ヨーロッパの国々[ 国際都市ウィーン(4)
市立公園内のシューベルト像 リヒテンタールのプファール教会
 私が初めてウィーンに降り立ったフランツ・ヨーゼフ駅を西に数百米行くと、歌曲の王シューベルトの生家があります。現在は、保存の行き届いた博物館になっておりますが、その東側二百米手前にある教会は、通称シューベルト教会(正式にはプファール教会)と呼ばれています。彼はここで音楽の手ほどきを受けました。建物の正面には、例によって何本かの旗とシューベルトのレリーフ、そして教会と彼との関わりが記されています。9月13日の晩、エヴァ・ブレーガー・フィッシュバッハというウィーン生まれのオルガニストのコンサートを聴きにいきました。気の毒なことに聴衆は十数人だったのですが、バロックを中心としたプログラムで、演奏もしっかりしており、オルガンの豊かな音色を満喫することができました。なるほど今宵の聴衆は、ドームのオルガン・コンサートに集まる人々の百分の一にも満たないかもしれない。しかし、あの大オルガンの正に敵機来襲を思わせる大音響よりずっと味わい深く、これこそ私が求めていたオルガン・アーベント(オルガンの夕べ)のあるべき姿なのだと自分なりに納得した次第です。
 
 日曜のミサは、それこそ1時間〜1時間半毎にあるのですが、やはり年配の方々が多いようです。ある教会の九時のミサに与ったときのことです。相変わらず老人が多く、聖歌は細々と歌われています。ところがオルガニストは、ミサの初めから終わりまで「主こそわが誉れ」の音楽を弾き続けました。それぞれの場面にふさわしいように即興的に変奏するのです。入祭に始まり、奉献も聖体拝領も退堂もすべてその旋律がモチーフになり、私は次にどのような変奏をするのだろうかとわくわくしながら待ち続け、感心し、感動し、あっという間にミサは終わりました。後で振り返ってみると、ミサにあまり気を入れなかったことに気がつきました。つくづく感じたのですが、何故日本の聖歌は広すぎる音域で、小難しく作られているのだろうか。ほとんどの通常文が、1音節対1音符或はそれ以上であり、答唱詩編にしても、本来最初と最後で良いはずの交唱をいちいち繰り返し、やたら時間をかけています。用いられる聖歌をも含めて、ミサに参加する人々の心理を考慮した「ミサ心理学」なるものが研究されてしかるべきだと思うのは、一人私だけでしょうか。ルターは、会衆の礼拝意識の向上をコラールに託しました。その中には、巷で流行していた世俗曲の旋律に宗教的内容の歌詞をあてはめ、歌わせたものもあります。「津軽海峡冬景色」を「悪しきこの世は冬景色」と歌詞を変え、神の意思に反する自然破壊や人種差別を盛込んだ聖歌を作ってみてはどうでしょうか。
 (以下次号)

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