指輪物語 3

 陛下のオーディン行幸は、急ピッチでスケジュールが組み立てられた。
 ミュラーはその打ち合わせの為、ビッテンフェルトの執務室に立ち寄っていた。


 黒色槍騎兵艦隊の遠征に陛下の行幸も加わるという前代未聞の出来事に、ビッテンフェルトの元帥府では、幕僚達が慌ただしく駆け回っている。そんななか司令官の執務室では、訪ねてきたミュラーと共にビッテンフェルトが優雅にコーヒーを飲んでいた。
「オイゲン達は艦隊内のいたるところをチェックして<年頃の陛下の目の毒になるような物は全て取り除け!>と躍起になっているよ。それに、兵士達には<服装・髪型を整えろ>とか<会話するときの言葉遣いは上品に!>なんて、まるで風紀委員のように細々と指示しているし・・・」
 呆れ顔のビッテンフェルトだが、黒色槍騎兵艦隊が陛下の行幸の護衛になるという名誉と司令官ビッテンフェルトの旗艦<王虎>に陛下自身が同乗するという一大事に、緊張かつ神経質になっている幕僚達の様子がミュラーの目に浮かんだ。
「陛下が軍に直接関わるのは初めての事ですし、できるだけ好印象をもってもらいたいと思っています。黒色槍騎兵艦隊の頑張りに期待していますよ。ところで、陛下の目の毒になるような物って何ですか?」
「はは、まあ、兵士たちが寝床でこっそり楽しんでいる女性の際どいポスターとか、食堂に置いてあるグラビアアイドルの写真集とか・・・そんな感じだ。俺んとこは男だけだから、今まで遠慮なく自由にやらせていたからな」
「そうですね。他の艦隊には、女性軍人も乗り込んでいるので、その辺はけっこう気を使っているようですよ」
「まっ、野郎ばかりというのも、気楽と言えば気楽なんだがな・・・」
「それで、陛下の行幸に随行する人員についてですが、実は貴族側からマリーンドルフ男爵が同行を希望したのです」
「ゲェ!あいつが!?ミュラー、まさか、許可したと言うんじゃないだろうな?」
 ビッテンフェルトが拒否反応を示した人物マリーンドルフ男爵とは、その名が示すとおり皇太后の親戚にあたる人物である。
 <軍は政治から分離された状態でなくてはならない!>という彼の主張は、多くの貴族達から支持されており、政治的にも影響力があった。閣僚でもある七元帥の存在を始め、政治に関わる軍人をなにかと目の敵にする彼は、当然ビッテンフェルトとも反りはあわなかった。
「彼は皇太后の御親戚にあたる方なので、無下にもできませんよ。只、皇太后の意向を伝えて、今回は丁重にお断り致しました」
「あ~、ビックリした。奴が行くなら俺は行かないからな!」
 苦虫を潰したような顔でぼやいたビッテンフェルトに、ミュラーが思わず苦笑する。
 実は陛下のオーディン行幸を知ってすぐさま随行員の申し込みに来たマリーンドルフ男爵も、黒色槍騎兵艦隊が護衛と知って「ビッテンフェルトが行くなら私は行かない!」とすぐさま随行員の申し込みを取り消した。彼もまた今のビッテンフェルトと同じように、苦虫を潰したような顔になっていたのだ。
「幸いなことに他の貴族達もマリーンドルフ男爵に遠慮したのか、相次いで辞退したので、こちらとしても助かりました」
 貴族達が護衛の黒色槍騎兵艦隊に怯えたのか、マリーンドルフ男爵に気を使ったのかは微妙なところだが、結果的に今回の皇帝の行幸は、ヒルダやミュラーの希望通り最小限の人員に収まったのだ。


「さて、オーディンにいるグリューネワルト大公妃の生活はどんな感じなのだろう?」
 ビッテンフェルトが、アンネローゼの近況をミュラーに尋ねる。
「今のグリューネワルト大公妃は、世話をする女官との二人暮らしで、相変わらず静かな毎日をお過ごしのようです。今回の陛下の訪問に関しては、大変喜んでいる様子だったと聞いております。只、彼女の負担にはならないように、山荘には陛下のみが滞在して大袈裟にならないように事をすすめたいと考えています」
