ファーターの心理(身代わり)

 ビッテンフェルトとアマンダが正式に結婚式を挙げた事で、七元帥の一人であるビッテンフェルトの結婚が、世間に広く知れ渡った。その結果、その後の催し物などでは何かと夫婦揃って呼ばれる事も多くなった。
 今までの暮らしと少しばかり状況が変わってきたなかで、アマンダは今後の為にもある決意をしていた。


 夫婦揃ってリビングでくつろいでいるとき、アマンダがビッテンフェルトに問いかける。
「フリッツ、今週末は休日がとれそうだと言っていましたが、休めそうですか?」
 週末の予定を尋ねるアマンダに、ビッテンフェルトが驚いた。
(こいつが俺の仕事について訊くとは珍しいな・・・)
 普段はビッテンフェルトの方から大まかな予定を伝えるぐらいで、アマンダから仕事のスケジュールを問われる事はない。それだけに何かあるのかと気になったビッテンフェルトが訊いてみる。
「なんだアマンダ、俺の休みに何かしたいのか?」
 ビッテンフェルトの問いに、アマンダが軽く微笑みを浮かべて告げる。
「ええ、貴方が朝ゆっくりできるお休みの日を狙って、ある計画を実行したいと思いまして・・・」
「ん?・・・おいおい、俺の休みの日を狙って、いったいお前は何をしようとしているのだ?」
 思わせぶりのアマンダに、期待と不安に駆られたビッテンフェルトが問いかける。
「実は貴方の休みの前日に、ルイーゼの寝かしつけをお願いしようと考えていました」
「寝かしつけ?それは構わんが、俺の休みと何の関係があるんだ?」
 不思議に思うビッテンフェルトに、アマンダが説明する。
「その日を狙って、ルイーゼの断乳を実行しようと思います。前に<断乳するときこそ、ファーターの出番だ>っていうお話をした事があったでしょう?」
「ああ、確かに・・・。でも、今のルイーゼにはまだ早いんじゃないか?あいつから寝るときのオッパイを取り上げたら泣くだろう?」
 ビッテンフェルトの見解に、アマンダも苦笑いで頷く。
「ええ、最初は大泣きされるでしょうね。でも、ルイーゼは離乳食をよく食べるし、日中は母乳を必要としていません。今は寝る前に少し母乳を飲んでいるだけですし、思い切って断乳させてもいい時期だと思います」
「まあ、母親のお前がそう判断したのなら任せるが・・・」
「只、それを実行するとき私が傍にいては、ルイーゼはいつまで母乳を諦めきれず欲しがるでしょう。だから、その日は貴方に寝かしつけを頼んで、私はルイーゼの目に入らないようにした方が無難かと思いまして・・・。一応、一晩中泣かれてしまう事も予想して、貴方の負担にならないように、翌日が休みの日に実行するのがチャンスかと思ったのです」
「なるほど、そういう訳か・・・」
 ビッテンフェルトが納得する。
「まあ、俺としては一晩や二晩、徹夜になっても大丈夫だが・・・」
 ちょっと顔を曇らせるビッテンフェルトに、アマンダがクスツと笑う。
「目の前でルイーゼに泣かれてしまうのは、フリッツにとっては難しいミッションになりますか?」
「はは・・・」
 笑って誤魔化すビッテンフェルトに、アマンダが伝える。
「試してみなければ判りませんが、今の時期のルイーゼだと案外すんなりとオッパイの事を忘れてくれるかも知れません。あの子にもっと知恵がついてくると、却ってオッパイが忘れられずに執着して、手こずる事になるかも知れませんし・・・」
「よし、判った!今度の休みの前の晩は、俺一人でルイーゼの寝かしつけに挑戦してみよう!」
「お願いしますね」
 このときのビッテンフェルトは、(まあ、ルイーゼが泣いても、俺が頑張ってあやしてやれば、そのうち寝てくれるだろう。大丈夫さ♪)と、この挑戦を甘く見ていた。


