指輪物語 2

 <皇帝アレクがオーディンに赴き、グリューネワルト大公妃に逢う>という目的を達成させる為、ミュラーはすぐさまその準備に取り掛かっていた。
 ヒルダの<大袈裟にせず小規模な形でのプライベートな旅行>という希望を踏まえつつも、銀河帝国の皇帝としての初めての宇宙遠征をつつがなく成功させる為に、ミュラーはあれこれと思案する。

護衛艦は黒色槍騎兵艦隊に任せるとして
あとは、陛下に随行する人員だな
場所がオーディンだけに、希望する貴族が多いだろう
だが、人数が増えるのは避けたいし
ビッテンフェルト提督との相性も大事だ
 
それに、この行幸に関しての陛下の意向も知りたい
・・・キスリングと話せるかな?


 ミュラーは時間を確認すると、キスリングに連絡を入れていた。


 皇帝の親衛隊長であるキスリングは、当然今回のオーディン行幸にも同行するメンバーとなる。ミュラーとは士官学校以来の同期仲間で、気心の知れた親しい友でもある。
 ミュラーは、キスリングと一緒に飲むときに使っている馴染みの店のカウンターに座っていた。そんな彼を見つけたキスリングが、「よう!」と言って隣に座る。
「急に呼び出して済まない!」
「いや、俺もおまえに話があったから、丁度よかった」
 二人で頷き合うと、ミュラーはキスリングのグラスに酒を注いだ。
「全く、陛下の初の宇宙への行幸が、こんな形になるとは思わなかった」
 グラスの中の酒を一飲みしたキスリングが、ミュラーに告げる。
 彼の少し不満気な態度に、その原因の見当がついているミュラーが苦笑いする。
「君は反対なのか?」
「いや、陛下のオーディン行幸に異論はない。だが問題は、黒色槍騎兵艦隊と一緒だって事だ!この俺がビッテンフェルト提督の旗艦<王虎>に乗り込むことになるんだぞ!全く・・・」
 キスリングが眉間に皺を寄せて訴える。
「まあ、行幸の理由のひとつに、宇宙での艦隊訓練の視察がある。宇宙旅行が初めての陛下にとって、これも勉強になる」
「それは判るが、あの黒色槍騎兵艦隊を選ぶなんてどうかしている!ミュラー、これはおまえが仕組んだらしいな!俺に陛下の護衛だけでなく、ビッテンフェルト元帥のお守り<おもり>までさせる気か?」
 キスリングが、目の前の僚友を睨んだ。
「相変わらずの地獄耳だな。それにしても君は、黒色槍騎兵艦隊をなんだと思っているんだい?」
 ミュラーが呆れ顔になる。
「ほほう~。軍務尚書殿は、世間で黒色槍騎兵艦隊がなんと噂されているのか知らないのかな?」
 したり顔のキスリングが、ミュラーに詰め寄る。
「いや、なにかと噂になっている事は知っているが・・・」
 目を逸らしたミュラーが、軽く咳払いする。
 世間を騒がせるようなお茶目なところがある黒色槍騎兵艦隊は、軍や貴族達からもいろいろと噂されている。司令官ビッテンフェルトを崇拝する兵士たちの暴走振りは、軍の全体会議の議題にまで発展した事もあった。
「キスリング、ビッテンフェルト提督もひと昔前はやんちゃだったかも知れないが、今は男手ひとつで二人の娘を育てる父親だ。随分穏やかになったよ」
「まあ、それも判るが・・・。只、今回の行幸で、陛下が帝国軍人の品位を疑ったり、宇宙艦隊に幻滅しなければいいが・・・」
「そこまで言う?」
 ミュラーが苦笑する。
「キスリング、黒色槍騎兵艦隊にだって利点はあるんだよ。もし仮に、陛下の旗艦のブリュンヒルトでオーディン行幸をおこなった場合、君は随行を希望する貴族達の人数が想像出来るかい?」
 ミュラーの言わんとしている事を理解したキスリングが口ごもる。
「ん?それはそれで大変かも・・・」
 アレクが行幸する場所がゴールデンバウム王朝時代の首都であったオーディンという事で、郷愁を感じる貴族達がこの機会に便乗するというケースは、大いに考えられる。フェザーンに遷都されたとはいえ、嘗ての都オーディンにはそれぞれの親族や知り合いなどもまだ住んでいる。故郷に錦を飾るという訳でもないが、皇帝行幸の随行員としてそれなりの地位になっている自分を見せたいという貴族達の見栄も想像できる。
