時間(とき)を越えて 2

 ヨゼフィーネが実習の引率の為、宇宙に行って一週間が過ぎた。
 フェリックスは妻が宇宙に行っているときは、娘との時間を優先させる為、出来るだけ仕事は定時に切り上げる。
 今日もベットで絵本を読み聞かせながら、娘を寝かしつけているフェリックスであった。
「あといくつ寝れば、ムッターは帰ってくるの?」
 確認するように何度も訊いてくる娘に、フェリックスは「今日と明日の二回寝れば、ムッターは帰ってくるぞ!」と同じ答えを繰り返す。エルフリーデは<寂しい>とは言わないが、いじらしく我慢している様子は父親にも充分伝わっている。
「ファーターは、早くムッターに逢いたいな!」
 娘の気持ちを代弁するかのようにフェリックスが持ち掛けると、エルフリーデも「うん♪エルフィーも早く逢いたい!」と目を輝かせて父親に訴える。
「あともう少しで逢えるから・・・」
 フェリックスがそう言って励ますと、エルフリーデは父親に自分の気持ちが伝わって満足したのか、再び絵本の世界に入り始めた。そして、一冊の絵本を読み終わらないうちに、エルフリーデは眠りにつくのであった。
 娘が寝入ったのを確認すると、フェリックスは持ってきた仕事を片付ける。
 仕事に没頭していたフェリクスに、義兄でもあり同僚でもあるアルフォンスから連絡が入った。
「こんな時間に、どうしたんだろう?」
 フェリックスが不思議に思いながら、モニターを繋げる。


「緊急情報だ!レオンハルト皇子を産んだ女性がフィーネだと、新聞社にリークされた!おそらく朝になれば、マスコミが騒ぎ出すぞ!囲まれないうちにエルフィーを避難させた方がいい」
「えっ!?・・・よりによって、フィーネが宇宙に行っているときにか・・・」 
 一瞬驚いた後、思わず溜息を付いたフェリックスに、アルフォンスが苦笑いしながら伝える。
「詳しい打ち合わせはあとだ!計画していた手筈通り、エルフィーをハルツの別荘に避難させよう。ルイーゼとテオが一緒に行く」
「判った!俺が三人をハルツまで送っていこう。準備が出来次第、エルフィーを連れてそっちに向かう!」
「了解!」
 フェリックスは隣に住んでいるミッターマイヤー夫妻に事情を伝えると、すぐさま出かける準備を始める。そして、寝ている娘を起こさないようにそっと車に乗せると、ワーレン家に向かった。



 ワーレン邸を慌ただしく出発した四人は、走る車の中でようやく一息つく。そこで、ルイーゼはフェリックスに状況を説明した。
「ヨーゼフは、学校でのレオンハルト皇子の様子が気になるから、こっちに残るそうよ。エリス姉さんに頼んだから、彼はミュラー家に向かわせたわ。アルフォンスも義父上も、この件が落ち着くまでは忙しいだろうし・・・」
「そうか!ヨーゼフが残ってくれるのは助かるよ!レオンハルト皇子の学校での様子は気になるが、こちらはそこまで踏み込めない。同じ学校にヨーゼフがいる事で、レオンハルト皇子も心強いだろう・・・」
 フェリックスとルイーゼの会話が落ち着いたところで、テオドールが母親に質問する。
「母上、フィーネ叔母さんがレオンの母親だって事が世間に明らかになったら、僕たち何かが変わるの?」
 ルイーゼが首を振りながら答える。
「いいえ、テオ、あなた達は何も変わる必要はないわ。只、レオンハルト皇子の従妹という立場に、特権があると勘違いして近づく人が出てくる可能性はあると思うわ」
「それじゃエルフィーも、レオンの妹として見られてしまうの?」
「確かに、現在<いま>同じとは言えなくなるでしょうね。只、エルフィーはまだ小さいからそれほど意識しないと思うけれど、テオ、あなたは見極めなさい。自分を見つめる周りの目が、本当に自分自身を見ているのか、それとも後ろに控えているレオンハルト皇子を意識しているのかを・・・」
 そんなルイーゼの心配に、フェリックスが笑って忠告する。
「ルイーゼ、士官学校は社交界じゃないんだから、そんなに慎重にならなくても大丈夫さ!」
 そして、テオドールにアドバイスする。
「テオ、学生のうちは、みんな平等なんだし普段通りに過ごせばいい。あまり身構えると、却って友達が近寄りがたくなる。折角の学生生活なんだから、ときには同期で羽目を外したりして楽しむんだな。いい思い出になるぞ!それに、士官学校の同期同士の連帯感は、後々貴重な財産になるから・・・」
