時間(とき)を越えて 1

 フェリックスの育児休暇が終わり、彼は皇帝の側近として復帰した。ビッテンフェルトは娘のヨゼフィーネの代わりに、娘婿であるフェリックスが育児休暇をとったことをずっと気にしていただけに、ようやくほっとした。
 結局、彼らの娘エルフリーデの世話は、日中は主にミッターマイヤー夫妻が担当する事となった。フェリックスは両親の負担を考え、通いの使用人を幾人か雇い入れた。又、夫婦でお互い無理なく仕事と家庭が両立できるよう私設的な秘書も置き、フェリックスなりに工夫して環境を整えたのである。
 大所帯となったロイエンタール家であるが、順調に月日は流れ、それから一年あまりが過ぎていた。
 エルフリーデは赤ちゃんらしさが抜けて、日増しに女の子らしくなっていた。


 ビッテンフェルトとワーレンの初孫であるテオドールは、現在、幼年学校の最終学年で士官学校への進学を希望している。
 その士官学校の合格発表の日、上位合格者の一番最初に孫のテオドールの名を見つけたビッテンフェルトは、満面の笑みを浮かべ、控え目に「よし!」とガッツポーズをとった。
 早速その日の夕方、ビッテンフェルトとロイエンタール一家が集まったワーレン家で、テオドールの士官学校合格を祝う会が開かれた。テオドールが生まれたときに、ワーレンが孫の誕生を祝って買い集めたワインのうちの一本が開けられ、みんなで乾杯をする。
「テオ、よく頑張ったな!しかも首席で合格するとは、大したもんだ!さすが俺達の孫だな♪」
「ビッテンフェルト、お前、学校まで発表を見に行っていたんだろう?テオが首席合格と判ったとき、よく大騒ぎしなかったな~」
 ビッテンフェルトもワーレンも、孫の士官学校首席合格という快挙に、この日ばかりは口元が緩みっぱなしである。
「うん、俺としては喜びの雄叫びを上げたい気分だったが、掲示板の前で教官として立っていたフィーネが、俺を監視するように目を光らせていたからな!フィーネが怖くて、出来るだけ目立たないようにしていたさ」
 肩をすくめるビッテンフェルトに、ヨゼフィーネが弁解する。
「だって、あの場で父上が舞い上がって大声で万歳三唱でもやられたら、目立ちすぎてテオがかわいそうでしょう!」
 一同がどっと笑う。
「テオ兄さま、おめでとうございます♪」
「ありがとう、エルフィー♪」
 エルフリーデがテオドールにお祝いの花束を渡す。
 一族のアイドルでもあるエルフリーデは二歳を過ぎ、すっかり口も達者になった。ミッターマイヤー夫妻と一緒にいる時間が多いせいか、エヴァンゼリンの仕草を真似するようになり、ミッターマイヤーの事を「ウォルフ」と呼んで、ヨゼフィーネを慌てさせた事もある。尤も、ミッターマイヤー本人が孫娘に名前で呼ばれ、うけて喜んでいたので、その呼び名が定着しそうな気配である。
 そんなエルフリーデがテオドールやヨーゼフと会話する様子を見て、ワーレンが驚いてフェリックスに告げる。
「ほう、エルフィーはもう一人前だな。テオやヨーゼフはこの時期、こんなにはっきりと話せなかったような気がするが、女の子は成長が早いな・・・」
「おしゃまなだけですよ。それより、テオは凄いですね。首席合格とは!」 
「まあ、学長の孫という変なプレッシャーがあったかと思うが、テオは本当によく頑張ったよ!」
 生真面目な学長というイメージがついているワーレンだが、身内の集まりという事もあって、今日ばかりは相好を崩し手放しで孫を褒める。ワーレンから褒められたテオドールは、照れ臭そうにフェリックスに伝えた。
「いや~、祖父が学長で叔母が教官という立場だと、結果を出さないとマズいかな~と思って僕なりに頑張りましたよ。でも、新入生代表として挨拶をしなくてはいけなくなったから、二番目の方がよかったかな。入学式の事を考えると、今から落ち着かなくて・・・」
 チョットこぼしたテオドールに、二人の祖父が相次いで助言する。