「貴族に囲まれる陛下を警護するのは慣れているが、あの連中<貴族達>と四六時中一緒の旅行は避けたいところだな」
 苦々しい顔になったキスリングを見て、ミュラーが予想通りの展開に微笑む。
「そうだろう!今回、陛下が黒色槍騎兵艦隊と共に宇宙に向かうという設定は、陛下と一緒に行きたがる貴族達の牽制になると思わないかい?」
「まあ、いいか悪いかは別として、彼ら<貴族達>の気持ちもよく判る」
 キスリングが意味ありげにクスツと笑う。
「それに、皇太后は陛下の一人旅を望んでおられたくらいだ。出来るだけ随行員は最小限で済ませたい。黒色槍騎兵艦隊が同行するという事で貴族達が尻込みする状態は、私としても都合がいいんだ」
「確かに!『陛下の自立心を培う為、付き添いは最小限で!』という皇太后の意向は、こちらも了承している。陛下がグリューネワルト大公妃に逢うという事で、ケスラー夫人も同行したがっていたが、結局見合わせたよ。彼女が陛下と一緒だと、あれこれ世話してしまうだろうしな。まあ、夫であるケスラー閣下としてみれは、いくら陛下の行幸でも、大事な奥方をあの黒色槍騎兵艦隊の中には乗り込ませたくはなかっただろう」
 ケスラー夫人であるマリーカは、独身時代からヒルダに仕えて、今はアレクの教育係も担当している。昔、アンネローゼが王宮に滞在していた頃は、彼女と親しく過ごしていた事もあって久しぶりの再会を願ったのだろう。
「はは、ケスラー夫人は見かけによらず、結構肝は据わっているご婦人だよ。奥方の方は、黒色槍騎兵艦隊の事など気にもしていないと思うが・・・」
 ミュラーが笑いながら告げる。彼の妻のエリスはマリーカとは年も近く、同じ元帥夫人という事もあって、長年親しくしている。二人の交流を見てきたミュラーだけに、マリーカの性格もよく知っている。
「だがそうは言っても、ケスラー元帥にしてみれば、お前同様、年の離れた奥さまが、心配で仕方ないんだろう。だから今回は、陛下に付き添う事にならなくて、内心ほっとしているだろうよ」
 目配せして含み笑いになるキスリングに、同じく年齢差のある妻を持つミュラーが照れくさそうにする。
「年下の奥方とはいえ、割と油断できない。どちらも見た目より逞しいし鋭い指摘もある。こちらが心配しているようでも、結構頼っている部分もあるんだ」
「それって、惚気かい!」
 からかうキスリングのグラスに、ミュラーが新たな酒を注ぐ。そして、自分のグラスにも酒を継ぎ足すと場を切りかえる。
「さて、話は変わるが、今回急に決まった皇帝行幸だが、陛下の受け止め方はどんな感じかな?」
「それが、今日のメインの話かな?」
「まあな・・・」
 問いかけるキスリングに、ミュラーが素直に頷く。
「陛下はいつものように、皇太后の意向を素直に受けれているよ。只、独り言のように『フェリックスと一緒だったらよかったのに・・・』とポツリと呟いたのが、俺には聞こえたがな・・・」
「そうか。まあ、陛下もフェリックスと一緒ならば心強いだろうし楽しく過ごせるとは思う。だが、今回は陛下を逞しくさせたいという皇太后の願いがあるからな・・・」
「陛下も、もう子どもではない。独り立ちをするいい機会だよ」
「確かに。一緒に育ったフェリックスだって親元を離れ、士官学校で寄宿舎生活を送っている。陛下にも、こういう機会があってもいいだろうと私も思っている」
 ヒルダと同じように、ミュラーもキスリングもアレクの成長を願っている。
「君から見て、皇太后と陛下の親子関係をどう思う?」
「皇太后から何か言われたのか?」
 キスリングがミュラーに問いかける。
「うん、皇太后は陛下とのコミュニケーションのとり方に悩んでおられた」
「そうか。・・・マリーンドルフ伯が亡くなったのが痛かったな。陛下の祖父であり皇太后の父でもあるマリーンドルフ伯は、あの二人にとって大きな存在だった」
「それは判る。皇太后自身も、父親であるマリーンドルフ伯に頼り過ぎたと言っている。難しい年頃になった陛下も、母親から距離を置いているようだし・・・」
「・・・公私ともに陛下のそばにいる事が多い俺としても、あの二人の親子関係に思うところはいろいろある。だが、いくらお前が相手でも軽々しく話すことはしないぞ。これは親衛隊としての守秘義務だ」