 自分の士官学校時代に悔いが残るフェリックスは、甥のテオドールには充実した学生生活を送って欲しいと願って伝える。
「そうね。私が考え過ぎていたかも・・・。テオには楽しい学生生活を送ってほしいわ。お祖父ちゃん達みたく一生付き合えるお友達を見つけて頂戴」
 母親の願いに、テオドールが(判っている!)と頷く。
「今回の件で変わる事といえば、エルフィーがレオンハルト皇子の皇妃候補から外れて、俺がさっぱりすることかな!」
 肩を竦めるフェリックスに、ルイーゼとテオドールが同時に笑った。
 気の早いマスコミから、エルフリーデがレオンハルトの有力な皇妃候補と噂させられた事もあって、周囲から疎まれたり警戒されているのを感じていたフェリックスだけに、その煩わしさから解放されるのは間違いない。
(今後、エルフィーはレオンハルト皇子の異父妹として、違う種類の注目を浴びる事になるとは思うが・・・)
 フェリックスが新たなハードルを予想するが、<今は目の前の事を解決しなければ!>と頭を切り替える。


 ハルツの山道を走ってきた地上車が、ビッテンフェルト家の別荘の前に止まった。
 エルフリーデを寝室のベットに寝かせてきたフェリックスが、テオドールに娘の事を頼み込む。
「テオ、エルフィーとルイーゼを頼むぞ!此処までマスコミは来ないと思うが、油断はするな!」
「はい、フェリックス叔父さん!こちらは任せてください。僕が母上と一緒にエルフィーを守りますから!」
 フェリックスから一人前の男として頼られた感じがして嬉しくなったテオドールが、凛々しく返事をする。父親のアルフォンスに似て、ますます逞しくなった甥を、フェリックスが頼もしげに見つめた。
「こちらは心配しなくても大丈夫よ。あなたはフィーネとレオンハルト皇子のサポートに専念して・・・」 
 ルイーゼは、事実が世間に知れ渡った後のレオンハルトの周囲の反応と、宇宙から戻ってすぐマスコミに囲まれるであろう妹の心配をする。
 祖父のラインハルト似のレオンハルトは、アンネローゼと面影が似ていたマリアンヌとも顔立ちがよく似ていた。それ故、世間では、レオンハルトはマリアンヌの卵子を使った代理出産で得た御子と思われ、遺伝的にも親子関係があると信じられている。
 レオンハルトを産んだ代理母と思われている女性の存在は、アレクの命令もあって徹底してそのプライバシーが守られていたので、いつしか世間からは忘れ去られていた。
 それが今、再びマスコミによって注目される事になった。それも、血のつながりのある母親としてヨゼフィーネが公表されるのである。
 ルイーゼは、昔、マリアンヌがアレクの恋人としてスクープされたときの騒動を思い出し、少し不安になるのであった。
「大丈夫だよ!ずっとこの日には備えてきたんだ」
 フェリックスはそう言ってルイーゼを安心させると、すぐさま車に乗り込み、今来た道を戻った。



 娘の居場所を確保して一息ついたフェリックスは、王宮のアレクの元に向かった。夜遅い時間という事もあり、周囲にはまだ目立った動きはなかった。
 丁度、ビッテンフェルトへの報告を済ませてきたアルフォンスと廊下で出会い、二人でアレクの居間に向かう。
「義父上の反応は?」
「うん、落ち着いていたよ。覚悟はできていたようだ」
「そうか」
「うちの親父も、士官学校に向かった。前々からこの日の為に、何かと仕込んでおいたみたいだし・・・」
「??・・・仕込んでおいたって、どういう意味だい?」
 初めて聞く話に、フェリックスは説明を求めた。
「判らない。親父の奴、私にもとぼけて、まだ種明かしをしてくれないんだ」
「この期に及んでもまだ内緒なんだ・・・」
 呆気にとられるフェリックスに「全く、何を企んでいるのか・・・」と、自分の父親をぼやくアルフォンスであった。


 アレクの居間に入ると、もう既にミュラーが来ていた。
「今、ミュラーから報告を受けた。今回の騒動の原因は、母上がキレた事にあるようだ・・・」
 今来たばかりのフェリックスとアルフォンスに、アレクが教える。
「えっ!?」
「皇太后がキレた?それは、一体どういうことでしょうか?」
 驚く二人に、アレクが詳しく説明する。
「うん、前々から、エルフリーデがレオンハルトの事を<兄>と呼んでいる事について、一部の人間から非難されているのは知ってるだろう?」
