指輪物語 4

 黒色槍騎兵艦隊の毎年恒例の遠征が始まった。
 今回はいつもの遠征とは違い、黒色槍騎兵艦隊には皇帝行幸の護衛という使命が伴っている。しかも、皇帝が艦隊の訓練を視察する為、司令官ビッテンフェルトの旗艦である<王虎>に同乗するという画期的な出来事に、幕僚達は勿論の事、末端の兵士たちまでがかなり緊張し、神経を尖らせていた。
 そんな状態の中でも、ビッテンフェルトは少しも動じず、いつもと同じように艦隊の指揮をしている。皇帝を前にしても、普段通りのビッテンフェルトに、兵士たちは<自分たちの司令官は、やっぱり肝が座っている!>と改めて尊敬の眼差しを向けていた。

 皇帝が視察する艦隊訓練を幾度か挟みながら、黒色槍騎兵艦隊は順調にオーディンに向かっていた。
 艦橋の自分の指揮座に座っているビッテンフェルトが、目の前に広がる宇宙空間を見つめている。オーディンに向かう航路を使うのは久し振りである。

アマンダ、
お前と一緒にオーディンに行きたかったな
この壮大な宇宙を、
お前に見せたかった
そして、この指輪も
二人で一緒に納めたかった・・・
 
 軍服の胸ポケットに手を当てたビッテンフェルトが、入れてある指輪の存在を確かめる。
 宇宙空間をずっと見つめたままの司令官に、副官のオイゲンが話しかけた。
「宜しいですか、閣下」
「ん?」
「親衛隊長のキスリング准将が侍医殿を伴って、閣下にご報告したいことがあるとお見えになっていますが・・・」
「侍医殿が一緒なのか?」
「ええ、・・・陛下に何かあったのでしょうか?」
 不安そうなオイゲンに、立ち上がったビッテンフェルトが彼の肩を軽くたたきながら告げる。
「まずは会って話を聞いてみよう。オイゲン、先走るな!心配するのは彼らの話を聞いてからだ」
 ビッテンフェルトが待っている二人の方に向かった。


 ビッテンフェルトが姿を見せると、すぐさま侍医が説明する。
「閣下、実は陛下に少し熱っぽいところが見受けられましたので、今日は休養される事をお勧めしました」
「陛下が発熱!?それで、大丈夫なのか?」
 驚いたビッテンフェルトが状態を確認する。
「ええ、ご安心ください、閣下。陛下自身も『このぐらいは大丈夫!』だと仰って、今日の訓練視察も予定通り行うつもりでいました。しかし、私の方で大事をとりたくて、このように判断致しました。今ここで無理をして、オーディンに行くまでに陛下が体調を崩されるような事があっては大変ですし・・・」
「そうか」
 ビッテンフェルトが頷く。
「閣下、陛下は、決してこちらの艦隊の訓練視察を軽視しているわけではありません。侍医である私が少し慎重になっているのです。陛下には万善な状態でグリューネワルト大公妃と再会して頂く事が、私の責務と心得ております。閣下にはその辺のところをご理解して頂ければ幸いです」
 侍医は、目の前のビッテンフェルトに、アレクを庇うようにいっきに捲し立てる。侍医はビッテンフェルトが(陛下が訓練視察を嫌がっているのでは?)と誤解する心配をしているのである。
 ビッテンフェルトは侍医の訴えに、軽く笑って伝えた。
「侍医殿の気持ちは判った。陛下にはこちらの事は気にせず、体を休ませて欲しいと伝えてくれ。確かに陛下にとって、この宇宙遠征も、戦艦の中で過ごしていることも、艦隊の訓練視察も何もかも初めての事ばかりだ。本人が緊張と興奮で自覚出来ない疲れを察するのが、俺達周りにいる者の役目なのだから、侍医殿もこちらに遠慮せず、陛下の体調を優先する事に専念して欲しい」
 ビッテンフェルトの言葉に、侍医とキスリングが目を合せて頷き、ほっとした表情になる。
 しかし、その後のビッテンフェルトの発言で、キスリングが思わずドキッとなった。
「キスリング親衛隊長、陛下と少し話がしたい。勿論、陛下の体調と都合の良い時間で構わない。あとで知らせて貰えれば助かる」
「判りました。陛下のご都合を伺ってから、お知らせいたします」
 ビッテンフェルトの本意が判らず、キスリングは一瞬のうちにいろいろと勘ぐっていた。そんなキスリングの不審がる様子に感づいたビッテンフェルトが笑いながら告げる。
「おいおい、親衛隊長、変な心配するなよ!今の陛下の様子を、俺なりに知りたいと思っているだけだ。なにも説教するわけではないぞ!」
 司令官の言葉に、艦橋にいる兵士達から小さな笑い声が漏れる。キスリングも緊張を緩めて頷くと、侍医と共にその場から立ち去った。