 アマンダから依頼されたミッションの日、ビッテンフェルトは早めに帰宅して、ルイーゼと一緒にお風呂に入った。疲れさせて寝かしつけをスムーズにする為の作戦のひとつであるが、このところ忙しかったビッテンフェルトも、娘との久しぶりのバスタイムを心から楽しんでいた。
(いざ出陣!)とばかりに、パジャマに着替えたルイーゼを抱き、ビッテンフェルトが子ども部屋に向かう。
「ルイーゼ、今夜はファーターとネンネだ。絵本でも読むか?」
 そう言いながらビッテンフェルトが娘をベットに寝かせた途端、ルイーゼは母親を探すように周りを見渡した。
 いつもと違うパターンに不安そうな顔をしたかと思うと、すぐさまベソをかいて泣き出しそうになる。
(ヤバイ、もう来たか!)
 本格的に泣き出す前にと、ビッテンフェルトが娘を抱き上げ、軽く揺らしながらあやし始める。しかし、ルイーゼはアマンダを呼ぶように大声で泣き始めた。
 いくら泣いても母親が来ないことにルイーゼは怒ったのか、父親を拒否するようにのけ反ってしまい、ビッテンフェルトは娘を落とさないように何度も抱きなおす。ルイーゼの泣き声は更に大きくなり、目の前のビッテンフェルトの顔を目掛けて、(お前じゃない!)とばかりに、小さな手でパンチを繰り出す。
(何なんだ~、この抵抗は?それにこいつ、赤ん坊の癖に、とんでもなく声がでかい・・・)
 ルイーゼの声の大きさは父親譲りでビッテンフェルトが文句を言える筋合いではないのだが、甲高い赤ん坊の泣き声が耳元で響く事に彼は参ってしまった。それにルイーゼが全身で表す拒否感は、このミッションを楽観的に考えていたビッテンフェルトに、危険信号を感じさせる。
 それから暫くの間、ビッテンフェルトは泣いているルイーゼを抱いたまま、子ども部屋をウロウロと歩いていた。時折、ルイーゼがウトウトするのを見て、(しめた!)とばかりに娘を寝かせようとするのだが、ベッドにおろした途端、ルイーゼは目を覚まし、再び泣き出し、ときには暴れ始める。
 結局、このパターンを何度も繰り返していたビッテンフェルトは、ついルイーゼに訴える。
「ルイーゼ、お前は背中にセンサーでもついているのか~~」


 ビッテンフェルトとルイーゼとの攻防戦も、かなりの時間が経過した。
 ルイーゼも泣き疲れたのか攻撃的な振る舞いこそなくなったが、父親の胸に顔をうずめ、ベソ顔でしくしく泣いている。精彩を無くして泣き続けるルイーゼに、ビッテンフェルトも流石に不憫になった。
「ルイーゼ、悲しいよな~。寝る前のアマンダのオッパイは、お前にとっては心の拠り所だ。それをいきなり取られたら、理不尽に思うのも無理はない」
「ファーター・・・」
 うるうる潤んだ目のルイーゼが、ビッテンフェルトを訴えるように見つめる。あれだけ泣いた後で、声もすっかりかすれていた。
 可愛い愛娘の悲壮感漂う姿に、父親の忍耐袋の緒が切れた。
 彼はルイーゼを抱きかかえたまま、アマンダのいるリビングに飛び込んだ
「おい、アマンダ、俺はもうこれ以上、ルイーゼを泣かせるのは我慢できない。こいつにオッパイをやってくれ~~」
「あら、フリッツ、折角今まで辛抱してきたのに・・・」
 アマンダの言葉に、ビッテンフェルトが大きく首を振る。
「ダメだ!俺はもう限界だ!頼む!!」
 ビッテンフェルトは、涙と鼻水でくしゃくしゃになった娘を、アマンダに手渡した。
 ずっと探し求めていた母親を見つけて、ルイーゼの顔がパッと輝いた。小さな手でギュッとアマンダの胸にしがみ付いて、母親を確保する。そんな娘を見て(やはりアマンダでなければダメなのか・・・)と、がっくり肩を落としたビッテンフェルトであった。


