貴重な時間

 ミュラーとエリスが交際を始めて、三ヶ月が過ぎていた。
 莫大な仕事に追われる軍務尚書のミュラーは、エリスを思う気持ちとは裏腹になかなか逢う時間がとれずにいた。
 エリスの方は、ミュラーから官舎や携帯のヴィジフォンナンバーを教えられていたが、きっかけを掴めず自分からはかけられずにいた。
 傍目から見れば二人の仲は、あまり進展していないように見えていた。



 ある夜、華やかな夜景の見えるホテルの最上階のレストランで、ミュラーとエリスはディナーを楽しんでいた。久しぶりのデートで、二人とも会話が弾んでいた。食後のコーヒーを飲んでいるとき、ミュラーはエリスに尋ねた。
「エリス、もうすぐ君の十八歳の誕生日だろう。何か欲しいものはないかな?」
「欲しいものですか、う~ん」
 考え込むエリスを見て、ミュラーが微笑む。
「私が気の利いたプレゼントを選んで、君を驚かせたら一番良かったのだけれど、君の好みがまだよく判らないんだ。・・・こんな無粋な人間だから、私は今まで女性に縁が無かったんだな」
「いいえ、そんな・・・。人に贈り物を選ぶというのは難しいです。相手の希望する物をプレゼントしたいと思ったら、本人に聞きたくなるのは普通ですよ」
「では、君が今欲しい物を、私に教えてくれるかい?」
 エリスは少し考えた後、何か閃いたらしく碧色の瞳を大きく輝かせた。
「ミュラーさん、プレゼントは何か形のあるものでなくては駄目でしょうか?」
「いや、どんなものがいいんだい?」
 恋人の欲しいものの見当が付かないミュラーが、エリスに尋ねる。
「あの~、ミュラーさんを描かせて下さい・・・。絵のモデルをお願いしたいんです」
「えっ、絵のモデル!!」
 驚くミュラーを見て、エリスが遠慮がちに問いかける。
「・・・無理でしょうか?」
「あっ、いや、意外な物だったから驚いただけ・・・」
「・・・私、ある意味、一番贅沢な物を要求していますよね・・・。忙しいミュラーさんの大事なお時間を欲しいと言っているわけですから・・・」
「あ、その・・・」
 困ったような顔のミュラーに、エリスは「もっと二人の時間を増やして欲しい」とおねだりしている気がして思わず顔を赤らめた。



 エリスの誕生日、当然ミュラーもビッテンフェルト家に呼ばれていた。
 賑やかな事が大好きなビッテンフェルトは、エリスの誕生会も張り切っていた。早めに帰宅すると言っていたビッテンフェルトだが、なかなか帰って来ない。もうすぐ夕食の時間という頃、ビッテンフェルトから連絡があった。
「済まない・・・急に招集があってこれから会議なんだ。軍務省も今頃バタバタしてミュラーも大変だろう。そんな訳で・・・頼む」
 ビッテンフェルトの話しぶりから、軍務省関連で何かあったらしいとアマンダには推察できた。
「こちらは大丈夫ですよ。エリスには私から話しますね。あなたもミュラーさんに会ったら『今日のことは、気にしないで!』と伝えて下さい。たまには女同士の誕生パーティーというのも良いものですよ・・・」
「エリスには、『この埋め合わせは、きっとするから!』と伝えてくれ」
「わかりました」
 すまなそうな顔のビッテンフェルトが画面から消えた。アマンダはエリスに、ビッテンフェルトやミュラーに急な仕事が入った事を告げる。
「仕事ですか・・・残念でした。でも、ちょっと良かったかな」
「?」
「だってこの年で誕生会というのも、少し恥ずかしかったから・・・」
 肩をすくませてエリスは笑った。
「あら、誕生会はするのよ。ただし女同士でね・・・。お喋りパーティーとしましょう」
 アマンダがウィンクした。