「ええ、まあ・・・」
 フェリックスも気にしないようにしているが、貴族の有力者でもある一部の者たちから、自分の娘とレオンハルトの交流を、苦々しく思われているのは知っている。いろいろ嫌味も言われる事もあるが、傍目にはフェリックスがそれらを平然とやり過ごして余裕があるように見えるので、彼らの不満が溜まっているのも想像が付く。
「先日、母上は、その一部の者から、身分の違いについてあれこれと進言されたらしい。いつもの事でうんざりしていた母上がつい『エルフリーデが血の繋がっているレオンハルトを<兄>と呼ぶことは、間違ってはいない!』と言ってしまったのだ・・・」
「それが、今回のキッカケですか・・・」
 フェリックスの質問に、アレクが苦笑いをして頷く。
「自分の失言を棚に上げて母上からは、<もっと早く公表しておけば良かったのに・・・>と、私まで怒られたよ」
 そう話すアレクに、フェリックスが恐縮して謝る。
「申し訳ありません。陛下は何度も公表する機会を伺っていたのに・・・」
「いや、エルフリーデが生まれてから、レオンハルトとヨゼフィーネの関係が、随分良くなった。私としても急ぐ必要もないかと感じていたのも確かだ」
「陛下、娘は、従妹のテオやヨーゼフも兄と呼んでいますので、レオンハルト皇子の事も同じ感覚で兄と呼んでいるのでしょう。恐らく、レオンハルト皇子が本当に血のつながった自分の兄という自覚は、まだ薄いと思います」
「うん、まだ小さいからそうだろう。だが、結果的に考えれば、エルフリーデが物心つく前の騒動で、却って良かったかも知れないぞ!」
「ええ、そうですが、現在<いま>は、フィーネが士官学校の実習で、宇宙に行っている状態でして・・・」
「そうらしいな!それで、彼女の帰還予定はいつなのだ?」
「二日後・・・いえ、もう日が改まった時刻ですので、明日というべきでしょうか・・・」
「そうか、明日か・・・。では、彼女が戻ってから、私の声明を出そう。ヨゼフィーネのいないところで事を進めるのは出来れば避けたいと思っていた。彼女を何日も待つことになるのであれば、私も予定通りすぐ公表するが、一日くらいなら大丈夫だろう。只、騒動にならないように、マスコミ対策として王宮の警備兵を、君の家とビッテンフェルト家に配置させる」
「王宮の警備兵を?」
 フェリックスとアルフォンスが顔を見合わせて驚いた。二人が考えていた対策では、駆けつけたマスコミの数が手に余るようであれば、ヨゼフィーネの職場でもある士官学校の学生達を駆り出して、警備を頼もうと予定していた。学長のワーレンにも事前に許可はとってある。
 フェリックスが自分の家の警備に、王宮の警備兵を使うことを躊躇するが、アレクは強い口調で命令する。
「公表する以上、私がレオンハルトの母親を守るのは当然だ!もう、誰にも遠慮はしない。ビッテンフェルトにもそう伝えておくように!」
 今まで世間にバレないように表立ってヨゼフィーネに関する行動を控えていたアレクだけに、もう隠す必要がなくなったい現在<いま>は、自分の気持ちを前面に押し出している。
 そんなアレクに、ミュラーが助言する。
「陛下、ビッテンフェルト提督は<我が家に、警備は必要ない!>と言って、王宮の警備兵を追い返してしまうかも知れませんよ」
(確かにあり得る・・・)
 アルフォンスもフェリックスも、頷いて同意する。
「明日、私がビッテンフェルト家に赴く。警備兵はその為だと伝えればよい!」
「陛下がビッテンフェルト家に?それはお忍びではなく、正式に行幸されるという事ですか?」
 思わぬアレクの発言に、フェリックスが確認する。
「私は、<もう隠す必要はなくなった!>と言った。忍んで行くつもりはない!」
 アレクの決意に、ミュラーが再び助言する。
「陛下、ビッテンフェルト提督は、<我が家は、陛下の訪問を受け入れる体制が整えられない!>と言って、陛下の行幸の辞退を申し出る可能性もありますが・・・」
「奴の事だから、素直に受け入れられないか・・・」
「ええ、昔から彼は、特別扱いやこういった事で大袈裟にされるのを嫌がる性格です。特に、今回はマスコミに注目されることが判り切っていますので・・・」
「だからこそ、必要なのだが・・・」
 少し考え込むアレクに、いい案が浮かんだらしくアルフォンスに問いかける。
