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善知鳥神社 版画版

〒030-0803
青森県青森市安方2-7-18
TEL:017-722-4843
FAX:017-723-7166

伝記・伝承
伝記Pict
平安時代から現代に至るまで、多くの文化人・著名人が善知鳥神社について触れ、神社の由来、善知鳥という鳥、さらに善知鳥にまつわる伝記、伝承について残しております。 ここにその一端ではありますが紹介したいと思います。



西行法師 (さいぎょうほうし)[1118〜1190]  
 「子を思う 涙の雨の 笠の上に かかるもわびし やすかたの鳥」 の歌を詠む。
平安末期の歌人。 俗名 佐藤義清(のりきよ)。もと鳥羽法皇に仕えた北面の武士で、藤原秀郷の子孫。23歳で出家し、旅の詩人として、ほとばしり出る感慨を歌に託し自然、人生を叙情的に歌った。『新古今和歌集』で一番多く歌がおさめられている。 歌集『山家集』一巻がある。


藤原 定家 (ふじわら さだいえ)[1162〜1241]
 「みちのくの 外ヶ浜なる 呼子鳥 鳴くなる声は うとうやすかた」の歌を詠む。
鎌倉前期の歌人。 『新古今和歌集』撰者の一人で名は「ていか」とも呼ぶ。幽玄・妖艶、象徴的な歌風で新古今調の大成者。


世阿弥 (ぜあみ)[1363〜1443]
 謡曲『善知鳥』を作る。
室町前・中期の能役者・能作者。 三代将軍足利義満の同朋衆として庇護をうけ、父の芸風に歌舞的要素と禅的幽玄美を加えて能を大成した。


徳川 吉宗(とくがわ よしむね)[1681〜1751]
 享保四年(1719)将軍吉宗公がうとう鳥に非常に興味をもち同年10月17日、老中久世大和守より津軽藩へうとう鳥の探索が命ぜられ、同6年4月30日三羽を献上す。
江戸幕府八代将軍。 紀伊藩主徳川光貞の三男。1705年紀伊徳川家を継いだが、1716年家継の死後将軍となる。幕府の支配体制を補強し「中興の英主」と言われた。


高山 彦九郎 (たかやま ひこくろう)[1747〜1793]
 寛政二年(1790)八月参詣す。
江戸中期の尊王論者。 上野国(群馬県)の人。寛政の三奇人の一人で国学に造詣も深い。水戸藩の藤田幽谷と交わり諸国を巡歴し尊王を説く。


菅江 真澄 (すがえ ますみ)[1754〜1829]                    ⇒ 3.菅江真澄句碑
 「長閑しな 外ヶ浜風 鳥すらも 世を安方と うたふ声して」 の歌を詠む。
32歳の天明5年(1785)8月18日善知鳥神社にて松前渡航の年月を占ってもらったところ3年待つべしのお告げがあり、その通り待ってから渡った。

江戸後期の民俗学者、歌人。本名 白井秀雄。三河国(愛知県)の人。三十歳で故郷を出て薬草や和歌の知識を伝えながら津軽、南部、松前を旅し、晩年は佐竹を中心に日記や随筆、地誌などを残した。


山東 京伝 (さんとう きょうでん)[1761〜1816]
 謡曲『善知鳥』等を題材とし『善知鳥安方忠義伝』を記す。またこの物語が芝居に仕組まれ『世に善知鳥相馬旧殿』という名題で天保7年市村座で興行された。
江戸後期の戯作者・浮世絵師。 本名 岩瀬醒(いわせ さむる)通称伝蔵。画号北尾政演(きたお まさのぶ)。江戸深川の人。多芸多才で商才にも長じ、洒落本、黄表紙、合巻、読本に名作を残す。寛政改革で弾圧をうけ、以後読本作者に転向した。


滝沢 馬琴 (たきざわ ばきん)[1767〜1848]
  文化八年(1811)『烹雑の記』随筆を記し、善知鳥神社の由来やうとう鳥について述べている。
江戸後期の読本作者。本名は興邦(おきくに)。江戸の人。『南総里見八犬伝』などの長編をつぎつぎに発表。歴史、伝説を取り入れた雄大な規模のもので、勧善懲悪を説いた。


森 鴎外 (もり おうがい)[1862〜1922]
 明治15年10月5日、善知鳥神社に参詣す。
明治、大正時代の文学者、軍医。 本名は林太郎。島根県津和野の生まれ。ドイツ留学し帰国後、創作翻訳、ヨーロッパ文芸の紹介、啓蒙に活躍した。晩年は歴史小説、史伝を著した。又、軍医総監を経て陸軍省医務局長を務めた。


増田 手古奈 (ますだ てこな)[1897〜1993]                     ⇒ 10.増田手古奈句碑
 「みちのくの 善知鳥の宮の 小町草」 の歌を詠む
青森県出身の俳人。 本名義男。青森の大鰐町の生まれ。医師のかたわら「十和田」の創刊やホトトギス同人。「客観写生」や「花鳥諷詠」を貫き、八句集。句碑34基残す。その他、県文化賞、県褒賞、勲五等瑞宝章を受けた。