ミュラーのプロポーズ大作戦 (呼び名)

 銀河帝国の軍務尚書のミュラーが婚約を発表したのは、恋人エリスにプロポーズを決めてから間もなくのことであった。
 軍の中ではミュラーの恋愛は前から噂になっていたし、婚約者エリスとの年齢差もケスラー元帥夫妻の前例もあったせいか、それほど話題にはならなかった。
 結婚式の準備も着々と進み、二人は現在<いま>人生の春を迎えていた。


 婚約を公にしたミュラーは、婚約者エリスの勤め先の上司でもあった画家のバイエルンの元を訪れた。
「バイエルン先生には、エリスが今までいろいろとお世話になりました。まだ半人前のうちに退職してしまうことになり、何と言っていいやら・・・」
 銀河帝国の軍務尚書という立場であるミュラーが、照れながらも恐縮する姿に、バイエルンは思わず笑った。
「ミュラー閣下、エリス先生が半人前だなんて事はありませんよ!彼女が退職すると報告したときの子供達の泣きべそ顔を、あなたにお見せしたかったです。私もとても残念ですが、これはおめでたいことですからね・・・。しかし、エリス先生の結婚の相手が、銀河帝国の軍務尚書のミュラー閣下と知ったときは、さすがの私も驚きました」
「エリスはこの仕事をとても気に入っていました。いつも私に、この教室の子ども達の事を、楽しそうに話してくれました」
 バイエルンが嬉しそうに頷く姿を見ながら、ミュラーは話を続ける。
「それに、折角頂いたオーディン芸術大学の留学を辞退するという結果になってしまい、先生には申し訳なくて・・・」
 ミュラーの言葉に、バイエルンは自慢の顎髭を触りながら話し始めた。
「その事はどうぞお気になさらないで。今回、私はエリス先生に画家として大切な事を思い出させてもらいましたよ・・・。『描きたいと思う気持ちが一番大事・・・』といったエリス先生こそ、本来の絵描きの姿です。絵を描く人間は、絵で自分を表現する・・・人々はその絵からそれぞれ感じた事を評価すればいいことで、学歴や受賞歴などは画家や絵の価値とはなんの関係もないことなのです。なのに私は・・・」
 会話が途切れ、ミュラーは思わず(どうしたんですか?)という表情になった。ミュラーに見つめられたバイエルンは、少し苦笑いをしながら言葉を続けた。
 「実は白状しますと、教室の一部の父兄から、『エリス先生はどこの芸術大学を出たのか?』とか『絵の才能があるのか?』などと訊かれましてね・・・。私もつい『あの子の経歴に箔を付けてやりたい!』などど思うようになってしまって・・・。あの作品展で何か賞でも取れば、口うるさい父兄も納得するだろうという邪心から、エリス先生に絵の出展を勧めたんですよ」
 エリスの上司でもある画家のバイエルンは、頭を掻きながら照れくさそうに話した。その仕草にはエリスに対する愛情が現れて、ミュラーは楽しそうにその話に聞き入っていた。
「エリス先生は最初、この出展に尻込みしていたんですよ。でも私が、『何事も経験だから!』って少し強引に説得しましてね。何かしらの賞を取るだろうとは思っていましたけど、まさか初めての挑戦で第一席とは・・・。私の目に狂いはなかったでしょう!」
 バイエルンは笑いながらそう言った。そこで、ミュラーは一つ質問をした。
「バイエルン先生は、エリスは画家になるべきだとお思いですか?」
「ええ・・・いつか時期が来たら、無理のない自然な形でその道に進むのではないでしょうか。それにエリス先生に絵を教えた父親も、なかなかの人物だったと思いますよ。なにより、娘に技術より絵を描く心を育ませたということに敬服します。エリス先生を見ていると判ります。彼女が子供達に接する姿勢には、私も学ぶものがありました」
 ミュラーは、何だか自分が褒められたように嬉しくなった。
「バイエルン先生、これからもエリスの力になってやって下さい。お願いします」
「勿論です。私も結婚によってエリス先生の絵が、どんなふうに変わっていくか楽しみなんです。ミュラー元帥夫人になっても、子供達の顔を見に来てくれると嬉しいですね」
「きっとエリスは喜んで来ますよ」