「そうだな。しかし、一緒に暮らしているのが女官一人だけというのは、護衛面がかなり心細いな」
「普段は少し離れた別棟に、護衛や運転手などが待機しているようです。訪問者はまずそこでチェックをする仕組みになっております。今回同行する王宮の親衛隊のメンバーも、そこに待機させる予定です。グリューネワルト大公妃自身が敷地外を出歩くことは殆どないようですが、唯一、帝国軍人戦没者記念墓地には月に何度かお参りされているという報告がありました」
「帝国軍人戦没者記念墓地?グリューネワルト大公妃はいったい誰の墓参りをされているのだろう?」
 ビッテンフェルトが問いかける。
「恐らくキルヒアイス元帥の墓と思われます。先日の皇太后との会話の中で、生前ラインハルトさまは『姉上は、亡きキルヒアイス元帥の墓があるオーディンからは離れないだろう』と仰って、グリューネワルト大公妃と一緒に暮らす事を諦めていたというお話がありましたから・・・」
「・・・それは、グリューネワルト大公妃は実の弟である先帝のそばより、キルヒアイス元帥が眠っている場所を選んでいるって事にならないか?・・・それって・・・」
(もしかして二人は想い合っていた?!そしてその事は、ラインハルトさまも承知していた?・・・)
 ビッテンフェルトは、頭に浮かんだその考えを、そのまま口に出すのを躊躇った。二人はビッテンフェルトが最も敬愛するラインハルトの姉と親友である。色恋沙汰など軽々しく口にすることなど出来ない。そんなビッテンフェルトの考えを読んだように、ミュラーが反応して頷く。
「恐らく・・・。昔、キルヒアイス元帥が亡くなった頃、グリューネワルト大公妃は世捨て人のような暮らしを望んで、住まいも人里離れた山荘に移られました・・・」
「・・・」
 二人とも顔を見合わせたまま、言葉にするのを憚っている。
「まあ、こちらの勝手な憶測でしかありませんが・・・」
「うん、そうだな」  
 ミュラーの考えにビッテンフェルトが同意した。
「グリューネワルト大公妃が王宮を避けてオーディンに住んでいる理由は、それだけではないとは思います。ゴールデンバウム王朝時代のフリードリヒ皇帝の寵姫だった彼女は、貴族社会の嫌な部分も知っていますし・・・」
「まあな、貴族のもめ事には、もう関わりたくないという気持ちになってしまったのも判る」
 ゴールデンバウム時代の貴族社会を知っている二人だけに、思わず苦笑してしまう。
「只、陛下が生まれる頃に彼女はこちらに来ていましたし、弟であるラインハルトさまを看病して看取りました。フェザーンに来る事を拒絶しているという訳ではありませんから、こちらに来てくれる可能性はあると思います。皇太后と陛下の為にも、是非グリューネワルト大公妃には来て頂きたいと願っています」
「皇太后の望む結果は出したいが・・・。今回は、行ってみなければ判らないな~」
 オーディンを離れないアンネローゼの本当の気持ちを知ったビッテンフェルトは、先日の自信ありげな顔とは少し違って複雑な顔になっていた。
 少し慎重になった様子のビッテンフェルトに、ミュラーがエリスが伝えた話を打ち明ける。
「話は変わりますが、実はアマンダさんが最後の入院の際、エリスに言い残したことがありまして・・・」
「アマンダがエリスに?いったいあいつ、何を言い残したのだろう?」
 興味津々になったビッテンフェルトが、ミュラーの話に食い付いた。
「アマンダさんはエリスに、ビッテンフェルト提督と出会う前に婚約していた事、その婚約者は軍人で戦死した事などを話したそうです。もし将来何かの弾みでルイーゼやフィーネが、その婚約者の存在を知るかもしれない。そのときに、ショックを受けたり詳しく知りたがるかもしれないから、エリスには予め知っていて欲しいと仰って、ひとどおり話してくれたようです」
「ほう?アマンダが?」