 女同士の和やかなパーティーの夜も更け、ルイーズは眠りにつきミーネも自室で休んでいる。
 アマンダとエリスはワインを飲みながら、二人だけで話をしていた。
 そんな中、エリスがポツリと呟いた。
「時々、今の自分が信じられなくて・・・」
 慣れないワインを飲んで、エリスはほんのりと頬を桃色に染めている。
「いろいろな事が一変に起きて、何だか夢を見ているみたいで・・・」
「人生が変わるときってそんなものよ。自分の予想しなかった展開でも、そのうち馴染むわ」
 アマンダ自身も、人生がいきなり大きく変わった経験を幾度か持っている。
「ええ、でも私がミュラーさんを想う気持ちに、彼が答えてくれたのが、未だに信じられなくて・・・」
 エリスは笑っていたが、アマンダには何か少し寂しげに見えた。
「エリス?」
 アマンダの問いかけるような目に、エリスは俯き加減で小さく呟いた。
「・・・私の父の事が負い目になって、それで私と付き合っているんじゃないかなんて・・・」
「ミュラーさんは同情や償いとかで、女性と付き合えるような人じゃありませんよ」
 エリスらしくない言葉に、アマンダは優しく諭した。
「すいません。・・・ミュラーさんはそんな人じゃない、よく判っています。でも、どうしようもなく不安になるときがあって・・・。ミュラーさん忙しい人だから頻繁に逢えないし・・・」
 いつもの朗らかなエリスとは違い何だか悲しげな様子に、気になったアマンダが訊いてみる。
「・・・エリス、話してみない?」
 アマンダと二人きりで、軽く酔っているということもあるのか、エリスは心の内に抱えていた事を話し始めた。


「ミュラーさんと逢っているときは、こんな気持ちにはならないんです。一緒にいるととても楽しいし、普通のお兄さんって感じで軍人には見えないし・・・。でも一人になると、いろいろ考えちゃって・・・」
「どんなふうに考えてしまうの?」
「だって、銀河帝国の軍務尚書のミュラーさんとお付き合いしているのが、私だなんて・・・。ミュラーさんならもっと素敵で相応しい女性がたくさんいるでしょうに・・・。家柄とは無縁で、身寄りもない・・・しかも世間を何も知らない私と付き合っているというのは、ミュラーさんのマイナスになりませんか?・・・このまま、私がミュラーさんとお付き合いしていていいんだろうか?って思うときがあって・・・」
「エリスはミュラーさんとの交際、後悔しているの?」
「いいえ、とんでもない!・・・どんどん好きになって、ミュラーさんの事ばかり考えています。でも、想いが深くなるほど、不安も大きくなって・・・。だって、私は普通の女の子で、何の取り柄もないし・・・」
 付き合い始めたミュラーの立場や地位を自覚してくるうちに、エリスの中に戸惑いが出てきたのだろう。
 アマンダはエリスの顔を見つめて問いかけた。
「エリスは、これが初恋?」
「・・・ええ、実はそうなんです。奥手でしょう?男の子にはあんまり興味が無くて・・・」
 エリスは少し笑って照れていた。
「休日とかは、父と過ごしていることがほとんどでした。だから、友達から<エリスはファザコン!>ってからかわれていました」
「お父様とデートしていたわけね」
「ええ、映画を見たり、絵の展示会にいったりと、父はいろいろな場所に私を連れて行ってくれました。楽しい思い出がたくさんあります」
 父親を懐かしむような顔でエリスが話す。
「まぁ、まるで我が家の未来図のようだわ」
 アマンダの言葉に、愛娘のルイーゼをあちこち連れ出すのが好きなビッテンフェルトを知っているエリスは思わず吹き出した。
「ふふふ、ビッテンフェルト提督もルイちゃんとのお出かけが好きですものね。でも、私のところは父と二人きりでしたから、他の家庭よりも余計にべったりだったかも知れません」
「そうね、うちも子供が増えたらフリッツの<娘に夢中>もすこし収まるかしら?早く、ルイーゼに弟妹を作ってやりたいんだけど・・・と、話が逸れてしまったわね」
 アマンダも珍しくワインが進んでいる。だが、エリスと違い顔に全く変化はない。
「エリス、初恋って切ないものよね。相手のちょっとした事でも知りたいと思うし、一秒でも長く一緒にいたいものだし・・・。それに、逢えないとものすごく不安になるのよね。でもエリスは、自分からはなかなかミュラーさんにヴィジフォンが掛けられないでしょう?」
 エリスが頷く。
「だから、ミュラーさんからのヴィジフォンが待ち遠しいわね」
 エリスがミュラーからの連絡を待って、いつも自分の携帯を穴が空くほど見つめていることを知っているようなアマンダの言葉であった。
 アマンダにも、恋する乙女の複雑な心境はよく判る。ましてや相手があの軍務尚書の地位にあるミュラーなのだから、若いエリスが何かと不安に陥るのも無理もない事だろうと感じていた。
 付き合い始めたとはいえ、ミュラーが忙しく二人がなかなか思うように逢えないことも、エリスの不安を大きくしている事に繋がるのかも知れない。
 だが、こういう問題は周りがあれこれ口を出さない方がいいだろうとアマンダは考えていた。
 エリスが感じている不安というのは、ミュラーに愛されているという自信がつけば自然と消えるものなのだから、当人同士で解決するべきだと・・・。
「エリスはその不安を、ミュラーさんに話した?」
「いいえ・・・」
「二人で何でも話し合いなさい。お付き合いは始まったばかりなんだから、お互いのことはゆっくり理解していかないとね」
「ええ・・・」
「こんな助言しか出来なくて、ごめんなさいね・・・」
「いいえ、そんな・・・。話を聞いてもらえただけでも、何だかほっとしました」
「きっとミュラーさんは、あなたの不安に答えてくれますよ」
「はい、今度ミュラーさんに逢ったとき、思い切って話してみます」
 アマンダに一人で悩んでいた想いを聞いてもらった事で、エリスは少し心強くなっていた。



