ヨーロッパの国々]T 思い出に残る人々(2)
          クラウト夫妻と
ヘルマン・クラウト…彼の生活をかいま見ることによって、私のそれまでのドイツ観は根底から覆ってしまいました。というのは、東でも心の持ちようによっては、精神的に豊かで充実した生活を送れることを実感させてくれたのが、クラウト夫妻だったからです。ドレスデン郊外のヘルダー研究所に、私は約一ケ月ばかり滞在したのですが、彼はここの門衛の一人でした。喘息のせいかいつもぜいぜいした声で話すのですが、実に温和で親しめる人柄でした。たまたまこの研究所の隣にあるカトリック教会のミサに参加したときのことです。クラウト氏が一番後に座っているのを見つけました。向こうでも私を見て手招きします。やあ、あなたもカトリックの信者でしたかということになり、急に親しくなりました。そして家に招待され、奥さんに花を買ってその家を訪ねました。四世帯のアパートにしては敷地が広く、庭には共用のバンガロー風の家があり、それぞれの親戚が来たとき泊めるのだそうで、2DKの広さでした。塀に沿って木が植えられ、その前の花壇には、色とりどりの花が咲き乱れています。また、どの部屋の窓からも花がこぼれるように溢れています。クラウト夫妻の部屋は台所付きの食堂、居間兼応接間、夫婦の寝室、トイレ、浴室、ボイラー及び洗濯機のある部屋で子供のいない家庭としては十分すぎる位です。器具は旧式かも知れませんが、ひねればすぐお湯がでるなどすべてが至れり尽くせりなのです。冷蔵庫も二つあり、私の家よりも文化的な生活と言えるでしょう。彼は、これを時間をかけて少しずつ揃えていったようです。今は花の世話や、庭いじりをしているが、毎日が楽しくてしょうがないという感じを受けました。
 ある日曜のミサの後に、サイクリングに行こうと誘われました。奥さんの自転車を借りて、彼の後を追いかけ6〜7分も行くと目的地に着きましたが、そこは一定の区画に仕切られた畑が並び、その一角が彼の私有する菜園だったのです。様々な野菜と果樹の中に、五坪ほどの手づくりの家があり、そこには電気、水道はもちろん、冷蔵庫やベッドまで備えられています。彼によれば、この菜園も何年か前に購入したもので、時々ここに来て畑仕事をし宿泊することもある、とのことでした。野菜作りが趣味で、しかもそれを町角で広げればすぐ売れ切れてしまうと楽しそうに語るクラウト氏…置かれた状況の中で最善の生き方をして神に感謝している人を、私は東ドイツに来て初めて会うことができたのです。彼の生地はチェコだそうですが、ドイツ人だったため、第二次大戦後強制的に東ドイツに移住させられたのでした。
 (以下次号)

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