論、今すぐ命に関わるという訳ではありませんが・・・」
「グリューネワルト大公妃の主治医から?・・・それは、心配ですね」
「ええ、それで私は、義姉上をこのフェザーンにお呼びして、私や陛下と共に過ごして頂きたいと思い、何度か手紙を出したのですが、義姉上から良い返事は貰えませんでした」
 首を振って残念がるヒルダに、ミュラーが告げる。
「皇太后の義姉上を心配するお気持ちはよく判ります。ですが、グリューネワルト大公妃の説得は、なかなか難しい事に思われます」
 先帝ラインハルトの姉であるアンネローゼは、自身から望んで、世間から離れた静かな暮らしを送っている。
 誰よりも姉を愛し、彼女と共に暮らしたいと願っていた亡きラインハルトでさえ、フェザーンに呼び寄せる事はせず、アンネローゼの意志を尊重していた。それだけに(現在<いま>のグリューネワルト大公妃の生活を変えるという事は難しい・・・)と、ミュラーは考えていた。
「ええ、ミュラー軍務尚書の見解も判ります。あのラインハルトさまでさえ<姉上は、亡きキルヒアイス元帥の墓があるオーディンからは離れないだろう・・・>と仰って、一緒に暮らす事は諦めていましたからね。私も、フェザーンでお過ごしの義姉上の暮らしをずっと見守るつもりでいました。でも、陛下の為にも、義姉上をこちらにお呼びしたいと考えるところもありまして・・・」
「陛下の為に・・・ですか?」
 頷いたヒルダが、ミュラーに説明をする。
「ミュラー閣下もご存知かと思いますが、私の父が亡くなってから、陛下は部屋に籠りがちになりました。表情も暗くなり、口数もすっかり少なくなってしまいました。あの子にとって、祖父の死がショックだったのは判りますが・・・」
 思春期を迎え難しい年頃になったアレクと、皇太后としての公務が忙しくなかなか息子との交流を持てずにいたヒルダとの間を、上手く取り持っていたのは、家族として一緒に暮らしていたマリーンドルフ伯なのである。
 祖父を慕っていたアレクも、父親を頼りにしていたヒルダも、家族であるマリーンドルフ伯の死は精神的な打撃が大きかった。
「私は息子に、普通の家庭を味あわせたいと思っています。本来であれば、それは母親の役目だという事は、充分承知していますが、私は父に頼り過ぎました。言い訳になりますが、今の私には、息子の為の時間が、思うようにとれないのが実情なのです。息子を愛しているのですが・・・」
「皇太后、あまりご自分をお責めにならないでください。皇太后が必死に政務を取り仕切っておられるのは、陛下が成人され政務を執り行う頃には、この帝国を安定した状態で引き継がせたいというお気持ちからだと、誰もが理解しています。我が子である陛下のご負担を、少しでも減らしたいという母親の気持ちは、いずれ陛下にも十分伝わりますよ」
「そうでしょうか・・・。私が、あの子の為と思ってやっている事は、本当は、私自身の自己満足にすぎないのでは・・・と考えてしまう事もあります」
 自信がなくなっているヒルダに、ミュラーが告げる。
「祖父であるマリーンドルフ伯との死別は、陛下にとってお辛い経験だった事でしょう。それに、陛下はフェリックスと離れ離れになった事も影響しているのかも知れませんね。あれだけ仲の良かったふたりですから・・・」
 その頃、アレクと兄弟のように一緒に育ってきたフェリックスは、士官学校に進みアレクとは別の道を歩んでいた。彼が寄宿舎生活になった事もあって、二人で一緒に過ごす時間は殆どなくなってしまった。