「確かビッテンフェルト家には、ヨゼフィーネの母親代わりをしてきた使用人がいた筈・・・」
「はい、ミーネさんの事でしょうか?」
 アルフォンスが答える。
「うん、そうだ!レオンハルトからも彼女の事は聞いている。息子がビッテンフェルト家に行ったときにも世話になってる事だし、<ビッテンフェルト夫人の代理として彼女に逢って、今までの事を労いたい!>というのを理由にするのはどうであろう?」
「そうですね。確かに、フィーネの母親代理としてミーネさんに今までのお礼をしたいという事を口実にすれば、義父上の性格上、言い訳と判っていても、陛下の行幸を断り切れなくなると思います。いい案かも知れません」
 親分肌のビッテンフェルトの性格を、良く知っているアルフォンスが同意する。
「ではアルフォンス、その方向でビッテンフェルトと交渉してくれ!フェリックスは、士官学校のワーレンと打ち合わせだ。ヨゼフィーネが帰って来たら、彼女のそばにいるように!」
 フェリックスとアルフォンスは、それぞれ命令を受け、すぐさま行動に移す。
 再び二人っきりになったところで、ミュラーがアレクに告げる。
「陛下も、ビッテンフェルト提督の扱いに慣れてきましたね!」
「うん、時間はかかったが、一筋縄ではいかない奴のツボが、ようやく読めてきた。明日は、こちらの思い通りに、事が運べばいいがな!」
 ミュラーとアレクが顔を見合わせて笑った。



 明くる日、予想していた通り、朝からビッテンフェルト家とミッターマイヤー家はマスコミに囲まれていた。どちらの家にも王宮の警備兵が駆けつけ、重々しく警護する。そして、その様子はマスコミによって世間に報道されていた。
 世間が注目する中、アレクを乗せた王室の地上車がビッテンフェルト家に到着する。そして、邸の中の入っていくアレクの姿も、取り囲んでいたマスコミ達によってしっかり報道されたのであった。


 ビッテンフェルト家の客間で、アレクとビッテンフェルトが向き合う。二人っきりで話すのは、産まれて間もないレオンハルトのお披露目を兼ねた全体会議の前夜、アレクがビッテンフェルトを呼び寄せたとき以来のことである。両者とも、全く逢っていなかったという訳ではないが、必ず誰かしらがそばにいて、二人だけという状態にはならなかったのである。
「ビッテンフェルト、卿とこうして二人っきりになるのは、あのとき以来だな」
「確かに、そうかもしれません」
 二人とも、忘れられないシーンを思い浮かべる。
 あの夜、ヨゼフィーネに対する謝罪を申し出たアレクの頬を、ビッテンフェルトは本気で一発殴った。<卿の心が晴れるまで私を殴って欲しい!>と言うアレクに、ビッテンフェルトは<あとは、陛下の生き方次第です。これから陛下が、どのように生きていくのかを見せてもらいます。まず、結果をお出しください・・・私の気持ちがおさまるような結果を・・・>と告げたのである。
「私は、あのとき卿に言われた言葉を、忘れたことはない。お前のあの言葉を、ずっと自分への戒めとして生きてきた。ヨゼフィーネが私達に託してくれたレオンハルトを大切に育て、皇帝としての職務も私なりに精一杯務めてきた」
 アレクがこれまでの想いを、ビッテンフェルトに伝える。
「ビッテンフェルト、卿の大事な娘であるヨゼフィーネの人生を変えてしまった私を、お前は許してくれるだろうか?」
 アレクの問い掛けに、ビッテンフェルトは驚いたように目を丸くした。
「陛下は、私の言葉を、まだ引きづっておられたのでしたか?私はとっくの昔に、陛下に許した事をお伝えした筈ですが・・・」
「えっ!それは、いつの事だ?私には覚えがないぞ?」
 アレクが(自分は思い違いをしていたのか?)と慌てる。そんなアレクに、ビッテンフェルトが伝えた時期を教える。
「昔、フィーネが乗っていたニーベルング艦が遭難したとき、捜索で艦隊を出すという陛下と、私用で軍を動かすべきでないといった私とで揉めていたときです。覚えていますか?」
 アレクも当時の状況を思い出すが、あの非常時にビッテンフェルトから許しを得た記憶は見当たらない。思い出せない様子のアレクに、ビッテンフェルトが更に伝える。
「ほら、陛下が<フィーネに償いたい>と仰ったとき、私は<コウノトリは、もうとっくに許されています!>と申し上げました!」
(えっ、それ?)