「アマンダさん、婚約者の存在を知ったときのルイーゼやフィーネのフォローを、エリスに頼んだのですよ」
「ん?ミュラー、ちょっと待て!俺にはよく判らない。母親の結婚前の恋愛なのに、子ども達がショックを受けるというのか?」
「まあ、エリスが言うには、父親大好きのルイーゼやフィーネにとって、例え結婚する前の出来事であっても、母親に父親以外の婚約者がいたというのは複雑な気持ちになるだろうというのです。自分達が慕う父親は、母親にとっても唯一無二の男性であって欲しいと思うようで・・・。特に今のルイーゼは思春期の多感な時期ですし・・・」
「なるほど」
「父親が大好きでファザコンと言われていたエリスがそう言うのですから、女の子の心理というのは、そういうものなのでしょう。なかなか理解できませんが・・・」
「はは」
 女の子の心理に疎いビッテンフェルトも<敵わん>とばかりに首を振って苦笑する。
「ビッテンフェルト提督、エリスが言っていましたよ。愛する婚約者を亡くして止まってしまったアマンダさんの時間を、動かしてくれたのが提督だそうです。同じ立ち位置と思われるグリューネワルト大公妃の時間も、是非動かしてくれませんか?」
「いやいや、アマンダのときは、ルイーゼという切り札があった。それに、アマンダとグリューネワルト大公妃では違い過ぎるぞ。アマンダのときの俺は遠慮なく行動できたが、グリューネワルト大公妃にはそうもいかんだろう」
 ミュラーの言葉に、ビッテンフェルトは手を振りながら苦笑する。
「ええ、しかし今回のビッテンフェルト提督は、彼女の甥である陛下というカードを持っていますよ」
 ミュラーがにっこりと笑ってビッテンフェルトを見つめる。
(全く・・・無理強いはダメだって言ってたくせに・・・)
 ビッテンフェルトは心の中で呟きながら、溜息をついていた。
 そんなビッテンフェルトの矛先を替えるように、ミュラーが話を変えてきた。
「ところで提督にお願いがあるのですが・・・」
「ん?なんだ?」
「提督の遠征中、エリスがビッテンフェルト家に滞在しても宜しいでしょうか?」
 エリスの真意にすぐ気が付いたビッテンフェルトが礼を言う。
「勿論だ!子ども達も喜ぶし俺も助かる。・・・エリスにもミュラーにも、すっかり世話になってしまうな~」
「いえ、私の方こそ、エリスに羽を伸ばせる実家を与えて下さった提督に感謝しているのですよ」
「なにを言うか!エリスは俺達にとっても家族だ。だから、わが家がエリスの実家になるのは当たり前の事だ。いつでも遠慮せずに来てくれ」
「ありがとうございます。今回エリスは、成長著しいあの子たちの姿を絵に残したいと言っていました。ルイーゼやフィーネとゆっくり過ごせる機会を狙っていたらしいです」
「ほう、そうか。遠征から帰ってきたら、その絵を見るのが楽しみだな」
 ビッテンフェルトは、ミュラー夫妻の自分や娘達を気遣う思いやりに感謝していた。



 その日、帰宅したビッテンフェルトは、出迎えたルイーゼの真っ赤な目と泣いた後の顔に驚いた。
「ルイーゼ、どうした?何があったんだ?」
「フィーネが大泣きしてしまって・・・」
「フィーネが?」
 ビッテンフェルトが辺りを見回して、ヨゼフィーネを探す。そんな父親にルイーゼが伝えた。
「フィーネは今、ミーメさんが寝かしつけています」
「そうか」
「いったい何が原因で、フィーネが大泣きするような事になったんだ?」
「実はフィーネがお友達に<宇宙っていうのはお空のことだ!>と言われたらしいのです。それであの子、混乱してしまったらしくて・・・」
「混乱?」
 何故ヨゼフィーネが混乱したのか判らないビッテンフェルトが、顔を顰めて不思議そうな顔になる。そんな父親にルイーゼが説明する。