「もしかしたら陛下は、いつも一緒にいたフェリックスが軍人への道を進んだ事で、<彼が、そのまま自分の元から去ってしまうのでは?>と不安になっているのかも知れません」
「皇太后、フェリックスは軍人となりますが、いずれは側近として陛下のそばに戻ってくるでしょう。それまで、陛下にはなんとか待っていて欲しいと思っています。私は、あのフェリックスが陛下から離れるという事は、無用な心配かと思います・・・」
「ええ、私も、幼い頃から築いて来た関係は、例え離れた時期があったとしても、そう簡単に壊れるものではないと思っています。しかし、現在<いま>の陛下は孤独感を募らせています。せめて伯母である義姉上がそばにいて、甥を見守って欲しいと思うのは、私の身勝手な願いなのかもしれませんが・・・」
 自分を理解してくれる祖父や親友がいなくなった傷心の息子を心配するヒルダであったが、摂政として政務を行っている皇太后の彼女は、いつも時間に追われていた。
「世間からは、<ローエングラム王朝の母>ともてはやされていますが、実際の私は、たった一人しかいない息子とも向き合えず、彼の心も理解出来ずにいる不肖の母親なのです」
 ヒルダの自分自身を卑下する言葉に、ミュラーが優しく対応する。
「皇太后、陛下は判ってくれます。母親が、自分の事をどれほど大切に想っているかを・・・」
 ミュラーの励ましに、ヒルダは軽く頷く。
 ミュラーは、ヒルダが母親として息子との時間がとれずにいる事が負い目になっていると察した。そして、自分の代わりに義姉のアンネローゼに、息子の心をほぐして欲しいと願っている事も理解した。
「皇太后、グリューネワルト大公妃がフェザーンに来る来ないは別として、先帝の忘れ形見でもある陛下の成長したお姿を、是非拝見して頂きたいですね。彼女は、陛下の赤ん坊の頃しか知らない訳ですし、勿論、陛下とて憶えていないでしょう」
 ミュラーのこの提案に、ヒルダは何か閃いたようで目を輝かせて告げた。
「義姉上の説得の為に、陛下をオーディンに向かわせましょう!」
「陛下をオーディンにですか?」
 皇帝アレクはこのフェザーンから出た事は一度もない。従って宇宙旅行の経験がないのだ。アレクの病弱な体質を、周囲が心配したせいでもある。
 一瞬驚いたミュラーだが、同時に(これは陛下にとって、いい機会かも・・・)と思った。そんなミュラーに、ヒルダが更に付け加える。
「ええ、もし、私の願いがかなわなくても、陛下がオーディンに赴く事で、伯母であるグリューネワルト大公妃と触れ合う機会が持てます。私も義姉上には成長した陛下を、是非見ていただきたいと思います」
「そうなりますと、陛下のオーディンへの行幸という事になりますね。早速、随行するメンバーや護衛する艦隊の選出、日程の検討を致します」
 ミュラーの言葉に、ヒルダが首を振って告げた。
「ミュラー閣下、これは<甥が伯母に逢いに行く>というプライベートな旅行になります。公式なものではないので、大袈裟にせず小規模な形で納めたいのですが・・・」
 ヒルダの要請に、ミュラーが進言する。
「皇太后のご希望も判りますが、これは陛下にとって初めての宇宙旅行になります。できれば万全の準備と体制で望みたいところです」
「ミュラー閣下、私としては、陛下の自立心を養う為にも、一人旅の経験が必要だと思うくらいですよ。息子には、心身ともに逞しくなって欲しいと望んでいますし・・・」
「皇太后のお気持ちは判りますが、陛下には最低限の護衛は必要かと・・・」
 苦笑するヒルダに、ミュラーがそう言って応じる。
(護衛?・・・そうか!彼らは護衛艦になる!)