 バイエルンと共に楽しいひとときを過ごしたミュラーはその帰り際、美術館のロビーで自分を待っていたと思われるルーカスと出会った。
「・・・」
 言葉に出さないがルーカスの訴えるような瞳で、ミュラーに彼の気持ちは充分伝わった。
「必ず、エリスを幸せにするよ!泣かせるような事は絶対しない」
 ミュラーはルーカスに、子供相手ではなくエリスを大事に想う男同士の約束として真剣に話した。
「当たり前だ!!」
 ルーカスは一言告げた後、しかめっ面でベーと舌を出した顔を見せてミュラーのもとから走り去った。



 翌日、ミュラーは結婚式の打ち合わせの為、ビッテンフェルト家を訪れた。
 ビッテンフェルト夫妻やエリスと共に、ミーネ手作りのアップルパイでお茶の時間を過ごす。
「ところで、ミュラーとエリスの結婚について一つ条件がある!」
 ビッテンフェルトの何だか企んでいそうな顔に、ミュラーは一瞬悪い予感がした。
「な、なんでしょうか?」
「ルイーゼは今、エリスのことを『エリスおねえちゃま♪』と呼んでいるだろう」
「ええ、それが何か?」
 言葉を覚え始めたビッテンフェルトの娘のルイーゼは、会う度にどんどん言葉が増え、ミュラーとも楽しい会話が成立し始めている。
「それはいいとして、お前までルイーゼに『おにいちゃま』と呼ばせるには無理があろう。だから、エリスと結婚したらお前は『おじちゃま』だ!」
「はぁ?・・・妻になるエリスが『おねえさん』で、夫の私は『おじさん』ですか?」
「文句あるか!」
「いえ、その~普通は夫婦で揃えて呼ぶのでは?」
「お前、俺とそんなに変わらない年齢のくせに、図々しいぞ!」
「・・・」
 ビッテンフェルトに図々しいと言われてしまったミュラーが言葉に詰まった。そんな二人を見ていたエリスが、気を遣ってビッテンフェルトに提案する。。
「あの~、私、ルイちゃんから『おばさん』と呼ばれてもいいですよ。今度からそうしましょう」
「それは駄目!」
 エリスの意見に、ビッテンフェルトとミュラーが声を揃えて反対した。
「そうね、エリスはまだ若いし、『おばさん』と呼ばれるのは可哀想よね」
 やり取りを聞いていたアマンダも同意する。
「フリッツ、ルイーゼに『ミュラーお兄さん』と呼ばせてもいいでしょう?実年齢はともかく、ミュラーさんはお若く見えるのですし・・・」
(「実年齢はともかく・・・」って、アマンダさん!)
 ミュラーは思わず苦笑いする。
「ふん!どうせ俺は年齢通りの親父顔だよ!ミュラーのように可愛くはないさ!!」
 ビッテンフェルトがアマンダの言葉に拗ねてしまった。
「ルイーゼにミュラーのことを『おじさん』と呼ばせるのでなければ、この結婚は認めん!」
 すっかり臍を曲げたビッテンフェルトが、またしても無茶を言い始めた。一度こうと決めたら意地でも押し通すビッテンフェルトに、皆呆れ顔になってしまった。
「ではこうしましょう!今後のミュラーさんの呼び方は、ルイーゼが自然に話す呼び方に任せるということでどうでしょう?決めるのは本人ですから、フリッツも納得するでしょう」
「・・・まあな」
 少し不満げなビッテンフェルトだが、アマンダの説得に仕方なさそうに頷いた。
(しめた!これには自信がある)
 ミュラーは、思わずほくそ笑んだ。
 最近エリスはルイーゼに「ミュラーおにいちゃまにご挨拶は?」などと言って、すでにミュラーのことを「おにいちゃま」と呼ぶようにしていたのだ。
 ルイーゼはまだうまく言えないらしく「ミュラー」と呼び捨てのままで呼んでいるが、頭の中には「ミュラーおにいちゃま」という言葉がインプットされているのは確かだ。
(こちらの方が有利だ!)
 秘かに喜ぶミュラーと、ビッテンフェルトの目があった。負けず嫌いのビッテンフェルトは、ミュラーの勝ち誇っている内心に勘で気が付いたらしく、しかめっ面でベーと舌を出してプン!と横を向いてしまった。
 このビッテンフェルトのご機嫌斜めの態度に、ミュラーは先日のルーカスを思い出してしまった。
(ルーカスとビッテンフェルト提督・・・精神年齢は同じレベルかも・・・)



