太宰の文体実験(津軽)




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1.平成21年12月31日:開設
  (1)Before the world was created,the Word already existed;he was with 
    God,and he was the same as God.(初めに言(ことば)があった。言は神と共にあっ 
    た。言は神であった。)(文語体:太初(はじめ)に言(ことば)あり。言は神と偕にあり。言は神なり
     き。)
  (2)From the very beginning the Word was with the God.(この言は初めに神と共に
     あった。)
  (3)Through him God made all things;not one thing in all creation was   
     made without him.(万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つ
     無かった。)(文語体:この言は太初に神とともに在り。萬の物これに由りて成り、成りたる物に一つと
     して之によらで成りたるはなし。)
  (4)The Word was the source of life,and this life brought light to mankind.
     (言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。)(文語体:之に生命あり。この生命は人の
     光なりき。)
  (5)The light shines in the darkness, and the darkness has never put it 
     out.(光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。)(文語体:光は暗黒(くらき)に
     照る。而して暗黒は之を悟らざりき。)
     (英文・口語体:新約聖書 (財)日本聖書協会 P334 ヨハネによる福音書、The Gospel 
     according to John  The Word of Life、文語体:赤司道雄著 太宰治 ーその心の
     遍歴と聖書 八木書店 昭和60年。尚、文語体は赤司氏の上記著書  序 最初の聖書
     引用 P3 L1〜L7。ルビは太宰に依る、と同氏は解説している。又、太宰治の作品に初めて聖
     書の句が引用されたのは、昭和十年十月一日発行の『日本浪漫派』第一巻第7号、随筆「もの
     思ふ葦(その一)の中の「難解」の項と、同年十月一日発表の小説「ダス・ゲマイネ」であった。上記
     聖書の引用は前者の作品である。(以下、登場人物、引用文献等敬称略させて戴きます)。

     (いづこよりいづこに消ゆるか五千年 縄文の地吹雪今 口にー三内丸山を想ふ)
2. 〜平成22年2月1日:更新
    HTMLタグ挿入。レイアウト若干変更した。
3.  〜平成22年2月11日:更新
    ページ編集(タイトル変更・ページ追加)。
4.  平成22年2月26日〜平成22年6月19日:更新
    第2章 原点 文体・無言文体(英訳)追加、詠進歌(英訳付)
5.  平成22年8月15日〜平成22年9月11日:更新
    詠進歌(英訳付)NO.27〜NO.42最新情報1の聖書を文語体と新約聖書(財)日本聖書協会
    P334 ヨハネによる福音書 (一:5)、The Gospel according to John The Word of
    Life(5)を追加した。尚、著者(赤司氏、以下同氏)は立教大学教授、旧約末期の研究で文学博
    士(東京大学)Dr.of Divinity(アメリカ)。同氏は高校の英語教師で県立図書館館長も歴任した
    K先生と学生寮同室であった。高校同期A氏の好意で私はK先生・同氏の太宰の聖書へとたどり着
    いた。太宰は文語体にルビを振っていた。だから、太宰の息遣いまで感じられる。当然、右脳がエンジ
    ン全開、その脳波は「津軽」歴史書引用部分の文語体とかなり波形が近似しているに違いない。
    と私は思う。同氏とK先生とは同室で馬があった、と思われる。同氏は比較的右脳にロマン
    (イスラエル発掘調査)を求めるタイプ、K先生は左脳活用方法が限界状況の中でも最大限活用可
    能な歯切れよさを持っていた。私はその事に気が付きながら、ケ大統領の速読方法にうつつを抜かし
    て、英文法の授業中眠っていた。幽かに子守唄に聴きながら、私は、慚愧に堪えない。K先生は芸妓
    紅子(小山初代)がいた玉家の近くに住んでいた。昔紅子と同じ左づまをとった姐さんから、太宰の長
    兄文治氏の2人へのひそかな心配りを聞かされたものだという。K先生はたまにあったとき、「どしてしー
    (どのように暮らしていますか)」と言えば、「むがしの浜町、えふてあたねしー(昔の浜町界隈は情緒が
    ありましたねー」と、学校のK先生とは思えないほど柔らかい面もお持ちであった。
6.  平成22年9月12日〜平成22年12月4日〜平成22年12月31日〜平成23年1月1日
     :更新NO.43〜NO.70(詠進歌追加、英訳付)ー(遅延理由、操作ミス「平成22年6月19
    日、散文1 footerにinput、画面全体が青。NO.29の歌(TVアナウンサーが侍ブルーと絶叫した
    瞬間)。平成22年12月4日、新幹線全線開通、父も旧国鉄、しかしUSB装着のまま再起動。停
    止せず超スロー。)
      強制的無我の修行(郭沫若氏の流線見ながら踵着けずにヨタヨタ。号泣せず銀座で酒盃・筆談
    ホステスは太宰の日を唇浮かせんとした・・・意識絶滅・無我とするため、無酸素・無呼吸・無言で5
    0メートル全力引き摺り足・唱題行夢我を反復・締めは登り3メートルのべーラン。高みで初めて有酸
    素)。
7.  平成23年3月11日〜平成23年4月7日〜平成23年4月30日〜平成23年6月19日
     〜平成23年8月15日

     大津波(無言文体1(散文) 第3章 3 )
  (1)平成23年3月11日(金) 14:46 M9.0 千年に一度の大地震・大津波
    +FUKUSHIMA原発
     「マイク」に必死にしがみつきその女性は訴え続けた、何度も、そうして最後の最後まで握り続けた。
    その一室には窓がなかった。被災された方・一瞬に大津波に拉(らつ)され、生き残りし我らに無言で
    しか心根を表現せざるを得なくなった方に、心よりのお悔やみを申し上げます。
      (「大津波が大津波が予想されます予想されます。高台へ高台へ避難してください避難してくださ
    い。」3月11日、サイレンの音と共に女性の声が拡声器を通じ宮城県南三陸町にこだましながら繰り
    返し響き渡った。防災対策庁舎で放送中に津波に流され、先頃遺体で確認された職員の遠藤未
    希さん(享年24歳)だ(日本経済新聞平成23年5月16日(土)、時流地流・中西晴央)。行方
    不明者だと思っていた母親は、一瞬、口を真一文字にし、そうしてはらはらと落涙した。
     次世代に語り継ぐべき我々には、余りにも重き十字架である。しかし、使命である。太宰の次の使
    命感と同じである。「・・・喉まで出かかった『助けて!』の声がほんの一瞬戸惑った。ほんの一瞬であ
    る。たちまち、ざぶりと大波が押し寄せ、・・・からだを一呑みにして、沖遠く拉(らつ)し去った。・・・」(こ
    れは、昭和20年秋、母校で全校生徒に講演した時に、太宰が朗読した一文である。ー「太宰をどう
    読むか」小野正文(未知谷、2006年、2月初版)P159 L6 一つの約束)。終戦の年、若きら
    に、太宰は文学者としての使命感を、理想の松明を、高く掲げた。
     特に、上記著書P160 L16。我が眼から鱗が落ちた。心の平安を、百代の過客から、小野先生
    から戴いた。即ち、「作家は、その創作と発見において、神の位置を犯すものと言える」。神の位置を
    犯すとは、太宰の無言文体である。見えざるものを見えるという。聞こえざるものを聞こえるという。有り
    もしないものを有るという。その文字化する以前の、太宰の脳波である。

