ミュラーのプロポーズ大作戦 (ライバル出現)

 今日のエリスとのデートで(今度こそ、プロポーズを成功させたい!)と望むミュラーは、このところ少し焦っていた。
 もうすぐビッテンフェルトが遠征から帰ってくる。ミュラーは彼が帰還する前に、エリスにプロポーズの承諾を得て婚約に持ち込んでおきたかったのだ。
 エリスの父親のような気持ちになっている彼に、帰還したら真っ先に二人の婚約を報告したいと願っていた。
 ビッテンフェルトはアマンダと一緒になってから、ことごとく独身のミュラーに家庭の幸せをアピールしていた。それは(ミュラーにも、早く家庭を持って欲しい)というビッテンフェルトの願いからくることを、ミュラーは充分理解していた。それ故、自分とエリスとの結婚を一番楽しみにしているのもビッテンフェルトであり、ミュラーはそんな僚友の喜ぶ顔が見たかった。
 又、副官ドレウェンツも、一日も早くミュラーの婚約を待っている一人であった。ただ、ドレウェンツの場合、なによりも冷やかしや茶々を入れるのが好きなビッテンフェルトにその隙を与えぬため、黒色槍騎兵艦隊の遠征中に結婚式の準備を完璧にしておきたいという、ミュラーとはちょっと違った理由からであった。
 しかし、そんな両者の思惑通り事は進まず、ミュラーはまだエリスにプロポーズを申し込む前の段階にいる。



<済みません、待ち合わせの時間に少し遅れます。仕事が終わり次第、駆け付けます>
<私が君の職場に迎えにいくよ>
<ありがとうございます。では、ロビーで待っていて下さい>
 ミュラーは待ち合わせの場所に向かう途中で、恋人エリスからのメールを受け取り、車の行き先をエリスの職場に変えた。
 今日のデートはフェザーン郊外の山をドライブして、見晴らしの良い展望台でプロポーズに持ち込もうという作戦であった。
(天気もいいし、この時間からだと展望台からは綺麗な夕日が拝める筈だ。平日の夕方に、あそこで知り合いに出会う事もないだろう。それに車の中は二人っきりだから会話に邪魔は入らない)
 そんな事を考えながら、車を運転するミュラーであった。


