第3章 ギリシア系移民のエジプト脱出(BC1430)

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Create:2023.6.23, Update:2026.2.15

1 はじめに
BC1430年、エジプトに住むギリシア系移民が、エジプトから各地へ移住した。

1.1 マネトーンの記述
AD1世紀の歴史家ヨセフスは、BC3世紀の歴史家マネトーンの著作から引用して、次のように伝えている。
「ミスフラグムトシス王の治世中、エジプト各地から追放された人々は、城壁で囲まれ、24万人の兵士が守るアウアリスという場所に包囲された。籠城していた人々は、エジプトから出て行くという条件で解放された。アウアリスから解放された人々は、家族を伴って、エジプトを去り、砂漠を越えてシリアへ逃れた。」[1]
AD3世紀の歴史家セクトス・ユリウス・アフリカヌスは、マネトーンが記したエジプト第18王朝の歴代のファラオの名前を列挙しており、ミスフラグムトシスは、第6代目であった。[2]
つまり、ミスフラグムトシスは、エジプト第18王朝の第6代ファラオトトメス3世の別名と推定される。[3]
トトメス3世は、古代エジプトを最大版図にした征服王であり、BC1425年に死亡した。[4]

1.2 推定
BC1430年当時、ギリシアからエジプトへ移住した人々は、サイス、テバイ、メンフィス、ケンミスの町に住んでいた。
ベロスの子ダナオスは、ケンミスの町に住んでいた。[5]
ダナオスの部族と推定されるダナヤ (タナジュ)は、トトメス3世に朝貢していた。[6]
以上のことから、次のように推定される。
ナイルデルタに住んでいた人々が、トトメス3世に対して反乱を起こしたが、彼らの居住地から追放されて、アウアリス (または、アウアリス, アテュリア)に籠城した。
アウアリスの籠城者には、ギリシアからエジプトへ移住した人々だけではなく、ユダヤ人も含まれていた。
ユダヤ人は、陸路で砂漠を越えて、シリア地方へ移住した。
ギリシアからエジプトへ移住した人々は、ダナオスやアゲノールに率いられて、海路で、ペロポネソス半島やシリア地方へ移住した。
マネトーンの記述が正しければ、このとき、エジプトから各地へ移住した人々は、数十万人ということになる。

2 ダナオスの移住
2.1 エジプトからアルゴスへの移住
イオの子エパポスの娘リビュアの子ベロスの子ダナオスは、ナイルデルタのケンミスの町に住んでいた。[7]
BC1430年、ダナオスは、エジプト出港後、ロドス島に上陸して住民の歓迎を受けた。[8]
伝承では、ダナオスは、リンドスの町に上陸しているが、当時は、キュルベという名前の町であったと思われる。[9]
ダナオスは、ロドス島で娘3人を亡くした。[10]
ダナオスの2人の娘たち、ヘリケとアルケディケは、島に残って、リンドスのアテナ神殿を建立した。[11]
約850年後、ギリシアの7賢人の一人に数えられる、ロドス島のリンドスの町のクレオブロスは、古くなっていたアテナ神殿を再建した。[12]
クレオブロスは、ヘラクレスの後裔と伝えられている。[13]
クレオブロスは、アルゴスの町からロドス島へ移住した、テメノスの子ケイソスの子アルタイメネスの後裔と思われる。[14]
クレオブロスは、ダナオスがヘラクレスの先祖であり、したがって、ダナオスが自分の先祖であることを知っていたと思われる。[15]
ダナオスの移民団はロドス島を出航し、ペロポネソスのアルゴス湾に入った。
移民団はアルゴス地方とラコニア地方の境のテユレア地方のピュラミア付近に上陸して、ダナオスの叔父レレクスは、そこから内陸へ進んだ。[16]
ダナオスは、そこから航海を続けてレルナの近くのアポバトモイに上陸して、アルゴスの町へ向かった。[17]
当時、アルゴスの町は、ステネラスの子ゲラノールが治めていた。[18]
ダナオスは、ゲラノールをアルゴスの町から追放した。[19]
ゲラノールは、シキュオンの町へ逃れた。[20]

