ファーターの心理(雛祭り)

「ただいま!」  
 ビッテンフェルトの家中に響く声に反応して、歩行器にまたがっているルイーゼが、玄関に向かって猛進する。満面の笑みを浮かべて突進してくる娘を、軍服姿の父親は、部下には見せられないような甘い顔で受け止める。
 女性に縁が無いと思われていた黒色槍騎兵艦隊司令官の突然の結婚に、周囲は大いに驚いた。しかも子供までいたという話に、僚友達や麾下の幕僚達までも耳を疑った。だが、目の前に現れた娘に一番驚いたのは、ビッテンフェルト本人だったのだから、周りの反応も仕方ない事だろう。
 父親と同じ色の髪と瞳を持つ娘ルイーゼの存在は、意図せず父親になったビッテンフェルトをすっかり有頂天にさせてしまった。可愛くて仕方のない様子は、今や黒色槍騎兵艦隊のみならず軍全体に知れ渡っている。
 現在、可愛い盛りのルイーゼは、父親が買ってきた歩行器をすっかり気に入ってしまい、自由自在に操り毎日家中を暴走して母親のアマンダの手を焼かせている。


 ある日、リビングでくつろぐビッテンフェルトは、暖炉の上に置かれていた一対の人形とその周りの細々した飾りに気が付いた。
「これは何だ?」
 ビッテンフェルトがアマンダに問いかける。
「実は、昔のある風習に、女の子の幸せを願う桃の節句というものがあるのです。その為の人形をちょっと飾ってみました。できれば2週間ぐらい、ここに飾りたいのですけれど・・・」
 見かけない衣装を着ているおもしろい髪型の人形と多数の付属品を見て、不思議な顔をしているビッテンフェルトに、アマンダが説明する。
「人類が地球にいた頃の古い言い伝えで、女の子が生まれた家では毎年三月三日に向けて、娘の健康と幸福を願い人形を飾っていたそうなんです。その人形をお雛様と言い、色々な種類があるのだけど、うちは飾るスペースを考えて夫婦雛にしてみました。ルイーゼの為と言うより、どちらかと言えば親の私の自己満足の為かも知れませんが・・・」
 アマンダが苦笑する。
「ふ~ん、そんな習慣があるなんて知らなかったな~」
「大昔の行事で、あまり知られていませんから・・・。もし気になるようでしたら、この人形はリビングには飾らず、子供部屋に移しますが・・・」
 見たことの無い人形に違和感を感じている様子のビッテンフェルトに、アマンダが気兼ねしてそっと尋ねた。
「いや、別に構わない。どうせ暫くの間だけ飾るだけなんだろう?ルイーゼの幸せの為のおまじないだと思えばいいさ!」
 そう答えたビッテンフェルトだが、彼は目の前の雛人形の存在よりも、アマンダがこのような事をした方に驚いていた。
 アマンダは、あのオーベルシュタインが自分の秘書官として部下にしていただけのことはあり、何事にも手際が良く器用に無駄なく行動する。軍務省出身の影響なのか徹底した現実かつ合理的主義者で、こんな迷信めいたことをするとは思わなかったのだ。
 ルイーゼの数多い玩具やぬいぐるみ、リボンとフリルに囲まれた可愛らしい洋服、様々なベビー用品は、全てビッテンフェルトが買ってきたものだ。アマンダは実用性のあるものを最小限購入するといった具合に、余計なものは決して買わない。
「欲しいものは、どんどん買っていいぞ!」
 何事にもシンプルに暮らす妻に、ビッテンフェルトは何度か言った事がある。その度、アマンダは微笑んで了承するが、あれこれ買った様子は見当たらない。
(一緒に暮らし始めて半年、まだ俺に遠慮しているのかも・・・)
 そんなふうにも考えていたビッテンフェルトである。それだけに、アマンダが実用性の欠ける人形を購入して、リビングに飾っているということが意外だったが、同時に嬉しさを感じていた。
(この家に、俺との生活にだんだん溶け込んで来ている・・・)
 人形一つの些細な事と自覚しながらも、ビッテンフェルトの中で安心感が沸き起こり思わず微笑む。
 ふと、足下にじゃれついて父親に抱っこを要求しているルイーゼに気が付いた。ビッテンフェルトが娘を抱きかかえると、赤ん坊独特の優しい香りと感触に包まれる。父親のオレンジ色の髪を引っ張って無邪気に遊ぶ娘と、夕食の支度をしているクリーム色の髪と蒼色の瞳を持つ妻を、ビッテンフェルトは交互に見つめた。そして、平凡だが家族と過ごせる幸せに感謝するのであった