 確かにアレクは、ビッテンフェルトからそう言われた事は覚えている。あのときは、自分もそばにいたミュラーですら、その言葉の意味が判らずにいた。
(いつから、私はコウノトリになったのだ?)と思わず突っ込みを入れたくなったアレクだが、ずっと気になっていた<ビッテンフェルトから許された!>という事が判明したので、あえて深入りはしなかった。
(ビッテンフェルト・・・お前はどうして肝心な事も、変化球にして投げてくるのか?全く・・・)
 心の中でビッテンフェルトに呆れていたアレクだが、気を取り戻して目の前にいる彼に確認する。
「ビッテンフェルト!私のこれまでの生き方を、卿は満足していると思っていいのか?ヨゼフィーネの父親として、そなたの気持ちが収まる結果を、私は出しているのか?」
 念を押すアレクに、ビッテンフェルトが伝える。
「陛下は、もう私の言葉に囚われなくてもよいのです。陛下のお陰で、フィーネもレオンハルト皇子も幸せに過ごしています。私は充分満足しています」
「そうか・・・これで私も安心した」
 アレクがほっとした表情になる。
「気になっていた卿の許しも得たことだし、私はレオンハルトが士官学校を卒業したら、皇位を彼に譲ろうと考えている」
「えっ!チョットお待ちください!」
 予想外の展開に、ビッテンフェルトが慌てる。
「生まれてすぐ皇帝になった私は、あと数年で引退しても許されるだろう。それに、レオンハルトは我が子ながら聡明で、皇帝の資質も私より備わっている。そのうえ、母上からみっちり帝王学を仕込まれているので、若くても充分やっていけると思うが・・・」
 アレクの言い分に、ビッテンフェルトは懸命に説得する。
「陛下のお疲れも判りますが、レオンハルト皇子にはもう少し自由な立場で青春を謳歌させてやりたい。せめて、よき伴侶に巡りあって御家庭を持つまでは、陛下には是非頑張って頂きたい・・・」
 必死に頼み込むビッテンフェルトの様子に、アレクが思わず顔をほころばせた。
「孫には負担が軽い皇太子のままで、皇帝として味わう気苦労は、一日でも先延ばしさせてやりたいか・・・。ビッテンフェルト、卿はそんなにもレオンハルトが可愛いか?」
 アレクの問いに、ビッテンフェルトが珍しく、自分の心を素直に認める。
「・・ええ、言葉にできないほど・・・」
 頷くビッテンフェルトを見て、アレクが伝える。
「だったら、レオンハルトの後見人を務めよ!」
 アレクの要請に、ビッテンフェルトが首を振る。
「いいえ、私は只のジジイです。レオンハルト皇子の後見人は、フェリックスがいいでしょう」
「いや、フェリックスは早すぎる。レオンハルトの母親の配偶者でもあり異父妹の父親という事で、貴族達からの風当りが更に強くなる。そのうえ、レオンハルトの正式な後見人になったら、フェリックスが動きづらくなるだけだ。彼には、今少し自由な立場で私の側近をして欲しい。それに、引退して気ままに過ごしているお前に、私の退位を反対する権利があるのか?」
 アレクがニヤリと笑って、ビッテンフェルトの反応を見る。
 <お前の希望を受け入れる代わりに、私の希望も受け入れろ!>と言わんばかりのアレクが、もうひと押しをする。
「卿がレオンハルトの後見人になる事は、母上やマリアンヌも希望している事だ。只のジジイである事が辞退する理由なら、ビッテンフェルト家を貴族にして爵位を授けるという方法もある!」 
 ビッテンフェルトが貴族の地位など望んでいないことは、アレクとて判りきっている。只、ビッテンフェルトの天邪鬼的な性格を読んで、アレクは事を進めている。
「私が貴族なんぞになったら、ヴァルハラに逝ったとき、妻に逢わせる顔がない!アマンダは、軍人である私に惚れたんですから・・・」