 艦橋から出た二人が、周りに兵士がいないのを確かめて話し始める。
「しかし、この艦にいると神経が持たない・・・」
「侍医殿のお気持ちも判ります」
 侍医のぼやきに、キスリングが同意する。
「まあ、本来ならばこのような陛下の移動には、帝国総旗艦であるブリュンヒルトを利用すべきですが、護衛である黒色槍騎兵艦隊の中では、白のブリュンヒルトは目立ち過ぎます。宇宙で狙われやすくなるという陛下への危険は避けなければなりません。それに、皇太后の<大袈裟にせず小規模な形でのプライベート旅行>という意向を重視すれば、このような形でオーディンに向かうのも仕方ないでしょう」
 キスリングの部下である近衛兵達はアレクと同じ<王虎>に乗り込んでいるが、随行する王宮の役人や数名の貴族達は他の艦に分乗してオーディンに向かっている状態である。
「それは判るが、まさかこの私が、あのビッテンフェルト元帥の旗艦<王虎>に乗り込む事になろうとは・・・」
 首を振って不満を漏らす侍医の顔には、黒色槍騎兵艦隊の戦艦の中で兵士たちに囲まれて過ごすストレスが露わに表れていた。今頃、他の艦に乗っている随行員達も、同じような気持ちで神経を擦り減らしているに違いないと、キスリングは予想する。
「この機会に陛下には軍の様子も知って頂きたいと、軍の上層部は望んでいます。司令官の旗艦から艦隊訓練を見学すれば、艦隊運用の勉強にもなりますし、皇太后も<陛下には何事も経験を積んで、心身ともに逞しくなって欲しい>と望んでいますし・・・」
「私とて、皇太后のお気持ちは判る。だが、あの繊細な陛下をいきなりこの黒色槍騎兵艦隊に放り込む事は、いくら何でもハードルが高過ぎるとは思わないか?陛下の体調や精神的な影響も心配だし・・・それに、私は胃に穴が空きそうだ!」
 ブツブツ言いながら、ずっと胃をさすっている侍医を見て、キスリングが心の中で溜息を吐いていた。


