腐れ縁

 赤ん坊であったローエングラム王朝の二代皇帝アレクサンデル・ジークフリードが即位してから、もう二十年以上の月日が流れた。
 皇帝も無事成人し、先日、めでたく世紀の結婚式を済ませた。大恋愛の末、念願の恋人と結ばれたアレクは、今、最も幸せな時期を過ごしている。そして、そのアレクの後を追うように、臣下の祝い事も続いた。
 ワーレン元帥の息子アルフォンスと、ビッテンフェルト元帥の娘ルイーゼの婚約もその一つであった。



 ビッテンフェルトからの誘いで、指定された場所と約束の時間に来ているワーレンが一人で飲んでいる。一杯目の水割りが残り半分になった頃、ようやくビッテンフェルトが現れた。
「悪い、悪い!待たせたな!」
「いや、こっちは勝手にやっている・・・」
 ビッテンフェルトとワーレンが飲むときは、大抵このパターンから始まる。ただいつもと少し違うのは、子供同士の婚約が決まって、もうじき二人は新郎新婦の父親同士という間柄になるということだろう。
「花嫁側は、いろいろ忙しいだろ?」
「いや、男親の俺は出る幕がないよ。母親がいない分、エリスやミーネが張り切っているが・・・」
 彼らの妻は、それぞれ子供を残してヴァルハラに旅立った。妻に先立たれた二人は、その後再婚もせず、男手一つで子供達を育ててきたのだ。
 ビッテンフェルトが呼び捨てにしたエリスとはミュラー元帥夫人の事で、ミーネは長年ビッテンフェル家に仕えている家政婦である。
 ミュラー夫人のエリスは、娘時代ビッテンフェルト家に下宿していた。そのせいもあってビッテンフェルトと親しいミュラーと出会い、縁合って結ばれたのだ。ビッテンフェルトの娘達にとってエリスは姉のような存在になっているし、ビッテンフェルト家とミュラー家は家族同様のつき合いが続いている。
 赤ん坊の頃から知っているルイーゼの花嫁姿を、誰よりも楽しみにしているエリスにとって、彼女の結婚には随分力が入るらしい。エリスと同じ頃、ビッテンフェルト家に住み始めたミーネ共々、母親代わりとばかりにルイーゼの結婚の支度に余念がない。
「意外とすんなり婚約まで事が進んだな~。お前、もっとごねるかと思ったのに・・・」
「なんだかなぁ・・・。今になってお前の息子に、娘をあっさりと渡し過ぎた気がしてきているんだ。もう少し勿体ぶればよかったよ」
「はは、今更なに言っているんだ・・・」
 そう言いながら、ワーレンは一種の不安を感じた。
(やばい!この手の話を下手にするとやぶへび状態になって、ビッテンフェルトがこの結婚に無理難題を言い始める可能性がある・・・)
 これまでのつき合いからビッテンフェルトの性格を見抜いているワーレンは、さり気なく話題を変えることにした。
 ビッテンフェルトの家族愛の強さは有名であった。特に娘達に対する溺愛振りと極端な行動は、いつも兵士達の格好の話題となっている。『あのビッテンフェルト元帥が、娘を簡単に手放す筈がない・・・』という噂は、婚約者の父であるワーレンも耳にしている。そんな訳で彼は少し慎重にもなっていた。
「しかし、お前とは士官学校時代から縁があると思っていたが、これで一生ものだな」
「全く、あの頃は、こんな未来があるなんて想像も付かなかったよ」
 長年同僚としてローエングラム王朝に尽くしてきた二人は、士官学校の同期仲間でもある。二人だけで飲むとき、必ず話題になってしまう学生時代の思い出が、また酒の肴になる。
「お前がうち立てた士官学校入学一週間目での停学処分者というスピード記録は、まだ破られてはいないそうだぞ。この記録は、永遠に残りそうだな」
「はは、今となれば笑い話さ・・・」
 一瞬にして二人の心は、学生時代に遡る。





 ビッテンフェルトとワーレンが士官学校に入学して一週間目に、その事件は起こった。
 新一年生の教室は、知り合って間もない級友達とのぎこちない会話で、初々しい空気が流れていた。そんな教室の休み時間に、二、三年生らしき上級生が数名、ぞろぞろと入り込んできた。
 何か獲物を探しているような目つきに不快感を感じながらも、ビッテンフェルトとワーレンは周囲と同じように様子を伺っていた。
「いたいた、奴だ!左右の色が違う珍しい目を持つ一年生は!」
「ほう、間近で見ようぜ」
 そのグループが、金銀妖瞳の目を持つロイエンタールを取り囲んだ。
「これって生まれつきだろう?どうしたら、こんなふうになるんだ~」
 にやにやしながら自分の容姿をからかう上級生達を、ロイエンタールは黙って無視していた。相手は、ロイエンタールに反応がないのが面白くないらしく、浴びせる言葉もどんどんエスカレートしていた。
「平然としているなんて、可愛げのない奴だな・・・」
「こんな色の目になったのは、母親がお前を仕込む時、蒼い目の男と黒い目の男に交互に抱かれたんじゃないのか」
 上級生達のいやらしい笑いの中、自分の母親にまで及ぶこの侮辱に、ロイエンタールの顔つきが変わった。と、同時にビッテンフェルトがロイエンタールの前に出てきて、この上級生を押し倒した。
 その勢いで、上級生は尻餅をついたような格好で、床に座り込んだ。興奮しているビッテンフェルトの肩を押さえながら、ロイエンタールは彼に伝えた。
「やめろ!こんな奴に構うな!俺は、目の事をいろいろ言われるのには慣れている」
 ビッテンフェルトがロイエンタールに何か言いかけたとき、倒した相手が横から殴り掛かってきた。ビッテンフェルトは、つい反射的に手が出て顔面に思いっきりパンチを入れてしまった。そして、大声で怒鳴った。
「お前がそんな事に慣れる必要はないんだ!」
 ビッテンフェルトが叫んだ言葉は、殴って倒した上級生にではなく、目の前のロイエンタールに対してであった。
 その後、騒ぎを聞きつけて駆け付けた学生達で、辺りは騒然となってきた。上級生達は、のびた仲間をそのままにして、こそこそと退散していた。