 明くる日ミュラーは、執務室まで自分を迎えに来たビッテンフェルトと共に、<海鷲>に顔を出した。
 偶然、先客にミッターマイヤーとメックリンガーがいた。
 お互い忙しく、このメンバーで<海鷲>で酒を交わすのも久しぶりである。
「ミュラー、桃の節句という行事を知っているか?」
「何ですか?それ!」
「俺もよく知らないのだが、アマンダが女の子の幸せを願う習慣だと言って、訳のわからん人形を家に飾っている」
「へぇー、珍しいですね。あの奥方がそんなことをするなんて」
「だろう!」
 何度か一家と食事をしたり、ビッテンフェルトにいろいろと聞かされて、アマンダの為人を理解してきたミュラーにも意外に感じた。
 ミュラーはこの夫婦を、出会いからずっと見守ってきた。ハイネセンでの殴打事件の際、ビッテンフェルトはアマンダに「顔に傷が残ったら、俺が嫁に貰ってやる!」と言って謝っていたが、まさか本当にこんな未来があるとは、言った本人も、言われた相手も、その場にいたミュラーにも予想出来なかったことである。
 勿論、アマンダの顔に傷が残った訳ではないが、運命はビッテンフェルトに味方して、ルイーゼという絆を二人に与えた。
 そして今、アマンダは娘のルイーゼと共に、ビッテンフェルトの家族となっている。
 すぐ頭に血が上るビッテンフェルトと冷静なアマンダ。何事も大げさにしてしまう黒色槍騎兵の司令官と、合理的で無駄のない軍務省の元秘書官。性格的には全く合いそうにもない二人が、夫婦としてうまくいっているのだから不思議なものである。尤も、二人を繋いでいる娘のルイーゼの存在も欠かせないのだろうが・・・。