 数時間後、ビッテンフェルトはアレクと二人っきりで、お茶の時間を過ごしていた。
「陛下、お加減はいかがですか?」
「私は大丈夫だ。侍医が心配性過ぎるのだ」
「まあ、陛下にとって初めての宇宙旅行ですので、いろいろと慎重になるのも判ります」
「侍医は、祖父が亡くなって落ち込んでいた私を、ずっと気にしていたからな・・・」
 苦笑いのアレクに、ビッテンフェルトが応じる。
「この壮大な宇宙を見ても、陛下のお気持ちは晴れませんか?」
「・・・確かにこの光景を見ていれば、心が何となく落ち着く。だが、祖父と一緒にオーディンに来たかったという想いも沸いてくるんだ。祖父は、昔住んでいたオーディンをずっと懐かしんでいた・・・」
「判ります。こうして久し振りにオーディンに向かう航路を進んでいると、私も亡き妻とオーディンに行きたかったと思ってしまいますから」
「あっ、そうか・・・卿も大切な人を喪ってしまったのだな・・・」
「ええ・・・」
 二人とも喪ってしまった大切な人の面影を思い浮かべる。
「ビッテンフェルト、卿は戦争でたくさんの死を経験してきた。人という者は、多くの死を経験すると人の死に対して慣れるものではないのか?私は、父上が亡くなったときの事は覚えてはいないので、身近な人の死というのは祖父が初めてと言える。死に対する免疫がないから、いつまでも引きづってしまうのか?」
 アレクの問いに、ビッテンフェルトが自身の今の状態を打ち明ける。
「陛下、愛する者との死別は、なかなか乗り越えられるものではありません。私とて一年たっても、亡き妻の夢を見てはボロボロと泣いてしまいますから・・・」
「えっ、卿ほどのつわものでも、そうなるのか?」
 アレクが意外そうにビッテンフェルトを見つめた。
「ここだけの話です」
 軽く笑ったビッテンフェルトが、口に人差し指をあて、(内緒ですよ)というような仕草をする。
「しかし、ビッテンフェルト、戦争中は部下や同僚など身近な人の死があっただろう?そういうとき、卿はどうしていたのだ?」
「私は軍人です。戦場で司令官が感情に流されたら、戦局に大きな影響が出てしまいます。負けない戦いをする為には、身近で生じる部下や同僚の死や痛みを事務的に捉え、感情は常に切り替えるという必要に迫られます」
「そうか、そういう事か。・・・ビッテンフェルト、感情を切り替えるというのは難しいか?」
「そうですね。恐らく私は、軍服を着ている事で感情の切り替えができるのかも知れません。特に強く意識しているわけではありませんが、軍服を着ているときは軍人としての立ち振る舞いになりますし、艦隊にいれば司令官としての立場から物事を考えるようになりますから。まあ、士官学校である程度、軍人としての心構えなどは学びますが・・・」
「なるほど」
 アレクが頷く。
「陛下、陛下のお立場では、この先、自分自身の感情と距離を置かなければならない状況が多くなる事でしょう。ご自身を保つ為にも、日常の中で公私の切り替えをして出来るだけリラックスする時間を確保し、それを大事にする事をお勧めします」
「リラックスできる時間か・・・。う~ん、それは難しいな。王宮は多くの人々が出入りするだけに、私の日常は常に人々の目に晒されている。プライベートなどないに等しいし、それが当たり前にもなっている」
 苦笑したアレクに、ビッテンフェルトが頷く。
「そうですね。確かに陛下の環境では、落ち着いて個人の時間を楽しむという事は難しいかも知れません。しかし、瞬間的に気持ちを切り替え、短時間でもリラックする事が出来るように慣れておいた方がよいでしょう」
「ビッテンフェルト、卿の進言は理解できるが、瞬間的に気持ちを切り替える事は、簡単な事ではないぞ」
「ええ、でも私のように<軍服を着ると気持ちが切り替わる>というような具体的なスイッチがあると、陛下も切り替えやすくなるのではないでしょうか?」
「切り替えのスイッチか・・・。だが、気持ちを切り替える為に、いちいち着替えるわけにはいかぬだろう・・・」
 笑って話すアレクに、ビッテンフェルトも笑う。
「いろいろと試行錯誤しているうちに、陛下もご自分にあった切り替えのスイッチが見つかるかと思います」
「卿の助言は参考になった。自分なりに試してみる事にしよう」
 そう言うとアレクは、目の前のコーヒーを飲んで一休みする。そして、改まってビッテンフェルトに問いかけた。
「ところでビッテンフェルト、卿は伯母上をどのようなお人だと思うか?」
「グリューネワルト大公妃ですか?私はお姿を拝見した事はあるのですが、ご本人と直接話をした事はありません。只、先帝の姉君だけあって、とても聡明なご婦人だと伺っております」
「そうか、伯母上の事では、卿の助言は得られないか・・・」
 アレクが小さな溜息をついた。その様子にビッテンフェルトが、彼に尋ねる。
「陛下、グリューネワルト大公妃の事で、何か心配事でも?」
「私も母上も、伯母上には是非フェザーンに来て頂きたいと希望している。その為に、母上は今回の行幸を思い立ったのだ。だが、伯母上自身は今の暮らしを変えたくはないだろう。皇帝の私がオーディンまで赴いて伯母上に『フェザーンに来て欲しい!』と言えば、伯母上は負担に感じたり、或いは私の言葉を<皇帝の命令>として受けとるのでは・・・と考えてしまうのだ。だから、私としてはその言葉を口にすることが憚れる。母上が望む結果を出したいと思うが、甥としては伯母上に無理強いをさせたくもないという気持ちもある・・・」
 二律背反の思いに悩んでいるアレクに、ビッテンフェルトが提案する。
「陛下、陛下のお気遣いはとても良い事と存じます。皇帝という立場を自覚して、発言に慎重になるという事もご立派です。しかし、今回はあまり深く考えずに、甥として伯母上との交流を楽しまれてはいかがでしょうか?今回の陛下の行幸の目的の一つに、<立派に成長した息子を伯母であるグリューネワルト大公妃にお見せしたい>という皇太后のご希望があったと聞きましたが・・・」
「立派に成長した息子!?」
 母親であるヒルダの言葉を聞いたアレクが、難しい顔になって問い質す。
「ビッテンフェルト、士官学校にも進めない私が、母上の立派な息子だというのか?」
 アレクにしては珍しい咎めるような口調と自分自身を卑下する思いがけない言葉に、ビッテンフェルトは目を丸くして驚きながら尋ねた。
「・・・陛下は士官学校に進む事を希望しておられたのですか?」
「あ、いや、そういう訳でもないが・・。だが、亡き父上は、私と同じ年頃にはもう軍人となって武勲を立てておられたし、フェリックスだって士官学校に進み軍人になった・・・」
 感情的になった事を取り繕うようなアレクを見て、ビッテンフェルトが諭すように進言する。
「陛下、先帝と陛下では、時代も取り巻く環境も違い過ぎます。比べる事自体、無理があります。それに、今の陛下とフェリックスが、同じ方向から物事を見る必要もないでしょう。むしろ、お互い別の世界を知り、違う方向から世間を見て、自身の見聞を広げるべきかと思います。軍人となったフェリックスとて、いずれ陛下の元に戻ってきます。そのとき陛下の視野や考え方は、フェリックスの分も含めて格段に広がる事でしょう」
 アレクは、(そういう見方もあるのか!)と目から鱗が落ちたとばかりに、大きく目を見開いた。そして、納得したように何度も頷く。
「なるほど・・・。フェリックスが将来の私の視野を広げる為に、今敢えて離れていると考えれば、私が寂しいと思う訳にはいかないな・・・」
「ええ、<忠臣を信じて待つ>という事も、皇帝の器量のうちかと・・・」
「そうだな。確かにそうだ・・・」
 すっきりした表情になったアレクに、ビッテンフェルトは少し安心した。
「陛下、グリューネワルト大公妃に逢われましたら、身構えず初めからありのままの自分で接してみたらどうでしょう?今回の訪問で、陛下が伯母上とリラックスして過ごせる事を願っております。・・・それでは、陛下のお疲れにならないように、私はこれで退散すると致しましょう」
「ビッテンフェルト、こんなふうに卿とゆっくり話をしたのは、初めてのような気がする」
「ええ、私も、このように陛下と親しくお話をする機会を得た事を、光栄に思います」
 ビッテンフェルトはアレクに会釈をすると、部屋から出た。