2.2 ダナオスの同行者の移住
ダナオスの移民団には、叔父レレクス、兄弟オロス、兄弟アイギュプトスとアイギュプトスの息子たちが含まれていた。

2.2.1 レレクス
リビュアの子レレクスは、ラコニア地方のエウロタス川中流域に、彼の息子ミュレスを入植させた後、彼自身は、メガラ地方へ移住した。メガラ地方には、彼より12世代前にポロネオスの子カアがアルゴスの町から移住していた。[21]
その後、レレクスの娘テラプネの子テレボアスは、ギリシア北西部のエキナデス諸島へ移住した。
テレボアスの父もダナオスと共に渡来した者で、ラケダイモンの町の近くにテラプネの町を創建した。[22]

2.2.2 オロス
ダナオスの弟と思われるオロスは、アルゴス地方の沿海地方に定住して、オライア (後のトロイゼン)の町を創建した。[23]

2.2.3 アイギュプトス
ダナオスの双子の兄弟アイギュプトスは、ペロポネソス北西部に定住した。アロエ (後のパトライ)の町にベロスの子アイギュプトスの墓があった。[24]

2.2.4 アイギュプトスの子リュンケウス
リュンケウスは、ダナオスの娘ヒュペルメストラと結婚して、ダナオスの跡を継いで、アルゴスの町を治めた。[25]

2.2.5 アイギュプトスの子エウメロス
エウメロスは、ダナオスの娘ピュロダメイアと結婚して、アロエの町に住んだ。[26]

2.2.6 アイギュプトスの子アンティマコス
アンティマコスは、ダナオスの娘ミデイアと結婚して、息子アンピアナクスが生まれた。[27]

2.3 ダナオスの名前
パウサニアスは彼の著書の中の5か所で、レレクスの子ポリュカオンと結婚したメッセネの父は、トリオパスであったと記している。[28]
トリオパスは、名声と権力で当時のギリシア人の指導者であり、アルゴスの町に住んでいた。[29]
ポリュカオンがメッセネと結婚した頃、アルゴスの町を治めていたのはダナオスであり、トリオパスは、ダナオスの別名、あるいは、本名であったと思われる。
トトメス3世の年代記に、ギリシア人と推定されるダナヤ (タナジュ)の土地から貢納があったと記されている。[30]
ダナヤは、ダナオスの父ベロスの種族名で、ダナオスは、その種族名から人の名前のように作られた造語かもしれない。
あるいは、ダナオスは、ベロスの父であり、ベロスの母リビュアの夫であり、孫が祖父の名前で呼ばれていたのかもしれない。
ダナオスの双子の兄弟アイギュプトスの名前も、エジプトを人の名前のように作った造語のように思われる。

3 アゲノールの子ポイニクスの移住
アゲノールの子ポイニクスは、エジプトのテバイの町からフェニキア地方のテュロスの町へ移住した。[31]
ポイニクスが住んでいたテバイの町は、ナイルデルタにあったと思われる。[32]
ポイニクスは、移住より前に、オイネウスの娘ペリメデを妻に迎えていた。[33]
オイネウスは、初代アテナイ王ケクロプスの娘ヘルセの曾孫で、テュロスの町に住んでいたと推定される。[34]

4 アゲノールの移住
イオの子エパポスの娘リビュアの子アゲノールは、エジプトからフェニキア地方のシドンの町に移住した。[35]
カドモスの移民団の中に彼の母テレパッサがいたことから、アゲノールは、シドンの町で死んだと思われる。[36]