71  三月壱拾壱日闇いそぐ通夜に雪明らばホット父の月命日

72  避難所のお握り奪ひし大津波夜の凍ばれ(しばれ)に糸川(イトカワ)の齢
    (よはひ)無し

73  ふるさとの山河飲みし大津波宇宙の食道はありやなし

74  食道をどす黒く逆流せし塩の水おい!大津波よいづこへ

75  水浸く(みづく)屍(かばね)と海泳ぐ大津波 拉(らつ)されし人今救はるる

     私はイタコ(巫女・先祖の霊を降ろす・予言者)ではない。言霊は太宰の「津軽」から自然に
    吐き出された。
     太宰は、「我、20cの旗手たらむ」と志を立てた。「津軽」執筆当時、日本は坂の上の雲に手が届
    くかもしれない、という希望を持った。明治以来、森鴎外は勿論、多くの文学者も西欧を目標として
    きた。太宰は「聖書」からイエスキリストをライバルとした(第2章 1 文体(13))。何故、太宰は歴
    史書を引用したのだろうか? 然も構想から短時間で非の打ち所無い「歴史」を太宰は打ち立てた。
     それは、青森に墓を持っている者、明治以来白河以北一山百文(或いはひょっとすると戦略か?)
    に反応する者、または、「津軽 P157 L5・・・国運を賭して・・・・」、そうして太宰特有の道化文体
    (第1章 3)にほとほと絶望を感じてしまう者にとって、その「歴史」は納得できるのである。再度、
    無言文体1(散文) 始めに を掲ぐ。

      始めに

二十世紀   戦争と平和があった

二十一世紀 地球に人類はまだ存在している

二十二世紀 人類は存在しているだろうか

    決して、FUKUSHIMA原発の「ベント」を私は、占ったわけではない。太宰も「津軽」で「農地解放
    」「斜陽館」解放等戦後を予言してはいない(道化文体(第1章3)。のみならず、「斜陽館」が
    爆撃目標(回想の太宰治 P49 L15)等占ってはいない。
     「津軽」を学際的に経済・経営学(A.SMITH等)から私はアプローチしようとしているが、脳力か
    らして身の程も知らぬ身の毛もよだつ話ではある。原発の点検から方法論を発展させ、PREVENTI
    VE MAINTENANCE,PRODUCTIVE MAINTENANCE等考えれるはずがない。
     尚、当日、街は大停電であった。通夜(亡き父の友人の奥さん)は真っ暗闇であった。又、父の
    月命日でもあった。
     青森市は、大津波を陸奥湾が吸い取った。のみならず、倒壊等の大災害も発生しなかった。青森
    市三内丸山と同じ文化圏(函館市 垣ノ島B遺跡の墓から赤漆の繊維製品が発見されている。世
    界最古。9000年前である(東奥日報 (平成23年4月2日(土))。縄文時代から、青森市は、
    巨大地震・大津波で砂泥に覆われた事はなかったようである。現段階での考古学上の発見等から
    考えて。
      @太宰が終戦の年に、上記講演(宗教的次元の使命感ー多くの人の幸福を願い自分は大浪
      に拉(らつ)される)をした。その舌の根も乾かぬ3年後に死んでくれたおかげで、「太宰の無言文
      体ー実験」が書きやすくなった、という発想を私は持っていない。
      A明治以来、皆ひたすら「坂の上の雲」を見つめてきた。ハードの面である程度達成できた。しか
      し、何かが足りない。皆は判っている。太宰的表現で言うなら、それは「幽かな」何かである。誰も
      が心の隅に持っていた。有言文体に文字化できなかっただけの事である。
      B太宰は、斜陽館で物心ついた頃から「政治」は夜作られる事を知っていた。アジア的である。
      Cノーベル物理学賞を、そして世界一を目指さねばならない。当然である。できれば全ての国が。
      全てが、善も悪も宇宙の構成因子であるから。物理とは、物(万物)の、理(原理)である。
      Dそうしてブレイクダウンした「技術」も一流でなければならない、全世界が。そうして現実は神の見
      えざる手(価格調整機構)に導かれる。
      Eしかし、「故障・修理・点検等」する際、単に「復旧」するだけでなく、PREVENTIVE
      MAINTENANCE,PRODUCTIVE MAINTENANCE等をMETHODOLOGYとして発展
      させ、確立させねばならない。それは設計思想に革命を勃発させる事でもある。
      F隣接諸科学を総動員し、学際的であらねばならない。
      G全員参加の原則でなければならない。時には周辺住民も含まれる。(太宰のように地主階級
      でありながら小作階級を搾取しない、「津軽」では、太宰は袴をただぱたぱたさせるだけ、という表
      現をしている。全員の意味は、強制的なものではなく反対者も)。政治(まつりごと)=お祭り)。
      H先祖からの言い伝え、「津波てんでんこ(津波が来たら、例え親兄弟でも助けない。自分だけ
      が生き残る。)」。実践的訓練を生き(勝ち)残った人々には、応分の報酬があるようにする。
      I「カイゼン」が達成されたら、費用対効果により報酬を受け取れる。戦後、高度経済成長を達
      成したように。再生産可能にする。そうして、最後の砦は、人的資源である。
      Jそうしなければ、マイクを最後まで離さなかった若き役場女子職員の霊が浮かばれない。無言
      文体ー実験等と言っていられない。しかし、太宰「津軽」の歴史書引用部分(後半部分)で、特
      に戦後の民主化、地主制等具体的表現・有言文体は一切無い。したがって、太宰を含めた「私
       」を因数分解したその中の私は、太宰の文体ー実験のシミュレーションの一つとして、「袴をただ
      上げ下げする(第1章 3)」結果となるのである。
      K避難所の老婆は言った。「家に帰りたい」、と。しかし、その家は大津波に流されてしまった。のみ
      ならず、親・兄弟姉妹同胞(はらから)全員大津波に拉(らつ)されてしまっていた。老婆は「自分
      は生き残るべきではなかった」と、自分を責めた。そうして、取材した女子アナと二人で泣き崩れ
      た。
       このようなシーンは、これを最後としなければなるまい。以下は無言文体である。
      L22c末にも人類がこの地球上に存在しているために。宇宙には人類以外の、神ならぬ神が存
      在しているかもしれない。イトカワから持ち帰ったものが全てであるとは限らない。パンドラの筺は簡
      単には閉められない。
       但し、見えざる神の手(A.SMITH)により・・・詳細は後日を期したい。
    (2)平成23年4月7日(木) 23:32 M7.4 余震による大停電
      その時、大停電の時、私は町内会回覧板を見ていた、消防署の地震対策のマニュアルを見てい