 艦橋の自分の指揮座に戻ったビッテンフェルトが考える。

今回は珍しく、陛下と話が弾んだな。
これも宇宙空間の中で陛下の心が癒されて、
余裕ができていたと思うべきか?

 いつものアレクは、自分から発言するようなタイプではないし、ビッテンフェルトとの会話も他の臣下と同じように、形式的なもので終わる事が多かった。それだけに今回のアレクの自分の心をさらけ出すような言葉に、ビッテンフェルトは内心驚いていたし、嬉しくも思っていた。

しかし、陛下も、ルイーゼと同じように
難しい年頃になってきたな
全く、どんな言葉が地雷となってしまうか、見当もつかない

 ビッテンフェルトは先日、自分がふと漏らした一言から「私がいたから、父上と母上は仕方なく結婚したの?」と思いつめた顔で追求したルイーゼを思い出した。同じように、先ほどヒルダの<立派に成長した息子>という言葉に、過敏に反応したアレクを振り返る。

まあ、ルイーゼは俺に似て単純だから、
怒らせても扱いやすいが、
陛下はミュラーの言うとおり、
皇太后との関係を拗らせているようで難しいな・・・

確かに、同じ思春期とはいえ、
陛下とルイーゼとは、性別も違えば環境も違い過ぎる。
背負っている期待や責任の大きさが
陛下の重圧とストレスになっているんだろうな・・・
さて、どうしたものか・・・