「勿論だよ。王室とはいえプライバシーの確保は大事だ。差し障りのない程度で構わない」
(キスリングが『思うところがある』と敢えて言うくらいだから、二人の関係は私が思っているより根が深いのかも知れない・・・)
 ミュラーは、『息子と向き合えずにいる不肖の母親』と自分の事を卑下していたヒルダのやるせない顔を思い出していた。
「そうだな。陛下のように父親も母親も偉大過ぎる子どもというのは、何かとキツイ部分があるのは確かだ。己が普通で平凡だと自覚するたびに、周りの期待が負担にもなる。まして陛下は皇帝という立場なのだから、プレッシャーは半端ないだろう。マリーンドルフ伯は、そんな陛下のストレスを取り除くのが上手かった」
「なるほど。まあ、陛下もご自分の特別な立場を自覚する年齢になったという事だな。皇太后は陛下に普通の家庭を味あわせたいと願っていても、成長とともに難しくなっている。だからこそ、皇太后は陛下の為、皇帝という職務が負担にならないように、摂政として出来るだけの政務を執り行ってもいる」
「皇太后の気持ちもよく判る。只、今まで陛下のそばにいたのは、どちらかといえば母親より祖父のマリーンドルフ伯だ。陛下にしてみれば、祖父を喪った悲しみは大きい。孤独感を募らせるほどにな・・・」
「皇太后もマリーンドルフ伯と同じように陛下の事を想っておられるのだが・・・」
「仕方ない。思春期の子どもと親とのすれ違いは、どこの家庭でも起こり得る事だ」
 悟ったようなキスリングに、ミュラーはヒルダの考えを伝える。
「皇太后は、伯母であるグリューネワルト大公妃が、マリーンドルフ伯と同じように陛下の心をほぐしてくれる存在になって欲しいと期待している」
「ほう。だから、ビッテンフェルト提督に<グリューネワルト大公妃をフェザーンに連れてこい!>という密命が下されたって訳か?」
「えっ、そんな密命なんか出ていないよ」
 キスリングの言葉に、ミュラーが笑いながら首を振って否定する。内心(全く、キスリングの情報網も侮れないな・・・)と親衛隊長の情報収集力に感心はしていたが・・・。
「只、今回、陛下がオーデンに赴くことで、グリューネワルト大公妃は成長した陛下と直に逢う事になる。赤ん坊の頃しか知らない甥と過ごすうちに、叔母である彼女に情が沸き、心境にも変化があるかも知れないというのがこちら側の願いだ。だからこそ、陛下とグリューネワルト大公妃の交流に期待している」
「ミュラーの期待も判るが、そう上手く行くかな?彼女、自ら望んで、オーディンに引っ込んだんだぜ」
 難しい顔になったキスリングが、首を傾げる。
 先帝ラインハルトの臨終の際、フェザーンに来ていたグリューネワルト大公妃だが、弟の息子であるアレクの即位に立ち会った後、義妹<ヒルダ>の願いも空しくオーディンへ戻ってしまった。あの頃は、七元帥を始め誰もが、彼女の「自分は表舞台に出ることはない!」という強い意志表示を感じたものだった。
「私も確かにこのミッションは、難しいと思う。だが、あれから何年も過ぎた。世間からはグリューネワルト大公妃は忘れられた存在となっているし、若い世代は彼女をそれほど知らないし関心もないだろう。こちらに来て王宮で暮らしたとしても、静かに過ごせる環境は提供できると思う。それに、政治的に彼女を利用しようと企んでいる貴族達が絡んでいるわけではない。唯一の肉親である陛下が、純粋な気持ちで家族の一員として一緒に暮らしたいと伯母に持ち掛けるだけだ。皇帝としての命令ではなく、甥としての頼み事だ。彼女だって、無下には出来ないと思うが・・・」
「ふ~ん、俺は、てっきりおまえが<あのビッテンフェルト提督だと、グリューネワルト大公妃の同意など関係なく連れてくるのでは?>と期待しているのだと思っていたよ。何しろ、ビッテンフェルト提督嫌いで有名だった軍務省の所属だった奥方が<気が付いていたら元帥夫人になっていた>というくらい不気味な攻撃で相手をけしかける御仁だぞ。グリューネワルト大公妃だって、気が付いたらフェザーンに来ていたって事になりかねない」