      た。乾パンが無いことに私が気づいた、その時だった。
      青森委市消防署の報告によると、緊急消防援助隊出動として、第一次隊青森県隊29隊104
      人中、現場青森市消防は5隊19人であった。(以下省略)。添付写真は岩手県久慈市及び
      野田村であった。その日は3月20日であった。3月20日付で私は青森消防署に礼状を書いて
      いた。母が倒れ、自力で搬送できなくなってしまった。凍(し)ばれる真っ暗な寒気の中、救急車の
      ライトを眼にした時、私は助かったと思った。
       尚、毎年ハワイに出場している消防署の一人から、自転車の乗り方を、私は教えてもらった。大
      昔、トライアスロンに私がクビを突っ込んだ時の事だった。競輪場の駐車場を周回するコースだっ
      た。急坂を降りきった時、90度右旋回しなければならなかった。車体を倒せるだけ倒し、ペダルで
      コンクリート削りながら。編隊の飛行機が一機ずつ美しい軌跡を描くかのように、否、描いた。後半
      その角に一人の男性が立っていた。目は虚ろだった。赤い物は眼に飛び込んでこなかった。自転車
      は壊れていなかった。
       そこに幅30p位の側溝があった。あれは幻影だったのではないか。私の身代わりか?否、私自
      身だったのではないか?皆の期待を裏切る奇跡を私は起こしてしまった?
     (3)平成23年4月30日(土) 18:30 青森県立美術館野外公演「津軽」
       原作(太宰)
       潤色・脚本・演出・・・・・・・・・・・・・・・・・・・長谷川孝治
       太宰の文体の特徴の一つは「演劇的」である。
      青森県立美術館は、広大な縄文の遺跡群、三内丸山にある。青森市街地の夜景を一望でき
      る。が、風は冷たい。青森の四月の夜は冬並みである。
      太宰治役である村田雄浩は、PR用TV番組で着ぶくれでいいから、一杯着込んでこい、と言っ
      た。私はカイロまで準備した。当日は雨であった。だんだん、気持が萎えていった。誰も来ないだろ
      う。三内丸山の巨大木柱遺跡は謎である。宗教儀礼用神木か、単なる祝祭用か?その柱は余
      りにも巨大で日本で調達できず、旧ソ連から輸入した。偶然青森港で発見した。三内丸山、夏
      の夜、満天の星と交信し、みそひともじ(三十一文字^和歌)がたちどころにできあがるだろう。
       会場に到着してびっくりした。当日券無し。長蛇の列であった。案内パンフレットの挨拶文はM県
      知事、しかし、E副知事が舞台で口上を述べた。紋付き羽織袴だった。青春の頃、太宰全巻を
      読破した、と言った。私は恥じ入った。昔、桜桃忌で、十代後半の女の子に、軽蔑と驚きの入り交
      じった目つきで、私は睨まれてしまった。こんな事まで知らないのか、と。タケの言語は上磯瓣(小泊
      地方)である・・・と言ってしまった。「タケは金木の生まれで嫁に行ったから小泊に住んでいただけ
      だ。」と。名前はツシマといった。長部言う如く、太宰の言語の母はあくまで金木瓣である。
       E副知事のように太宰を全巻読破しなくとも、私のように小学校レベルの状態が現在まで続いて
      いたとしても、一応青森県人の中で教養レベルで話をあわせる事ができる。そうして内なるもう一
      人の自分と対話する。あの時の謎(A.SMITHのINVISIBLE HAND OF GODの
      METHODOLOGYで解明することが生涯の幽かなるのぞみである) ・ 脳状態を探し求めて。
       太宰の文体について多分、最初に意識した昭和30年6月20日(第2章1(12))、T紙に登
      場する文人政治家竹内氏は、教養を通り越している。(将来、青森県知事を志す人は、皆太宰
      を読まねばならない?)そして、その記事は、@青森の会場に太宰が弘前から駆けつける時、わざ
      わざ電報を打っている。A太宰は自作を芝居の主人公になりきって朗読した。B作品の心理分
      析が問題になった。C後年の文体を窺わせるあでやかな艶があった。Aの朗読が重要である。有
      言文体の文字化した言語ではなく、耳からインプットされる金木瓣的なまりのある津軽弁である。
      野外劇「津軽」でも、劇中、女義太夫節が満場を圧倒させた。女性の背後から逆光が紫に客席
      を染めた。女性のねっとりした抑揚に、逆光は酔いしれさせた。演出の指示であろうことは、容易に
      察しられる。演出担当(青森県立美術館舞台芸術総監督)長谷川孝治は言う。「・・・東日本
      大震災以後、心の専門家であるはずの演劇人達は、まったく持ったことのない新しい「強さ」を持
      つことを強いられた。・・・言葉は無力だ。・・・しかし、心は無論言葉でできているのだから、言葉の
      中を前進するしかなかった。・・・」
       言葉が飛び交う芝居を見て、つくづく演劇人達は幸せだと思った。和歌は三十一文字の言葉の
      み。演劇人は右脳に直接言葉を投げ入れることができる。身体言語である。
      舞台は、縄文五千年の思ひ、否、縄文情念九千年上にある。原作太宰の「津軽」との相乗効
      果で、身体言語は(益々その輝きを増すだろう)。長谷川孝治は上記一文の最後を次のように締
      めくくった。「・・・太宰の言葉の端々は(ますますその輝きを増すすだろう)と。
       鳴りやまぬ拍手は、地下に眠る何千年も前の縄文人達の心にも響き渡った(無言文体)事だろ
      う。
       野外の会場なので、雨の降る場面は本物の雨だった。
      木炭バスそっくりのバスが舞台上手から登場し、中央で向きを変え、そのまま奥へゆっくり走った。ど
      こまでもゆっくりと。夜の闇が舞台のカーテンの役割をしていた。あっ!危ない、ぶつかる!と思った
      がバスは直進した。赤いテールランプのみとなった。舞台は美術館の大型美術品搬入口に仮説建
      設されていたのだ。木炭バスは道路を直進しているのだった。やがて、木炭バスは、無言のうちに消
      えた。舞台下手に夥しい本が、無造作に積まれてあった。適当に荒縄で縛ってあった。一番手前
      に「大東亜経済年報」「昭和十七年刊」、とあった。まさか、E副知事の蔵書では?
       17人の黒子一輪車軍団が、舞台を猛スピードで群舞した。全身黒ずくめ、山の上の野外劇
      場の夜の闇を従え、一斉に旗を振る。突進する。旗を振る。突進する。そのたんびに太宰のDNA
      が飛び散る。拡散する。地下の縄文人達にまで。黒子軍団は、真っ白な、妙になまめかしい女の
      顔をしていた。