「なに言っているんだ。最初が肝心なんだぞ!新入生代表で挨拶する事は、目立つし度胸も付く。いい経験になるぞ!」
「ビッテンフェルトの言う通りだ、テオ!こういう経験を積むことで、人は場慣れするんだ。だんだん、肝が据わってくるぞ!」
 ふたりの祖父から言いくるめられて、テオドールが頭を掻きながら、ボソッと告げる。
「いや、僕はそんなに目立たなくてもいいんだけれど・・・」
 それを見たヨーゼフが、胸を張って祖父たちに宣言する。
「おじいちゃん達に言っておくけど、僕が士官学校に入るときは、首席なんて期待しないでね!兄さんのように優等生じゃないんだから・・・」
 今から牽制をして予防線を張る息子に、ルイーゼが「もう、ヨーゼフったら・・・」と苦笑いになる。
「大丈夫!ヨーゼフには僕にはない毛の生えている心臓が、もうあるじゃないか!君の図太い神経は、ちょっとやそっとの努力じゃ手に入らないよ」
「兄さん、それってチョット微妙で、ほめられている感じがしない・・・」
 兄の言葉に首をかしげるヨーゼフを見て、皆大笑いする。
 軍人としての第一歩を踏み出したテオドールの前途を祝して、ワーレン家のリビングでは賑やかな会話がいつまでも続いていた。


 楽しい雰囲気の中で、エルフリーデはみんなに愛嬌を振りまいて疲れたのか眠ってしまった。寝ている娘を抱いたヨゼフィーネが、リビングの片隅でルイーゼと姉妹同士でしんみりと話し込んでいる。
「父上は随分ご機嫌ね」
「そうね、元々賑やかなのが大好きな人だから・・・」
「こんなふうに父上が生き生きしているのを見ると、今の生活は父上にとって静か過ぎるのかもしれないわ・・・。私もできるだけエルフィーの顔を父上に見せてあげたいんだけれど、なかなか思うようにはいかなくて・・・」
「仕方ないわよ。フィーネが忙しいって事は父上だって充分判っているわ。うちの子ども達も大きくなって、昔のように父上のところに頻繁に顔を出さなくなったし・・・。でも、いざというときは、長女である私が父上の面倒をみるわよ。我が家に来てもらうとかして・・・」
<父親の面倒を見るのは、姉である自分の役目!>とばかりに、ルイーゼが妹に伝える。
「姉さんの気持ちはありがたいけれど、きっと父上は、母上との思い出があるあの家からは離れないと思うわ」
「まあ、確かにそれはそうだと思うけれど・・・。でも、まだまだ先の話だから・・・」
 ルイーゼはそう言うと、寝ている姪にそっと話しかけた。
「おじいちゃんは、あなたの花嫁姿を見るまでは、ずっと元気でいるって!」
 飲み物を取りに来ていたヨーゼフの耳に、母親と叔母のそんな会話が聞こえてきた。その後、自分の席に戻ったヨーゼフが、楽しそうなビッテンフェルトを見つめる。少し考え込んでいたヨーゼフだが、何か閃いたように<ニヤッ>と笑うと、リビングの中央に陣取りみんなに向かって宣言する。
「将来、ここワーレン家は長男であるテオ兄さんが継いで、みんなと一緒に暮らすでしょう。だから、僕はエルフィーと結婚して、ビッテンフェルト家でおじいちゃんと一緒に住む。そうしたら、ビッテンフェルト家も賑やかになって寂しくないし、レオンも喜ぶ♪」
 突然ヨーゼフから、爆弾宣言ともいえる自分の将来の計画を告げられて、周囲は目を丸くした。
「ヨーゼフとエルフィーが結婚!?」」
 ヨーゼフの両親であるアルフォンスとルイーゼ、エルフリーデの両親であるフェリックスとヨゼフィーネが、お互い顔を見合わせて驚く。両家とも、思いがけないヨーゼフの提案に良いとも悪いとも言えず、言葉に詰まっている。そんな両親たちに代わって、ビッテンフェルトがヨーゼフに尋ねた。
「お前とエルフィーが一緒になれば、レオンハルト皇子は喜ぶのか?」
「僕がエルフィーと結婚しておじいちゃんの家で暮らすっていう考えは、今、思い付いたんだ。でも、きっとレオンも喜んでくれるよ!」
 ヨーゼフは更にその理由を説明する。
