三内丸山遺跡の縄文海進と
地名をアイヌ語で解く

最終更新2001年3月19日

1.縄文海進 其の1 海面高 10mシュミレーション

1万年前、氷河期が終わって気温が温暖化に向かい海進が進んだ。
5000年前それはピークを迎え、その海面高は10mに達したとされる。
「郷土を科学する−2」
(ピーク時の海面高が、せいぜい5mとする研究資料も数多いが、シュミレーションの最高点として採用した)

遺跡の平均高度は20m、最低点は7mで、その近くが水辺と推定されていることから、当時の海面高は6m前後と思われる。
(三内丸山遺跡・縄文シンポジウム’97 )

下図は海面高10mでシュミレートしたもの。
青森平野の殆どが海面下となるが、三内丸山は沖館川と入り江に囲まれ、恵まれた丘であったことが偲ばれる。

追記(01.3.19) 18日発表された国立民族博物館辻助教授の研究によれば縄文海進は遺跡周辺では7-6000年前に終わっていて、当時の海岸線はほぼ現在の位置とされ、漁は沖館川を水路として利用して行われていたものと推定している。



2.縄文海進 其の2 海面高 4,6,8,10mシュミレーション

2mごとの海進シュミレートは下図の通りで、いずれも現在の沖館川が遺跡の北西に深く入り江となって回り込んでいて、各年代にわたって海への出入り口として利用された事を偲ばせる。

また海退によって三内丸山が衰退に向かったのは、集落との距離から憶測して、少なくとも海面の高さが3m以下となってからではなかったか。

ただ、いずれの海進図も展示室の海進図とは海岸線が一致せず、その原因を検討する必要が残った。

3. 三内丸山の地名をアイヌ語で考える。

現在の地名をアイヌ語で解釈する手法は古くから行われてきた。
その正否はともかくとして、ここでは福田吉次郎氏の著書から、「三内丸山」のアイヌ語での解釈を紹介する。

1)三内(サンナイ) san 流れ下る  nay 川  −−−−−−−−−−−注(1) 
2)三内丸山(サンナイマルヤマ)「流れる沢口にある聖地」の意味。 −−注(2)
注(1)アイヌ語で解く地名と文化事典。福田吉次郎編著
注(2)地名でする縄文文化の旅ガイド。地名から文化を考える会刊行。

ここで言う川は現在の沖館川であるが、次の海進シュミレーションを見ていただけば解るように、各海進時期において沖館川は深い入り江となって、豊かな縄文の貿易港としての機能を、三内丸山の丘に提供したであろう事が想像できる。

参考。平成12年3月27日(月)追記。 昨日の青森県総合社会教育センターでの三内丸山遺跡調査報告会よると、青森市内400カ所のボーリング調査の結果から、三内丸山遺跡に近い青森西部平野での縄文海進は、6500年前後がピークであり、今まで考えられていたように三内丸山遺跡近くまで海は迫っておらず、湖沼・河川の時代であったものと推定されるという。


画像はすべてカシミール3Dと、 国土地理院発行数値地図50mメッシュ(標高) を使用してに作成。