MIST
乳白色のもやの中、睛は歩いていた。
石畳の碧さえ霞む霧の中、浮かび上がる街路樹の深緑だけを目印に街の中を彷徨う。
鳥の声が、かすかに聞こえる。
時刻はおそらく早朝・・・・・・一晩中歩いた事になるわけだが疲れは不思議と感じない。
肌寒い湿った空気を振り払うように、ずり落ちたリュックを担ぎなおす。
「ANAね・・・」
はぁ、とため息をついて掌の中のメモを見る。
そこには、"MISTCITY ANA"とだけ書かれている。
今回の仕事についての唯一の情報だ。
とはいえ、ANAとは名前なのか名字なのか・・・そもそも人の名前なのか。
「・・・ったく、これでどうやって捜せっていうんだろうなぁ、うちの社長は」
大抵は楽な仕事をまわしてくれる癖に、本当に難しい仕事は自分に押し付ける。
信頼の証と見ていいのか、ただの嫌がらせか。
「・・・・・・??」
ふと、風が霧に切れ目を入れ、小さなスクリーンをつくり出した。
薄い白い幕ごしに黒髪が見えた。
白い顔がゆっくりと振り向く・・・・・・大きな碧い瞳が純日本人顔と妙にミスマッチで。
・・・・・・・・・ざわ・・・ざわ・・・・・・
木の葉が会話するようにざわめきだす。
・・・ざわ・・・ざわ・・・・・・ざわ・・・・・・・・・
風はしだいに強くなってゆく。
スクリーンの向こうで、風に遊ばれた髪が、枝から引きちぎられた木の葉と絡み合う。
手をすぃ、と差しのべて一緒に飛んできた一片の紙片を掴みとり差し出す。
「・・・あなたの?」
睛はその一連の動きに見とれていたが、はっと我にかえった。
見ると掌には社長から受け取ったメモがない。
「あ、えっと、はいっ・・・」
慌てて前に踏み出すが、いっこうに距離が縮まらない。
くすっ、という声が聞こえ、風が弱まってゆくと同時に霧が再び視界を覆って行った。
気がつくと紙片は掌の中に戻っており、人影もいなくなっていた。
睛はメモをもう一度見た。
"MISTCITY ANA"
「・・・え?」
その下に小さく文字が浮かび上がっていた。
"CINSIA HERE THERE & EVERYWHERE"
その文字はあたかも最初からそこに刻まれていたように存在を主張している。
しかし、その場所がついさっきまで白紙だった事はけして記憶違いではない。
「・・・あぶり出し、みたいなものかな?」
霧の水分で文字が出るような特殊な加工でもしているのだろう。社長のことだからきっとそうだ。
そう自分を納得させる事にする。
(もしかして、CINSIAっていうのはさっきの彼女の名前かも知れないし)
慌ててる睛がおかしくてからかってやろうとしたのかもしれない。
なんにせよ、わからない事は考えないに限る。
またずり下がってきてたリュックを持ち直し、睛は霧の街の中へ歩き出した。