「だってレオンは、エルフィーの事が可愛くてしょうがないんだ。いつも一緒に遊んでやりたいと思っている。それなのに、大きくなるにつれて、エルフィーに逢う時間が少なくなった。『将来は、もっと難しくなるんだろうな・・・』ってレオン、寂しそうに僕に言ったんだ。だから、僕がエルフィーと結婚すれば、王宮で開くパーティーとかに夫婦で出席できるし、レオンも妹に逢えるチャンスが増えるだろう。それに、ビッテンフェルト家でおじいちゃんと一緒に住めば、おじいちゃんも家族が増えて寂しくないし、老後の心配もいらないよ!これってなかなかいいアイデアだと思うよ・・・」
(突拍子のないことを考える子どもだとは思っていたけれど・・・)
 周りの誰もが同じように感じて、心の中で溜息を付いていた。
<将来、ビッテンフェルト家で暮らす!>というヨーゼフに、ビッテンフェルトが諭す。
「その~、ヨーゼフが俺の事を思ってくれる気持ちは嬉しい。だが、自分の将来を、そんなふうに決めてかかるな!ヨーゼフだってエルフィーだって、たくさんの出会いがあって、それぞれ別の人を好きになっているかもしれない。それに、レオンハルト皇子の為に自分の道を決めてしまうのも良くない。お前はまず、お前自身の意志で自分の人生を切り開いていかなければならない。レオンハルト皇子に忠誠を誓う前に、自分の進む道をちゃんと選ぶんだ!自分の足元がしっかりしていない奴に、他人を守る余裕なんてないぞ!それに、自分自身がぐらついている奴には、安心してレオンハルト皇子を任せられない!テオもヨーゼフも、今は自分を磨く時期だ。一生懸命磨けば、それが自信となってブレなくなるんだ!」
 ビッテンフェルトの教えに、テオドールが反応した。
「僕、新入生代表の挨拶を、きちんとこなしていい経験にするよ!」
 ヨーゼフは、自分の考えに対して周囲が戸惑っているのを感じて、少し自信を無くしたようだった。
「おじいちゃん、僕は、間違っている?」
「いや、ヨーゼフ、自分で考えた事が正しいか、間違っているかなんて、誰にも判らない。それを決めるのは自分自身だ!」
 ビッテンフェルトは手に持っていたグラスの中のワインを飲み干すと、再びヨーゼフに伝える。
「たとえ、迷いながら選んだ事でも、何年か後に振り返ったとき<あのときの選択は正しかったんだ!>と思うときがある。逆に正しいと信じていた事も、後から誤りだったと気付く事もある。生きていると不思議にそういう事がよくあるんだ。だが、失敗を恐れてチャレンジしないより、行動することの方がチャンスの可能性が高まる。言葉に出して動くことで、人は勢いが付き、周りも付いてくる。そして、いい結果へと繋がるんだ。自分の人生の軌道は、いくらでも修正できる。<失敗は成功の元!>という言葉は、失敗した人間の後の行動で判断されているんだ!・・・只、ヨーゼフは少し先走るから、自分の進む道はじっくりと考えたほうがいいな!」
 ヨーゼフを言い含めるビッテンフェルトを見て、ワーレンが(お前がそれをいうのか?全く、先走るのは誰に似たんだか・・・)と含み笑いになる。自分に向けられたワーレンの視線の意味を自覚しているビッテンフェルトは、(こういう場合は仕方ないだろう!)と苦笑いして返す。
 おとなしくなったヨーゼフに、今度はもう一人の祖父であるワーレンが励ます。
「ヨーゼフ、じっくり考えるのはいいが、臆病にはなるなよ!自分の可能性の扉を閉じるのも、開くのも自分次第なんだからな!」
 ワーレンの教えにヨーゼフが力強く頷く。そんな息子に、ルイーゼが話しかけた。
「ヨーゼフ、あなたは、私とフィーネのさっきの会話を聞いていたのね。だから、ビッテンフェルト家で暮らすこと、思いついたんでしょう?ヨーゼフの気持ちは嬉しい。でも、おじいちゃん達の言うとおり、あなたはまず、自分のやりたい事を見つけて、それを優先して頂戴・・・」
 母親の言葉に、少し照れて頭を掻くヨーゼフであった。