 それから二週間後、ようやくミュラーに半日ほどの休みが取れた。
 午前中だけという半端な時間だが、ミュラーは自宅にエリスを呼んだ。
「この間、渡せずにいた誕生日のプレゼントだ。受け取って欲しい」
 ミュラーはリボンの付いている少し大きめの箱を、エリスに手渡した。
「わぁ~、ありがとうございます。モデルになって頂く他にもプレゼントが貰えるなんて・・・」
「私は絵の事がよく判らないから、メックリンガー元帥に勧められたものを買っただけなんだ・・・」
 プレゼントの中身を開けて、エリスは驚いた。絵を描く者なら誰もが憧れる有名なメーカーの画材のセットで、学生のエリスにはとても手が出ない高価な品物であった。
「これはプロが使う道具ですよ・・・。私には勿体ないくらいです」
「使って貰わないと贈った意味が無いよ~」
「はい、有り難く使わせて頂きます」
 エリスの嬉しそうな笑顔に満足したミュラーは、「さて、私は絵のモデルになろうかな!」ともう一つのプレゼントの準備をする。
「お願いします」
 エリスはもってきたイーゼルを慣れた手つきで組み立てて、キャンバスを置いた。そして、ミュラーはモデルになるため、少し離れた向こうの椅子に座った。


 しばらくしてミュラーは、絵を描いているエリスの不自然な仕草に気が付いた。
 絵を描いているにしては様子がおかしい。幾度となく筆を止めてミュラーを見つめ、そして気づかないような小さな溜息を吐く。何だか話しかけるきっかけを捜しているかのようなエリスに、ミュラーは(彼女は何か話したいことがある)と察した。
「エリス、私に話があるのかい?」
「えっ!」
「顔に書いてあるよ」
 思わずエリスはイーゼルに置かれたキャンパスに顔を隠す。
「あの~、大した事では無いのですけど・・・」
「何でもいいから言ってごらん?」
 優しく迎えるミュラーに、エリスは自分の気持ちを話して見る。
「・・・私、こうして逢っているときはあまり感じないのですけれど、一人になるとどんどん不安になってきて堪らなくなるんです・・・」
「不安・・・どんな不安?」
「どんな不安って聞かれても、うまく説明出来ないんです。私からミュラーさんに告白したくせに、後からいろいろ考えちゃって・・・」
「・・・」
 ミュラーの顔が曇り始めた。
 それにいつもは自分の目を真っ直ぐ見つめて明るく話すエリスが、キャンパスに顔を隠すように話しているのも気になった。実際エリスは、泣きそうになっている自分を自覚して、顔をミュラーに見られないように話しているのである。
「ミュラーさんの相手として、私が相応しいかどうかって悩んでしまって・・・。だってあのときも、私が押し掛けて言い寄った感じだし、何だか無理矢理ミュラーさんを巻き込んでいるのかも。・・・・・・結局、私、自分に自信が無いんですね」
 俯いていたエリスがようやく顔を上げ、ミュラーの方を見つめようとして驚いた。向こうの椅子に座って居た筈のミュラーが、いつの間にか自分のすぐ目の前に来ていた。それも、いつもの優しげのミュラーではなく、何だか真剣な表情になっている。
「エリス、確かに最初のきっかけは君が作ったものだ。でも、私は君を選んだんだ・・・。あのとき、私には君が必要だと認識したんだ・・・」
「認識?・・・」
「う~ん、こんな言い方だと判らないよな・・・。なんて言ったらいいんだろう・・・」
 ミュラーは、珍しく焦っているように言葉を探した。
「確かに私は忙しくて、エリスに逢う時間が足りない。大切な恋人を不安にさせるのは、私の責任だ・・・」
「ミュラーさん??」
 何だか動揺しているようなミュラーを、エリスは不思議そうに見つめていた。