83  海風(うみかぜ)の野外演劇に夜の雨三内に浮かぶ縄文「太宰」

84  縄文の巨大御柱篝火の太宰の「津軽」を火の粉踊る

85  「君は誰(た)そ」弱き太宰の声愛し(かなし)我に向かひて舞台から問ふ

86  太宰の声の「君は誰そ」舞台の津島修治を貫通せり透明に

87  実験室にDNA飛散せり一輪車軍団の黒子艶めく(なまめく)

88  舞台すみに本無言昭和壱拾七年大東亜経済年報

89  高見にて菖蒲の「タケ」に太宰会ふ愛しき心柔柔(やはやは)に無言

   (4)芭蕉
     TVの大津波を、私は、まるで遠き古の外つ国の出来事かのように見ていた。真っ黒にのたうつ八岐
    大蛇(やまたのおろち)が、道路を蛇行しながら暴れ回っていた。松島という地名と芭蕉の人名とが結
    合するまでに、暫く時間を要した。松島ー芭蕉ー奥の細道ー杜甫(春望)で始めて我に返った。大
     昔、松島に、父が(第2章 1 (6))、何故か、私と妹とを連れて行ってくれたのだ。

76  松島に誘(いざな)ひし父の眼ありや亀裂走る瑞巌寺の壁に

82  見つめ来る津波の中の眼は無言ああ松島や彼岸旅せむ

    その松島である。天、あまりの青に海の青が空の青に吸い取られていた(第2章 1(6))。俳句の一
    句でも、と思っても後の祭りである。瑞巌寺拝観券(き No 71594)、青龍山 瑞巌寺宝物館 
    入館券、観覧亭博物館 観覧券 No 13326(大人 60円)。
     何故、瑞巌寺の廊下が鶯張りなのか、当時疑問に思った。寺・仏教・宗教・・・家康を恐れさせた
    男・主役になり損ねた伊達政宗の歯ぎしりのような音だった。伊達藩が明治天皇に馬を献上したとい
    う。その馬はサラブレット系であった、という。徳川幕府参百年間、その秘密はいかにして保たれたので
    あろうか。
     芭蕉は、伊賀上野に出生した(「奥の細道の謎」−芭蕉と戸田家の人脈ー戸田徹著 2005年
    12月30日 中央大学出版部 )。付添人 曽良も忍者(同著 P40)だという。同著 P24 2 
    謎を生んだ芭蕉「旅」の軌跡 L19 「・・・芭蕉の旅の行程が外様大名の雄、伊達藩・上杉藩、加
    賀藩の領地であったことから、俳人を表に出して藩内の内偵と巡見をしていたのではないか?・・・」。
    また、「同著 P34 3 歴史の背景と人的コネクション」「P49 4 幕府を震撼させた越前藩に関
    わる三つの事件」「P86 6 老中戸田忠昌と芭蕉・勘兵衛との接点」から推測している。又、写真
    に家伝来の芭蕉の掛け軸・芭蕉の携帯ひょうたん徳利等を掲げている。もう一人の芭蕉が芭蕉の内
    に存在する。野外劇にもう一人の太宰が存在するように。そうならば分析に・俳句に深みを増す。しか
    し、忍者であろうがなかろうが、芭蕉の「奥の細道・俳聖」の地位は揺るぎない。太宰も「津軽」で芭
    蕉を取り上げていた。野外演劇「津軽」でもさわりを「太宰・村田」が演技した。そして、有名な俳句
    「古池や蛙(かわず)飛び込む水の音」の、音を「チャボリー津軽 P115 L12」と表現した。「・・・そ
    の音は浅はかな音である・・・」。そうして、「あなたの中には芭蕉を理解できた沢山の少年が住んでい
    る」・・・「隣にある言葉を拾ってくる名人・・・」と寒気しんしんたる北国の春の夜に明晰した。
     この水の音に、太宰は「津軽」で、俳句の談林派を解説したかったのではないか。いずれにせよ、こ
    の一音で、漢文・漢詩の延長上に芭蕉は、日本文学に俳句世界を確立し、論理では表現しきれな
    い闇の部分・無言文体を白日のもとにさらす。
     忍者芭蕉が俳句の会を開く。しかし、句会は文学である。いくら学際的に、とはいっても、文学には
    限界がある。さりながら、明智光秀は連歌の会を開催した。その時、京都のプロ政治家達に暗黙の
    サインを送っていた、連歌の中に。即、本能寺の変を、信長暗殺の予告を。
      「77番 國破れしが」の歌は、下記「おくのほそ道」解釈事典 堀切 実編の、 P121 下段 
    L16(5)杜甫「春望」からである。大津波はその美しい山河をも奪い去ってしまった。

77  國破れしが緑溶かせし水さやか太き蛇のたうつ松島逃げよ

78  めくるめく松島の松飛び去りきカメラ写せしや芭蕉の顔を

     「78番の歌」、忍者芭蕉を仮にカメラに閉じこめた、とすると「もう一人の自分」が存在する。野外演
    劇でも、「太宰・村田」が、「君は誰だ」と鋭く叫んだ。のみならず、ダブルキャスト等(和服を2人の女
    性がただ単に折りたたんでいた)、闇に向かって、精密な論理を展開していた。そうして、私の太宰への
    同じ原点は、此処にあったのだ。
    「奥のほそ道」解釈事典 堀切 実編 (株)東京堂出版 2003年7月20日初版
    P118 [二八ー平泉]「三大の栄耀一睡(えいえういつすい)の中(うち)にして・・・」で始まり、「・國
    破れて山河あり、城(じょう)春にして草青(あを)ミたりと、・・・」という一連の地の部分(述志)と、
    俳句「夏艸(なつくさ)や兵共(つわものども)が夢の跡(心情)」とは、見事に一体である。
    山上憶良との差である。「國破れて」は杜甫「春望」に拠る(同著 P121 下段 L16(5))、
    P024 [一ー序章]「月日は百代の過客にして、・・・」で始まる奥の細道は、同著 P028 下段
    L11(1) 李白「春夜宴桃李園序(春夜ニ桃李園ニ宴スル序)を出典としている。又、L19 「・・・    李白詩は、同時代の資料に徴すると、無常を主張する文脈として位置づけられ、芭蕉の人生観を象
    徴する禅語「無常迅速」をキーワードとすることにより、「笈の小文」(風雅論)と関連・・・」と解説して
    いる。

79  米兵とその妻舟上(せんじょう)なりし大津波我が脳内過客にす

80  米兵の妻マリリンモンローかその母和服にひそやかなりき

81  忍者のごとき老人を車スローにはねとばしき松島水浸く

     上記79番・80番は遊覧船上だった。現在の大震災 TVに映る観光船と異なり、小さな舟だった。
    近くで見て始めて若いアメリカ兵と推測した。最初新婚旅行かと思った。女性は日本人離れした豊満
    な体格だった。遠くから見ると、背の高い日本人と女性が帰郷して偶然近くの観光に来た、という印象
    だった。何よりも女性の母親と思われる和服の女性が、控えめにそばに立っていた。当時外国人は珍
    しかったが、周囲はそれほど関心を示さなかった。81番は、ドーンという衝撃音に振り返った。やせ細っ
    た老人が車のバンパー前1メートル位を、ゆっくりと、宇宙遊泳をしているかのようだった。野球の中継、
    超スローカメラが盗塁の際、選手の折りたたんだ右足と生き抜くためのベースにタッチせんが為の左足
    を拡大し見ているかの、錯覚に私は陥った。それだけだった。移動中でもあり、遠くから見ていた。しか
    し、車も人も殆ど見えなかった。観光地特有の乾いた空気が漂っていただけだった。ジリジリと照りつけ
    る青に、赤きが強烈だった。その下の海の色は、青森の十和田湖に比較にならない。琅かん(中国産
    の碧玉に似た深みの青色原石)を溶かした湖面を、31文字に私はとても歌えない。明治時代から急
    に、しかも何故か文豪を引きつけた。その謎もローカン色の謎も私は知らない。
    (5)Jブンガク(雁)
   @雁は森鴎外作である。小野先生奥さんから読まねばならぬ、と言われながら、この年になるまで読め
    なかった。そこで、よく読んだ人のテレビ番組を見ることで、読んだ事にし、足して2で割ることにした。
     Jブンガク(雁)は、NHK 教育テレビ、2010年 10・11月号 P35ーP60、従来の日本的な
    視点からではなく、海外からの視点で、日本文学の魅力に気づく、という番組である。斜陽館2階、
    薄暗い一隅に太宰の夥しい翻訳の本があった。不思議な空間であった。又、桜桃忌でドナルド・キー
    ン氏の講演も聴いた。達者な日本語に舌を巻いた。のみならず日本人以上の雰囲気を醸していた。
      (雁)担当は佐藤 温氏であるが、TVでは、Robert Campbell(東京大学大学院総合文化
    研究科教授),杏(Anneモデル・女優),英語朗読(加賀美セイラ 歌手)が登場した。
      番組では、日本語を先に朗読しない。翻訳した英語のリズムに身をゆだねる。これは、山上憶良
    の場合なら、和歌ではなく、漢文書き下し文の日本語独特のリズムに、まず耳を貸す、或いは芭蕉
    の「奥の細道」の上記同様のリズム、これで漢詩の述志・理論・仏教等を理解する。次に本来の俳
    句が登場する。太宰では、「タケ」の前に、漢文調の歴史書がリズムを刻む。当然、宗教的面ではイ
    エス・キリストである。又、鴎外は、自分を3分割させた人物を登場させている。太宰もじっくり研究し、
    師匠以上の成果を上げた。それが私小説である。野外演劇「津軽」では、縄文・太宰(村田演ず
    る)と津島修治、そのほか和服を畳む女のダブルキャスト等、人間分割されている。又、私の太宰へ
    の原点でもあり、A.SMITHも含め、詳細は後日を期したい。
      まずはTV画面の美女2人の発声・表情等、身体言語にウットリしたい。上記著書P59、L1から
    「・・・クライマックスといえるくだりではあるが、英語で言うとむしろanticlimax・・・(Robert 
    Campbell)」に焦点を絞りたい。
      (英訳)
      ”The woman’s face froze like a stone;and at the bottom of her 
    lovely,wide−open eyes,she seemed to harbor an endless pool of regret.”
      [r]音は6カ所出てくる。朗読した加賀美セイラ氏はカメラが斜めに写していたので、歌手ソロ(ベー
    トーベン 第9)のようにカメラが正面とはならず、正確には検証できなかった。
      しかし、英文朗読の強弱リズムそして山上憶良(万葉集)・ 芭蕉(奥の細道)・太宰の歴史書の
    漢文書き下し文のリズムを胎内に取り込めばよい。胎児生命体が原始音をシャワーのように浴びてい
    るように。それが外国語であるかどうか、DEFINITIONの論理的回路にスイッチを入れずに、風が自然
    をたゆとう時音楽を奏でるように。
      杏(Anneモデル・女優)は、「froze」に相当するくだりでは(私は全神経を集中して聞き入った)、
    能面(これは褒めすぎ)のような、さりげない能面、指示された声調、遠い先祖にふるさとを都会から
    遠くに持つような・・・という印象であった。何よりも日本人離れした身長・顔の小ささ等から、Jブンガク
    (雁)に幸運なキャスチングではあった。乾いた皮膚感覚であり、歌36番の「・・・むしあつさ無し・・・」
    が学際・J文学の登場を予感した。これこそ、無言文体である。いくら実験とは言っても、真っ赤な嘘
    に近い。限りなく真実に近い「嘘」である。
36  鴎外の墓へ小さく掘り行かむ紅きトンネルにむしあつさ無し