「ヨーゼフ!エルフィーだって自分の人生は自分で決める。結婚相手だって自分で選ぶさ!それに、お前がいくら俺の家でエルフィーと一緒に住みたいと言っても、エルフィーはフェリックスの大事な一人娘だ。そう簡単に手放さないと思うぞ!」
 ビッテンフェルトの忠告を聞いたヨーゼフが即答する。
「フェリックス叔父さんの方は大丈夫!」
 ヨーゼフの自信に満ちた返事に、周囲は<?>となり、彼の次の言葉に注目する。
「だって、昔、フィーネ叔母さんは『ずっと独身でお祖父ちゃんのそばにいる!』って言っていたんだ。でも、フェリックス叔父さんのせいで叔母さんはおじいちゃんのそばから離れてしまった。だから、今度は叔母さんの代わりに、娘のエルフィーがビッテンフェルト家に住んでも、フェリックス叔父さんは文句を言えない筈!」
「・・・」
 妙に説得力のある言葉で周りを唸らせるヨーゼフに、フェリックスは(よくこんな理屈を思い付くものだ・・・)感心半分呆れ半分になった。そして、周囲の視線を感じながらも、彼はヨーゼフの言い分に対する明言を避け、話題を逸らす。
「フ、フィーネ、そろそろおいとましようか?明日から君は実習で宇宙に行く事だし、エルフィーも疲れて眠ってしまっている・・・」
 そう返して逃げるフェリックスに、アルフォンスは吹き出し、ルイーゼも笑いながら助け舟を出す。
「そうね。フィーネは明日早いんだし、準備もあるでしょう!こちらに付き合っていないで、遅くならないうちに体を休ませて・・・」
 明日から実習の引率で宇宙に向かう予定のヨゼフィーネも、苦笑いで二人に合わせる。
「それじゃ、お言葉に甘えて、一足先に帰らせてもらうわ」
 そして、甥たちに伝える。
「テオもヨーゼフも、大いに学び、仲間と遊んで自分の世界を広げなさい。そして、チャンスには貪欲になって、より多くの経験を積んで頂戴。そうしたら、エルフィーだけでなくどんな女の子も、二人に憧れるようになるわ。テオやヨーゼフの視野が広がれば、レオンハルト皇子の世界もより大きく広がる事になるのよ。将来、成長したあなた達の力は、レオンハルト皇子の強力な楯にも矛にもなり得るのだから・・・」
 大好きな叔母の願いに、テオドールは力強く返事をする。
「僕、士官学校に入学したら、フィーネ叔母さんみたく学生のうちに論文で賞をとるくらい、勉強に打ち込みたい!」
 ヨーゼフも兄に負けずに元気よく抱負を述べる。
「僕は、誰からも頼りにされる大人になりたい!」
 テオドールとヨーゼフの希望に満ちた顔を、祖父たちや両親、そして叔母夫婦も、頼もしげに見つめていた。



 自宅への帰り道、フェリックスが笑いながら妻に告げる。
「全く、ヨーゼフにはいつも驚かされるよ」
「ええ、でも、向こう見ずに見えるヨーゼフだけれど、自分の事より他の人の事を考え過ぎた勢いで行動してしまうのよ。優しい子だから・・・」
「うん、彼は昔から、年上だろうが年下だろうが、自然な形で人の懐にすんなりと入ってしまう特技を持っているよ。本人自身は無意識なのかも知れないが、コミュニケーション能力はかなり高いと思うよ。だからすぐ、皆と打ち解けて仲間にしてしまう」
「あら、あなたも結構ヨーゼフを理解しているのね!」
「そりゃ、彼が生まれたときから知っているんだ。それに、俺にとってもテオやヨーゼフは可愛い甥たちだ」
 二人で顔を見合わせて笑う。
「レオンハルト皇子もそんなヨーゼフだからこそ、つい心の中に納めているものを打ち明けてしまうんだろうな。俺は、ヨーゼフからレオンハルト皇子の本音を知ることが多い。確かに、俺が育児休暇中の頃と違って、エルフィーを王宮に連れてくるのは親父に任せている部分があって、連れて行く回数はかなり減ってしまった・・・」
「仕方ないわ。レオンハルト皇子と同じ年頃のテオやヨーゼフが、遊び相手として王宮に通っていたときとは勝手が違うし・・・」
「レオンハルト皇子が妹に逢いたいという気持ちには、出来るだけ応えたいんだが・・・。我が家に使用人がいるようになったら、彼は遠慮してこっちにはあまり来なくなったしな・・・」
