りあらの「きっかけ10枚」

だいたいどのアルバムも、現在でも入手可能なものだと思う。かなりの
メジャー作品ばかりなので、「持ってる!」「聴いたことある!」という人
が大半だろうけど、私の大切なアルバムです。


「HYSTERIA」
DEF LEPPARD

初めて輸入盤屋に行った時、思わず目を引いたのがこのCDだった。派手なジャケット、どことなく宇宙的な雰囲気のイラスト。バンドの名前は「聴いた事がある」というくらいの認識しか持ってなかったのだ。「12曲入りだし、もし全然だめだとしても、国内盤よりはいくらか安いし、買ってみようかな」と、手にしたのだった。帰宅して早速、CDプレーヤーに乗せてみて思ったこと・・・。「げ、64分もあるよ。長いなぁ」だった。聴いてみて思ったことは「こんなにも華やかで、尚且つ力強いとは!!」と驚くままに、あっという間にDEF LEPPARDのとりこになってしまった。それからである。持っていた音楽雑誌のバックナンバーを片っ端から探して、DEF LEPPARDに関する記事を読みあさったのだった。そして、興味はDEF LEPPARDのみならず、他のバンドにも及んでいったのだ。

「SEVENTH SON OF 
   A SEVENTH SON」
IRON  MAIDEN

DEF LEPPARDのCD購入に成功した私は、別のバンドのことも知りたくなった。で、なぜIRON MAIDENかというと、当時は洋楽を聴いていた友人も、次々に邦楽(いわゆるJ−POP)に嗜好を変えていき「まだ、こんなの聴きよると??」とかなり言われたのだ。この前まで同じ趣味を持った友人から、こんな言葉が出るのが信じられなかった。「何を聴こうが私の勝手だろ!!」と思ったと同時に、「あんたにはIRON  MAIDENを聴く根性はないだろ!!」と、まぁ今思えば何ともバカな動機だったのだが・・・。さすがにポップスばかり聴いてきたので、ブルースのヴォーカルはちょっとつらいものがあった。何というのか、DEF LEPPARDと比べると「男くさい」のだ。「げ〜、怖い」と思ったのもつかの間、気がつけばその年の夏中、学校の部室でガンガン聴いていた。その数年後、ライヴに足を運ぶことになろうとは、当時は夢にも思わなかったが。

DIFFICULT TO CURE」
RAINBOW

初めて聴いたRAINBOWのアルバムがこれだった。「リッチー・ブラックモアって、こんなアルバム出してたのか。なんかイメージが違う」といったものだった。リッチーがDEEP PURPLEにいたことは知っていたが、RAINBOW自体は存在しか知らず、音を聞いたこともなければ、どういう経路でリッチーがDEEP PURPLEを脱退してRAINBOWを結成したのかは、まだ知らずにいたのだ。個人的に「CAN’T HAPPEN HERE」がすごく好きで、「こんないい曲があるのか!リッチーのこと、もっと知りたい」と思い始めたのだった。そうなると止まらない。リッチーに関する、レコードや書籍を集めるようになっていった。

「LIVE IN JAPAN」
 
DEEP PURPLE

初めてリッチーを見たのが、17歳のころだ。見たといっても、ビデオなのだが。そのビデオというのが「HIGHWAY STAR」だった。イアン・ギランの、がなり立てるようなボーカル。そしてそれ以上に強烈に目に焼きついたのがリッチー・ブラックモア。しばし呆然・・・何度も巻き戻しては、繰り返し見ていた。こんなギタリストは初めてだ。DEEP PURPLEのCDが聴いてみたくなった。買おうか迷っていたころ、ワーナーパイオニアの「FOREVER YOUNG SERIES」という企画で、旧譜が2000円で再発されることとなり、そのなかにDEEP PURPLEも含まれており、さらに「LIVE IN JAPAN」は初CD化で、シリーズでも目玉だった。早々に進路が決まっていた私は、高校3年の冬にアルバイトをし、その時のバイト代で買ったのだった。立体的に迫る音にまた度肝を抜いた。数年後そのライブをみるために、大阪まで足を運ぶとは。肉眼でみたリッチーは、何ともいえない異彩を放っていたようだった。スラリとのびた手。今まで何度となく聴いた曲が、目の前(はるか向こう)のリッチーが奏でているのをみて、涙が出てきた。

「THE MIRACLE」
 
QUEEN

フレディが存命していたころ、唯一聴いたQUEENのアルバム。それまで、シングル曲のイメージが強くて、アルバムには大して興味が持てなかった。そんなある日、TVで「I WANT IT ALL」のビデオを見る機会があった。「QUEENって、こんなにかっこよかったの!?」と、それまでのイメージを覆してしまった。この「THE MIRACLE」アルバム自体は、QUEENを代表する名盤と言うわけでもないが、それでもいい曲は多い。ツアーをしないことに関しては、そんなに深く考えなかったのだがフレディの体は、歌うことが、アルバムを作ることが、精一杯だったのだ。
91年、フレディはエイズでこの世を去った。皮肉なことに、フレディの死後QUEENのアルバムがそろうことになった。でも、少なくともフレディが生きていたときに、QUEENのすばらしさに触れることができたのは、このアルバムがあったからだと思う。