5 マケリスの移住
5.1 アゲノールの息子と思われるマケリス
マケリスは、アゲノールと共にエジプトからフェニキア地方へ移住した。[37]
当時、テュロスの町には、初代アテナイ王ケクロプスの娘ヘルセの子ケパロスの子ティトノスの子パイトンの子アステュノオスが住んでいた。[38]
後に、アステュノオスの子サンドコスは、山地キリキアにケレンデリスの町を創建した。[39]
マケリスは、テュロスの町でアステュノオスの一族から航海術を学んだと推定される。[40]
マケリスは、その後、エジプトのヘリオポリスの町でアクティス (または、アウゲス、アトラス)から天体の知識を学んだ。[41]
ロドスの子アクティスは、ロドス島のヘリアダイの一人で、エジプトのヘリオポリスの町の創建者であった。[42]
天体の知識を航海術に取り入れたマケリスは、海洋民族フェニキア人にとっては、神のような存在であった。マケリスは、エジプトの ヘラクレス、または、フェニキアの ヘラクレスと呼ばれた。[43]
テュロスの町の他に、イベリア半島のタルテッソスの町、エジプトのカノープスの町、タソス島にもヘラクレスの神域や神殿があった。[44]
2世紀の歴史家アッリアノスは、タルテッソスの町で信仰されているヘラクレスは、テュロスの町のヘラクレスと同じだと見なしていた。[45]
アゲノールの子ポイニクスはテュロスの町に住み、アゲノールの子キリクスの子タソスはタソス島に住んでいた。[46]
マケリスは、イベリア半島の南部にヘラクレイア (後のカルペ、現在のアルヘシラス付近)の町を創建して、その地で死んだ。[47]
マケリスは、メルカルトスとも呼ばれた。[48]
ヘラクレイアの町の近くには、ヘラクレスの柱の北の柱(カルペ山)があった。[49]
マケリスは、タルテッソスの川から産出される錫を目当てに移住したとも思われる。[50]

5.2 マケリスの子サルドス
BC1390年、マケリスの子サルドスは、エジプトのカノープスの町からイタリア半島西側のイクヌッサ (後のサルド)へ移住した。[51]
サルド島の南西部に「父なるサルドスの神殿」があり、その付近がサルドスの移住先であったと推定される。[52]

6 アゲノールの子キリクスの移住
BC1425年、アゲノールの子キリクスは、シドンの町からトロアス地方のイダ山の南側に移住して、テーベの町を創建した。[53]
キリクスと共に移住した人々はキリキア人と呼ばれ、彼らの住む地方はキリキアと呼ばれた。[54]
キリクスの娘テーベは、イダ山の近くに住んでいたコリュバスに嫁いだ。[55]
キリクスの子タソスは、テーベの町からタソス島へ移住した。[56]

7 アゲノールの子カドモスの移住
7.1 シドンからロドスへ
BC1426年、アゲノールの子カドモスは、フェニキア地方のシドンの町から移民団を率いて出発した。カドモスの移民団には、フェニキア人やアラビア人も含まれていた。[57]
彼らは、エジプトを追われて、陸路を通って、シドンの町で、カドモスと合流した人々であり、もの凄い人数であった。マネトーンは、24万人以上の人々がエジプトから砂漠を越えてシリアへ渡ったと伝えている。[58]
カドモスは、ロドス島北東部に上陸して、ポセイドンの神殿を建立した。[59]
その後、カドモスは、ダナオスが創建したアテナ神殿にフェニキア文字が刻まれた青銅の大釜を奉納した。[60]
カドモスの移民団の中にいたフェニキア人の一部は、ロドス島に定住した。[61]

7.2 カドモスの協力者
テュロスの町のパイトンの子アステュノオスは、カドモスの移民団に船を供出し、カドモスの移民団をトラキア地方に送り届けてからテュロスの町に戻った。[62]
これは、メガッサレスの娘パルナケとアステュノオスの子サンドコスとの結婚からの推定である。[63]
メガッサレスの妻は、アルカディア地方のオルコメノスの町の創建者オルコメノスの娘アルキュオネであった。[64]
メガッサレスは、トロイ王家の始祖ダルダノスと共に、アルカディア地方からサモトラケ島に移住して住んでいた。[65]
アステュノオスに同行していた彼の息子サンドコスは、サモトラケ島で、メガッサレスの娘パルナケと結婚した。アステュノオスとサンドコスは、カドモスの移民団をトラキア地方に上陸させた後で、パルナケを連れてテュロスの町へ帰還した。[66]
その後、サンドコスは、山地キリキアへ移住して、ケレンデリスの町を創建した。[67]