「でもその分あなたは、ビッテンフェルト家でエルフィーとレオンハルト皇子が逢えるようにしているじゃない。父上も喜んでいるし感謝しているわ」
「それこそ、ヨーゼフやテオが協力してくれるからね。ルイーゼも息子たちと連携して、君とエルフィー、そしてレオンハルト皇子の為にいろいろ手を尽くしてくれる。本当に助かっているよ。しかし、レオンハルト皇子がエルフィーをあれほど可愛がるとは、予想外だった。俺は一人っ子だから、どうも兄妹の事にはピンとこなくて・・・」
 そんなフェリックスに、二人姉妹のヨゼフィーネが伝える。
「レオンハルト皇子がエルフィーを可愛いがるのは判るわ。私も歳が離れた妹で、姉さんからは随分可愛がられたもの。それこそ姉さんは、自分の幸せより妹の私の成長を見守る方を優先させるくらいにね。母親がいなかったせいもあるけれど、姉さんは本当に私を大事にしてくれた。だから、義兄さんから何度もプロポーズされても、そのたびに断っていたの。本当は夜中にこっそり泣き明かすくらい、義兄さんの事が大好きだったのに・・・」
 フェリックスは、昔、アルフォンスが根気強くルイーゼにアタックしていたのを知っている。しかし、ルイーゼがアルフォンスのプロポーズを断った本当の理由が、妹のヨゼフィーネの為だった事は知らなかった。
「そうだったんだ。でも、そんな想いをして一緒になった二人だからこそ、アルフォンスもルイーゼも夫婦としての絆を大事にしている。レオンハルト皇子も一緒に住めない妹だからこそ、余計に繋がりを大事にしているんだろう。だからヨーゼフは、レオンハルト皇子の願いを叶えようと、彼なりに必死に考えている。まあ、驚く事も多いが・・・」
「ホント、さっきのヨーゼフの提案には、さすがに驚いたわ」
 思い出し笑いが込み上げるヨゼフィーネに、フェリックスも苦笑いで告げる。
「ヨーゼフの言う通り、最初に君にプロポーズしたとき、<生涯独身で父親のそばにいる!>と言われたし、一緒に暮らそうと持ち掛けたときも、俺は<身の回りの物をもってビッテンフェルト家に住むのなら!>と言われてしまった。だから、俺は彼の言葉に反論は出来ないよ。もし将来、エルフィーとヨーゼフが結婚するにしても、俺より親父の方が難攻不落だと思うよ!」
 確かに普段の生活から見れば、フェリックスより祖父のミッターマイヤーのほうが、エルフリーデと離れがたいかも知れないと、ヨゼフィーネも感じた。
「でもそれは、まだまだずっと先の話よ」
 ヨゼフィーネはそう言って笑うと、眠る娘の顔を愛おしげに見つめていた。



 夜も更けたワーレン家のリビングでは、ビッテンフェルトとワーレンが、二人水入らずで酒を酌み交わしている。
「アルフォンスとルイーゼが結婚して、この家で一緒に暮らし始めた頃、ときどきルイーゼの中にお前に似ているところを見つけて面白いと思った。だが、ヨーゼフはもっと凄い。お前以上に予測できない行動をするから、一緒に暮らしたら退屈しないぞ!」
「はは、しかも『老後の心配はいらない!』ときた・・・。ワーレン、俺は、そんなに耄碌<もうろく>したように見えているのか?」
 二人ともヨーゼフの言葉を思い出して、笑いが止まらなくなった。
「まあ、確かにお前、覇気は無くなったよな。今は、俺の方が断然若い!なんたって俺は今、第二の青春を送っている♪」
 得意げに話すワーレンに、ビッテンフェルトが呆れる。
「嬉しそうに何言っているんだか・・・。お前は、士官学校で若いもんの精力を吸い取っているんだろう。だいいち、学長が宇宙実習の引率をするなんて聞いたことがないぞ!しかも、練習艦に自分の旗艦<サラマンドル(火竜)>の名前をつけるとは、公私混同もいいところだ!」
 以前、妊娠したヨゼフィーネの代わりに、学長であるワーレンが宇宙実習の引率を担当して以来、ワーレンは何かと理由を見つけては、練習艦<サラマンドル(火竜)>に乗り込んで宇宙に行っている。ビッテンフェルトはそれを知っているだけに、幾分ふて腐れて言った。そんなビッテンフェルトに、ワーレンが煽る。