「HUNTING TIME」
 
ANTHEM

どちらが言い出したのかは、覚えていない。「貸して!」と言ったのが先か「貸そうか?」と言われたのが先だったのかは・・・。「このヴォーカルがね、先日イベントに来てさ、CD買ったらサインしてくれた。」 「へえ、そうなの?」 「でさ、この前のアルバムからヴォーカルが替わったんだけど、声の感じとか、前の人とよく似とるんよ。」友人のCDには、森川氏のサインがあった。これって今思えば、すごいお宝!それまでは、日本人のバンドはあまり興味なかったのだが、このANTHEMのアルバムを聴いてからは、初期のDEAD ENDや44MAGNUMあたりも聴くようになった。日本にも、いいバンドがいることを思い知らされた一枚だ。ANTHEMを聴くと、短大時代のことを思い出す。このCDを貸してくれた友人とは、疎遠になってしまったが、彼はきっとどこかで、ベースを弾いているはずだ。

「HEADING FOR 
    TOMORROW」
 
GAMMA RAY

就職して初めてもらった給料で買ったCDだった。当時、いきつけのCD屋でBGMとしてガンガンかかっていた。アルバム全体はともかく、一曲あたりの構成がとても面白くて、当時はよく聴いた。気になったのがカバーの「LOOK AT YOURSELF」だ。これはぜひともオリジナルを聴くべきだろう・・・。ということで、URIAH HEEPのCDも買ってしまった。オリジナルとカバーの聴き比べの楽しさを実感した一枚だ。

「BIG GENERATOR」
 
YES

97年、結婚してから4年目の秋に、息子が生まれた。なんともつらい妊婦生活だった。私はつわりがひどくて、40日入院していた。入院する前も、食べては吐いていた。一日2本の点滴を打ちながら、かろうじて生きていたような状態だった。音楽の趣味は変わらなかったのだが、長い入院生活で音楽を聴くことも少なくなっていった。退院してからは、ある程度の日常生活が送れるようになり、3ヶ月ぶりぐらいに車の運転も再開した。そのときにいつも聴いていたのがYESだったのだ。どこかクールで理路整然とした音は、かなり体力がなくなった私にとって、心地よかったのだ。
息子が生まれて、もうすぐ3年になる。車の中でYESを聴くと、一生懸命にメロディを追いながら口ずさもうとしている息子を見て「ゆたかにとっての洋楽初体験はYESかもね」と思う、今日この頃である。

「SEVEN AND THE
     RAGGED TIGER」
DURAN DURAN

初めて買った洋楽のレコードが、DURAN DURANだった。そう、当時はまだレコードが主流だったのだ。中学2年ぐらいだったと思う。私がDURAN DURAN、弟がCULTURE CLUBのレコードを購入し、お互いにダビングして聴いていた。このアルバムもなかなかいいが、前作の「RIO」のほうが好きだ。だが、DURAN DURANも、ロック色の強かったアンディ・テイラーとロジャー・テイラーが脱退し、音楽的に若干変化が見られ、あまり聴くこともなくなってしまった。私の嗜好も、HR寄りになっていったこともあるだろう。それでもやはり、たまに聴くと懐かしくなる。洋楽を聴き始めて、何もかもが新鮮だった当時の心境に戻るのだ。やっぱり大切な一枚である。

「BRDGE OVER 
 TROUBLD WATER」
SIMON AND GARFUNKLE

今や音楽の教科書に、リコーダーアレンジが掲載されるほどの名曲を数多く持つ二人組、SIMON AND GARFUNKEL。世代的には、私よりも母のほうがリアルタイムに過ごしてきた。映画「卒業」にはまり、SIMON AND GARFUNKELのファンになった母の影響で、私も聴きはじめるようになった。当時、エレクトーンを習っていた私は、主に映画音楽や洋楽をアレンジしたインストを中心に聴いていた。歌謡曲やアニメソングなども好きだったのだが、本格的にボーカルが入った洋楽のアーティストは、SIMON AND GARFUNKELが初めてだったと思う。悪戦苦闘でした。
どのアルバムを選ぼうかと迷ったのだが、超名曲のタイトル曲を始め、歌詞を読みながら聴きすすんでいくにしたがって、二人の気持ちが解散に向かっていくのがわかる、このラストアルバムを選出した。93年、再結成しツアーで来日した二人。母と一緒に福岡ドームに足を運んだが、観客の年齢層が比較的高く、私たちのように親子で見に来ている人も数多くいた。このとき改めて、世代を超えて名曲は残っていくんだなと感じた。


以上が「きっかけの10枚」である。
アルバムの曲について云々、といったことよりも、自分自身の当時のエピソード
のほうが多くなってしまった。
これから先も、たくさんのアルバムに出会うだろう。そして出会えたアルバムの
数だけ、いろんなエピソードやなんらかのきっかけが生まれるかもしれない。
願わくば、子供と一緒に共有できるエピソードが増えていくことを望みたい。

記・りあら

りあらのHP→