幸せな苦悩

彼はいつもは厳しく先を見据える視線を伏せ、握り締めたグラスを見つめていた。
薄暗いバーのカウンターで考え込むように、重いため息をつく。

「ロイエンタール元帥、こんな時間にいかがされました?」

物思いに耽るロイエンタールに遠慮がちに声を掛けるのは、帝国を支える重臣として軍籍の最高位『元帥』となり、先日同じ元帥中ただ一人の女性、ヴェルヘルミネ・グレンシェルツとの結婚を果たしたミュラーであった。

「卿か…。新婚の夫がこんな所で何をしている?奥方が待ち草臥れているのではないのか?」

ミュラーに僅かに視線を転じたロイエンタールは、そう言ったきり興味は無いとばかりにグラスに視線を戻す。

「お忘れですか?彼女は2週間の予定で視察にでていますよ。元帥こそフラウとフェリックスが待っているんじゃないですか?」

言って隣のスツールに腰を下ろすと、それまでは見下ろす体勢の為に見る事のなかったロイエンタールの悲壮な表情が見て取れた。

「げ・・元帥?」

驚愕の表情を隠し、空いたグラスにブランデーを注ぎ足す。

「元帥、私ではたいしたお役には立てないとは思いますが、お話をお聞きするくらいの事は出来ると思います。憂さ晴らしのお積りでお話になってみては?」
「憂さ晴らしか…。そうだな」

らしくも無く、小さくだが、滑らかに語りだした話は人事であれば笑い話でしかない。だが、当人にしてみれば切実な問題であり、経験のあるものには涙を誘う話であった。

ロイエンタールは近年帝国を不安に陥れた『双璧の争覇戦』後、暫くの休養の後数多の誤解と陰謀が交錯したとして、皇帝ラインハルトから特赦を与えられ現役復帰に至った。
皇帝の言葉に誰もが驚くと共に胸を撫で下ろしたが、それ以上に人々を驚かせたことが、ロイエンタール復帰の数週間前に帝国全土を席巻した。
争覇戦の元凶ともなった、エルフリーデ・フォン・コールラウシュとの結婚。子フェリックスの認知であった。
新たなロイエンタール家にはすでにロイエンタールの母・レオノラが女主人として移り住んでいた。
そこに、新たな女主人として跡継ぎとなるフェリックスを抱いたエルフリーデが現れたのである。
自己主張の強い二人、方や金と爵位の婚姻としてロイエンタール家に嫁いだ女。
片や旧帝国時代、国務尚書の血族として社交界の中心にいた女。
虚栄心とプライド、そして階級意識の強い二人の衝突は日々耐える事がなかった。
だが、共通の敵を発見、捕捉した時の団結力たるや並々ならないものがあった。

「先日もだ…。エルフリーデがパーティー用のドレスを注文した。そこに母上が現れて、意見を述べ始めた。いや、意見ではなく言い掛かりだったんだが・・・。」
それからとうとうと語りだしたロイエンタールに、ミュラーも頭を抱える事になった。

延々と語り続けるロイエンタール。
彼を止める事を諦めたミュラーは、頭の中でロイエンタール家の家庭事情を整理していた。
二人の言い争いに幼いフェリックスが怯えるので、ロイエンタールが嫌々諌めに入ると、今度は二人の敵はお互いではなく、ロイエンタールとなる。
それからほうほうの体で逃げ出す。
その際に我が子を保護する事は忘れないあたり、ロイエンタールも立派に父親になっていると言うことだろう。

『つまりは世に言う嫁姑問題って事か?まぁ、あのお二方は傍目から見てもそっくりだからな…。ロイエンタール元帥はもしかして、と言うよりもしかしなくても…』

ミュラーは咽喉元まで出掛かった単語をすんでの所で飲み込んだ。

『笑い事じゃないが笑いたい…。どうしたらいいんだ!この人は、漁色家などと言われて男達の羨望と嫉妬の眼差しを独り占めしていたのに!!女などいつもとっかえひっかえして、冷笑癖があって…』

大笑いしない様にと必死になって口元を歪めているが、目元にうっすら浮かんだ涙は如何ともしがたい。

「元帥…。私には何と申し上げて良いのか分からないのですが、暫く静観してみては如何です?元帥がお気になさるから、母上も奥方もエスカレートするのではありませんか?」
「卿はそう言うがな、疲れを癒す為の家の中で戦場よりも恐ろしい戦いが繰り広げられているのだぞ?気がつかない振りなど出来ると思うか…?」

以前のロイエンタールからは想像すらも出来ない、弱音。
さらにミュラーが口を開こうとした瞬間、店の扉が勢いよく押し開かれた。

「お前はこんな所にいたのね!」

そこにはフェリックスを連れたエルフリーデ。
クリーム色の髪を靡かせ、子供を産んだとは信じ難いほど細くしなやかな身体を、美しいドレスに包んでいる。

「エルフリーデ!何故ここにいる?こんな時間にフェリックスを連れ歩いていい訳がなかろう!!」
「ならば、お前の母を何とかしなさい。事在る毎に私の行動に首を突っ込んでくる。私がお前と結婚までして上げたと言う事に感謝する事もない。許される訳がないでしょう?」

傍から聞いていると、恐ろしく傲慢な言い様。
だが、旧帝国時代の人間からすると、帝国騎士の階級の者と彼女の様な大貴族に連なる者では身分が全く違う。
帝国騎士階級のロイエンタールがエルフリーデと結婚し、子まで成したのだ。
昔であれば、男は女に傅いていたであろう。
それこそ、ロイエンタールの父と母の関係のように。

呆然と二人の会話に耳を傾けていたミュラーは、口を挟む隙も余地も与えられないまま、二人が退場するのを見送った。
これからまた、ロイエンタール家では激しい、血で血を洗う戦闘が繰り広げられるのだろう。そう思うと、ミュラーはロイエンタールが哀れでならなかった。
それと共に、自分の妻と母の関係が良好である事を大神オーディンに感謝した。

『今日は早めに帰ろう。そろそろ彼女が寄港するから、迎える準備をしなければ…』

一人、溜息をつきグラスを乾した。
その後ミュラーは、ロイエンタール家の仁義無き戦いを忘れる事が出来ず、帰ってきた妻にも態度がおかし過ぎると浮気の疑いまで掛けられる羽目になった。合唱。


「Yggdrasill」様の11111のキリ番を踏んだ際、絢さんにリクエストした「ロイエル」です。
しかも、ロイエンタールの母親が生きているということにして、ロイエンタールと結婚したエルフリーデお嬢様との<嫁姑関係>が成り立つという設定にして欲しいという我が儘なおねだり・・・(A^^;)
難しい設定なのに、こんな素敵なお話にして下さった絢さんに感謝!
ロイエンタールの「疲れを癒す為の家の中で、戦場より恐ろしい戦いが・・・」という台詞が最高です!(笑)
絢さん、楽しいお話ありがとうございました!