 エリスがアシスタントを務めている絵の教室は、美術館の一角で開かれている。その美術館のロビーでエリスを待つミュラーは、先ほどからずっと自分を見つめる一人の少年に気が付いていた。
 暫く様子を伺っていたミュラーだが、思いきってその子に近づき理由を尋ねてみた。
「私に何か用かな?」
「おじさん、エリス先生の彼氏?」
 生意気そうな男の子は、待ちかまえていたかのように初対面のミュラーに尋ねる。
「い、一応ね」
 意外な質問に、ミュラーはまごつきながら答えた。
「ふ~ん、やっぱり・・・。エリス先生って<ファザコン>だもんな!・・・渋い趣味だ」
 間近でミュラーを見たあと、その少年はそう言って溜息を付き、首を振った。
(げぇ!、どういう意味だよ・・・)
 少し動揺しながらミュラーは、エリスの教え子らしいその少年に問いかけた。
「き、君はエリスの生徒なのかい?」
「まあね・・・」
「私はミュラー、君は?」
「ルーカス」
「ルーカス、どうしてエリス先生が<ファザコン>と思うんだい?」
「だって先生、絵を教えているとき、いつもファーターの話をするよ」
「そうか・・・。エリス先生に絵を教えたのは、画家の父親なのだから仕方ないよ。でも、だからと言って先生が<ファザコン>とは限らないだろう」
「そうだけど・・・。でも、いろいろ予想するとね・・・」
「例えば?」
「彼氏がオジンだったりすると特にね・・・」
(オ、オジン!!)
「そ、それは、私の事かな?」
「あれ~、自覚していないの?」
 ルーカスは、呆れたような顔で挑発するように答えた。
(な、なんと~!?)
 ほとんどの人から年齢より大分若く見えると言われ、自分でも見た目の若さには少しばかり自負があったミュラーは、思わずよろめいてしまった。
 エリスと二人で並んで歩いていても、実際ほどの年齢差は感じないだろうと思っていたミュラーの自信は、音を立てて崩れていく。
「ひ、人の好みはそれぞれだから・・・」
 なぜだか子供相手に焦っているミュラーであった。
「そうだよね、好みって人それぞれだし、それに変わるよね・・・。十年後、おじさんが禿げた中年になって俺がカッコイイ大人になった頃、エリス先生に結婚を申し込んだらどちらを選ぶのだろう・・・」
「へっ?」 
 敵意むき出しの顔で宣戦布告するルーカスを、ミュラーはじっと見つめた。
 ルーカスも負けずに、<ライバル>と認めたミュラーを睨み付けている。
(ルーカスはエリスが好きなんだ・・・。まぁ、この年齢というのは、年上の女性に憧れやすい年頃だし・・・)
 ミュラーは自分にも身に覚えがある遠い少年の日の記憶を思い出し、心の中でにんまりとなった。しかし、ルーカスの次の言葉で、そんな甘い気分もぶっ飛んでしまった。
「知っている?おじさんと俺とは、先生との年齢差は変わらないだぜ!」
(えっ!)
「おじさんと俺のちょうど真ん中の年齢が、エリス先生なんだ!俺は今はまだ小さいけど、十年後は大人だよね。おじさんが疲れてしょぼくれた中年なった頃、こっちはハツラツとした元気のいい大人になっている」
 恋敵のミュラーを目の前に、ルーカスは自信ありげに答える。
(疲れてしょぼくれた中年・・・しかも禿げている!!)
 ミュラーの中に、やけにリアルに未来の映像が浮かび上がった。
 そのとき、「ミュラーさん、お待たせしました~」とエリスが姿を現した。
「あら、ルー!まだそこに居たの?遅くなると、お家の方が心配するわよ」
「今帰るとこ!エリス先生、さようなら~」
 先ほどとは別人のように素直な態度になったルーカスを、唖然と見つめるミュラーであった。
 (中年になった私と青年のルーカスの前に、エリスが登場すると・・・)
 そんな妄想まで浮かんでしまったミュラーは、首を振ってその映像を振り払う。
「・・・ルー、ミュラーさんに何か言っていましたか?」
 何やら心ここにあらずっといった様子のミュラーを見て、苦笑いしながらエリスが訊いてきた。
「あっ、いや・・・まあね。・・・ルーカスってどんな子?」
「ルーは大人に対して少し生意気なところがあるけれど、本当はとってもいい子です。私の手伝いもよくしてくれるし、お友達からも好かれて頼られているリーダーなの。見た目には暴れん坊のやんちゃ坊主って感じですけれどね・・・。でも、あの子の描く絵は、繊細で安らぎのある絵なんです。絵を見るとルーの優しさが判りますよ。尤も、子供達はちゃんと知っているからルーを慕うのね」
「ふ~ん。あの子、随分エリスに関心があるみたいだね・・・」
「自分の事も、いろいろと私に話してくれますよ~。他の先生と違って私とは年が近いから、先生と生徒というより友達みたいな気持ちになっているみたいで・・・」
「そうなんだ」
(エリスは友達感覚と思っているのか・・・。まぁ、そうだろうな)
 少しばかり自信が戻ってきたミュラーであった。


「最近、ミュラーさんと逢った後に家に帰ると、アマンダさんやミーネさんとやけに視線がかち合うんですよね。なんか注目されているような感じで・・・」
 ミュラーの運転する車の中で、エリスが何気なく話す。
「・・・気のせいじゃないかな」と言いながらも、ミュラーは心の中で(やっぱり・・・)と溜息をつく。
 ミュラーがエンゲージリングを選んだとき、アマンダやミーネに相談したし、あの動物園でのデートでエリスに求婚しようとしていた事も二人は知っている。あれから 一ヶ月が過ぎた。
 アマンダやミーネが、デート後のエリスを気にしている様子が、ミュラーの目に浮かぶ。
(二人とも私のこと優柔不断と思っているよな・・・。でも、今日プロポーズしたら、まるでルーカスに嫉妬しているみたいだよな・・・)
 そんな事を悶々と考えながらミュラーの運転する車は、森に囲まれた山の道を走る。


