母からの手紙

 ラインハルトの麾下の提督のなかで、オスカー・フォン・ロイエンタールと共に双璧と言われているウォルフガング・ミッターマイヤーの若き日の話である。



 その日、ミッターマイヤーは士官食堂で昼食を食べながら手紙を読んでいた。
「実家からの便りか?」
 昼食を手にした親友ロイエンタールが声を掛け、隣の席に座る。
「あっ、お袋からなんだ・・・」
 ミッターマイヤーはそう言って、手紙をしまい込もうと折り畳んだ。
 ロイエンタールと親友という間柄になって、二人は色々な事を語り合った。同格の地位と異なる気質の二人は不思議と気が合い、戦場を離れても深い友情で結ばれていた。だが、ロイエンタールの口から自分の家族の事を話す事はあまりなかった。
 以前酔った勢いで彼が愚痴った家族、特に母親に対する複雑な心境をミッターマイヤーが知って以来、どうも自分の恵まれた家族のことをこの親友の前でひけらかすのは憚われていた。
 そのような気遣いこそロイエンタールにとっては不愉快だろうと思っているミッターマイヤーだが、つい反射的に手紙をしまい込むという動作をしてしまったのである。
 そんなミッターマイヤーを見て、ロイエンタールが話しかける。
「その手紙、まだ読みかけなんだろう?俺に構わず読んでやれよ!それとも何か?知られたくないような事でも書いてあるのかよ?」
「いや、何も隠すようなことは書いてないよ・・・」
 ミッターマイヤーが苦笑いをする。
「そうかな~。それには野菜は食べているか?とか、寝るときは腹を冷やさないように!とか、食事の前のお祈りは忘れずに!なんて書いてあるんじゃないのか?」
「おいおい、俺は幼稚園児かよ・・・」
 ミッターマイヤーは呆れていたが、親友の気持ちを汲み取り再び手紙を読み始めた。
「でも、似たようなもんかな・・・。酒の飲み過ぎに注意しろと書いてある」
 ミッターマイヤーは笑いながら、更に二枚目の便せんに目を通した。
 そして、「えっ!?、嘘だろう・・・」と呟いた後、絶句した。
「どうしたんだ?家族になにかあったか・・・」
 隣にいたロイエンタールが、その様子を心配して尋ねた。
「エ、エヴァに、縁談の話があると書いてある・・・」
「エヴァ?・・・誰だったっけ??」
「俺の家で一緒に住んでいる娘だ!前に教えたろう」
「あぁ~、そう言えばそんな女の子が居ると言っていたな。もう結婚するような年頃になったのか」
「結婚!!」
 顔色を変えているミッターマイヤーに、ロイエンタールが尋ねた。
「どうした?縁談に反対なのか?」
「反対も何も、エヴァは・・・」
 そう言ったきり、ミッターマイヤーは口ごもった。
 そのなにやら焦っている様子に、親友の金銀妖瞳が興味深そうに見つめる。
「お前はその娘と、なにか約束でもしていたのか?」
「約束?」
「唾を付けて置いたのかということだ」
「ば、馬鹿いうな!エヴァは妹みたいなんだ」
 ミッターマイヤーが少し赤面して答える。
「なんだ・・・。それなら、良い縁談なら喜ぶべきじゃないのか?」
「エヴァはまだ18歳だ!」
「一人前の女だよ」
「えっ!・・・」
 今度は、少し青ざめたミッターマイヤーであった。



 隣に座ったロイエンタールが昼食を食べている最中も、ミッターマイヤーは目の前の食べかけの食事にも手を付けず、憮然とした表情のまま何やら考え込んでいる。
 しばらくして食後のコーヒーを飲み終えたロイエンタールが、ぶつくさ言っているミッターマイヤーに一声掛けた。
「おい、ミッターマイヤー!」
「何だ?」
「俺には、なんだかお前が随分怒っているように見えるのだが・・・」
「別に怒ってなんかいないさ!」
「だが、お前にしては珍しく機嫌が悪い」
「だって、お袋の奴、俺の知らないうちにエヴァに縁談を持ち込むなんて・・・」
「『知らないうちに』って、お前・・・」
「何だよ!!」
 ミッターマイヤーは確かに怒っている。
「いいや・・・」
 ロイエンタールは意味ありげに笑った。
「ジェラシー・・・か」
 ぽつりと言ってミッターマイヤーの肩をトントンと叩くと、親友はそのまま席を立って去ってしまった。
 ミッターマイヤーはロイエンタールが言った言葉の意味が判らず一瞬考え込んだが、その後唖然となった。(えっ!えっ?ジェラシー、ま、まさか・・・)
 ミッターマイヤーは、思わず自分の心に問いかけた。


エヴァは、妹みたいなもんだよな?
明るくて、いつもみんなを和ませてくれるし・・・
エヴァが来てから、我が家は華やかになったし・・・
俺は、休暇に帰省するのが楽しみになった


 エヴァンゼリンはミッターマイヤーが士官学校の寄宿舎にいた頃、両親を亡くし遠縁の当たるミッターマイヤー家に引き取られてきた女の子だった。
 家に来た頃からエヴァンゼリンは、明るく過ごし笑顔を絶やすような事はなかった。
 だが、休暇で戻ったミッターマイヤーの前では、両親を亡くした悲しみを見せていた。二人きりのなったときだけエヴァンゼリンはミッターマイヤーに、両親と暮らしていた頃の楽しい思い出話をして、そして最後にはいつも涙ぐんでいた。
 ミッターマイヤーの前でだけ見せるエヴァンゼリンの悲しみを受け止めるため、彼は以前とは見違えるように休暇のたびにまめに帰省するようになった。