 ふと、ミュラーの頭の中に、あるアイデアが浮かんだ。
「あの、皇太后、もうすぐ、恒例の黒色槍騎兵艦隊の遠征があります。それに便乗する形で、陛下の行幸を行うというのはどうでしょう?陛下のオーディンまでの送り迎えは、黒色槍騎兵艦隊に任せます。そして、陛下がオーディンに滞在中は、近くの宇宙空域で訓練を行うという形にすれば遠征の目的も果たせます」
「なるほど。黒色槍騎兵艦隊の司令官であるビッテンフェルト提督の了承が得られるのであれば、それはよい方法かと思います」
 皇太后の賛同を得たミュラーが、早速動き出す。
「では、この件をビッテンフェルト提督に伝えます。彼の事ですから、気持ちよく了承してくれると思います。それに、もしかしたら、ビッテンフェルト提督なら、グリューネワルト大公妃を説得出来るかもしれませんよ」
 ミュラーは温和な笑顔を見せて伝える。
「そうですね。あの慎重なアマンダでさえ、<気が付いたら元帥夫人になっていた>と言っていたくらいですし・・・。彼の口説き方は、独特なのかもしれません」
 笑いながらヒルダが頷いた。
「ええ、確かに彼は、個性的な方法で攻めます。まあ、ときには極端な部分も見受けられますが・・・」
 二人とも強引という言葉は、敢えて使っていない。
「では、詳細については、後ほどご連絡致します」
 ミュラーはそう言うと、会釈してヒルダの執務室を後にした。
 そして、そのままビッテンフェルトの元帥府に、足を運んだのである。



 執務室でミュラーと二人きりになったビッテンフェルトが、彼に問いかける。
「ミュラー、急ぎの用件ってなんだ?」
「今日は、黒色槍騎兵艦隊の遠征の航程の変更を、司令官であるビッテンフェルト提督に承諾してもらう為に伺いました」
「はあ?突然、何を言い出すんだ?黒色槍騎兵艦隊の遠征の航程の変更なんて、俺は聞いていないぞ!」
 突然聞かされた要請に、驚いたビッテンフェルトが、怒る寸前の厳しい顔で問いただす。
「これは、今日伺った皇太后の御意向なのです」
 ミュラーが伝える。
「皇太后の?!・・・俺が、納得できるように説明をしてもらおう!」
 意味が判らないビッテンフェルトが、ミュラーに説明を乞う。
「今回の黒色槍騎兵艦隊の遠征は、特別の任務を担う予定になります」
「特別の任務?」
「陛下のオーディン行幸をおこないます。その際に是非、黒色槍騎兵艦隊に護衛をしてもらいたいという依頼を、皇太后から承りました」
「なんと!?」
「護衛することになっても、訓練は実施する予定です。それに宇宙空間での艦隊の訓練や日常を、陛下に理解してもらういい機会となりますし」
 予想外の展開に、ビッテンフェルトは暫く目を大きくさせて驚いていた。しかし、その後、何かを思い出したようで、突然笑いだした。
「はは、なるほど・・・そういう訳か!全く・・・あいつ、こうなる事が判っていたんだな・・・」
「・・・と言いますと?」
 ビッテンフェルトの意外な反応に、ミュラーが訊ねる。
「いやな、実は今朝、アマンダの夢を見たんだ。そのあと、あいつからの手紙を見つけた」
「アマンダさんからの手紙?」
「うん、ずっと寝室の引き出しに入っていたのに、俺は今まで全く気が付かなかったんだ。手紙には、<俺がオーディンに行く機会があったら、頼みたい事がある>って書いてあった」
「そんな事があったんですか。でも、凄いタイミングで見つかりましたね。そのアマンダさんからの手紙・・・」
「ああ、偶然、ひょっこり出てきた・・・」
 ビッテンフェルト同様に、その奇跡的な偶然に驚いていたミュラーだが、何となく納得できる部分も感じていた。
「でも、今、その手紙が見つかったって事は、アマンダさんは提督のオーディン行きを予想していたのかもしれませんよ」
「俺もそんな気がする。あいつの事だからな・・・」
 ビッテンフェルトも納得したように頷く。
「では、<陛下のオーディン行幸の護衛は、黒色槍騎兵艦隊で決定!>でよろしいですか?」
