Akiary改造logs

「前回までの記事」

(第6回)

Akiary本体改造の限界と、新たな方向性

本来、Akiary改造は、ver0.42の時には、それまで手書きしていた日記のフォーマット(HTML文書の上でのフォーマットと、見た目と、両方)との、ver0.51の時には、そうして改造した0.42による日記のそれとの互換性を確保したいというという目的で始まった。しかしながら、一度改造に手を染めると、果てしないカスタマイズへの欲求が、それまでの改造への動機に取って代わる。

しかも、web日記界は転換期である。それは、外来のツールであるMovableTypeをはじめとするblogの流入以降はじまった、大手blogサービスの隆盛による。一時的にMT賛美派は、既存のweb日記を既に知っている層から反発を受けたが(賛美派のMT評価点の多くは、web日記を知っている層から見れば、既に多くのツールで実現されていたことにしか思えなかったから、彼らの賛美は無知に基づくものなのではないのか?という疑念を払拭することができなかったのではないか。一方、賛美派の中で特に声が大きい人たちは、web上での技術という面では疎い「文化人」等であることにより、表明された疑念を理解することができなかったように思える。よって、議論はズレ続けた。)結果的に、既存のweb日記者というのはマイノリティであったことを露呈したように思える。とはいえ、一部のMT賛美者が主張した「日記」と「Blog」とのスタイルあるいは目的の違いとは裏腹に、現在隆盛しているblogサービスの利用者(そこには自分のwebpagesを持つこと自体が初めてという人も多い)は、blogサービスを使って日記を書いているようだ。それが悪いとは言わない。MT賛美者の多くは、ツールがwebpagesを更新してくれることの便利さを褒め称えていた。つまり、何に使うかという点は、さほど問題ではない。所詮ツールはツールであるし、blogとはweb上のlogの事だ。logとは、記録簿である。

だから、blogなんだから、殊更に日記とは違って何らかのスタイルを取らなければならない理由はないが、逆に、blogを名乗るなら、「日記」であることの制約、例えば毎日つける、日付順に閲覧する、話題が混在しても時系列の方が優先される、といった事柄、それはツールによっては日記を名乗っていても本質的には制約されていないのかもしれないが、なるべく、こうしたことから自由になれるようにするという努力が、日記ではなくblogということの基本方針ではないかという気がしている。

さて、話を戻すと、既にAkiaryを使って3年弱なんである。そして、そのカスタマイズへの欲求というものは、多分に多くのblogツールや、blogツールの流入を受けて変容を始めた日記ツールの持つ機能を取り込むことができないか、というものになってきている。しかし、そうした機能を、akiary.cgi本体の改造で取り込んでいくということは、次第に、akiaryではない別の日記ツールを作ることに近づいていく。それはそれで一つの方策であるが、その成果を誰かと共有することは難しい。最終的には、新たな日記ツール作者としてデビューするだけの覚悟があるかという問いになる。そんなつもりはなかった。

一方、私自身はあまり意識していなかったが、Akiaryはcgiの本体を改造しなくても、さまざまなカスタマイズが可能である点が特徴とする意見があった。「あるいは日々のたわごと」でやっている「天気」の欄について、私はakiary.cgiが管理する新たな項目として追加してしまったが、それをcgi改造をせずに実現する方策について「やーとぼーど」上でいしだなおと氏が解説しているのを見るにつけ、目から鱗が落ちる思いであった。本体はなるべく改造しない方が、多くの人のアイディアを取り込めるのかもしれない。だとしたら、それで何ができるかについて、試してみるのは楽しいことだ。

だから、また素のAkiaryを落としてきた。なるべく改造しないで(改造箇所は明記する方針で)導入した。いしだなおと氏のRSS生成ツールをつけた。「ぐうたら水槽日記」で使った表示用cgiをつけた。これで、tDiaryっぽい機能やテーマ互換、さらに、blogツールによるページっぽいことがどこまでできるか。そのための作業内容を記録するツールとして利用しながら、その成果を発表する、そういう新たな遊びをBlogging on Akiaryとして公開する。このことで、この記事は発展的解消(じゃなくてFake Endingなんだけど)としたい。お付き合いいただきありがとうございました。

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