 アレクは(ミュラーからは、お前の方が強引に結婚に持ち込んだと聞いているが・・・)と、再び突っ込みたくなったが、気持ちを抑えて、改めてビッテンフェルトに告げる。
「では、復帰して軍人に戻って、レオンハルトの後見人を務めよ!」
「それも、ゴメンです!一度引退した者がしゃしゃり出ては、現場は混乱するだけです。引き際がみっともないのも見苦しいだけです」
 銀河帝国の皇帝であるアレクの要請を断り、はっきり自分の意見をダメ押しするという普通では考えられないような事をしているビッテンフェルトであるが、アレクの中では彼の返答は想定内のようである。
「貴族になって後見人をするか、軍人に戻って後見人をするか、どちらかを選べ!お前がレオンハルトの後見人をするのであれば、私も息子が成人して家庭を持つまで、皇帝の職務を全うしよう」
 譲位の先延ばしというビッテンフェルトの希望を受け入れたアレクが、彼に二者択一を迫る。そんなアレクに、ビッテンフェルトも条件を出す。
「貴族にもならず軍人にも戻らず、なんの力も持たぬ無位無官のジジイが、レオンハルト皇子の後見人でもよろしかったら、引き受けましょう!」
「よし、それで、決まりだ!」
 <我が意を得た!>とばかりにアレクがドヤ顔になる。ようやくビッテンフェルトは、アレクに乗せられた自分に気が付いた。
 呆れ顔になって首を振るビッテンフェルトに、アレクが笑いながら伝える。
「卿はこの世に生存するレオンハルトの唯一の祖父だ。それに無位無官であろうが、卿の経歴と今までの功績は、息子の充分な後ろ盾となる。長生きしてローエングラム王朝の後継者であるレオンハルトを見守って欲しい」
「御意」
 ビッテンフェルトが、アレクの命令を承諾する。
 こうしてアレクがビッテンフェルト家を行幸した目的が、無事達成された。



 アレクがビッテンフェルト家を訪問していた頃、学校からミュラー家に戻ったヨーゼフが、エリスと彼女の仕事場であるアトリエで話をしていた。
「ヨーゼフ、学校はどうだった?」
「うん、みんな、フィーネ叔母さんがレオンの本当の母親とは思っていないみたい。お金をもらった代理母って言っていた・・・」
「あら、そうなの・・・。でも、明日、フィーネも陛下もちゃんと説明するから、誤解はすぐ解けるわ」
「レオンもそう言っていたけれど、僕、なんか腹が立つんだ・・・。フィーネ叔母さん、レオンがお腹の中にいるとき苦しんだ。ずっとレオンと離ればなれで辛い想いもした。なのに、お金をもらった代理母って言われるなんて・・・。それに、おじいちゃんの事も<出世の為に娘を陛下にさし出した!>って言うんだよ!」
 目に涙を浮かべて悔しがるヨーゼフを、エリスが慰める。
(実際に<代理母をして報酬を得る>というビジネスは確かに存在するし、貴族側の価値観だと<娘を家の繁栄の為に、陛下の側室に入れる>というのはあり得る事。大人たちの考えを子どもたちが真に受け、ヨーゼフの耳に入ってしまうのも仕方がない事だけれども・・・)
 当初の計画では、事実関係がマスコミに嗅ぎつけられた段階で、直ちに王室から説明を兼ねた会見をする予定だった。しかし現在<いま>は、宇宙に行っているヨゼフィーネを待っている状態である。エリスはこのタイムロスを、残念に思った。
 レオンハルトを心配して残ったヨーゼフの方が、叔母や祖父の名誉が傷つけられたと思い込み感情的になっている。小さい頃から帝王学を身に着けているレオンハルトは冷静に対応できても、ヨーゼフには難しいようで怒りを露わにしている。
(これではレオンハルト皇子の方が、ヨーゼフを心配しているかも知れない・・・)とあべこべになっている様子に、エリスが苦笑する。