「危ない、ミュラーさん!!」
 突然叫んだエリスの声と同時に、道路に飛び出してきたものに反応してミュラーは素早くハンドルを切った。
 車はそのはずみで、道路脇の林に突っ込みながらゴロンと一回転した。
 道路脇の林に落ちた車の中で、助手席のエリスに覆い被さるようにして庇ったミュラーが慌てる。
「エリス!大丈夫?」
「ええ、大丈夫です」
「よかった~!!驚かせてゴメンよ・・・」
「いいえ、それよりミュラーさん!シートベルトを外して、私を庇ったんですか?」
「あ、うん・・・咄嗟に・・・」
「もし車が転げ落ちるような崖に落ちていたら、命綱のシートベルトを外したら危ないです!」
 真剣な表情で、エリスが訴える。
「・・・もし、私のせいでミュラーさんに何かあったら・・・」
 少し涙ぐむエリスを見て、ミュラーは安心させるように話しかけた。
「大丈夫さ!私は艦隊の司令官時代は守りには定評があったんだよ。君を守るくらい簡単な事だよ・・・」
「でも、無茶しないで下さい。ミュラーさんは大事な方なんですから、怪我でもしたら大変です!その・・・いろいろな方に、ご迷惑をかけてしまう事になりますし・・・」
「エリス、君はそんなことまで気にしないで・・・。それに、これでも一応軍人だよ!君をこんな事故から庇う壁になるくらい、体は鍛えてあるよ」
 ニッコリ笑ったミュラーだが、エリスはまだ心配そうに見つめている。
(エリスは、私の立場を理解してくれている。軍人とは縁が無かったエリスがこうした心遣いをするのも、ビッテンフェルト家に住んでいる影響だろうな・・・)
 ミュラーは、軍務尚書という自分の難しい立場に随分気を遣っているエリスを感じて、嬉しさと申し訳なさの入り交じった気持ちになった。
「本当に、大丈夫だから・・・。エリスはいろいろ考えすぎ!」
 少しひょうきんに話すミュラーに、エリスもやっと普段の顔が戻った。
「・・・でも、庇ってもらったとき本当は嬉しかった。何だかミュラーさんを独り占め出来た気がして・・・」
 エリスのちょっぴり出た本音に、ミュラーは優しく答えた。
「二人きりのときは、そう思っていいんだよ!普通の恋人同志のように・・・。私も二人でいるときはエリスを独占したいし・・・」
 温和な笑顔のミュラーを見ていたエリスの胸に、ある想いが込み上げてきた。
(私、この人と・・・ミュラーさんと生涯を共に歩みたい!!)
 エリスの心に芽生えていたささやかな望みが、大きく膨らんだ瞬間でもあった。 
 そのときミュラーの方は、(いいムードだよな・・・。ここで、エリスにプロポーズをしようか・・・)と心の中で迷っていた。
 (しかし、事故を起こした車の中でというのも・・・)と躊躇っているうち、結局その機会を逃してしまった。
 ミュラーはどうも、プロポーズをするときの状況にかなり拘っているらしい。
 しかしミュラーのように、男性側の方が意外とプロポーズの状況に、ロマンを求めているものなのかも知れない。


 二人は天井がへこんだしまった車から、とりあえず脱出した。 
「しかし、飛び出して来たのは一体なんだったんだろう?狸かな」
「あれは、うり坊でした」
「えっ、うり坊!!」
「背中に瓜のような黄色の縦縞様がはっきり見えました。顔も猪でしたし・・・」
「へ~、エリス、よく、あの一瞬で見分けられたね~」
「私、目だけはいいんですよ」
 照れくさそうにエリスが笑う。
(画家やカメラマンなどの芸術家というのは、一瞬でものを見極める目を持っているというが・・・)
 ミュラーは以前、メックリンガー元帥から聞いたことがあるその言葉を思い出した。 
 エリスのその感性が天性のものなのか、絵を描いているうちに培われたのかどちらかは判らぬが観察力の鋭さは確かで、ミュラーは恋人の意外な一面に驚いていた。
「しかし、うり坊なんて?ここは山といってもフェザーン郊外だ。野生の猪がいるわけがないだろう?」
「そうですよね?」
「・・・あっ!動物園!!」
 考えが一致したミュラーとエリスの声が揃った。きっとあのうり坊は、この山の裏手にある動物園から逃げ出したに違いない。先日ルイーゼと動物園に行ったとき、二人とも小さなうり坊の姿を見ている。
「動物園に連絡しよう。今頃、捜しているかも・・・」
 ミュラーは脱走したと思われるうり坊の存在を、動物園に知らせた。その後、ドレウェンツにも連絡して、レッカー車と代わりの車の手配を頼んだ。