 二人で逢っているときのエリスの笑顔に、ミュラーは随分心を和まされていた。そのエリスの笑顔の影にある不安や悩みに、気づいてやれずにいた自分が情けなかった。年下の恋人にそんな不安を感じさせているのは、自分のせいと考えたミュラーはその解決策を必死に考えていた。
 そして、ある方法を思いついた。
「・・・よし、こうしたらどうだろう?私が朝の日課としているジョキングのコースを、ビッテンフェルト家の前を走るように変えてみる。君は朝、私がそこを通る時間を見計らって、門のところで待っていて欲しい。朝のほんの短い時間だが、私に君の顔を見せてくれ。勿論、声も聞きたい。・・・エリス、実は君だけじゃ無くて、私もいろいろ不安になるときがあるんだ」
「えっ、ミュラーさんも・・・ですか?」
「仕事で逢えないうちに、君が私を忘れてしまいそうで・・・」
「そんな事は無いですよ~」
 エリスがニッコリ微笑む。
「・・・君が私を忘れないためのおまじないをしてもいいかな?」
「おまじない?」
 ミュラーは目の前にいるエリスの顎に指先を添えると、顔を自分の方に向けさせた。
 ミュラーの顔が近づいて、二人は唇を重ねる。いつもの軽いキスとは違い、ミュラーは情熱的な熱い口づけをエリスと交わした。そして、唇を重ねたままエリスを抱きしめる。
 ミュラーの激しいキスに、初めは驚いたようなエリスであったが素直に受け入れた。甘い時間が永遠に続きそうなくらい、二人の抱擁は続いた。
 エリスが息苦しさを感じ始めた頃、やっとミュラーは恋人を口づけから解放して体を離した。エリスは思わず大きく深呼吸する。
「ゴメン、おまじないにちょっと力が入りすぎたかな?」
 ミュラーが苦笑いをしながら言った。
「・・・いえ・・・」
 ミュラーの気遣いに、エリスは恥ずかしさで耳朶まで真っ赤にしていた。
「エリス・・・君はせっかく前向きのビッテンフェルト提督と一緒に住んでいるのだから、いい方に考えるプラス思考を学ぶべきだよ。・・・私の影響かな・・・悪い方に考えてしまうのは?」
 頬を薔薇色に染めている恋人の初々しさを見つめながら、ミュラーはそう言って笑った。



 その後ビッテンフェルト家の前では毎朝、ジョキングの最中に立ち寄るミュラーと、門のところで待ち受けるエリスの二人の姿が見られるようになった。
 この朝のひとときは、二人の楽しみとなった。ほんの5、6分ほどの束の間の語らいたが、ミュラーとエリスにとって貴重な時間となった。
 そして、二人の関係も大きく前進した。


 朝から甘いムードの二人の姿を、リビングの窓から見つめていたビッテンフェルトは呆れ顔で食卓に付いた。
「全く、ミュラーの奴、いい年をしてまるでエリスを相手にままごとだな!」
 ぼやくビッテンフェルトに、アマンダはミュラーを援護する。
「恋する乙女心は難しいんですよ。相手のほんの些細な行動で、女の子はとっても安心したり、嬉しかったりとするものです。忙しいミュラーさんにとって、朝のデートは良いアイデアだと思いますよ。エリスも不安が消えて楽しそうですし・・・。何だか二人を見ていると、懐かしくなります」
「懐かしい?」
「あら、私にだって初恋の経験はありましたよ。尤も、遠い昔のことですけれど・・・」
 アマンダのその言葉を聞くと、ビッテンフェルトはコーヒーを一気に飲み干し、新聞で顔を隠した。そして、さり気なく訊いた。
「その~、お前の初恋の相手って誰なんだ?」
 そう聞かれてビッテンフェルトの方を見たアマンダは、思わず微笑んだ。
 目の前の新聞が逆さまになっていることに、ビッテンフェルトは気が付いていないようだった。


<END>


~あとがき~
まゆさんのサイト開設一周年の記念の贈り物です。
ミュラー&エリスがメインの小説でも、どうしてもビッテンフェルト夫妻が登場しないと気が済まないようです(笑)
恋するエリスの純情とビッテンフェルトの男気を同一レベルで考えてしまうあたり、ミュラーさんは恋愛感情に疎いと言えるでしょう(笑)
ビッテンのように一気に進まず(←その日のうちに子供まで作ったとんでもない奴^^;)、
一歩ずつ着実にエリスとの恋愛を進めるミュラーさんは、忍耐の人とも・・・(だってね~、ミュラーさんだって男だし何かとね・・・A^^;)