7.3 ポイニクスの娘エウロパの結婚
BC1425年、カドモスの移民団の中にいたポイニクスの娘エウロパは、テゲアテスの子キュドンと結婚した。
キュドンは、BC1450年、アルカディア地方のテゲアの町からクレタ島北西部へ移住し、キュドニアの町を創建していた。[68]

7.4 ポイニクスの娘アステュパライアの結婚
BC1425年、カドモスの移民団の中にいたポイニクスの娘アステュパライアは、クレタ島北西部のアプテラの町に住むアクモン (または、ケルミス、ダムナメネオス、イダ山のヘラクレス)と結婚した。[69]
アステュパライアは、アクモンと共にオリュンピアへ行き、その後、ロドス島近くのカリア地方へ移住した。[70]
アステュパライアの子アンカイオスは、レレゲスの王となった。[71]
レレゲスは、カリア人と混血したギリシア人であった。[72]
アステュパライアの後裔は、ロドス島からやや北にあるサモス島やコス島を領した。[73]

7.5 カドモスのテラ島寄港
その後、カドモスはカリステ (後のテラ)島に立ち寄り、ポイキレスの子メンブリアロスを指導者にして入植希望者を島に残した。この時の入植者の後裔は、スパルタの町からアウテシオンの子テラスが島に入植するまで、8世代にわたって島で暮らしていた。[74]

7.6 カドモスのサモトラケ島訪問
カドモスは、エーゲ海の島々を巡りながら北上して、サモトラケ島に上陸した。島には、BC1430年にアルカディア地方から移住してきたダルダノスやメガッサレスが住んでいた。
サモトラケ島で、カドモスは、ダルダノスの妹ハルモニアと結婚した。[75]
カドモスとハルモニアは、アルゴスの町のイナコスの子ポロネオスの娘ニオベの子アルゴスの子クリアソスの子ポルバスの子トリオパスを共通の先祖としていた。

7.7 カドモスのトラキア上陸
カドモスは、サモトラケ島を後にして、トラキア地方に上陸してカルキディケ半島北方のパンガイオン山付近に居を定めた。カドモス の移民団の中にいたテルキネス族は、行く先々で探鉱活動をしていた。[76]
カドモスは、パンガイオン山で探し当てた金鉱で富を成した。[77]
カドモスの母テレパッサは、トラキア地方で死んだ。[78]

7.8 カドメイアの創建
BC1420年、カドモスの移民団が入植したトラキア地方沿岸部を津波が襲い、カドモスは再び、移民団を率いてテッサリア地方へ南下して、ボイオティア 地方へ侵入した。[79]
当時、ボイオティア地方にはテンミクス (テンミケス)、ヒュアンテス、エクテネス、そしてアオニア人が住んでいた。
カドモスは、彼らと戦って勝利した。[80]
テバイ周辺に居住していたヒュアンテスは、西へ追われた。[81]
ヒュアンテスより前にテバイの町周辺に居住していたエクテネスは、160年ほど前にヒュアンテスから追い出されて、大部分はアッティカ地方に移住していた。残ったエクテネスはカドモスに追われて、アッティカ地方へ移住した。 [82]
テバイの町の北東のグリッサス周辺に居住していたアオニアンは、引き続き居住することを許された。[83]
カドモスは、ヒュアンテスが立ち退いた土地の高い場所に館を構えて、周りに人々を住ませて町を創建し、カドメイアと呼ばせた。[84]
フェニキア地方から来たゲピュライオイは、タナグラ周辺に定住した。[85]
また、カドモスの集団に含まれていたアラビア人は、エウボイア島に定住した。[86]

おわり