 エリスはむくれているヨーゼフを、アトリエの奥にある作品置き場に案内した。そして、大切に保管してある三枚の絵を、彼に見せる。
「これは・・・」
 ヨーゼフはその三枚の絵を、食い入るように見つめた。
 一枚目の絵は、妊娠中のヨゼフィーネの姿が描かれていた。長い髪を三つ編みにしてまだ幼さが残る顔立ちのヨゼフィーネが、大きなお腹を抱え椅子にゆったりと腰かけている姿である。
 背景には外の風景が映し出され、木陰の下にいるヨゼフィーネに木漏れ日が差し込んでいる。自身の膨らんだお腹に手を当て、愛おし気に何か語り掛けているよう様子は、まるでお腹の中の赤ちゃんと会話をしているように見える。絵からは、よそ風がまるで身重の幼い母親を守っているようにさえ感じる。その優しい空間の中で、ヨゼフィーネは穏やかな表情で笑顔を浮かべていた。
 その絵を見ていたヨーゼフが呟いた。
「よかった・・・。僕、フィーネ叔母さんは、レオンがお腹の中にいるときは、苦しんでばかりだったと思っていた。けれど、違った。叔母さんには、こんな幸せな時間もあったんだね」
「ええ、胎動を感じるようになってから、フィーネはよくお腹の中の赤ちゃんに語り掛けていたわ。そういうときの彼女は、いつも嬉しそうだった」
 エリスも当時を思い出して、ヨーゼフに伝える。
 二枚目の絵には、レオンハルトを抱いたヨゼフィーネの姿が描かれていた。
 産まれたばかりのレオンハルトを抱いているヨゼフィーネだったが、その目は息子を見ていなかった。凛として真っすぐを見つめ、固く結ばれた唇に、大きな決意を抱えている様子が感じられる。
「叔母さん、このあと、レオンを手放したんでしょう・・・」
「ええ、そうよ。ビッテンフェルト提督も私も、フィーネと産まれたばかりのレオンハルト皇子を引き離すことなんて、全く考えていなかった。ルイーゼは最後まで反対していたわ。でも、フィーネの決意があまりにも健気で・・・。フィーネ自身が育てたいという自分の気持ちを抑えて、息子の将来の為に考えて、考え抜いた母親の決断だから、ビッテンフェルト提督も私も見守る事しか出来なかった・・・」
「フィーネ叔母さん、昔、小さかった僕たちの寝ている姿を見ては、こっそり泣いていた。僕も兄さんも、何とかしたいと思っていたけれど何もできなくて・・・。このときから叔母さん、ずっと泣いていたんだね」
 ヨゼフィーネは我が子への想いを心の底にずっと隠していたが、ヨーゼフやテオドールは叔母の切なさや寂しさを、幼心にも感じていたのだ。
「ヨーゼフは、<日にち薬>って言葉があるの知っている?」
 エリスの問いかけに、ヨーゼフが首を振る。
「月日の経過が、痛みを忘れさせてくれるっていう意味なの。人生の中では、毎日何回も思い出していた悲しい出来事でも、月日が流れているうちに、日に日に思い出すことも少なくなって、まるで時間が薬のようになることもあるのよ。フィーネの場合は、その<日にち薬>の他に、エルフィーが生まれた事も大きいわね」
 エリスはそう言って、次の絵に目を向けた。
 三枚目の絵は、産まれたばかりのエルフリーデを大事そうに抱きかかえるレオンハルトと、その二人を見つめて幸せそうなヨゼフィーネの親子三人の姿が描かれていた。
 ヨーゼフが先ほどの絵と少し見比べ、嬉しそうに伝える。
「レオンとエルフィー、同じおくるみだね。僕が兄さんのおさがりを使っているように、レオンとエルフィーも同じことしている」
 エリスが頷いた。
「エルフィーが生まれた夜、レオンハルト皇子がフィーネの元に駆けつけて来てくれた。このときのフィーネは、本当に嬉しそうだっだ・・・」