「フィーネの中では、<お空は亡くなった母上がいるところ>、<宇宙は父上が仕事で行くところ>という具合に違う場所と思っていたようなのです。それで、お空と宇宙は同じ場所と知って、<父上が母上のところにいったまま帰ってこなくなる!>と思い込んで『ファーターまでいなくなっちゃう~』と、手が付けられなくなるくらい泣いてしまって・・・」
「なるほど、そういう理由<わけ>か・・・」
 ビッテンフェルトが納得する。
「私がいくら『父上はちゃんと帰ってくる』と説明しても、大泣き状態のフィーネの耳には入らなくなってしまって・・・」
「そうだな、泣いて興奮状態のときは無理だろう。落ち着いてから言い聞かせれば、フィーネだって判ってくれるさ」
 ビッテンフェルトは楽観視していたのだが、ルイーゼの方は深刻な顔になっていた。
「父上、ごめんなさい。私が母上が亡くなった事を<お空でフィーネを見守っている>って伝えていたから・・・。ちゃんと母上の死について理解させていたら、こんなパニック状態にはならなかったのに・・・」
 涙目のルイーゼにビッテンフェルトが伝える。
「いや、ルイーゼ。謝らなくていい!お前は悪くない!」
「でも・・・あの子に、母上の死をどうやって伝えれば良かったのかしら・・・」
 すっかり塞ぎこんでしまった娘に、父親が諭す。
「アマンダが亡くなったとき、フィーネは『ムッターは寝ている』と言って、死んだことが判らなかった。母親の葬式だって埋葬だって見ていたのに、その後も『病院に行ってムッターに逢いたい』と駄々をこねていた。幼過ぎてフィーネには、<死>という意味が判らなかったんだろう」
「ええ、確かにフィーネはそんな感じでした」
 ルイーゼが父親の言葉に頷く。
「お前が『ムッターは空で見守っている』って教えてやったから、フィーネはその言葉で母親がいないという事を納得し、それを支えにもしている。だから、その言葉はそのままでいいと思う。そのうち成長と共に、フィーネにも少しづつ<死>を自然に理解していくようになるだろう。今回は、<俺が帰ってこない>とフィーネが思い込んでいる事が問題なのだから、それを解決すれば大丈夫だ!」
 ビッテンフェルトがルイーゼを慰めた。
 丁度そのとき、ヨゼフィーネを寝かしつけてきたミーネがリビングにやって来た。
「ミーネさん、フィーネはどうでした?」
「泣きながら寝てしまいました」
 心配しているルイーゼに、ミーネが説明する。
「ルイーゼお嬢さま、大丈夫ですよ。大泣きするというのは、ストレス解消にもなるんです。フィーネお嬢さまが激しく泣くのは珍しい事ですけれど、ルイーゼお嬢さまの小さい頃は、あんなふうに大泣きする事はよくありました。そんなとき奥さまは、お嬢さまが泣き止むのを見計らって『ルイちゃんはどうして泣いていたのかな?』って尋ねておられました。すると、お嬢さまが『あれ、何だったのかな?忘れちゃった♪』とすっきりした顔でケロッと言うのが可笑しくて、奥さまとよく笑ったものです」
「あら、そうなの」
 ルイーゼが照れくさそうな顔になった。
「うん、あれだな。トイレも我慢しないで出しちゃった方がすっきりするだろう。鼻水が溜まっているときだって、思いっきりかむとさっぱりするしな。泣きたいときもいっぱい涙をだして大泣きした方が、体にも精神的にもいいんだろう」
 ビッテンフェルトのたとえ話に、ルイーゼが眉を顰める。
「もう、涙と排泄物を一緒にするなんて・・・。父上ったら本当にデリカシーがないんだから!!全く、母上はどうしてこんな父上と結婚したんだろう?全然、ロマンチストなんかじゃないのに・・・」
 呆れるルイーゼに、ビッテンフェルトが鼻の脇をかきながら、ボソッと答えた。
「・・・まあ、お前がいたしな・・・」
「えっ?なに、それ?もしかして、結婚する前にもう私がいたって事なの?えっ~~、父上と母上って<出来ちゃった婚>なの?」
 目を丸くして驚くルイーゼを見て、ビッテンフェルトが意外な顔になる。
(あれ?こいつ、知らなかったのか!)