 暫くしてルイーゼを寝かしつけたアマンダが、リビングに入ってきた。
「ルイーゼは寝たのか?」
 頷くアマンダを見て、ビッテンフェルトが大きなため息を付く。疲れ切った様子の夫に、アマンダが打ち明けた。
「私もルイーゼの泣き声を聞いて、母乳を飲ませたいという衝動に囚われました。でも、折角フリッツとルイーゼが頑張っているのに、私が顔を出して台無しにしてはいけないと思って・・・」
 ビッテンフェルトが改めて妻を見ると、アマンダもなんだか疲れたような顔をしている。
「そうか。随分泣かせていたから、お前も気が気でなかっただろう」
「ええ、でも泣かれるのは覚悟の上でしている事ですから、フリッツも気にしないように・・・。それに、ルイーぜの断乳に成功すれば、夜に夫婦で外出するとき、あの子を預けやすくなります。今のままですとベビーシッターに任せても、寝かしつけるたびにルイーゼが私を求めて泣いているかと思うと心配ですし・・・」
 アマンダの説明に、ビッテンフェルトがはっと気が付いた。
 それこそ結婚式を挙げる前のアマンダは、ルイーゼ優先で夜の外出は出来るだけ控えていたし、ビッテンフェルトもそれでいいと思っていた。世間はビッテンフェルトがまだ独身だと思っていたので、一人で出かけても不自然ではなかった。だが、正式に結婚式を挙げた事で、夫婦同伴に迫られる招待が増えてしまった。
「う~ん、結婚式を挙げた影響で、夫婦同伴の招待が増えたのは計算外だったな・・・」
(俺が強引に結婚式を挙げた事が、アマンダにルイーゼの断乳を決意させる原因に繋がった・・・)
 責任を感じたビッテンフェルトが、苦い顔で頭を掻いている。
「フリッツ、その事は気にしないで。断乳は早かれ遅かれ、ルイーゼが乗り越えなくてはならない成長のハードルです。それに、初日は、無事クリアしましたし・・・」
「えっ、クリア?」
「ええ、母乳なしでルイーゼは寝てくれました・・・」
「なんだ・・・そうなのか」
 何だか力が抜けたビッテンフェルトであった。
「まあ、あれだけ泣いた後だったから、ルイーゼも疲れきっていたんだろう。それに、お前の姿を見て安心したのかもしれん。あいつ、ずっとお前を探していたから・・・」
「ええ、でも、大泣きした分、ルイーゼはオッパイの事をすっかり忘れて、すぐ寝てくれました。フリッツが、ぐずるルイーゼの相手を、辛抱強くしてくれたからですよ」
 アマンダからは感謝されたが、最後にルイーゼを母親に託した事で、ビッテンフェルトはこのミッションの敗北感を味わっていた。


 翌朝、起きたビッテンフェルトが、アマンダに宣言する。
「今夜も俺がルイーゼを寝かしつける!」
 リベンジに燃えるビッテンフェルトは、その後、行きつけのベビー用品店に赴いた。
「ルイーゼを泣かせず、アマンダにも頼らず、俺一人で寝かしつける方法はないものか・・・」
 再び訪れる娘との攻防戦に供えて、ビッテンフェルトが店の中を物色する。

 おっ、寝かしつけ用の絵本も結構あるな 
 しかし、ルイーゼのあの泣き叫ぶ状態から、
 おとなしく絵本に食いつくだろうか?
 いや、もっとインパクトのある物でなければダメだ!
 それこそ、昨夜、待ち望んでいたアマンダが登場したときのように、
 あいつがオッパイの事をすっかり忘れるくらい
 強烈な印象を与えるものが必要だ!