       その意味で、3人とも生まれは都会である。特にRobert Campbellはニューヨーク生まれ(ヤンキ
    ースタジアム近く)である。野球少年から映画館通い(12・3歳)、黒沢監督に憧れ、美術を専攻し
    ていたら日本語が大事だと言われ、日本文学にも興味を持った。だから、Robert Campbell氏は
    「harbor」を日本語の含む・含まれるに翻訳し、「湛える」「はらむ」として意訳した。黒柳徹子(ABA
    TV 徹子の部屋 平成22年10月29日(金) )にあやかり和服でTVに、時にはしゃれた服装(同
    女史曰く)で、特に日本では入手困難な靴で散歩するという。
      以上より、森鴎外も若い頃から西欧にあこがれ(上記のような雰囲気)を持った。上記英訳の直ぐ
    後の文章で「・・・(森鴎外の分身3人は)円錐の公式のおかげでunbefangenな態度を保って巡査
    の前を通過することができたのだ・・・」(日本文学全集 5 森鴎外(二)(株)集英社 昭和48年7
    月8日初版 P94 下段 L12)。unbefangenに翻訳日本語がない。(個人的には独語が苦
    手、よくできる人のノートを借りてやっと単位を取った。授業中、立たされた事もあった。ベートーベン 
    第九のみ歌えただけのはなしではある)。同社校正子が屈託無く手を抜いたのだろうか?常識的には
    あり得ない。エリート意識丸出し?気障?明治時代の森鴎外は必死だった。彼は民族の興亡が掛かっ
    ていると思った。このような書法は太宰にも通じる。太宰は「津軽」執筆当時の時代を考えると、100
    0年に1回あるかないかの機会である、と太宰は思ったはずである。しかもその事は、太宰にとって、20
    cの中葉、歴史上日本民族の興亡が懸かっているし、同時に太宰は物書き冥利である、と思ったに
    違いない。
      太宰の場合大問題は聖書である。有言文体というよりは無言文体である。森鴎外・いなかっぺい
    と太宰との決定的な違いは、前者は軍医総監(官僚・サラリーマン)かつ文学者、いなかっぺいもサラ
    リーマンかつ芸術家だった。仕事中は文学的創造性・創造的ユーモアを作る事はできない。後者は2
    4時間文学者であったし、サラリーマンの経験はなかった。詳細は後日を期したい。
      しかし、私はこれだけは言いたい。テーマである無言文体に実験という文字がくっついている。だか
    ら、私はverificationこそ大事である、と申し上げたい。例えば、文字化された日本語を眼から脳にイ
    ンプットする場合がある。又、音声化された日本語を耳から脳にインプットする場合がある。さらに、TV
    の映像から音声を消されたとしても、無言の身体言語を脳にインプットする、という場合がある。最近
    のJIDEJI(平成23年7月から日本全体でアナログ放送廃止)対応TVカメラは、走査線が精密にで
    きているので、睫一本も見逃さない。画面に映る朗読者の眼の底に凝っている何かを朗読者は視聴
    者に残せれたか、否か。そのようにRobert Campbellは演技指導したのだろうか?
      杏(Anne)はモデル・女優である。だから彼女は知性的な雰囲気を出そうと、彼女は自ら役作り
    をしたのだろうか。彼女は、自らの日本人ばなれした肢体の体重を、円錐の公式に無理矢理当ては
    めたのだろうか。更に、彼女は、それを頭の中で計算し、unbefangenな態度を保ってTV視聴者の
    前を、モデルのようにリズミカルに歩み去った脚線美の残像を残すことができた、かもしれないのであ
    る。
   A二葉百合子
      太宰の文体の特徴として「語り」がよく知られている。起源に仏教の影響が指摘される。例えば、
    第2章1(6)で結婚式後頭を丸めた新郎の親友と同席した。その語りの老獪さに私は、蜘蛛の糸に
    絡められたようだった。これでは同輩が焼き餅を焼き嫌がらせをするのも宜鳴るかな、と思った。野外演
    劇「津軽」の文体は語りに通じる。既述したように女義太夫(女性)は、逆光を後背から浴び、言語
    が七色に四散した。これは非日常の舞台である。太宰も若い頃それに熱中した。太宰は幼少からタ
    ケが、日常、語りを聞かせた。全盲の大道芸人「竹山」は、津軽三味線と共に戦後の若者の心に語
    りを感動させた。若者にとり、信じられない非日常は、嘘偽りのない竹山の日常だった。同じ系統で、
    三味線と共に語る浪曲がある。二葉百合子は名プロデューサー父の指導のもと、24時間芸道一筋
    だった。ある意味、歌舞伎界の梨園に似てもいる。浪曲は日本人の琴線に触れる。大道の名も無き
    民衆に二葉百合子は幼少から育てられた。そうして、名曲「岸壁の母」にまで芸域を登り切った。この
    高度の集中力を必要とする芸域は、美空ひばりの実母のような「芸域MANEGEMENT]が必要条
    件である。
      二葉百合子は大道で名も無き民衆の視線を送り返す事ができるようになった。例えばたった一人
    のために、群衆の中から探し出し、その一人に視線を送り返す「岸壁の母」の修行である。二葉百合
    子は歌いながら、ゆっくりと回転する。移動したその一人を、全身硬直させる(J文学froze)。実験は
    常に成功した。無言文体であった。それは歌舞伎のにらみどころの比ではない。静止した時、始めて
    二葉百合子は正対する。次の瞬間、視線をレーザービームのように発射する。眼に見えない視線が
    frozeにさせる。
      「岸壁の母」になりきり、どのような大群衆であろうとも、たとえ目隠しされていても、脳波で我が子
    を探し当てる。そのようないわゆる芸域に達した。静止したとき、包帯を取らるる。真正面には我が子
    がいる。その「我が子」が「froze」の状態になっている・・・身体言語は無表情である。しかし、感動以
    上の、墓場まで持って行かねばならない無言文体を凍らせるシミュレーションも成立する、と思う。
   (6)岡井隆(大震災後に一歌人の思った事ー日本経済新聞 平成23年4月11日)
       岡井氏は当代を代表する大歌人である。私如きの歌を歌と言っていいかどうか、余りにも仰ぎ
    見るたかみである。最初、テーマに一歌人と核心突いている事に感銘を受けました。最後に、参考文
    献を3冊あげている事に、自分の追求しているテーマの方法と重なるものと勝手に思いこみました。左