 今回やって来た上級生達は、素行の悪さから学校側も目を付けているグループの者達であった。今までも弱い立場の人間に対し虐めを繰り返し、他の生徒達からは全く相手にされずむしろ軽蔑されていた。いわゆるはみ出しグループに属し、これまでも数多くのトラブルを巻き起こしている。
 平民であればとっくの昔に退学になっている筈だが、何か事があるたびに貴族出身を持ち出し、地位やコネを利用して処分を間逃れている。
 彼らの事をよく知らない入学したての一年生が、今回標的になっていた。彼らは集団でわざわざ一年の教室に出向き、陰湿な言葉でからかったり脅かしたりして、自分たちの力を誇示していた。入ったばかりの新入生がこの時期に上級生に刃向かうことはしないし、おいそれと反抗も出来ない。それをいいことに、無抵抗な相手に言葉の暴力を繰り返して楽しんでいるのである。
 学校側はビッテンフェルトが上級生を殴った事件について、両者から言い分を訊いた。上級生は「何もしていないのに殴られた」と被害者であることを訴えていたが、ビッテンフェルトはそれに対してなんの申し開きもしなかった。
 「何故、一年生の教室にいたのか?」という自分に不利な質問には、言葉を濁していた上級生に、教官達も普段の彼らの行動から何かがあったと推察した。だが結果だけを見れば、上級生は負傷したのに対しビッテンフェルトは無傷であった。結局、上級生の言い分だけが受け入れられ、終始無言であったビッテンフェルトは処分待ちとなった。


「ビッテンフェルトの奴、入学を取り消されるらしい・・・」
 その情報がもたらされたのは、その日の放課後であった。しかもビッテンフェルトだけが処分という片手落ちの処罰に、一年生全体に不満と怒りが沸き上がった。その事を知ったロイエンタールは立ち上がり、教室にいる級友達に訴えた。
「俺は、ビッテンフェルトの弁明に行こうと思う。ただ学校側には、自分の事を言われたので感情的になっているだけと思われるかも知れない。第三者的な発言が出来る者が一人欲しいのだが・・・」
「俺が行こう。俺もここで一部始終見ていた」
 すかさず名乗りを上げたのは、ワーレンであった。
「俺も行くぞ!」
 他の級友達からも声が上がったが、ロイエンタールが冷静に答えた。
「大勢でいって騒ぎを大きくしたら、ビッテンフェルトが不利になるとも限らない。まず俺たち二人だけで行かせてくれ!」
「そうだな、まず事実関係をはっきりさせて様子を見よう」
 ワーレンも、興奮気味のクラスメイトを押さえて、結果を待つように指示をした。そして二人は、教官の元に急いだ。


 結局、この事件でビッテンフェルトは三日間の停学処分を受けた。相手は厳重注意のみであったが、一年生を相手に姑息な行動をしていた事は学校全体に知れ渡っていた。つまり、相手の学生は自分の学生生活の居場所を、更に狭くしてしまったことになった。
 入学して一週間目の新入生が停学するのは、士官学校始まって以来で、前代未聞の出来事であった。
 その後、停学がとけて教室に現れたビッテンフェルトに、ロイエンタールが近づいてきた。何か言おうとしていたロイエンタールより先に、ビッテンフェルトがその口を開いた。
「お前、その目の事は自慢していい!もし、俺が女だったら絶対惹かれると思うし~♪」
 邪気のない顔でニッコリ笑って話すビッテンフェルトに、ロイエンタールが答えた。
「そ、それは、あまり<嬉しくない例え>だな」
 咄嗟に、ビッテンフェルトの女性版を想像してしまったロイエンタールの顔は引きつっていた。
「ビッテンフェルトが女だったら~!?こんなごつい顔の大柄の女から言い寄られたら、誰だって困ってしまうよな~」
 ロイエンタールが想像した<嬉しくない例え>に、ワーレンも大笑いしながら反応した。
「俺だったらびびって逃げ出すかも・・・」
「いや、見た瞬間石になるかな!」
「不気味の極めつけだろう~」
 口々に勝手なことを言い合う級友達に、「こら~、男に『惹かれる』と言われるよりマシだろうが!」と、ビッテンフェルトが真っ赤になって叫んだ。
 この一件以来、クラスは急速にまとまった。上級生から<驚異の一年生>と呼ばれる強さを持った期の始まりでもあった。