「おう!了解した」 
 無事話がまとまったところで、ビッテンフェルトが改めてミュラーに問いかける。
「ところで、陛下がオーディンに行幸する理由は何なんだ?」
「フェザーン育ちの陛下に、初めての宇宙旅行を経験させて、かつオーディンを知ってもらうというのが建前です」
「建前?という事は隠れた別の目的もあるという事だな!」
 ミュラーは頷くと、本来の目的を伝える。
「ええ、皇太后は、オーディンに居られるグリューネワルト大公妃を、このフェザーンにお迎えしたいと願っています。その説得の為、陛下が直接出向くという形になりました」
「ほう、あのグリューネワルト大公妃を・・・。しかし、あの御婦人、こっちに来るかな?」
「ええ、問題はそこなんです」
 ビッテンフェルトの疑問に、ミュラーも頷く。
「確か、グリューネワルト大公妃は、陛下が生まれた頃は一時期フェザーンに居られたが、先帝が崩御するとそのままオーディンに帰ってしまって、それっきりなんだろう」
「ええ、でもあれから月日が経ちました。今回は、成長した陛下が、直接グリューネワルト大公妃に願い入れます。伯母と甥としての交流が深まれば、情が移って事態が変わるかも知れません。皇太后はそこにかけているのです。それに、彼女の体調もあまり思わしくないようで・・・」
「なるほど、皇太后が、グリューネワルト大公妃をこちら<フェザーン>に呼び寄せたい訳だ・・・」
 納得したビッテンフェルトが、目の前のコーヒーを口にして一息つく。
「それに彼女は、肉親が少ない陛下や皇太后の貴重な家族の一人ですから・・・。それでなくても、皇太后の御父上のマリーンドルフ伯が亡くなられて、陛下や皇太后の周りも寂しくなられましたし・・・」
「確かに・・・」
 マリーンドルフ伯の葬儀の際のヒルダとアレクの落胆していた様子を、ビッテンフェルトが思い出す。
「私も、皇太后と陛下の為にも、グリューネワルト大公妃をこちらにお迎えするのは、よい方法だと思います。家族の絆は、臣下では太刀打ち出来ないものもありますし・・・」
「家族か・・・うん、確かに家族の絆は大事だ!」
 家族の繋がりを人一倍大切にしているビッテンフェルトだけに、ヒルダの願いを察したようである。
「それでビッテンフェルト提督には、是非、陛下がグリューネワルト大公妃を説得する際の援護射撃をお願いしたいと考えておりますが・・・・」
「俺に?・・・いや~、俺に、グリューネワルト大公妃の説得は無理だろう?」
 ミュラーの申し出に、さすがのビッテンフェルトも自信なさそうに応じた。
「恐らく、誰がこの任務を受け持っても、グリューネワルト大公妃を説得させる事は難しいでしょう。でも皇太后は、あのアマンダさんを口説き落とした実績をもつ提督に、大きな期待をしていましたよ」
「皇太后が、この俺に期待を?」
 少し考えたビッテンフェルトが、ミュラーに確認する。
「それは、少し強引でもいいって事かな?」
「えっ?無理強いはいけませんよ!・・・お手柔らかにお願いします」
 ミュラーが慌てる。
「はは、いくら俺でも、嫌がるグリューネワルト大公妃の首に、縄を付けて連れてくるような事まではしないさ!」
 冗談にも本気にも取れそうなビッテンフェルトの含み笑いに、ミュラーは少しばかり動揺する。
「あの~、ビッテンフェルト提督には、グリューネワルト大公妃の説得をお願いします。彼女の了承が得られれば、改めてこちらから、お迎えにあがりますので」
「ふ~ん」
 鼻で頷く不敵なビッテンフェルトを見て、ミュラーは何とも言えぬ不安を感じていた。

アマンダさんの予言というお墨付きがあるのだから、
この人選で間違いはないと思うが・・・
ビッテンフェルト提督に、この件を任せた事が
吉とでるか、凶と出るか?

 基本的にはビッテンフェルトを信じているミュラーだが、少しギャンブラー的な気持ちにもなってしまうのであった。


<続く>