    脳(論理)(3冊)と右脳(歌)との関連性です。太宰のすばらしい文体はどのようにして生成されたの
    だろうか、というテーマです。
      困ったことに、私は文科系。3冊が理解不能でした。即ち、@「プルトニウムの恐怖」(高木仁三
    郎)A「放射線と人間」(舘野之男)Bプルトニウム」(友清裕昭)である。@に関連する高木の著書
    「プルトニウムの未来」に、2041年の近未来小説があった。2011年人類は地球上に存在してい
    る。2041年最悪のケースを、科学的かつ学際的に想定し、杞憂に終わるようにと、結んでいる。
      上記はプルトニウムを作品にした。岡井氏は「・・・原子核の構造を探り当て・・・理論と方法を編
    み出し・・・」と記述している。これは山上憶良のイデオロギー「仏教」かつ岡井氏の「述志」に相当する
    ものではないだろうか?そしてそのように私は歌を詠進した。特に題詠の場合、年1回の題詠でも、その
    年はその題のみにテーマを絞り、最初に方法論の選択からはいる・・・といきたいが、理想と現実は余り
    にも差がありすぎる。岡井氏は「・・・述志・・・」を、「・・・その述べ方の工夫に命をかける言葉の職人
    芸が大事・・・」と説いている。これは多分プルトニウムを基調とし、上記3冊の著書を方法論の基礎
    としているに違いない、と私が思った歌、1983年の歌「亡ぶなら核のもとにてわれ死なむ人智はそこに
    暗くこごれば」の結句に衝撃を受けた。「こごらば」ではないのだと。
       「原発はむしろ被害者、ではないか小さな声で弁護してみた」の歌には、大きな声で聞かされる
    「ベント」等一連の原発関連technical termsやミリシーベルもない。又、最後の歌の、「・・・いやい
    や、男から見ればさうだが女は違ふ」にいたっては、「・・・この「女」は・・・「原子核エネルギー」の暗
    喩・・・」と来た。ただただ、小さな声でため息をついた。3冊の著書から歌・言霊を生成するということ
    は、こういう事なのだ!太宰の妻が、太宰生家の金木で、民謡(小石が川に浮き、木が沈む)を幼少
    から聞かされ、作品の発想に応用した、と記述していた。それは逆転の発想である。
      上記@「プルトニウムの恐怖」を述志とするなら、作品(右脳の創造性)は近未来小説「プルトニ
    ウムの未来」となる。論理的には理解しやすい。芭蕉「奥の細道」も同じ構造である。但、大震災は
    社会詠である。短歌より俳句が字数が少ない。「・・・季語を入れ、字数に限りがある俳句は、よほど
    純度の高い言葉を選ばないと、きちんとした俳句にならない・・・」と俳人長谷川櫂は言っている(平成
    23年5月23日 T紙時代の航海図)。関東大震災発生後僅か2日くらいで復興庁が立ち上がった
    とか。しかし千年に一度の今回の、21c大震災を予見した思想・理論はあったのだろうか。又、太宰
    もかぶれたマルクス主義は理論的に破綻したのだろうか(第3章 2 アダム・スミス問題 (1)論理的
    矛盾 100年かけて議論した)、明治維新を成就させた思想家、若き彼らに匹敵するくらいの人的
    資源が・・・。大昔、吉田松陰の足跡を、ほんの少したどった。太宰が「津軽」で、此処は国防上機
    密事項・・・と記述したような所である。津軽半島、陸奥湾側から日本海側に抜ける道であった。地
    元T紙に、その山道は観光用としてまだ未整備とあった。江戸時代には、地元の猟師(一般の人は山
    を越せない。獣道を熟知している熊狩り専門のマタギ)のみ道を知っていた。T紙には写真入りで道
    無き道を踏破した、との記事であった。宿は陸奥湾側であった。その時は「太宰」なので、入山口だけ
    確認しようと思った。夕方近く期待せずにのんびり出かけた。
      あきらめ帰ろうとした。獣道のような葉隠の下、細い道が眼に飛び込んできた。気がついたら顔から
    塩が出ていた。
      頂上、右に松陰の漢詩があった。まさに述志であった。眼下に日本海の漁り火・・・ではなく、街の
    灯だった。
      ショートピースを吸えるところは全部吸って、大きく息を吐いた。真っ暗だった。懐中電灯もライター
    も皆ミニバイクにおいてきた。マッチは直ぐ無くなった。最悪、算用師川を歩いてゆけば陸奥湾に出られ
    る、とも思った。ガサゴソと大きな物体(鼠をひとまわり大きくした)が横切った。蛇ではなかった、と思う。
    そこで木の枝で地面を叩きながら、下った。道端の草むらがキラキラ光り輝いていた。蛍かと思い、ほっ
    とした。感謝の念が心の底からわき上がりつつあった。何事もおまかせで生きてきた。感動した。しかし、
    何となく様子がおかしい。たどってゆくと平らな広場のようなものが幽かに感知された。道端の草の露に
    月光が反射し、わざわざ私を桃源郷に導いてくれるのだろうか。太宰の心の平安とはこんなものだろう
    か。否、月影は無かったはずだ。
      ミミナシホーイチ(琵琶奏者、墓場で演奏中、亡霊に両耳を切り取られた)、私は背筋に冷たいも
    のが走るのを覚えた。登ってきたとき、幅30p位、その道の両側はきちんと杭で固定されていた(T紙
    で道が未整備との記事、多分峠から下りの部分と思われる)。川は蛇行していたが、橋は安心して渡
    れた。私は剣道のように、臍下丹田に力入れ大声を張り上げながら、枝を叩きつけ、草と河原の石、
    砂、草との音の違いを、全神経を集中して聴き、「登り道」からはずれないように下った。
      全盲の「ホイド三味線奏者・高橋竹山」は、このようにして、聴覚を鍛えたのであろう。転んで泥だ
    らけになりながら出口に帰還した。右手の掌が真っ赤だった。皮が破れていた。急に痛くなった。1メー
    トル以上の木の枝は30pになっていた。熊に喰われなかったのは幸いだった。(詳細は後日に)。
  (7)ハーバードからのメッセージ(世界は震災から何を学べるか)(平成23年6月7日(火)NHK BS)
   @私は、第3章 言霊 2.アダム・スミス問題 (4)マイケル・サンデル教授の弁証法 において、同教
     授の方法論(議論の進め方ーこれからの「正義」の話をしよう First published 2010 in 
     Japan by Hayakawa Publishing. Inc.  P42 L9-L14)を援用させてい
     ただこうと思った。言霊に道遙かなる歌ですが・・・