 あれこれ悩んでいたビッテンフェルトの目に、巨大な茶色のクマのぬいぐるみが入った。
「これだ!」
 思わずビッテンフェルトが、そのぬいぐるみを手にとる。
 
 うん、この大きさだとルイーゼは驚くだろうな~
 それに肌触りも抜群だ!
 しかし、流石に高いな・・・
 いや、今、俺がケチってどうする
 作戦の成功には、多少の犠牲が伴うものだ!
 それに、万全な体制を整えて挑まないと、
 昨夜の二の舞を踏むことになる・・・

 こうしてビッテンフェルトは、秘密兵器を手に入れた。


 断乳二日目の夜、ベットで泣きそうになったルイーゼに、「今夜はクマさんとネンネだ!」と、ビッテンフェルトは用意していた秘密兵器を取り出した。
 巨大なぬいぐるみに目を丸くしたルイーゼだが、自分の隣に寝かせられたクマにすぐ興味津々になる。
 ビッテンフェルトはクマと反対側に寝ころび、ご機嫌になってぬいぐるみを触っている娘を見つめた。
 クマのぬいぐるみと父親に挟まれたルイーゼは、顔を左右にさせて、何やら話しかけてくる。まるでオッパイの事を忘れたかのようにぬいぐるみに夢中になる娘を見て、作戦が上手くいっていると気をよくするビッテンフェルトであった。
 そんなルイーゼの相手を務めながら、いつの間にかビッテンフェルトがそのまま寝入ってしまった。


「フリッツ、起きてください。もうすぐ、迎えの車が来ますよ」
 アマンダの声で、ビッテンフェルトが目を覚ました。
「あれ、俺、ここで寝てしまったのか?」
「ええ」
 ビッテンフェルトが隣を見ると、ルイーゼがクマのぬいぐるみにくっついて、気持ちよさそうに寝ている。
「アマンダ、ルイーゼは夜中に泣いたか?」
 寝落ちして夜中の記憶が全くなかったビッテンフェルトが、慌てて問いかけた。
「いいえ、ルイーゼは、クマさんとファーターに挟まれて安心したのか、ぐっすり寝てくれました」
「おう、そうか!だったら断乳二日目も成功か?」
「ええ、昨夜は私の出番はありませんでした」
「よし!」
 ビッテンフェルトが、思わずガッツポーズをとる。
「でもフリッツ、ルイーゼの寝るときのアイテムに、ファーターの添い寝が必要になってしまうのは困りますよ」
「そ、それはそうだな・・・」
 ビッテンフェルトはそう言いながらも、一瞬のうちに(ファーターじゃなければダメ~)と自分を求めて大泣きするルイーゼを妄想した。
(それはそれで悪くないな♪)などと優越感に浸って、ニンマリとするビッテンフェルトであるが、現実的に考えれば、毎晩ルイーゼと一緒というのは無理な話である。
 そんな父親の妄想を読んだのか、アマンダが苦笑いで伝える。
「ルイーゼの添い寝担当はクマのぬいぐるみにお願いして、あとは自力で寝れるように仕向けましょう」
「わ、判った・・・」
 ちょっぴり残念な気持ちになったビッテンフェルトであった。


 その日、会議を終えたビッテンフェルトは、元帥府に戻る地上車の中で考えていた。

 昨夜のルイーゼは、
 俺とクマに挟まれて寝入った
 つまり、ルイーゼにとって寝るときに
 誰かにくっついているっていう事が大事なんだ!
 初日に、抱っこしている状態から離した途端泣いたのも、
 誰もいなくなるという不安に駆られたのかも知れない・・・
 赤ん坊というものは、
 誰かとくっついている事で
 安心するって訳か・・・

 丁度そのとき、信号待ちで止まった地上車の窓から、馴染みの店のショーウィンドウがビッテンフェルトの目に入った。
 そこには、昨日購入したクマのぬいぐるみと、同じサイズの色違いが飾られていた。