「父上は私がいたから、仕方なく結婚したの?もし私が生まれなければ、父上も母上も結婚していなかったって事?」
 みるみる思い詰めたような目になって問いつめる娘に、ビッテンフェルトが即答で否定する。
「違う!違うぞ!」  
 焦る気持ちを抑えて、ビッテンフェルトが説明する。
「俺は、お前が生まれるずっ~と前に、アマンダに結婚を申し込んでいる。アマンダだってちゃんと了承した!」
「本当?」
 疑いの目で父親を見つめるルイーゼに、ビッテンフェルトがきっぱり告げる。
「ミュラーの目の前でアマンダにプロポーズしたんだ。あいつが証人だ」
「そうなんだ。でも良かった。ちゃんとした順番で・・・」
 信頼できるミュラーが証人という事で、ほっとした様子のルイーゼに、ビッテンフェルトがひと安心する。
(うん、嘘は言っていないよな。俺はアマンダに『嫁にしてやる!』と言った!それで俺自身は見逃してしまったが、ミュラーはその言葉に『アマンダは笑った』と言っていた。そのアマンダの笑顔を、プロポーズの了承と解釈すれば・・・。一応ミュラーには、口裏を合せるように念を押しておこう)
 自分でもこじつけ感が否めないと思っているビッテンフェルトだけに、ルイーゼがミュラーに確認する事を恐れ、彼との口裏合わせの必要性を感じていた。
「でも、どうして母上と結婚するのが遅れたの?」
「そ、それは・・・」
 ルイーゼの新たな質問に、言葉に詰まるビッテンフェルトだが、ミーネが助け舟を出してくれた。
「ルイーゼお嬢さまが生まれた頃は、先帝が崩御され、まだ赤ちゃんであった陛下が即位したばかりでした。時代の変わり目で、帝国の基礎固めの為、皆忙しかったのです。自分のプライベートは二の次で、ビッテンフェルト提督も仕事を優先していた結果、奥さまとの結婚がすっかり遅くなってしまったのですよ」
「まあ、そう言う事だ!」
 ビッテンフェルトがミーネの言葉に便乗する。
「奥さまは元帥夫人として、提督には家庭より仕事を優先させる事を望んでいましたからね」
「うん、確かに、母上にはそういうところがあったわ」
 自分の死期を悟っていたのに、ビッテンフェルトを遠征に行かせたアマンダである。夫であるより、黒色槍騎兵艦隊の司令官の職務を優先させていた母親をずっと見てきたルイーゼが納得する。そんな娘にビッテンフェルトが伝えた。 
「あのな、ルイーゼ。俺が遠征中で留守のとき、エリスがこの家に来てくれる事になったぞ!」
「えっ!本当♪嬉しい~。ずっとお泊りしてくれるのかしら?」
「多分な!エリスは、お前達をモデルに絵を描きたいらしくてな。遠慮せず好きなだけゆっくり過ごせばいいと言っておいた」
「父上、ありがとう!エリス姉さんとずっと過ごせるなんて、凄く楽しみだわ♪」
 テンション高くご機嫌になった娘に、ビッテンフェルトも満足する。


 夕食後、ルイーゼは自分の部屋で休み、リビングにはミーメとビッテンフェルトの二人が残された。
「全くルイーゼは、泣いていたかと思えば笑ったり、怒っていたかと思えば喜んで大はしゃぎする。感情がコロコロ変わって、俺はついていけない・・・」
 溜息をついてこぼすビッテンフェルトに、ミーメが笑う。
「そういうお年頃なんです。そういう時期は、男の子は口数が減ったりしてつまらなくなりますが、女の子は賑やかですよ」
「う~ん、無口も困るが、お喋りに付き合うのもな~。こっちの方が疲れてしまうよ」
 娘の感情に振り回されて、精神的に疲れてしまったビッテンフェルトが苦笑する。
「それにしても、さっきは焦った。てっきりルイーゼは、<自分が俺達が結婚する前に生まれた>って事を知っていると思っていたよ」
「ええ、私もです。奥さまは、提督がルイーゼお嬢さまに、生まれてきたときのご事情をお話ししてくれたと思っていましたよ。だって、ルイーゼお嬢さまはハルツの別荘に行くたびに<ここは私が生まれたところよ♪>と自慢していましたし」
「うん、確かに、あの別荘を買ったとき、ルイーゼには<お前はここで生まれた>って話はした。だが、その理由までは言っていなかったぞ。俺は、アマンダが話してくれたとばかり思っていた」
「まあ、話の行き違いや勘違いは仕方ありませんよ。しかし、提督には思いがけない打ち明け話になってしまいましたね」