「ははは」
 キスリングの鋭い指摘に、ミュラーが笑いで誤魔化す。
「グリューネワルト大公妃は、ビッテンフェルト提督があれほど崇拝しているラインハルトさまの姉君だ。いくら彼だって敬意を持って接するさ」
「俺もそう思いたいが、いざとなったときの彼の忠誠心は、どんな方向に突き進むか判らない」
(違うか?)とでも言いたげなキスリングの視線に、ミュラーが苦笑いをする。
「まあ、俺としては、陛下やビッテンフェルト提督のお手並みを拝見するだけだ」
 そう呟いたキスリングに、ミュラーが問いかける。
「君はグリューネワルト大公妃とは親しいかな?」
「ん?いや、ラインハルトさまを護衛していたときも挨拶ぐらいはしていたが、個人的に彼女と話したことはない」
「そうだよな。おまえらしいといえばそうだが・・・」
 長年、王宮で皇帝のそばにいるキスリングだが、慣れ合うという事は一切なく、節度を持って警護している。ともすれば親しくなりがちな立場なのだが、その立ち位置に甘んじる事もなく、程よい距離をもって接するプロ意識の強いキスリングは、ヒルダやアレクを始め周囲からも大きな信頼を得ていた。
「ミュラー、俺がグリューネワルト大公妃と親しかったら何かあるのか?」
 ミュラーの質問を、疑問に思ったキスリングが尋ねる。
「いや、もしビッテンフェルト提督がグリューネワルト大公妃に対して暴走し始めたら、君は止めてくれるかな~?と思って・・・」
 目を合せてにっこり笑うミュラーに、キスリングが(うわ!でた!ミュラーの必殺技、キラースマイル!!)と内心焦る。
(全く、こういうときのミュラーは士官学校時代と少しも変わらない。そして俺は、こいつのこの顔に弱い・・・)
 キスリングの中で、仲間同志で励まし合って過ごした士官学校時代の懐かしい感情が湧きあがった。しかし、それを振り払うように激しく首を振り、冷めた目でミュラーを見つめ返す。
「だから最初に言っただろう!俺に彼のお守り<おもり>をさせる気かって!」
 そして、自分自身に言い聞かせるように宣言する。
「俺は陛下の護衛しかしない!後はノータッチだ。黒色槍騎兵艦隊と一緒なんだから、そうでもしないと俺の身が持たない!!」
 苦々しい顔で言い放つキスリングに、ミュラーが苦笑いで肩を竦めていた。



 久しぶりに親友と飲んだミュラーは、すっかり盛り上がり帰宅が遅くなってしまった。
 それでも彼の妻であるエリスは、いつものように夫を出迎える。
「エリス、いつも言っているように、私が遅くなるときは先に休んでいいんだよ」
「ええ、でも、私が貴方とお話をしたくて待っているのですから、ナイトハルトは気にしないでください」
 愛妻エリスの言葉に、ミュラーの顔がつい綻ぶ。結婚して何年も経っているのだが、いつまでも新婚のような二人であった。
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 部屋着に着替えたミュラーが、エリスの持ってきたコーヒーを飲んでくつろぐ。
「エリス、君の夢に、アマンダさんが出てくる事はあるかい?」
「アマンダさんが夢に?・・・そうですね・・・」
 思いがけない夫の質問に、エリスは少し考えてから答えた。
「亡くなった頃はよく夢に、アマンダさんが出てきてくれました。その頃の私は、アマンダさんが亡くなった事が辛くて、夢でもいいから逢いたいといつも願っていましたし・・」
 エリスが、アマンダを亡くした当時を思い出しながら伝える。
「夢の中のアマンダさんは、いつも微笑みながら私の話を聞いてくれました。でも最近は、ときどきしか現れてくれません。アマンダさんの存在が薄れていくようで、それはそれで、なんだか寂しいです」
「エリス、生きている私達は、毎日の生活があり、否応なしに新しい情報が入ってくる。時間が経つにつれ、亡くなった人の思い出が薄れてしまうのは仕方ないよ」
「ええ、そうですね。それにしてもナイトハルト、急にどうしたんですか?アマンダさんの事で、何かありましたの?」
 久しぶりのアマンダの話題に、エリスが訊ねる。