 これだ!
 昨日買った茶色のクマと、あのシロクマを
 ルイーゼの両隣に寝かせれば、
 常に体がくっついて、あいつは安心する筈・・・
 
 こうしてビッテンフェルトは、秘密兵器二号を手に入れた。


 断乳三日目の夜、ビッテンフェルトの予想通り、肌触りの良い大きなクマ達に挟まれたルイーゼは、ぐずる事もなく眠りに着いた。
 スヤスヤ眠る娘を見て、(クマに居場所を取られてしまったな・・・)とぬいぐるみに少しばかり嫉妬するビッテンフェルトであった。


 翌日、仕事の帰り道、ビッテンフェルトは再びいつものご用達の店に立ち寄る。

 ルイーゼの右翼と左翼は制覇した!
 だが、念には念を入れて、
 今日は寝かしつけ用の絵本を
 何冊か買っていこう・・・

 そんなビッテンフェルトが、思わず店の前で立ち止まった。
 ショーウィンドウには昨日ビッテンフェルトが購入したシロクマの代わりに、新たに派手なオレンジ色のクマのぬいぐるみが飾られている。驚いて覗き込んでいるビッテンフェルトに、気が付いた店員が近寄ってきた。
「閣下、このクマもお気に召しましたか?」 
「あっ、いや、やけに目立つクマだな~と思って・・・」
「ええ、チョットびっくりする色でしょう。まあ、このクマはかなり個性的ですが、他にもこのシリーズには、パンダもあるんですよ。只、今、店には在庫がなくて、お取り寄せになりますので、少々お時間がかかりますが・・・」
 パンダの大きなぬいぐるみもあると勧める店員に、ビッテンフェルトは手を左右に振って答える。
「このサイズのぬいぐるみは、二匹も買ったんだ。置くところにも困るし、もう充分だよ。それに今日は、絵本を買いに来たんだ♪」
 そう告げるとビッテンフェルトは店内に入っていった。ビッテンフェルトに従って後ろを歩く店員も(まあ、そうだろうな。値が張るこの手のぬいぐるみを、この御仁は二日続けて買ったんだ。それにしたって、こんな変な色のクマは誰も買わないだろう)と考えていた。
 実は、このオレンジ色のクマのぬいぐるみは、このシリーズを作ったメーカーの試作品として作られたものである。その際、色指定の手違いがあり、出来上がった試作品は、皆が驚く色のぬいぐるみになってしまった。只、素材は高級のものを使用していたので、処分も出来ずにいたらしい。そんな訳ありのぬいぐるみが、この店の在庫用の部屋に長年置かれている理由は、古株の店員すら知らなかった。
 滅多に売れないビックサイズのぬいぐるみが、昨日、一昨日と立て続けに売れてなくなったので、店側はメーカーに同じ商品を発注した。そして、とりあえずそれらの商品が来るまでの繋ぎとして、同じサイズのこのオレンジ色のクマが、倉庫から出されショーウィンドウに飾られたのである。
 店員としても、半分遊び心もあって置いただけに、まさか売れるとは思っていない。
 そんな店の内情を知らないビッテンフェルトは、絵本を選びながらも、先ほど見たオレンジ色のクマのぬいぐるみが、頭の中でちらついて離れなかった。

 あのクマに
 何となく親近感を持ってしまうのは、
 俺の髪と同じ色だからか?

 ビッテンフェルトは、茶色のクマとシロクマに挟まれて嬉しそうに寝ていた昨夜の娘の姿を思い出した。同じように、自分の妻があのオレンジ色のクマの隣で寝ている様子を妄想した。
 
 俺が遠征でいないとき、
 ベットでアマンダの隣に、あのクマがいたら、
 あいつは夜が来るたび、
 俺の事を思い出してくれるかも・・・
 俺の代わりと思って、あのクマにくっついて寝て欲しいと思うのは
 アマンダの心をいつも独占していたいという俺のエゴイズムか?