 ビッテンフェルトは、戦闘とは異なる心の駆け引きが伴う作戦の難しさに頭を抱えていた。


 皇帝を護衛している黒色槍騎兵艦隊は、幾度かの艦隊訓練を挟みながらも無事オーディンに到着した。艦隊を空域に残し、皇帝御一行とビッテンフェルト、そして一部の幕僚達が、シャトルでオーディンの宇宙港に向かう。
 私的な旅行という事で一般には公表していない皇帝の行幸だったが、厳重な宇宙港の警備に人々が(何事か?)と騒めいていた。
 アレクは宇宙港で居合わせた人々に軽く手を振りながら、キスリングや侍医らを従え、地上車に乗り込む。そして、今回の旅行の目的であるアンネローゼと逢う為に、彼女が住むフロイデンの山荘へと急いだ。
 又、随行する王宮の役人や数名の貴族達も、前もっての打ち合わせ通り、陛下の代行として歓迎会や交流会に出席する為、それぞれ行動する。ビッテンフェルトも陛下の代理として、オーディンの総監でもあるメックリンガーと会う為、彼の元帥府に向かっていた。


「よう!久し振りだな、ビッテンフェルト」
「うん、卿と逢うのは、二年、いや三年ぶりか?」
 お互い、久しぶりの再会を喜び合う。
「早速だが、卿に頼みたいことがある。陛下の帰りの艦は俺の旗艦の王虎ではなく、ゆっくりくつろげるような艦で過ごさせたい。貴族の閣僚達の移動に使う客船仕立ての輸送艦があっただろう?その外観を黒に塗り替えて、俺の艦隊の中にいても目立たないように出来るか?」
「黒色槍騎兵艦隊と同じ色?なるほど、判った!」
 ビッテンフェルトの意を察したメックリンガーが連絡を入れる。早速、彼の部下が駆けつけ、廊下に待機していたオイゲンと打ち合わせをすると共に動き出した。
「因みに聞くが、ビッテンフェルト、その輸送艦に乗るのは陛下と一緒に来た随行員だけなのかな?」
「いや、俺も帰りはそれに同乗して陛下のそばにいるし、黒色槍騎兵からも必要な護衛や人員を出す予定だ」
「・・・」
 何やら含みのある笑いでビッテンフェルトを見つめるメックリンガーに、ビッテンフェルトが仕方ないっという具合に首を振って白状する。
「ああ、もう・・。卿の言いたいことは判っている。只、そっちの方はいまいち自信がないというかなんというか・・・。実際のところ、どう転ぶか俺にも判らないんだ」
「おやおや、卿にしては珍しく弱気だな・・・。相手があのご婦人だと、流石のお前も気後れするのか?」
「まあな・・・」
 ビッテンフェルトが頭をボリボリ掻きながら生返事をする。そんな僚友の様子を見てメックリンガーが肩を竦める。
「さて、王虎のなかでの陛下はどうだった?」
「うん、部屋でおとなしくしているのが多かったかな。それでも俺と親しく話す時間は持てたよ」
「ほう!それで?」
「陛下も難しい年頃になったと感じた。随行してきた侍医は、ずっとピリピリしていたし・・・」
「なるほど、陛下も、大人でもなく子どもでもない微妙な年頃になったという事だな」
 メックリンガーが頷く。
 随行してきた侍医は、アレクの心配だけで気が立っていた訳ではない。あの黒色槍騎兵艦隊の兵士に囲まれて過ごしていた事も一因してるのだが、ビッテンフェルトはそこには敢えて触れない。
「陛下は、先帝に対し、いや両親に対してコンプレックスを感じているようだ」
 アレクとの会話の中でビッテンフェルトが感じた事を、メックリンガーに伝える。
「そうか・・・。両親が偉大過ぎる息子の立場というのは、いろいろと大変だろうな。ラインハルトさまはそれまでの世界を覆して道を切り開き、ローエングラム王朝を築かれた創設者だ。あらゆる面で優れた能力をお持ちであった。それに、皇太后はそのラインハルトさまが自分より統治に優れていると保証したお方だ。その二人の子どもというだけで、ある意味陛下には大きな期待がのしかかる。思春期の頃というのは、そういうものが重荷になるのだろう」
「うん、俺も自制しなければと思ったよ。俺達はどうしても陛下に、先帝のラインハルトさまの面影を追ってしまう。敏感な陛下はそれを察して、余計なプレッシャーを感じてしまうのだろうな~」
 ラインハルトを崇拝するビッテンフェルトは、忘れ形見のアレクにも先帝のようになって欲しいと常日頃から願っている。それだけにその想いが、アレクにとっては精神的な圧力になってしまっていたと反省するのであった。
「メックリンガー、陛下は生まれてすぐ皇帝となった。確かに、のし上がって皇帝になった先代のような強いオーラーはないかも知れない。しかし、陛下は臣下の進言を素直に聞き入れるし、人に対する気遣いも出来る。皇帝としての権力を自覚して、発言や行動にも慎重になっている。陛下がこのまま御成長なされば、ローエングラム王朝も安泰だと俺は思っている」