 入学当初にそんな事件があったのだが、ビッテンフェルトとロイエンタールは傍目にはそれほど親しくなったいう感じには見えなかった。ビッテンフェルトがいつも仲間に囲まれているのに対し、ロイエンタールは静かに一人でいる方が多かった。だが、肝心な時には、いつの間にか二人は一緒になっていた。しかも、その水と油のような性格の両者を取り持つのも、決まってワーレンであった。
 入学して三ヶ月後に開かれた体育祭などが、そのいい例であろう。
 毎年恒例の体育祭は、学校行事の一端で半分お祭りみたいなものではあった。しかしその実態は、体育系の学生が多い学校にありがちな<意地とプライド>をかけての壮絶な戦いの場となっていた。
 学年対抗で競争するムカデ競技の選手を選出の際、一学年の体育祭実行委員のビッテンフェルトは、選手の一人にロイエンタールを指名した。
「何故、俺が?」と不満がるロイエンタールに、ワーレンが宥めた。
「先頭のビッテンフェルトの身長に合わせたんだよ。背の高さが同じだと、リズムがとりやすいだろう!」
「奴とは身長は殆ど変わらないかも知れないが、足の長さが違うぞ!」
 そう文句を言っていたロイエンタールだが、意外にも面倒臭がらず毎回この練習には顔を出していた。
 又、一番盛り上がる団体戦でもある騎馬戦の練習では、馬になったビッテンフェルトのもの凄い勢いとあまりにもの乱暴さに、誰もが振り落とされ乗り手の候補がいなくなった。
「乗馬は得意だが、荒馬を乗りこなすのは趣味じゃない!」と皮肉を言っていたロイエンタールが、結局ビッテンフェルトと組むことになった。
 騎手がロイエンタール、前の馬がビッテンフェルト、後ろの馬はワーレンともう一人の級友が支えるという騎馬は、一年生でありながら圧倒的な強さをもち、最後まで生き残って一学年に大きな得点を献上した。
 この体育祭では、一年生が大活躍をしていた。そのため、優勝した四年生に続いて一年生が準優勝という意外な結果をもたらした。
 一年生は初めての体育祭でもあり、入学して三ヶ月という短い期間での団結力は乏しく、大抵は最下位が普通である。この珍しい快挙に、四年生は驚き、そして三年生、二年生は立場をなくした。


 三年後、この期は下級生から<脅威の四年生>と囁かれるようになっていた。





 士官学校時代の思い出を語っているうち、いつの間にかビッテンフェルトが酔いつぶれていた。寝ているビッテンフェルトの隣で静かに飲んでいたワーレンに、ロイエンタールの声が聞こえたような気がした。
(腐れ縁とは、死ぬまで付きまとうものらしいな・・・)
 この言葉は昔、亡き先帝の麾下にビッテンフェルトが配属された事を知ったロイエンタールが、ワーレンに呟いたものであった。実際、ロイエンタールの最後の戦いに、ビッテンフェルトもワーレンも同じ戦場にいた。ただ、心ならずもロイエンタールとは敵と味方に別れるという形ではあったが・・・。
(そうだよ、ロイエンタール。お前だって死ぬ間際まで、ビッテンフェルトとは縁があっただろう。俺は、お互いの子供同士が結婚するんだぞ。此奴とは、生涯関わる運命らしい・・・)
 ワーレンがロイエンタールに語りかけていたとき、隣で酔いつぶれていたビッテンフェルトの寝言が聞こえた。
「ふん!どうせ俺は、ロイエンタールのように格好良くないさ!」
 この愚痴は、昔よく聞いたものだった。士官学校時代や先帝の麾下の元で共に過ごした若き時代、ビッテンフェルトが女に振られるたびやけ酒に付き合わされて、よく聞かされた言葉であった。
 (可愛い愛娘の結婚は、この父親にとって<失恋>と同じようなものなのかもしれない・・・)と、ワーレンは酔いつぶれて寝ているビッテンフェルトを見て笑っていた。
 やがて孫を共有する立場になる二人に、壮絶なそして喜劇のようなバトルが繰り広げられる事を、このときのワーレンはまだ予想もしていなかった。


<END>


~あとがき~
「同期祭」(<星の砂>さま主催)の 参加作品です。
ロイエンタールは、多分<体育系の性格ではない>と思います。
しかし、このお話では、ビッテンフェルトに引きずられて、体育祭で燃える男にしてしまいました(笑)
ロイエンタールのクールなイメージを、壊しているような気がします(汗)
「ロイエンタールの学生生活が、楽しかった思い出でありますように~!」と願う私の気持ちが、つい・・・。
ともあれ、<驚異の一年生>から<脅威の四年生>になった458年組に乾杯!
尚、アルフォンスとルイーゼは、めでたく婚約となりました~(笑)