「うん、実は、今回の黒色槍騎兵艦隊の遠征は、事情があってオーディンの空域付近になるんだ。私がその件をビッテンフェルト提督に伝えたとき、彼が<アマンダさんが夢と手紙で、オーディン行きを知らせてきた!>っというような話をしたものだから・・・」
「あの~、アマンダさんからの手紙が、今、届いたのですか?」
 アマンダがヴァルハラに召されてからの月日が経過している分、エリスが不思議がった。
「手紙は家の中で見つけたらしい。今日、私が遠征の変更を伝えたとき、彼が<今朝、偶然、家の中でアマンダさんからの手紙を見つけた。その手紙には、自分がオーディンに行く機会があったら、頼みたい事があると書いてあった>と言うんだ」
「まあ、そんな事が!?しかも、ビッテンフェルト提督がオーディンに行く事が決まったタイミングで、今まで気が付かなかったその手紙の存在を知ったって事ですか?」
「うん、本当に不思議だよね。ビッテンフェルト提督曰く、アマンダさんの夢を見た後、その手紙を見つけ、そしてその日のうちに、私からオーディン行きを知らされたという流れらしい・・・」
 驚いたエリスが、目を丸くする。
「・・・そういう事ってあるんですね・・・」
 暫く不思議そうに考え込んでいたエリスだが、穏やかな顔になって夫に伝えた。
「でも考えてみたら、なんだかアマンダさんらしいという感じがします」
「君もそう思うかい。私もそう感じたんだ」
 生前のアマンダを懐かしんだ二人が、顔を見合わせてクスッと笑う。


「それにしてもナイトハルト、アマンダさんが、オーディンに行く提督に頼んだ事って、何だったんでしょうね」
「う~ん、実は私もそれがちょっと気になった。だが、さすがにそこまで訊けなかったよ」
「それもそうですよね・・・。多分、アマンダさんは、本来であれば自分自身がオーディンに行ってしたかった事を、夫であるビッテンフェルト提督に託したんだと思います」
 実はミュラーもエリスと同じように考えていた。ミュラーはアマンダの過去を知っているだけに、彼女がオーディンに心残りがあったのかも知れないと予想できる。
「うん、恐らくね。実はアマンダさん、軍を退役した後、生まれ故郷のオーディンに戻るつもりだったらしい。でも、ビッテンフェルト提督との結婚が急に決まって、そのままずっとフェザーンで過ごした。結局、その後もオーディンに行く機会はなかったからね。だがエリスは、その事を知っていたのかい?」
 エリスは、ビッテンフェルト夫人となってからのアマンダと知り合った。余計な事は言わないアマンダの性格を知っているミュラーだけに、エリスが知っている彼女の過去は、元軍人という事ぐらいだろうと思っていた。
 そんな夫の問いかけに、エリスが打ち明ける。
「あの~ナイトハルト、アマンダさんは、あまり自分の過去の事をお話しするタイプではありませんでした。でも、最後の入院をしていたときに、私にオーディンにいた頃の話をしてくれました」
「ん?最後の入院!・・・いったいアマンダさんは、君に何を話したんだい?」
 ミュラーは、アマンダが最期にエリスに言い残した事が気になった。
「アマンダさんは、オーディンに住んでいた頃、<将来を誓いあった婚約者がいた>と・・・」
「えっ!・・・君は知っていたのかい?」
 驚くミュラーに、エリスが申し訳なさそうな顔になって謝る。
「ごめんなさい。私がこの件を知っていたのに貴方に話さなくて・・・。アマンダさんからも、ビッテンフェルト提督も貴方も知っている事だから、負担に思わないように・・・と言われていましたし、私も貴方にはいつか伝えようと思っていたのです」
 謝るエリスに、ミュラーが穏やかに告げる。
「エリス、そんな事は気にしなくていいんだよ。これはアマンダさんの個人情報だし、私も同じように君には話していなかったしね」
「でも、いまやっと貴方に話せて、何だか胸のつかえがとれたようにほっとしました」
「私もだよ」
 ミュラーとエリスはどんな事でも必ず二人で分かち合うようにしている夫婦だけに、こんな事でも心苦しさを感じていたのだろう。両者共にさっぱりしたところで、アマンダの思い出に話が弾んだ。