「まあな。しかし、ミーネ、結婚にちゃんとした順番なんてあるのか?」
 ビッテンフェルトが、ミーネに問いかける。
「一般的には、ミュラー夫妻のように、お互い好きになって交際が始まり、恋人同士になって婚約し、そして結婚するというのが理想的なんでしょうね。どうしても結婚前に子どもが生まれるというのは、なんだか<子どもができたから仕方なく結婚します>というニュアンスを感じてしまいますし・・・」
「やはり、世間はそう見てしまうか・・・」
 <私がいたから、仕方なく結婚したの?もし私が生まれなければ、結婚していなかったって事?>と問い詰めたルイーゼのこわばらせた顔を思い出しながら、ビッテンフェルトはなんだか後ろめたさを感じていた。
「特にルイーゼお嬢さまが通う学校は、女子校で良妻賢母を目指して規律正しく過ごしていますし、校訓も<品性のある女性>ですからね。お嬢さま自身も、性格はおおらかなのですが生真面目なところもありますし・・・」
「生真面目はアマンダ譲りだな。あいつも真面目過ぎて融通が効かないところがあった・・・」
(ミュラーの言う通り、女の子の心理とは難しいものだな・・・)
 <自分が両親が結婚する前に生まれた子どもである>と知ったときのルイーゼのショックを見たビッテンフェルトが溜息をつく。
 そんなビッテンフェルトをミーネが慰める。
「提督、大丈夫ですよ。ルイーゼお嬢さまも愛する男性ができ結婚を考えるような年齢になれば、拘りなく『両親は出来ちゃった婚でその子どもが私なのよ』って言うようになります。それこそ『父上、私、赤ちゃんが出来たから結婚する!』って事もあり得ますよ」
「おいおい、怖い事を言うなよ!そんなの想像するだけで心臓に悪い」
 ビッテンフェルトが身震いをする。そんな父親を笑ったミーネが提案する。
「提督、今の若い人達は、先に子供を授かる結婚の事を<授かり婚>とか<おめでた婚>というそうですよ。意味合いは同じでも、そっちの方が結婚について前向きに考えていた結果、赤ん坊が先に出来た!という感じがしませんか」
「ほう、なるほど。物は言いようだな。よし、俺とアマンダも<おめでた婚>だったという事にしよう♪」
 納得できる結論に、二人で顔を見合わせて頷き合う。
「ミーメ、エリスがきたら、うんと甘えさせてやってくれ。嫁入り先から、久し振りに実家に来た娘のようにな!」
「ええ、判っていますよ。ルイーぜお嬢さまだけでなく、私もエリスさんが来るのが楽しみなんです。提督のお留守は、ビッテンフェルト家の女性陣が一致団結して、しっかり守りますので!」
「おっ!頼もしいな」
(さて、あとはフィーネだな)
 ビッテンフェルトは、泣きながら寝てしまったヨゼフィーネについて考えていた。


 翌日の朝、ビッテンフェルトは大きな荷物を抱えて、ヨゼフィーネの寝ている子ども部屋に向かった。
 父親が動くガサガサという音でヨゼフィーネが目覚める。
「ファーターおはよう。なにしているの?」
「おっ、フィーネ、起きたか!お前とお話ししようと思ってな」
「あのね、フィーネもファーターにお話しがあるの!」
 起きてきたヨゼフィーネが、目を擦りながら父親の隣に座る。
「おねえちゃまが『もうすぐファーターがお仕事で宇宙に行く』って言っていたの。ファーターは、ムッターのところに行くの?」
「いや、ファーターはムッターのところにいくんじゃないぞ」
「だって、宇宙ってお空のことなんでしょう?」
「うん。宇宙と空は繋がっているから同じだとも言えるな。だが、ムッターのいる空は、宇宙ではなくフィーネの心の中と繋がっているんだ」
「フィーネの心の中?」
「ああ、そうだ」
 不思議そうな顔のヨゼフィーネが、ポツリと答える。
「フィーネ、よくわかんない・・・」
 俯いてしまったヨゼフィーネの頭を撫でてビッテンフェルトが伝える。
「そうか・・・。フィーネも、もうちょっと大きくなったら判るようになる」
「ファーター、宇宙に行ってもちゃんとお家に帰ってくる?」
「当たり前だ!」
 不安そうに訊いてきた娘に、ビッテンフェルトが(この子にとって<死>というものは、<もう帰ってこない>という感覚なんだな・・・)と考える。