 ビッテンフェルトは、オレンジ色のクマをギュッと抱きしめて、不在の夫を想っているアマンダを想像して、つい表情を和ませる。
 
 
 絵本の会計を済ませ、店の外に出たビッテンフェルトは、再びショーウィンドウを見つめていた。そんな彼に、先ほどの店員が気が付いた。
(えっ、閣下がまだショーウィンドウを見ている!もしかして、あの曰く付きのくまに食いついたのか?・・・よし、在庫品を捌けるチャンス到来!)
 店員がショーウィンドの前に立っているビッテンフェルトに話しかけた。
「閣下!もしかしてこのくまも、お嬢様へのプレゼントにご検討中ですか?」
「いや、そういう訳でもないが・・・」
 苦笑いするビッテンフェルトに、微かな手ごたえを感じた店員が押してくる。
「閣下には、今までずいぶん御贔屓にしてもらっております。もし閣下がこのぬいぐるみを購入なさるのでしたら、こちらも感謝の気持ちとして、いろいろサービスさせて頂きますがどうでしょう?」
「いやいや、折角だが、今日はこの絵本だけでいい!」
 ビッテンフェルトが買ったばかりの絵本が入っている袋を店員に見せる。
「・・・そうですか」
 一応引き下がる様子を見せながらも店員は(フェザーン商人の名にかけても、食いついた客は逃さない!)とばかりに、ビッテンフェルトにある情報を伝える。
「実はこの色のくまは量産化されていない分、数が少ないのです。だから、こうして店頭に出るのも稀なんですよ」
 店員は、このぬいぐるみが失敗した試作品だった事はおくびにも出さず、レアなぬいぐるみだと力説する。
「うん、確かにこんな色のクマは珍しい・・・」
 ビッテンフェルトの頷きに、店員も(よし、あの在庫部屋の主となっているこいつを売りつける絶好のチャンス。逃さないぞ!)と更に踏み込む。
「閣下、ここだけの話、このくまを三割・・・いえ五割引きに致します!どうでしょう?」
 耳元で囁くように告げる店員に、驚いたビッテンフェルトが思わず訊き返す。
「五割?それは、半額って事か。・・・いいのか?」
「閣下は、我が店の大事なお得意さまです!これは、閣下だけの特別サービスです!」
 目配せして頷く店員が、(もう、ひと押し!)とばかりに、にこやかな笑顔でビッテンフェルトに迫まった。
 このぬいぐるみが在庫処分と知らないビッテンフェルトは、店員の熱意を好意的に受け止める。

 店員に、ここまでの心意気を見せられたんだ
 俺がクマを買わなくては、男が廃る!

 決意したビッテンフェルトは、予想外に秘密兵器三号を手に入れた。


 断乳四日目の夜、ビッテンフェルトが帰宅したとき、ルイーゼはもう眠りに着いていた。彼は子ども部屋で、クマたちに挟まれた娘の寝顔を見つめる。
「残念ながら、三匹目のクマの出番はなかったですね」
 後ろから聞こえたアマンダの声に、ビッテンフェルトが慌てた。