「桃の節句とは古風な伝統ですな」
「おお!卿は桃の節句を知っているのか!さすが年の功だな」
 一言多いビッテンフェルトだが、メックリンガーはいつもの事と気にせず話を続ける。
「女の子の健やかな成長と健康を願う古い風習ですよ。正式のものになると階段のような舞台に何種類もの人形や大量の道具を飾り、三月三日に雛祭りという催しを行うのだそうです。昔は、その女の子に掛かる災難や病気などは、雛人形が身代わりになってくれると信じられていたようですよ」
「ふ~ん、そんな意味合いもあるのか」
「きっと奥方もルイーゼが可愛いくてしょうがないんですね。提督ほど大げさにしませんけど、こんな事で判りますね」
「そうだな・・・」
「それは女の子だけの行事なのだろう。男の子の方はどうするのかな?」
 フェリックスという男の子を持つミッターマイヤーが尋ねた。
「男の子には、五月五日に端午の節句というものがありますよ。古式の鎧や兜を飾ったり、家の外に鯉のぼりといって鯉をモチーフにした旗を掲げるそうです。これも男の子の成長と健康を願うものです。尤も魚の形の旗というのもなにか変な感じですが・・・」
 知識が豊富で芸術家でもあるメックリンガーだが、鯉のぼりというものは理解出来ないらしい。
「五月五日か。よし!エヴァに教えて、うちもフェリックスの為やって見ようかな」
 ミッターマイヤーの言葉に、ビッテンフェルトも張り切った。
「男の子用もあるんだ。では、そっちの飾り物も用意しておかなくては!」
 このビッテンフェルトの言葉に他の三人は、彼の方に視線を移して注目した。
「ん、何だ!みんな、どうして俺を見ているんだ?」
 ミュラーが少し遠慮がちに尋ねる。
「あの~、お二人目が出来たんですか?」
「いや、準備しておこうと思っただけだ」
「・・・・・・」  
 周りが呆れてしまった。
「はは!ビッテンフェルトらしいな。でも、あまり先走ると奥方のプレッシャーになってしまうぞ」
 ミッターマイヤーが笑いながら諭す。
「そうか」
 照れながら頭をかくビッテンフェルトを見て、ミュラーとメックリンガーは目を合わせて笑った。
「いつの時代も、子を思う親の心というのは変わらないものですね」
「ほう、ミュラー、卿に親の気持ちがわかるのなら、いつ子供が出来てもいいな~」
 独身のミュラーの言葉に、ビッテンフェルトが冷やかす。
「相手もいないのに、どうやって子供が出来るんですか?もう・・・」
「おや~♪、まだ見つけていないのかな~♪」
「虐めないで下さい!提督」
 いつもの漫才のようなやりとりが始まり、<海鷲>の夜は更けていった。


 三月に入ってからビッテンフェルトの執務室は、桃の花の香りに包まれていた。雛祭りには桃の花が添えられるものだとメックリンガーに教えられたビッテンフェルトが、花屋に注文したのである。
 しかし、あまりにも大量で自宅だけでは収まりきれず、この部屋まで桃の花で飾る事になってしまったのだ。どうしてもルイーゼの事となると、大げさにしてしまうビッテンフェルトである。
 三月三日、ミュラーは帰り際をビッテンフェルトに捕まり、強引に自宅に誘われた。
 玄関の父親の声に反応して、突撃してきたルイーゼの歩行器ごとの体当たりを、ミュラーは向こう脛にまともに食らってしまった。横にいて「してやったり♪」という表情のビッテンフェルトに、ミュラーは涙目で訴えた。
「知ってたんですね!全く・・・。ルイーゼはこの間まで可愛らしいハイハイで出迎えてくれたじゃないですか?」
「子供は成長するんだよ!」
 笑うビッテンフェルトと愛嬌たっぷりのルイーゼの笑顔に、ミュラーも痛さを忘れてつい微笑む。だが、心の中で(さすがビッテンフェルト提督の遺伝子を持つ子ども!油断は禁物だ・・・)と誓っていた。
「これが噂のお雛様ですね。可愛らしいじゃありませんか。何となく風情もあるし・・・」
 桃の花の香りが漂う部屋に飾られたお雛様を見て、ミュラーは気に入った様子である。
 この日のビッテンフェルト家の夕食は、デザートに白、赤、緑の三色の層を持つケーキが出され、ルイーゼの初節句を祝うささやかな雛祭りとなった。
 お気に入りのミュラーと久し振りに遊んで、ルイーゼはすっかり上機嫌だった。楽しいひとときを過ごし帰宅しようとするミュラーを見て、ルイーゼは泣き出してしまった。
「眠くなるとぐずるんです。気にしないで」
 困った顔をして戸惑うミュラーに、アマンダはそう言って見送った。