 間もなく、血相を変えたドレウェンツとオルラウがやって来た。
「閣下!!」
「やあ、ドレウェンツ、ドジってしまったよ~。車の運転をずっと人に任せっきりにしているうち腕が落ちたらしい」
「そんな事より閣下、お怪我は?大丈夫でしたか?」
 慌てて尋ねるドレウェンツは、青ざめている。
「大丈夫だよ!相変わらずドレウェンツは大げさだな~」
「心配させないで下さい。事故と聞いて驚きましたよぉぉ!!」
 安心したのか少し涙目のドレウェンツであった。
「心配かけて済まなかった。それよりドレウェンツ、悪いがエリスを家まで送ってやって欲しいんだが・・・」
「承知しました。それで、閣下は?」
「動物園の飼育係人達と一緒に、うり坊の捜索に加わるよ。飛び出して来たときぶつかってはいないが、驚かせてしまってね。ちょっと気になるし、乗りかけた船だから最後まで見届けるよ」
 ミュラーらしい行動に、エリスも納得顔で頷いた。
「ミュラーさん、後で連絡下さい。どんなに遅くても待っていますから・・・」
「判った」
 ミュラーは、エリスとドレウェンツが乗った車を見送った。
 二人きりになったとき、咳払いをしながらオルラウが上官に話しかけた。
「あまり野暮な事は言いたくないのですが、閣下の体は閣下お一人のものだけではありません。それをお忘れなきように・・・」
「ああ、判っている・・・。実は、エリスからも同じような事言われたよ・・・」
「ほう・・・」
 物静かに微笑んだオルラウが一言告げた。
「閣下はよい女性<ひと>と巡り逢えましたね」
 まるで教官から褒められた学生のように、ミュラーは満足そうな笑顔をオルラウに見せた。
「しかし、二人とも随分早くここについたな~。ドレウェンツの奴、慌てて相当スピードを出してきたんだろう?全く、危ないぞ~」
 ミュラーは呆れ顔で、隣のオルラウに話しかける。そのとき、ミュラーはふと気が付いた。
(あれ・・・確か二人がここに来たとき、車を運転していたのはドレウェンツじゃなかった・・・。運転席にいたのは・・・オルラウだった!!)
 ミュラーがその事実を思い出したとき、もう参謀長は隣にはいなかった。



 その夜、ミュラーはエリスにうり坊のその後を伝えた。
「思ったより早く、うり坊が見つかって良かったですね」
「ああ、猪担当の飼育係の人と名前を叫びながら捜していたら、森の中から飛び出して来たよ。あのうり坊も、知らないところに迷い込んで不安だったんだろうな!・・・ところでエリス、あのうり坊の名前が傑作なんだ!」
「どんな名前が付いていたんですか?」
「うり坊の名は<フリッツ>って言うんだ!」
「まぁ!」
「ビッテンフェルト提督と同じ名前だよ。私たちの前に飛び出して来るわけだ・・・」
「うり坊のフリッツも、私たちと縁があったんですね・・・」
「そうだね。今度又、ルイーぜを連れて動物園に行こう。うり坊のフリッツに逢いにね!」
「ええ・・・」
 恋人同士の弾んだ会話が終わった。
 ミュラーの声を聞いていたエリスは、先ほど車の中で胸にいだいた想いが波紋のように心にどんどん広がっていくのを感じていた。
(ミュラーさんと一緒に人生を過ごせたら・・・)
 今まで控えめに夢に見てきた想いが、はち切れそうなくらい大きな望みとなっていた。
「・・・今でも充分幸せなのに、これ以上を望んだら欲張り・・・よね」
 エリスは、切ったばかりでミュラーに通じていないヴィジフォンに話しかけた。


 その頃、そんなエリスの気持ちに気が付いていないミュラーは、今回もプロポーズを申し込めなかった自分に少しめげていた。
 「エリス、早く君にこの指輪を渡したいよ・・・」
 ミュラーはそう呟くと、手の中の指輪を見つめた。
 恋人に渡し損ねたエンゲージリングは、まるでミュラーを励ましているかのように、ひっそりと輝くのであった。


<END>


~あとがき~
ミュラーさん、その・・・残念でした(A^^;)
思いがけないライバル出現と突然の障害(ウリ坊の飛び出し)で、今回もお疲れ状態のミュラーさんです。
でも、エリスのハートはしっかり掴んでいるのですから、何とか頑張って下さいね(笑)
物静かなイメージの参謀長オルラウですが、上官への想いはドレウェンツ同様、熱い(笑)です!
ミュラーさんを心配する余り、ぶっ飛ばして(A^^;)上官の元にはせ参じました~(笑)

次回、大きいフリッツ(笑)のビッテンフェルトが登場します。
このカップルの新たな展開にご期待!