 その日から、ルイーゼにミュラーの事を「おじさん」と呼ばせるため、ビッテンフェルトの作戦が始まった。
 勝負に拘る軍人魂が燃えたのか、ルイーゼにミュラーの事を「おじちゃま」と呼ばせることが勝利とばかりに、すっかり意地になっていた。
 この頃のルイーゼは、よく大人の口まねをしていた。父親のビッテンフェルトの乱暴な言葉使いをそのまま真似して、周りを驚かせる事もよくあった。そこでビッテンフェルトは、何かにつけ「ミュラーおじちゃま」を連発し、ルイーゼに教え込ませようとしていた。
 ルイーゼが寝るときに読み聞かせるお話なども「昔々あるところに、<ミュラーおじちゃま>がいました。ある日、<ミュラーおじちゃま>は山へ柴刈りに出かけました・・・」といった具合だった。暇を見ては必死になって娘に「ミュラーおじちゃま」と話しかけるビッテンフェルトに、アマンダはただ呆れるばかりだった。
 日常でことごとく「ミュラーおじちゃま」という言葉を使っているうち、いつの間にかルイーゼより先にビッテンフェルトの方が、短期間でその言葉を身に付けてしまったようだった。本人も気が付かないうちに、家庭以外でもミュラーのことを「ミュラーおじちゃま」と呼んでいることも多くなった。
 又、慣れとは恐ろしいもので、ビッテンフェルトから「ミュラーおじちゃま」と呼ばれることに最初はかなり不気味がっていたミュラーの方も、いつしか自然とその言葉を受け入れるようになっていた。


 そんなある日、ミュラーの執務室にいるビッテンフェルトを、副官オイゲンが迎えに来た。ミュラーの副官ドレウェンツは、その事を二人に知らせるため執務室に入る。
「ビッテンフェルト元帥、副官のオイゲン少将がお迎えに来ています」
「おう、もうそんな時間か!チョット待ってくれ」
「ドレウェンツ!オイゲン少将にもう少しで打ち合わせを終えるから、あと五分ほどビッテンフェルト提督をお借りすると伝えてくれ」
「判りました」
 部屋を出ていこうとしたとき、二人の会話が聞こえてしまったドレウェンツは思わず自分の耳を疑った。
(いま、ビッテンフェルト元帥が閣下の事を「ミュラーおじちゃま」と言ったような・・・。でもまさか??)
 ドレウェンツの耳は<ダンボの耳>となり、二人の会話に聞き入った。
「・・・それでなぁ、ミュラーおじちゃま・・・」
(げぇ、間違いない!ビッテンフェルト元帥は閣下を「おじちゃま」と言っている。・・・でも、その不気味な言葉を、閣下が普通に受け止めるのはなぜ?一体、二人の間に何があったのだろう??)
 どう考えても合点が行かないドレウェンツは、ビッテンフェルトの副官オイゲンに、それとなく自分の疑問について質問してみた。
「つかぬ事をお伺いしますが、あの・・・ビッテンフェルト元帥はミュラー閣下の事を・・・『おじちゃま』と呼んでいるようですが・・・」
 様子を伺いながら、ドレウェンツはオズオズと訊いてみる。
「ええ、このところそう呼んでいますよね」
 オイゲンがあっさりと認めた。
「そ、そうですよね!その~、いつからそう呼ぶようになったのでしょう?」
「ここ最近じゃないかな~」
「何か理由があるのでしょうか?」
「さあ??」
 平静なオイゲンに、ドレウェンツは疑問顔で尋ねる。
「あの・・・、気になりませんか?」
「いや~、あの方の言動をいちいち気にしていたら、こちらの身が持ちませんよ!」
 オイゲンがにこやかに笑う。
「確かに・・・」
 ドレウェンツも思わず納得する。


