ヨーロッパの国々 番外編
       ヘルマン・クラウト夫妻
 私は年明けに、一通の手紙をもらいました。かすれたところを何度かなぞっているボールペンの字に見覚えがなく、すぐ封筒の裏側を見ると、エルナ・クラウトのサインがあります。
「親愛なる日下様、クリスマスと新年のお慶びの手紙ありがとうございました。また、あなたの小さい娘さんの写真も同封していただき心から感謝申し上げます。誠に残念ながら、私はあなたに悲しくつらいお知らせをしなければなりません。私の愛する夫ヘルマン・クラウトは、1990年8月22日に八週間の入院生活も空しく帰天致しました。気道閉鎖症のため助からなかったのです。子供のいない私は独りぼっちで残されてしまいました…」
 私は呆然としました。思い出に残る人々(2)で紹介した、あの敬虔なカトリック信者のクラウト氏が死去したとはー。当時の文章から若干引用してみます。
「ヘルマン・クラウトー彼の生活をかいま見ることによって、私のそれまでのドイツ観は根底から覆ってしまいました。というのは、東でも心の持ちようによっては、精神的に豊かで充実した生活を送れることを実感させてくれたのが、クラウト夫妻だったからです…中略…置かれた状況の中で最善の生き方をして、神に感謝している人に、私は東ドイツで初めて会うことができたのです」
 私の脳裏には、ぜいぜいした声で優しく話す彼の顔、庭はもちろん家の窓すべてからこぼれるように花が咲いていたにもかかわらず、私が持参した小さな花束を本当に嬉しそうに受け取ってくれた奥さん、クラウト氏と二人でサイクリングをした後、彼の手造りの家で野菜や果物について話したことなどが次々に浮かんできました。そして神は随分残酷なことをなさるものだ、という思いと、これも神のお計らいならば、その愛の何と計り難いことかとため息をついた次第です。でも彼は天国で、愛する妻とドイツのために祈っていることでしょう。また教会の人たちも、きっと未亡人を助け励ましてくれているに違いありません。心から冥福を祈るばかりです。
 同じ頃、かつての貴族の御曹司ヴァルター博士からも年賀状が届きました。 日本語で「新年お目出とうごぎいます」ヨハン・ヴァルターと書いてあります。娘の通代は、自分と同じく不細工な字を見て大いに喜び、何度も お父さん!「シンネン オメデトウ ゴギイマース」と言う始末。外国人とはいえ、いっぱしの大人がこのようなまずい字を書くと言うことが理解できないのでしょう。ましてや彼はエラーイ博士なのですから。私はその簡潔な文章をみて、彼は健在で大いに活躍しているのだと確信しました。      
<完>

大作曲家のモニュメントTOPへ