 この夜、妹とヨゼフィーネに逢う為、レオンハルトは大胆にも王宮を抜け出した。そして、産まれたばかりの妹に逢ったあと、ヨゼフィーネを初めて<母上>と呼んだのである。レオンハルトの思いがけない言葉に、ヨゼフィーネは感激と嬉しさで涙を溢れさせたのであった。
 エリスが描いたこの絵は、三枚ともエリス自身がその目で見て、自分の脳裏に焼き付けたシーンである。
「この絵は、まだあなたとナイトハルトしか見ていない。フィーネやルイーゼ、そしてビッテンフェルト提督も、この絵の存在は知らないの」
「そうなんだ・・・」
「でも、明日放映されるレオンハルト皇子の生い立ちの映像で、この絵は使われる予定になっているのよ」
「ふ~ん、それじゃこの絵は、明日になれば、みんなが見ることになるんだね?」
「ええ、そういうことになるわ」
 ずっと絵に見入っていたヨーゼフが、不意にエリスに質問する。
「エリスおばさん、この絵、全部でいくらするの?」
 突然、絵の値段を訊いてきたヨーゼフに、エリスが面食らう。
「ヨーゼフ、この絵が欲しいの?」
「うん、僕も欲しいけれど、この絵は、レオンが絶対欲しがる絵だ!でも、レオンは皇妃さまの事を考えて<自分から欲しい>とは決して言わない。だから、レオンの為に、僕が先に買って他の人に取られないようにしないと!明日、この絵を見た人達が欲しがるかも知れない!」
 意気込むヨーゼフに、エリスが思わず微笑んだ。
「お金は出世払いでいい?大きくなったら、絶対払うから!」
 必死に頼み込むヨーゼフに、エリスが笑顔で答える。
「ヨーゼフ、お金の事は気にしないで。只、この絵はフィーネの為に描いた絵だから、フィーネに訊いてごらんなさい。恐らくフィーネは、あなたと同じ気持ちになると思うわ」
「うん、そうだね!そうする♪」
 帰ってきた当初の不機嫌さはすっかり消えて、にっこりと笑うヨーゼフであった。



 夜遅く帰宅したミュラーに、エリスが告げる。
「ヨーゼフもあなたのお帰りを待っていたのですが・・・」
「いや、ヨーゼフがこんな時間まで起きていたら、明日の学校に差し支えてしまうよ」
 ミュラーが笑う。
「陛下がビッテンフェルト提督とお逢いしたと報道で知って、その様子をあなたに訊きたかったようです」
「うん、二人の話し合いは上手くいったよ。あのビッテンフェルト提督を言い負かすことができたのだから、陛下も結構したたかになったよ。あとは明日の公表とフィーネの会見がスムーズにいけば、全てが解決する」
「長い時間のようでしたが、あっという間でしたね」
 エリスが感慨深げに呟いた。まだ少女だったヨゼフィーネの思わぬ妊娠から始まった出来事が、長い年月を経て、明日の公表で全てが収まる。ずっとヨゼフィーネを見守ってきたエリスだけに、感じるものも大きいのだろう。
「これでようやくあの絵が、世に出る日が来たね」
 ミュラーもしみじみと伝える。
「ええ・・・。今日、アトリエであの絵を見たヨーゼフが、いきなり絵の値段を訊いてきたんですよ」
「絵の値段?まさか、ヨーゼフがあの絵を買うつもりなのかい?」
「『レオンハルト皇子が絶対この絵を欲しがるから、誰にも取られないように自分が買っておく!』と言って、随分気合が入っていました」
「なるほど・・・」
「お金は出世払いで!と頼まれましたよ」
「はは・・・ヨーゼフらしい。しかし、困ったな。その絵の事だが、今日、明日流す予定の映像を見た皇妃が<是非、あの絵を買い取らせてほしい・・・>と、私に直接頼んできたんだ・・・」
「あら、皇妃さまもですか?」
「皇妃もヨーゼフと同じように、レオンハルト皇子の為に思い付いたんだろう」
「ええ、考える事は、みんな一緒のようですね」
「全くだ・・・」
 二人はお互い顔を見合わせて微笑んだ。


<続く>