「オイゲン、お待たせ~」
 執務室から出てきたビッテンフェルトは、「邪魔したな!」とミュラーの幕僚達に告げると部屋を出た。
 オイゲンも皆に会釈すると、上官の後に続いて部屋を後にした。
「さすがだな~。長年あの御仁の副官を務めるだけのことはある!」
 オルラウが、オイゲンに感心したように呟いた。
「全くです!」
 <何事にも動じない先輩副官オイゲン>を見習い、ドレウェンツも新たに気を引き締めるのであった。



 それから数日後、各閣僚を交える全体会議で、軍務尚書のミュラーがある計画の立案を発表した。
 ビッテンフェルトとミュラーの仲とはいえ、仕事中は互いに意見の対立になることもある。軍務尚書のミュラーから出されたの計画案に反対したのは、黒色槍騎兵艦隊司令官のビッテンフェルトであった。
「ミュラーおじちゃま!その計画には、少し無理があるのではないか!」
 ビッテンフェルトのその言葉に、その場にいた者は全員一瞬で顔面蒼白になった。誰もが自分の耳を疑うように周りを見たり、「おじちゃま」と言われたミュラーの反応を確かめている。
 ビッテンフェルトは周りの異様な気配は、反対意見を発言した自分の迫力に驚いた為だろうと思っていた。ミュラーは思いがけなく集まった自分への視線に対し、いつものように温和な笑顔で返していた。
 ビッテンフェルトの不可解な言葉使いに対し、かろうじて冷静を保っていた議長のワーレンが、ミュラーに返答を求める。
「この計画について、ビッテンフェルト提督の懸念も判ります。今後、この計画は各方面の意見を参考にして、更に検討を重ねて無理のないものに仕上げていきたいと思いますので・・・」
 いつもと変わらぬミュラーの様子に、(さっきのビッテンフェルト元帥の言葉は聞き違いだったのかも・・・)と、皆、改めて思い直したとき、ビッテンフェルトがぼやいた。
「ミュラーおじちゃまは、いつもそう言って反対する者を丸め込んでは、結局自分たちの計画通り実行するんだよな・・・」
(間違いない!ビッテンフェルト元帥はミュラー軍務尚書の事を「ミュラーおじちゃま」と呼んでいる!!)
 誰もがそう確信したとき、堪らず吹き出したのはミッターマイヤーだった。
「ビッテンフェルト!いつからミュラーが、お前のおじちゃまになったんだ~」
 それをきっかけに、会場はざわめき始めた。
(はっ、しまった~!口に出していたか!!)やっと気が付き、顔を真っ赤にしたビッテンフェルトとミュラーであった。


 議長のワーレンでさえ、肩を震わして自分の笑いを堪えるのに必死だったので、会議は収集がつかなくなってしまった。
 ビッテンフェルトは、そんな周りの様子に耐えられなくなった。
「俺は帰る!」
 そう叫んで席を立ち、会場のドアを勢いよく閉めて出ていってしまった。
 ビッテンフェルトが出た途端、我慢できなくなった者が一斉に笑い出し、会場は爆笑の渦に包まれた。



 その後、こうしたビッテンフェルトの涙ぐましい努力は報われた。
 彼の娘のルイーゼは、幼い頃はミュラー夫妻を「ミュラーおじちゃま、エリスおねえちゃま」と呼び、大きくなってからは「ミュラーおじさん、エリス姉さん」と呼ぶようになるのである。


<END>


~あとがき~
これで、この「ミュラーのプロポーズ大作戦!」シリーズはおしまいです。
いろいろミュラーさんを虐めてしまいましたが、ちゃんと結婚できました(笑)
いつか、ミュラーさんの結婚式も書けるといいな~
(勿論、ギャグになるでしょうA^^;)
ミュラー夫人なったエリスですが、これからも宜しくお願いします!