「そうだな。今のローエングラム王朝に必要なのは守りだ。ラインハルトさまが創設したこの帝国の基礎を、安定させる能力が求められる。今でこそ皇太后がその基礎作りを担っているが、いずれは陛下が引く継ぐ。次の世代の皇帝は、慎重過ぎるぐらいで丁度いいのかも知れない。増長した二代目が下手に冒険して、基礎が固まったばかりの王朝を傾かせてしまう事例は歴史的にも多いからな」
「皇太后の政務を取り仕切る手腕は、先帝でも舌を巻くほどだ。王朝が傾く心配など無用だろう」
「そうだな」
 両者共に納得したところで、メックリンガーが改まって告げた。
「話は変わるが、奥方の事、残念だったな。私はずっとこちら<オーディン>にいたから、お前にお悔みも言えないままだった・・・」
「いや、気にしないでくれ。あいつは、下の子を産んでから体の調子がいまいちでな・・・。入院もしていたし、俺も覚悟はしていたんだ」
 気遣いは無用だとばかりに、ビッテンフェルトが応じる。
「ビッテンフェルト、お前が弱音を吐く相手なら、私が一番適任だろう」
「はあ?」
「仲間内では一番年上だし、ここで奥方を思い出して大泣きしてもいいぞ」」
「突然、なにを言い出すんだ?」
 意外な事を言い出したメックリンガーに、ビッテンフェルトが面食らう。
「いや、お前の事だから、いくら心を割って話せるとはいえ、ミュラーやワーレン達の前では、奥方の事で弱音は吐けないだろう。普段から顔を合せる訳だし、相手にも気を使わせてしまうからって・・・。お前はそういう性格だ。だが、私にはそんな気遣いは無用だ。私と次に会う機会があるとすれば、ここであった事を忘れてしまう数年後だろう・・・」
「おいおい、アマンダが亡くなってからもう一年たったぞ。もう、大丈夫だよ。それとも、卿には、俺がまだ気落ちしているように見えるのか?」
「うん、私の目は特別なんだろうな。他の連中には見えないものが見える」
「えっ!?」
 不意に心の中を見透かされた気がしたビッテンフェルトが戸惑う。
「まあ、その~なんだ・・・」
 暫くの間があったあと、観念したビッテンフェルトが深い溜息を吐いて呟いた。
「全く、年寄りっていうのは変なところで目ざとい・・・」
 目の前のコーヒーを一口飲んだビッテンフェルトが、改まってメックリンガーに語り始めた。
「その~・・・夢を見るんだ。アマンダが生きている夢を・・・。それで目覚めたとき、現実を自覚してそのギャップに、どうしようもないくらい落ち込むんだ。虚しい気持ちでいっぱいになってしまう」
「夢か・・・」
「俺は、まだあいつの死を受け入れていないんだろうか?あるはずだったもうひとつの未来、いやあったかもしれなかった別の未来に、いつまで縋っているんだろうと、自分自身に問いただしてしまう・・・」
 考え込むビッテンフェルトに、メックリンガーが質問する。
「ビッテンフェルト、お前は奥方の夢をいつも見てしまうのか?」
「いや、いつもという訳ではない。ときどきひょいとあいつが夢に現れるんだ。何がきっかけでそういう夢をみるのか、俺にはよく判らないが・・・」
 首を振ったビッテンフェルトが、深い溜息を吐く。
「ミーネは『こういう事は時間<とき>が解決してくれる』って言うんだ。あっ、ミーネっていうのは、俺の家で子ども達の面倒や家の事を任せている家政婦だ。ずっと一緒に住んでいるから家族同様なんだ。卿と同じく人生経験がある分、俺は頭が上がらない」
「ほう、お前が自分で<頭が上がらない>という相手がいたとは驚きだ」
 メックリンガーの言葉にビッテンフェルトは、「ふん!」と言って鼻であしらう。
「だがな、時間<とき>が経って夢にあいつが現れてくれなくなってしまったら、それはそれで俺は寂しいと思ってしまうのかも知れない・・・」
 しみじみ告げるビッテンフェルトに、メックリンガーが何か思い付いた。
「それだよ、ビッテンフェルト!」
「ん?」
「お前の中で<奥方の事を忘れたくない!>という自己防衛が働いているんじゃないのか?お前は無自覚かも知れんが、奥方の夢を見る事で奥方を忘れてしまうのを予防しているのかも知れないぞ・・・」
「なんと?!あいつの事を忘れたくないという俺の自己防衛が働いて、無意識に夢をみるというのか?」
「うん、もしくは、奥方の方でヴァルハラから『自分の事を忘れないで欲しい』というメッセージを送っていて、それをお前がキャッチした結果、奥方の夢を見るという仕組みになっているのかも。或いは、その両方なのかも知れないぞ。お前の<奥方を忘れたくない!>という想いと奥方の<私を忘れないで!>という想いがシンクロしたときに、お前の夢の中に奥方が現れるとか・・・」
「・・・なるほど。そういう事は・・・ありえるのかもしれない」
 ビッテンフェルトが気が付く。