「お前、羨ましいのか?」
「別に~!」
「無理するな!『俺も宇宙に行きたい!』って顔に書いているぞ!」
 <うっ>と言葉に詰まったビッテンフェルトが、ワーレンにおずおずと問い掛ける。
「・・・ごねたら連れて行ってくれるのか?」
「無理だ!」
 即答で返すワーレンに、ビッテンフェルトが溜息を付く。
「だったら、俺の期待を持たせるような事を言うな!」
 二人で顔を見合わせ、含み笑いになる。
「俺は士官学校の学生たちを見るたび、自分たちの士官学校時代を懐かしく思い出す」
「俺は、孫のエルフィーの目を見るたび、奴を思い出す・・・」
 ビッテンフェルトの言葉に、ワーレンも<にやっ>と笑って答える。
「俺もだ・・・」
 テオドールの合格祝いの酒が、いつの間にか昔の思い出に花を咲かせる酒となっていた。



 所用があってテオドールの入学祝いの宴に参加できなかったミュラー夫妻だが、お祝いの御裾分けとしてテオドールと同じ年のワインを持ってきてくれたルイーゼから、その様子はエリスに知らされていた。その日のミュラー家の夕食は、ルイーゼが持ってきてくれたワインを飲みながら盛り上がっていた。
「士官学校の首席合格とは、テオは随分頑張ったな。ビッテンフェルト提督もワーレン学長もさぞ喜んでいることだろう」
「ええ、『毎晩遅くまで受験勉強をしていたテオの努力が、結果に結びついて良かった!』と、ルイーゼはほっとしていました。それに、合格したら合格したで、『周りが偉大過ぎて、それが軍人の道を進むテオのプレッシャーにならないか?』とも心配していました」
「う~ん、テオの祖父が二人とも元帥で、しかも一人は士官学校の学長でもある。父親も義理の叔父も准将で皇帝の側近。おまけに叔母は士官学校の教官だ。確かに、プレッシャーがかかる環境だな」
「そのうえ生まれたときから自分を可愛がってくれるミュラーおじさんも元帥。しかも凄腕の軍務尚書として名高い。いとこのエルフィのお祖父ちゃんもミッターマイヤー元帥という具合に、テオの周りには<獅子の泉の七元帥>のうちの四人もいる状態ですから・・・」
 妻から<凄腕の軍務尚書>と褒められたミュラーが照れ笑いする。
「はは、でも、テオだって首席をとる実力があるんだから大丈夫だよ!しかし、ルイーゼも心配が尽きないな」
「子どもの心配をすることは、母親の特権ですから・・・」
 エリスが夫に微笑む。
「軍人として、テオと同じような環境のフィーネだって頑張っている。つい最近、昇任試験で大尉になったかと思ったら、宇宙航路に関する研究論文で博士号を取得したのが認められ、一階級特進ですぐ少佐に昇進にしている。子育てしながら大したもんだ」
「ええ、スーザンがフィーネに『教官時代にできるだけ階級を上げなさい!』ってビシバシ背中を押すんですって。宇宙に出てしまうといろいろ機会が減ってしまうから、地上にいるチャンスを生かしなさいって・・・」
「道理で・・・。<ワーレン学長の懐刀>と言われているゲーテル中佐は、その気にさせるのが上手いらしいな。なかなかやり手で、本部でも一目置いている。しかし、それに応えて階級を上げてしまうフィーネの実力も凄いが・・・」
 スーザンも中佐に階級を上げ、女性軍人の為に様々な企画を立ち上げ、その手腕を発揮している。
「テオはフィーネを尊敬しているし、彼女の歩んできた道のりも自分の目で見ている。テオなりにいろいろ感じているだろうし、思うところもあるだろう。テオは昔からフィーネを守りたいと騎士道精神が旺盛だった。プレッシャーなんかに負けていられないだろう」
 エリスが、小さい頃からヨゼフィーネにくっついていたテオドールとヨーゼフを懐かしく思い出す。
「それと、またヨーゼフのびっくり発言があったようです」
「ほう?今度はどんな内容だい?」