47  太宰の発見せし神キリストに我も真向かふる弐拾壱世紀

     HARVARD FOR JAPANは同大学日本人留学生を中心に設立され、大震災の日本を支援
    する。その支援活動の一環として、2011年 4月22日 同大学サイ講堂において、シンポジューム
    が開催された。同大學、日本通の教授・専門家達がメンバーになっている。テーマ・世界は震災から
    何を学べるか、である。中心になったのは、マイケル・サンデル教授である。同教授は言う。日本を支
    援し、知識を提供する。しかし、一方的なものではなく、お互いの対話・交流・知識を分かち合うもの
    である、と。司会はライシャワー研究所・所長 アンドリュー・ゴードン教授である。基調講演でマイケ
    ル・サンデル教授はアダム・スミス著道徳感情論に触れた。アダム・スミスは仮定として、中国で1億人
    が地震で消滅したとする。という設問に対して、欧州の人文主義者はどうするか?同教授は、彼らに対
    して、人間は共感をGlobalに共有できるか、と問いかけた。人道主義者達は、@強い哀悼の意を表
    し、お悔やみを述べる。 A人間の生命について感傷的な考察をするかもしれない。Bもしもビジネス
    マンなら世界貿易について分析するだろう。C結局、これらの人々は何事もなかったようにビジネスに
    復帰するだろう。D彼らの安眠は妨げられない。
      それに対して、自分の小指が失われたら、彼は一晩中眠れない。しかし、中国の地震の場合、1
    億人が全滅したとしても、欧州人は、地球の裏側の出来事であるとし、ぐっすり眠り、鼾すらかく、であ
    ろう。
     『アダムスミスは、私たち人間とはそういうものだ』、と言っている。それでは今回の日本の大地震はど
    うだろうか?私たちを変えるだろうか?単なる同情ではなく、深い関わりを持った、かつ社会を越えた文
    化・思いやりを、公共の場での関係性あるGlobal Communityを築けるだろうか。同教授は、単な
    る同情では、アダム・スミスの言うよう一過性に終わる。今回の地震は共同体意識を高めうるいい機
    会になる。それにはGlobalな対話が必要である。哲学・政治問題のGlobalな授業(Global教室)
    の実践例として以下を紹介した。日本は東京大学を中心、アメリカはHARVARD大學、中国は復
    旦大學の学生達であった(平成23年 4月16日 NHK BS 究極の選択(今回の大地震・福
    島原発))。同教授は、ルソーの説として、もしも人道主義の精神が世界に広まったとしたら、その分
    薄まる。つまり共感はGlobalになり得ない、とルソーは考えている。それに対して、(もしもルソーが21
    世紀に生きていたとして、YOU TUBEを見ていたとすると、おそらくルソーは、地球の裏側でなく自分
    の隣家と勘違いするだろう(日本の参加者))。YOU TUBEは18世紀半ばにはまだ無かった。YOU
    TUBEをルソーもアダム・スミスも知らなかった。
      同教授は1752年、リスボンの大地震・津波・火災を取り上げた。西欧の文化・哲学・価値観を
    変えた。災害の意味を神のたたり・単なる科学的説明で自然現象の段階と主張する人もいた。しか
    し、それは激動の啓蒙思想の幕開けとなった。ボルテール・ルソー・カント等の哲学者・思想家を生ん
    だ。同教授に対する質問、「GLOBALな市民意識に必要なものは理性か感情か?」に次のように回
    答した。哲学はソクラテスに遡る。それは対話と議論・理解と反論である。したがって理性も感情も含
    まれる。理性と感情を分けるべきでない、とも言った。
      (私見として、どのようにすると素晴らしい詠進歌(31文字)ができるか。それは太宰の無言文
    体である。
       山上億良(万葉集)は仏教を方法論とした。したがって理性の強い和歌となる。時代を下って、
    芭蕉(奥の細道)は感情(右脳)の強い俳句を芸術の域に高めた。仮に芭蕉が忍者とすると、鳥
    の鳴き声で情報伝達する(トルコのプシュコイ村)場合、完全に理性の世界である。しかし鳥・虫の鳴
    き声を俳句に詠む場合、芭蕉は感情(右脳)に傾斜する。又、題詠の場合、年1回の場合、1年間
    最初は理性(方法論ー山上億良の漢文書き下し文)、次に感情(和歌ー山上億良の理性の強い
    歌)という順序となる。芭蕉と異なり山上億良は欧米に近い。詳細は後日。欧米と遭遇した、明治維
    新の吉田松陰以上の思想家の出現が望ましい。又、太宰のように2000年のキリスト教文明を吸
    収しようとした文学者、さらにキリスト教・仏教等の宗教を越えた22世紀型宗教、哲学等が確立され
    ることが理想である。哲学の祖、ソクラテスの対話と議論等を通じ、同教授の民主主義社会が実現
    するかもしれない。その暁の22世紀に、地球生命体は移住した他の天体で、21世紀の地球を懐か
    しく思い起こすことであろう。)