「亡くなった婚約者の方は帝国軍人で、オーディンに戦死した彼のお墓があるそうです」
「うん、そうらしいね。私はアマンダさんとビッテンフェルト提督が結婚した頃、彼女の過去の婚約の事を聞いて知ったんだ。その婚約者の方は、私やビッテンフェルト提督と同じ軍人だったが、お互い面識がなくてよく知らないんだ。オーディンにいた頃のゴールデンバウム王朝の時代の話だし」
「アマンダさんは、もし将来何かの弾みでルイーゼやフィーネが、彼の存在を知るかもしれない。そのときに、ショックを受けたり詳しく知りたがるかもしれないから、私には予め知っていて欲しいと仰って、ひとどおり話してくれました」
「なるほど、彼女、もしものケースを考えて、娘たちのフォローを君に頼んだんだ・・・」
 自分の死後の事まで考えて、夫に手紙を残したり、娘たちを気遣ったりと、用意周到に準備していたアマンダに、ミュラーは改めて感心する。
「ええ、もしあの姉妹が母親の過去の婚約の事を知ったとしても、父親であるビッテンフェルト提督には訊きづらいでしょう。だからアマンダさんは、そのときの為に私に話してくれたのだと思います。でも私は、ルイーゼやフィーネには<母親に自分たちの父親と結婚する前に愛する婚約者がいた>という事は、知られずにすむのならそのままで・・・と思っていました」
「そうだね。世の中には知らない方が幸せっていう事もあるからね。まあ、二人とも結婚するような年齢になってから知るのであれば、それほど深刻に思わないかも知れないが、今のルイーゼだとショックを受けるかも知れない・・・」
「私もそう思います。父親大好きのルイーゼにとって、例え結婚する前の出来事であっても、母親に父親以外の婚約者がいたというのは複雑な気持ちになるでしょう。思春期というのは、些細な事で傷ついたり悩んだりする感じやすい年頃ですし・・・。ナイトハルトの言うとおり、あの姉妹が大人になってこの事を知ったら、それまでの人生でいろいろな事を経験している分、受け止め方も違うでしょうし、理解してくれると思いますが・・・」
 二人で見つめ合って頷き合う。夫婦の意見が揃ったところで、ミュラーがエリスに提案する。
「エリス、この件は自然に任せよう。こちらから敢えて話す必要はないよ。二人とも知らないままやり過ごす事だってありえるのだから現在<いま>ここで、その事を心配してもしょうがない。只、君がアマンダさんからこの件を教えてもらって知っているという事は、ビッテンフェルト提督にも伝えておこう。もしルイーゼ達が知ったとき、君がサポートに回りやすいようにね」
「ええ、お願いします。・・・ナイトハルト、私も父親にべったりの娘だったので、ルイーゼの気持ちがよくわかるのです。自分が慕う父親は、母親にとっても唯一無二の男性であって欲しいと、自分に都合よく思い込んでいるふしがありましたから・・・」
 照れくさそうに打ち明けたエリスも、母親を早くに亡くし父親と二人っきりで生きてきた娘であった。


「話は変わりますが、私、ナイトハルトにお願いがありますの・・・」
 改まって告げるエリスに、ミュラーは(なんだい?)という顔になる。
「今回の黒色槍騎兵艦隊の遠征中、私はビッテンフェルト家でルイーゼやフィーネと一緒に過ごしたいのです」
 エリスの考えをすぐさま理解したミュラーが、頷いて告げる。
「勿論だよ。私から君に頼もうと思っていたくらいだ」
 夫からの同意をいたエリスが、嬉しそうに伝えた。
「ビッテンフェルト提督の留守を狙ってなんですが、私、あの子達のスケッチを思う存分描きたいと思っているのです。ルイーゼもフィーネもあっという間に成長してしまうでしょう。だから、出来るだけ早く今の彼女達の姿を絵に残して置きたくて、こういう機会を窺っていたのです」
 モチーフをスケッチする画家というより、子ども達の成長を残したいという母親のような顔になっているエリスに、ミュラーが微笑む。そして、子ども達をスケッチしたいというのも理由のひとつなのかも知れないが、なにより母親のいない家で父親の長期不在を初めて迎える姉妹が心配でしょうがないといったエリスの気持ちが、ミュラーに痛いほど伝わっていた。