 型破りなヨーゼフには、ミュラー夫妻もいつも驚かされている。
「ヨーゼフは<将来、エルフィーと結婚して、ビッテンフェルト家で住む!>と、宣言したそうです。
「はあ?・・・なんでまた、そんな話になったんだい?」
 ヨーゼフのびっくり発言には慣れている筈のミュラーが、思わず食事の手を止めて驚く。
「昨日の集まりで、ビッテンフェルト提督がはしゃいでいるのを見て、ルイーゼとフィーネが<普段の生活は、父親にとって静かすぎるかもしれない>と話したのを聞いていたらしくて・・・」
「なるほど・・・。まあ、確かにビッテンフェルト家は、昔は結構賑やかだったから、ルイーゼとフィーネがそう思ってしまうのも判るよ。ヨーゼフは、ルイーゼやフィーネの気持ちを考えて、ビッテンフェルト家で住むことを思い立ったんだろう。しかし、彼がエルフィーと結婚すると考えた根拠は?」
「それが、自分がエルフィーと結婚したら、レオンハルト皇子は妹に逢う機会が増えるだろうと、単純に考えてしまったようなのです。しかもヨーゼフの言い分は『フィーネは<ずっと独身でお祖父ちゃんの側にいる!>って言っていたのに、フェリックスのせいで実家を離れた。だから、今度はフィーネの代わりに、娘のエルフィーがビッテンフェルト家に住んでも、フェリックスは文句を言えない筈!』ですって・・・」
「なんとまあ・・・。さすが、ビッテンフェルト提督の孫だ!フェリックスが返事に困ってしまう理屈をよく思い浮かべるもんだ・・・」
「ええ、でもヨーゼフらしくて、私はこの話を聞いて、つい笑ってしまいました」
 エリスの微笑みにつられて、ミュラーも笑う。
「確かにヨーゼフらしいな!ビッテンフェルト提督も内心、孫の気持ちは嬉しかったんじゃないのかな?」
「ええ、おそらく・・・。返答に詰まったフェリックスの方は、その場から逃げるように帰ってしまったらしいのですが・・・」
 そそくさと帰ったフェリックスの様子が、ミュラーの目に浮かんだ。
「でも、考えようによっては悪くない縁談かも知れないよ。いとこ同士の結婚はあることだし・・・」
 冗談めかして言うミュラーに、エリスが笑う。
「その縁談の方は、実現するかどうかは判りませんけれど、私は、将来、レオンハルト皇子とテオやヨーゼフの関係が、今の陛下とアルフォンスやフェリックスのようになって欲しいと願っています」
「うん、皆、それは期待しているところだろう。只、テオやヨーゼフの前でそれを言えば、彼らの将来の選択肢が狭まってしまうから、言わないだけで・・・。でも、テオは士官学校に入ったし、ヨーゼフもレオンハルト皇子も同じように士官学校への進学を希望している。いずれ、君の願う未来が訪れるんじゃないのかな?」
「テオやヨーゼフ、そしてレオンハルト皇子がどんな大人になるのか、エルフィーがどんな女の子になるのか、あの子達の将来を考えるとワクワクします。ナイトハルト、お互い長生きして見届けましょうね」
「ああ、夫婦で一緒に、仲良く年をとっていこう!」
 ミュラーはそう言って、二人のグラスにワインを継ぎ足す。そして、夫婦でテオドールの新たな人生の門出を祝い、再び乾杯を交わした。



 ヨゼフィーネが宇宙に行っている間、ミッターマイヤー夫妻は出来るだけエルフリーデを連れ出しお出かけをする。母親がいない寂しさを紛らわす為でもあるが、日中積極的に動き回ることで、エルフリーデが夜にすぐ寝付くことが出来るからだ。
 赤ちゃん時代のようにヨゼフィーネがいないと夜泣きをするというわけではないが、夜になると母親がいない寂しさが込み上げて来るらしく、ベットの中で孫娘が我慢しなくても済むように・・・と、ミッターマイヤー夫妻が工夫しているのである。
 今日のエルフリーデは、ミッターマイヤー夫妻と一緒に王宮に来ていた。皇太后の部屋から出てきたミッターマイヤー夫妻が、控えの間で、同じように皇太后に会う為待っていたマリーンドルフ男爵と鉢合わせになる。