「ファーターにも逢えなくなったら、フィーネ、寂しくて毎日泣いちゃうから」
 涙目で訴えるヨゼフィーネの仕草は、父親の心を一瞬で鷲づかみにした。
「大丈夫だ!ファーターはちゃんと帰ってくるし、フィーネが泣くようなことは絶対しないぞ!」
 娘に伝えながら(<目に入れても痛くない>という感情はこういう事をいうんだろうな・・・)と改めて実感するビッテンフェルトであった。
「本当に?」
 まだ少し不安そうに問いかけるヨゼフィーネに、ビッテンフェルトがきっぱり告げる。
「本当だ。約束する!」
「うん♪」
 やっと笑顔になった娘に、ビッテンフェルトはベット脇に隠してあった大きな袋から縫いぐるみを取り出した。
「これは俺が宇宙に行っているとき、ムッターのそばで俺の身代わりをしていたクマさんだ」
「ムッターのクマ?」
「憶えていないか?」
 ヨゼフィーネがコクンと頷く。
(去年の遠征のときはアマンダは入院していたのだからこのクマを出していない。その前の年の遠征といえば、フィーネは三歳にもなっていない。記憶にないのも無理はないか・・・)
 目の前に突然現れた派手なオレンジ色のクマのぬいぐるみを、ヨゼフィーネは目を大きくして見入ってる。
「フィーネ、ムッターは<俺が宇宙に行っている間、寂しくないように!>って、このクマを俺の代わりにして、そばに置いていたんだ。アマンダは、このクマにフリッツという名前を付けていたし、ルイーゼはファーターと呼んでいたぞ」
「うん。このクマさん、ファーターにそっくりだもんね」
「今度から俺が宇宙に行っているときは、このクマがファーターの身代わりとして、フィーネのそばにいる」
「ホント?いいの?」
「勿論♪」
 ヨゼフィーネが、早速そのオレンジ色のクマを、ぎゅっと抱きしめる。
「ムッターもこのクマさんを抱きしめていたのかな?」
「うん、ムッターはこうやって、このクマと俺に挟まれたこともある」と言うと、ビッテンフェルトは娘を背中越しに抱きしめ、ヨゼフィーネはクマのぬいぐるみと父親に挟まれた。
「わーい、フィーネ、ムッターと同じ♪」
 母親と同じ状態になった事を無邪気に喜ぶヨゼフィーネであった。そんな娘を見ていたビッテンフェルトが、無意識のまま問いかける。
「フィーネ、ムッターに逢いたいか?」
「ムッターに?う~ん・・・」
 考え込んでしまったヨゼフィーネに、ビッテンフェルトが(シマッタ、地雷を踏んでしまった!)と娘の母親への恋しさを引き出してしまったかと焦った。
 しかし、そんな父親の心配をよそに、ヨゼフィーネは急に閃いたように目を輝かせて告げた。
「あっ、そうか!ムッターのいるお空とフィーネの心が繋がってるから、魔法使いのおじさんが来てくれたんだ!」
「えっ?魔法使いのおじさん!?その~、誰のことだ?」
 娘の予想外の言葉に、ビッテンフェルトが目を丸くして驚いた。
「ムッターのお友達♪~お空に住んでいるんだって!」
(はあ?アマンダの友達??)
「あのね、その魔法使いのおじさん、ムッターに頼まれて、フィーネの事、助けに来てくれたんだよ♪」
「・・・」
(空にいる魔法使いのおじさんが助けに来てくれた?・・・なんの事だ?)
 娘の言葉の意味が、全くわからないビッテンフェルトが不思議そうな顔になる。
「そのおじさんがね、ムッターに逢いたくなったら鏡を見ればいいよって教えてくれたんだ。だから、鏡があるから大丈夫だよ」
「そ、そうか・・・」
(小さな頃のルイーゼも現実離れした空想をよくする子どもだったが、フィーネもそうなのか?それとも女の子の成長には、そういう特徴が伴うものなのか?)
 自分にはない感覚を不思議がるビッテンフェルトだったが、ヨゼフィーネ自身が納得しているようなので(まあ、いいか)とビッテンフェルトも自分の疑問を収めた。
(確かにアマンダ似のフィーネが、鏡を見れば母親に逢えるという理屈は理解できる。しかし、そんな発想を、幼いこの子が考えつくだろうか?誰かに教えてもらったというのは確かかも知れないが、魔法使いのおじさんというのも・・・判らん・・・)
 思春期の娘だけでなく、幼い娘の世界にもついていけないビッテンフェルトであった。


<続く>