 同じぬいぐるみを三個も買ってきたのは
 やっぱりマズかったな・・・
 あいつら、やたらデカいし、値段も張っていた
 アマンダ的にはアウトだろうなぁ・・・  

 妻の反応が気になるビッテンフェルトに、アマンダが諭すように声をかける。
「フリッツ、今回のルイーゼの寝かしつけは私が頼んだ事ですし、いろいろ考えてぬいぐるみを購入した事は判るのですが・・・」
(やはり、やり過ぎだと思っている・・・)と妻の次の言葉を予想したビッテンフェルトが、遮るように言い訳をする。
「あのな、俺もぬいぐるみは、二匹で充分だとは思ったんだ。だが、このクマを見た途端、何だかその~、やけに親近感が沸いてしまってな~。特に、この色のクマは量産化されていない分、店頭に並ぶのは珍しいって店員が勧めるもんだから、つい・・・」
 そう言いながらビッテンフェルトは、クマのぬいぐるみを袋から取り出しアマンダに見せた。
 独創的な色のクマに、アマンダが思わず息を飲んだ。派手なオレンジ色のクマのぬいぐるみは、ルイーゼの両隣で寝ているクマ達と同じ大きさなのだが、その威圧感は半端なかった。
 驚いて無言になったアマンダに、(やっぱり、無駄な買い物だと怒っている・・・)とビッテンフェルトが勘違いする。
 焦ったビッテンフェルトは「実は、買うとき、違う理由もあってな・・・」と打ち明け始めた。アマンダはそんな夫を改めて見つめる。
「あのな・・・以前、遠征で宇宙に行く前に、お前、俺に家族写真を持たせた事があっただろう。離れても一日に一度は写真を見て自分たちの事を思い出して欲しいって・・・。それと同じ事を考えたんだ。俺が遠征とか軍務でいないときに、ベットで隣にいるこのクマを見れば、お前、俺の事を想ってくれるかなぁ~って・・・。だから、このクマはルイーゼ用というより、お前のそばに置いて貰いたくて買ったんだ」
 照れくさそうに視線を逸らして本音を告げる夫に、アマンダが微笑んだ。
「確かに、このオレンジ色のクマは、存在感もあって貴方によく似ています」
「だろう♪」
 ほっとした様子のビッテンフェルトが、やっとアマンダと目を合わせる。
「・・・まあ、妻へのプレゼントが、このぬいぐるみっていうのもセンスがないが・・・」
 ビッテンフェルトが苦笑いしながら、持っていたオレンジ色のクマをアマンダに差し出した。
 受け取ったアマンダが、自分の胸にプレゼントのぬいぐるみを抱きよせて告げる。
「このクマは、貴方の身代わりなので、ルイーゼには『ファーター』と呼ばせましょう。そして私は・・・このクマを『フリッツ』と呼ぶことにします」
 少し恥ずかしそうにしているアマンダを、ビッテンフェルトが背中から包みこむように抱きしめた。そして、耳元でそっと囁く。
「俺が遠征でいないときでも、このクマのフリッツがいる。俺の代わりにお前達を見守るよ」
 オレンジ色の大きなクマのぬいぐるみと、同じオレンジ色の髪のビッテンフェルトに挟まれたアマンダが、幸せそうに微笑んでいた。


<END>


≪おまけ≫
ビッテンフェルトは、オレンジ色のクマのぬいぐるみを半額で購入した事は、アマンダには伝えなかった。
値引き品を妻へのプレゼントにしたのでは恰好が付かないし、何より自分の身代わりが安売りされた事は、自分自身の矜持にかかわると考えたからである。


~あとがき~
過去に書いた小説<グロスファーターの心理(お祝い)>で、初孫テオが生まれたとき、ビッテンが婿のアルフォンスに、アマンダの思い出を話すシーンがあります。
この小説は、その一部を膨らませて書きました。
時代は、<デキ婚から始まった恋愛>の後で、<亜麻色の子守唄>の前になります。

普通の小説では、過去の話が伏線となって未来の話に出てくるものです。
しかし、我が家は先に未来が先行してしまったので、未来の時代で交わされた会話が、今書いている<デキ婚から始まった恋愛>や<ファーターの心理>の種になっているという逆のパターンが多いです(笑)

最初はぎこちなかったビッテンとアマンダの関係ですが、お互い慣れて夫婦として自然体で過ごせるようになりました。
恋愛経験の乏しいビッテンが、愛する妻と愛娘を得て、夫として父親として自信がつき、わが世の春を謳歌するかのように一番調子に乗っていた時期ですね(笑)
アマンダに対する想いも<自分はどう想われているか?>という気がかりから、<いつも自分の事を想って欲しい!>という甘えに変わってきました(^^)
尚、ビッテン御用達のベビー用品店では、彼はお得意さま(いいカモ)だったようです(笑)