「おや、ミッターマイヤーご夫妻もこちらにいらしていたのですか?」
「ええ、皇太后が妻と話をするのを楽しみにしているようで・・・。皇帝夫妻に公務を任せるようになって、皇太后もやっとゆっくり世間話をする時間ができたようです。今は、お互い孫の話などをしていますよ。尤も、女性同士で盛り上がっていますので、私は妻の付き添いみたいなものですけれど・・・」
 朗らかに話すミッターマイヤーに「いつも夫婦一緒で、相変わらず仲がよろしいことで・・・」とマリーン男爵が告げる。そんな彼の目に、手をつないで部屋から出てくるレオンハルトとエルフリーデの姿が入った。
「レオンハルト皇子も、こちらにいらしていたんですか?」
「ご機嫌よう、マリーンドルフ男爵。おばあさまは、部屋の中にいらっしゃいますよ!」
 レオンハルトがマリーンドルフ男爵に声をかける。
 一礼して一行を見送るマリードルフ男爵に、レオンハルトとエルフリーデの会話が聞こえた。
「エルフィー、この間まで蕾だった庭のバラが、もう咲いているよ!一緒に見に行こう!」
「はい、レオンハルトお兄さま!」
 仲良く王宮の庭を目指す二人を目にしたマリーンドルフ男爵は、苦い顔になって皇太后の部屋に入っていった。 


「皇太后、将来の皇帝になられるお立場のレオンハルト皇子に対し、家臣の娘が馴れ馴れしく<お兄様>と呼ぶのはいかがなものかと・・・」
「またその話ですか・・・。レオンハルト自身がなんとも思っていないのですから、別にいいでしょう。まだほんの小さな子どもが言っている事ですし・・・」
 毎回同じようなセリフのやり取りに、半分呆れ顔のヒルダがマリーンドルフ男爵の申し立てを受け流す。同じ一族で昔からの知り合いだけに、私的な場所ではお互い遠慮がない。
「陛下やレオンハルト皇子は、お優しい気性なのでこういう事に寛容でいらっしゃいます。だからこそ、周りの者が気を配って身分の違いを示さなければなりません。その肝心の側近であるロイエンタール准将の娘がこのような有様では・・・。ロイエンタール准将は、陛下のお気に入りである事をいいことに、自分の立場をはき違えてはいませんか?」
「まだ物心も付かない子どものことで、そんなにいちいち目くじらを立てなくても・・・」
「皇太后は昔から、あのロイエンタール准将に甘すぎます!子ども時代に陛下と同等に遊ばせていたから、あの者が増長して、本人だけでなく娘までも我が物顔で王宮に出入りするようになったのです!」
「・・・」
 昔のことまで持ち出してくどくど進言するマリーンドルフ男爵に、いい加減うんざりとしてきたヒルダがポツリと告げた。
「もうよいではありませんか!あの子が血の繋がっているレオンハルトを<兄>と呼ぶことは、間違ってはいないのですから・・・」
「はぁ?皇太后?・・・それは一体どういう意味でしょうか?」
 思わず聞き返したマリーンドルフ男爵に、ヒルダは一瞬慌てた表情を見せたが、すぐ「そういう事です!」と厳かに告げてその場から立ち去った。
(血が繋がっているレオンハルト皇子を、兄と呼ぶことは間違ってはいない!?)
 残されたマリーンドルフ男爵は、ヒルダの言葉に釈然としない様子で考え込んでいた。

血が繋がっている?
もしや、あの娘は陛下の御子?
いやいや、あの顔は父親にそっくりだし
あの目は実の祖父譲りだろう・・・
<たね>はロイエンタール准将で間違いはない・・・
だとしたら、母親か同じという事か?

皇妃似レオンハルト皇子は、
代理出産で得た御子だとばかり思っていたが・・・

奴の妻はビッテンフェルトの娘だ
まさか、
レオンハルト皇子を産んだとされる女性は
あのビッテンフェルトの娘なのか?

もしそうだとすれば、
ビッテンフェルトは、次期皇帝の祖父にあたる
これは、慎重に調べなければ・・・・

 タブーとされてずっと謎だったレオンハルト皇子を産んだ女性の存在が、世間に明らかにされる日が近づいていた。


<続く>