 ルイーゼをようやく寝かし付けて、アマンダがリビングに戻った頃、時計の針は十一時半を少し過ぎていた。
「さてと、このお人形は今日中に片付けてしまわないと!ルイーゼの結婚が遅くならないように・・・」
「ルイーゼの結婚!何だ、それ?」
 アマンダの呟きが、ビッテンフェルトに聞こえたらしい。
「お雛様は早く飾るのは別に構わないらしいけど、三月三日を過ぎて飾っていると、その家の女の子はお嫁に行くのが遅くなってしまうという言い伝えがあるそうです」
「ぶっ!わははは!まだおむつの世話になっているルイーゼの結婚のことなんて、よく考えられるな~」
 ビッテンフェルトは呆れながら豪快に笑っていた。
「確かに・・・」
(ルイーゼの結婚なんてずっと先の話の事だ。フリッツが笑うのも無理もない。でも、季節ものの人形だし収納するきっかけにもなるから)と、アマンダは自分を納得させて、お雛様を片付け始めた。
 人形自体は二体だけなのだが細々した道具類に手間取り、片づけを終えたのは十二時少し前だった。
 何とか日付が変わる前に片付ようと夢中になっていたアマンダは、ビッテンフェルトが何か考え込みながら、作業を見つめていたことに気が付かなかった。


 翌日の朝、いつものように朝食の用意をしていたアマンダは、ふと暖炉の上のお雛様に気がついた。
「!!!」
 昨夜、片づけて収納した筈なのに、なぜか整然と飾られている。
(夜中にフリッツが、何やらガサゴソとやっていたのはこれか・・・)
 アマンダは真夜中のビッテンフェルトの怪しげな行動を思い出した。
(よくあの大きな手で、このミニチュアサイズのお膳や道具類を並べられたものだ)と感心したが、その姿を想像するとなんだか可笑しくなった。
 ルイーゼを抱っこしたぼさぼさ頭のビッテンフェルトが、リビングに姿を見せた。ベビーチェアにルイーゼを座らせると、自分も食卓に着く。
 アマンダは、朝から食欲旺盛なビッテンフェルトとルイーゼの離乳食に振り回される。二人とも雛人形の事は話題にしない。


 出勤の時間になり、迎えにきた車に乗り込む際、ビッテンフェルトは照れくささをすました顔で誤魔化し、アマンダに伝えた。
「あの雛人形は気に入ったので、ずっと飾って置くように!」
 アマンダは頷き、小さな手を振ってバイバイをするルイーゼと共に車を見送った。
 外は春の気配を感じさせる暖かさで、庭にはクロッカスの花が咲き始めていた。
「ルイーゼ、あなたが年頃になって好きな男性が出来たら、ファーターは大変ね・・・」
 母は、抱いているオレンジ色の柔らかい髪と薄茶色のつぶらな瞳を持つ娘に語りかけた。


 その頃、走る車の後部座席で、娘と同じ色の髪と瞳を持つ父のビッテンフェルトは呟いた。
「どんな男にもルイーゼは渡さん。ずっと俺のそばに置くんだ!嫁になんぞやるものか!」
 父親の複雑な心理によって、真夜中に飾られた涼しげな微笑みのお雛様は、季節を問わすにビッテンフェルト家のリビングで、ルイーゼの成長を見守る事になった。


<END>


~あとがき~
この小説は、処女作「アルカイック・スマイル」の続編として書いた小説で、当時お世話になっていたあきさんのサイトで、「お雛様・スマイル」というタイトルで公開させてもらっていました。
その頃、私はまだ自分のサイトを立ち上げていませんでした。
自身のサイト「銀世界」を立ち上げたのが2004年ですので、本当に昔の事になります。
当サイトに「アルカイック・スマイル」と共に初めから置いてあった小説ですが、ビッテンの若返りに伴いリメイクして再登場となりました!

娘にメロメロのビッテンと、当時は独身でなにかと振り回されるミュラーさんのコンビは相変わらずです。
ビッテンの複雑な父親の心理が、結果として真夜中の怪しげな行動に繋がりました(笑)
このときアマンダが予言したとおり、ルイーゼの恋愛、結婚では、ビッテンは冷静でいられなくなりました~(^^)
詳しくは、小説「初恋」「花嫁の父」をご覧くださいマセ~