俺は、エヴァの涙を見たときから、
この子を守るのは俺なんだと決めていたんだ・・・
あの小さかったエヴァに、縁談なんて・・・
月日が流れるのは、なんて早いんだ

いつも俺の周りを
燕のように軽やかに立ち振る舞って
明るい笑顔を見せてくれる
エヴァの笑顔をずっと見ていたい・・・
エヴァがいなくなるなんて考えられない
・・・・・・ずっと俺の傍に居てもらいたい

そうだよ・・・
エヴァを誰にも渡したくない
エヴァが必要なんだ
・・・俺はエヴァが好きなんだ!!・・・


 頭の中に、スミレ色の瞳で自分を見つめ楽しそうに微笑むエヴァンゼリンの姿が浮かんだ。ミッターマイヤーは、今やっと自分の気持ちに気が付いた。


どうして、今まで気づかなかったんだろう
こんなにもエヴァが好きだって事に・・・
エヴァは、この縁談をどうするつもりなんだろう?
まさか、受け入れるつもりじゃないよな・・・
でも、親父やお袋が賛成していたら、『いや』とは言えないよな
急がなくては・・・
次の休暇まであと何日だっけ?
間に合うよな・・・
俺の気持ちをエヴァに伝えて、それから・・・


 ミッターマイヤーは自分の気持ちを自覚してから、次の休暇が待ちきれずいらいらしていた。
 時間が経つのが、こんなにも遅く感じるのは初めてのことだった。
 (俺の気持ちを知らないエヴァが、縁談を受け入れてしまったら・・・)と考えるだけでどうしようもなく焦った。
 そんなミッターマイヤーを見て、ロイエンタールは「嫉妬で自分の気持ちに気づくなんて、ありきたりで面白くない」と、からかいながらも事の成り行きを見守っていた。



 待ちに待った休暇の日、ミッターマイヤーは生まれて初めて花屋に立ち寄り、黄色いバラの花束を作ってもらった。その後、菓子屋でチョコレートとラム酒入りのスポンジケーキを買い求めた。
 花束とケーキの箱を抱えて、ミッターマイヤーはエヴァンゼリンと再会した。
 緊張のあまり体がコチコチ状態のミッターマイヤーを、エヴァンゼリンは輝くような笑顔で迎える。頭の中が混乱しているミッターマイヤーが、しどろもどろでエヴァンゼリンに求愛の言葉を伝えた。
 なんともさまにならないプロポーズだったが、エヴァンゼリンは恥ずかしそうに頷いて了承した。その瞬間、喜びのミッターマイヤーは彼女を抱き寄せキスを交わした。
 そんな二人に一番最初に祝福の声を上げたのは、遠くで心配そう見つめていたミッターマイヤーの父親であった。


 ようやく緊張の糸から解放されたミッターマイヤーは、大事な事を思い出した。
「エヴァ、あの縁談は断るよう俺からお袋に言うから・・・」
「縁談!どなたのですか?」
 エヴァンゼリンが不思議そうに尋ねた。
「えっ、知らないの・・・。お袋からなにも聞いていない?」
「いいえ、何も聞いていませんでした・・・」
「えっ!・・・そうなのか」
「私に縁談の話があったんですか?」
「あっ、いや・・・そうらしい。お袋が俺に手紙で知らせて来た」
「まあ!叔母さまが?」
(もしかして、俺はお袋にしてやられたんじゃないのか?縁談なんて本当はなかったのでは・・・)
「お袋の奴・・・俺を嵌めたんだ!!」
 ミッターマイヤーは思わず右手を握り拳にしていた。
 エヴァンゼリンはそんなミッターマイヤーの握り拳を、自分の両手で包み込んで優しく微笑んだ。
「でもそれがきっかけで、ウォルフさまが私に結婚を申し込んで下さったのですから、私は叔母さまに感謝しなくては!だってウォルフさまは、私の事は妹という目でしか見てくれないのかと思っていましたから・・・」
 エヴァンゼリンのすみれ色の瞳に見つめられて、ミッターマイヤーの母親に対する怒りは急激に萎えてしまった。
「エヴァ・・・。エヴァは、俺のことをどう思っていた?」
 エヴァンゼリンは、頬を赤く染めて言った。
「ずっと、好きだったんです。でも、ウォルフさまはいつも私を子供扱いして・・・。いつになったら私のことを一人前の女性として見てくれるのか、ずっと待っていました」
「そうだったんだ・・・。エヴァ、気が付かなくてゴメンよ」
 ミッターマイヤーは、エヴァンゼリンの両手を掴んで宣言した。
「もうすぐ、エヴァの誕生日だったよな!その日に結婚式を挙げよう!」
「えっ!来週ですよ!そんなに早くですか?」
「そうさ、俺は疾風ウォルフと呼ばれているんだから・・・」
 ミッターマイヤーが爽やかに笑った。



 ミッターマイヤーの母親は、手紙に嘘を書いた訳ではない。
 年頃のエヴァンゼリンに縁談が持ち上がっていたのは事実である。ただ当人のエヴァンゼリンより先に、息子にそのことを伝えただけであった。
 母親には息子の気持ちは、お見通しだったのである。
 ミッターマイヤーがあの手紙を読んだ後、いても立っても居られず行動に移すであろうことも・・・。


<END>


~あとがき~
あきさんへのサイト開設一周年記念の贈り物です。夏に一周年を迎えたのに、もう秋を通り越し冬の気配が・・・すみません!!(大汗)
しかも、あまりにも単純なミッターマイヤーになっています(笑)
兄妹のような感じから恋人に進化した二人ですが、その後、いつ迄もこの新鮮なときめきを維持している事でしょう
(↑だって蜂蜜夫妻って、いつも新婚状態みたいだし~^^)