そうだよ!
アマンダのいる空がフィーネの心と繋がっているって、
俺が言ったんだ!
そのアマンダのいる空が
俺の心とも繋がっていても、おかしくはないぞ
うん、そうだ!
俺の忘れたくないという想いがアマンダに届いたとき、
あいつは俺の夢の中に出て来てくれるんだ

 納得したビッテンフェルトが、メックリンガーに礼を言う。
「ありがとう、メックリンガー。なんだか腑に落ちてすっきりした気分だ」
「そうか、こんなアドバイスしか出来ないが、それで卿の気が晴れたなら、私も嬉しい」
 メックリンガーも嬉しそうにしている。
「ミーメが言っていたんだ。『夢にアマンダが出てきたら、二人っきりのデートを楽しめばいい』ってな。だが、俺は、目覚めたときの反動が大きくて楽しむ事なんかできないと、今まで思っていたんだ。しかし、これからはあいつの夢を見たとき、俺に逢いに来てくれたと思える。だいいち無自覚とはいえ、俺が自分で望んだ事に、落ち込んだり虚しくなるのはおかしい・・・俺のポリシーに反する!」
「うん、そうだな。良いか悪いかは別として、お前は自分の行動を正当化するタイプだ」
 二人でニヤッと笑う。
「しかし、考え方ひとつで気持ちがこんなに軽くなるとは・・・。やはり、年寄りの言う事には学ぶことが多いな」
「おいおい、俺を年寄扱いするな!」
 ビッテンフェルトの言葉に、メックリンガーが苦笑いをする。
「それはそうと、卿の子ども達は元気か?大きくなっただろう?」
「ああ、陛下と一歳違いの上の子は、同じように難しい年頃になったよ。いろいろと口やかましくなって、俺がタジタジになってしまう事もある。下の子は母親そっくりで、まだ小さいから可愛いが先に立つ。俺も母親がいないと思うと不憫で、つい甘やかしてしまう・・・」
「そうか、相変わらず子どもの話をするとき、卿の顔は崩壊するんだな」
「子ども達は、今の俺の支えでもあり、生きがいでもある」
「まあ、それは判るとして、娘というものはいつかは他の男に盗られるものだぞ。覚悟だけはしておいた方がいいぞ」
「その辺は、あまり考えたくはない・・・」
 渋い顔になったビッテンフェルトに、メックリンガーが笑う。
「ビッテンフェルト、溺愛するのは構わない。だが、子どもの人生を邪魔するような親にはなるなよ!」
「判っている。卿の助言は、年寄りの有り難い言葉として承っておくよ」
 頷く僚友に、メックリンガーが更に伝える。
「ともあれ、今回のお前の作戦の成功を祈っている」
「いやいや、どちらかと言えば、この作戦の考案者はミュラーだな。今回、俺と陛下は、ミュラーの策に踊らされているような気がする」
「はは、ミュラーはお前の可能性に賭けたんだろうな~。しかし、銀河帝国の皇帝と元帥を作戦の駒にしてしまうとは、我らの軍務尚書も大したもんだな」
「全くだ。人当たりの良い笑顔で誤魔化されるが、あいつのやる事はけっこう抜け目がないというか鋭いというか・・・」
「だからこそ、あの軍務尚書の後任が務まるのだろう」
「まあな」
 あのオーベルシュタインの後を引き継いだミュラーの才覚を、二人の元帥が認め合っていた。


<続く>