 Aー1 歴史を転換させたリスボン大地震について以下記す。
     欧人異聞 (リスボン地震 欧州最悪の災害ー樺山紘一、日本経済新聞 平成23年5月15
     日(日))
        (尚、道徳感情論 上 アダム・スミス 水田洋訳 2003年 2月14日第1刷 (株)岩波
     書店 P313 注2の解説として、P322 L18 (2)1755年のリスボア(リスボン)の大地震から
     の連想かもしれない。と訳者の見解が記載されている。(道徳感情論    アダム・スミス 水田洋
     訳 1988年 5月10日第6刷 (株)筑摩書房ではP200 L17 シナという大帝国が、その無
     数の住民のすべてとともに、とつぜん地震によってのみこまれたと想定し[リスボア地震、一七五五
     年]、そして、)と翻訳されている。又、上記岩波書店版では、最後の文章が、「・・・想定しよう。そ
     して、」とあり、他は全く同一である)
       上記リスボン地震について、西洋史家樺山氏は、以下のように記述している。1755年11月1日
     午前9時30分、ポルトガルの首都リスボンで巨大な地震が発生した。揺れは数十分も続いた。運
      悪く、「万聖節」の祝日で、チャベルに多数の市民が集合していた。その人々の頭上に天上から
     梁や石や木材等が降り注いだ。さらに、リスボンはテージョ河の河口に位置する。何十メートルもの
     津波が襲った。そして火災が発生した。25万人の人口の内、3万人の犠牲者、流失家屋1万戸。
     (まるで日本の3.11大津波)。
 Aー2 欧人異聞 (リスボン地震 麗しのポンパル様式ー樺山紘一、日本経済新聞 平成23年5
     月22日(日))
       西洋史家樺山氏は、以下地震の復旧・復興を記述している。当時ポルトガルは大航海時代
     の栄光を一身に受けていた。栄華絶頂期に大災害。日本では普通、想定外という。欧州では大
     津波の経験も非常事態に対処するマニュアルもなかった。そこで、樺山氏は国王ジョゼ1世統治
     下、リーダーの宰相ポンパルを紹介する。運悪くポンパルは長い外国勤務から戻ったばかりで、しか
     も下級貴族出身だった。非常時のリーダーの経験は0だった。誰もがポルトガルの栄光は終わった、と
     思った。
       ポンパルは、布告した。「死者を埋葬し生者に食糧を」。次に、崩壊した建物を除去し、中心街
     に規格のととのった石造りの建造物を(豪華ではないが)建てた。(それ以外は建築が禁止された。
     ー此処が重要である。)(日本では瓦礫撤去がまだ終了していない(8月現在)。のみならず、
      FUKUSHIMA原発も安全だとはとてもまだ言えたものではない。さらに、リーダーの宰相ポンパル
      らしき沢山の政治家が、素晴らしい無言文体(無言だから我々一般庶民には理解不能)の、
      SHAKESPEAREも驚く大口上を聞かせている。ー太宰の無言文体・実験、即ち、太宰は「津
      軽」で、見事に乗り越えた。少なくても、22cに残る文学として。神の声を聴けるか、否か?それは
      神のみ知っている。我々凡人はただ歴史に流されるのみである。)
        街路と広場が建造物を結びつけた。中世風の古都からバロック風の首府へと変貌した。
      「ポンパル様式」と呼ばれた。今では「麗しのリスボン」と言われている。
      膨大な費用は次のように捻出した。@、大貴族・教会・修道院から徴収乃至没収。(日本では
     事業仕分けと言って、TVやマスメディアの前で各官庁の無駄を説明した。その他政権交代に伴い
     前政権時代の無駄を相当額捻出した。民主主義が罷り通らないと時代はいえ、常識的に考えて、
      下級貴族出身のポンパルが奇跡を起こした。可能にしたのは、一神教の国だからであろうか?)
      A、イエズス会の国外追放も強行した。(イエズス会と言えば、織田信長を思い出す。専制君主
      だから当時の欧州と気脈を通じる。暗殺されたのが本能寺で、法華経を中心とする一神教に近
      い(大雑把に言えば)。だから基督教神父とも理解し合える。
       鉄砲・鉄の舟等、当時の世界最先端技術を実用化した。歴史に(if)はない。単純に比較でき
     ない。日本は徳川家康を選択した。だから芭蕉のような高級忍者が必要になる。)
       リーダーの宰相ポンパルの方法論は啓蒙専制主義と呼ばれる。(歴史の教えるところ、欧州に
     攻め込んだジンギス・ハーンは先進武器・ハード(戦略・戦術)だけでなく、ソフト(絶対専制君主制
     の先取りー創業者利得)をも併せ持っていたー堺屋太一氏。ハードだけの国はいずれ民衆が倒
     す。)フランス・オーストリア・プロイセン・ロシア等当時の強国は、皆そういうソフト(財政・行政の改
     革・国家行政手法)を実行しようとしていた。結果的にリーダーの宰相ポンパルは他の大国に先んじ
     て成功した。経営学では之を創業者利得という。日本では合意主義だからどうしてもスピード感が
     ない。勿論、信長型が全て悪で、家康型が全て正義、と言うわけではない。
       ポルトガルの成功例に倣おうと他の先進諸国も絶大な関心を示した。のみならず、支援物資が
     ポルトガルに輸送された(樺山氏は、史上初めてのことだと強調している)。リーダーの宰相ポンパル
     の銅像が都心の広場に建っている。暗殺されずにすんだのだ。歴史の潮流に乗れたことは幸運だっ
     た。(私見だが、組織を血の通ったものにする為には、SAFTY NETを張り巡らし、きめ細やかな経
     営学を駆使すれば幸いだったと思う。
       経営学はイエス・キリストの周囲(教会)から始まっている。結果的に議論と対話を必要とし、そ
     れは一般民衆の無言文体が有言文体となる)。
       以上より、大震災から学ぶべきは(特にポルトガルの大地震から学ぶべきは、当時の欧州同
     様、21世紀の現在、歴史の大転換点にある)、マイケル・サンデル教授の言うよう、より強靱な民主
     社会を築くため、ソクラテスの哲学を祖とする方法論、即ち対話と議論・理解と反論をGLOBALに
     練り上げていかねばならない、と思う。
   B道徳感情論 上 アダム・スミス 水田洋訳 2003年 2月14日第1刷 (株)岩波書店
             下         水田洋訳 2003年 4月16日第1刷 (株)岩波書店
     道徳感情論    アダム・スミス 水田洋訳 1988年 5月10日第6刷 (株)筑摩書房
       マイケル・サンデル教授の基調講演「中国の地震」が、上記著書のどこか、特定しようと思った。
     簡単に発見できると考えた。しかし、甘かった。上記著書は出版社が2社である。やはり発見できな
     かった。最後、一つの参考例、事例として最初に提示し、対話と議論を通じ哲学的思想に最終的
     に到達する。そうすると本文ではなく注釈の中の一事例ではないか?とも思い、ようやくに見つけた。
       マイケル・サンデル教授は、「Suppose,THE GREAT EMPIRE OF CHINA・・・」  
     OR 「THE GREAT (DISTANT) EMPIRE OF CHINA」と言っていたと思う。中国な
     ら、日本の隣である。リスボンよりも遙かに臨場感がある。
       仮に、中国を発見した人が、アルバイトの学生だったとしたら、報酬をより多く獲得できるとして、
     「アルバイト生の報酬は高いか?」という格好の教材ができる。「イチローの年俸は高すぎる」(NHK 
     BS 平成22年12月19日)のパロディー版となる。
       道徳感情論 上 アダム・スミス 水田洋訳 2003年 2月14日第1刷 (株)岩波書店の
     P313 L1に「シナという大帝国が・・・」とあった。又、マイケル・サンデル教授の基調講演「中国の
     地震」は、上記著書 上巻のp313 L1〜P315 L8の段落の内、P313に相当する。基調講
     演 NHK BS「究極の選択」YOU TUBEあたりからアダム・スミス著書とは内容が異なる。(尚、
     太宰は「津軽」で、タケに公共放送から自作を朗読し、聞かせようとした。又、第2章 文体 (12)
     昭和30年6月20日付けT紙で、同人雑誌掲載の会合に太宰は参加した。その中に後日県知事と
     なる竹内氏も同席していた。又、太宰はわざわざ電報を打った。(以下T紙[昭和30年6月20日
     から抜粋すると、「アス ゴ ゴ 1ジ セイヨウケンヘオイデ コフ ツシマシウジ」。との弘前初電報を
     受け取ったのは雪解けの3月初めだった(注ー昭和2年頃)。当時僕(藤田金一)は新町小学校の
     教員で『猟奇兵(同人誌)』を編集していた。・・・翌日指定の時間にT社の隣りにあった精養軒に
     行くと相前後して竹内俊吉さんも来た。「やあ、君のところへも電報きたの、きっと原稿を読んで聞か
     せるのだろう」と笑う竹内さん(注ーなぜ笑ったかというと、電報は確実に本人に配達される。しかし、
     父危篤、のような緊急の場合に通常打たれる。気障、金持のボンボン、文学に同人誌に命をかけ
     る・・・とも読み取れる。)と2階のストーブを囲んでいると、階段を音も無くすうつと津島が制服にマン
     トで僕等の傍に立っていた。恐縮したような格好で薄く笑っていた。制服やマントも何時も仕立て下
     しという感じのスタイルだったが、その挙動も典雅で何かしら人の意表に出て喜ぶという感じが滲み出
     ていた(これこそ、小野先生が言っている太宰のサービス精神)。「小説書いたので聞いていただきた
     いと思って・・・」と右手に持っていた巻物、四百字詰原稿用紙を縦にくるくる巻いた巻物を繰り広げ
     て早速読み始めた。書き上げてから弘前からの汽車(約1.5時間)の中ででも推敲してきたという
     風だった。原稿用紙25枚ばかりのものだったが、コーヒーも飲まずに一気に読み終わって「さあ、どう
     だ」という顔付きで僕等を見廻した。その顔にはもはや最初のおどおどした調子はなく、「これでもか」
     という自信があった。・・・)。だから太宰はラヂオ・電報等通信技術に誰よりも関心を持っていた。勿
     論YOU TUBEはあるはずがない。詳細は後日。
       しかし、何故アダム・スミスは、上記Aー1 歴史を転換させたリスボン大地震について記述しな
     かったのだろうか?当時の大英帝国のメンツであったのだろうか?訳者水田洋氏は、わざわざリスボンと
     記入せずリスボアと記入している。又、回りくどい文体なので、先にマイケル・サンデル教授の講演を
     聴いてからアダム・スミスを読んだ方がよいと思った。アダム・スミスは何度も訂正している。その為理
     解しずらい文体になったのではないか。(私の頭脳がついて行けないだけの話ではあるが)。反語的
     表現はよくわからなかった。上記著書 上巻の P313 L17 〜L19「・・・それで、かれ自身にた
     いするこのささやかな悲運(小指の問題)を防ぐために、人間愛のある人は、かれの一億の兄弟の
     生命を、もしかれがかれらをけっして見たことがないとすれば、『あえて犠牲にしようとするだろう
     か。』・・・」の箇所である。  
       上記著書 上巻 注釈P313部分は、第3部第2編である。第3部は われわれ自身の諸感情
     と行動にかんする、われわれの判断の基礎について、および義務の感覚について。第2編は われわ
     れ自身の判断は、どのようなやり方で他の人びとの判断であるべきものに依拠するか、および、一般
     的諸規則の起源について、である。しかし、注釈は、本文に挿入してもいいような内容である。
       平成23年6月14日 23:56 岩手県沖 マグニチュード5.3 震度3 津軽北部、青森市は
     大震災の圏外にある。しかし、余震はまだ続いている。否、最後の、大きなプレートぶつかり合い
     が、必ずある、という不安感と戦っている。
       月日は百代の過客にして、一期一会の今日一日に全力を尽くさねばならない日常がある。その
     日常と非日常との対話を重ね、「大震災に何を学ぶか」を練り上げれば、と願っている。(詳細は後
     日に期す)。

8.  〜平成24年6月19日〜
       (最新情報 一部ドイツ語訳)、和歌90番91番追加。