「いい思い付きだと思うよ。この件もビッテンフェルト提督には伝えておくよ。遠征で留守の間、君が子ども達のそばにいてくれたら、彼も安心するだろう」
「ええ、お願いしますね。・・・ナイトハルト、今夜は本当にアマンダさんの事が思い出されます」」
「うん、アマンダさんの話題がきっかけになって、私もいろいろと思い出されるよ。今夜は彼女を偲んでいろいろ話そう」
 ミュラーが穏やかな微笑みで、妻を見つめる。
「昔、私が初めてアマンダさんと出会ったのは、フェルナーさんに連れられてビッテンフェルト家に来たときでした。そのとき、心に残っているアマンダさんの言葉があるんです」
 初めてビッテンフェルト家を訪問したときの事を思い出しながら、エリスが夫に告げる。
「その日は凄い嵐の夜で、フェルナーさんが呟いた『嫌でもあの日を思い出す・・・』と言った事について、アマンダさんは<彼は、逝ってしまった人を忘れたくないという想いから、思い出が風化しないように時間を止めている・・・>と教えてくれました」
「<思い出が風化しないように時間を止めている>・・・か。何だか切ないね」
 ミュラーはふとペクニッツ公爵夫人を思い出した。<皇太后暗殺未遂事件>を起こした当事者であったが、その境遇は哀れな母親であった。皇太后の恩赦を受け安定した生活を送っている彼女だが、心は現在も未来も拒絶して、逝ってしまった娘のカザリン・ケートヘン一世との思い出の中に居場所を見つけている。そんなペクニッツ公爵夫人の面影が脳裏によぎったミュラーだが、妻の話が続いていたので、そちらに耳を傾ける。
「アマンダさんは『失った大切な人の事を、時間の流れと共に忘れていくことを、フェルナーさんは恐れている。だから、亡くなった日の事を、昨日の事のように思い出すようにしている』とも言っていました。そして、『本来いるべきはずの人が突然いなくなってしまった喪失感は、なかなか簡単には埋められない』と告げたアマンダさんの寂しそうなお顔が、ずっと印象に残っていました」
 話しているうちにエリスの中で、記憶から薄らいでいたアマンダと初めて逢ったときの出来事が鮮明に蘇ってきた。
「そのときの私は(アマンダさんも、そんな想いをしたことがあるのかもしれない・・・)と漠然と感じていました。でも、どうしてもピンとこなくて・・・。だって、ビッテンフェルト家の皆さん、とてもお幸せそうでしたし・・・。月日が経って、入院中のアマンダさんから昔のお話を伺ったとき(あのときのアマンダさんは、亡くなった婚約者さんの事を想って話したんだ・・・)と気が付きました」
 ミュラーは頷きながら聞いている。
「当時、フェルナーさんの時間は止まったままだったかも知れません。でも、アマンダさんの時間はちゃんと動いてました。ビッテンフェルト提督が、止まっていたアマンダさんの時間を動かしてくれたのだと私は思っています」
「うん、私もそう確信しているよ」
 ビッテンフェルトとアマンダの結婚当時を知っているミュラーが伝える。
「あの頃の私は若すぎて、アマンダさんが教えてくれた言葉の意味をよく理解していませんでした。でも、今なら心から判ります。だって、もし貴方が私の前からいなくなってしまったら、きっと私も貴方との思い出が風化しないように、時間を止めてしまう事でしょう」
 少し涙目になって話す妻に、ミュラーも胸がいっぱいになる。
「エリス・・・」
「ごめんなさい。軍人の妻になって何年も経つのに、まだ覚悟が出来ていなくて・・・」
「いいんだよ。私だってそうさ。もし、君に何かあったら、私はビッテンフェルト提督のように強くはないから、君の事を想って、それこそ君との思い出が風化しないように時間を止めてしまうだろう・・・」
 夫の言葉に、エリスが穏やかに微笑んだ。
「私達、お互い長生きしなくてはいけませんね。だって何かあったとき、残された方の時間がとまってしまうのですもの」
「そうだね」
 ミュラーもエリスも、どちらからともなく寄り添い、そして唇を重ねる。その後、エリスは夫の胸に顔をうずめた。
 抱き合う夫婦は、互いの大切さを再認識し、その存在に感謝するのであった。


<続く>